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<title>JWから、心から離れるために。</title>
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<description>exJW. 　30年間のJW人生が自分の思考や人生にこんなにも影響を与えていたとは。自分を解放し、許し、受け入れるための備忘録。</description>
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<title>第二次覚醒期、終了</title>
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<![CDATA[ <p>約１年程ここを離れていました。</p><p>X(旧Twitter)の脱JW界隈からも離れ、少し何も考えたくない時期でした。</p><p>&nbsp;</p><p>宗教に縛られていた生い立ちが、こんなにも人生に影響を与えるんだということを痛感したからです。</p><p>今までの価値観、思考グセが全てそこから始まっていたんだと四十過ぎてようやく分かったわけですから、なんだか虚無感にも近く、失った数十年に呆然とする感覚、でもそれに負けてたまるかという闘志、色んな感情が沸き上がってきていました。</p><p>&nbsp;</p><p>数年前、初めて緊張しながらJW関連の記事を検索し、初めて知る情報の数々に知恵熱を出しながら対峙していたのが第一次覚醒期とするなら、今回は第二次覚醒期、とでも言いましょうか。</p><p>現実を知ることができた興奮が落ち着き、同時にじわじわと自分に迫ってくる「あれが原因で今こうなっているのか…」という静かな絶望。</p><p>&nbsp;</p><p>いつも相手の気持ちにビクビクし、嫌われないように、相手の都合よく振舞っていたこと。いつも「最初からできる私（模範的）」じゃないと誰にも好かれないと思って、できる風を装ってしまうこと。だから誰にも心を開けず、また相手からも信頼を得られない。いつもどこでも上辺だけの関係になってしまう。常に疑心暗鬼のくせに、でも本当は好かれたくてたまらない。かと思えば心の中では自分は相手より優位でないと気が済まない。どこかで必ずマウント取り。そして襲ってくる自己嫌悪。</p><p>&nbsp;</p><p>この吐き気がする悪循環に気付いたのが、第二次覚醒期でした。</p><p>自分というものに、本当に初めて対峙してしまった。自分がどれほど歪んでいたかに、初めて気付き愕然とすると同時に、その原因があの宗教環境であったことに気付く。</p><p>&nbsp;</p><p>原因に気付けてラッキー♪となればまだ楽だったのですが、私はその現実が、なんというか・・・こう、氣あたりするような感覚で非常な疲労感があったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>生まれて初めて、生きてて意味があるんだろうか、、と余計な感情も出てしまいました。私も生きづらかったけど、それと同じくらい私は私に関わってくれた人たちにも、嫌な思いをさせてきたはず。今更知ったところでどうにもできないのに、罪悪感と自己嫌悪。でもそれは今は自分の中だけにとどめておくべきで、家族の前ではいつも通りの明るい奥さん・お母さんでいなければという誰からも求められていない責任感。</p><p>&nbsp;</p><p>ちょっといつものTwitterが開けない。ブログも下書きのまま開けない。ちょっと休ませて…といって静かに横になる感じでした。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日毎日自分の感情と対峙し、ヂクヂクと過去の自分をほじくり返して勝手に意気消沈したり・・・</p><p>そういうのが１年程続きましたが、最近ようやく落ち着いて、こうして文字で可視化することができるようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>覚醒からの回復というか、世の現実を知った後に迫ってくる自分にとっての現実とうまく向き合っていきたいなー…と思います。</p><p>JWであったことで受けた影響（マイナス）はもう仕方ない、かえることはできないのだから、ありきたりな表現ですが、過去は過去として置いておき、今をしっかり見て生きたい。</p><p>&nbsp;</p><p>ということで、第二次覚醒期、（勝手に）終了です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/calico0508/entry-12878603518.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Jun 2025 14:54:20 +0900</pubDate>
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<title>性格形成期　-2-</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;次の記憶は、小学校１年生。運動会。</p><p>&nbsp;</p><p>我が地元では、学校の校歌に対してオリジナルダンスがあり(笑、小中校の運動会では、運動会のプログラムの目玉?としてどの学校でも組まれていた。そう、人生初めての「証言」である。担任の先生に、○○○は偶像崇拝にあたるので参加できません、と言わなければならない、あれだ。あの時は多分母が連絡帳か何かに、その証言文を書いて渡したような記憶がある。同級生たちがそのプログラムの準備をする中、私は母と手をつなぎ、校舎の隣にあった土手に行き、目を閉じながら母の静かな祈りを聞きながら座っていた。「聖書のおきてに沿って行動する○○(私)をどうか祝福してください」という内容だったと思う。祝福という言葉の意味は何となく知っていたが、そんなめでたい言葉とは正反対で、私はお腹のあたりがキュウっと痛くなり、泣きたい気持ちでいっぱいだった。悪いことをしているはずはないのだが、こう・・罪悪感に似た気持ちで、消えてしまいたいと思っていた。その後、どうやってクラスの列に戻ったかは覚えていない。</p><p>&nbsp;</p><p>そこから、中学３年までの８年間、毎年クラス替えのたびに、宗教上の理由で参加できない行事毎を慎重かつ丁寧に説明していった。理解いただける先生もいたが、勿論そうじゃない先生もいた。後者の場合は、１年間影のようにひっそりと生活し、行事毎で迷惑をかける分、成績も生活態度も全てをそつなくこなすことに集中し、学校生活を楽しむこととは無縁だった。家では父親の機嫌にビクビクしながら笑顔で接し、学校では先生や級友たちの顔色を見ながら過ごし、会衆では「未信者のお父さんがいるけど模範的な子」と言われるようにふるまう。そうじゃないと、大好きな母親が悲しむからだ。</p><p>エホバのためではない。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一つ大きかったのは、これまた一回り離れたもう一人の姉（長女）の影響だ。</p><p>彼女は顔立ちが整っており、高校ではミス○○高に選出される目立つタイプだったため、高校３年間は上辺だけのクリスチャンをしていたようだが、進学先(専門学校)の会衆で目覚めてしまい、二十歳を過ぎて実家に戻ってきた時は、立派な開拓者になってしまっていた。「若く美人な姉妹が実家で母親や弟妹達を支えながら手に職もつけて地元で開拓者として奉仕している」状況が、狭い巡回区で話題にならないはずがない。しかも、実家が少し落ち着いたころを見計らい、「必要な区域で奉仕する」ということにまで手を出してしまったのだ。あっという間に有名人である。</p><p>本人もうっすらその状況を楽しんでいたと思う。（後述するが、彼女は自分の顔と名前が大好きだった）</p><p>当然、「△△会衆の★★姉妹のご家族」も勿論注目されるわけだ。さぁ。私はというと、思春期で太り始めており黒ぶち眼鏡で可愛いらしさのかけらもなく、特に目立った活動もしない。ルッキズムを走り始めていた姉の口癖は「あんた少しは私みたいに可愛くしたら？いつバプテスマ受けるの？（当時私は６年生）□□会衆のナントカちゃんは、バプテスマ受けて夏休みは補助やってるよ。あんたもちゃんとしないと。あと、その恰好ヘンだよ」である。</p><p>&nbsp;</p><p>私が覚えている最初の記憶の長女は表向きクリスチャンの高校３年生。保育園児の私を抱っこしては可愛い可愛いと言ってくれる優しい姉だった。そんな年の離れたお姉ちゃんが大好きで、彼女が進学先から帰省するのが本当に楽しみだった。数年たって開拓者になった姉は、私の容姿や生活態度を自らの基準で厳しく批判する美人姉妹になってしまっていた。ただ、それでも姉に褒めてもらいたかった私は、彼女の基準に達することができるよう必死に頑張った。集会へ行くこと、そこで考えられた自分のことばで注解をすること、割り当てをしっかりこなし、奉仕にも積極的に参加し、万人に愛される容姿であること。すべては姉に認められ、褒められ、愛されるために。（その基準に達することは一度もなかったが。）</p><p>&nbsp;</p><p>家族からの愛のために、私は幼いころ必死で宗教活動を行っていた。そこには、エホバのエもなかった。</p><p>愛されたい、喜んでもらって一緒に笑いたい。ただそれだけの理由だった。</p><p>&nbsp;</p><p>立派な自分迷子に成長してしまった理由は、こうした背景だったんだな、と俯瞰して見られるようになった今は、ただひたすら幸せだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/calico0508/entry-12844750631.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Mar 2024 16:24:20 +0900</pubDate>
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<title>性格形成期　-1-</title>
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<![CDATA[ <p>　私のJW人生は生まれる前から始まっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>母は私の兄が産まれてすぐに、地元の知り合いから証言を受けた。</p><p>まだ乳児だった兄を抱える母に対しその人は「西暦前607年のエルサレムの滅びの際、食糧難のために自分の子どもを食べる事態も出た。これからくるハルマゲドンの時も似たような状況になるかもしれない。今のうちに聖書を勉強しなさい」と話したそうだ。デリカシーのかけらもない。母はそれを聞いて「気分が悪くなって横になるしかなかった。でもそれがきっかけで研究生になった」というのだ。なんということでしょう、である。「乳飲み子を抱く若い母親に対して、そんな話をふっかけるなんてとんでもない。なんてデリカシーのない人なんだろう。」と、私なら憤慨するが、母は当時寂しかったのかもしれない。娘二人を授かり、待望の長男を授かるも、実は配偶者に別の女性の影があったからだ（私はこのことは高校生の頃知ったのだが）。</p><p>&nbsp;</p><p>狭い地元で割と名の知れた父は、恐らくモテの人生を歩んでいた。実際私が分別のつく年頃に「君のお父さんはそれはそれはダンディ（死語）で、とてももてる人だったんだよ」と何人もの大人に言われた。そして母も、当時地元ではまだ少なかった公務員として手に職を持ち、自立した女性、になるはずだった。なぜか就職してすぐに父と結婚し、当然のごとく舅姑と同居になった。フルタイムの仕事で幼い娘二人を育て、舅姑のお世話もし、きっと生活に疲れていた。そしてどこからともなく聞こえる不穏な噂。埋めようもない心の隙間に入ってきたのが、なぜかデリカシーゼロの聖書のお話だったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>割かし純粋培養で育った母は、素直に聖書の音信を受け入れていった。どんなに疲れていても集会に参加し（幼い子ども３人を連れて！）、奉仕に励んでいた。というか、のめり込んでいったのだろう。先祖崇拝が根強い地元で、長男の嫁として嫁ぎ、舅姑と同居していたにもかかわらず、一切の先祖崇拝の行為を拒否し始めた母へ、父の態度がかたくなるのは想像に難くない。未信者夫の迫害、という側面を持った仮面夫婦の30年がそこから始まったのだ。そして、その数年後に末っ子の私が生まれた。</p><p>&nbsp;</p><p>覚えている最初のそれは、年末の歌番組が放送されている時間帯、集会から帰ってきた時の父のドス黒い不機嫌な様子だ。ほんの数年前までは、楽しい年末のひと時だったはずだ。しかし、今は妻子は訳の分からない宗教にはまり、年末の夕方ですら、家主を置いて外出（しかも3時間近く）してしまう。遅い夕食の準備をする母を片目に、子どもながら父の機嫌の悪さを感じていた私は、少しでも雰囲気が明るくなればとふるまっていた。ところが、その態度が余計に父の癇に障ってしまい、「ヘラヘラするな！」と怒鳴られたのだ。悪さをしていないのに怒鳴られる理不尽に、４歳の私はただただ凍りつくしかなかった。一回り年の離れた姉が「そんな言わなくてもいいでしょ・・。○○(私)、大丈夫だよ」と静かに言ってくれるまでの数秒間が本当に本当に長く感じられた。いつもは寡黙ながら末っ子の私を可愛がっていた父から、突然前触れもなく怒鳴られたのだ。40年以上たった今でもあの瞬間は忘れられない。</p><p>&nbsp;</p><p>「集会に行くことはお父さんが嫌いなことなんだ」</p><p>&nbsp;</p><p>この宗教が家族を分断していることに気付いた瞬間だった。気付きはしたが混乱もした。大好きなお母さんのいうことを聞いて集会に行くと、お父さんは嫌な思いをしている。なんだこれは、という言葉にできない葛藤。集会に行けば、同年代の友達や大人、老人、沢山の人がいて（80年代は文字通り老若男女で盛会だった）みんな笑顔で過ごしている。正直楽しい（ケツバットはあったけども）。でも、お父さんはそこに行くことを嫌がっている。悪いことをしているんだろうか。幼心では理解できず、言いようのない後ろめたさを感じながら、母について週３回の集会に行き、週末の奉仕に参加していった。週の半分以上を宗教活動に費やす生活が普通ではないことに気付いたのは、そこからさらに数年後になる。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/calico0508/entry-12839098516.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Feb 2024 09:22:19 +0900</pubDate>
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<title>33年間のJW生活からある日突然解放(追放？)された私。</title>
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<![CDATA[ <p>30数年間、JW界隈で生きてきた。後半数年はFO状態だったが、家族（詳細は後日）が模範的JWだったため、その評判を傷付けるような度胸がなく、生温い関わり方をしていた。※フルタイムの広告系企業で仕事中心な生活。奉仕時間は月数時間。集会も遅刻多し。</p><p>&nbsp;</p><p>そのFO期間は世の人とも交際し、排斥ギリギリの生活（アウトだったかな？？）。</p><p>ただ一世の母がとても好きだったので、そこだけ罪悪感を感じながら表面的なうっすい証人活動をしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>色々あって、授かり婚で排斥。授かった時は、むしろ嬉しく、これでもうあの宗教から離れられる、と思った。が、やはり忌避状態は想像を絶する辛さだった。自分で望んで離れたのだから本望、と思うようにするしかなかった。当然、定期的に感情の波は押し寄せ、一番迷惑被ったのは、私のJW事情を殆ど知らず結婚した夫だろう。</p><p>&nbsp;</p><p>結婚して10年、やっと今乗り越えられた、と言えるような精神状態になったかもしれない。そのきっかけはある日突然、「宗教2世」というワードで起こり始めた。</p><p>それまで考えもしなかった、「宗教」という枷。</p><p>&nbsp;</p><p>「承認欲求は高いくせに自己肯定感は皆無。その弱さをマウント取りで隠し、また自己嫌悪。なんでこんなに歪んだ性格なんだろうか。もっと穏やかな性格に生まれたかった。私のような妻・母をもった家族に本当に申し訳ない‥」という気持ちに押しつぶされそうな数年を過ごしてきた。この生き辛さの原因は、全て自分の性格にあると思い疑わずに。それが、「宗教2世」をきっかけに、「宗教が子供の人格形成にどれだけの影響を与えるか」、という情報が連日飛び込んでくるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これまで、心のどこかで（「私は真の宗教から離れてしまったから罪人」）という意識があった。認めたくなかったが、きっとそうだ。</p><p>「家族が大変な時（両親の介護）にギブアップし、排斥、一人家族から離れ、私の分も兄弟たちが苦労するような状況を作ってしまった。その罪はきっと消えないし、兄弟たちは私を憎んでいるだろう。その気持ちを押し殺して新しい家族と楽しい生活を送っているふりをするなんて、本当に最悪な人間だ。」</p><p>自分を責め続け、でもその思いに飲み込まれたら今の家族の前で笑うことができなくなる、その恐怖と隣り合わせで生きてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、それって、「私」が悪いんじゃなく、「私を作った宗教という環境」が悪かったのでは…そう思い始めると、これまで感じたこともない、言葉にできないような血の通った感情が湧き出してきた。</p><p>「あなた、が悪の元凶ではない、もう許してもいい。大丈夫。大丈夫。これまで苦しかったね。あなたは、悪じゃない」と、何かに言ってもらえたような、解き放ってくれるような感情。</p><p><br></p><p>ただ、そこから全てがハッピーハッピーではなく、過去の自分の感情を認め解き放ち、今の自分を許し受け入れるための地道な作業が始まった。体の隅々にまで浸透した「エホバの証人」という細胞を、「私」という細胞に書き換えるための備忘録として、初めてブログというものに手を出している。吐き出すことは罪と信じきっていた過去の様々な感情を、自分のために細々と綴っていきたい。</p><p><br></p><p>(このページをアップするのに1年かかりました。根が深いです宗教とは…)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/calico0508/entry-12777740745.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Dec 2023 16:08:23 +0900</pubDate>
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