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<title>butaonbutaのブログ</title>
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<title>音楽を聴く感覚が、人と違う。</title>
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<![CDATA[ <p>同じ感覚の人とまだ会ったことがないんだけれど。</p><p>僕は音楽を聴いていても歌詞が全く入ってこない。歌っている人に失礼かもしれないけど何を話しているのか内容が伝わらないんだ。</p><p>この歌の歌詞が響く。とか。歌詞が泣ける。とか。</p><p>ごめんなさい、全くわからないんです。</p><p>洋楽を聞いているのと同じとまでは言わない。リズムとしては染み込んでくるんだけど言葉としては染み込んでこないんだ。</p><p>歌詞を理解するのは歌詞カードを読んだときやリズムに引き込まれないように意識して字幕を追っているとき。ここまで集中しないと内容が入ってこないなんて自分どうかしているのかなと考えたこともある。</p><p>聴きなれていれば曲に乗せてフレーズも口ずさめたりもするが、口ずさんだ上でこんな内容を言ってるんだと順序が逆になることもしばしば。</p><p>ミュージカルを観ていてもそう。歌に入ると内容が全く入ってこなくなる。全ての会話が歌に乗せて話されていると本当についていけない。致命的だよね。歌を聞いて歌詞で泣ける人からすると僕はきっと損をしているんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ音楽を聴いているとき僕は何をしているか。</p><p>過去の出来事を思い浮かべているんだ。かなり昔の事を考えるときもあればついさっきのことを考えてしまうこともある。表現として近いのは能動的に考えるというよりか音楽によって内にある記憶が引き出されると言った方が近い。先にも述べた通り歌詞は入ってこないから思い浮かべるのは歌詞に合ったものではない。ラブソングなのに、小さいころサッカー教室で友達とストレッチしていたことが頭の中で駆け巡っていたりする。</p><p>&nbsp;</p><p>この話をすると周りは理解してくれないし可笑しいという。変人なのかもしれない。</p><p>ただ本当の事だからしょうがない。</p><p>そこで最近の自己分析でわかってきたのは、歌を聴くとインスピレーションに似たものが湧いてきているんじゃないかということ。</p><p>よくよく考えると過去のことばかりじゃなく、先々あんなことやこんなことをやってみたい、こうすれば解決するかもと浮かんでいたりする。</p><p>閃きを与えてくれることもある。</p><p>周りとは違う人でありたいと日頃から思っているが、やはりどちらかというと損をしているのだとは思っている。でも折角内から湧いてでてくるインスピレーションなんだからメモできるときにはするようにしている。無意識に思い返していることなので、夢を思い出して書き留めているような錯覚に陥る。ただ残しておくだけのことはあって、事実ここでのエッセイや他での活動の糧になることもしばしば。今では自分でも面白がってやっている。</p><p>会ったことがないだけできっと共感してくれる人はいるだろう。</p><p>僕だけってことはないはず。</p><p>&nbsp;</p><p>音楽をこんな感覚で聴いている人もいるんだよと、知ってもらえるといいな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>またね</p>
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<link>https://ameblo.jp/butaonbuta/entry-12227849185.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Dec 2016 01:55:26 +0900</pubDate>
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<title>親のせいで子は育つ</title>
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<![CDATA[ <p>はじめに、僕は結婚していないし子もいないが、第三者としての意見を書かせてもらっている。</p><p>&nbsp;</p><p>子供に何かあるときは、断言してもいい、親の育て方が原因になっている。</p><p>&nbsp;</p><p>教育の現場を10年見てきてわかってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>簡単に言えば</p><p>「うちの子本を全然読まなくて活字離れをしているんです。」と親</p><p>「お母様は本を普段からお読みになるんですか？」と僕</p><p>親は黙ってしまう。</p><p>親がやっていないことを子はやらない。</p><p>&nbsp;</p><p>親は気づかないところで子を育てていて、意識して育てている所なんでほんの一部なんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>「子供が人前であまり自分の意見を話さないんです。」と親が言う。</p><p>しかし実際に一対一で話すとすんなり話せたりする。なのになぜ親も含めて会話すると話せないのか。子供が話そうとして話し始めると親がイヤそれは違うと話を遮ってしまうからだ。仕舞いにはお前の意見はどうなんだ自分で話しなさいと子供に言う。いやいやお父さんさっき言おうとしていたじゃないですか、お子さんの話を最後まで聞いてあげましょうよと言ってしまいたくなる。よっぽどの時は言うけどね。</p><p>折角話そうと思っても遮られて否定されるを繰り返してたら、それは言いたいことも言えなくなるよな。何かを話すと遮られると学習してしまう。大人だってそんなことをされ続けたら嫌になって、こいつとは何も話さないって思ってしまうよ。</p><p>子供の意見を尊重したいと言って、子供がやっと口に出した考えも、本当にそれでいいのか？こうしたらどうだ？と押し付けて、結果として子供の意見が通らない環境を作ってしまっている。</p><p>親にこの自覚がないから厄介なんだが、これもどうみても親のせいだ。</p><p>&nbsp;</p><p>母親と息子の間にも多いことで、</p><p>「高校生になってもうちの子なかなか自立しなくて。」と親は言う。</p><p>母親からしたら、息子は彼氏であり夫であり父であるハイブリッド、いくら愛しても愛してもし足りないぐらい愛おしいのだろう。息子を育てるのにどうしても手を差し伸べすぎてしまう。これが大きな原因。</p><p>実際に親子で一緒に会うと親な子に何から何までしてあげているのがわかる。親が帰って息子が自習で残るとき、何か飲み物いる？お腹すいてたらパンとか買ってこようか？となかなか離れない。「お母さん甘い、水でも飲ませておけばいいんですよ。こんな優しいお母さんいないからな、感謝しろよ。」と言ってその場を落ち着かせた。</p><p>これだと高校３年生にもなって、お母さんに聞いてみなきゃわからない、と平然と言ってしまう男になってしまうんだな。</p><p>親離れもできないし子離れもできない親子間は早く断ち切らなければ、いつまで経っても自立でいない状態から抜け出せない。</p><p>&nbsp;</p><p>「最初は塾に行っていたのに最近行きたくないと言ったりサボったりしている。」と親。</p><p>小学生からの過剰な勉強環境を強いていたのが原因。学力的には平均よりも上なのに、親は褒めることなくもっと上と比べて足りない部分を指摘する。子供は辛いと正直に僕らにもらす。これでは「学ぶ」ことが嫌いになってしまう、可哀想でならない。</p><p>&nbsp;</p><p>どう育てる以前に、遺伝的な性格ももちろんある。ヤンキー夫婦だった場合は子供も活きがいい。息子は親を刺して少年院に入っていたらしいが、そいつだって話すと結構聞き分けができる良いやつ。筋が通っていればこちらが言ったことも理解してしっかり実行に移すんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>万人子供はとても素直で何色にも染まっていないホワイトと僕は思っている。だって絶対親の教育のまま育つんだもの。こんな子に育てた覚えはない、と現場でもよく聞くんだが、厳しいことを言うようだけれどそう育てた自覚がないだけなんだろう。</p><p>子供は大人の言動行動をよく見てよく感知している。その背中を見て子供本人も自覚なく育っていく。それは良いことか悪いことかの物差しもないんだから“そうするものなんだ”で吸収していく。大人はそれを知ったうえで子供と直接触れあうとき以外でも意識しておかなければならない。子供が生まれた時から一番多く接する大人は言わずもがな親である。親も初めて親になるのだから青くてしかたがないが、子の今後を決めてしまう責任からできなくてしかたがないとは言い切れない。手を掛け続けるではなく、子の目指すべき背中として常に居続けることが何よりも子を育てることになってくるんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>またね</p>
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<link>https://ameblo.jp/butaonbuta/entry-12222667229.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Nov 2016 01:37:40 +0900</pubDate>
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<title>献立とデートプランは瓜二つ</title>
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<![CDATA[ <p>僕はまだ結婚はしてないけどさ、奥様が献立を考えるってすごいことだって最近思ったんだよね。</p><p>結婚したら当たり前と感じてしまいがちだろうけどさ。</p><p>&nbsp;</p><p>そう至ったのは奥様が献立を考えるのは男がデートプランを考えるのと同じだと思ったから。</p><p>&nbsp;</p><p>だってさ、デートプランを考えるとしようか。</p><p>相手は今どんな気分なんだろう。仕事で嫌なことがあったのかな、だったら気持ちが晴れるような場所に行って気分転換してもらいたいな。毎日帰りが遅くて疲れてるのかな、それならまったりできる場所に行って身体を休めてもらいたいな。もちろん自分が何をしたいもあるけれど、相手の事を考えて決めるよね。</p><p>&nbsp;</p><p>それでさ、献立を考えるとしようか。</p><p>相手は今どんな気分なんだろう。仕事で嫌なことがあったのかな、だったら気持ちが晴れるような大好物をたくさん用意してあげようかな。毎日帰りが遅くて疲れてるのかな、それなら身体のために野菜が多めのお鍋で栄養をつけてほしいな。もちをん自分が何を食べたいもあるけれど、相手の事を考えて決めるよね。</p><p>&nbsp;</p><p>やっぱりさ、根本としてあることは同じ事と思うんだよ。</p><p>自分もあるけれど相手のためを考えてこそのものだよね。</p><p>&nbsp;</p><p>でもさ、このふたつにも回数っていう大きな違いがあって。</p><p>&nbsp;</p><p>献立を考える機会とデートプランを考える機会、どっちが多い？</p><p>断然奥様たちが考える献立のはず。</p><p>朝と夕、時には昼も何を作ろうが献立を考える。</p><p>毎日デートプランを２回、時には３回考えるようなもの。ちょっと想像できないし考えられない。ムリだよと僕だったらすぐに零してしまうだろう。</p><p>毎日献立を考えるのに苦労すると奥様たちの声を聞いたりするのがとてもわかる。</p><p>世の中の奥様たちが男にはできないことを日々やってのけていることに全く頭があがらない。そして、このことに今の今まで気づいていなかった僕も含め男って不憫だなと思ってしまう。一度の料理や家事を手伝った程度でも褒めてほしくてしょうがないんだ。男はバカだと言われてしまう背景が見える気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ男は何をするべきなのか。</p><p>代わりに家事をやって助けてあげる。これも立派はことだろうけど、無理してまで家事を代わることはやらなくていいと思う。奥様にとって十分と思われるぐらいできるなら別としても、大抵の場合はそんなことはないだろう。中途半端は仕事を増やすだけだからそこはやらない。</p><p>やはり大事なのは奥様がやってくれている事はすごいことだと認めて精一杯の感謝を示すこと。都度都度のありがとうは口に出した方がいい。言わなければ言わないほど恥ずかしくて言えなくなる。</p><p>素直に言えるようになろうよ。</p><p>&nbsp;</p><p>奥様が「美味しかった？」と聞いてきて、感想が「うん」はあり得ない。</p><p>&nbsp;</p><p>「とっても美味しかった、いつもありがとう！」でしょ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>またね</p>
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<link>https://ameblo.jp/butaonbuta/entry-12221383788.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2016 23:27:28 +0900</pubDate>
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<title>タバコの印象</title>
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<![CDATA[ <p>タバコを吸う人に対してみんなはどういうイメージを持っているの？</p><p>&nbsp;</p><p>昔から不良だったり悪い人が吸っている印象が定着している気がする。でも実際には老若男女問わず、多くの人が愛好家として嗜好している。近年では分煙だの禁煙だので吸える場所が減ってしまっていて、マナーを守って吸いましょうという運動や広告宣伝をよく見かける。言わば昔に比べてどんどんルールが厳しくなっているんだよね。年々吸う人の肩身が狭くなっていって吸わなくなる傾向にあるのが身の回りからもわかる。</p><p>最初に言うと、僕は吸っていない。タバコを吸う人を特別どうとは思わないが歩きタバコは大嫌い。目の前を歩かれると煙がすべて降りかかってきてとても不愉快。周りの事を考えない自己中心的な人と思ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>実は僕にも吸ってみたいと思った時期があってさ。</p><p>中学のときタバコを吸っているグループがいてね。学校や帰り道でコソコソと吸っていたりするんだよ。男性に多いんだろうけど女性にもいた。きっとどの時代にもいるもんだと思う。優等生ではなく、社会に反抗して悪いことをしている方がカッコ良かったり強そうな気がしたんだな。何かと態度を大きくしてありもしない権力を誇示する。僕も悪く尖がって見られたくて憧れていたりしたんだ。でもその人たちの真似ごとをしようとするもやりきれない中途半端でビビりな僕。中学高校ともタバコに口をつけたこともなかった。タバコを吸う姿はカッコいいと思っていたのに。</p><p>&nbsp;</p><p>ようやく二十歳も過ぎ、お酒もタバコも解禁。といっても中高の気持ちはどこへやら、その頃にはタバコは吸いたいと思ってもいなかった。でもお酒の席で勢いづいてタバコを吸っている男の先輩からノリでタバコをもらい吸ってみることに。というか吸ってみようにもうまく吸えない。結構力いるんだねアレは。ようやく先端が赤く灯って吸え始めたとき、ごわごわした何かが口内から喉へと侵食してくる。気管に入ったときにはもうダメ。咳き込んでギブアップ。先輩は、吸える人はみんなこれを乗り越えてきてるんだよ、と笑いながら言っていたが僕はこれっきり。乗り越えようとも思えず今に至る。ちょっとした休みに喫煙所で行われる会話には入りたいなとは常々思っているんだけどな。</p><p>&nbsp;</p><p>タバコを吸う人はどの時代にもいるけど、マナーやモラル、イメージは大々的に変化してる。特に昨今では、吸っていない人から見た吸っている人へのイメージがとても悪い。タバコを吸っている後輩の男が吸っていない女性から言われたらしい、「百害あって一利なし。それを分かっててお金払って吸うなんて理解できない、人間のクズだよ。」だそう。これは辛いな。どの温度感で言われたかはわからないけど、なかなかきつい言葉が並んでいる。僕なんかもそうだが、人に迷惑を掛けなければいいんじゃない？と思っている人も結構いると思うんだけど。そもそもタバコを吸う人に社会が支えられている面があるし。というのもタバコが出来てからこの方、タバコ税なしではこの国はやっていけないのは明らか。タバコを嗜好する人の妻や旦那が家計や健康を考えて止めさせるのは良いことと思うが、タバコを嗜好する人は悪でこの世から撲滅させようとするのは浅はかな考えかな。吸わない人は吸う人によって他の税が上がらず助けられているところもあるのに。お酒も同じ。嗜好してその分払うものを払っているんだから頭ごなしに行為を否定するのはどうかな。否定するべきなのはその時に発生する迷惑行為やマナー違反、これは強く指摘すべきことだと思う。マナーを守っている人からしたら一緒くたに見られていい迷惑だよ。マナー違反の人の意見は吸える場所が少なすぎて違反せざるを得ない。吸わない人の意見はマナー違反の人がいるから厳しくせざるを得ない。平行線。それでも同じく共存しなくてはならないんだから、これ以上厳しくなることがなければいいんだけど。</p><p>&nbsp;</p><p>最近では、携帯ゲームアプリに似たことが起こり始めている気がする。それも自動車による死亡事故。日本にやってくる前からアメリカでも事故が起きていて、やはり日本でも不幸な事故が起こってしまった。アメリカでの事態を判例として考慮した対策が不足していたのは否めないだろうなという印象を受けた。しかし、やはり一番の問題はそれを扱う人。携帯を操作しながらの運転は危険なのでやってはいけない。当たり前すぎて言葉が出ない。今回の一件でゲームアプリに制限がかかる可能性がある。考えられた当然の流れではあるが根本を解決するものでもない。タバコのマナー違反以上に段階の早い厳しい規制強化になるだろうな。ゲームアプリの経済効果やエンターテインメント性はとても素晴らしいものなのに。</p><p>&nbsp;</p><p>要は扱う人。なんでもだ、なんでも。それも少し考えればわかることなんだよな。昔付き合っていた人がタバコを吸う人だった。でも全く気にならなかった。車の中でも吸わないし、禁煙席に座って吸うときは喫煙ブースに行くし。タバコを吸う人、お酒を飲む人、携帯ゲームアプリをする人、それ自体は悪くない。</p><p>ただ単に、周りを考えてしようねってだけなんだよな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>またね</p>
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<link>https://ameblo.jp/butaonbuta/entry-12218015117.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Nov 2016 12:50:07 +0900</pubDate>
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<title>服は口ほどに物を言う</title>
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<![CDATA[ <p>自分のフィルターを通して、物事がどう見えているか。</p><p>&nbsp;</p><p>自らが感じたことを活字を使って表現していきたいな。</p><p>そんな思いから始めました。</p><p>&nbsp;</p><p>一回一回、書き始めると長くなると思う。</p><p>その時に湧いてくる私の感情を尊重して。</p><p>&nbsp;</p><p>以前あるフリーマガジンに掲載した内容を今の私風に修正しました。</p><p>伝えたいからまた発信します。</p><p>&nbsp;</p><p><br>小学校の、だいたい4年生ぐらいの時かな。母が「そろそろ自分で服を選んで着なさい」と言ってきた。それまでは言われたものを素直に着るだけ。みんなはいつぐらいから自分で選ぶようになるんだろ？当時言われたときすごく戸惑ったのをよく覚えている。明日から何をどう選んで着ていけばいいんだって。内心、このままじゃ着る服が決められなくて裸ん坊じゃないか！変な服を選んで学校なんか行ってみろ、僕は笑いものだ！これじゃ学校を休むしかなくなる！ぐらいオーバーに考えていたよ。今まで自分で選んでない割には人の目を気にしてるただの我儘っ子だったみたい。結局のところひとりで選べず、母と半分ケンカ腰になりながら一緒に決めることに。しかし、親と決めていると知られるのはものすごく恥ずかしく、チープなプライドが邪魔をして口が裂けてもこのことは友達に言えなかった。そのころからかな、他人が何を着ているのかちょっぴり意識するようになったのは。オシャレを意識するというより、みんな自分で選んでこういう服を着ているんだなと思う程度。ちゃんとオシャレを意識してきたのは中学2年生のころ。僕がハマったのはB系。一言で言ってしまうと、大きいＴシャツに太いズボンを穿くファッション。これを着て出掛けるとなんか自分が強くなった気がしたんだよね。バスとか電車の座席に座って、横に荷物なんかを置いたりして縄張りを主張してみたり。その頃の僕は大阪に住んでいたから、服を買いに行く場所と言えば心斎橋駅を降りてすぐのアメリカ村や堀江。自分の気持ちも大きくなって調子付いた感じで歩いていたのも悪いんだろうけど、道端の向こうから「ヘイ、ブラザー」なんて言いながら体格のいい日本人やら外国人やらがしょっちゅう話を掛けてきた。「安くていいのあるよ」と言って肩を組んできたり握手して離してくれなかったり。僕は強がりで明るく振る舞っていたけど心の奥ではビビりまくり。幸運にも一度も彼らに連れられて店に入ったことはなかったけれど、友達は連れられて偽物を買わされたことあるみたい。恐ろし。あるとき、あまりにも勧誘がひどいんで一度無視してみた。そしたらその兄ちゃんが僕の足を引っ掛けてきたんだよね。その時の兄ちゃんの顔と表情は今でも鮮明に覚えてる。あれは死ぬまで忘れないなきっと。もう何年も行っていないけれど、少しでも治安が良くなっていることを願う。ただ今から考えると相当いいカモだったと思うよ。当時の自分は色んなものをゴチャゴチャと取り入れたお世辞にもオシャレとは言えない格好だったし、しかもそんな格好を高校2年生ぐらいまで堂々としていた。誰にも見せたくない3年間。でも、これも今になって思うことなんだけど、一度トゲトゲさせたものを削るという作業は意外と楽で結果オーライ、すぐに違う路線にシフトできた。<br>&nbsp;</p><p>中学、高校、大学、今とファッションの系統は変わっているけど、ひとつだけ変わらないのは流行を気にせずその時に着たいものを着るという感覚。特段に意識していたわけじゃなくて、どちらかというと流行りに鈍感で気にしなかったに近いかな。渋谷や原宿を見渡せば今は何が流行っているかはだいたいわかるけど、その中でも目が行っちゃう人っていうのは、私はこの方向なんですって表現が一目でわかっちゃう人。突飛なファッションがいい流行りがダメと言うわけじゃなく、自分が着たい服を颯爽と着こなしている人は他とは違う目に見えない何かを放っているということ。着たい服を着ると最初は服に着られているようだけども、着ているうちに不思議と自分が服に見合ってくるんだよね。その感覚はとても好きで、背筋も自然と伸びるし歩幅も広くなる、気付いたら新宿の歩行者天国のど真ん中を歩いちゃったりしてるんだよ。気分がブルーで上げたいときは明るい服を敢えて着ると、これまた不思議と服の感情に見合って気分が上がってくる。自分の感情は服に表れるし、服の感情もまた自分に表れる。人と服って切っても切り離せないぐらいリンクしている。</p><p>&nbsp;</p><p>子供から大人に成長する過程で反抗期ってあるじゃない？反抗期って字面からしてもマイナスイメージを持たれがちだけど、初めて「自分」ってものを主張したくなり、人に表現し始める大人への大切な一歩だと思うんだ。親に歯向かう俗にいう反抗期と呼べる反抗期は僕にはなかったけども、内にある「自分」を主張するために、中学2年生からの僕は着る服で知らず知らずに何かを表現しようとしてきたのだと思う。実際に、迷い、上々、強がりなんかの数ある感情は着る服から滲み出てきているはず。衣食住と言われるぐらい服は僕らの日常に密着していて、何時でも幾つになっても言葉がなくても伝わるはずなんだ。ある意味大人になった今でも僕の反抗期は継続中で、毎日着る「衣」だからこそ今の感情を表現できる最も身近なツールとしてこれからも纏っていけたらハッピーだな。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　</p><p>またね</p>
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<link>https://ameblo.jp/butaonbuta/entry-12218103078.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Nov 2016 12:02:22 +0900</pubDate>
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