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<title>bunkyokeioのブログ</title>
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<description>４０歳代の会社員です。３０歳代はじめから約１５年にわたって鬱病と闘ってきました。今は効き目のある薬と出合ってほぼ寛解。ようやく鬱病を客観視することができるようになりました。様々な思いや考えを綴っていきます。</description>
<language>ja</language>
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<title>まだ薬はのんでいるけれど</title>
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<![CDATA[ 鬱病の寛解というのは、たぶん、薬を飲まなくても大丈夫な状態になることを指すのでしょうね。私はまだ薬をかなり多く飲んでいます。サインバルタ、リフレックス、などなど。多剤併用のいまの状態で寛解なんて言ったら笑われるでしょうか。でも、鬱からは完全に脱出した手応えはあるんです。職場の異動という環境の変化、引っ越しによる気分転換、新しい友人たちとの出会い、などなどがすごくプラスに作用しているんです。<div>でも、薬をやめたら離脱作用で苦しむんでしょうか。それを考えると、薬をやめるのがすごく怖い。たくさん薬を飲んでいるだけに、やめるのは一大決心が必要です。それはとても寛解とはやっぱり言えませんね。</div><div>断薬で苦しんでいる人の手記を読む機会が多くて、ピンシャリとかすごく恐怖です。せっかくここまで日常生活を苦しむことなく送れるようになったのに、また苦しみが訪れるのは勘弁して欲しい、というのが実際のところ。でも、いつかはチャレンジしなくては仕方がないのでしょう。チャレンジするのは定年後にしてほしい、、、そんなことを考えてしまいます。</div><div>会社員生活が続く間は薬で誤魔化して、なんとか定年まで完走して、そこでおもむろに断薬に挑戦。そんなライフプランを描いています。でも、老年期に入ってからの鬱状態は認知症の大きな原因の一つになりえますから、それも怖い。え？じゃあ、一生薬を飲み続けるわけ？</div><div>寛解までは遠い道のりだなあ、と呆然とする今日この頃です。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12379049235.html</link>
<pubDate>Sun, 27 May 2018 08:23:18 +0900</pubDate>
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<title>鬱病の原因ってなんだろう？</title>
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<![CDATA[ 鬱病になった原因は皆さんなんですか？<div>私の場合、ある日突然、それも環境的には幸せな中で鬱病になりました。</div><div>転勤が引き金だったのですが、転勤場所は自分の希望通りでしたし、やる気もまんまんでしたし、なんで鬱病を発したのか、未だによくわからないと言うのが本音です。</div><div>まあ確かに想像と違う局面もいくつかありましたが、そんなに巨大なストレスではありませんでしたし、半年も会社を休む事態になるなんて、想像を完全に超えてました。環境の変化に弱いのは確かで、誰がどうみても栄転という転勤もその前にありましたが、長い間、抑鬱状態に陥りました。最もその時は抑鬱状態という表現自体を知らず、単なるセンチメンタリスムくらいにしか考えていなかったのですが、死というものを妙に考え込んだり、ちょっと変でした。</div><div>今、冷静になって振り返ると、転勤になる前の約一年間、私はマンションを購入してテンションがあがり、早朝から深夜まで仕事をしても一向に平気でしたし、土日も自分から他人の仕事を買って出て出社するなど、躁状態がずっと続いていたように思います。転勤を機に、その疲れがどっと出た、というのが鬱病発症の原因なのではないでしょうか。</div><div>その後、病気に関する本をそれこそ山のように読みましたが、発症の契機は千差万別のようですね。その後、気分の浮き沈みがあり、鬱が酷い時には仕事に支障を生じるようになったのは、完全に医師に作られた病気ではないかーーというのは、以前のブログで書いたように思います。</div><div>あの頃に戻って人生をやり直せたらーーーそんな詮無いことを今でもたまに考えますが、人生は一度きり。病気の経験をなんとしてでも自分の糧にしたいですね。転んでもただでは起きないというか。そういう意味では、たくましくなりました。きっと具合が良くなかったから、そんなことが書けるんでしょう。</div><div>今、現在進行形で苦しんでいる方には、いつか夜明けが来るとしか言えないのですが、自分が鬱病真っ最中の時には、夜明けの到来なんて全く信じられませんでしたからね。軽々しい事は書かないでおこうと思います。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12377098153.html</link>
<pubDate>Sat, 19 May 2018 11:55:00 +0900</pubDate>
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<title>鬱になると人生観は変わるのか？</title>
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<![CDATA[ &nbsp; 鬱になると人生観は変わるのか？<div>&nbsp; 大きなテーマだと思います。結論から言えば、人生観は周囲の力によって変わらざるをえなくなります。自分自身が考えてひねり出す人生観なんかたかが知れていて、周囲の見る目が変わるので、必然的に人生観は変わってしまう、というのが正直なところでしょう。</div><div>&nbsp; 自分は寛解して大丈夫と思っても、周囲は一度でも鬱病になった人のことを決して忘れません。悲しいかな、それが現実です。元外務省の佐藤優さんが著書の中で語っておられましたが、精神疾患を患った人は、まず間違いなくその組織のマネジメント層に上昇する事はないそうです。ソフトに述べておられましたが、本音で言えば、可能性ゼロということだと思います。</div><div>&nbsp; そんな中で仕事をし、生きていく中で、ある日、あっ、自分はもう先に壁がある中で働いているに過ぎないのだな、という厳然たる事実に気づきます。鈍感な私は気付くまでリカバリーを目指して頑張ってきましたが、それは無駄な抵抗でした。精神科医が、細く長く、と言うのを反発して聞いていましたが、それは正しく、そして最も確実に定年というゴールに向かっていくにあたっての金言だということを今は痛感しています。</div><div>&nbsp; 組織の中で上昇する可能性がゼロである以上、人生観の変更は余儀ないことと言えるでしょう。細く長く。私はある資格試験に挑戦中ですが、そうでもしないと、神経がもたないというのが率直なところです。人生観は大きく変わりました。会社メインから自分の人生こそメインへ。がっかりする向きもあるかもしれませんが、なんとか自分の道を探し当てて生きていこうではありませんか。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12376464389.html</link>
<pubDate>Wed, 16 May 2018 20:00:15 +0900</pubDate>
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<title>躁転したときの記憶</title>
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<![CDATA[ &nbsp; 鬱病になって抗鬱剤の投与を受け、半年ほど経った頃、躁転しました。その時の記憶は鮮明で、躁転の後、鬱にならなければ、一生躁でいたいと思ったほどの勢いでした。双極性障害という病気では、躁と鬱とが交互にやってきて、鬱になると非常に辛いだけでなく、躁の時も金銭にルーズになったり、性行動で逸脱するなど、周囲の人々を巻き込んで大騒ぎになるので、躁転することは決して幸せなことではないのですが、鬱で苦しんでいるときは、とにもかくにも今の苦しみから逃れたくて、躁になることを切に望むものです。<div>&nbsp; 私が躁転したときは、とにかく早朝から深夜までスケジュールをギッシリと入れ、それをこなすばかりか、夜には女性を次々と口説いていくというもの。躁転を心配する家族には、破滅してもいいから今の状態が続いて欲しい、と言い放つなど、自らの体力を超えた行動の数々で、ヘトヘトになりながらも心身は激しく動き回ってるというものでした。いま振り返れば、そのまま躁の状態が続いていたら、セクハラで訴えられ、針が振り切れたら想像もできない鬱地獄に転落しただろうと思います。しかし、そこからが問題なのです。</div><div>&nbsp; 医者に行き、性的逸脱の行動などについて症状を訴えたところ、躁を抑える薬を出しましょうと言って処方された薬を飲んだところ、一気に頭に鉛の王冠を乗せたような鬱地獄にはまりこみ、それはそれは辛い日々を送ったのです。ソフトランディングではなく、文字通りのハードランディングで、その後の15年にわたる鬱との闘いは、そこが原点のような気がします。もしそこで、うまく平衡をとってくれていたら、鬱に落ち込むことなく過ごせたのではないか、いまこのようにブログを書くような事態そのものが生じなかったのではないか、という思いを強くしています。</div><div>&nbsp; つまりは、その医師によって、鬱が作られたのではないか、鬱の定常状態はそこから生じたのではないか、という疑問を払拭できないのです。</div><div>&nbsp; もちろん、躁転そのものは良くありません。それは当然のことです。しかし、躁も鬱も医師が作り出しているのではないかーーーそんな思いが近頃、私の頭を支配しています。病気そのものを医師が作り出す。なんだか笑うに笑えないブラックジョークが精神科臨床の実態なのではないか、という思考から逃れられない今日この頃です。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12376412368.html</link>
<pubDate>Wed, 16 May 2018 15:41:35 +0900</pubDate>
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<title>仕事のプレッシャーから解放されて</title>
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<![CDATA[ &nbsp; 鬱病の寛解の理由を自分なりに考えてみれば、薬の変化も大きかったですが、やはり環境の変化が一番大きかったと思います。薬は、カリフォルニアロケット療法で一気に効き目が現れた感覚ですが、その裏には薬以上の効果をもたらした環境の変化がありました。<div>&nbsp; 有り体に言えば、私は逃げたのです。</div><div>&nbsp; やはりやりがいのある、第一線の仕事というのは、プレッシャーとは無縁ではありえません。そこから逃げて、プレッシャーが消えたことが、私を取り巻く環境を激変させ、鬱病の地獄に垂れ下がってきた一本の蜘蛛の糸をつたって登るきっかけを作ってくれたと思います。</div><div>&nbsp; 最近、逃げる事は悪ではない、という趣旨の本が相次いで出ています。それだけ、追い詰められている人が多い証左でしょう。私などは甘いと言われるようなブラック企業で働かされている人は少なくありません。しかし、日本だけではないと思いますが、やはり目の前のプレッシャーから逃げる事は決してカッコいいことではありませんし、評価されることでもありません。逆に言えば、逃げる事で評価はやはり下がりますし、その後の出世もありえません。それが分かっているからこそ、みんな容易に逃げられないのです。</div><div>&nbsp; 私は逃げた事で仕事のプレッシャーから見事に解放されました。そして鬱病地獄から逃げ出すチャンスをうまくとらえ、１５年もの間とりついていた鬱から逃れることができたのです。でも、その分、逃げたということが後ろめたい気持ちとして今でも心の傷として深く残っていますし、自信を、自尊心を失わせる結果となっています。</div><div>&nbsp; そんな人間はやはりどこか欠陥、と言っては間違いでしょうが、魅力に欠ける部分があるようで、逃げて以降、異性との付き合いは全くうまくいっていません。異性はそういう部分にはすごく敏感ですから、私の逃げた心の影をなんとなく本能的に嗅ぎ取っているのでしょう。だから、また一線で活躍したい、という気持ちがむくむくと持ち上がる瞬間もあります。もちろん、できませんけどね。気力、体力ともにもう無理ですから。</div><div>&nbsp; プレッシャーから解放されて、いい部分、悪い部分、それぞれ書き記しましたが、基本的には逃げていいと思います。でも、逃げるとそれだけのマイナスの報酬もありますよ、ということを書き残したかったので、つらつらと綴りました。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12376368065.html</link>
<pubDate>Wed, 16 May 2018 11:54:29 +0900</pubDate>
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<title>鬱病との戦いは飲酒との戦いだ</title>
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<![CDATA[ &nbsp; 私が最も鬱病が酷かった時の主治医は、酒は百薬の長とも言いますからね、と飲酒を止めなかったが、これはいま考えると大きな間違いだと思う。その頃の私は、何とか勤務時間をこなして帰宅するとグレープフルーツの缶酎ハイを何本も飲んで気を晴らし、そのあとに薬を飲んで寝る生活を続けていたが、これで治るはずがない。理性的に考えればすぐにわかることなのだが、その当時は分からなかった。肥満にも通じるし、いいことはさっぱりないのだ。百薬の長どころか、百害という表現の方がぴったりだろう。まったくもって、その医師の発言の根拠が分からない。<div>&nbsp; 鬱がほぼ寛解した今でも薬を飲んでいるので、酒はなるべく避けるべきだということは、理性的には、しっかり分かっているのだが、ときおり飲み過ぎてしまうことがあるのは自分でもその弱さが許せないところだ。もっとも、酒の頻度、量はかなり減ったので、救いはあるのだが。精神科の医師は、酒の害を強調しても強調しすぎることはないと思う。絶対に飲んではいけない、というぐらいの患者への叱咤があってもいいのでは。</div><div>&nbsp; 酒を飲みすぎると、前述したように肥満にも通じて、ますます鬱病は治りにくくなってしまう。酒の害を強調する鬱病の本もしっかりあるが、鬱病治療のまず最初に飲酒をはじめとした生活習慣の立て直しこそが大事であることを記すべきではないだろうか。筋トレこそが最強、という本が売れているが、これは筋トレそれ自体の効果というのもさることながら、良き生活習慣の確立、そしてそれに伴う精神的な張りをもたらす力こそが、鬱病からの脱出に大きな効果を発揮しているように思う。自分自身も筋トレに励んでいた頃は、とにかく食に気をつけていたし、体調も整うし、シェイプアップによって精神的な自信ももたらされるし、良いことずくめであった。</div><div>&nbsp; でも、ほんとうに鬱病がひどい時には、筋トレどころじゃなかったのも記しておこう。ジムには行ったが、あまり効果がなかったというよりも、疲労が蓄積されただけだった。そんなことをしているよりも、長期の休みを取って温泉宿でひたすら寝ている方が鬱病治療に良かったように思う。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12376337257.html</link>
<pubDate>Wed, 16 May 2018 09:11:06 +0900</pubDate>
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<title>鬱から脱出して</title>
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<![CDATA[ &nbsp; 鬱病がようやく治ったという実感を最近自覚できるようになりました。薬はまだ飲んでいますが、約15年にわたる闘病生活もようやくゴールが見えてきた実感が湧いています。<div>&nbsp; いまだに鬱病に苦しまれている方々には、なんだか申し訳ないような気持ちですが、しかし、鬱病から脱出することで失ったものも大きなものがあります。</div><div>&nbsp; 私は新聞社の一線の記者として働いてきましたが、一線から自ら身を引くことによって鬱病脱出のきっかけをつかむことができました。一線から身を引くことは確かに精神的にプレッシャーから解放され、身も心も楽になりましたが、やはり寂しさがあります。というより、寂しさは日々強まるばかりです。</div><div>&nbsp; 今は新たな人生の目標を見つけるべく右往左往している最中ですが、時折、その寂しさに心が折れそうになることも事実です。</div><div>&nbsp; 鬱病の最中で苦しんでいる方にもし、なにかを言えるかとすれば、もし、今取り組まれている仕事が好きなのであれば、病院を変えるなり、長期の休みを取るなどして、好きな仕事を守っていただきたいということでしょうか。もっとも、自分が鬱病の真っ最中にはそんな余裕は全くなく、理性的な対応ができなかったのが事実です。</div><div>&nbsp; この文章を偶然目にして、好きな仕事を守るきっかけになる方が一人でもいれば、私の失敗は失敗で終わらず、役立ったと思えるので、鬱病で苦しまれている方の理性的な行動の一助となれば幸いです。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12376324579.html</link>
<pubDate>Wed, 16 May 2018 08:10:23 +0900</pubDate>
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<title>病院が廃院になっていた</title>
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<![CDATA[ <p>びっくりしました。</p><p>10年以上、いや15年ぐらいになりましょうか、通っていた精神科医院が突如、廃院になっていました。その直前に病院を変えていたので、直接的な被害は無かったのですが、患者への通知もなく、突如と言った感じの廃院です。張り紙で、「当院は廃院になりました」ーーそれだけ。</p><p>カルテは一体どうなったのでしょうか？私の鬱治療歴の重要な資料であるカルテの行方が突如として行方不明となったのです。これにはびっくりし、呆れましたね。カルテは医師の備忘録ではなく、患者と共有の治療日誌のようなものだと思います。それにすごく貴重な個人情報でしょう？それがどこに行ったのかも分かりようがない。</p><p>患者さんの中には、自分の飲んでいる薬をしっかりメモして残しておく人もいるようですが、鬱がほんとうに酷い時にはメモするほどの力さえ残されていないものです。自分の治療を振り返る貴重な歴史的資料？が煙のごとく消えてしまったのですから。</p><p>廃院にする医師なら、少なくとも半年前ぐらいには、その旨を患者に伝えて欲しいですね。転院する準備だって必要なわけですから。突然、自分で他の病院を探すという作業はすごく精神的な負担がかかると思います。</p><p>それにしても、そんな無責任な病院から転院して良かったと思うとともに、そんな病院に10年以上もかかっていたなんて、自分の馬鹿さ加減にも呆れてしまいます。よくドクターショッピングといって、医師を頻繁に変える患者が非難されますが、自分にあった医師を探す行為はそんなに悪いことではないと思います。私も四度目の転院でようやく、鬱から脱出できる医師に出会えたわけですから。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12375557040.html</link>
<pubDate>Sun, 13 May 2018 08:19:34 +0900</pubDate>
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<title>診断名の変遷</title>
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<![CDATA[ 鬱病の人にとってよくありがちなのが、診断名の変遷だと思います。<div>私の場合、最初は鬱病、次いで適応障害、そして双極性障害、挙げ句の果てには統合失調症が入った境界性パーソナリティー障害などと言われ、医師への不信感が高まりました。</div><div>書店に行って鬱病をはじめとする様々な精神疾患の本を読んで勉強しようと思っても、診断名がころころ変わっては対処のしようがないですよね。これまでに５０冊以上の本を優に読んだのではないでしょうか。でも、あんまり頭に入っていないですね。実際に鬱病を経験した医師の本などは、薬を飲まないで野菜ジュースのようなもので治したと書いてありましたが、そこまでいくと精神論の世界のような気がします。</div><div>私にとって大事だった本は２冊。著者は忘れましたが「慢性うつを治す」と、岡恵里さんの「自分を好きになろう」でした。前者では「これまでの治療法ではダメだ。医者を変え、カウンセリングを好きに受けるなどして徹底的に治さないと」という気持ちになりましたし、後者の本は自分がまず変わらないといけないという気にさせてくれて、筋トレに本格的に取り組むきっかけを作ってくれました。筋トレのお陰で体はシェイプアップし、今では自分の体型が好きで自信がついています。</div><div>結局は、自分が能動的に治療法に取り組むために動かないと物事は進まないわけで、前記の２冊にはすごく感謝しています。</div><div>で、肝心の診断名ですが、まだ新しい医師には聞けていません。次の診察で聞こうと思っています。さすがに4ヶ月近く通っていれば、診断名をはっきりさせてくれると思います。そして、その診断名をもとにまた自分なりの情報を集めて、サプリメントを飲んだりしようと思っています。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12313869300.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Sep 2017 16:02:49 +0900</pubDate>
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<title>鬱病と会社でのキャリア</title>
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<![CDATA[ 一度、鬱病になって休職したりすると、一生、それがついて回るんです。これは、どの会社でも同じです。「私、回復しました！」とどんなにアピールして人並みの仕事ができるようになっても、人事録にはしっかりと「精神疾患歴あり」と刻印されるんですね。これは信じたくない人も多いと思いますが、冷厳なる事実です。作家の佐藤優さんも同じようなことを本に書いています。<div>そして、それをことさら重大視して色眼鏡で見るモラハラ上司にあたったら、もう人事評価は急落。ものすごいダメージを受けます。その上司は自分では正しい評価を下しているつもりでいるので、評価を受ける側のダメージには思いが至らない。このギャップは大きいです。</div><div>一度でも精神疾患にかかって休んだら敗者復活はあり得ませんから、自分なりの人生観を打ち立てて、会社の中のポジションを確保するしかありません。あるいは転職するとか。でも、転職はリスクが大きいですから、結局は今いる会社である意味での悟りを開いて生きていくよりしょうがない。このあたり、鬱病回復本なんかには書いてありませんよね。鬱病の最中にそんな文章を読んだらますます具合が悪くなりますから。</div><div>でも、事実は事実。受け止めて、なんとか自分なりに納得できる道を探しましょ。</div>
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<link>https://ameblo.jp/bunkyokeio/entry-12313785558.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Sep 2017 10:03:27 +0900</pubDate>
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