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<title>言葉にしてしまえばたいした問題ではない。</title>
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<description>日々のよしなしを書き綴ります</description>
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<title>他人からの励ましに応えられないと悲しむ友人へ</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361_s.jpg" width="100" height="100"></a><br><br>ひさしぶりのエントリーです。<br><br><br>今日は元気の良い人の正論、という話をさせていただきたい。<br>心を疲弊させてしまい、今ようやく１日１日をなんとか生き繋いでいる方の日記に、ご丁寧にも元気の良い正論を書き残してゆく方のご意見をまだまだ散見します。<br><br><br>一般的な論調としては、「せっかくあなたの為を思って励ましてあげたのに、こうあるべきと指し示してあげたのに、私が求めてるのはそうじゃないと反論するのは失礼じゃないですか？自分に都合の良い意見だけ受け入れるつもりですか？それは甘えじゃないんですか？」というものが多い様です。</p><br><p><br>今現在、心の疲弊に自分を責めている人が、そんな幼い正論に心を痛める必要はない。<br><br><br>前に幾度も書きました。正論というのは大概が個別の事情に対応できない最大公約数的な理論です。だから個人が個人を励ます時には大抵、そのままでは役に立たない。また、正論というのは「言われた方に反論されたとしても、部外者の賛同は得られやすい」という、とても都合の良い理論です。<br><br><br><br>「みんな毎日歯を食いしばって苦しい練習に耐えているんだよ。出来る事だけでいいから毎日少しづつでも練習は続けないと、どんどん取り残されるばかりだよ」<br><br><br>胸がすくほどの正論です。この言葉に異を唱える人は少数でしょう。<br><br><br>ただこれを、怪我をして安静を言い渡されているアスリートに投げつけたら、それは激励だろうか。そんなことはアスリート本人が一番分かっている。専任でリハビリにあたる医師がタイミングを見て言うならともかく、さして親しくも無い見舞い客がそんな正論を明るい笑顔で並べることが励ましだろうか。<br><br><br>ましてや日を改めて押しかけてきて「まだ寝てるの？私のアドバイスを無視したの？それはつまり、私の存在を軽視しているっていうことだよね？」まで言い立てる者がいたら、そんな見舞い客は黙殺してもいいし、お引取りを願ってもいい。それでもなお言い募ってきたら、それはその人のストーキング行為だ。<br><br><br><br>誰かを応援したいと思う気持ちは、純粋なところから発しているのでしょう。その心にまで批判の言葉を向けるつもりはありません。ただ、相手の事情を理解せず、自分のしたいように応援して期待した感謝が得られないと怒りを感じるのは友人ではない。ギャラリーです。あまりにも対人スキルが低い。<br><br><br><br>心を疲弊させた人には共通して３つの大きな特徴があります。<br><br><br>１つめは、心が元気な状態の人と違い考えが両極端にある結論の間を振り子の様に行き来する傾向にあること。本来は360度の視野をもっていい、どんな答えを出してもいいはずの問いにさえ、「全力でがんばります」と「私の責任なので私は消えます」の２択しか選べない事。<br><br><br>この選択肢の少なさは本人の能力が低いからではないですよ。誰かの期待に応え続ける事を幼少期から強いられ続けた結果、強制的に歪まされて引き伸ばされた一面です。この気質が、心を疲弊させています。<br><br><br>２つめに、全ての原因を自分に求めてしまう気質が特徴として挙げられます。<br>例えば家庭の中、家族の誰かに暴力を振るわれたとしても「相手をそこまで追い込んだのは自分、そうしむけたのは自分」と自分を責めてしまう。<br><br>自分を責める以外に解決策が思いつかないと言う状況もあるでしょう。でもその発想は間違っている。<br>暴力は、理論に敗北した者の愚行です。暴力が肯定されるのなら、世界は成人男性を頂点として女性と老人、子どもは「男の情けで生かされている」という図式になってしまう。とんでもない事だ。<br><br>人は暴力を完全に否定して初めて対等の存在価値を認め合える。そう思います。<br><br><br>話が少し脱線しました。どんな批判も自分に責任を求めてしまう気質の人に、むき出しの批判をぶつける事が対等な対人関係と言えるだろうか。まして片方は元気に阿呆でもリピートできる正論をふりかざし、片方は社会生活への復帰に備えて心を休めているという状況で、そんなものが真っ当な対人関係といえるだろうか。</p><br><br><br><p>そして３つめの特徴として、これは本来説明の必要さえありません。</p><p>心を疲弊させる人が求めているのは、自分ではコントロールできない自責の念に対して自分を弁護してくれる人の存在であって、元気に社会を動き回る人間の正論ではありません。<br><br><br>それを甘えと断じるのは幸いにも既に自分の周りに理解者がいるか、自分に一片でも自信のある人です。</p><p>コントロールできない自責の念は、長い年月の中で全てを押し付けられ続けた暮らしの中、強いられて作られた気質です。誰かが「あなたは悪くない」と言い続ける言葉を聴きながら「そんなことはない。悪いのは私だ」と自分で責め続けてしまう状態が、コントロールできない自責の念です。<br><br><br>その痛みと悲しみを数字に例えるのは乱暴だけれども、深さ５０ｍの悲しみしか知らない人に、深さ１００ｍの悲しみの底でうずくまる人の悲しみは決して抱きとめられない。想像力が及ばないからです。<br><br><br>あなたは悪くない。あなたは何も変わる必要はない。その言葉を、本人の自責の言葉を埋め尽くすまで届けるしか応援の方法はありません。現実的に「それで生きていけるのか」なんて話は、悲しみの深さが光が届く程度まで浮き上がってきた後の話です。<br><br><br><br><br>想像してください。誰かを励ますことは崇高な行為です。苦しむ人に救いの手を差し伸べることはとても崇高な事だ。その心はとても尊いと思います。<br><br><br>けれども、小さな食卓で家族に感謝しながら食事を終えたものの口にご馳走をむりやり詰め込んで施しに感謝しろと迫ることは崇高な行為だろうか。<br><br><br>喉の渇きに苦しむ人の口に乾いたパンを押し込んで施しに感謝しろと迫る事は崇高な行為だろうか。<br><br><br><br>小さな食卓を囲む家庭に招かれたら、ほんの少しの甘いデザートをお土産に、招かれた事を深く喜ぶべきではないですか？<br><br><br>喉の渇きを訴える人がどんなに痩せ細っていたとしても、まず用意するべきは一杯の水ではないですか？<br><br><br><br>自分があげたいと思ったものを押し付けて、何故感謝しない。だからお前は貧乏なのだ、だからお前はそんなにやせ衰えているのだと勝ち誇って、その人は何を得るのだろう？<br><br><br><br><br>応援は崇高な行為です。けれども先ず、相手を深く理解しなければいけない。手の空いたときに気の利いた正論を押し付けて、自分の正しさに感謝しろと迫るのは応援でもなんでもない。傲慢です。<br><br><br><br>そんな傲慢を押し付けられた友人にお伝えしたい。<br><br><br>自分を責めなくていい。自分も、他人も、誰も蔑まなくていい。「ごめん、今の自分にその助言はまだ重たいです」と言っていい。それでもなお正論を押し付けてくるのは、自分の励ましの代価を当然の様に求めてくる阿呆です。<br><br><br>阿呆には阿呆同士の楽園がある。あなたがそんな人間関係をうらやみ、ましてや阻害されたことを嘆く必要はまったくない。大切な友人に敢えて言いましょう。<br><br><br><br>自分の助言に対して結果報告を求めてくる者、その助言が実行されなかった事に怒りを表すものはみんな阿呆だ。相手に対して適切な助言が出来なかった自分の不明を恥じる方が先だ。<br><br><br><br>そうでなければ、それは助言ではなくアジテート、煽動というんだよ。<br><br><br><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10702743865.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Nov 2010 09:52:34 +0900</pubDate>
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<title>天狼星と明けの明星</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a> <br>こんばんは。今夜は少しドラマがかった表現での話にお付き合い下さい。<br>幸せな気持ちでアメーバブログを閉じた友人と、久しぶりにエントリーをされたお嬢さんの話です。<br><br><br>お二人のそれぞれの言葉は、最近苛立つ事の多かったオイラの気持ちにもとてもたくさんの恵みをくれました。どうもありがとう。<br><br><br>今、心が疲弊してしまっている友人に、ブログを閉じたオイラの大切な友人の最後のエントリーを紹介したい。<br>ご本人のご事情に由来する症状や、これから向かい合ってゆく課題について書かれた部分は割愛させてもらっています。<br><br><br>ただ、本当によく頑張ったね。とても偉かった。そして、おめでとう。とお伝えしたい。そして今、心が疲弊してしまっている友人に「迷路に出口はあるんだよ」と指し示す小さな灯火として、あなたの最後のエントリーを紹介させていただく事をご了承いただきたい。<br><br><br>以下が友人の書かれた最後のエントリーです。<div><br></div><p><br>「唐突ですが<br>2ヶ月で人生って随分変わるものなのだなあと思っています<br><br>薬を飲まなきゃどんよりするし眠れない<br>人混みに行けばすぐ倒れる嫌な現実はまだ残っているけど<br><br><br>とりあえず <br>死んだほうがましだと思ってたわたしはもうどこにもいません<br><br>死んだ魚みたいな目をしたわたしはいなくなりました<br><br><br>誰よりも心から<br>わたしを愛してくれる人を見つけたから<br><br>腕を切ることはあるかも知れない<br>誰かを泣かせちゃうこともあるかも<br><br><br>でもそれで悲観して死のうとして死ねなくてそんな自分がムカついての無限ループに陥ることはきっともうありません<br><br>情けないとか惨めとか<br>こんな人間でごめんなさいとかは<br>相変わらず思いますが<br><br><br>もし今<br><br>じゃあ死んで詫びろ！と誰かに言われたら<br><br>断ることができる気がします<br><br><br>あんなにずっと生きてることを呪ってきたのに<br>たったひとりの人がそんな感情を一瞬で消してしまいました<br><br><br>魔法ですね<br><br><br>もう弱音吐きませんとか無責任なことは言えません<br>というかリアルでは普通に言いまくっているのですが<br><br><br>読み返しても自分が辛くなるだけでいい事がない<br>過去の弱音で埋め尽くされたこのブログは<br>消してしまおうと思います<br>もう復活しないことでしょう<br>ブログは終了ですが<br><br>わたしは22年目にしてやっと<br>「人生始まったな」<br>と思ってます←むしろ結構早めでしょうか<br><br><br>今まで見苦しくて重すぎるこのブログに付き合って頂いた皆様<br>本当にありがとうございました。数日中にはすっきり削除しようと思います<br><br><br>皆様の毎日に<br>ひとつでも多くの幸せが訪れるよう<br>願っています<br><br><br>さようなら<br><br>今わたしは<br><br><br>幸せです。 」<br><br><br><br>皆さんは天狼星、という星をご存知でしょうか。シリウスという名の方が有名かもしれません。<br><br>中国名での天狼星は冬の空に狼の瞳の様に青い光を放つ星、という意味でつけられたそうです。<br><br>シリウスの語源はギリシャ語で「光り輝き、焼き焦がすもの」という意味だそうです。<br><br>どの時代でも、冬の海を渡る船乗りたちにこの星は目的地を目指すための「目印の星」とされてきていました。<br><br><br></p><p>今、まるで先が読めない夜の海に一人で放り出されてしまっている様な心細さに泣いている友人にお伝えしたい。私は誰にも必要とされていない、そしてこれ以上必要とされたくもないと泣いている友人にお伝えしたい。<br><br><br>誰の期待にも応えられない、と思い込んで膝をついてしまった心は、違う誰かに心から必要とされて必ずもう一度立ち上がる事が出来る。<br><br><br>誰の期待にも応えられない自分に価値はないと嘆く前に、言葉をつむいで「私には今、こういう人が必要です」と訴えてご覧なさい。<br><br><br>故人の言葉を引用しましょう。<br><br><br><br>「与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては」<br><br><br><br>「楽しく生きていきたいなら、与えるための袋と、受け取るための袋を持って行け」<br><br><br><br><br>一つ目は炎の画家・ゴッホ、二つ目の言葉は詩人・ゲーテの言葉です。<br><br><br>心の優しい人、そして小さな頃から誰かの笑顔を守る事に価値を見出していた人は必ず、先ず自分が相手に何を与える事が出来るかを考える大人になります。<br><br><br><br>でも、あなたはまだ若いんだ。与える事ばかり考えていたら心がからっぽになってしまうのは、当たり前の事だ。<br><br><br><br>自分の心に正直な言葉をつむいで、「私は今、これが必要なんです。これが欲しいんです」と言い続けてください。これは、とても大切な事だよ。<br><br><br><br>与える事ばかり考えたまま大人になると、やがて「俺は、私は、お前にこれだけの事をしてきた。これで限界だ。お前はこれ以上何を望むんだ？」と相手を責めてしまう、とても頑なな一面が心に育ってしまう。<br><br><br><br>人は心と心において、誰に対しても対等であっていい。だから求めなさい。「私は今苦しいんです。こういう人はいませんか？」と常に言葉をつむいで求めなさい。<br><br><br><br>先日、ブログを閉じたオイラのとても大切な友人は、「あなたが必要としてくれるなら私はその求めに応えましょう、私にはあなたが必要だ」と言ってくれる人に出会えて、自らを責める事を止めました。<br><br><br>その友人が残した言葉が、今、夜の海に放り出されている様な心細さの中で泣いているオイラの大切な友人に出口を照らす天狼星となってくれる事を願ってやみません。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>もう一人、明けの明星の様な輝きを放つお嬢さんの事もお話させてください。<br><br><br><br>数年前、初めてご縁を得た時には社会に出たばかりで頭からトレーナーを被り、リュックを背負って誰よりも多く走り回っていました。<br><br><br>自分の考えに没頭して３０分近くエレベーターの中で立ち尽くしていたというエピソードもありました。<br><br><br>このお嬢さんは、礼節をとても大切にされる方です。良いことがあると嬉しかったとブログに書き、悲しい事があると努めて明るい心の風景を言葉にして自分を鼓舞されている。<br><br><br><br>そのお嬢さんが久しぶりにエントリーをアップされていました。元気です。カキ氷がうまいです。ははは、そんな内容のエントリーでした。<br><br><br><br>ご自分の生活の節目節目に、律儀に挨拶を届けてくださる。それも「元気です。大丈夫です。全てに感謝です」と書いて下さる。<br><br><br><br>オイラも４０代になりました。ほんの少し、自分の目標を追い求める事に疲れを覚えてしまう日が増えてきた。そんな微かな心の疲れに、「私は元気です」という言葉と、律儀な礼節は本当に力を与えてくれる。<br><br><br>これは・・・若い方には実感できないかも知れないね。「そうか。若い人がこんなに姿勢正しく頑張っているなら、オイラももう少し頑張って若い人の手本である事を目指さないとな」という励ましになるんだよ。<br><br><br><br>あなた方はひとりひとりが本当に価値のある存在です。おひとりおひとりが眩しいほどに輝いている。<br><br><br>泣いている人に「大丈夫だよ。出口はこっちだよ」と指し示す冬の星の様な輝きを持つ人もいる。<br><br>疲れを感じ始めた人に「夜明けはこれからですよ。感謝、感謝ですよ」と元気付けてくれる明けの明星の様な輝きを持つ人もいる。<br><br><br><br>誰かの期待に応えなければ、という崇高な志はとても素晴らしいよ。でもその成果で今の自分を測る必要はない。あなたは、あなたの知らないところでもう既に誰かの期待に答え、誰かを勇気付けているのだから。</p>
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<pubDate>Sun, 15 Aug 2010 00:09:12 +0900</pubDate>
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<title>自分が変えられない、と嘆く友人へ</title>
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<![CDATA[ <img class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dcalendar212009%26ENTRY_ID%3D10608191033%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F08%2F04" width="1" height="1"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="夏休みの宿題、計画的に片付けたタイプ？最後まで残っていたタイプ？" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=5825">夏休みの宿題、計画的に片付けたタイプ？最後まで残っていたタイプ？</a> 参加中<br><div><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a> <br><br>管理人ノクです。暑い日が続きますね。<br><br><br>専ら関わっている業界の繁忙期が一段落し、またオイラ自身の仕事の目標も一つ山を越える事が出来、一息をついているところです。<br><br><br>最初にブログネタを話題にさせてください。夏休みの宿題、計画的に片付けたか、最後まで残っていたか？<br><br><br>オイラをご存知の皆様はどう、お感じになるだろう？オイラを深く知る人ほど回答にたやすくたどり着くでしょう。オイラは単純な男ですから。<br><br><br><br>回答は「出さへん派」でした。担任の先生の追い込みを何日かわし切れるか、そちらにばかり意識を集中していた記憶があります。ははは。<br><br><br><br>中学校の頃、夏休みの課題に無地の小さい抽斗（１辺が２０ｃｍくらいの正方形の箱だったんじゃないかな）に、彫刻を施して「鎌倉彫りの抽斗を完成させる」と言うものがありました。<br><br><br>美術担当が、意地の悪い先生でねえ。９月か１０月かに開催された展覧会に「鎌倉彫りの出来るまで」というコーナーを設けて完成度の高いものを順路のゴールに据えて展示、というのをされました。<br><br><br>仲の良かった友達が真面目な男でねえ。牡丹か何かの花をきれいに彫り上げて、ニスを塗って磨きをかけて、その順路のゴール、一等賞の場所に展示されていました。<br><br><br>オイラはと言うと、下絵も描かなかったものだから無地の箱の前に名前だけ貼りだされて順路のスタート地点に展示されていました。あははは。機会があったら当時の美術の先生に深くお詫び申し上げたい。不出来な生徒で本当に申し訳なかったです。<br><br><br><br><br><br>さて、本題に入りましょう。<br><br><br>今はどうしても自分で気持ちがコントロールできない。率直にそう表現できる聡明な友人がいます。<br><br><br>だから今、手を差し伸べられても駄目なんだ。</div><div>だから今は、何もしないで待っていて欲しいんだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>そう言葉に出来る友人がいます。オイラは友人の、その言葉に賛同します。<br><br><br><br>自分の事をお話しましょう。オイラ自身が酷く心を疲弊させてしまった後。自分なりに強い決意でもう一度社会に出て働こうと宣言をした、そこから最初の１年間ほどの間。<br><br><br>オイラは週に１回、半日しか働けない男でした。<br><br><br><br>１勤務を終えると、もう今の自分が理由もなく悲しくて、みじめで、自分を直視できなくて、そして数日を塞ぎこんで過ごしていました。その後「これではいけない」と思い直してバイトのシフトを入れる。その当日、やっぱり自分が悲しくてバイトを休んでしまい、その後自己嫌悪の思いだけで日を改めてバイトに行く。その繰り返しでした。<br><br><br><br>何より辛かった事は、「自分で自分をコントロールできない」という現状は冷徹に把握できるのに、何故？という原因と「じゃあ、どうしよう？」という対策が何も思いつかない、自分自身のアンバランスな思考でした。<br><br></div><div>自分の事が自分で分かる、というのは時としてとても残酷です。<br>自分が何者かも分からないほど何も考えずに過ごせたら、こんな楽な事はない。そして、</div><div>自分が何者かも分からないまま、それでも消化できる仕事を手に入れてしまったらこれほど楽な暮らしはない。<br>仕事が終われば誰も自分を責めないし、仕事に失敗してもたいがいの場合、大きな責任を伴う仕事は任されていないから職場や仲間のフォローで問題が解決してしまう。<br><br><br>自分が何者かを問いたださないから失敗も迷惑も、他人からの軽侮さえ記憶に残らない。<br><br><br>こんな楽な暮らし方はない。ただしそれは何も生産しない、消費するだけの人生になってしまう。<br><br><br>消費するだけの人生を疑問を抱かずに送ることが出来る人を蔑む必要はありません。人生の中で何がもっとも尊いかは人それぞれです。<br><br><br>ただ、そういう人を羨んだり、そういう人の生き方の波に同調できない自分を責めてはいけない。<br><br><br><br>「私はいつ、立ち戻る事が出来ますか？」という問いは今まで様々な方から頂きました。<br>「何年の何月頃ですか？来年ですか？１０年後ですか？」という訊き方をされた友人もいました。<br><br><br><br>何年の何月、という区切り方はとても危険です。その数字自体がノルマとしてあなたを苦しめる事になる。<br><br><br><br>お伝えできるのは「幾つかの条件が整った時が、立ち戻る時。その条件が整うために必要なのは時間の経過だけではないですよ。むしろ、人とのご縁のめぐり合わせです」という事です。<br><br><br><br><br>あなたに必要なのは、時間の経過でも医師の処方箋でもない。もちろん、それも大事な要素だけれども、この２つだけでは状況は変わらない。<br><br><br><br>あなたを変えるのは、<br><br><br><br>あなたが目指す理想のあなたの姿を理解してくれる人。<br><br><br>今のあなたに価値があることを認めてくれる人。<br><br><br>そしてあなたの資質を必要としてくれる人、の３人です。<br><br><br><br>言い添えるなら、理想のあなたを理解してくれる人は人生経験豊富な年長者です。理想のあなた自身に至る道筋を指し示す事が出来る人です。<br><br><br>今のあなたに価値があることを認めてくれる人は、できる事なら同世代の人がいい。あなたは素晴らしい。あなたはとても美しい。あなたは気高い。そんな言葉を、「こんな事を言ったらどう思われるだろう？」という恐怖心を克服してあなたに伝えてくれる勇気を持った人がいい。<br><br><br>そしてあなたの資質を必要としてくれる人はあなたの直接の友人ではなく、出来たら社会的なつきあいに留まっている間柄の人がいい。あなたの年齢、外観、性別、またはプライベートに過剰な評価を与えることなく「頼んだものは出来ましたか？出来はどうですか？」という事にこだわる人。<br><br><br><br>オイラは人との係わり合いの中でしか人は変われないと思っています。<br><br><br>もちろん、その３人が一斉に現れることは難しいでしょう。ただし、あなたが諦めなければ人はあなたのまわりにとどまります。３人が揃う日を待ってください。<br><br><br><br>理想のあなた自身に至るには、今をどう歩むべきかを語れる人と、照れや恥ずかしさを堪えて「あなたは素晴らしい人だ」と言ってくれる人。そして社会的にあなたの資質を必要としてくれる人。<br><br><br><br>その３人が、あなたを大きく変えるのだと思います。その出会いが揃うまでは、どうかご自身に絶望しないで下さい。<br><br><br>そして同時に、過ぎ去った時間を「もう何年も無駄にした」とは思わないで下さい。その年数と経験は決して無駄にはならない。将来を生き抜くあなたを支えるしたたかな知恵、穏やかな覚悟として必ずあなたの役に立ちます。<br><br><br><br><br><br></div>
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<pubDate>Mon, 02 Aug 2010 23:24:47 +0900</pubDate>
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<title>棘取れる思い２</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a><br><br>幾度か話題にしましたが、オイラはネット展開が上手く行かず業績低迷に苦しむ企業さんに深く立ち入り、幾つかの改善点を提案しながら実際にやってみせる、という作業をして収入を得ています。<br><br><br>不況の厳しさはまだまだ続くでしょう、その中で「改善すべき点が改善される前に顧客企業様の体力が尽きてしまった」という経験をしました。<br><br><br>減収の問題も切実だけれどそれよりも「もっと効率のよい提案はできなかったか」「もっと根源的な改善点を見落としていなかったか」、その悔いがいつまでも心に残ります。<br><br><br>ははは、このブログで幾度も「自分を責めることはやめなさい」と言っておきながら、その実ちょっとした思い違いからいつまでも自分を責めて追い込んで苦しい日々を過ごしているのはオイラ自身だったのかもしれない。<br><br><br><br><br>愚痴めいた話始めになりましたが先日、心の棘が取れる様な思いをしました。<br><br><br>普段疎遠になっていた特別な人から不意に連絡がありました。互いの近況を話し合う中で「自分の力が及ばずにお客様が経営を諦めてしまった。悔いが残るよ」という話をしました。これは本心だよ。ずい分と自分の無力を責めたものです。</p><br><br><br><p>話を聞いて、その人が天気の話でもする様に答えた言葉が「悔いが残るのは思い上がっているからだよ」でした。<br><br><br>「自分を頼ってきた人<font color="#222222">のヒーローになれなかったという気持ちがあるよね。それは思い上がりだよ。」</font></p><p><font color="#222222">「落ち込むなんていう責任の取り方は経験浅い若い人たちにやらせておけばいいよ」<br><br><br><br>言葉は時として「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が強い説得力を生むことがあります。<br><br><br>オイラと面識のある方は想像してみて下さい。オイラは「ノクは思い上がっている」と指摘されて頭を垂れるタイプではありません。最初から苛立っているオイラに「それは思い上がりだよ」と言うのは多分、相応に勇気のいる発言でしょう。どんな反撃されるか、ははは。分かったものじゃない。</font></p><p><font color="#222222"><br></font></p><p><font color="#222222"><br></font></p><p><font color="#222222">それを天気の良し悪しを言う様にさらっと言えるのは、考えなしにどこからか持ってきた正論を掲げた言葉だからじゃない。「全部お見通しだよ。自分で気づきたくない様だから代わりに言うよ。本当に手のかかるやつだ」という心が選び出した言葉だからでしょう。<br><br><br>言われたオイラはその瞬間にもう、背負っていた自責の思い全てを切り落とされた様に気持ちが軽くなるのを感じたよ。<br><br><br>本当に、心から棘が取れる思いがした。<br><br><br><br><br><br><br>別の友人に幾度か伝えた事があります。心が疲弊している時、あなたの心の中ではとても不公正な裁判が行われているのだとイメージして下さい。<br><br><br><br>被告人はあなた。あなたの行動を責め立てる検事もあなた。傍聴席から憎悪と軽蔑の視線を被告席に投げかけるのも、あなた。そしてその裁判には、あなたを守る弁護人と、あなたが何者であるかを告げる裁判官がいない。<br><br><br>弁護人もいない、判決を出される事もない裁判で延々と検事に罪を責められ続けていて、被告人としてのあなたが平常心を保てる訳がない。心が疲弊してしまうのは、あたりまえだよ。<br><br><br>そうお伝えしました。そして「あなたを弁護する人を見つけ、頼りなさい」ともお伝えしてきました。<br><br><br><br>言っているオイラ自身がその不公正な裁判を、それもヒロイズムが達成できなかったという浅薄な罪状で延々と繰り返していたとは、本当にお恥ずかしい。<br><br><br><br><br>人は、心を許して頼る人のただ一言で本来の自分に立ち戻り、心の柔軟さを取り戻す事もできるんだよ、と実体験として教わりました。<br><br><br><br>ありがとう、本当に。</font></p><p><br><br><br><br></p>
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<pubDate>Mon, 26 Jul 2010 16:16:37 +0900</pubDate>
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<title>自分の精神病を恐れる友人へ。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dcalendar212009%26ENTRY_ID%3D10597386699%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F07%2F28"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="熱い炭酸と冷たい味噌汁どっちがいい？　" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=5791">熱い炭酸と冷たい味噌汁どっちがいい？　</a> 参加中<br><div><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a><br><br>暑い日が続きます。熱中症、脱水症状に皆様くれぐれもお気をつけ下さい。<br><br><br>本題に入る前に丁度タイムリーなブログネタがありました。冷たい味噌汁なんて、ありえない。というお話。<br><br><br>若い世代の方はご存じないのだろうか。<br><br><br>出汁をよく冷やして、きゅうりや茗荷を刻んで作る冷たい味噌汁は郷土料理として各地にあるんだがなあ。<br><br><br>宮崎の冷や汁は有名だし、伊豆では新鮮な鯵をつかって冷たい味噌汁を作るよ。<br><br><br>我が家では前日の夜に茄子だけの味噌汁をつくってわざわざ一晩冷蔵庫で冷やしておきます。そうすると茄子から色がでて、青い味噌汁ができるんだ。私の夏の好物です。美味いですよ。<br><br><br><br><br>さて、本題に入りましょう。言葉がイメージさせる恐怖感に捉われて心を痛めている友人がいます。<br><br><br>精神病、鬱病、躁病、躁鬱病、そして不治。ネガティブなイメージがもっとも独り歩きを始めやすい言葉です。<br><br><br><br>不安に立ち向かう方法論を知っていてください。<br><br><br>特に社会との接点の少ない人が恐ろしげにマイナス面を語る、これらの単語にまつわるエピソードというのは、大抵が現実とは共通点のない、現実には存在しないフィクションです。<br><br><br>問いただしてご覧なさい。「あなたは、その話を自分で体験したの？最後まで見届けたの？」と。<br><br></div><div>その手の話はたいてい、救いがなく悲劇的な結論だけが導かれます。ただこれは当たり前のことと思ってください。語っている人は悲惨な話をしたいだけなのだから。<br><br><br>現実的な解決策がまったく介入しないまま物語が終わってしまうというのはフィクションではよくある事です。<br><br><br>例えば精神病は頭がおかしい人を指し、その人たちはとても危険な存在であり、そしてほとんどの精神病は不治の病である。そこまで断言する人もいます。それはフィクションだよ。<br><br><br><br>幾人かの友人には繰り返しお話しました。精神病に限っていえば、その症状のほとんどに対して「効果的な作用が見込める薬」があり、その薬を処方する必要性を説明するためにつけられた名前が病名です。<br><br><br><br>あなたは今こういう状態ですよ。こういう作用のある薬を飲めば症状は緩和されますよ。その説明をする時、便宜上症状を分類する必要がある。その分類が病名です。<br><br><br><br>腫瘍がある、ウィルスに感染している、寄生虫がいるという話とは分野が違います。<br><br><br>もう一つ、大まかな目安をお話しましょう。<br><br><br><br>自分の言葉が、自分に対する他人からの評価にどう影響するかが気になって仕方がない人は、頭がおかしくなんかない。<br><br><br>自分の言葉が、相手をどれだけ傷つけてしまうかを怖れる人は決して頭がおかしくなんかない。<br><br><br><br>精神病にも「もう、こちら側には戻ってこられない境界線」というのがあります。ただ、その境界線近くにいる人の生活は完全に破綻しています。<br><br><br>他人が意思を持っていることを理解できない。言葉に意味があることを理解できない。視覚から得られる情報を理解できない。痛覚を認識できない。<br><br></div><div>あなたは、そんな境界には立ち入っていません。<br><br><br><br><br>人から聞いた救いのない話がわが身にも起こるのではないかと、どうしても不安に思ってしまったら。<br><br><br><br>経験者を探してご覧なさい。私もその一人ですよ。そしてもちろん、相手が私でなければいけないという事はない。心の疲弊と深く向かい合った事のある人に、話を聞いてもらってください。<br><br><br><br>不安があったら、現実的な解決策を知っている人に意見を求めなさい。その人は、あなたが不安に思い、怖れているその単語の本当の意味を知っています。<br><br><br><br>少なくとも、実在するものを指す言葉に実在しないフィクションを被せて、さも恐ろしげな怪奇譚に仕上げている人の話を聞いて現在の自分に怖れる必要は全くありません。大丈夫なんだよ、ほんとうに。<br><br><br><br><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10597386699.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jul 2010 00:08:21 +0900</pubDate>
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<title>贈る言葉</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dcalendar212009%26ENTRY_ID%3D10585017314%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F07%2F21"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="今までの恋人、年上、年下、同い年、どれが多かった？" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=5779">今までの恋人、年上、年下、同い年、どれが多かった？</a> 参加中<br><div><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a><br><br>日々の忙しさに心まで余裕をなくし、その日その日の予定をこなすだけで精一杯という状況になってから、気づくともう１年半の月日が経っていました。<br><br><br>仕事はお蔭様で順調です。家族を養い、自分のための時間を望むのはまだ先になりそうですが少なくとも健康には気を配れる程度の時間の余裕はなんとか出てきました。<br><br><br>先日、この１年を振り返ってみたくなる出来事がありました。個別に誰のこと、この人のこと、と喧伝するつもりはありませんが、この１年でオイラが心を注ぐ様に応援した人が６人いました。<br><br><br>それぞれに自分ひとりの力では抗いきれない力に押され、どうにもならない状況の中自分自身を責めて、ある方は言葉で、ある方は刃でご自身を酷く傷つけて、それでも自分が許せずに泣いていた。<br><br><br>あなたは悪くない。そう言いつづけ、年長者の言葉を信じなさいと語りかけ続けていました。<br><br><br>そして時機を見て、「じゃあ逆襲に転じよう」とお話をさせてもらった。ネットで知り合っただけの仲にもかかわらず、とても立ち入った事もしつこく質問させてもらいました。<br><br><br><br>これは私の持論です。自分がよかれと信じた仕事で深く心を疲弊させてしまった人は、できる事なら仕事を通して自尊心を取り戻した方がいい。大事な人に理解されなかった事に心を疲弊させてしまった人は、あなたを誰よりも大切に思う人に、想いを伝え合う様な抱かれ方を幾度も繰り返して「私には価値がある」という事を思い出した方がいい。<br><br><br>心に強さを取り戻す道は一つではありません。でも可能ならば、自分の心の疲弊と正面から向かい合いながら、自分には価値があること、自尊心を持つ資格を充分に有していることを思い出した方がいい。一度は誰かに否定されたかもしれない。でもあなた自身があなたを否定しなければ、必ず立ち戻る事が出来る。<br><br><br><br>そうお伝えしながら、何人かの友人には具体的に「あなたにふさわしい人と恋をしなさい」とお伝えしました。<br><br><br><br>抗いようもない暴力にさらされて、ご家族が同じ部屋に入ってきただけでパニックを起こしてしまった、とても大事な友人はその後、とても優しい男性とのご縁が生まれ今結婚の準備に入っています。<br><br><br>他の若いお嬢さんも、皆さんそれぞれに本当に素晴らしい出会いを自分の力で見つけ、新しい信頼関係を育み、もうブログで自分を呪い嘲る事もなく、そのブログはずっと沈黙したままになっています。<br><br><br>何人かの方は、私と仕事の上でのご縁を結ばせていただきました。<br><br><br>これから必要な時間を丁寧に積み上げながらプロの世界を案内していきたい。そう願っています。お仕事の面でお世話になった方にはお中元も送らせていただきました。あなたは大切なスタッフです、という感謝の気持ちです。ご笑納いただければ幸いです。<br><br><br><br>そして先日、この１年私が毎日の様にメールでやりとりを重ねていたお嬢さんに大切な男性が現れてくれました。ははは、本心なのでお許しいただきたい。正直、これで自分の過去に恩返しが出来たかの様な安堵感を覚えました。<br><br><br>どうか幸せに。<br><br><br>苦労がない事が幸せなのではないよ。立ち向かう気力を支えてくれる人がいる事が幸せなんだ。<br><br><br><br>たくさんの苦労を、かたく手を結んで乗り越えていってください。そしてもし叶うならば、少し先の未来で、一人きりで泣いている人とであったら「大丈夫だよ」と声をかけてあげられる人になってください。<br><br><br>泣いているその人を理解できるのは、深い悲しみと向かい合った上で笑顔を取り戻せたあなた以外にいない。<br><br><br><br><br><br><br>どうか、幸せに。今まで本当によく堪えてきたね。本当に偉かった。あなたはもう一人ではないのだから、もう、大丈夫だよ。<br><br><br><br><br><br><br>さて、ブログネタです。今までの恋人は年下、同い年、年上、どれが・・・というお話。<br>女性の美しさは佇まいです。そして女性の魅力は、豊かな感情表現力です。<br><br><br>その意味で、私は常に自分自身と向かい合い、自分が何者なのかを確かめながら背筋を伸ばして生きる女性、喜怒哀楽を他人に押し付けることなく、豊かに表現できる女性に強く惹かれます。<br><br><br>いつだって年上に惹かれていますよ。それも７つも１０も年上の女性に憧れます。<br>若い子の素直さを魅力の筆頭にあげる男性もいますが、これはフェアーじゃない。若い子は社会経験が乏しい分、大人の嘘と見栄を見抜けない。嘘を見抜けない子に対して、嘘をつける大人が「この子は素直だから」という理由で野心を抱くのは、私から見れば卑怯な振る舞いです。<br><br><br>もっと素の自分で勝負なさい、と申し上げたい。<br><br><br><br>私はいつでも、佇まいの美しい女性に強く心を惹かれます。<br><br><br><br><br><br>追記：ここまで書いていて一つだけ思い出しました。<br>前半の話題で「私が心を注いで応援した女性はみんな、とてもステキな出会いを得て自分を責めて傷つけて過ごしたブログから立ち去っていきました」と書きました。<br><br><br>一人だけ、最初から自信満々で人生を謳歌し、私の周辺に居座り続けて頑固に動かないお嬢ちゃんがいました。ははは。自分のとった行動を学校に見立てるのは僭越にすぎますが、なにやら人気のない学校の廊下で留年生を思い出した様な気分です。<br></div>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10585017314.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Jul 2010 15:42:30 +0900</pubDate>
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<title>強い心が欲しい、と泣く友人へ。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dcalendar212009%26ENTRY_ID%3D10511767658%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F04%2F21"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="ほしかった兄弟姉妹" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=5444">ほしかった兄弟姉妹</a> 参加中<br><div><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a><br><br>こんばんは。管理人ノクです。<br><br>最近、ネットでご縁を得た方の何人かと直接お会いする機会を得て、また新鮮な刺激をいただいております。<br><br><br>さて、その中で「強い心が欲しいです。どうしたら強くなれますか？」という話題をいただきました。<br>ハートの強さについては、その尺度は様々でしょう。また自分で強いと思っていても近くにいる人から見たらそんなことない、と思われていたり、その逆もあるでしょう。<br><br><br>一般的なお話ではなく、オイラ個人の話をさせてください。<br>「ノクさんは、自信満々ですね。どうしてですか？どうしたら強くなれますか？」<br><br><br>そういうご質問をいただきました。<br><br><br><br>資質として、打たれ強い心を持っていたら心を疲弊させてしまう事なんかないでしょう。オイラはとても心が弱い人間ですよ。また打たれ強ければ即ち心が強い人なのだという結論には、オイラ賛同できません。<br><br><br><br>心が弱い、という事を「悲しみやすい、そして蔑みに傷つきやすい」心、と仮に定義してみましょう。<br><br><br>自分が望んだとおりの行動が取れない。結果が伴わない。そんな自分自身に深い悲しみを覚える。<br><br><br>自分を取り巻く状況に恐怖を覚える。<br><br><br>また、身近な人が自分を蔑んだりしていないかどうか、その事が気になって体が動かなくなってしまう。<br><br><br><br>この３つを克服できれば、「心が弱い」と嘆く必要はほとんどなくなるのではないでしょうか。では、どうやって克服しよう？<br><br><br>あなたは「本来あるべき自分」「正しい自分」へのハードルが高すぎる。理想を高く持つ事はとても大切なことだけれども、理想通りに行かなかった自分を否定してしまっては、努力という行為が虚しくなってしまう。<br><br><br>望んだ通りの行動を取れている人なんて、いないんだよ。望んだ結果だけを手にしている人もいない。「いいえ、私は自分が望んだとおりに生きているし、欲しいと思ったものは全て手に入れている」と言い放てる人がもし、あなたの近くにいたとしたら、知っていてください。<br><br><br>その人は掲げている理想が低いだけだよ。少なくとも、自分の行動力を、自分の獲得したものを、まだ持ち得ない人に対して勝ち誇る様に見せ付ける人は、自慢できるほど高い理想を追ってはいない。<br><br><br><br>あなたにお伝えしたい。鷹揚な理解者を探してその人に不安を打ち明けてごらんなさい。<br><br><br><br>自分は、いつも思ったとおりに動けない。何もかも上手く行かない。何も結果が得られない。そう泣きたくなったら、「大丈夫だよ」と言ってくれる理解者を探しなさい。<br><br><br><br>もちろん、言葉だけ「大丈夫、大丈夫」という人ではあなたは安心できないでしょう。たくさんの苦労を乗り越えて、悔しい思いも悲しい思いもたくさん堪えてきて、それでも「大丈夫だよ」と言って一緒に動いてくれる人を探しなさい。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>そのうちに、ゆっくりと、あなたは気づきはじめるでしょう。<br><br>「自分が思ったとおりの行動がどうしてもとれない」</div><div>「でもそれは、そんなに酷い状況ではない。少しづつ、全ては変わり始めている」<br><br><br>「何も結果が得られない」「でも、礎はきちんと築かれ始めている」<br><br><br>「自分を取り巻く状況に恐怖を覚える」「でも、逃げ込んで少しだけ休憩できる場所がある」<br><br><br>「身近な人が自分を蔑んでいる気がする」「でも、私を理解してくれるその人は私を認め続けている」<br><br><br>その自覚が安心を生み出し始める。そして安心できる気持ちが、心の強さにつながってゆくんだよ。<br><br><br><br><br>オイラ自身、決して心の強い人ではない。どれだけ悩んでも何の知恵も出ない時は自分の至らなさに絶望さえ覚えるし、自分の判断がかえってご縁ある人を苦しめる結果になった時は、申し訳なさに眠れない夜を幾晩も過ごす。<br><br><br>でもそこで自分の経験を全否定してはいけない。人は、誰かと関わり続け、そして叶うならば誰かの役に、支えに、なりつづけなければいけない。<br><br><br><br>今、自分は心が弱いと嘆く友人にお伝えしたい。あなたは心が弱いのではない。自分に課しているハードルがあまりにも高すぎる事、それを一人で乗り越えなければならないと思い込んでしまっているところに、孤独感と悲しみがついてまわってしまっているだけだよ。<br><br><br><br>一人でいい。理解者を得なさい。<br><br><br><br><br>心の弱いオイラでさえ、深く信じられる理解者がいてくれる。その思いがあるから今日を生きながらえてゆけるんだよ。<br><br><br><br><br>ブログネタは「欲しかった兄弟姉妹」だった。<br><br><br>実際のオイラ自身は長男です。弟がいて、妹がいる。でも生きてゆく中で、弟も妹とも思える若い世代の方とのご縁をたくさんいただいている。よき兄であり続けたいと自分に願っているよ。<br><br><br>そして兄や姉にも恵まれています。20も年が違うけれど兄の様に慕う人もいる。オイラの弱い心を見抜いて、「柔らかく戦いなさい」と叱ってくれる姉もいる。<br><br><br><br>人とのご縁が、心を強くしてゆくのだと思うよ。だからあなたも。<br><br><br>あなたが、あなた一人きりで変わってゆくのではなく理解者に支えられながらゆっくりと変わってゆくという道を選び、進みなさい。やがて必ず、あなたの支えをどうしても必要とする人に出会う時が来る。その時に「どうやったら心を強くもてますか？」という質問に答えられる様になっていてほしい。</div><div><br></div><div><br></div><div>そう願っています。<br></div>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10511767658.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Apr 2010 17:57:48 +0900</pubDate>
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<title>当たり前の話</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dcalendar212009%26ENTRY_ID%3D10482061125%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F03%2F17"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="カチンときた!! その怒りのしずめ方、発散方法は？" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=5307">カチンときた!! その怒りのしずめ方、発散方法は？</a> 参加中<br><div><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361_s.jpg" width="100" height="100"></a><br><br>ひさしぶりの更新となりました。<br><br>メールで息災を気に掛けてくださった方、どうもありがとうございます。生きております。<br><br><br>今夜は、もうご縁を結ぶ事もないであろうかつての知人に一言苦言を申し上げたい。</div><div>ブログで苦言を並べるような偏屈な真似、本来はするものではないと承知しておりますが話題としてある程度の普遍性があるのではないかと思い、久し振りのエントリーに「当たり前の事」を取り上げてみる気になりました。<br><br><br>かつてご自身のブログが荒れ、それも少数の人からの罵詈雑言を並べられてとても落ち込んでいた人がいました。他方、実生活でトラブルに巻き込まれ、医師・弁護士・あるいは町の相談員、あるいは保険担当者などの各位と良いご縁を得られずに難渋されている人もいます。<br><br><br>荒れやすいブログと、良い担当者に巡りあわない社会生活。その原因はとても普遍的でしかも同根であると個人的ながら考えています。<br><br><br><br>二つの話題を並行して進めてみましょう。<br><br><br>オイラが特に強く応援する年若いブロガーさんのブログ（最近は多忙に巻き込んでしまっているので更新していませんが）は、かなり偏った意見、また独断的なモノの言い方をしているにも関わらず、過去３年間においてそのブログが粘着気質の「荒し」行為を受けたという記憶がありません。何を書いても何だか許されている様な雰囲気すらあります。<br><br><br>他方、世の中に「仕事に誠実で、実力は業界内でも折り紙つきの、腕っこき」という医師や弁護士。保険屋さんなどはそれこそゴロゴロしています。今回はその「腕っこき」の職種を「他人の相談にのり、問題解決をサービスの主務とする」職業に限定して話を進めましょう。<br><br><br><br>腕っこき、というのは「実力がある」という意味です。当然、実力に見合う報酬があり、その報酬を基盤とした生活がある。その安定した生活が、さらに自分の仕事に磨きをかける余裕を生み出す。正方向のスパイラルに則っているのが「腕っこき」の特徴です。<br><br><br>仕事と生活に余裕があるプロは大概「自分の仕事を選ぶ」という事を当然の権利として実行しています。どんなお客様のどんな依頼でも無作為に受け入れるという事は、実はしません。自分のサービスの質を知る者として、お客様の質を選びます。<br><br><br>これを単に「お金持ちしか相手にしない」と思い込むのは誤りです。「自分でなければ解決できない案件を好む」「より窮地に追い込まれている人との連携を好む」「高度な、難解な、あるいは時間の制約がとても厳しい案件を好む」</div><div><br></div><div><br></div><div>その好みはプロそれぞれです。仕事に対する達成感を何に対して感じるか、が一人一人違うから。ただし、共通して忌避するお客様というのも何タイプか存在します。<br><br><br><br>筆頭が「他人を憐れむ事で自分の体面を守ろうとする人」です。<br><br><br>自分が用意した結論や常識から外れた事態や意見、行動の全てに対して「憐れみを覚える」と言って立ち止まる人を、自分の仕事を選ぶ余裕のあるプロは決して顧客様に選びません。</div><div><br></div><div><br></div><div>人生は問題発生の連続です。手馴れたはずの単純な案件であっても不測の事態は起きるし、物事が順調に進む時でも関わる人の常識や倫理観の優先順位には個人差がある。その個人差を「哀れみの目線」で埋めようとする人に関わっても、報酬の代金以上のものを得られる事はない。そして「腕っこき」は報酬の代金だけを目当てに仕事をする時期をとうに過ぎている人たちばかり。というのがその理由です。<br><br><br><br>そしてブログに話を転じましょう。定期的に荒しが現れるブログ主さんにも共通項がある。予め断っておきますが、言葉のいい間違い、一つ話題の意見の相違などで一度ブログが荒らされた事がある、という人はこの範疇には入りません。「定期的に、荒される」人の話です。<br><br><br>定期的に荒らされるブログ主さんは、荒らす人と同じ文章を書く。類は友を呼ぶ、という言葉がありますが、これは友好関係を広めるコツを説いた言葉ではありません。「同類は群れる」という警鐘です。<br><br><br><br>文章の末尾に、書いた本人は「からかっているだけ」というスタンスで誰かを蔑む言葉を書く。蔑む、というのは見下すという意味です。この人と私は意見が違う。その差異を埋めようと言う意思がない。使われた言葉そのものではなく、何故その言葉を使ったのかという相手に対する洞察意欲がない。相手を知るつもりがないくせに、言われた言葉には反論せずにいられない。<br><br><br>誰かを憐れんでいると書いているあなたを、私は憐れんでいる。というのは同じ群れの中で成立する上下関係です。そしてその上下の位置争いはハタで見ていてとても退屈です。<br><br><br><br>冒頭話題に出した「３年にわたって、あれだけ偏った考えを断定的に書いているブログなのに、定期的な荒しの発生がない」というブログで「あ、あの人のブログか」と察しがついた方は読み返してみていただきたい。<br><br><br>そのブログ主さんは、誰かの人格を憐れんだり蔑んだ表現を決してしない。怒りにまかせて感情的な事を書くエントリーでも、その根源は「自分の怒り」であって何故自分は怒っているのかに多くの行数を割いています。そこに自分の体面を保つという発想はありません。<br><br><br>自分の体面を保つ事を重要視していないから、例えからかわれる様なコメントが書かれても言葉じりを捉えての反撃をしないので「荒らされる」という事態に発展しない。<br><br><br>もちろん、荒らしを回避するためにプライドを捨てて笑顔で取り繕っている訳でもない。言われた言葉ではなく、言った人その人に対して興味がなければ、実にあっさりと「コメントありがとう」しか書かない。そして相手に興味がないので、文面には反撃も攻撃もない。<br><br><br>「自分から同じ群れに交わらなければ、違う群れの人はいずれ遠ざかってゆく」と言う事を知っているのでしょう。<br>「私が、私を理解して欲しいと願う相手は、あなたではない」という明解な意思表示はしますが、それに理屈をつけたりもしません。<br><br><br><br><br></div><div>批判がましいことばかり書きましたが、もし実際に「腕っこきのプロのサービスを受けて問題を解決したい」「定期的に、それも少数の人から罵詈雑言を浴びせられる現状を変えたい」と思うのなら、その共通項目を知っていただきたい。その後、どうされるかを指南するつもりはありません。現実をご紹介するのみです。<br><br><br>腕のいい問題解決のプロは、自分の主張と合わない意見に憐れみの視線を向ける人を決して顧客様に選びません。そして、自分の好みに合えば他人の契約にも口出しをしてくるのが、ははは、ワガママな「腕っこき」の習性というものです。<br><br><br>腕っこきのプロに出会えないのは運が悪いからでも、世の中にプロが存在しないからでもない。あなたが「プロが腕まくりして寄ってくる」タイプの人ではないからです。</div><div><br></div><div><br></div><div>「困っているんだから助けるのが当たり前でしょう。それが仕事でしょう？」という意見ももちろん正しい。その為にいるのが、若手と二流です。そっちは仕事なんだから。こっちは金を払うんだから。その発想に若手と二流ばかりが集まるのも現実的な理由があります。彼らはまだ、自分でお客を選ぶ実力がない。<br><br><br>とてもカンタンな話です。<br><br><br><br>逆の例についても結論に入りましょう。プロが腕まくりして寄って来てしまう人、他人を蔑んで溜飲をさげる荒らし気質の人が長く留まったりしないブログの書き手。これも共通項があります。<br><br><br><br>信頼した相手の言葉なら、それがどんなに厳しく、その時は理不尽に思えても決して自分のモノサシを持ち出して自分の流儀を主張したりしない人。<br><br><br>言ってしまえばこれだけの、かんたんな話です。誰かの助力が必要な時に、相手の知識や経験が必要なときに、自分のモノサシを最優先してどうして親身な助力が得られるでしょう？<br><br><br><br>個別の事情は人それぞれあるでしょう。個別の案件では正論も思いつくでしょう。<br>それでも今現在問題を抱えている人こそ現実を直視した方がいい。<br><br><br>世の中にゴロゴロしているはずの、プロの助力をあなたは得られていますか？<br>プロフェッショナルの末席に座る者からの苦言です。<br><br><br><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10482061125.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Mar 2010 22:06:02 +0900</pubDate>
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<title>惚れこんだお人のところで、一杯。</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"></a><br><br>新年、明けましておめでとうございます。<br><br>本年が皆様にとって飛躍の第一歩となる一年となります様心からお祈り申し上げます。<br><br><br>今年のオイラの目標は、一意専心です。<br><br><br>今年は活動の拠点が都内秋葉原になりそうです。自宅で気楽にご縁のある方とだけ・・・なんて甘い事を考えていたら「社内にスペースを用意するから是非に」と請われて、外注スタッフなのに社内に机をいただきました。<br><br><br>昼飯は外で済ませる事が多くなりますが、秋葉原の高速道路下で爺さんと婆ちゃんが二人でやってる立ち食い蕎麦屋さんを見つけました。<br><br><br>何の期待もせずに入ったら、蕎麦は極細で好みだし、つゆは鰹を自分のところでかいて作っている。<br>オイラが最初に立ち寄った日は、丁度爺さんがゲソ天をあげているところだった。<br><br><br>「アキバで蕎麦屋やって４５年。最近じゃあ若い人ばっかりになっちまってラーメン屋ばっかりが繁盛してやがる。俺ぁ若い連中が大ｯ嫌いだ」と笑ってる爺さんの話し相手をしながら毎日蕎麦をたぐっています。<br><br><br>「ゲソ天に熱いつゆかけたって。それ喰って腹があったまったら、もりを２枚」<br><br>メニューにはないけど、そんな頼み方をすると爺さんも婆ちゃんも喜んでくれる。もちろん好きなもの喰えてオイラも嬉しい。<br><br><br>その店は夜には立ち飲み屋になるんだよ。焼酎のそば湯割りを飲みながら、爺さん手づくりの塩らっきょうと筑前煮で腹あっためてから、やっぱり冷たいもり蕎麦喰って帰りの電車に乗ります。<br><br><br><br>「兄さん、毎日来てくれて嬉しいけど蕎麦ばっかりじゃ飽きねえかい？」と聞かれたから正直に<br><br>「おお、ラーメンだってカレーだって食いたいけどさ。仕方ねえじゃねえか、美味い店ってのは常連が喰い支えねえと。食い物やが潰れちまったあと悔いだけ残りましたじゃ洒落にもならねえって、爺ちゃん」<br><br>と答えたら「てっ」って首をすくめて笑ったあと、爺さん貝ヒモとキュウリの胡麻和えを出してくれたよ。メニューには載っていない。</p><br><br><p>「築地でアラを見つけちゃあ買ってきて小鉢作るんだ。出してもいいやってお客にしか出さないし、そんなお客が来なかった日は自分で喰うからいいんだよ」</p><br><br><p>爺さんの、おごり専用メニューだそうだ。ふざけた爺さんだなあ。<br><br><br>新宿でも九段でも渋谷でも働いた事があるけれど、都内では秋葉原が一番性にあっているかもしれない。なんて思い始めた。オイラも単純だねえ。<br><br><br><br>ちなみに爺さんは秋葉原を「アキバ」と言います。<br><br><br>明治～昭和の始めの頃、この辺は「秋葉が原」と呼ばれていて「アキバっパラ」が一般的な言い方だった。そういえばオイラの婆ちゃんもそう呼んでたな。アキバのバの字は原じゃなくて葉にかかる発音だったんだねえ。<br><br><br><br>新年だから、気楽でいい気なエントリーを書いて見ました。<br><br><br>今年も一年、いろいろあるに決まっているんだ。何かあったら声を掛けておいで。<br>一人じゃないし、ダメでもない。そう思えるだけで、なんとかなる事っていうのは実はすごく多いんだ。<br><br><br>今年もよろしくお願いします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10424379442.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 11:01:34 +0900</pubDate>
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<title>気がつけば年の瀬だねえ</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg"><img border="0" alt="言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7e/b1/10101746361.jpg" width="100" height="100"></a><br><br><br>今夜はクリスマス。今年一年も早かったね。<br><br><br>いくつかのご縁をいただき、とても大切なご縁を失う事も経験した。<br><br><br><br>ああ、クリスマス近くなってね、とても年若いお嬢さんから<br><br><br>「お久し振りです。実は今、彼ができまして、もう幸せで幸せで。それじゃあ、さよなら。メリークリスマス」<br><br><br><br>たまに、こういう嬉しい連絡ももらうよ。これは、「ご縁を失う」じゃあ、ない。<br><br><br>おお、自分で歩きたい方向に歩き出す気合を取り戻したか。それじゃあ、いってらっしゃい。気をつけて。だ。<br><br><br><br>そして願わくば、将来だれか泣いている子に出会ったら、今度はあなたが声をかける役に回って欲しい。<br><br><br><br><br>今年も残すところあと６日。オイラは３１日まで全ての日に仕事を入れてしまった。もう年内休みはない。それでも仕事が終わらなかったら、お正月が吹き飛ぶな。あははは。<br><br><br>今年はどんな一年だったろうか。来年、再来年の年末に、０９年を思い返してみて苦く笑うことのない締めくくりを迎えたいものです。<br><br><br>そして来年は・・・ははは。今年の仕事を終わらせてから考える他ないね。なんともありがたく、少し寂しい年の瀬です。こんな愚痴が出るとはオイラもトシかね？<br><br><br><br>バカボンのパパと同い年になっちまったんだものなあ・・・<br><br><br><br>皆様、どうかよいクリスマスを。良い週末を。<br><br>オイラは明日もお仕事です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/calendar212009/entry-10419273793.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Dec 2009 18:15:42 +0900</pubDate>
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