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<title>kotonoha</title>
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<description>まんがと心理学が好きです。＊ブログ記事とは関係が無いとこちらで判断させていただいたコメントは、申し訳ありませんが非公開とさせていただきます。ご了承ください。</description>
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<title>諦められなかったこと</title>
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<![CDATA[ <p>やっぱり私カウンセリングしたいんだなって思う。</p><p>理由とか分からん。</p><p>でも他の人がカウンセリングしてるのを知るとすごく良いなぁ羨ましいなぁって思う。嫉妬してしまう。</p><p><br></p><p>エゴは「そんなしんどい仕事お前にゃ無理」「お前にできるわけない」「例えば死にたいって言う人にどう声かけるんだよ、お前自身が弱虫のくせに」「どっちかっつーとお前がカウンセリングしてもらう側だろ。一生。」「また無力感で死にそうになるぞ。辞めとけ」「夫のこといつも怒ってるお前が人に何を言えるん？」と私の心にブレーキをかけてくる。そしてその声はもっともだと思う。</p><p>思うんだけどさ、思うんだけど。</p><p><br></p><p>完璧に幸せになって、完璧に自信を付けてからじゃないとやりたいこと始められないって思ったら、一生何も始められないよね…。</p><p>怖がりながらでも、自信なくても、最低な私でも、やりたいこと、惹かれてどうしようもないことを始めても良いんだ。</p><p><br></p><p>はぁ、怖い☺️</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12848968157.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Apr 2024 13:00:16 +0900</pubDate>
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<title>”自分が育つしか楽になる道はない！”</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><iframe class="reblogCard" height="234px" width="100%" scrolling="no" frameborder="no" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/ranaki/entry-12845989874.html?reblogAmebaId=camelliaapricot" data-ameba-id="ranaki" data-entry-id="12845989874"></iframe><p>私はなんでこんなに子どもと過ごすのが苦手なんだろうな…。</p><p>昔実家で飼ってた犬のことが大好きで可愛くて愛しくて、犬でこんなに可愛いなら自分の子どもとなると想像できないくらい可愛いんじゃないの！？って思った時があった。それで実際子どもを産み育てている今思うことは、そんな甘いもんじゃなかったねってこと。</p><p>可愛いし、この子がこの世に生まれてくれたことはありがたく、尊く、素晴らしいことだと本心で思っているけど、「可愛い」だけじゃ人間の子どもを育てることってできないんだなって。犬と全然違うなって。思います。はい。</p><p>何が一番違うかって考えると、やっぱり人間の子どもって「私が育てた様に育つ」こと。犬もそりゃそうなんだけど、まぁ所詮犬なので、犬の壁は越えられないんですよね。多少躾に失敗しても、この仔は我が家から一匹で外に出すことはないから、他所に迷惑かけないじゃないですか。困った仔に成長したとしても我が家の中だけでなんとか寿命まで面倒見るじゃないですか。でも人間の子どもって躾やら教育やら間違えたら、そのあとこの人間社会にどう送り込んであげたら良いのか分からないじゃないですか。とんでもなく責任重大な役割を手にしてしまった。</p><p>私は一般常識もなく、頼りなく、お金もなく、心も弱く、人間としての自信もなく、そんな人間が人間の子どもを一人前に育てることなんでどうしてできるというんでしょうか。</p><p>なんてことを吐露しましたら、正論振りかざす人からしたら「子どもがかわいそう」「なんで産む前にもっとよく考えなかったんですか？」「みんな大変だけど頑張ってるんですよ」「母親失格ですね」「人間を犬と一緒にすんな」とか言われるんだろうなって思います。てか私が私にそう言ってずっと責めてきました。</p><p>逃げ出したくて仕方ない。私一人に子供の人生がかかってくる。大変だ。潰される。私、狂ってしまう。</p><p>誰かに子育ての責任を押し付けたい。それが無理なら分散させたい。甘えたい。無理やって。私には無理やって。大変なプロジェクトを始めてしまった。しかもこれは失敗が許されない、途中で降りられない、私が死ぬまで続くプロジェクトだ。</p><p>子どもにママァ〜って呼ばれると、グッと胸や腹が締め付けられるような気になる。別の部屋に移動して小声で「ウザい、ウザい、ウザい…」って呟いてしまう。もう放っておいてほしい。私のことを見ないでほしい。「ママ嫌い！」って言われると、やった…解放される…って思っちゃう。と同時に本当に嫌われるわけないという傲慢さが出てくる。</p><p>子どもに、いわゆる親ガチャを失敗させてしまった。本当に申し訳ない。</p><p><br></p><p>と、こんな風に、私の子育ては罪悪感まみれで自己嫌悪まみれのものです。いや、ものでした。と過去形にする。過去にするんだ。</p><p>今この瞬間まで罪悪感と自己嫌悪に呑まれていたけれど、これを「全てを選択」して一気に全消しする。</p><p>全てを選択して消してもペーストしたらまた全文貼り付けできちゃうんでそこは注意なんだけど…。</p><p><br></p><p>なんかさ…育児ってすごいね。自分が乗り越えられてない問題がこれでもか！これでもか！と襲ってくる。</p><p>私は「父と母にとって良い子でいたい」という思いがありました。父と母に愛されたかったし、私を誇ってもらいたかったし、それが私の生きる方法だった。でも良い子っていうのは結局父母の物差し通りに生きることだったり、顔色を伺って生きることだったり、いつもビクビク自信なく生きることだったりだった。だから私は良い子をやめようと思った。</p><p>けど今私は「子にとって良い母でいたい」という思いがある。子を良い子に育てたい、子に愛されたい、子に誇ってもらいたいって。なんにも変わってないじゃないか。変わってないどころか、愛される態度も誇ってもらえる態度も取ってないじゃんね。子を私と同じ親の機嫌を気にして生きるような「良い子」にしたかったのか？</p><p>そもそも、良い子、良い母じゃないと私って愛されないの？私はそのままの私で愛されないの？そりゃそのままの私なんてクソみてぇな人間性だろうけど、クソじゃない部分だってたくさんあるよ。</p><p><br></p><p>うちの母は、家族から良い母認定されず責められていた。私はそれを見てきたし、私自身母を良い母ではないと責めてきた。母が良い母じゃないせいで私は傷ついてきた。と思ってたけど、本当は周りの大人たちが私の母を良い母ではないと言ったことに傷付いていた。酷いよね。私のお母さんを虐めるな。</p><p>あの時、私が母を良い母でないと責めた心が、今ブーメランのように私に刺さる。私も全然良い母じゃない。母を認められなかった私が良い母になれるわけがない。</p><p>そうか、私は母を責めた自分を許さなければならないのか。</p><p>母を悪い母だと責めた周りの大人たちを許さなければならないし、彼らのその言葉に傷付いた幼い私を抱きしめてあげないといけないんだ。</p><p><br></p><p>私は母を愛していた。</p><p>母に愛されたかった以上に、私が母を愛したかった。</p><p>本当は母を守りたかった。</p><p>お母さん大好きだよ。お母さん何も悪くないよ。</p><p>そう言いたかったのに、幼い私は周りの大人たちと一緒に母を責めた。自分の傷を優先してしまった。私は可哀想な子どもなんだ、私はもっと母に愛されるべきなんだという考えにすり替えてしまった。</p><p><br></p><p>私は自分で自分にかけた呪いを解かなければならない。</p><p>「悪い子」がこの世にいないように、「良い子」なんて別に存在しなくて良い。</p><p>それと同時に「悪い母」も本当はいない。追い詰められている母はいるけれども。追い詰められた母は、悪い態度を取ってしまう。</p><p>「良い母」も存在しなくて良い。私たちは良い母にならなくていい。「私らしく生きる母」が存在すれば良い。</p><p><br></p><p>そしてそれは父親も同じことで…。</p><p>私はつい夫を「悪い父」をして見てしまう。その私の目が夫を追い詰め、悪い態度を取らせてしまう。</p><p>「良い父」になってほしいと思った。しかしそれもまた彼を同じく追い詰めることだった。</p><p><br></p><p>良い／悪いで人の生き方に期待することは、追い詰めるだけで何のメリットもない。</p><p>私が「良い母」を辞めるように、夫も「良い父」を辞めて良い。</p><p>「自分らしく生きる」ことをやって良い。</p><p><br></p><p>さて、では、自分らしく生きるとは、なんぞや。</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12846072732.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Mar 2024 00:36:17 +0900</pubDate>
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<title>自分の傷の投影</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://x.com/misiru43/status/1772246131335897131?s=46&amp;t=J_6yOAR-YXKT2ltRcL2Q0Q">https://x.com/misiru43/status/1772246131335897131?s=46&amp;t=J_6yOAR-YXKT2ltRcL2Q0Q</a></p><p><br></p><p>ツイッター（X）で見つけた言葉。</p><p>これは本当にそうだな…と思う。ツイッターで10年来の付き合いの相互さん、もうずっとしんどそうで（でも本人は頑なに自分は大丈夫！って言うしカウンセリングにもかからない）その悩み方が私の悩み方に似てて、つい気になってしまうんだよね。それで余計な声掛けして拒否されたりする。でも私自身がもっとちゃんと自分と向き合って自分の問題を解決することでしか、この人と適切な関係、距離感を持てないのだと思う。この人が気になるっていうのは結局私が私の傷を見ないようにして「私の代わりに癒される努力をしろ」って言ってるようなものなんだよな。私が私の傷を癒して乗り越えた時、同じようなことで悩んでる人に対して「助けたい」という気持ちではなく、「大丈夫だよ」って優しく見守るスタンスに変われるんだと思うし、相手からしてもそのスタンスの方が良い気がする多分。そもそも人を「助ける」なんて私の器では正直無理だし驕りなんよな…。助けて気持ちよくなりたいだけなんよな…。なので私にできる唯一のことは「私が私の問題を乗り越え傷を癒すこと」、これに尽きるんだな…。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12845947182.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Mar 2024 23:50:55 +0900</pubDate>
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<title>いやと言うこと</title>
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<![CDATA[ <p>毎日毎日、子どもが学校での嫌だったことを話してくれる。</p><p>客観的に見たい。</p><p>投影せず聴きたい。</p><p>落ち着いて寄り添いたい。</p><p>そう思うけど、現実は</p><p>かなり主観的に見て、</p><p>私自身の子どもの頃を投影して、</p><p>必死の形相で「あぁすれば良い、こうすれば良いのでは？」とアドバイスしてしまう。</p><p>なんだそのクソガキは。</p><p>そんなことするヤツなんかもう友だちじゃないわ、関わるのやめたら？</p><p>と冷たく言い放ってしまいたい。</p><p>それを言うと私はスッキリするけど子どもは悲しんでしまう。</p><p>だってこの先もそのお友だちと関わって生きていくのは私ではなく子どもだから。</p><p><br></p><p>子どもは、私の未完了の課題をこれでもかこれでもかと再生して見せ付けてくれる。</p><p><br></p><p>私は、友だちに「いや！」と言えない子どもだった。</p><p>同調しないと嫌われると思っていたし、言い返して相手が怒ってきたら怖いし、「あんたは優しい子だね」っておばあちゃんに言われていた通りに優しい子でいないといけないと思っていたし、おとなしく良い子で居れば愛されると思っていたから。</p><p>「いや」って言っても良い、それで相手が怒ってきたらそれは私の責任ではなく相手の課題だって、誰も教えてくれなかった。</p><p>相手の感情も反応も全て私が受け止めて受け入れて背負わなければならないと思っていた。</p><p><br></p><p>我が子がまさに、我が子らしく、あの頃の私と同じことをしている。</p><p>ヤキモキする。</p><p>「いやなことはいやって言いな」と子に言うたび、「私は言えなかったくせに、子どもにはさせようって言うのか」って私を責め、呆れ、泣きそうになってるもう一人の自分がいる。</p><p>私が、あの時、友だちに、いやって言わなきゃならなかったんだ。</p><p><br></p><p>怖かった、こわい、今でも怖い。</p><p>今でも私の心はあの頃に捕らわれていて、我が子の話を聞くたびに、あの時の私が私に助けてって訴えてきているように感じる。</p><p>私は私を助けてやりたい。</p><p>でもそれは子どもに「ああしろ、こうしろ」と指示をして、私の代わりにやらせることではない。</p><p>それはただの代理戦争だ。</p><p>私は自分で血を流さず、子どもに私の仇を討て、と強要しているに過ぎない。</p><p><br></p><p>私のこの、嫌われることへの異常な恐怖心はなんなんだろう？</p><p>究極的には（嫌われる＝）死への恐怖なんだろうか。</p><p>人に嫌われたら、死につながると感じている気がする。</p><p>私は生きたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12842689166.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Mar 2024 17:47:57 +0900</pubDate>
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<title>神様と一緒にした</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><iframe class="reblogCard" height="234px" width="100%" scrolling="no" frameborder="no" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/ranaki/entry-12841956637.html?reblogAmebaId=camelliaapricot" data-ameba-id="ranaki" data-entry-id="12841956637"></iframe><p>昨晩は天音らんさんの無料ヒーリングに参加させていただきました。</p><p>その中で知ったことのメモ。</p><p>ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが…。</p><p><br></p><p>あ〜やっちゃった、あんなこと言わなきゃよかった、弁解したほうがいいかな、申し訳ないな…</p><p>と、自分が誰かに言ってしまったことやってしまったことを後悔したとき、色んな思いが出てくるけれど、</p><p><br></p><p>「その行動をした時、あなたは神様とそれを一緒にしたんです。」</p><p><br></p><p>「神様はあなたを責めていないよ。」</p><p><br></p><p>「あなたが神様を責めているんです。」</p><p><br></p><p>らしいです。</p><p>それを聞いた時、そうか、私たちが起こす全ての行動は大きな意味では間違いはなく、それで良かったのだと。</p><p>なんせ神様が一緒にしてくれたのだから。</p><p>何も間違いはないよ。</p><p><br></p><p>私はやってしまったことを後悔していつまでも過去を見てしまうけれど、</p><p>本当にやっちゃダメだったことなら、後で相手から「あれは嫌だったよ」って言われる。</p><p>言われたら、その時考える。謝る。</p><p>大丈夫。</p><p><br></p><p>私、まさしくつい最近「あ〜やっちゃったなぁ…傷付けちゃったなぁ、嫌われちゃったかなぁ」って引き摺ってることがあってモヤモヤしてたんですが、これを聞いて「うん、あれはあれで良い。私はあれを神様と一緒にした。そして相手も、神様と一緒にしたんだ。」って思ったら、なんかもう、私の行いも相手の行いも全ては祝福だったのではないかとすら思えた。</p><p>神様と一緒にしたなら心強いよ。</p>
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<pubDate>Sun, 25 Feb 2024 14:44:51 +0900</pubDate>
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<title>ケンカしたって良い</title>
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<![CDATA[ <p>今日娘がお友だちにされた嫌なことを私に報告してくれた。<br></p><p>そして「明日お友だちにあったら今日のこと嫌だったよって言う」と話を蒸し返そうとするので私は「そんなことわざわざ言わなくて良い、今度同じ様なことがあったら『それは嫌だからやめて』って言えば良いよ」って返した。</p><p><br></p><p>でも…怒りを我慢させてしまうより、言ってスッキリした方が良いよね。まだ子どもだから、たとえケンカになったってどうにかなる。子どもだからこそ今のうちに思いをぶつけ合ってケンカをしたら良い。</p><p><br></p><p>私のあのアドバイスは、私の母の思考だ。</p><p>私が我慢すべきだ、波風立てずにやっていくべきだって考えは母のものだった。</p><p>私はそれを母に言われて悲しかった。私は怒りを出してはいけないのか…と。そうしていくことで私は自分の感情や判断に自信が持てず、怒るべきところで怒れず、馬鹿にされても耐えるしか無かったんじゃないか。人が怖くなったんじゃないか。</p><p><br></p><p>子どもの感覚はいつも正しい。なのに私は私の考えをさも正しいものの様に押し付けてしまう。</p><p><br></p><p>娘は私に「そうだね、話し合っておいで」って言ってもらいたかった。それを言われることで、逆に「もうこの件はどうでも良いか」って手放すことができたかもしれないのに。</p><p><br></p><p>子がお友だちとケンカして、子が仲間外れにされたらどうしよう？って考えてしまった。だから、話を蒸し返さず耐えろと言う様なことを言った。</p><p>この子が仲間外れにされた時私はこの子を守ってやる自信がなかったからだ。</p><p>私は昔から、誰かを守れるほどの力はないと、自分に自信がなかった。私自身が私を守ることすらできないのに、人のことなんて守れないと思ったんだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12826827528.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Nov 2023 00:11:28 +0900</pubDate>
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<title>2023/10/01</title>
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<![CDATA[ <p>責めないで、誰も悪くない</p><p>私もみんなも一生懸命なだけ</p><p>責めないで</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12822789153.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Oct 2023 22:45:30 +0900</pubDate>
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<title>”世界と一緒に世界を愛する”</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><iframe class="reblogCard" height="234px" width="100%" scrolling="no" frameborder="no" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/ranaki/entry-12822231328.html?reblogAmebaId=camelliaapricot" data-ameba-id="ranaki" data-entry-id="12822231328"></iframe><p>zoomの無料ヒーリングに参加しました。諸事情あって最後の30分だけしか参加できなかったのですが、その30分の中で得た気づきと言うか…衝撃というか…落ち込みというか…があったので、忘れないようにメモ。</p><p><br></p><p>私たちは父親を軽んじることで、神様との繋がりを切るんですって（違ったら教えて欲しい）。</p><p>神様は常に自分の後ろにいて見守ってくれてる。</p><p>父親＝神様との繋がりが切れると、背中が不安になっちゃう。</p><p><br></p><p>私は、娘にだいぶ娘の父親を軽んじさせてしまっている。</p><p>娘はパパのことを大したことない人物のように扱う。</p><p>パパに対して金切り声で怒鳴ったり、叩いたり…「パパ大好き❤️」という感じはない。</p><p>でもそれは、私が夫を軽んじてきたことを娘が「パパの扱いはそれで良いんだ」と学習してしまい、私の真似をしてしまったからだ。</p><p><br></p><p>私は、娘から神様を取り上げてしまった。</p><p>なんと罪深いことをしてしまったのだ…。</p><p><br></p><p>娘と私は癒着している。</p><p>娘は私から愛をもらうためにパパを私と娘共通の敵にしている。</p><p><br></p><p>私は拗ね屋で、ケチで、意地悪で、夫が私からの愛を欲しがっていると分かっているのに、私はあげようとしない。「あなたに悪いところがあるから私はあなたに愛をあげないのよ。分かる？あなたがイイヒトになれば、私だって愛をあげるわよ」という姿勢でいたのだ。</p><p>私があなたに愛を与えないのはあなたのせいなんだから、と夫に罪悪感を植え付けている。そうすれば、夫が罪悪感から私に優しくしてくれると勘違いしている。</p><p><br></p><p>そして私は私に優しくしない夫を軽んじ、それを見た娘は私と同じようにパパを軽んじ、愛し、包み込んでくれるはずの神様を、私に奪われてしまった。</p><p><br></p><p>私はなんて酷いことを、罪深いことをしてしまっていたのか。</p><p>大きな大きな罪に気づいてしまった。</p><p>そして、これに気づくための流れが完璧だった。</p><p>参加申し込みに書いた悩み事がまさに、子がパパを軽んじている、でもそれは私のせいだと思う（けどなんでかよくわかんない、的な）、困った、というようなことだった。そしてさらに、zoomに参加する30分ほど前、夫に対して愛をケチった出来事があったのだ。でも私は自分が愛をケチっていたことに気付いていなかったし、そのあとzoomに参加する超直前に「もしかして私が愛をケチっていたのでは？」と薄ぼんやり気づいたけど、ここまで反省するところまで行ってなかった。</p><p>でもその直後に、zoomに入ってすぐに教わったこのことで、すごくショックを受けて、今とても反省している。</p><p><br></p><p>私はもうケチをやめよう。</p><p>愛をケチったあとで、じゃあ私は満足するのか？と言うと全然満足しないし、虚しさや淋しさ、悲しさで心に風穴が開いてるんだ。</p><p>なにも良くない…。</p><p><br></p><p>私は、夫から私に愛を先に出してくれないと私からは出さないぞと思っていた。クソケチなので。</p><p>一方がケチをすると全然可愛げがなくなるので、相手もどんどんケチになってくる。負のスパイラル。それの一番の皺寄せ、被害に遭うのは子どもだ。</p><p><br></p><p>だめだ。本当にこんなクソみたいなループは終わりにしよう。</p><p>私から愛を出していこう。</p><p>返ってこなくても良いじゃないか。</p><p>愛は出したら出した分だけ、自分が気持ちいいんだよ。</p><p>自分のことが好きになれるんだよ。</p><p>私ってまだこんなに愛がある素敵な人間だったんだって嬉しくなるよ。</p><p>人のためじゃない、自分のために、人に愛を送ろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12822517382.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Sep 2023 00:44:34 +0900</pubDate>
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<title>幸せを記す</title>
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<![CDATA[ <p>なんかね、最近楽になってきたの…。嬉しいよ。</p><p>この間のカウンセリングで、心の中がエゴでいっぱいになって苦しんでる中から、私の本心がエゴをぶち破って現れる体験をした。エゴの呻き声、断末魔ってこんな感じなんやー…って思った。</p><p>カウンセラーさんに「生まれ変わったんだよ」って言われて、正直その時は実感なくて「生まれ変わったなんてほんとかな？エゴの呻き声って言われたけどほんとかな？」って疑ってたんだけど、あのカウンセリングのあとに本来ならPMDDの時期が来るのに、今回症状が無かったんだよ。ちょっと症状が出かかったけど、でも普段のPMDDレベルを10としたら、今回は1とか…0.5とか…そんなくらいだった！すごいよ、本当に嬉しいよ。穏やかに月経前を過ごせることがこんなに幸せなことだったんやね。</p><p>今子どもの夏休み中なんだけど、それほど辛くないんよ。カウンセリングを受けてきて少しずつ楽になってきてはいたけど、去年の夏休みのことを思い返すと、確実にとても楽になってる。</p><p>嬉しいなあ…。楽しく生きてる人の感覚を、少しだけ味わえたよ。みんなこんな風に生きてるんやね。</p><p><br></p><p>とは言えエゴはまた甦ってくるので（昨日も早速夫にイライラしちゃったしな〜）この状態がずっと続いてくれるのか？と不安もあるのですが、この幸せな状態を覚えておきたいので、ここに記しておきます。</p><p><br></p><p>楽しく生きたいぞー！！</p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12816823069.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Aug 2023 01:46:38 +0900</pubDate>
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<title>その奥にあるもの</title>
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<![CDATA[ <p>PMS(月経前症候群)という症状があります。生理前になると体調が悪くなる、精神的に不安定になる、というものです。その中でも特に精神症状が強いために日常生活に大きな支障をきたすほどの状態のものをPMDD(月経前不快気分障害)と言います。</p><p>自己判断なのですが、私は多分このPMDDなのではないかと思っています。</p><p>月に一度の希死念慮。自分はこの世に存在すべきではないという思い。罪悪感と自己嫌悪で狂いそう。その結果子どもや夫に優しくできず、それがまた罪悪感と自己嫌悪を加速させる。</p><p>婦人科に行って薬物療法を受けることも考えていますが、薬では根本解決にならないのだろうなとも感じています。(ちなみに2年ほど前にPMSがひどくて…と婦人科受診して漢方を飲んでいましたが効いてるのかどうかよくわからん…というのと、並行してカウンセリングも受けていて、少しずつ良くなってきたなと感じたので婦人科に行かなくなってしまいました…)</p><p>生理が始まってしばらくすると消えていく希死念慮。すると何であんなに思い詰めていたんだろう…と思ってしまう。</p><p>けど、あの希死念慮も間違いなく私の中から湧き上がってきた感情で、嘘ではないんですよね。</p><p>あれは私が普段は意識しない、意識しないようにしてる、私の本音なんです。</p><p>いえ、本音は「死にたい」なんかじゃないですよ。それは私の本当の本音を極端にネガティブにし捻じ曲がらせたもの、または本当の本音と向き合わないようにさせた心の働きなのではと思います。</p><p>薬物療法で月に一度表面に上がってくる死にたくなるほどつらい気持ちを見ないようにして抑え付けるようにしてしまっては、その気持ちの奥にある暴れ狂う本音をいつまでも慰めてやることができない。</p><p><br></p><p>「死にたい…」と思う時、その下に何を感じているのか。</p><p>私は一体どうしてそんなに怒っているのか。</p><p><br></p><p>それはやっぱり自己嫌悪と罪悪感です。</p><p>私はあまりにも、あまりにも、この二つと癒着している。</p><p>一体いつからの付き合いなのか？10年20年ではきかない間柄です。</p><p>これらを自覚したのはおそらく13歳のころ。でもそれまでにそれらの種は私の心に撒かれていて、セミの幼虫のように心の深いところで静かに成長し、思春期についに羽化してしまった。</p><p>私はこれらは私の味方だと思っていた。これらが私の耳元で常に私を罵倒し律してくれるから、私は”マトモな人間”でいられるんだと思っていました。</p><p><br></p><p>でも、もしかしたら、味方じゃないのかもしれないなって最近思いました。</p><p>いや、私が他人から嫌われないようにするための心の働きであったし、そしてそれ(人に嫌われないようにするための考え方)は私の母の思考だったのだと、さらにそれは元々は愛からきているものであると、分かります。母は私を周りの人間から守ってやるための方法を他に知らなかったし、あなたなら何があっても大丈夫という信頼を私にしていなかったし、それは母が母自身に対して自信を持てていなかったからなのだろうとも思います。</p><p>けれど、この思考、思い込み、もっと言えば愛というタイトルが貼られた呪いは、私をただ不自由にし、本来の私がしたいことに蓋をし、私の本当の本音とケンカするから、こんなにも苦しいんです。苦しいから、悲しいし、イライラするし、怒るし、自己嫌悪に陥るし、罪悪感を感じるし、死にたくなってしまう。希死念慮に辿り着く順序はこうなんですよね。</p><p><br></p><p>生理前に浮かび上がってくるこの底知れない悲しみを、自分らしく生きらていないことへの悲しみを、明るく楽しく生きられていない悲しみを、人の役に立っていないという悲しみを、私はどうにかしてあげないといけない。</p><p>薬で忘れさせてもらうのも悪いことだとは思わないけど、私は私のこれらの感情に向き合ってあげたい。慰めてあげたい。アンタだってやれるんだよって言ってやりたい。</p><p><br></p><p>私の本当の本音は、自分らしく生きること、明るく楽しく生きること、人の役に立つことなんだ。</p><p>それが叶わないと思うから死んでしまいたくなる。</p><p>でもその本当の本音を知った今、表面的な「死にたい」に振り回されず、本当の本音を見つめて生きていこう、生きていきたいよ、と思う。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/camelliaapricot/entry-12813456467.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Jul 2023 00:41:30 +0900</pubDate>
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