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<title>８のブログ</title>
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<title>最近読んで考えたこと</title>
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<![CDATA[ <p>　読んだ論文の読後感が、頭の中で揺れているのでちょっと記録を。<br><br>　読んだのは西山孝樹、藤田龍之、藤田宏之「井澤弥惣兵衛為永に関する既往研究と一次史料－紀州藩内の事績を中心として－」（『土木学会論文集D2（土木史）Vol78No1』）。2022年の論文です。<br><br><br>　まず、大学でいわゆる“文献史学”と呼ばれる日本史をやった人の論文では、タイトルに“一次史料”という言葉は滅多に見ない。特に最近は。<br>　思うに、新人の頃にゼミや勉強会などで怖い先輩たちから、「一次史料を使うのなんか当たり前でしょ」「一次史料も見てないのに何を言ってるの？」とバカにされるのを経験しているから。そんな言葉を使うとロクな目に合わないと、体感しているから使わない。実はこの論文が目に付いたのも、初めはこの部分が要因だった。〔大胆不敵だな…〕っと思った。<br>　あと論文の導入部分で、「正しい歴史的評価」という言葉出て来るんだけど、〔それはって何？〕とも思った。<br>　読んだ感想としては、“土木技術史としての正確な評価”っていう意味だろうと思うけど、言葉が強い。「歴史的評価」は見方によって変わるだろうに。<br><br>　論文の主旨は、井澤弥惣兵衛を「“紀州流”治水・利水の祖」などと評価した既往研究への批判で、実はさいたま市博の「見沼」展が直接批判されていた。見に行ったし講演会も参加したけど、面白い展示だったけどね。<br>　とはいえ土木系の雑誌に載った土木史の論文なので、関心の主体は土木技術にあるらしく、“紀州流”と呼ばれる土木工事で使われた技術は、“井澤弥惣兵衛発祥ではないでしょ”という批判で、紀州でおこなわれた治水事業は、井澤弥惣兵衛に先行して“大畑才蔵がいるんじゃないの？”という主張でした。<br>　実際に間違ってはいない。<br><br>　ただ、さいたま市博（や関東の自治体史）で言ってる“紀州流”と言うのは、土木技術の問題だけではなくて、「御普請役」と呼ばれる御家人を中心とした工事準備などの治水工事のシステムも含めて“紀州流”っと言っているから、ここでもう話がズレてきているんだよね。展示でも講演でも、大畑才蔵に触れてはいたので、別に無視をしたり見落としたりしていた訳でもないし。<br>　そもそも“紀州流”という言葉は、それまで関東でおこなわれていた“関東流”の治水技術とは異なる手法ということで、対義語的に発生している言葉。関東郡代伊奈家の手法が“関東流”と呼ばれるのに対して、井澤弥惣兵衛が率いる「御普請役」が治水をおこなう手法が“紀州流”と呼ばれているので、徳川吉宗の将軍就任にあわせて幕府に出仕して新しい治水・利水工事を主導した紀州出身の井澤弥惣兵衛が、「“紀州流”治水・利水の祖」という評価を受けるのは仕方がないのではないかと私は思う。</p><p><br>　で、“大畑才蔵に触れられてない”という批判ですが、関東で“紀州流”を扱う際には、関東に来ていない大畑に触れられないのは仕方がないのでは？<br><br>　さて興味を惹かれた要因で、論文のタイトルに入っている「一次史料」という文言。この「一次史料」を論文では、『大畑才蔵』（大畑才蔵全集編さん委員会編）、『南紀徳川史』（南紀徳川史刊行会）、『徳川実紀』としているんだけど、全部編纂物じゃないですか？<br>　まあ『大畑才蔵』は一次史料の翻刻ではあるんだろうけど、後述するけど『徳川実紀』は一考が必要な編纂物ですよ。<br>　っていう風になってくると、頭の中がグラグラ揺れて、歴史学と土木史の前提の違いを痛感しました。言葉の定義が一致していない。<br><br>　それでは論文の内容がおかしいのかと言えば、根本的な部分では間違っていないようにも思う。そもそも江戸幕府の治水・利水に関しては、「定法書」の検討や勘定奉行所の工事運営に関する研究が土木史の方面から進められている一方で、歴史学からはほとんど検証がなされていない。何を「一次史料」とするかは些細な問題で、二次史料だろうがなんだろうが利用した研究がないのが現状で、辞書類の記述に典拠とする史料が無いのはこの論文が批判する通りだ。<br>　井澤弥惣兵衛の経歴は不明な点が多く、過去の顕彰事業で提示された経歴や行跡に、典拠となる一次史料が提示されていないモノが多いという指摘も正しい。この論文でも指摘されているように、紀州藩領内での土木工事には、ほとんど井澤弥惣兵衛の名前は出てこないので、井澤弥惣兵衛の技術的源流は明らかにされていないのだ。<br>　しかし反対に、関東では井澤弥惣兵衛が工事の現場で活動している史料が多く残されているので、まったく紀州時代に土木技術を習得していないとも断定はできない（論文では触れられていなかったけど、埼玉や茨城の自治体史にいくらでもある）。大畑才蔵の記録に名前が出てこないというのであれば、関東で活動した「御普請役」の面々の名前も出てこないので、“大畑の記録に名前が無い”ことを技術伝承が無かった理由にすると、そもそも関東の“紀州流”の技術がどこから来たのかが不明になる。<br>　この辺も歴史学の怠慢の部分で、関東平野での“紀州流”の受け入れに関しては、新田村の開発や技術結果の社会的な受け入れなど、農村部に関する検討は進められているけど、幕府側で実務を担当した「御普請役」などの役人や制度に関する実態的な研究がまったく進められていない。つまり論文の批判はやはり正しい。研究の不在が問題の原点であって、土木史の側も“まさか”検証なく書かれているとは思っていないのでは？<br><br>　例えば「御普請役」についてですら、「普請役」か「御普請役」かの名称の確定すらされていない。さいたま市博の展示では、「御」は敬称として記されているだけなので役職名としては「普請役」と言っていた。個人的には、複数領主にまたがる河川改修などの“御普請”（単独の建物などを建設する“普請”とは異なり、領主よりも上位の権力者として幕府が執行する工事）をおこなう役職として、「御普請役」という役職名が正しいのではないかと思うんだけど、そんな議論すら存在しないから…。<br><br>　国立公文書館の「従紀州御供人数書」によると、井澤弥惣兵衛の部下として江戸に出て来て御普請役として活動した人物は、村松兵衛、中川伊右衛門、大河内長兵衛、岩橋藤次郎、安田太左衛門（保田か？）、岡本文五郎、佐久間平兵衛、塩路善右衛門、保田久兵衛、（川嶋）仁左衛門、（大谷）文次郎、（永持か？）武兵衛、（秋月）理右衛門、（田村）三右衛門の14人。判明している限りでは、彼らの師弟、一族も御普請役として活動している。<br>　例えば保田久兵衛は、兄の保田太左衛門が先行して御普請役となり、自身も兄に遅れて御普請役となった。久兵衛の子供は、次男の保田久左衛門、四男の保田定市も御普請役として活動している。（後に旗本に昇進した保田定市の『寛政重修諸家譜』の項目による）<br>　また田村三右衛門は、長男を紀伊国に残して江戸に上り、次男の田村伊右衛門と四男の田村銀八郎が御普請役に就任している。伊右衛門は後に御普請役を離れてしまうが、伊右衛門の次男にあたる田村伊八郎が別家して御普請役として取り上げられている。（文京ふるさと歴史館『年報』14号による）<br>　また御普請役ではないが、享和2年に御徒として先行して幕臣となっていた佐久間甚八の父佐久間郷右衛門は、支配勘定として東海道の河川の改修工事に携わっていた。（後に旗本に昇進した佐久間家の『寛政重修諸家譜』の項目による）<br>　これらの“紀州流”の工事を現場で支えた御普請役の家系が、分家が認められなくなっていたことが指摘されている近世中期以降に、御家人（しかも抱入格）でありなが複数の子供が御普請役として登用されているという事実が、紀州出身の御普請役に何らかの高い価値が認められていたという証拠となるのではないか。そしてその価値は、「御普請役」の職務を勤める為に有用な技術にあったと考えるのが普通ではないか。『大畑才蔵』には、大畑家に伝えられた普請技術を記録した「定法書」が収録されているが、同様に御普請役を勤めた各家系にもそれぞれ「定法書」に類するマニュアルが伝えられていて、治水・利水の技術が継承されていたものと考えられる。<br>　たぶんこれが“紀州流”の技術の正体なんだろうと思うけど、井澤弥惣兵衛も御普請役も実態が明らかにされていないので、「御普請役」を率いた井澤弥惣兵衛が「“紀州流”治水・利水の祖」とされているのが現状だろう。<br><br>　そういえば論文の中で、飯沼新田の見地を筧播摩守が検地したことに注目して、井澤弥惣兵衛が開発したのではないかとの見解を示していたけど、開発担当者が検地担当者を兼ねると不正の温床になるので、別の人物、というか上司の勘定奉行が検地をしてるんじゃないかなぁ。<br><br>　最後に、前に書いた『徳川実紀』の問題点ですが、編纂物であるということもそうだけど、『徳川実紀』は基本的に御家人に関する記述がされない書物である。この論文が表まで作って明らかにしてくれているんだけど、井澤弥惣兵衛も「勘定吟味格」という“旗本格の御家人”の間はほとんど『徳川実紀』に名前が見られず、布衣をゆるされて正式に旗本になってから、個別の事業にも名前が見られるようになっている。だから“『徳川実紀』に出てこないから関わっていない”と、言い切ることはできないんだよね。勿論、見沼や飯沼などの新田開発の地方の史料には、井澤弥惣兵衛の名前は頻出するので、関わっていなかったはずはないし。<br><br><br>　と、論文を批判するのか、賛同しているのかが解らない長い文章を書いたけど、それぐらい頭がグラグラ揺れた論文だった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>※2024.12.25追記</p><p>「（永持か？）武兵衛」と書いたけど、花田武兵衛だった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12869975049.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Oct 2024 12:23:55 +0900</pubDate>
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<title>ぼっち・ざ・ろっく！</title>
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<![CDATA[ <p>既にかなり遅ればせだったんですが、</p><p>２月頃に「ぼっち・ざ・ろっく！」にハマりました。</p><p>&nbsp;</p><p>何週かアニメを見て原作も読んでみて、</p><p>アルバム『結束バンド』も聴き込んで、</p><p>&nbsp;</p><p>存分に楽しませていただきました。</p><p>&nbsp;</p><p>作中のバンドメンバーがアジカンの苗字だったり、</p><p>各話のタイトルがアジカンの曲名だったりと、</p><p>（ちょっとモジっていて「馳せサンズ」が好きw）</p><p>&nbsp;</p><p>話がそもそも好みの話だったんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>編曲等で作中楽曲を取りまとめているのが、</p><p>&nbsp;LOST IN TIME の三井律郎だったので、</p><p>音楽的には好きに決まってるものだし、</p><p>&nbsp;</p><p>アルバムも微妙にインディーズっぽさがあって、</p><p>いまだにヘビロテで聴けています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>アニメは下北やライブハウスの書き込みが凄くて、</p><p>&nbsp;</p><p>演奏シーンもモーションキャプチャを使って、</p><p>縁者の動きを正確にアニメ化しているという凝りよう、</p><p>&nbsp;</p><p>考察動画などではもっと深い所も指摘されていますが、</p><p>私も一つとんでもない書き込みに気が付いています。</p><p>&nbsp;</p><p>最終話の後半でお茶の水の楽器街に行く時に、</p><p>一瞬だけ車の助手席に載った犬が写りますが、</p><p>&nbsp;</p><p>この“犬を載せた車”は実在する車です。</p><p>&nbsp;</p><p>車種も色も違ってしまっていますが、</p><p>コロナ前にはお茶の水近辺でよく見た光景です。</p><p>&nbsp;</p><p>街や店内の書き込みが凄いと言われていますが、</p><p>個人的にはこの“犬を載せた車”が凄いと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>原作には無かった情報なんだけど、</p><p>出版社の芳文社は隣の水道橋にあるから、</p><p>見てた人がいたのかも知れません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>『結束バンド』の最後の曲がカバーだったので、</p><p>私もバンドにカバーして欲しい曲を選曲して、</p><p>何か月も楽しむことができました。</p><p>&nbsp;</p><p>主人公の“青春コンプレックス”を刺激せず、</p><p>バンドのそれぞれに見せ場を作れそうでという、</p><p>選考基準でイロイロな曲を聴き込んだので、</p><p>&nbsp;</p><p>気分はドンドン沈んでいきましたが……</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみにこんな感じに、</p><p>&nbsp;</p><p>　１∶kodoku no syntheszier／base ball bear<br>　２∶車輪の下／LOST IN TIME<br>　３∶深夜高速／フラワーカンパニーズ<br>　４∶Tabibito In The Dark／base ball bear<br>　５∶午前４時、SNS／hakubi<br>　６∶ツバサ／アンダーグラフ<br>　７∶ビューティフル／毛皮のマリーズ<br>　８∶傘／つばき<br>　９∶箱庭ロックショー／UNISON SQUARE GARDEN<br>　10∶満月の夕／ガガガSP<br>　11∶確かめに行こう／the pillows<br>　12∶舞台裏／ひかりのなかに<br>　13∶街／アノアタリ</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;LOST IN TIME は本当は「カッターナイフ」を、</p><p>カバーして聴かせて欲しいところですが、</p><p>&nbsp;</p><p>女子高生に歌わせるのはどうかと思って止めました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12800738978.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Apr 2023 14:53:53 +0900</pubDate>
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<title>暗闇の中</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">タイガースは開幕から９連敗。<br><br>横浜にやっと１勝してから、引き分けをはさんで６連敗。<br>17試合で１勝１分１５敗で借金が１４。<br><br>勝っている試合を見ていても、不思議と勝てる気がしない。<br><br>ベンチに勝つ気があるとも思えない…<br><br><br>コロコロ投手を変えすぎなのはともかくとして、先発捕手を代えるのはダメでしょ。<br>坂本を好きなら坂本に固定して、その責任を自分で被りなさいよ。坂本のリードの過程が矢野好みなのは解るけど、その矢野は別にリードが良かった訳じゃないからね？<br><br>現状、梅野の方が結果は良い上に、打撃はあからさまに梅野の方が良いでしょ。<br><br>矢野って自分が長いこと捕手でやってきて、コロコロ代えられてやりにくくなかったのか？<br><br><br>そして藤浪、伊藤と先発投手がコロナ感染で離脱。<br>こんなに見事な泣き面に蜂ってあるかね？<br><br><br>先週は横浜にコロナ患者が大量に出たので、試合は中止になったんだけど、阪神にそんな余裕があったのか？相手が投手が野手に入るような惨状だったとしても、１勝しといた方が良かったんじゃないか？<br><br><br>まあ、負けたら本当に立ち直れないだろうけど…</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12737315930.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Apr 2022 02:05:29 +0900</pubDate>
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<title>アツシヤア家の覆滅</title>
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<![CDATA[ <p>　さいたま文学館で「江戸川乱歩と猟奇耽異」展を見てきました。<br><br>　内容は乱歩の通史というよりも、乱歩が探偵小説を一般文芸に近づけようと努力した点に的を絞っていて、他の乱歩展とは一線を画した展示でした。乱歩の歌声がBGMになっていたことと合わせて、純粋に面白かったです。<br>&nbsp;</p><p>　幸田露伴が唯一買っていた雑誌が『新青年』だった（他の文芸誌は献本があった）という幸田文の証言を引き出した乱歩の対談とか、知らなかったし。<br>　『中央公論』の大正７年７月「秘密と開放」号を探偵小説と一般文芸の初めの接点に位置づけて、そこに掲載された佐藤春夫、谷崎潤一郎、芥川龍之助と乱歩の関係を紹介したのは、解りやすさの点からも良かったと思う。<br><br>　ポーの「アッシャー家の崩壊」を絶賛していたという点と、実際に乱歩とも対談していることからか、佐藤春夫が大きく取り上げられていましたが、個人的には谷崎潤一郎とポーの関係も、もう少し取り上げて欲しかった所です。<br><br>　『新青年』１０巻４号の佐藤春夫「「指紋」の頃」で本人が言及しているように、大正７年頃の谷崎はポーの作品を読み漁っていました。さらには、自身が読み漁るだけではなく、ポーの作品を世間に紹介していこうともしていたんです。<br>　例えば『社会及国家』（正式には『社会及び国家に関する一匡社の主張』）の５７号（大正７年７月）には、谷崎がアッシャー家の崩壊を訳した「アツシヤア家の覆滅」が掲載されています。ほんの導入部分だけの翻訳で、次号にもほんの少しだけ掲載された後は、なかったことの様に掲載されなくなりますが…<br>&nbsp;</p><p>　同号に載った谷崎が原稿に添えたという通信には、<br>　　「　電報ならびにお手紙拝見、今日此れだけ出来ましたから兎に角おくります。来月一日頃まで待って下されば、もっとかいてもよろし。<br>　　　これは創作にはあらず、されど探偵並びに怪談小説の大家なるアメリカのポオの翻訳故先の方へ行けば大いに面白きつもりなり。且又純文芸物としても立派な価値あるものに候、全部訳した上で単行本にして出版するつもりです。今度は急いだので訳し方甚だ不満足ながら次号よりは完全なものを出すべし。二十六日夜地震の時刻<br>　　　　　大村正夫様　　　　　　　　　　　　谷崎拝<br>　　　御慶事はまだにや伺上候笹沼長尾両氏へよろしく。」<br>とあり、谷崎が「アッシャー家の崩壊」を全訳して出版する意向を持っていたことが解ります。<br>　佐藤春夫が「アッシャー家の崩壊」の翻案とも言える「女誡扇奇談」（大正１４年）を発表する、また弟谷崎精二が『アッシャー家の崩壊』を出版（大正１５年）するはるかに前に、谷崎は「アッシャー家の崩壊」を世に出そうとしていたことも、紹介して欲しかった。（乱歩に影響を与えた作家として、十分に扱われてはいましたが）<br><br>　ちなみに通信を宛てた大村正夫は、当時『社会及国家』の発行人であり、一高、帝大で谷崎の同級生だったお医者さんです。今東光が、谷崎の娘鮎子の診察に来た大村が、診察代を賭けて病人の枕頭で谷崎と花札をしていた逸話を紹介していますし、大正８年に谷崎の父が亡くなった時にも何度も病床を訪ねて診察しています。「御慶事はまだにや」と書かれているのは、６月２３日に大村に長男匡一郎が生まれたという連絡が、谷崎にはまだ届いていなかったのでしょうが、二人の親しい間柄がうかがわれます。「笹沼」は谷崎の幼馴染として有名な笹沼源一郎、「長尾」は一年後輩で東京医科歯科大学の学長になった長尾優（一時期大村宅に仮寓していた）のこととでしょう。<br><br>　展示では「谷崎は意識的に探偵小説をかいた訳ではない」とされていましたが、この時期に探偵小説に意欲を持っていたのは確かだろうと思います。</p><p>　「アツシヤア家の覆滅」が載る前の『社会及国家』５５号（大正７年５月）には、巻末に社告として「社友谷崎潤一郎君次号より本誌の為に探偵小説を寄稿することを約せり」という文章が載っていました。どうやらこの約束は果たされなかったようですが、５７号の通信で「これは創作にはあらず、されど」と言い訳しているのは、自作の探偵小説を載せられなかったからでしょう。<br><br>　乱歩と谷崎の関係を、乱歩が「途上」などの谷崎作品を高く評価し、多くの探偵作家に影響を受けた作家としていたことから紐解かれていましたが、谷崎の探偵小説への取り組みなどを考え合わせれば、谷崎と乱歩をもっと近づけられたのではないかと、そんな事を考えました。<br><br>　乱歩は「アツシヤア家の覆滅」を知っていたんだろうか？</p>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12668224461.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Apr 2021 01:43:10 +0900</pubDate>
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<title>木内昇『球道恋々』</title>
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<![CDATA[ <div>楽しみにしていた作品が、やっと文庫化されて読めました。</div><div>&nbsp;</div><div>明治40年前後の一高野球部史という内容がそもそも待望なのに、戸田保忠、安形貞助、君島一郎、平山復二郎などの面々が、ちゃんと活躍する作品なんか、むしろ自分以上に楽しめる人間がいるのかとw</div><div><div style="background-color: inherit; color: rgb(68, 68, 68); font-family: &amp;quot;ヒラギノ角ゴ pro w3&amp;quot;,&amp;quot;hiragino kaku gothic pro&amp;quot;,&amp;quot;ｍｓ ｐゴシック&amp;quot;,&amp;quot;ms pgothic&amp;quot;,sans-serif,&amp;quot;メイリオ&amp;quot;,meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">一高野球部が戸田保忠と安形貞助の二人だけになってしまう場面なんか、知っていても泣けてくる…</div><div style="background-color: inherit; color: rgb(68, 68, 68); font-family: &amp;quot;ヒラギノ角ゴ pro w3&amp;quot;,&amp;quot;hiragino kaku gothic pro&amp;quot;,&amp;quot;ｍｓ ｐゴシック&amp;quot;,&amp;quot;ms pgothic&amp;quot;,sans-serif,&amp;quot;メイリオ&amp;quot;,meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">&nbsp;</div></div><div>いや、一高時代の安形貞助と言って、顔が浮かぶ人間が自分以外にいるのか？</div><div>&nbsp;</div><div>しかし戸田保忠の投手転向だとか、安形貞助の守備力強化だとかが、讃えられる作品を読むことができるなんて…</div><div>&nbsp;</div><div><br>学生野球の歴史を紐解いた時に、黎明期の一高黄金時代から朝日新聞の全国中等学校野球大会の開催までが、初期にあたるのかと思いますが、<br>その初期を明治30年代後半からの一高低迷期を描きながら、ウィンブリー事件や早稲田の米国遊学、野球害毒論争などにも触れた内容は、日本野球史としても良書です。</div><div><br>個人的には、川西実三という名前で出て来る、和辻哲郎が秀逸でした。</div><div>&nbsp;</div><div>あの性格の悪さ、頑固さ、生意気さ、まさに和辻哲郎でした。</div><div>&nbsp;</div><div>そして魚住論文から始まった一高の個人主義問題が、和辻の独白に収斂していく展開は、それもありそうだと納得のいく内容。本当の和辻は同級生から野球部に誘われながらも、魚住の“運動部に入ると馬鹿になる”という助言に従って入らなかったと書いているし、なんなら中学時代に体を壊しているので厳しい練習に耐えられそうになかったというのもあるけど、頑なに入部を拒否した理由は、作中の理由の方がありそうかとも思う。</div><div>&nbsp;</div><div>むしろここ何年か調べている和辻哲郎の学生時代について、自分以外の人がここまで近づいていることに、ショックも受けました。</div><div>&nbsp;</div><div><br>後は細かい話になるけど、さらっと出て来る伝染病研究所の事件も、他にも安形貞助の同期も死んでる事実だし、細かい設定がよく調べられてる。<br>なんなら作品初期には一高（向陵）を女子禁制の様に言っていて、最後の方で奥さんが一高に現れるシーンがあるんだけど、実は作中の敵役である新渡戸稲造が、特別な日（３月１日の祈念祭）に女性の来校を許したという事実が、反映されているんだと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>まあ当時の天狗倶楽部は、一高との対抗戦として相撲の試合をしたりもしていて、もう少し交流があったんだけどね。</div><div>&nbsp;</div><div>そもそも練習や試合の描写が、ソフトボールをやってた人だけあって臨場感がある。</div><div>そして終盤の天狗倶楽部の試合で、押川春浪が投げたがる場面では、こっちは近々死ぬことが解ってるから、押川春浪に投げさせようという主人公の言葉には、思わずまた涙が…</div><div>&nbsp;</div><div>作品の筋には触れずに、舞台と場面立てを絶賛してますが、もちろん瑕疵だってありました。<br>でもそんなことは別にできるぐらいに、小説としても面白い。</div><div>まあちょっといろいろしょうがない面があって、説明がかなりおおいけどね。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>直木賞を獲った『漂砂のうたう』もそうでしたが、なんか根津と神田川の距離感がオカシイ気がするんだよな……</div>
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<pubDate>Sun, 12 Apr 2020 23:07:05 +0900</pubDate>
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<title>FLCL映画</title>
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<![CDATA[ <div>フリクリ・オルタナティブとプログレを見ました。</div><div><br>the pillowsのファンから前作のフリクリを見て、</div><div>カッコいいアニメミュージックビデオとして捉えていた私からすると、</div><div>どう考えてもピロウズへの愛が足りてない。</div><div>&nbsp;</div><div><br>愛とは＝音量です。</div><div>&nbsp;</div><div><br>劇中何度も良い場面で流れる楽曲の音量に、</div><div>物足りないモノを感じました。</div><div>&nbsp;</div><div>アニメ的には多分、</div><div>BGMとして適当な音量なんだろうけど。</div><div><br>プログレの方のパンフレットにも、</div><div>監督の一人の「キャッチ―な有名どころの曲を選んじゃう」</div><div>という発言が載っていましたが、</div><div>&nbsp;</div><div>要するに「フリクリ」の好きなクリエイターが監督をしたのであって、</div><div>the pillowsを好きなクリエイターが監督をしたんじゃないんだよね。</div><div>&nbsp;</div><div><br>オリジナルの方のフリクリは、</div><div>いかれたぐらいのthe pillows好きが監督をしていたから…</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>前作でカウボーイ姿のロボットとの戦闘シーンで</div><div>流れる「Blues Drive Monster」なんかでは曲がメインになって、</div><div>アニメーションのスピード感がさらに曲を高めてましたよ。</div><div>&nbsp;</div><div><br>今回だって、</div><div>「空中レジスター」とか「BOYS BE LOCKSMITH」とか、</div><div>他にも世界観に合う曲がいくらでもあっただろうに、</div><div>選んだ曲もいい曲だけどベストじゃない感じが…</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>あっ、アニメの内容はまあまあ面白かったです。</div><div><br>オルタナのベスパのナンバープレートが、</div><div>マバセナンバーだったのがちょっと良かった。</div><div>&nbsp;</div><div>劇場出る時のお客さんの会話で、</div><div>「よく解らなかった」って聞こえてきたけど、</div><div>フリクリってそういうもんでしょ。</div>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12416923358.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Nov 2018 15:20:49 +0900</pubDate>
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<title>ねぇ、神様？</title>
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<![CDATA[ 「<span style="font-size:1.4em;">ねぇ、神様？</span>」oresama from YOUTUBE<br>作詞 ぽん 作曲 小島<br><br><br>　私が oresama について知っている事は、女性ボーカルの二人組ユニットという事と、Ｈ△Ｇとスプリットシングルを出した事、この二つだけだといっていい。というよりも、去年出たＨ△Ｇとのスプリットシングルで初めて知りました。代表曲の「オオカミハート」も、Ｈ△Ｇのカバーで先に聴きました。<br>　Ｈ△Ｇの「少女たちの終らない夜」のカバーが、思った以上に良かったのも好印象だったので、早速アルバムも買って聞くようになりました。そして、 oresama の「オオカミハート」で時折入る硬質な単音に魅入られて、繰り返し聴くようになりました。<br><br>　そんな私が YOUTUBE で見つけた曲が、「ねぇ、神様？」。<br><br>　久しぶりにブログを更新しようと、思ってしまうほどのめり込みました。<br><br><br>　曲は oresama っぽい独特のギターリフ、歌詞は全編に亘って「唄いたい!!!」という感情の発露。曲から伝わる切実さの様なものが、１stアルバムとは全然違います。<br><br>　　<span style="font-weight:bold;">ねぇ神様</span><br><br>という問いかけから始まって、<br><br>　　<span style="font-weight:bold;">聞こえますか僕の声が 届きますかこのうたが</span><br>　　<span style="font-weight:bold;">聞こえますか僕の歌が</span><br><br>と畳み掛けるように続く問いは、まるで“届いていない”という実感があるかのような切実さですが、「愛して欲しいから」、「暗闇」の中にいるから、それでも唄い続ける覚悟の様なものも一緒に伝わってきます。<br><br>　　<span style="font-weight:bold;">夜が来たらみじめな僕 青く小さく滑稽で</span><br>　　<span style="font-weight:bold;">いっそ朝がこなければいいのに</span><br><br>　特に印象に残った歌詞がこの部分。「青く小さく滑稽」って、なかなか出てこない言葉。これを切実に聞かせるボーカルには、自然と心が動かされます。<br>　ちょっとネットで調べてみると、何故この曲が響いてくるのかは、なんとなく解る文章が見つかりますが、そんな文章を読まなくたって、気持ちは十分に伝わってくる。<br><br>　この曲を何回も聴いているってことは、私にも何か思うところがあるんだろうか…<br><br><br><br>で、このタイミングで再デビューの発表。この曲が音源化されるのも、楽しみに待っています。
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12248469366.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Feb 2017 22:51:02 +0900</pubDate>
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<title>なんとなく</title>
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<![CDATA[ 何ヶ月か前から気がついてたけど、大東文化大の谷本宗生とかいう研究者もどきが、まるで自分で探してきたかのような書き方で、ヒトの調べていることを摘み食いして、適当な雑文を書いている。<br><br>まあそんな研究者もどきはいくらでもいるけど。<br><br><br>特に気にもしてなかったんだけど、なんだろう30分ぐらい前から、無性に腹立たしく思えてきた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12121460073.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jan 2016 19:31:38 +0900</pubDate>
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<title>ツンドク</title>
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<![CDATA[ 一昨日読んだエッセイ。<br><br>８０年近く前の文章だけど、<br>非常に共感できる内容でした。<br><br>人に理解されない考えだけど、<br>共感できる人がいると良いのと、<br>著作権も切れてるので、<br>全文掲載してみます。<br><br><br>ツンドク礼讃<br>　　　　　　　　　　　　杉田直樹<br><br>　読話会にふさわしい短文の気焔をあげろと云っても、元々話は相手があってはずみ出し思はず知らず我乍ら感心するやうな卓抜な妙言が自然と出てくるのであって、幹事の催促によりお義理で筆をとっても到底うまい考への出るべきものではない。<br>　私は書物の新刊書は広告や書店の月報につり込まれ、古本は店頭のひやかしによってふと眼についたものを、其の場で直に買っておくべきものだと思ふ。欲しくなって時経てから買ひに行っても決して時を逸しては容易に再び手に入るものではない。それで買ひ集めて読まずにツンでおけばよい。何の本は自分の手許にあるといふ自信だけで、図書館で借りて通読して了った以上の頼もしさが感ぜられるものなのである。私などは大蔵経を買って並べておいただけでもう一かど仏教は分ったつもりでいる。それで心持は至って広やかに自ら感じているから、もう坊さんの説教など聞かうとは思はない。どうせ四六時中かかって通読しても頭にはその千分一も残ってはいない。ツンでおいて眺めていても大抵現代の書籍の効果は同じである。買った時早速に目次と序文とに眼を通しておけばそれでもう十分事足りる。多読を欲する私は此の意味で図書館長と大書店のおやじと内務省の検閲官とやらが羨ましい。<br>　併し彼等は其の多数の書物を決して自分の所有にしているのでないことを思ふと、一年に五百か千の端金乍ら自分で選んで内外多数の書物を買って来てはツンドク書庫の冊数を少しづつでも殖やして行く私の方が、遥に書物幸福に富んでいると考へ直して悦んでいる。此の意味で私には書物を貸し出す為めの図書館と書物を客から買入れる為めの古本屋とは少しも用事がない。図書館の建物を見るとあそこに沢山の本がツンどかれるなと思って心からの敬意を禁じ得ないし、古本屋の店を見ると何か面白さうな本が下積になって客の目に触れずに取り残されているやうな気がして勿体なく且なつかしい心持になる。まづ私の様な読書家は沢山の本に毎日接しても少しも神経衰弱に罹らないのは甚だ都合がよい。<br><br>（収録：名古屋公衆読話会編『持寄文庫』1936年）<br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-12116396970.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Jan 2016 21:31:40 +0900</pubDate>
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<title>セツナトリップ</title>
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<![CDATA[ <p>「<font size="4">セツナトリップ</font>」  GUMI<br>                           Music＆Lyrics　Last Note<br></p><br><p>　ボカロ曲ですが、最近この曲にハマってます。</p><br><p>　ボカロの曲にはまったく詳しくないので、この曲もたまたま youtube で見かけただけなんですが、access（むしろ浅倉大介？）を彷彿とさせるメロディーに、言葉遊びが沢山詰った歌詞、激しいギタープレイ。</p><p>　普通に良い曲だと思うし、かなり好みです。</p><br><p>　まあ市場に出て、売れるかどうかは不明ですがww</p><br><p><br>　それだけならば、「こんな曲があったよ～」でお終いなんですが、この曲へのハマり方はちょっと違います。</p><p>　ニコニコ動画などでは普通の事の様ですが、“歌ってみた”という形で色々な人が動画をアップしていて、声が違うだけじゃなくて、歌い方のアレンジが入ったり、様々な付け足しがあったりと、派生したそれぞれの歌も面白い。</p><p>　更には何人かの歌を合成して合唱させている人がいたり、それを編集して混声グループにしていたり・・・・・・聴き比べるのも楽しいww</p><br><p>　ヒドイ時には何時間も聴いてる。</p><p><br>　CD化されたり、カラオケに入ったリもしてるみたいだし、確認はしていないけどそのウチ踊ってみたりする人もでるのかな。</p><br><br><br><br><p>　こんなのを見ていると、ボカロも文化だなぁ・・・っとつくづく思う。</p><br><p>　色々な作品が発表されて、その中の良いものが色んな人に取り上げられて、様々な形にアレンジもされて、“ スタンダードナンバー ”になっていく・・・・。色々なジャンルの初期にあったことが、ここでも起こってる。</p><p>　今はサブカルの部類に入るんだろうけど、今後の動向にも注目です。（この曲だけでなく）</p><br><br><br><p><br>まあこの曲ばっか聴いてるんで、他はほとんど聴いてないんですけどねww</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/boze-22/entry-11294510257.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Jul 2012 00:39:58 +0900</pubDate>
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