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<title>ccastleのブログ</title>
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<title>07</title>
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<![CDATA[ 夜。<br>人は夜眠り、朝目覚め、昼間を生き、また夜に眠る動物である。<br>人に限らずあらゆる動物に言える事柄に、当てはまらない者たちも、稀にいる。<br>丑三つ時を少し過ぎ、虫も蜥蜴も寝静まる時間を駆ける者たちがいた。<br>手には銃。<br>片手で扱う物とは違い、長い銃身を両手で支え、安全装置は外されトリガーには指がかかっている。<br>防弾チョッキを着込んだ四人の追跡者は、速度を上げて標的を追う。<br>先頭を走る隊長格の男が、部下を振り返らずに声を発した。<br><br>「奴は、何を考えていると思う？」<br><br>あまり広くない研究所内をちょこまかと逃げまわる標的に対して疑問を抱く。<br>たった一人で侵入して来て、入り口付近で隊員に発見され逃げ出した男。<br>他の部隊とも連絡が取れない。<br>この区画まで侵入する技量があるならば、この四人など気付かれることなく容易く抜けた筈である。<br><br>「隊長。本社からの注意文書、読みましたか？」<br><br>質問に質問で返すとは無粋なものだ、と隊長格は嘆息して部下に返事をする。<br><br>「あれが噂の亡霊だとでも？」<br>「信じたくありませんが……恐らく」<br><br>数ヶ月前から、本社から連絡が届いていた。<br>非合法の施設を潰してまわる『亡霊』の存在。<br>場所、時間、警備人数、何処の企業が保有する施設など全く関係無しに現れ、侵入方法も脱出方法も全くの不明。<br>ただ目撃した人間の話や、監視カメラの映像から、足元までの長さのマントを羽織った全身黒の男だと言うことが明らかになっている。<br>それで、それぞれの企業の裏方たちからつけられたあだ名が『亡霊』。<br>存在が確認されたのも突発的で、出現から消失までも突然。<br>まさに幽霊、亡霊の名が相応しいだろう。<br>そんな不審人物ではあるが、ただ言えることは『亡霊』が現れたあとには必ずネルガル所属のシークレット・サービスが現れること。<br>同社を襲うのはカモフラージュで、実はネルガルの新たな工作員ではないかと囁かれている。<br><br>「何にせよ、我々は我々の仕事をするだけだ。上層部からの通達は？」<br>「出来るなら捕縛、最悪顔を確認できる状態で捕殺、だそうです。何が何でも確保というやつですよ」<br>「……奴の足の速さは認めるが、そんなに気迫というものを感じない。価値があるのか？」<br>「それこそ、疑問を抱くことなどは我々の仕事ではありませんよ。我々はただ命令を実行するだけです」<br><br>部下に言われ、隊長格も無言で頷いた。<br>最近では、この部隊の所属会社でもあるクリムゾンの施設が狙われ始めている。<br>ネルガルの汚点が社会には出ないものの暗部で晒されていき、欲を集るからだと高笑いしていたクリムゾン上層部は今回を含めターゲットが移りだし泣きを見ていた。<br>『亡霊』だけに、全てが非常識。<br>情報収集も、移動手段も、目的も。<br>上が身元を求めている以上、殺害も辞さない覚悟でここを守り抜かなければならない。<br>この部隊は精鋭部隊。<br>発覚を最も恐れるものを守る部隊。<br>ネルガルのように誤魔化しが効くとは限らない以上、奥の『人形』に到達される訳にはいかない。<br>思考を切った次の瞬間、隊長格は角を曲がる黒い男を目にした。<br><br>「見たか？ あの奥は……」<br>「行き止まり。我々の首も何とか繋がりそうですね」<br><br>勢いづいた部下が先行すると、隊長格は咎めることなく通路を他の部下と共に固める。<br>人には得手不得手がある。<br>ポジションもまた同じ。<br>軽口を叩いていた部下を先頭にゆっくりと進む。<br>通路の先には無人の研究室があるだけだ。<br>逃げ込むならそこしかない。<br>部下が先行して扉を開いて、チャッと武器を構えると部屋の入り口から飛び込んだ。<br><br>「うごく……な……」<br><br>追走して中に入ると、研究室内には誰一人人間はいなかった。<br>空っぽの研究室を隅から隅までライトで照らしてみるも動く存在は確認できない。<br><br>「本当にここに入ったのか？」<br>「自分は……確かにここだと」<br><br>勘違いにしろ、見間違いにしろ、見失った事実には違いない。<br>しかし、一方通行の袋小路。<br>終点であるこの部屋に居ない筈がないのだ。<br>くまなく調べるように他の三名に指示を出して、入り口付近で部屋全体を眺めている時だった。<br>違いない。<br><br>「目当ての人物は……見つかったか？」<br><br>とても小さな、それでいてゾッとする程に冷たい声だった。<br>有り得ない後ろからの声に、隊長格が振り向こうとした時には既に遅く、後頭部を硬い何かで殴りつけられる。<br>よろけたところに背中から蹴りをいれられると、脚をもつれさせて部屋の中に倒れてしまう。<br>意識を失った隊長格に気が付いた隊員が、扉に銃を構える頃には扉は固く閉ざされていた。<br>電子制御された扉は内側からの応答には応じることなく、してやられた隊員たちは落胆する。<br>このところ毎晩、似たような手口で出し抜かれる者たちの光景。<br>企業同士、施設間の派閥同士で情報を惜しみ合うからこそ、『亡霊』が消え失せる事実を誰一人として分からない。<br>『亡霊』が人を殺さない事実もまた、誰も知らない。<br>今晩の光景も、そんな愚者の極一部。<br>この施設は、明日には閉鎖されるだろう。<br>夜は、更に闇を増していく。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>無数の試験管が順番に並べられている研究室で、一人作業する幽霊がいた。<br>真っ黒なマント。<br>前でとめていると、暗さも手伝ってローブかボロ切れを被ったお化けに見える。<br>最近企業の警戒が強くなってきた現状に溜め息を吐いて羊水の排出作業を行う『亡霊』ことアキは、次いで閉じ込めて置いた警備隊員と研究者の部屋の位置をピックアップし、ダッシュに知らせる。<br><br>『マスター、ボソンジャンプの多用はいけませんよ。後頭部ひっぱたくくらいなら、撃ってしまった方が……』<br>「まともにやりあって勝てない以上、俺にはああするしかない……それに、あまり銃に自信がなくなってな」<br><br>ネルガルＳＳもそうだが、暗部を取り仕切る人間たちを複数人相手に戦える程、アキは強くない。<br>弱くもないが、あくまで１対１。<br>木連式柔の射程に入る前に撃たれてしまうような状態で、勝ちは拾えない。<br>先程警備員を陥れた時のように、意表を突くか、適当な罠で武力を奪う他にアキに戦う術はない。<br>例え、どんなにセコくても。<br>確実に時間を稼げる手段で、相手側をかき乱すしかないのだ。<br>羊水が抜け、へたり込んだ少年少女に布を被せながら、アキはダッシュに話しかける。<br><br>「……ここも、はずれか」<br>『警備が変に厳重だから、当たりだと思ったのですけど……別な意味で当たりでしたね』<br><br>マシンチャイルドはネルガル傘下の施設で打ち止めかと思ったが、クリムゾンでもやっていることは同じだった。<br>クリムゾン本社を脅迫する訳にもいかないので、ネルガルのアカツキにまた匿名で連絡することにしたアキは、不思議そうな瞳をした名も無い少女の頭を撫でると再び立ち上がる。<br>いい加減、アキの存在が『裏側』に広まり始めているのも事実。<br>そろそろ、決定的な手応えが欲しい。<br>少年少女たちの視線に耐えられなくなってきたアキは、自分の思考を無理に難しい方に歪めるとＣＣを取り出した。<br>さっき撫でた少女の気配が何やらゆっくりと近くなっているような気がして、思わず冷や汗が流れる。<br><br>『また、攫ってっちゃいましょうか？』<br><br>ダッシュが本気とも冗談とも分からない発言をする。<br>ダッシュには前科があるため、一概にアキは冗談とは言い切れない。<br>仮にとは言え、一児の父親紛いなことをして疲労困憊しているアキ。<br>それが二児になるとなれば、アキには間違いなく倒れる自信があった。<br>主に良心とか精神的な面で。<br><br>「……ダッシュ」<br>『じょ、冗談ですとも。私はラピスと、マスターが居てさえくれれば幸せです。だから、その、お顔恐いですよ？』<br>「やっぱり……お前はオモイカネだな」<br><br>悟りきったアキは説教を諦めて、今にもマントの端を掴まれそうな位置から一度距離を取る。<br>オモイカネもダッシュも、アキをからかうことに余念がないから困ったもの。<br>結局、二人は誰に似て成長したのか。<br>アキは近頃それについて考えることを避けるようになった。<br>二人の成長に携わった人物は、恐らくアキが鏡を見た時明らかになるのだろうから。<br><br>『あ、あんなのと一緒にしないでください！ 私の方が、私だって、マスターとラピスの動画くらいいっぱい……』<br><br>強い否定を口にした後、何やらぶつぶつ呟いているダッシュ。<br>動画とは何のことだろうと首を捻るも、『指きり』や『膝枕』、『お姫様だっこ』等の動画データがナンバー毎にオモイカネ内に保存されていることアキは知らない。<br>精々ルリが寝てしまった時の物が保存されているだけだと考えているアキは、オモイカネからすればルリ程脅威ではなかっただろう。<br>張り合い始めたダッシュをよそに、アキは「跳ぶぞ」と声をかける。<br><br>『え、あ、了解しました。早く帰って来てくださいね？ 最近、ラピス夢見が悪いのですから』<br><br>ダッシュの言うことに、アキは覚えがあった。<br>ラピスが寝起きで泣き出したのが４ヶ月程前。<br>それからたまにラピスは眠れない等の理由から、アキに助けを求めたり、朝に泣いたりすることがあった。<br>理由は不明だが、ダッシュが言うには『一任して欲しい』とのこと。<br>身体は健康そのものなので、全く心配はいらないらしいが、アキも安心させてやれるならそうさせてやりたい。<br><br>「わかった。すぐに戻る」<br><br>アキの返事に合わせて、頭の負荷が楽になる感覚。<br>長距離の移動になると、ダッシュはアキの補助に入る。<br>安定しないのは事実なので、アキも純粋に有り難いと思う。<br><br>『跳躍準備完了。いつでもどうぞ』<br>「……ジャンプ」<br><br>淡い光の中に、アキは消えていく。<br>今日もまた、夜は更ける。<br>夜が続けばいつかは、また朝になる。<br>偽善的行為を幾ら続けても、本人がそれを偽善と言う限り、罪は癒されない。<br>罪滅ぼしとは、口ばかり。<br>この行為には、何の意味があるのだろう。<br>未来のため。<br>A級ジャンパーのため。<br>ナデシコのため。<br>言葉で飾っても、結局はアキの自己満足。<br>『わがまま』なのである。<br>アキもまた未来を決めかねる、独りの人間に過ぎないのだった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>秘匿艦ユーチャリス。<br>ナデシコＣの試験艦としてデータのみが舞台に立ち、そのまますぐに舞台を退いた高性能機動戦艦。<br>しかし、それはあくまで表舞台。<br>裏舞台では黒衣の王子ことアキと共に火星の後継者やコロニー防衛部隊と派手に攻防を繰り返したり、幽霊ロボットに幽霊戦艦と呼称され一部の勢力を震え上がらせたりしたのだが、今は『昔の事』。<br>この世界で、そんな事実は存在しない。<br>説明したところで、ボソンジャンプの表層面ですら解釈できていない技術力では、妄言、妄想、狂言以外の何物でもないだろう。<br>これまで、アキとダッシュが歩んで来た道のりも歴史も、夢と同じ。<br>二人の『想い』と『記憶』だけが、それを証明し、分かち合える唯一の物である。<br>結論で言うと、復讐の鬼と称された男も、ユーチャリスを単独制御する化け物級AIも、少女から見れば自慢の父親と母親でしかないのだ。<br>アキが帰って来る前に目が覚めてしまったラピス・ラズリは、ユーチャリスのブリッジに座り込んで、くりくりした瞳で目の前の物体を見つめる。<br><br>「…………」<br>『…………』<br><br>硝子玉が付いた黄色楕円に、六本の節足の付いたラピスと同じくらいの大きさの物体。<br>ぎこちない動きで前足を持ち上げて振り、『やぁ』とでもいいたげにラピスに挨拶する。<br>困惑するラピスに気が付いたのか、ダッシュもウィンドウでラピスの前に現れた。<br><br>『バッタ、と言います』<br>「ばった？」<br>『正確にはコバッタです。はい、ラピス、こんにちは』<br>「……こんにちは」<br><br>さすがに上手に前足を屈折させて、ぺこりと頭を下げるコバッタを前に、ラピスも挨拶しない訳にはいかない。<br>挨拶を返されたコバッタは、どことなく嬉しそうに体を揺らすと、またラピスに向かい合う。<br>ラピスが珍しく自分から起きて初めに目についたのは、ラピスの衣服を器用に背中に乗っけて部屋を出て行こうとするコバッタの姿だった。<br>当然、迎撃した。<br>背中に乗ってひっぱたいて、思いのほか堅くて手を痛くして涙目になったラピスを、ダッシュが説得して今に至る。<br>『そう言えば見せたことありませんでしたか』と納得げなダッシュに連れられて来たブリッジで説明を受けているラピス。<br>此処に来て早四ヶ月前後。<br>色々なところに連れて行ってもらったラピスではあるが、灯台下暗し。<br>ユーチャリスについてあまり詳しく知っている訳ではなかったのだ。<br>雑学、一般常識は元より、IFSやナノマシン工学もダッシュから習っていて、更に最近ハッキング技術まで覚えた少女は、多くを知りたいお年頃。<br>ちなみにハッキングやクラッキングについては『お父さんには内緒だぞ♪』の条件付きで教えて貰っているため、アキに褒めてもらえないことがラピスには残念であった。<br>ギチギチ、と機械音。<br>どこから鳴らしているのが、コバッタがまた何やらラピスの方に前足を伸ばしてきた。<br>何気なく、理解する。<br>『よろしく』と声がついてきそうなくらい、コバッタの握手の求め方は紳士的だった。<br><br>「・・・・・・よろしく」<br><br>前足を握って上下する。<br>背中の部分と違って、コバッタの足はゴム質で割と柔らかい。<br><br>『たくさんいるコバッタ君たちのお仕事は、ユーチャリス内の修理、整備、点検。その他にもお掃除にお洗濯、テレビの録画まで出来る凄いコたちなんですよ』<br>「……おー」<br>『しかも飛べます』<br><br>ダッシュの声に反応したように、コバッタ君の身体がふわりと宙に浮く。<br>脚を畳んで浮遊する姿からは、とてもテレビの録画まで出来るとは思えない。<br>ラピスは目を見開く。<br><br>「とんだっ！」<br>『ふふふ、わかりますかラピス、この凄さが！ コバッタ君はただの凄い家政婦さんとは違うのです！』<br><br>自信満々に話すダッシュと、ダッシュの言葉に興味津々純粋無垢なラピス。<br>やがてダッシュが続きを発する。<br><br>『貴女を乗せて飛ぶことも出来るのですよ！』<br>「————っ！？」<br><br>衝撃を受けるラピスを前に、ゆっくりと着地したコバッタ君は、六本足全てを曲げて姿勢を低くする。<br>ラピスは驚きと興奮から、少し躊躇い気味にコバッタの背に手を乗せた。<br>既にラピスの中では、前にダッシュに聴かせてもらった『浦島太郎』の亀ばりに、コバッタに跨って艦内を飛び回るラピスの姿がイメージされているあたり、ラピスが如何にこの数ヶ月ダッシュに毒されて来たかが分かるだろう。<br><br>「こばった……いいの？」<br><br>律儀にラピスがコバッタに声をかけると、コバッタはこれ以上ない程地面スレスレに頷いて見せた。<br>ダッシュも『ごーごー♪』と書かれたプラカードをウィンドウ内で持って回している。<br>いざ発進と、コバッタに跨ったところで、ラピスの体は比喩無く宙に浮いたのだった。<br><br>「……危ないから、また今度な」<br><br>自らの父の両手によって。<br>いつの間にか帰って来たアキに抱えられて、ブリッジに最近設置されたラピス専用の小さい椅子に座らせられる。<br>椅子は他にあるにはあるのだが、アキ用の物と誰の物か分からないラピスには少し大きい椅子の二つしかない。<br>小さい椅子。<br>思えば、これもコバッタが作ってくれたのかも知れない。<br><br>『お、おかえりなさい、マスター』<br>「ちょっと前からラピスの後ろで聴いていれば……お前と言うやつは」<br>『い、いやですねぇ、私はコバッタ君と一緒にラピスに歴史のお勉強を……あ、あれ、コバッタ君！？』<br><br>いつの間にか帰って来たアキとは対照的に、コバッタは危険を察知し既にブリッジを去っていた。<br>地球の歴史なら、ある程度ダッシュに習っている。<br>火星と地球の関係性から、現在は木星蜥蜴と言う無人兵器群と戦争していることまで教えられると、何故かダッシュが申し訳なさそうに授業を終わらせたのをラピスは覚えていた。<br>そう言えば、コバッタは無人機械じゃないのだろうか。<br>地球には機械を縮小無人化する技術もなければ、敵の技術力に対抗する手段が無いから劣勢だと習ったけれども、ユーチャリスにいるのは何なのだろう。<br>ユーチャリスは戦艦だとダッシュが言うのだから、戦うのだろうか。<br>そもそも、アキは何をしている人なのだろう。<br>疑問符がたくさん出て来たところで、自分の椅子に座りダッシュに説教を始めたアキが目に入り、思い出す。<br>ラピスは椅子から降りると、アキの横でアキの服を引く。<br><br>「ラピスに変なことを教えるなとあれほど…………ん？」<br>「……おかえり」<br><br>久しぶりに、言えた気がした。<br>いつも「おはよう」で始まる挨拶だから、ラピスから言えるのは久しぶりだ。<br>もしかしたら、初めてかも知れない。<br>アキを見ると、ラピスの方を向いたまま、何やら動きを止めていた。<br><br>「ああ……そうか。ここにも……」<br><br>複雑そうな表情をして、何か呟いているアキに、ラピスは首を傾げる。<br>ダッシュはダッシュで事情を知っているため、照れてるのか、本来ならオモイカネとルリに言われる筈の台詞をラピスに言われて困っているアキを見て『えへへー』と笑っていた。<br>ラピスには、訳が分からないこと。<br>折角座らせてもらった専用椅子に目もくれず、特等席であるアキの膝の上によじ登りちょこんと座る。<br>アキも慣れてしまったのか、登るのを手伝ってくれた。<br>ほふぅ、と一安心したように背中を預けて一息吐くと、ラピスは上を向いて口を開く。<br><br>「……なつかしい」<br><br>何も、考えずに呟いた。<br>何故、そう思ったのか分からない。<br>毎日毎日、暇になればアキの膝の上にいる筈なのに。<br><br>「懐かしい？」<br>「うん……へん？」<br>「いや、君がそう思うなら、間違いじゃないんだろう。このところ忙しくて構ってやれなかった」<br><br>アキに頭を撫でられながら、仲良くぼんやりと座る二人。<br>ぼんやりしながら、取り立てて意味の無い話をしながら、アキと一緒に過ごす時間。<br>こういう時間がラピスは大好きだけれども、必ずと言って良いほどの確率で邪魔が入る。<br><br>『……いいもん、いいもん。私なんか……幸せになってほしいけど……マスターは私の……私だって頑張ってるのに……』<br><br>グチグチと何やらわざとらしく聴こえる声に、ラピスはぷぅっ、と頬を膨らませて応戦する。<br>アキはアキで気付いていないのか、不思議そうに首を傾げていた。<br>仲の良いダッシュとラピスではあるものの、水面下ではある一点で仲良くなることは出来ないのだった。<br><br>「おとうさん」<br>「ん、何だ？」<br><br>ダッシュを気にしていても仕方がない。<br>ダッシュは四六時中アキと一緒にいるけれど、ラピスはそうは行かないのだ。<br>アキの膝の上で膝立ちして、丁度顔同士が同じくらいになるように向かい合う。<br>前から気になっていたことを、言おう。<br>おずおずと、口に出して見る。<br><br>「それ……とってもいい？」<br><br>瞬間、足場がガクンと揺れた。<br>ラピスが指指した『それ』とは、アキの顔を隠す黒い板。<br>何の意味があるか知らないラピスは、純粋に素顔を見てみたくて言ったのだが、アキはまるで死活問題のように慌ててバイザーを押さえ、ラピスから顔を反らした。<br>心なしか、動揺を隠しきれずに青い顔をしているように見える。<br><br>「だ、駄目だ」<br><br>声は上擦って、明らかに動揺していた。<br>ラピスは相手の言うことを素直に受け止め、ダメなことはダメ、良いことは良いを自分で判断できる今時珍しい少女である。<br>それとは別にダッシュに『わがまま』の使い時をしっかりと教わっていた。<br><br>「…………んー」<br><br>唸りながら、手を伸ばす。<br>ラピスの行動に驚き、アキは顔を更に遠ざけるも、人体の限界かそれ以上は遠ざかることはできない。<br><br>「ラ、ラピス、見ても何も面白くないから。だからな……」<br>「や……みたいの」<br>『ああ、ラピス。立派に成長して……素敵な女の子になりましたね』<br><br>素敵の在り方がずれているダッシュの応援を受けて、ラピスは遂にひしっとバイザーを掴んだ。<br>アキもラピスをひっぺがすことは出来ないのか、バイザーを中央からヤケクソ気味に押さえている。<br><br>「ダッシュ……あとで覚えていろ」<br>『それではまるで悪役みたいですよ。いいじゃないですか、ラピスになら見せてあげても』<br>「しかし……あ」<br><br>アキがダッシュとの会話に意識が逸れた隙を突いて、ラピスばバイザーを引っ張っるベクトルを下にずらして剥ぎ取った。<br><br>「…………」<br>「…………」<br>『……あー、本当にやっちゃいましたか』<br><br>二人が沈黙してしまう中、ダッシュだけは言葉と裏腹に明るい声を発していた。<br>現れたのは、あまりに普通の顔。<br>想像に容易い、『アキ』と言う人間の顔だった。<br>不要な目を瞑った、不揃いでも無く、完璧な二枚目でもない、整った顔立ち。<br>顔の端に冷や汗をかいて、ラピスと向かい合うアキの紛れもない素顔。<br>突拍子もない、思いつき。<br>顔を見たい。<br>そう、思っただけだ。<br><br>「う……あ……」<br><br>なら、何故自分はまた涙を流しているのだろう。<br>アキの顔を見て、喜びこそすれでも、涙する理由はない。<br>アキの瞑ったままの目が、とても痛々しくて、悲しくて。<br>目は、ラピスがアキに会った時から見えなかったのだ。<br>何故、今更になって悲しむのか。<br>アキの顔を見ていると、何か思い出せそうで、何も思い出せなくて、益々悲しい。<br><br>「……ラピス？」<br>『あ、あれ？ ラピス？』<br><br>予想外の出来事に、疑問符を浮かべるアキどダッシュに言葉を返すことができなくて、ラピスはアキの胸に飛びついた。<br>懐かしいと、思った時と同じ、訳が分からない突然の感情。<br>アキを知る度に、アキに接する度に、何か分からない物が、ラピスの内側から湧き出してくる。<br>不快じゃない、変な物。<br>異物であるのに、異物じゃない物。<br><br>『マスター……また泣かせましたね。ちょっとくらい笑ってあげても』<br>「……そんなに恐いか？」<br><br>恐怖とは別の、安堵や、それに近い何かだった気がする。<br>たまに夢を見れなくて、『少女』に会えなくて、アキに飛びつくのと同じ。<br>言い寄れない寂しさから、誰かがいる安堵を感じた時の想い。<br>ラピスはいつものようにアキに背中をぽんぽんとされてあやされながら、二人の言葉を否定しようと首を振るのだった。<br><br><br><br><br><br><br><br>寝かされて、ベッドに横たわるラピスに布団をかけると、アキはダッシュに声をかける。<br><br>「やっぱり……不安なんじゃないのか？」<br>『いえ、マスターといる分には安心してるのですよ、ラピスは』<br><br>ラピスは、感受性が高くなってきている。<br>感動しやすいと言うか、感嘆を口に出すことが多い。<br>それも、初めてアキに泣きついたあの日からの出来事だ。<br>本質がそうだったのかも知れないが、感情の成長が、アキには早すぎるような気がしてならなかった。<br><br>「俺は、何をしてやればいい？」<br>『側にいて、手を握ってあげてください。今貴方がラピスから離れるのは、このコにとってば自分を見失いかねません』<br><br>ダッシュは、ラピスの底をしるようにアキに話すと、アキは嘆息吐いてラピスの横に座り、手を握った。<br><br>「ラピスに、なにか起こっているのか？」<br><br>アキが言うと、ウィンドウのダッシュは小さく微笑んで応えた。<br><br>『マスターが考えるような、悪いことではありません。そうですね……折り合い付いてない、が一番近いですか。言葉にはできませんよ』<br>「……そうか」<br><br>そう言うと、アキは言葉を続けなかった。<br>ダッシュは、恐る恐るアキに言葉をかける。<br><br>『詳しく……聞かないのですか？』<br><br>ダッシュの言葉は、全て曖昧だった。<br>理由を聞かないアキを怪訝に思うのは、当然の事。<br>アキは苦笑すると、ダッシュに応える。<br><br>「今更、信用や信頼が必要か？」<br>『マスター……』<br>「俺では力不足なんだろう。元より信じている……頼んだぞ、相棒」<br>『は、はいっ！ もちろんです！』<br><br>感極まったダッシュの声に、アキは笑みを濃くすると、二人はラピスが目覚めるまでの間、ラピスを見つめていた。
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418165587.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 15:01:28 +0900</pubDate>
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<title>06</title>
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<![CDATA[ <br><br>パチッと、大きな瞳を見開いた。<br>目を覚ます。<br>同時に、違和感。<br>本当に自分は目を覚ましたのだろうかと、ラピス・ラズリは考える。<br>起きて一番に目に入る光景がブリッジ。<br>少なくとも、ユーチャリスのブリッジで立ったまま眠った覚えはない。<br>キョロキョロと辺りを見回した後、更なる違和感を感じ取る。<br>どこか、違う。<br>何もかもがラピスの知っている光景なのに、決定的に何かが違う。<br>ダッシュが、いない。<br>アキが、いない。<br>この場所で、この空間で孤独を感じた事は、初めてかも知れない。<br>アキが居なくても、ダッシュが話し相手になってくれる。<br>毎晩アキが出かけていくのを見送った後に、こっそり起きて来て帰りを待って、ダッシュに窘められ、結局一緒にお話して。<br>そう言えば、昨日は何時眠ってしまったのだろう。<br>眠らなければ、起きることはできない。<br>ロン毛の男から逃げて、アキと一緒に海に行って、どうやったか問い詰めて、ちっちゃい蟹を捕まえて、アキに言われて逃がしてあげて……。<br>何時、帰ってきたのだろう。<br>何処で、眠ったのだろう。<br>不明。<br>記憶にない。<br>記憶にないなら、わからない。<br>考えてわからないことなら、聞いてみよう。<br>ラピスは改めてダッシュを呼ぼうと口を開き、途中でやめた。<br><br>「あ」<br><br>声が漏れ、気が付く。<br><br>床に、足が着いていない。<br><br>驚いて足を動かすと、バタ足でもするかのように上へ、上へ。<br>手をばたつかせると、上下左右に舵がとれる。<br><br>「……ういてる」<br><br>まるで無重力。<br>慣れない動きで、床に着地するように努力するも、途中で力尽きる。<br>ラピスの体力は、先天的に期待できないのだそうだ。<br>もがいてもがいて何とか上を向いた状態を維持したところで、ラピスは気づいた。<br>これは、存外に楽しい。<br>なんといっても浮いているのだ。<br>アキでも、こんなことは出来ないかも知れない。<br><br>「……ううん」<br><br>できる。<br>多分、できる。<br>ラピスは首をふるふると振って、尊敬する父の浮遊する姿に思いを馳せた。<br>前向き思考はダッシュに、天然な部分はアキに似てしまったラピスは、ふよふよと浮遊しながらブリッジを遊泳する。<br>ダッシュも、留守のようだ。<br>ダッシュは前に自分はユーチャリスの守神だと言っていた。<br>守神が、留守にしてていいのだろうか。<br>今ラピスがしている行動も、もしダッシュに見られたら止められているんだろうなぁ、とラピスが考えた時だった。<br><br>『ラピス、おかえりなさい』<br><br>ビクッと身を固め、ラピスはその場で静止する。<br>びっくりした。<br>心臓が止まるかと思った。<br>ラピスはひとまず謝ろうとダッシュを捜すが、ブリッジ内にダッシュの姿は見つからない。<br>ウィンドウが、見当たらない。<br>四苦八苦しながらも、ラピスは一度床に降り立つ。<br><br>『マスターは、どうしました？』<br>「先に寝る、そう言ってた」<br>『もう……』<br><br>今度こそ、本当にラピスの心臓は止まる所だった。<br>第三者の声。<br>アキでも、ダッシュでもない。<br>無論、ラピスは喋っていない。<br>声は、背後から。<br>ダッシュと親しげに会話をしている。<br>ラピスが恐る恐る振り向くが、目の前に立っている人物を、初めて理解することが出来なかった。<br>わたしだ。<br>違う。<br>おかあさんだ。<br>違う。<br>二重の否定を更に二度繰り返して、ラピスは結論に辿り着く。<br>目の前の少女は、ラピスでもダッシュでもない。<br>薄桃色の髪も、琥珀色の瞳も同じ。<br>幼さを残した顔立ちも同じ。<br>ラピスには少しブカブカなパジャマも同じ、しかも向こうはぴったりだ。<br>ラピスよりは年上、ダッシュよりは年下。<br>ラピス・ラズリととても良く似た少女は、ラピスを無視するかのように横切ると、ブリッジの中央に移動する。<br><br>「私も寝る。おやすみ」<br>『はい。おやすみなさい、ラピス。あ、マスターの布団に行ったらダメですよ？』<br>「……うん、善処する」<br><br>ダッシュは、ラピスではない少女と会話している。<br>何の違和感もなく。<br>ラピスという存在に全く気付かずに。<br>忘れてしまったのだろうか。<br>楽しげに会話する二人の声を聴きながら、自らの居場所を失ったような不安を覚えながら、『アキの布団～』のくだりにはしっかり反応してラピスは苛立ちを覚え少女を睨みつけた。<br>ラピスもまだ入ったこともないのに、何処の誰とも知らない偽物にさせる訳にはいかない。<br>暖簾に腕押し。<br>少女もダッシュも、ラピスに気付く様子はない。<br>いつもと違い、少しだけ母の問答は機械的で、誰か別な人のように——。<br><br>『そんな言葉、どこで覚えて来るんですか……エリナですね。まったく、あの人は……』<br>「……ダッシュが曖昧な表現をしたい時に使いなさいって」<br>『さ、よい子は眠る時間ですよ？ 善処、良い言葉ですね』<br><br><br>…………良かった、いつもの母だ。<br><br><br>ラピスは一抹の不安を消し去ると、ブリッジを出ていく少女を見る。<br>少女はダッシュの言葉に表情一つ変えない。<br>冷たい、人形のような表情。<br>多少の柔らかさ、固さはあっても、無表情は変わらない。<br>違う。<br>他の表情の作り方を知らないんだ。<br>こんな表情の、少女のような存在をラピスは知っている。<br>沢山の試験管の仲間達。<br>マシンチャイルド。<br>辛く苦しい研究所。<br>いや、辛く苦しいのかも分からなかったあの場所から出て、他の個体は今どうしているだろうか。<br>ラピスのように、『楽しさ』を理解できているだろうか。<br>ラピスが考えを巡らしていると、いつの間にか、ブリッジを出ていこうとしていた少女が、こちらを向いているのに気付く。<br>ダッシュのウィンドウは、何故か無い。<br>つまり、ラピスが見えているのだろう。<br><br>「一緒に、来る？」<br><br>少女の口から発せられた言葉は、間違いなくラピスに向けられた物。<br>ここに居ても仕方がない。<br>ダッシュは気付いてくれないし、アキはもう眠ったのだろう。<br>ラピスはコクンと頷いて、少女に付いていこうとするも、ふわついて前に進めない。<br><br>それを見ていた少女が、クスッと笑った。<br><br>ラピスは、驚く。<br>ラピス自身、また上手く笑えない。<br>無自覚に笑うことはダッシュが確認済みだが、ラピスはそのことを知らない。<br>自分の顔で、自分の笑顔を見せられる。<br>ラピスは変な感じを覚えつつ、ジタバタしていると、少女が寄ってきてラピスの手を取った。<br><br>「ラピス・ラズリは、笑えないと思った？ 私は笑えるよ……今は、ね」<br><br>少女に手を引かれ、ラピスは釈然としない顔でゆらゆら引っ張られていく。<br>何か、へん。<br>ダッシュと話していた時と、少女の雰囲気が変わった気がする。<br>話し方も、ラピスはこんな話し方じゃない。<br>重さを感じないのか、てくてくと歩いていく少女を見つめて、ラピスは結論を出した。<br><br><br>やっぱり、偽物だ。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>連れてこられた場所は、ラピスの部屋。<br>ベッドに、IFS端末に、くまのぬいぐるみ。<br>最近教えてもらったことだけれど、あのでっかい長方形の木の箱は洋服箪笥らしい。<br>全部ラピスの服が入っていたのを覚えている。<br>不思議な顔をして「なんで？」と問い掛けても、ダッシュは苦笑してはぐらかすだけだった。<br><br>「初めまして、ラピス・ラズリ」<br><br>声にハッとして、ラピスは顔を向ける。<br>ラピスをここまで連れて来た少女は、ベッドの端に腰掛けて浮遊しているラピスを見上げていた。<br>何だろう。<br>怖い。<br>ラピスを見る目が、怖い。<br>いや、ラピスがもう一人のラピスに怯えているだけなのかもしれない。<br>ラピスは、勇気を出して口を開く。<br><br>「だれ？」<br>「ラピス・ラズリ」<br>「……ちがう」<br>「違わないよ。私はラピス・ラズリじゃない？」<br>「ううん。ラピス・ラズリ」<br><br>おかしいのは分かっていても、あれはラピス・ラズリ。<br>自分と同じ、ラピス・ラズリ。<br>認めたくなくても、分かるのだから仕方がない。<br>立ち上がった『ラピス・ラズリ』は、またラピスに近づくと、上手く動けないラピスの手を引いてベッドに座らせると、自分もその隣に座る。<br>「大丈夫？ 気持ち悪くない？」なんて言って心配までしてくる始末。<br>ぜんぶ、へんなの。<br>そこで、ラピスは自分の置かれている状況に気が付く。<br>夢。<br>当たり前だ。<br>二人のラピス・ラズリ。<br>もう一人の大きな自分。<br>ラピスを無視するダッシュ。<br>有り得ない。<br>夢と呼ばれるものを、ラピスは初めて見ることができた。<br><br>「ラピスは……今、幸せ？」<br><br>『ラピス・ラズリ』が聞いてくる。<br>幸せ。<br>幸せってどんな状態を言うのだろうと、ラパスは考える。<br>定義が無くてラピスが決めていいものなら、アキとダッシュとラピスの三人でいる今が、ラピスにとって幸せ。<br><br>「うん。しあわせ」<br>「そう……良かった」<br><br>ニコッと笑って、少女はラピスに微笑んでいた。<br>笑えている。<br>その顔は笑えているのに、あまり嬉しそうじゃない。<br>ラピスは首を傾げて問いかける。<br><br>「おねえさん……は？」<br>「お姉さんって、私？」<br>「うん」<br>「そうだね、ラピスが二人じゃ紛らわしいし……じゃあ、私がラピスのお姉ちゃんでいい？」<br>「うん。いいよ」<br><br>お姉ちゃんは、ラピスの中には無い存在。<br>お父さんも、お母さんも、ラピスにはとても温かい存在だった。<br>お姉ちゃんも、きっと温かいものなのだろう。<br>ラピスの体が、ぐっと引き寄せられる。<br>少女がラピスの手を引いて、一回り小さいラピスの体を抱きかかえるようにギュッと押さえていた。<br><br>「お、おねえちゃん？」<br>「私は……今はちょっと幸せじゃないんだ」<br><br>悲しそうな声が、ラピスの背中から聞こえた。<br>おでこをラピスの後頭部にコツンとして、小さな声で、泣きそうな声でラピスに語りかけている。<br><br>「……どうして？」<br>「どうしてだろう、私は、そっちに行けなかった……からかな」<br>「いけなかった？」<br>「うん…………はい、私の話はおしまいっ！ ラピスの幸せ、聴かせてくれる？」<br>「え、あ、え、え……っと」<br><br>さらにギゥッとラピスを抱き締めて、耳元で囁かれる。<br>さっきの悲しげな雰囲気は何処にいったのか、急に明るく振る舞って来る少女に、ラピスは戸惑う。<br>もう一人のラピスに、不信感なんか最早ラピスは持っていなかった。<br>夢でもいい。<br>姉が居たら、こんな風に会話してギュッとして貰って、一緒に居られるのだろうか。<br>とにかく答えないと、「こちょこちょしちゃうぞ～」なんて言ってる後ろの人物に何をされるか分かったものじゃない。<br><br>「あのね……おとうさんと、おかあさんが……」<br><br>話し始める。<br>父と母に助けられて、一緒に過ごして、色んな事を教えられて。<br>そんなに多く話す出来事はない。<br>ラピスが感じた事、ラピスが思った事、ラピスが今どんな気持ちであるかを、一つ一つ少女に伝える。<br>毎日ぼんやりと母と会話するのが日課であることや、父にお風呂に入れて貰うこと、寝るまでそばに居て手を握っていてくれること、朝は起こして貰ってちゃんと目が覚めるまでの間に髪をとかして貰って、そう言えば最近、父の膝の上で眠ったことがあるような……まで話したところで、何故かラピスを抱き締める手の力が強くなって来たので止めることにした。<br>寒気のような物を感じる。<br>顔が見えないのに「ふふふふふ」とかはやめてほしいとラピスは思いながら、手を緩めて貰う。<br><br>「……いたい」<br>「あ、ごめん……そっか、ラピスは幸せそうだね。なら、いっか」<br>「なにが？」<br>「ん、何でもないよ。それじゃ、そろそろ時間だから」<br><br>少女は手を解いてラピスを離す。<br>ふわりと舞い上がったラピスは、少女を見ると、少女は笑顔のまま、ラピスに手を振っていた。<br><br>「じかん？」<br>「お別れの時間。ばいばい、ラピス。楽しかったよ」<br><br>少女は、笑顔。<br>泣きそうな、消えそうな、悲しい笑顔。<br>お別れをしたら、もう会えない。<br>せっかく仲良くなった姉に、泣いてほしくない。<br>例え、それが夢の中の出来事でも。<br>ラピスは体を精一杯動かして、少女の手を掴んだ。<br><br>「また、あえる？」<br><br>少女は驚いたように目を見開いてから、両手でラピスを愛おしげに抱き締めた。<br>抱擁を、ラピスは黙って受け入れる。<br><br>「どうかな……ラピスが……呼んでくれたら、あえるかもね」<br><br>返って来た声は掠れていて、少女の体は小刻みに震えていた。<br>不安、なのだろうか。<br>離れてしまうのが。<br>もう一度会えるのかが。<br>少女がラピスを抱き締めるてくれたように、ラピスも少女が安心できるように抱き締める。<br>アキにこうしてもらうと、とても安心できるのをラピスは知っている。<br>少女は、知らないのだろうか。<br>知らないなら、自分は代わりになれるだろうか。<br>ラピスは頬を寄せ合い、小さな力で『ラピス』を抱き締めた。<br><br>「よぶ。ぜったい」<br>「……いいの？ 今度は私、ラピスに悪いこと…………するかもよ？ ラピスのいる場所、羨ましくて……う、ぅ………ラ、ラピスの代わりになりたくて」<br><br>もう、泣いてしまっているのかも知れない。<br>震えながら言葉を続ける少女を、ラピスはとても愛おしく感じていた。<br>ラピス・ラズリは、自分であり、この少女。<br>これが今、ラピスの認識の中にはあった。<br>自己愛でも家族愛でも無く、ただ、抱き締めていたい。<br>安心させてあげたい。<br>もっと一緒にいてあげたい。<br>もっと一緒に、あるべきだ。<br>ラピスは耳元で呟き返す。<br><br>「なかないで……おねえちゃん」<br>「泣いてない、よぉ……私は、ラピスのお姉ちゃん……なん、だから」<br><br>意地っ張りなのか、頑固なのか。<br>何故か、姉のそんなところがアキに似ているとラピスは思った。<br>ふと、ラピスは自分の体を見る。<br>段々向こう側が透けて、薄くなっていた。<br>意識も希薄になって、抱き締めている感覚も抜けていく。<br>まだ、伝えてきっていないことがある。<br>少女の耳元に、ラピスは口を寄せた。<br><br>「ま……た、ね」<br>「……うん。ラピスも……ちゃんと『お父さん』にお礼言わないと、ダメだよ……海、連れてってもらったんでしょ？」<br><br>ラピスは少女の言葉に思い出す。<br><br>『海、連れてって』<br><br>前に、寝る前にアキに頼んだのだ。<br>今の今まで、思い出せないでいたこと。<br>アキは、ずっと覚えていてラピスを海に連れていってくれた。<br>嬉しい。<br>そして、疑問。<br>思い出すと同時に、何故少女が知っているのか、気になった。<br>少女がラピスなら、知っていて当然かも知れないけれど、それならラピスの口から父や母について聴く必要はなかった筈だ。<br>いいか。<br>お互いがラピス・ラズリという存在なのだから、それでいい。<br>僅かな疑問を抱き、奇妙な回答を得ると、ラピスは意識を閉じる。<br>ゆっくりラピスの体は消え去ると同時に、少女の体も離れ、その場から消え去った。<br>何も、残らない。<br>あとには部屋も、人も居なくなった、真っ暗な空間が広がっていた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>ばっ、と身を起こした。<br>低血圧なラピスがこんな起き方をするのは、初めてのこと。<br>いつもはアキな起こされ「やぁ」とか「うぅ」とか唸りながらのそのそと起きるラピス。<br>当然こんな起き方をすれば頭に血が回らずぐらぐらするし、起こしに来ていた人も、当然驚く。<br>キョロキョロと顔振って、ベッドの側にいる狼狽した様子の人物を見つける。<br><br>「な、なんだ？」<br><br>ベッドから飛び出し、アキに飛び付く。<br>あったかかった。<br>それ以上に、自分の中に大きな喪失感があった。<br>大切な物を置いてきてしまったような、大きな穴が空いてしまったような。<br>何も出来なかった自分が、悲しかった。<br>実際には出来ていたのかも知れないけれど、ラピスには満足がいかない。<br>ラピスはギュッとアキの衣服を掴むと、ベッドの高さを利用してアキの胸に顔を埋める。<br>海のこと、お礼言わないと。<br>ラピスが、今しなければいけないこと。<br>大切な『姉』に思い出させてもらったこと。<br>言わないと、言わないと。<br><br>「怖い夢でも見たのか？」<br><br>アキの問いに、ラピスは何も言えず、ただ首を振る。<br>察したのか、慣れているのか、アキはそれ以上何も言わずに、抱き締めてくれた。<br>大きな体がラピスを包む。<br>抱擁。<br>相手を安心させるための、抱擁。<br>ラピスは、確かに安心している。<br>それなのに、ますます悲しくなって、ますますアキにすり寄った。<br>誰かの悲しみが自分に流れ込んでいるかのように、ラピスの気分は晴れることはない。<br>嬉しいのに、悲しい。<br>酷い、矛盾。<br>こみ上げてくる嗚咽を時には飲み込み、時には漏らして、ラピスはアキに包まれた。<br>アキに背中をぽんぽんと軽く叩かれて、あやされる。<br>そんなことを数分もされていると、ラピスも少しずつ落ち着いてきた様子で呼吸を整えていく。<br><br>『おはようございます、ラピ…………朝から何で、泣かしてるんですか、マスター』<br>「…………俺か？」<br>「……ん、ん……う…ぅぅっ…」<br><br>アキの言葉を否定しながら、少し大きく嗚咽が漏れる。<br>アキはラピスが我慢しているのを分かったのか、困惑しながらも背中をさすってくれた。<br><br>「……よしよし」<br>『……あ、それお父さんっぽい』<br><br>何も言わない申し訳なさから、アキは困り顔で言葉を紡ぐ。<br>ダッシュも上手く状況を飲み込んではいないのか、アキに合わせている。<br>一方でラピスは涙を止められない。<br>泣いても、泣いても、泣き足りない。<br>アキもダッシュも、困っているのだろう。<br>ラピスは、自分でも何故泣いているのかわからないまま泣き続ける。<br>ラピスはそれからしばらくの間、アキの腕の中で嗚咽をこらえていた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>ダッシュはブリッジの椅子に腰掛けたラピスと対面していた。<br>文字通り、ラピスとダッシュのウィンドウが向かい合って、顔を見合わせている。<br>ラピスの顔は泣いたために、目は赤く、疲労の色も僅かに見えた。<br>ダッシュはウィンドウの中で形だけ嘆息する。<br>アキには『女の子同士の話し合い』と言って退出してもらったが、ダッシュを怪訝そうな目で見て「女の子……？」と言われた時は、ダッシュの理性もあと僅かで崩壊するところであった。<br>それはそれとして、ラピスに事情を聞くために二人っきりなったのだから、あんまり無言になってラピスに責められていると勘違いされてはいけない。<br><br>『どうして泣いていたのですか？ マスターに悪いことされましたか？』<br>「おとうさんはわるくないっ！」<br><br>返答までの間は一秒に満たない。<br>若干、ファザコンの気が目立つようになってきた気がするのは、ダッシュの気のせいだろうか。<br>頬を僅か紅潮させ、膨らますラピス。<br>あれは割と本気で怒っている時の仕草だ。<br><br>『冗談ですよ。それで、本当に怖い夢だったのですね？ どこか痛いとかでは？』<br>「……うん。でも、こわいのじゃない」<br>『どういうことでしょう？』<br><br>困ったように顔を俯けるラピスを、ダッシュは落ち着かせながら話を促す。<br>ラピスは、そのまま小さく呟いた。<br><br>「おねえちゃんが、いたの」<br>『お姉ちゃん？』<br>「うん」<br><br>ラピスから聞いた断片的な話を纏めると、ラピスは夢の中のユーチャリスで、自分そっくりな人物と出会い、打ち解け、姉と妹の仲になり、起きてしまったと言う訳だ。<br>ダッシュも情報の中にそれに類似したものがある。<br>夢の中で親友を作ったり、夢の中で出会った人と恋人になったり、夢の中で兄弟姉妹ができたり。<br>夢の中では全てが可能であり、不可能。<br>どんなに無限に近い時間の中で仲良くなっても、どんなに親しい間柄になっても、どんなに愛しく想っても、夢が覚めれば現実がある。<br>あまり覚えていない人なら、まだいいだろう。<br>細部まで記憶してしまった人は、それこそ家族を失ったような、身を裂かれたような喪失感に苛まれることだろう。<br>ラピスも、その一人。<br>現状に満足でなかった訳ではないようだが、初めて父を持って、母を持って、他の『家族』と言うカテゴリーに興味があったのかも知れない。<br>何より姉妹や兄弟など一般的ことを教えたのはダッシュだ。<br>アキに責任は全くない。<br>今すべきことは、ラピスを慰めること。<br>ダッシュは微笑んで、俯き気味のラピスを見る。<br><br>『……良いお姉さんでしたか？』<br>「うん……でも、あんまりしゃべれなかった」<br>『それでも、ラピスが懐いたのですから。どんなお名前でした？』<br><br>何気ないダッシュの問いにラピスは顔をあげて、再度俯いて答える。<br><br>「……ラピス・ラズリ」<br>『へ？』<br>「おねえちゃんも、ラピス・ラズリ。わたしよりおおきい、ラピス・ラズリ」<br><br>自信を持っているのか、まん丸なラピスの目はダッシュを捉えて言葉を続ける。<br>その言葉に、ダッシュはピクリと、反応を示す。<br>何か、変な感じがした。<br><br>『お姉さん、最初何かしてましたか？』<br>「へんなおかあさんとおはなししてた。おかあさん、こえだけだった」<br><br>声だけのダッシュを知る人間は、この世界でアキくらいだろう。<br>ダッシュは、続けてラピスに問う。<br><br>『……何か、聞かれました？』<br><br>何故か良く話すラピスは、ダッシュに向かい口を開く。<br><br>「しあわせか……って」<br>『…………そうですか。変なことを聞いてすみません。マスターに髪とかしてもらって来てください。ぐっしゃぐしゃですよ？』<br>「あ……ほんとだ」<br><br>余程寝相が悪いのか、ラピスの長い髪は朝は大抵こんな感じだ。<br>その度にアキが直しているのもまた、数年前からの日課と言える。<br>ダッシュはすっかり元気になって走っていくラピスを見送ると、独りブリッジで思考に耽る。<br>何だろう。<br>姉。<br>ラピスには、そっくりな姉がいるにはいる。<br>正確には、いた。<br>二度と会えない、確率上は再開は有り得ない。<br><br>『また見るようなら……私も何かしらの手を打たなければなりませんか』<br><br>独り呟いて、ダッシュはウィンドウを閉じた。<br>ネットワークを、錯綜する。<br>いつもいつも、ユーチャリスにはアクシデントが絶えないものだ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418165487.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 15:01:17 +0900</pubDate>
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<title>05</title>
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<![CDATA[ <br>今日は何処へ行くのだろう。<br>明日は何処へ行くのだろう。<br>見たことのない場所には、新しい世界という意味も含まれている。<br>今、自分が見て理解している世界が、その人物にとっての世界の『全て』。<br>ならば、視野を広めるということは、それだけ自分の世界を広げるということ。<br>それは沢山学ぶことや、より多くを知ることに繋がり、必ず自分の将来を助ける。<br><br>らしい。<br><br>少女、ラピス・ラズリは歩みを進めながら、昨日母が噛み砕いて教えてくれたことを取り込んでいく。<br>哲学的な面での話と付け加えていたが、ラピスには半分程しか理解できていない。<br>視野や世界と言われても、ラピスにとって新しい物を見るというのは、それ自体に価値がある。<br>綺麗なものを綺麗と、見たいものを見たいと。<br>それは、ダッシュにはないかも知れない、幼いラピスの純粋さの表れ。<br>特に狭く暗い研究室で人生の大半を送っていたラピスにとって、広い場所や、走って回れる場所というのは新鮮でならなかった。<br>見たことのない風景。<br>少し年寄りの考えにも似ているが、父に連れられて街や自然を巡る散歩や、母に見せもらう映像データがラピスにとってはこの上ない楽しみである。<br>忘れてはならない大切なことは、やはり両親。<br>何事も、独りでは寂しい。<br>日常にしても、如何なる場合でも、一緒にいてくれる人がいることは、とても大切な事だと、幼いながらもラピスは思う。<br>それをラピスに実感させるのは、家族の存在。<br>ラピスが両親に出逢って一月程、その日からラピスの生活サイクルは一変した。<br>一日中瓶に詰められていたような毎日、今はこうしておとうさんと一緒にお買い物。<br>「おつかいは、もう少し大きくなってから」との言葉は、残念ではあるがラピスがアキに言われた一言。<br>随分前に、ラピスは一人でおつかいにいった。<br>結果、エラいことに。<br>買うものは買えた上に、お店にも一人で行けたし、注文も一人で出来た。<br>母にも、頼らなかったのに。<br>ちゃんと、全部できたのに。<br>失敗した訳ではないのにと、ラピス自身、あのヘンな頭の男の存在を許すことはできなかった。<br>もう少しで、褒められた筈だったのに。<br>あとちょっとで、褒めてもらえたのに。<br>考えただけで、面白くなかった。<br>ラピスは顔をふるふると振って、アキの更に近く駆け寄る。<br>今日のラピスは髪を束ねていない。<br>その代わりに、頭にはラピスの父に貰った麦藁帽子。<br>ピンク色のリボン付きの、お気に入り。<br>店内なので、帽子は胸に抱えて持つ。<br>直射日光を防ぐためのものらしいが、ラピスは日差しの強くない日でも大事に使っている。<br>アキから貰った物。<br>これは、大事な物だ。<br>そう思い、ラピスは少しだけ力を込めて、ぎゅっと麦藁帽子を抱いた。<br>ラピスが父に駆け寄ると、アキは何やら困ったように一人の男と話していた。<br>ラピスが母に教えてもらった事と照らし合わせると、男はどうも警察官という職業の人間。<br>「誘拐」とか「不審者」とかと言う単語が聴こえてくるが、ラピスの目には警察官がアキをいじめているようにしか写らなかった。<br>それに、結構頻繁にこういう事があるため、ラピスも何をどうすれば良いか分かっている。<br>ととっ、と軽快にアキに駆け寄ると、真っ黒マントの端を握って、ラピスは警察官を見上げる。<br><br>「……おとうさん」<br><br>一言呟くと、アキも警察官もラピスに目を丸くする。<br>べー、と舌を突き出してやりたかったが、それは随分前にアキに止められていたので断念した。<br>そのあとそれを教えてくれた母がアキに説教されていたのが、ラピスにとって印象的である。<br>不機嫌丸出しなラピスに焦るアキとは違い、警察官は冷静さを取り戻して、ラピスに話し掛けようとしてきた。<br><br>「ええと、君の……」<br>「おとうさん、なのっ」<br><br>ラピスの二言目で、いつも警察官は撤収する。<br>もちろんアキに謝罪してから。<br><br>いつも、こう。<br><br>職務質問と言うらしいが、たまにラピスがアキから離れて歩いていると良くされることがある。<br>だからこうして、ラピスはアキの側に寄ってマントの端を握る。<br>手を繋いでくれる場合は、ラピスが手を差し出した時。<br>思い出されるのは『公僕ですと、私はちょっと……』と、しゅんとしていた母。<br>それもこれも、アキがラピスを娘だと主張してくれないのに問題がある。<br>ラピスはアキを「おとうさん」と呼ぶ。<br>親愛を込めて、そう呼ぶ。<br>しかしアキは、ラピスがアキを父だと主張すると、困った表情を濃くするのだ。<br><br>「……いや？」<br>「ん？」<br><br>ラピスが不安げな表情でアキに問う。<br>首を傾げるアキ。<br>表情を余り変えない代わりに、アキは首を傾げたりと態度で何を考えているか分かることがある。<br>アキも、同じ。<br>口数の少ないラピスの言っていること、ラピスが何をしたいか、お互いを読み取ることに関しては、アキは母に負けない筈だ。<br>アキはしゃがみ込むと、ラピスに視線を合わせる。<br><br>「父親は……柄じゃない」<br>「がら……？」<br>「似合ってない、ということだ」<br><br>ちゃんと、アキは分かってくれる。<br>ラピスが疑問に思うことも、不安に思うことも。<br>言葉が足りなくても、心が通っているから。<br>模倣した、見本を真似た偽りの家族じゃない。<br>母も父も、何の繋がりもないなんて、絶対に言われたくない。<br>だから、ラピスはアキを呼ぶ。<br><br>「おとう……さん」<br><br>言葉と一緒に、一歩前に出て、抱きついた。<br>アキは驚いたようにしていたが、ラピスの様子を確かめると、そのまま抱き上げる。<br>ラピスを抱っこしたまま、アキは歩き出し、話だす。<br><br>「俺は、家族を守れたことがない」<br>「……かぞく？」<br>「怖いんだ。大事な者を失うことが」<br>「おとうさんも、こわいの？」<br><br>ラピスの問いに、アキは黙って頷いた。<br>守れなかった。<br>ラピスは、失ったことはない。<br>大事だと、無くなるのが怖いと思えるものを得たのは、これが初めてだから。<br>今、ラピスが二人を失ったら、ラピスは本当に空っぽになってしまうだろう。<br>それと同じくらい、アキも自分を大事に思ってくれるのだろうかとラピスは思い、同時にアキの言うこと知る。<br>ラピスは、アキの気持ちを、僅かながらに理解して、その身をアキに寄せた。<br><br>「……いなくならない」<br>「ん？」<br>「いなく……ならないよ」<br><br>アキは、一度失ったんだ。<br>大切な人を、大事な人を。<br>それは一度かも知れないし、二度かも知れないし、何度も、かも知れない。<br>ラピスは、アキにしっかりとしがみつく。<br>アキがラピスにしてくれることを思い出して、アキが怖くなくなるように。<br>不安が、無くなるように。<br>ラピスがゆっくりと顔を上げ、アキを確認すると、アキは顔にうっすらと笑みを浮かべていた。<br><br>「……ありがとう」<br>「ううん。いい」<br><br>はて、とラピスが今後は首を傾げた。<br>どっちが、不安だったのだろう。<br>アキに父親であって欲しいラピスに、ラピスを受け入れようとしてくれているアキ。<br>どっちも不安だった。<br>なら、どっちでもいい。<br>ラピスはゆらゆらとテンポ良く揺れるアキの歩みに、段々と眠たさを覚えてくる。<br><br>「父親、か。……こういう時ばかりは、ダッシュが羨ましい」<br><br>ダッシュは、ラピスの母親。<br>母を羨ましいとは、どういうことだろうと思い、ラピスは顔を上げる。<br><br>「おかあさん？」<br>「たまに……あいつみたいに楽観的になりたくなる」<br><br>「内緒だぞ？」と最後に付け加えたアキに、ラピスはコクリと頷き、またへたりとアキに寄りかかった。<br>内緒。<br>何だかわからないが、嬉しい。<br>アキとダッシュは良く喧嘩しているけれども、それが何だか羨ましいと思う時が、ラピスにはあった。<br>自分の知らないことを二人が話す時、二人だけに通じる何かを見つけた時、少し、寂しくなる。<br>だから、アキとこうして二人でいる時も、ダッシュと二人で勉強している時も、ラピスには幸せな時間であった。<br><br>「おかあさん、たのしそう」<br>「……頼むから、ああはなるな」<br><br>また、コクリと頷いた。<br>アキの表情は嫌に真剣で、それでいて絶望の入り交じったような、まるで苦虫を噛んだようだった。<br>そんな顔をされて「おかあさん、かっこいい」とか、「なんで？」とも言える筈もなく、ラピスはコクコクと頷くしかない。<br>アキの様子に、ラピスはふと思う。、<br><br>「おとうさん……おかあさん、きらい？」<br>「む……」<br><br>ラピスの問いに、アキは言葉を詰まらせた。<br>嫌い、なのだろうか。<br>それは、あまり良くない。<br>ラピスは、またアキに問い掛ける。<br><br>「きらい？」<br>「そんな……ことは、ない」<br><br>言葉を一つ一つ区切りながら、ひどく言いにくい様子で、アキはラピスに答えた。<br>何だか、無理やり言っているように見える。<br>ちょっと、不満。<br>家族三人、仲がいい方が良いに決まっている。<br>喧嘩ばかりしているアキとダッシュだけれども、仲良く三人でいた方が、良い。<br>ラピスは、また口を開く。<br><br>「なら……すき？」<br>「ぐっ……」<br><br>好き、とは好意を抱いているかと言うこと。<br>ラピスの問い掛けに、アキは困ったように顔をラピスから背け、「くっ……」や「ぐぅ……」などと唸っている。<br>やっぱり、嫌いなのだろうか。<br>もしそうなら、どうしよう。<br>もし、ダッシュとアキが、互いに通じ合えないでいるのなら、どうしよう。<br>ラピスが一人先走って、表情が不安げな、泣きそうなものに変わると、アキは更に慌ててラピスの方に顔を向けた。<br><br>「待て。……ダッシュは、嫌い、じゃ、ないぞ」<br><br>アキの返答に、ラピスはまた不安の色を濃くして、ぎゅっとアキにすがりつく。<br>嫌いじゃないと言うのは、好きでもないのだろうか。<br>やだ。<br>そんなのやだ。<br>ラピスの目尻に涙が溜まり、今にも零れそうになり、上目遣いでアキを見上げると、アキも何故か青い顔で額から汗を流していた。<br><br>「ぁ……う……」<br>「いや、待て。違う。ダッシュは……」<br>「おかあさん、は……？」<br><br>アキは、顔色をますます悪くして、頭を押さえたいのか、ラピスを抱えている腕がもぞもぞ動いていた。<br>母は？<br>ラピスは、父の言葉を、辛抱強く待つ。<br>やがて、アキの口が開いた。<br><br>「——好き……だな」<br><br>何故かまだ納得がいかないような父の表情はひとまず置いておいて、ラピスはアキの言葉に安堵の表情を浮かべる。<br>よかった。<br>素直に嬉しくて、いつも表情の変化があまりない顔には、自然と笑みが浮かぶ。<br>アキは、頑なにラピスの方を見てはくれなかったが。<br><br>「か、買い物も終わった。そろそろ帰るぞ」<br>「うんっ！」<br><br>アキが言い淀むのは、とても珍しい。<br>ラピスは、唐突に理解する。<br>父が「嫌いじゃない」と言っていたのは、恥ずかしかったんじゃないだろうか。<br>本当は、二人はずっと仲が良くて、今更言うのが恥ずかしかったんじゃないだろうか。<br>だったら、ちょっと、うらやましい。<br>ラピスはそう思って思考をやめて、アキにだっこされたまま付いていく。<br>アキは照れ隠しなのか若干早足だったが、動きを止めなければいけないできごとが起こったのは、その時だった。<br><br>『……あの、その、マスター？』<br><br>唐突に、アキの足が止まり、ラピスはアキの肩から顔を出して後ろを見る。<br>人通りのない路地に、一枚の立体映像。<br>確認するまでもなく、ラピスの母、ダッシュの姿。<br>何やら、映像の中でそっぽを向いて、顔を赤らめているようで、どうもぎこちない。<br>アキを見てみると、いつも通りの無表情だが、青かったり赤かったりしている。<br>何故だろう。<br>ラピスは父と母を交互に見比べて、少し、腹が立った。<br><br><br>『あのっ、ですね。もう夕方ですから、早く帰って来てください、って言おうとしたんですけど……それだけ、なんですけど』<br><br>ダッシュは、アキとラピスを見ようとはせず、声は途切れ途切れ、アキは決して振り向こうとしない。<br>ウィンドウの中の母は、いつもと変わる笑顔や怒った顔とは違って、真っ赤。<br>人の顔は表情だけではなく、色も変わることを、今日ラピスは学んだ。<br>どもりながらダッシュがぶつぶつ呟いていると、アキはやっとのことで口を開く。<br><br>「……ダッシュ」<br>『は、はいっ！ な、何でしょうか、マスターっ！？』<br>「何も……聴いてないな？」<br><br>アキの問いかけに、ダッシュは顔をますます赤くすると、今までの複雑そうな表情をガラッと変えて、にへらっと笑顔になる。<br><br>なんだろう。<br>このかんじ。<br><br>無表情のアキ、笑顔のダッシュ、眉間に皺が寄っているラピス。<br>父と母が仲良くなればいいとは思ったが、実際見てみるとラピスの中に相反する気持ちが生まれてくる。<br>ダッシュの応えを待つアキは緊迫した面持ちで、ラピスはラピスでふてくされたように父の胸板に顔をうずめることにした。<br>結局、しっかり三十秒経ってからダッシュが発した言葉は——。<br><br>『あの……私も、私もマスターが大好きですーっ！』<br><br>と叫んで、ウィンドウは虚空へ消えていった。<br><br>ああ、なんだろう。<br>ほんとうに、このかんじょうは。<br><br>ラピスは眉間の皺をますます深くして、アキは「何故こんなことになった……」と悪態吐いて、ラピスの目元を覆う。<br>あとは、いつも浮遊感が襲ってくるだけ。<br>理解してラピスは身を委ね、路地から二人は消えていく。<br>ラピスが父親と母親の関係に『むかつく』と言う感情を抱くのは、遠い未来のことではないだろう。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>今日一日の各消耗品のストック、武器弾薬無人兵器の残量など、艦内の雑務計算の結果を出すことが、ダッシュの一日の最後の職務である。<br>近況を綴ると、『こちら』に来てからは激しい戦闘はないため、奪った資材で無人兵器及び外部装甲の修繕や、細かな艦内の整備を行っていたのだ。<br>戦艦であるため、ダッシュの本職は戦うこと。<br>アキが戦わなくて済むのは嬉しいことだが、少々物足りなく感じていたりするのは根底にあるプログラムのせいだろうか。<br>最近ではラピスの『勉強』のために、やたらセキュリティーの高いところにハッキングして見たり、一般常識を教えたりと、なかなか充実している。<br>ラピスはある程度聞くことを聞けば、あとは自分で未知を開拓していく。<br>覚えが早く、一聞いて十を知る、所謂ホシノ・ルリ同様の天才肌なのである。<br>母と娘の良い関係を保ち、和気藹々と和やかに日々を送っていたのだが……。<br><br>『……なぁんで、怒ってるんですかねぇ』<br><br>今日のラピスは、ひどく仏頂面だった。<br>お冠の様子で「べんきょう……したくない」などと言われたのは初めてのことである。<br>説得しようと近づいても、「やー」と可愛く拒絶して、始終アキにベタベタとくっ付いていた。<br><br>『……困ったもんですねぇ』<br><br>続けて『これが、反抗期ですか』と独り呟いたあと、ラピスのことはアキに頼むように考えて、ダッシュは「趣味の時間」に勤しむことにする。<br>記憶を辿り、再生する。<br>思い出されるのは、今日、主の言葉。<br><br>——好き……だな。<br><br>再生された言葉に、ダッシュは安らぎを感じる。<br>だから、何度も、何度も、再生した。<br>アキの声がブリッジに何度も、何度も、何度も何度も何度も流れる。<br>その度に、ダッシュは『えへ、えへへ～』と表情を崩して笑った。<br>他者が居ないのは、確認済み。<br>寧ろ今は深夜だ。<br>誰も起きないのを良いことに、起きないからこそ、こんなことをして幸せに浸っている自分を、恥ずかしく思わない訳ではない。<br>恥ずかしいけれど、幸せなのだ。<br>幸せで、温かいのだ。<br><br>『マスター……大好きですよ』<br><br>ブリッジで独り、呟いて、また笑う。<br>通算五十二度目の再生が終わって、『まるで変態さんですね』と零して、五十三度目の再生。<br>こんなに幸せなら変態でもいいか、と良くない考えがよぎり『こ、こほん』と赤面し咳払いする。<br>今日は、アキは普通に眠っている筈だ。<br>何故だろう。<br>今日は、熱が冷めない。<br>アキの寝顔でも見ながら、長い夜の暇を潰そう。<br>アキの部屋をモニターに映す。<br>そこには、空のベッドが映っている。<br><br>『あれぇ……抜け出しましたか？』<br><br>カメラを切り替えて、アキの姿を探すと、その姿は、意外なところにあった。<br>だから、こっそりと、アキの後ろにウィンドウを映した。<br><br>『……マスター？』<br><br>声を掛けると、アキはビクッと体を揺らして、バッと勢い良く振り向いてくる。<br>あの時も、このくらい早く振り向いて欲しかった。<br><br>——好き……だな。<br><br>もちろん、この時である。<br><br>「ダ、ダッシュか？」<br>『何してるんですか……厨房で』<br><br>ユーチャリの厨房は、あまり使われた試しがない。<br>何度かは使われたが、アキが治らない味覚に苦悩の表情を見せ始めてからは、それっきり。<br>だから、ここは殆ど使われたことがない。<br>アキは必死に後ろを隠そうとしていたが、しばらくダッシュからの視線を遮ると、諦めたように「いや、何でもない」と言って厨房から逃げるように出て行った。<br>止めようとしたが、すでに姿はない。<br><br>『あー、……あー』<br><br>最初の『あー』は驚きで、最後の『あー』は納得。<br>何をしていたのだろうと、アキの隠していた場所をみると、しっちゃかめっちゃかになった水回りや中華鍋。<br>必死に、料理をしようとした痕跡だった。<br>ダッシュにでも手伝って貰えば、ある程度はなんとかなったかも知れないのに。<br>何年振りかも、分からないのに。<br><br>『……強情、なんですよね。独りで、やってみて駄目じゃないと、助けは頼みませんか』<br><br>そう言うところが心配で、そう言うところが大好きなんだと、ダッシュは思う。<br>明日にでも、頼んでくれたらいいのだけれど。<br>ダッシュはそう思い、うっすらと微笑んで、主が出て行った扉を見つめるのだった。
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418165244.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 15:00:53 +0900</pubDate>
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<title>04</title>
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<![CDATA[ <br><br>足音は早く、わき目も振らずに走る。<br>ビルの間の路地を通り抜け、大通りからまた路地へ。<br>意図してジグザグに走っているつもりはないが、追いかける方は大変だろう。<br>さらに脚に力を込め、スピードをあげる。<br><br>「ぁっ、おと、さ……はやぃ……うぅ」<br>「もう少しの我慢だ……頑張れるか？」<br>「う、うん……がんば、る」<br><br>背中から聞こえた非難の声に律儀に応じると、ラピスを背中に背負ったアキはまた路地を曲がる。<br>ラピスは小さな手でアキの肩にギュッとしがみつき、スピードに耐えていた。<br>だから嫌な予感がすると言ったんだ、と今更なことを言ってもしようがない。<br>甘く見てしまったアキに責任がある。<br>アキを追いかける追っ手はまだ引き離せない。<br><br>『まさか公僕に捕まる寸前にシークレット・サービスを呼ぶなんて……あの男、やりますね』<br>「……警察沙汰にしたのか？」<br>『当然です。ラピスに触ろうとしたんですよ？ こんな小さい子まで利用しようとしたんですから、あの男は捕まってしかるべきかと……お怒りですか？』<br>「いや、良くやってくれた」<br><br>アキの言葉にホッとしたのか、ダッシュは一度会話をやめた。<br>おつかいに行ったらラピスが心配で、ダッシュに様子を見るように言ってみれば、案の定悪い事態になっていた。<br>帰りにアカツキと鉢合わせになって、何とか逃げてきたことを聞いていたアキだったが、ダッシュに事情を聞いている途中、ファンファンとサイレンを鳴らしながら往復していった車両にアカツキが乗せられていたのだろう、と理解する。<br>ネルガル会長に、幼女誘拐未遂という前科があるのでは色々まずい。<br>そのあたりの心配は敏腕秘書やSSチームが圧力をかけてもみ消しに全力を入れる筈なので問題ないのだが、目下アキの問題は後方から迫る二つの気配。<br>シークレット・サービス。<br>ネルガル重工の暗部と言っても過言ではなく、訓練の度合いも廃れきった連合軍人とは比べ物にもならない。<br>人間開発センターでアキが迎撃できたのは、ひとえに地球人には未知の木連式柔と相手が一人であったからこそ。<br>今回の相手は二人。<br>おまけに背中にはラピス。<br>更に言えば、二対一でネルガルSSに勝つ自信はアキにはない<br>例えラピスを背負っていなくても、アキが勝つことは難しいだろう。<br>と言う事情で、アキは全力で逃げているのだが、如何せん距離が離せない。<br><br>「こちらが不利か……軽くぶつかって分散できればな……」<br>『……マスター、あまり無理をしてはお身体に障ります。ラピスを背負っていることを忘れないでください』<br><br>もちろん、忘れる訳がない。<br>例えばぶつかったとして分散させられなければ、ただラピスを危険に晒すことになる。<br>少しでもリスクがある行動は取れない。<br><br>「わかっている。跳ぶぞ」<br>『了解。座標はマスターが、私はサポートします』<br><br>サポート。<br>リンクシステム。<br>残念ながら、今のアキからは切っても切り離せない単語。<br>ダッシュに地図上から指示をもらわなければ、こうして走ることもままならない。<br>情けなく思うのは、後から。<br>今はこの場を離脱することが最優先。<br>イメージを固め、集中。<br>対人用フィールドでラピスとアキを囲んで跳躍準備は完了。<br><br>「ラピス」<br>「……うん」<br><br>移動の度に必要となる動作なので、ラピスも慣れたように目を瞑る。<br>戦艦級の大きな物ならまだしも、大人一人と子供一人運ぶのでは負担も大きく違う。<br>実質、大人一人はアキ自身なので子供一人分が増えたに過ぎない。<br>体力の消耗は、かなり軽微に抑えることができる。<br>最後にアキは、追っ手を気にせず足を止めた。<br>ユーチャリスでしっかり補充したチューリップ・クリスタルを取り出すと、片手ではじく。<br><br>「……ジャンプ」<br><br>浮遊感が体を包む。<br>淡い光が足元から包み込み、アキとラピスの姿は、文字通り『その場』から消え去った。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>再びラピスが目を開けると、目に移る風景は一変していた。<br>青い空。<br>サンサンと自らを照らす太陽。<br>白い砂浜。<br>大量の水。<br>雑居していた高層ビルは何処へいってしまったのか。<br>そこは間違いなく『海』と呼称される場所だった。<br><br>「……無事、着いたか」<br>『わぁ～、海…………って何でこんなとこに来たんですか？』<br>「ん、何となくな。ラピス、もう降りても大丈夫だ」<br><br>ラピスは名前を呼ばれてハッと正気に戻る。<br>また、見入ってしまったようだ。<br>ここも、『外』。<br>宇宙も、地球も、ビル街も、ユーチャリスも、この海も。<br>ラピスにとって、閉鎖された空間の外側と言う意味では同じ認識として捉えていた。<br>新しい、『外』に出会えたことに、ラピスは純粋な感動を覚える。<br>屈んでラピスを降ろすと、アキはそのまま砂浜に座り込んでしまった。<br>ラピスも寄って、隣にちょこんと座り込んだ。<br>砂浜の感想。<br>あっつい。<br>熱さからラピスが再度立ち上がる様子に気が付いてくれたのか、アキは胡座をかいた自分の膝をぽんぽんと叩いて見せた。<br>ラピスは遠慮がちに腰掛ける。<br><br>「……へん」<br>「変……か？」<br><br>ラピスが口を開くと、第一声はそれだった。<br>変だ。<br>自分はビルの立ち並ぶ街にいた。<br>買い物に来ていた。<br>来る時も、帰る時も、目を瞑ると光景は変わって、家だったり街だったりした。<br>毎回毎回思う。<br>それは、変だと。<br><br>「ばしょ、ちがう」<br>「まぁ、そうだな。暑かったか？」<br>「ううん。かぜ……すずしい」<br><br>日差しは強いものの、気温はさほど高くない。<br>自然の心地よさを感じつつ、目の前に広がる光景を楽しむ。<br>ラピスはリュックを下ろして、前に置くと、背中をアキに預けた。<br>違う。<br>何だか、上手く誤魔化された感じがした。<br>ラピスの顔が上を向く。<br>じぃっと、無言で大きな瞳がアキを見つめた。<br><br>「……………」<br>「……………ほら、サンドイッチ食べたらどうだ？」<br><br>そうだった。<br>リュックからサンドイッチを取り出すと、ラピスは一口頬張る。<br>美味しい。<br>いつもの食事は買って帰るので、外で食べるのは初めてだ。<br>二口、三口と頬張って、良く噛む。<br>ラピスのような人間はいっぱい物を食べるとダッシュに言われたけれど、ラピスも例外なく良く食べる。<br>あっという間に、口の中に消えていく。<br>そう言えばおつかいの件、まだ褒めて貰って…………ではない。<br>ジトッとした瞳で、非難するように少し頬を膨らますとアキを見る。<br><br>「ごまかした……？」<br>「いや……口、汚れているぞ」<br>「ん……」<br><br>黒いハンカチで口元を拭われて、ラピスは黙って拭いてもらった。<br>丁寧に。<br>優しく。<br>アキに触れられていると、何故だか曖昧な思考になってしまう。<br>まただ。<br>これではいつもと一緒だ。<br>ラピスは目を覚ますようにふるふると自分の頭を振ると、再度アキに顔を向ける。<br><br>「うぅ、ちがう。へん、なの」<br>「君は……なかなか頑固だな」<br>「おとうさん……ずるい」<br>「だから、俺はお父さんじゃないと……」<br>「おとうさんじゃ……だめ？」<br>「…………う」<br><br>本当の父も母もいないのは、ラピスも何となく理解している。<br>この人たちは、自分を助けてくれた人でしかない。<br>それでも、ラピスにとって父と母と呼べる唯一の存在。<br>代わりじゃなくて、代わりなんか存在しない人たち。<br>唯一無二の、存在。<br>それを否定されるのは、悲しい。<br>独りは、冷たい。<br>アキの言葉に、ラピスが涙を目に溜めると、アキは慌てたようにラピスの頭に手を置いた。<br><br>「ラピス、その、わかったから……呼ぶだけなら、俺は構わない……好きにしていい」<br>「うんっ！」<br><br>撫でられる感触を楽しみながら、ラピスは目を閉じた。<br>研究所にいたら、一生、こんな経験はできなかっただろうか。<br>父と呼べる人、母と呼べる人。<br>今、この場所にあることが、心地いい。<br>綺麗な海を半分眠った眼で見ながら、ラピスはゆっくりと再び目を開いた。<br>アキの格好は、黒いシャツに黒いズボン。<br>こんなに日が強いのに、黒いロングコートを羽織っている。<br>バイザーこそいつもと一緒だけど、いつもより柔らかい印象を受けた。<br>ラピスは自分の薄手のワンピースとアキの格好を比べるように見て、口を開く。<br><br>「あつく、ないの？」<br>「暑い。いつもの格好よりはマシだ」<br><br>暑いなら、何で黒ばっかりごっそりと着るんだろう。<br>アキは汗を流している様子もなく、寧ろ涼しげに見える。<br>やせ我慢なのか、意地なのか、ラピスにはわからなかった。<br>ただ、これだけは言える。<br><br>「いつものほうが……かっこいい」<br>「…………あのマントが、か？」<br>「うん」<br>「そうか……マントが……」<br><br>格好いい。<br>マントのヒラヒラも、ポケットがいっぱいある服も。<br>無邪気なラピスが応えに、アキは驚いたようにしながらもそっぽを向き、ぶつぶつと何か納得した感じで小さな声で呟いている。<br>その表情は、どことなく嬉しそうだ。<br>ラピスも伝えたいことを伝えて満足した。<br>アキの膝の上から海を鑑賞する。<br><br>「……うみ」<br>「……そうだな」<br>「……きれい」<br>「……それは良かった」<br><br>二人共ぼーっとして、海を眺める。<br>波がゆらゆら。<br>行ったり来たり。<br>砂浜で光ってるのは貝だろうか。<br>本当は海に突っ込んで行きたくて、砂浜を駆け回りたくて、興味津々なのだけれど、折角アキに座ったのだから動く気持ちにもならない。<br>ラピスは行動する気を捨てて目を瞑り、自重を完全にアキに……。<br><br>『わぁーーーっ！わ、わぁーーーっ！もう、何なんですかあなたたちはっ！親娘仲が良すぎますよ！マスターもラピスばっかり……いいえ、何でもありません！私もっ！私も構ってくださいっ！』<br><br>静かな砂浜に突然の大声。<br>ラピスは閉じかけた瞳をビクッと開き、アキも同様に突如現れたウィンドウに驚いていた。<br>何だか、ウィンドウのダッシュはご立腹な様子。<br>ラピスはきょとんとした顔で首を傾げた。<br><br>「ダ、ダッシュ……どうした？」<br>『どうしたもこうしたもありませんよ！何ですかその雰囲気っ！二人共何でもそんなに天然さんな……ううぅ～！』<br><br>口惜しいとばかりに、表情をころころ変えるダッシュ。<br>ちょっと、楽しい。<br>ラピスはやり取りを傍観する。<br><br>「…………何がだ？」<br>『初めて格好誉められたからって、そんなに喜ぶことないでしょう！？隠してもわかります！ラピスもラピスで、すっかり誤魔化されてるじゃないですか！？』<br>「む……」<br>「あ……」<br><br>思い出した。<br>変、なんだ。<br>アキを問い詰めていた筈なのに、いつの間にかそんなことはラピスの頭の端にも残っていなかった。<br>アキはアキで照れたような、恥ずかしいような、「余計なことを……」とでも言いたげな表情。<br><br>「喜んでなんかいない」<br>『嘘っ！何照れてるんですか！？せっかくの一家団欒なのに私をスルーしてましたね！？大体マスターは極端なんですよ、過保護だし…………』<br><br>こうなると、ダッシュのお説教は長くなる。<br>がみがみという表現が相応しいダッシュ、それに怒られるアキ。<br>ラピスが「むぅ～…」と唸って耳を塞いでいると、ぽふっと何かが頭の上に被さった。<br>でっかい帽子。<br>ラピスの髪と同じピンク色のリボンの付いた、大きな麦藁帽子。<br>あんな格好のどこに持っていたのか、アキは苦笑してラピスの頭に手を置くとこそこそと顔を寄せた。<br><br>「……俺が何とかしておく。海、行ってきていいぞ」<br>「……いいの？」<br>「ああ、あんまり遠くにはいくなよ？」<br>「うん、わかった」<br><br>ダッシュが気付かない内にそろそろと海岸に走る。<br>アキが隠すように重なっていたこと、ダッシュが語るのに熱中していたこともあって、上手く抜け出せた。<br>はしゃいで駆け出すラピスの頭には、当然『へん』なんてことは残っていない。<br>結果的に誤魔化されたことにラピスが気付くのは、それからずっと後のことになるだろう。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>『まったく……マスター、どうしちゃったんですか？』<br><br>お説教の終わったダッシュはしみじみとした様子でアキに話しかける。<br>ダッシュの視線の先には、波が引いてはそれを追いかけ、波が来れば逃げるを楽しそうに繰り返す大きな麦藁帽子のラピスがいた。<br>無邪気に。<br>無垢に。<br>興味のままに。<br>アキは座り込んだまま、見えない目でその方向を見据えていた。<br><br>「……どうもしない」<br>『帽子まで持って来てたんですから、初めからここに寄る予定だったんでしょう？ 今日、ラピスをネルガルに返すってマスター言ってたじゃないですか』<br>「…………」<br><br>ここは、テニシアン島。<br>赤道直下の島で、今はクリムゾンのご令嬢の邸宅が島の反対にあるだけの島だ。<br>一度だけ、アキはここに来たことがある島。<br>アキの中では、今日ラピスがおつかいから帰ったら、ラピスとはお別れの予定だった。<br>帽子だって、何のことはない。<br>別れ際にでも、渡して置こうと考えただけだ。<br>本当に、それだけだ。<br>だけれども、ラピスの危険を聞いた時、アキは無意識にラピスを背負ってしまった。<br>その小さな体を。<br>再び、背負ってしまった。<br>引き渡す何て考えは、その時消えていたのかも知れない。<br>守らなくちゃ、いけない気がした。<br>いずれ離れるにしろ、まだいいと妥協し、ラピスを背負ってテニシアン島まで跳躍して。<br>ダッシュの言う通り、どうしたのだろう。<br>最近、アキ自身でも何をしたいのかわからない時がある。<br>何をすればいいのか、わからない時がある。<br>あの子の為に、自分は関わるべきではないとアキはわかっていた。<br>その中で『あの子の為』とは何なのだろうと考え、『あの子の為』に、これからもダッシュといた方がいいのでないかと考えもする。<br>最後の決断で、結局アキは自分のわがままを通してしまったのだ。<br>アキはため息を吐いて、バイザーを押さえると、口を開いた。<br><br>「……あの子がな」<br>『はい』<br>「この間、寝る前に海が見たいって言ったんだ」<br><br>どこで聞いてきたのか、アキが寝かしつける際、ラピスはアキに言った。<br>海が見たい。<br>簡単な願いだ。<br>アキなら、ぱっと叶えることができる。<br>無邪気な微笑で、本人も気付いていない微笑で、ラピスはアキに頼んだのだ。<br>約束だ、ゆびきりだ、と誰かさんのようにせがんで来て、応じるまで寝ないと言うラピスにゆびきりをしてやると、ラピスはそのまま安心したように眠りについた。<br>改めてて確認する。<br>今日、ラピスはネルガルに行く予定だった。<br>結果として、アキにはそれを実行することができなかった。<br>行ってしまえば、ネルガル本社からは出られなくなる。<br>海は、少なくとも見れなくなる。<br>馬鹿みたいな理由、とはアキには言えない。<br>本当に寝る前の出来事だったから、ラピス自身覚えていないかも知れない。<br>それでも約束した以上、馬鹿な理由なんて言わせない。<br>結局これは『あの子の為』にならない行動。<br>ラピスのわがままを聞いた訳でもなく、ダッシュのわがままを聞いた訳でもない。<br>アキ自身のわがままで、ラピスを連れて戻って来たのだ。<br>約束。<br>前のラピスとは、守るどころか約束すらしたことがなかった。<br>だから、ラピスから聞いた初めての願いが強く頭に残る。<br>彼女が何かを頼んで来たのは、初めてだった。<br>アキは顔を伏せて口を開く。<br><br>「俺はそれを叶えたかった……それだけだ」<br>『…………マスター』<br>「ダッシュ……俺は間違っているのか？ 何も、するべきじゃなかったか？　俺は……」<br>『もっと……柔らかく考えてもいいんじゃないでしょうか？』<br><br>アキの言葉を、ダッシュは途中で遮った。<br>アキがダッシュをある程度理解できるように、ダッシュもアキをある程度理解できる。<br>お互い、『ああなると』が見えてくる。<br>アキの場合、泥沼にはまっていく。<br>自分を憎んで、自分に責任を浴びせて。<br>ダッシュは、良い意味でのアキのストッパーと言えるのだろう。<br>憂いだ表情でダッシュはアキを見ている。<br><br>「柔らかく……？」<br>『こう考えてください……一度、私たちは死にました』<br>「…………」<br><br>アキもダッシュの言おうとすることはわかる。<br>火星の後継者。<br>最後の戦いで、アキとダッシュは死んだ。<br>少なくとも、『あの世界』では。<br>実際、生き延びてしまったアキの観点からすれば、死んでしまったのは『あの世界』。<br>ダッシュは言葉を続ける。<br><br>『私たちは生まれ変わったとします。マスターにとって、この世界と前の世界は同じですか？』<br>「……いや、違う」<br><br>この世界は、一回きり。<br>この世界にはこの世界の流れるべき歴史がある。<br>アキという要素を加えた時点で、全く同じな世界になる筈がない。<br>同じ人物でも、誰もアキを知らない。<br>同じ星でも、何もかもがアキのいた時代とは違う。<br>限りなく似ている、全く違う世界。<br>大筋を知っているだけのアキが、自由にできることなど何もない。<br><br>『戻ってきちゃった責任なんか、マスターが背負うことないんですよ』<br>「責任は……俺にあるだろう」<br>『あ・り・ま・せ・んっ！誰にも、責任なんかありません！もー、ただでさえ頑固なんですから、少し肩肘張らずにいきましょうよ？』<br><br>頬を膨らましているであろうダッシュの言葉に、アキは顔を上げる。<br><br>「肩肘張らずに……か」<br>『肩肘張らずに……です』<br><br>何となく呟き、何となく返された。<br>張っていたつもりは、アキにはない。<br>まだ納得がいかないようなアキに、ダッシュは声をかける。<br><br>『ラピス……喜んでますよ』<br>「……そうか」<br>『大切な人に干渉して、何が悪いんですか？ マスターがしてあげたいって思うことをして、何がいけませんか？ もっと、マスターはわがまま言っていいんです』<br><br>アキはダッシュの言葉を聞いて、しばらく黙ったままラピスの方向に顔を向けていた。<br>悩んでも、答えなんか有りはしない。<br>正しいこと。<br>そんなものは、存在しない。<br>精一杯、自分ができることをする。<br>アキは再びナデシコに乗って、そう思った筈だ。<br><br>「……間違っても、いいのか？」<br><br>ポツリと、呟いた。<br><br>『今日の出来事を間違いだと言うのなら、貴方の間違いを、私は間違いだとは思いません』<br><br>アキの言葉に間を空けることなく、ダッシュが言葉を返す。<br>アキは苦笑して、ダッシュも心なしか表情に安堵を浮かべている。<br><br>「俺のせいで、お前を頼るかも知れないぞ？」<br>『今更何言ってんですか。貴方は、独りじゃないんですよ？ ……今までも、いつまでも、私が一緒にいます。本当に貴方が間違いそうな時は、私も一声意見します』<br>「そうだな……」<br>『二人で行きましょう、どこまでも』<br>「……ありがとう」<br><br>アキの無意識の内に出た礼に、ダッシュはびっくりしたように表情を変える。<br>それから、お互いに慌てて、気恥ずかしい様子で顔を伏せた。<br>いつも冗談混じりなダッシュだけに、真っ直ぐなことを言うと、恥ずかしい。<br>ダッシュには憎まれ口ばかりアキも、油断して素直に礼を言ってしまって、恥ずかしい。<br><br>『わ、私は、生まれた瞬間からマスターのパートナーですから、当然のことです！』<br>「……お節介焼きだけどな」<br>『もうっ、お節介じゃありませんよ！』<br><br>ダッシュとアキはお互い誤魔化し笑いを浮かべて、一通り言葉を交わすと黙り合った。<br><br>『……マスター』<br><br>不自然な間を裂くように、ダッシュはアキを呼ぶ。<br>アキは、首を傾げる。<br><br>「ん？」<br>『…………ありがとうございます』<br>「……突然、何だ？」<br>『私も……言いたくなっただけです』<br><br>せっかく気恥ずかしい雰囲気が終わったのにまた盛り返すのかと、アキは苦笑する。<br>ダッシュも『あははは～』と照れ笑いして、結局お互い気まずくなった。<br>何となく、慣れない。<br>何か話題は無いかと頭を巡らし、何にも無いので取りあえず話そうとアキは口を開く。<br><br>「ダッシュ」<br>『マスター』<br><br><br><br><br>「おとうさんっ、おかあさ……」<br><br><br><br><br>二人共同じ考えだったのか、お互いに名前を呼んだところを、もう一つの声が遮った。<br>楽しそうに駆け戻って来たラピスは、父と母を呼ぶ声を途中で止める。<br>ラピスの目に映るのは、照れたようなアキとダッシュ。<br>その雰囲気を、ラピスは感じ取る。<br>面白く無さそうに、頬を膨らませる。<br><br>「なに……してたの？」<br>「……少し、話をしていた」<br><br>その目に誰かと似たものを感じたアキは、怖じ気づきながらも応える。<br>あの視線を、どこかで感じたことがある。<br>つい最近、どこかの少女が･･････。<br>ラピスが駆け寄るのを見て、ダッシュはこれ幸いと、急にラピスの前に出た。<br><br>『お父さんの悩み事を聞いてあげてたんですよ。ラピスは何してたんですか？』<br>「あ、うん……えと」<br><br>ダッシュの問いに、あたふたとするラピス。<br>少し、本当に少し、ダッシュをアキは尊敬した。<br>ラピスは少しして、アキの前に何かを突き出す。<br><br>「かにかま、つかまえた」<br><br><br>……………。<br><br><br>少しの間、アキの思考は停止した。<br><br>「……そうか……かにかま、か」<br>「うん。かにかま」<br><br>アキの記憶する限り、海に『かにかま』なる物はない。<br>泳いでないし、そもそも生き物じゃない。<br>スーパーにでも行かないと、捕まえるのは無理だ。<br>だからといって頭ごなしに否定するのは、良くない。<br>勘違いということもある。<br>何より、ラピスの自信満々尚且つ何かを期待した視線を向けられている以上、アキには否定できない。<br>少し顔を背け、小さな声でダッシュに声をかける。<br><br>「……何を、持ってきた？」<br>『蟹……ですね』<br><br>なるほど。<br>アキは納得しながら納得のいかないものを感じ、ラピスに一度顔を向けた後、またダッシュに耳打ちする。<br><br>「……かにかま？」<br>『わ、私に聞かれても。まだ知らないことも多いでしょうし、ラピスの勘違いでは？ 』<br><br>それもそうか、とアキは改めてラピスに向けて顔を合わせると、頭を撫でる。<br>ラピスは、よく褒められたがる。<br>何故か、最近ではアキのすること成すことを代わりにやろうとする。<br>アキの大きな手に、ラピスは満足げに甘んじて撫でられた。<br><br>「ラピス……言いにくいんだが、これはかにかまじゃなくて蟹だぞ？」<br>「……？ しっているよ？」<br><br>撫でられながら、きょとんとしてラピスは首を傾げる。<br>アキもまた、ラピスの言うことに首を傾げた。<br><br>「なら、何でかにかまなんだ？」<br>「おかあさんが、かにからかにかまできるっておしえてくれた」<br><br>アキの隣を指差すラピス。<br>本当に疑いもなく、鵜呑みという言葉の意味も知らないままに。<br>「なるほどな」とアキは呟くと、ラピスに変なことを吹き込んだ犯人をギロリと睨んだ。<br>ちょっとでも遠くに行こうとしたのか、ダッシュはアキから距離をとっていた。<br><br>「どうなんだ？」<br>『……ど、どうでしょう？ そう言えばそんなことを教えたような……』<br><br>上擦った声で言い訳するダッシュ。<br>面白がって変なことを教えた前歴は、まだまだ有りそうだ。<br>さっきの会話を思い出す。<br>本当に頼っていいのか、アキは一抹の不安を感じずにはいられたかった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>『……寝ちゃいましたね』<br><br>小さな声でアキに呟いた。<br>色々あって疲れたのだろう。<br>ラピスは元通り、砂浜に駆けていく前の状態で、胡座をかいたアキの上に体を預けすやすやと寝息を立てている。<br>ダッシュはラピスを包み込むような表情で見つめる。<br>ラピスがダッシュを母と呼び、アキを父と呼ぶ。<br>仮初めの呼び名。<br>偽りの呼び名。<br>それでもラピスが満足しているなら、アキも満足である筈だと、ダッシュは思う。<br><br>『私たちは生まれ変わったとします』<br><br>ダッシュが自分自身で言った言葉。<br>アキに礼を言われた時に返したのは、ひとえにこれが理由。<br>生まれ変わって尚、また再開できたことに。<br>また、共に戦うことを許してくれることに。<br>ありがとう。<br>お礼を言う。<br>アキが戦うのは、使命感からでも義務感からでもなく、最初からアキ自身のためだった。<br>復讐も、ナデシコに乗ったのも、ホシノ・ルリのために行動したのも、ラピスのために行動したのも。<br>みんなアキの『わがまま』であり、『誰かのため』である。<br>復讐なんて、極めつけ。<br>恨みや私怨で動くのが復讐なら、アキはただ囚われた姫と愛しい家族を守っただけだ。<br>自身の感覚のことなど、初めから無いものと割り切っていたのだから。<br><br><br>そんな人間の『わがまま』が、果たして他人の概念から見た『我が儘』足り得るだろうか。<br>否。<br>誰が応と答えようとも、ダッシュは否だと理解している。<br>素直になれない、誰よりも優しい自らの主を。<br><br>「……暗く、なって来たな」<br><br>アキの言葉に、ダッシュは辺りを見る。<br>陽も沈みかけ、薄明るい。<br>こうも世界中を飛び回れるアキでも、時間はとても気にする。<br>ラピスが来てからは、特に。<br>寝る子は育つ、だそうだ。<br>過保護だと言われても、仕方がない。<br>ホシノ・ルリに対しても、同じように必要以上に気をかけていたのだろう。<br>でなければ、ダッシュと再開してから数日を『泣かせた』件であんなに落ち込んだりはしない。<br><br>「……ダッシュ」<br>『何でしょう、マスター？』<br><br>ダッシュが返事をしてアキを見ると、アキはラピスを起こさないようにお姫様だっこして立ち上がっていた。<br>心なしか手慣れているように見えるのは、ダッシュの気のせいだろうか。<br><br>「俺を……止めないのか？」<br>『ユーチャリスに戻ってラピスを寝かせるだけでしょう？』<br><br>本当に、回りくどい人だ。<br>皮肉屋でもある。<br>ダッシュは呆れて応えた。<br><br>「お前はまだ、ラピスと居たいか？」<br>『望むなら永遠に……と言いたとこですけど、地球でのお仕事が終わるまでは共に在りたいと、私は願います』<br>「……なら、そうするか」<br><br>意外にあっさり。<br>肩肘張らないで。<br>意識しているのだろうか。<br>ダッシュの言葉は、ちゃんと届いていたのだろうか。<br>素直な時は本当に素直なのだけれとなぁ、とダッシュは苦笑した。<br><br>『ええ、そうしましょう』<br><br>アキはダッシュに頷くと、対人用フィールドを展開し始める。<br>ボソンジャンプ。<br>宇宙と地球を繋ぐ、アキの唯一の移動手段。<br><br>「今日は、どこだ？」<br>『クリムゾンの実験施設です。座標は帰ってから直接私に繋いで確認して下さい』<br>「了解した……とんぼ返りになりそうだな」<br><br>とんぼ返り。<br>ラピスを寝かせたらすぐ地球に戻るつもりだろう。<br>ダッシュはアキの行為を窘める。<br><br>『ボソンジャンプには間をあけてください。ただでさえ、施設内でマスターは多用するんですから』<br>「しかし、出来る限り早くしないと……」<br>『……マスター、何か言いましたか？』<br>「……わかった。休憩するから落ち着け」<br><br>油断すると、すぐこれだ。<br>満点笑顔と絶妙な間を駆使してアキを黙らせたダッシュは、返事を確認して満足する。<br>今日も、標的は見つからないといい。<br>無論、見つかった方がいいのだけれど、見つかったらラピスとはお別れ。<br>非常に微妙な問題だ。<br><br>「目標……ユーチャリス……」<br>『了解。精神状態、座標共に安定』<br><br>標的の名前は、ヤマサキ・ヨシオ。<br>最悪、この世界で殺さなければならない人間の一人だ。<br>これに関しては、ダッシュもアキも納得している。<br>被害を生む。<br>不幸を生む。<br>戦いを生む。<br>それだけの、人間だ。<br><br>「……ジャンプ」<br><br>淡い光が、アキとラピスを包んで、虚空に消え去った。<br><br><br><br><br><br><br>ちなみに、かにかまは蒲鉾であるため、原材料は蟹ではない。<br>ラピスはそれを学ぶと同時に、また父に誤魔化された事実に気づくのだった。<br><br>広告掲載について
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<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 15:00:41 +0900</pubDate>
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<![CDATA[ <br>パパパパパ、と連続した発砲音。<br>顔を音のした空に向けると、黄色い群集に立ち向かう銀色の一機。<br>追従するように隊列を組むグレーの三機のロボット。<br>戦闘が始まったのも束の間、合計四機の人型ロボットは数分の内に群集を蹴散らし、近くの連合軍基地に帰っていく。<br>街に点在するビルの合間合間に見える光景は、あまりにシュール。<br>最近ではあまり見られなくなった『戦争風景』に、空を見上げていた首をほぐしながら「軍のパイロットもやるねぇ」などと人事のように呟いて、再び歩き出した。<br>地球の情勢は、明らかに移り変わりつつある。<br>劣勢から、拮抗へ。<br>防御から、反撃へ。<br>数ヶ月前に軍ともめ事を起こしたネルガル重工は、今では連合宇宙軍と和解し、技術面、金銭面で互いに利益をあげている。<br>例えば今の人型ロボット、エステバリスもそうだ。<br>デルフィニウムや航空戦闘機部隊に代わる新戦力として、大気圏及びビックバリア間の防御は固まり、肉眼で確認できる位置での戦闘は極端に少なくなった。<br>それによりエステバリスが大量に売れ、ネルガルは利益を得た。<br>連合軍の戦艦にも改良が施され、推進力は元より全体の性能の向上、数ヶ月後にはディストーションフィールドやグラビティ・ブラストを装備した戦艦も製造される予定になっている。<br>もちろん、それを一挙に引き受けるネルガルには莫大な利益が入る。<br>戦争で困るのは一般人だけ、という時代ではもうない。<br>実際に苦労するのは戦いに出る軍人さんだけで、一般人はバリアや軍人さんのおかげで変わらぬ毎日。<br>裏々で企業は利益の奪い合い。<br>武器は売れる。<br>兵器は売れる。<br>戦艦は売れる。<br>民間の企業は製造製品を転換し、大企業はより高性能なエンジン開発に躍起になっている。<br>その中でエステバリスや、新しい優れた造船技術を見せつけたネルガル重工は、一歩先に出たと言えるだろう。<br>商売繁盛。<br>新進気鋭。<br><br>「だからこそ……ここんなとこで潰されたら困るんだけどなぁ」<br><br>歩みを再び止め、手に持った資料の表に目を向け、白紙の表示を一枚めくる。<br><br>『結果報告書』<br><br>簡潔に書かれた重たい文字を見て、溜め息を吐く。<br>ネルガル重工は成功を掴みつつあるのだ。<br>出鼻を挫かれる訳にはいかない。<br>めくったページを戻す。<br>ビル街に似合わないラフな格好で自慢のロン毛をかきあげた男、アカツキ・ナガレは神妙な面持ちでその場を後にした。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>「お客様。モーニングセット、お持ちいたしました」<br><br>落ち着いた雰囲気のオープンカフェの一角で、珍しく真面目な顔で資料と格闘していたアカツキ・ナガレは、ウェイトレスの声に資料を閉じる。<br>機密がどうこうと言うことを、気にする男ではない。<br>そもそも、大企業の会長がＳＰも連れずに街を闊歩している理由は他にある。<br><br>「ありがとう。君、どこかで会ったことないかな？」<br><br>第一に、ウェイトレスが美人であったこと。<br>第二に、あまりに激務が過ぎて、何かにつけて仕事をサボることが出来なくなったためである。<br>本来なら早朝から会長室に閉じこもっていなければならないアカツキだが、秘書の目を盗んでモーニングタイムを楽しむために脱走してきたのだった。<br>キラリと光る歯。<br>髪をかきあげて見せるも、二枚目になれない三枚目が板についてしまっている。<br>ウェイトレスも慣れているのか「仕事中ですので～♪」と愛想良く笑って去っていく。<br><br>「あ、ちょっと…………はぁ」<br><br>アカツキはまた肩を落とす。<br>それどころではないから、こうして息抜きの間までも仕事をしているのにナンパをしていては意味がない。<br>ナデシコと呼ばれる戦艦が地球飛び立ったのは、数ヶ月前の話。<br>ナデシコと呼ばれる戦艦が火星で消息を絶ったのは、少し前の話。<br>部下であり右腕であったプロスペクターから最後の報告の際、ユートピアコロニー跡でイネス・フレサンジュ博士を発見し、最終目標である極冠移籍の回収に向かうとのことだったが、それっきり。<br>音沙汰も無く、社内は既にナデシコからのデータを元に二番艦コスモス、それに続く姉妹艦の製造にあたっている。<br>ナデシコの事自体は残念ではあるが、軍に公開されたエステバリスの性能も折り紙付き。<br>正式契約が組まれ、独占販売状態の今、問題が起きた。<br><br>「まったく、とんでもないことやってくれるよ」<br><br>発覚したのは、つい最近。<br>人間開発センターの地下に本社が把握していない施設が発見された。<br>実験内容は違法ナノマシン投与によるマシンチャイルドの大量生産。<br>昨今の社会では、ナノマシンにあまり良いイメージは持たれていない。<br>火星出身者ならまだしも、軍ですら避けて通るナノマシンの申し子であるマシンチャイルドは、道徳的に見て虐待のそれと変わらない。<br>人間開発センターのホシノ・ルリを始めとした国の許可を得たマシンチャイルドたちでさえ、非人道的だと声が上がるのに、ここに来て違法実験。<br>効果もわからないナノマシンを投与していた実験記録。<br>八人ものマシンチャイルドが一度に見つかった事実。<br>どれもこれも表沙汰にできる訳がない。<br>表沙汰になった時点で、ネルガルは企業争いに終わりを告げる。<br>かと言って、実質的な指示を施設に出していたネルガルの社長のクビを飛ばすことも出来ない。<br>父の代からの社長をクビにすれば社内重役からの反発に遭い、若いアカツキに付いてくる者もいなくなり、更に会社が纏まらなくなる。<br>一度、決定的な機会に社内の膿を取り除く必要があることを、アカツキは決意していた。<br><br>「こんな時、プロス君がいてくれたらなぁ……」<br><br>もちろん敏腕秘書に不満がある訳ではないが、年相応の貫禄と駆け引きに関してプロスがいれば上手く立ち回れたことだろう。<br>出身も名前も国籍も不明な八人のマシンチャイルドについては、適材適所の案を思いついたので、秘書に指示して任せてみよう。<br>子供たちに一般教養もついて、何より世間一般に対する最良のカモフラージュになるのだから、この上ない。<br>施設も廃止し、社長派に圧力もかけ会長の発言力も強まった上に、厄介でもあり貴重でもあるマシンチャイルドが八人も確保できたのだから、最初こそプラスに思えた。<br>最大の問題は、発覚した過程だ。<br><br>「なになにぃ……」<br><br>細かな報告会は今日の午後にちゃんとしたものを用意してあったため、アカツキは細部まで今回の事件について知らない。<br>激務を終えて疲れきって床に着いて早々叩き起こされて……。<br>半分眠った頭に滝のように言葉を浴びせかけられたのでは、理解できたことなど一握り。<br>大雑把な報告と不眠を乗り越えた寝ぼけ眼のままで社長をやりこめた自分を誉めてやりたい。<br>報告会などと仰々しく言っても秘書とアカツキで、現場の生存者に話を聞くだけ。<br>それまでに、飛ばしていた現場の詳しい報告のページくらいは読んでおこうと、未読のページをめくる。<br><br>『深夜00：35。匿名から連絡により違法実験施設に関するデータを入手、SSが急行したところマシンチャイルドの実験施設を確認。その際、同時に右足を負傷した研究員を一名救助』<br>『救出したマシンチャイルドは八名。いずれも試験管から出され白い布を羽織った状態であり、若干の精神不安定を除いて極めて健康』<br>『同研究施設データから、施設内にはもう一名のマシンチャイルドが存在することを確認。SSチームが全力で捜索中』<br>『施設内に何者かが侵入したと推測される。行方不明のマシンチャイルドと関連性があると思われる』<br><br>次々と重要部分を脳内でピックアップしていくアカツキ。<br>これが最大の問題であり、最大の謎。<br>ネルガル本社に連絡してきた『匿名』の存在である。<br>ざっと報告書を見たところ、おそらく侵入者と同一人物だということは誰にでも想像がつく。<br>その人物が何故、アカツキも知らない極秘施設の存在を知っていたのか。<br>知っていて何故、あえてアカツキ側に連絡し、もみ消すチャンスを与えたのか。<br>負傷した研究員。<br>わざわざ防寒対策まで施されたマシンチャイルドたち。<br>行方不明のマシンチャイルド。<br>はっきり言って、確たる目的があるのかもわからない。<br>あったとすれば行方不明、もしくは誘拐されたマシンチャイルド。<br>何にせよ、この人物が持っている情報を公開されるだけでネルガルは終わる。<br>行方不明者共々、早急に確保しなければならない。<br>「SSチームは増員っと」と呟いて、コーヒーを啜りながら次のページに進むと、アカツキは豪快に口に含んだ黒い液体を吹き出した。<br><br>「ギャグ……のつもりかな？」<br><br>口元と軽く汚れた書類を拭きながら、資料に目を落とす。<br><br>『監視カメラからの侵入者の容姿』<br><br>黒い。<br>黒い以外の形容詞が浮かばない程、黒い人物だった。<br>バイザー、黒服、黒マント、おまけに靴に手袋まで真っ黒な男が移っていた。<br>元々必要ないと判断したのか中央通路の一つにしかカメラは無かったため、微妙な映り方ではあるが付いていく少女の姿も見える。<br>比較的、若い男性。<br>ただの神出鬼没のコスプレイヤー、だったならとっくの昔に確保できている筈だ。<br>伊達にこの数日、ネルガルの精鋭たちから逃げ回っていられる程の人物。<br>情報やこういった潜入工作技術、総合的に見てもプロスペクターに並ぶのではないだろうか。<br><br>「ま、何にせよ、早く捕まえないと…………ってあれ？ 僕個人に連絡ってことは、上手くすれば……」<br><br>味方に引き込めるのでは。<br>火星で消息を経ったプロスが帰るにしろ帰らないにしろ、穴埋めが必要になってくる。<br>この人物はネルガル、ひいてはアカツキ寄りの人間のようだ。<br>SSチームになるべく無傷で捕らえるように命令文書でも書いとくか、と打算を巡らしてページを進める。<br>次にアカツキの目に入ったのは、少年の顔写真だった。<br>あどけなさを持ちつつも、表情の無い少年。<br>今回のマシンチャイルドの写真らしい。<br>写真以外のデータはアカツキが見てもわからないものなので、写真だけをペラペラめくっていく。<br>どの子供も冷たく、表情が無い。<br><br>「……酷いことするねぇ」<br><br>立場上、人のことも言えない。<br>苦虫を噛んだような顔をして、アカツキは最後のページをめくった。<br>薄い桃色の髪に琥珀色をした、一人の少女の写真。<br>『研究施設内データより、行方不明者』と書かれている。<br>黒い人物が連れていったマシンチャイルド。<br>何故、この子だけ。<br>侵入者写真を見ると、連れ去られたというよりも、むしろ付いていったように見えるのは、アカツキの主観によるせいだろうか。<br>まだ、二人共々見つからない。<br>このことを口外するつもりないからこそ、もみ消すチャンスをアカツキに与えたのはわかっている。<br>わかんないなぁ、と思いカップに口をつけるとコーヒーカップは空になっていた。<br>丁度、ドアに付いたベルを鳴らして店内に入る小さな人影と交差してウェイトレスが外を通りかかる。<br><br>「あ、ごめん君、コーヒーをおかわ………………ん？」<br><br>今、何か、引っ掛かった。<br>アカツキは言葉を止める。<br><br>「お客様、お呼びになりましたか？」<br>「……コーヒーのおかわりお願いしたいんだけど」<br>「かしこまりました。少々お待ちください」<br><br>ウェイトレスが去っていく店内を凝視する。<br>何もおかしいことはない。<br>朝も少し過ぎてもう人通りも少ない。<br>店内にもお客様は少なく、見るからに裕福そうな服を着た老夫婦や端末で作業するバリバリの営業マン、可愛らしいリュックを背負った白いワンピースの少女がレジで注文しているだけである。<br><br>「…………今のところ、もう一回」<br><br>レジで注文しているだけである。<br><br>「もうちょい戻って」<br><br>銀とグレーのロボットが黄色い群集に。<br><br>「戻り過ぎ」<br><br>……可愛らしいリュックを背負った白いワンピースの少女。<br><br>「……………………」<br><br>ひとしきり独り言を終え、周囲から変な目で見られたであろうアカツキは、無言でペラペラと資料をめくり始める。<br>一枚の写真を取り出すと、視線の先の人物と比べて、声も出さんばかりに自分の目を見開いた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>ラピスは自分よりもずっと大きな扉を開こうと手に力を込めると、案外扉はすんなり開いた。<br>小さいラピスを見て、反対からウェイトレスさんが押してくれたのだ。<br>ちょこんと頭を下げると、ラピスはカウンターに向かう。<br>大丈夫だ。<br>全部上手く行っている。<br>マネーカードは持ってるし、難関かと思われた入り口も開いた。<br>困った時は『おかあさん』に相談するように言われている。<br>右手につけられたコミュニケと呼ばれる機械を確かめる。<br>これがあればいつでもどこでもダッシュと話ができるらしい。<br>安心だ。<br>ラピスはほっと息を吐く。<br>カウンターを見つけて元気に小走りで向かうと、ラピスは表情を濁した。<br><br>「……たかい」<br><br>カウンターが、高い。<br>ちょうどラピスの頭まで隠れる程の大きさがあり、これでは向こうは気づいてくれないだろう。<br>困った。<br>どうしよう。<br>ラピスが何とかしようと背伸びしていると、肩をちょんちょんとされる。<br>そっちを向くと扉を押してくれたウェイトレスさんだった。<br>髪を後ろで纏めたウェイトレスは、可愛らしいものを見るようにしゃがんで目線を合わせラピスに微笑みかけている。<br><br>「……どうしたの？」<br>「あ、あの……とどかない」<br>「注文かな？」<br>「うん」<br>「私でいいよ、どれにする？」<br><br>しどろもどろなラピスとやり取りをしながらも、ウェイトレスはラピスに「ゆっくりでいいよ」と笑いかける。<br>ラピスも少し安心して、母に教わった困った時の深呼吸を試みてから、上のメニューを見て口を開く。<br><br>「さんどいっち……ください」<br>「ん、わかった。サンドイッチ一つね……君、一人？」<br>「うん」<br>「お使い？ 小さいのに偉いね」<br><br>口調のクールなウェイトレスは顔をにへらっと崩して笑うと、ラピスの頭を二、三度撫でる。<br>ラピスは戸惑いながら、撫でられた部分を触っていた。<br><br>「ふふ、じゃ、すぐ出来るからちょっと待っててね」<br>「うんっ！」<br><br>元気に返事をしたラピスを確認すると、ウェイトレスは満足げに頷いてカウンターの奥に消えていった。<br>出来た。<br>最終関門突破。<br>後は待つだけだ。<br>『初めてのおつかい』は成功した。<br>提案した母は何か惹かれるフレーズなのかノリノリでラピスを送り出し、父は最後まで納得がいっていなかったが、これで安心してくれるだろう。<br>ラピスの父は、目が見えない。<br>母は『えーあい』という妖精みたいな存在らしくて、実体はないと言っていた。<br>したがって、どうしても買い物は父の仕事になってしまう。<br>毎回毎回、父が困った顔で買い物する様子を見ていたラピスは、今日こそはと「わたしがいく」と言ったのである。<br>まだ父と母と出会って数日だけれど、ラピスは二人を信頼し大事に想っていた。<br>二人が自分を心配し、信頼し、大事に想ってくれているのがわかったからだ。<br>沢山のことを教えてくれる母に、あんまり喋らないけど優しい父。<br>ラピスは、今だからこそ、自分が本当に欲しかったものが分かる気がした。<br>あたたかさ。<br>今までは、分からなかった。<br>それが、今は分かる。<br>見えないけど、存在する繋がりのようなもの。<br>父は大変だから、役に立てるように自分も頑張らなければならないと。<br>今日のラピスの髪は、先ほどのウェイトレスのように後ろで纏められている。<br>毎日起こしてもらって、低血圧でぼんやりのラピスの髪をとかしてから纏めてもらって、ご飯を用意してもらって、勉強教えてもらって、お風呂に入れてもらって、寝る前にお話までしてもらう身の上としては、ラピスも何かしてあげたい気持ちになる。<br>母とも相談した結果、それで『おつかい』。<br>父は離れた広場で待っていてくれている。<br>急ごう。<br>急いでもサンドイッチは来ないのだけど、ラピスも早く二人に会いたいためか落ち着かない。<br>そこでハッとラピスは気付く。<br>「お持ち帰りで」と言う台詞を忘れていたのだ。<br>動揺していたせいか、肝心なことを忘れてしまった。<br>言おうにも、遅いのかなぁ、とラピスは躊躇う。<br>大変だ。<br>どうしよう。<br>カウンターの奥に入っていったウェイトレスを思い出し、伝えにいこうと反転すると、ぽふっ、と紙袋がラピスの腕に乗っけられた。<br>目の前にはさっきと同じウェイトレスがしゃがんで笑っている。<br><br>「おまちどおさま」<br>「え、あ、おもちかえりに」<br>「うん。お持ち帰りにしといたよ。君、そわそわしてたし、待ってる人いるんでしょ？」<br>「うん……その、これ」<br><br>予想外の出来事にパニックを起こしながら、ラピスはマネーカードをウェイトレスに渡そうとする。<br>渡す過程で、両手が塞がっているのが分かったのかウェイトレスは紙袋を持ってくれた。<br>何から何まで。<br>何となく、自分が立派なところをアピールに来た筈のラピスは恥ずかしくなって頬を薄く染める。<br>マネーカードを受け取ったウェイトレスが会計を終えると、ラピスにカードを渡して再び紙袋を渡す。<br><br>「ありがとうござました、小さなお客様」<br><br>にっこり笑ってラピスの頭を撫でるウェイトレスを、ちょっと格好いいとラピスは思う。<br>後でおかあさんとおとうさんに話してみよう。<br>ラピスは紙袋を両手で持つと、出口に向かってトットットッと、駆け足する。<br>ふと、ラピスは扉の前で振り返る。<br>ラピスをしゃがんで見送っていたウェイトレスは、不思議そうにラピスを見ていた。<br><br>「……ありがとう、ございました」<br><br>ちょこんと頭を下げる。<br>礼儀正しいのは教育の賜物だとか、昨日母が父に言っていたが、どうだろう。<br>ウェイトレスは驚いたようにした後、「また来てね」と笑顔で手を振った。<br>ラピスは最後にこくんと頷いて、店を出た。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>ラピスは店を出るとすぐに、腕についたコミュニケを操作しようとするが、荷物が邪魔をして上手くいかない。<br>小さめの袋ではあれども、ラピスにはまだ身に余る大きさだ。<br>リュックがあったのを思い出し、これに入れようと一度背中から降ろす。<br><br>「君、ちょっといいかな？」<br><br>突然声をかけられて、ラピスはビクッとする。<br>顔を上げると、薄そうな服装を着た男の人が立っていた。<br>男の人なのに髪が長い。<br>変なの。<br>ラピスは手早くサンドイッチをリュックにしまうと、もう一度男を向いて口を開く。<br><br>「よくない」<br><br>面食らったように男が表情を変えると、ラピスは無視して歩きだした。<br>それよりも早く、男はラピスの前に回り込んだ。<br><br>「おっと、そうはいかないよ。君がどこから来たのか教えてほしいだけさ」<br>「……おしえない」<br>「君、この男の人知らないかなぁ？」<br><br>髪の長い男がラピスの前に出したのは一枚の写真だった。<br>一人の男性と一人の少女の写真。<br>間違いなく、父と自分の姿。<br>動揺。<br>いけない。<br><br>「…………」<br><br>ラピスは口を閉じたが、男はラピスの表情が動いたのを見逃さなかった。<br><br>「案内、してくれない？」<br><br>人の良さそうな笑顔を張り付けた表情の男は、ラピスにゆっくりと問いかける。<br>違う。<br>こんなのは笑顔じゃない。<br>ラピスは知っている。<br>本当の笑顔というのは、さっきの店のお姉さんや、母や、時々だけど父が見せてくれる、もっと優しいもの。<br>自分は、まだ上手くできないけど、それくらい知っている。<br>この人は、良い人じゃない。<br>恐い、人間。<br>研究所でラピスを見ていた人間と、同じ感じがする。<br>物を見る視線で自分を見て、自分を傷つける。<br>この人が話しかけているのは人形だ。<br>壊れ物でも扱うように、人形とでも、話すかのように。<br>今までは、それが当たり前だった。<br>痛くて、恐くて、寂しくて。<br>今は、違う。<br>今、自分は『外の世界』にいる。<br>自分は今、人形じゃない。<br>ラピス・ラズリだ。<br>ラピスは覚悟を決めて返事をする。<br><br>「いや」<br>「……僕も、手荒なことはしたくないんだけど」<br><br>男の表情がピクリとして、少し不愉快そうな顔になる。<br>怖い。<br>恐い。<br>頼れる人は周りにいない。<br>男が手をラピスに向けて伸ばしてくる。<br>逃げようとするも、既に回り込まれた後だ。<br>一歩あとに下がる。<br>男も前にでる。<br>捕まる、とラピスが思った、その時だった。<br><br>『ラピス～、どうでしたか？ 買えましたか？ あんまりマスターが見てこい見てこいって言うものですから、でも私はラピスを信じていましたよ。マスターも心配し過ぎで…………ラピス、どうしました？』<br><br>ラピスと男の間に、一枚のウィンドウが割り込んだ。<br>薄い桃色。<br>琥珀色の瞳。<br>自分と同じ色の、自分より大きな女性。<br>母である、ダッシュ。<br>男は急に現れたホログラムに驚いたのか、ズサッと勢いよくラピスから距離をとる。<br>助かった。<br>ラピスは安堵から少し涙目になってしまったのだが、ダッシュはこの状況に気付かずラピスが心細かったものと勘違いしてにこやかに笑う。<br><br>『もう、ラピスもどうしたんですか。マスターなんか、嫌な予感がする、とか言って急かすんですよ？ 心配なら心配って言えばいいのに……』<br><br>ラピスを安心させるかのように、アキの様子を話し出すダッシュ。<br>父の、嫌な予感。<br>肝心な時はやはり『おとうさん』の方が頼りになるのではと、ラピスの中で二人のパワーバランス認識は大きく傾いたのだが、ダッシュは気付く様子もなく話し続けている。<br><br>「おかあさん……あのね」<br>『それで……あ、はい。何でしょう？』<br>「ん」<br>『後ろ……何かあるんですか？』<br><br>声と共に、ウィンドウを指差すラピス。<br>正確には、ウィンドウの後ろで身構えている男を。<br>ダッシュは不思議そうにラピスを見てからゆっくりくるりと一回転すると、男と目を合わせて、双方固まっていた。<br><br>「まさか、これはウィンドウ！？ 船外でどうやって、それにそのコミュニケはウチ製品……」<br>『あ、あなたはーーーーーっ！？』<br><br>驚き方はそれぞれ。<br>ラピスはダッシュの背後から男を指差し絶叫するダッシュを見つめる。<br>おかあさんの、知り合い？<br>ラピスは聞ける余裕もなく、口を閉じていた。<br>大声、といってもラピスの腕から聞こえる声に男が怯んだ隙にダッシュが反転する。<br><br>『ラピス、何もされませんでしたか！？ いいえ、何されました！？』<br>「え、お、おとうさんのところに……」<br>『連れてけって言ったんですね！？ さ、さすがマスター、私なんかでは足元にも……それよりラピス、逃げます。なるべく急いでください』<br><br>最早されたこと前提に会話を始めたダッシュの剣幕に驚きながら、ラピスはダッシュの支持する方へ走る。<br>瞬間、コミュニケと反対のラピスの腕が再び掴まれそうになる。<br>強くは掴む気はなかったろうが、ラピスを恐怖させるには十分。<br><br>「ま、待て！ 君たちは……」<br>「やっ！」<br><br>蹴る。<br>反射的に、向こう臑をかかとで。<br>男は反撃する訳にもいかず微妙な表情を浮かべながら、手を引っ込めた。<br><br>『ナイスキック！ 皆さん、ここに変態がいますよーっ！ ラピス、復唱！』<br>「……へ、へんたいー」<br><br>トドメとばかりにダッシュがスピーカーから思いっきり声をあげると、通行人や周りから注目が集まってくる。<br>注目の視線の先には、幼い少女に手を伸ばすロン毛の男と、大声で助けを求める少女。<br>都合の良いように、ダッシュを映したウィンドウは消えていた。<br>つまりこの瞬間、一人の犯罪者が生まれたことになる。<br><br>「ち、違うよ！ 君たちは何か誤解をして——」<br>「——ちゃん、警察呼んで！」<br><br>男の弁解も最早無駄。<br>ウェイトレスの一人が携帯端末で連絡を取り、もう一人が男に向かう。<br>ラピスはそれを後目に、人垣を分けて走る。<br>振り返ってみると、携帯端末のウェイトレスはラピスにばいばいと手を振っていた。<br>さっきの、お姉さんだ。<br>ラピスはちょこんと礼を返して、混乱し始めた場を走り去った。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>「おかあさん、へんたい……ってなに？」<br>『最悪最低、人間社会に置ける塵のような存在ですよ』<br><br>現場を離れて父の待つ広場へ向かう。<br>大分離れたし、ファンファンとなる赤いランプが道路を通っていったあたりでダッシュが『安心して大丈夫ですよ』と言ってきた。<br><br>「……よく、わかんない」<br>『そうですねぇ……ま、いいじゃないですか。お父さん心配してますよ』<br>「うんっ！」<br><br>遅くなってしまった。<br>ラピスも早く戻って安心させたいし、褒めてもらいたい。<br>ラピスは顔に小さなぎこちない笑顔をが浮かんでいた。<br><br><br><br>それはそれとして教育上悪いので、変態については頑なにはぐらかすダッシュ。<br>彼女でも、アキに叱られるのはおっかないのである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418165040.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 15:00:31 +0900</pubDate>
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<title>02</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br>研究室以外の部屋。<br>期待していたほど、綺麗な訳でも派手な訳でもなく、簡素な部屋だった。<br>ベッドが一つ。<br>IFS端末が一つ。<br>長方形の木でできた大きな箱が一つ。<br>くまのぬいぐるみが、一つ。<br>ラピスは一つ一つを興味深そうに眺めたあと、自分を抱きかかえている人物を見上げた。<br>何故最後にしがみついてしまったのか、それは分からない。<br>何故付いていきたいと思ったのか、未だに分からない。<br>安心できた。<br>温もりをくれた。<br>名前をくれた。<br>誰にも触れられた事のない自分。<br>本当の意味で初めて、自分に触れ、頭を撫でてくれた。<br>誰かにとっては、些細なことなのかも知れない。<br>ラピスにとってそれは、とても大きなこと。<br>ラピスを抱えているアキと言う名前の人物は、何やら落ち込んでいるのか、ふがいなさそうにしていた。<br>初めて見た時から、溜め息を吐いていたのを覚えている。<br>悩み事。<br>ラピスにはあまり無縁の言葉だが、意味は知っている。<br>この人も、それなのかも知れない。<br>少し心配するラピス自身、自分がアキにとって悩みの種であることには気付かない。<br><br>「……？」<br>「……どうした？」<br><br>ラピスは改めて辺りを見渡す。<br>ここは、どこだろう。<br>今更だが、ここは研究室ではないのだ。<br>それなら、どこだろう。<br>通路を裸足で付いていって、この人に抱き上げられて、目を瞑って、どうなったのだろう。<br>浮遊感のようなものを感じたのは、ラピスも覚えている。<br>今、ラピスがいるのは、全く違う場所。<br>それくらいは、ラピスにも理解できた。<br>難しい表情を消してラピスに声をかけたアキに、ラピスは疑問を口にする。<br><br>「……どこ？」<br>「…………」<br><br>疲労しているのか、アキは答えず頭を押さえ、ラピスを降ろしてベッドに腰掛けさせた。<br>向かいにアキも座って、真剣そうにラピスに口を開く。<br><br>「いいか、ラピス……」<br>『どこだと、思いますか？』<br><br>アキの言葉は最後まで届かず、代わりにラピスの前にはまた四角形が現れる。<br>四角形の中には、小さな妖精。<br>にこにこと、笑っている。<br>対照的に不愉快そうに顔を歪めるアキを、ラピスは少し可哀想に思った。<br>どうしてこんなにも自分より小さいのか、どうして四角形に入っているのか、聞いてみたいが、今は答えることにする。<br><br>「おへや」<br>「半分正解……正確には、貴女のお部屋ですよ」<br>「……わたし？」<br>「ええ、気に入りましたか？」<br><br>よく、分からない。<br>部屋など、ましてや自分だけの部屋になどに、ラピスは居たことがない。<br>ラピスが困った表情をしていると、また頭に何かが触れた。<br>大きな手。<br>アキの手が、ラピスの頭の上にあった。<br>ゆっくりと手が動くと、自分の薄い桃色の髪も揺れていた。<br>不思議な、安心感と安堵感。<br>ラピスはボンヤリとしながら、微笑むような困ったようなアキの顔を見ていた。<br>それもつかの間、アキは音に反応するように四角形を睨みつける。<br><br>「今からでも遅くない、ラピスは……」<br>『マスター、私がいない間に相当無茶しましたよね？』<br><br>アキの言葉を再三遮ると、ダッシュが話し始める。<br>アキは怪訝そうにダッシュを見ると、言葉を返した。<br><br>「まだ、何とかなる……それとこれとは別の話だろう」<br>『まだ、です。いつかは壊れてしまいます。マスターは病院にもいかないし、治療も受けない。それなら私で何とかするしかないじゃないですか』<br>「それで、ラピスか？」<br>『マシンチャイルドのナノマシン処理能力……一部でも負担が軽くなれば、いずれ眼も』<br>「俺は、そんなことは望んでいない」<br><br>難しいことを話し出す二人。<br>ラピスはちょこんとベッドの端に腰掛けながら、たまに自分の名前がでる会話を聞いていた。<br>羽織った大きい布の裾を握りしめ、力を抜く。<br>この二人は、自分に痛いことはしない。<br>怖くない。<br>恐くない。<br>それは、安心できると言うこと。<br>ラピスはほっとすると同時に、何とも言えない独特の落ち着かない感情を覚えた。<br>擬音に例えるなら、うずうず、もじもじ、が適当だろう。<br>そんなラピスに、二人が気づくことはない。<br><br>「成り行きで連れてきてしまったが、ラピスは他の子供同様、アカツキのところで保護してもらう」<br>『あんなロン毛、信用できません』<br><br>ロン毛とは、誰だろう。<br>疑問を疑問に思う余裕すら、薄れていく。<br><br>「確かにあいつは軽薄で、ただのロン毛のスケコマシにしか見えないが、根っこはしっかりとしている。この子はお前が知るラピスじゃない、俺たちが干渉するべきではない」<br>『知ってるとか知らないとかじゃありません、ラピスはラピスです！ マスターだって、ホシノ・ルリとは、ずいぶん仲良くしてたってオモイカネに聞いているのですよ！』<br>「ル、ルリは関係ない」<br>『あ、そう言えばルリって呼び捨てですよね！ こっちのルリとは親密なのに、こっちのラピスと私は蔑ろですか！？』<br><br>たじろぐアキに、優位に立ちつつあるダッシュ。<br>ラピス、こっちのラピス。<br>ルリ、こっちのルリ。<br>自分の名前、誰かの名前。<br>二つの名前は、何故か別々な四人のことを示しているように、ラピスには聞こえた。<br>ヒートアップしてきた二人をよそに、ラピスは話を理解しようと必死だった。<br>ラピスが内容を聞いていてもチンプンカンプンなのだが、アキはラピスを別なところに、ダッシュはラピスを留めようと。<br>二人の意見が分かれ、揉めている事くらいは理解できた。<br>この場所にラピスを連れてきたのは、真っ黒な板に顔を隠したアキという男の人。<br>この場所からラピスを連れ出そうとしているのも、アキ。<br>何故だろう。<br>会話の流れしか掴めないものの、ラピスは不安感からアキを見上げる。<br>ここに自分がいては、いけないのだろうか。<br>この人は、自分が嫌いなのだろうか。<br>不安になる。<br>ふと、疑問が浮かんだ。<br>ラピスは、どうなのだろう。<br>今まで、ラピスは『人間』に対して嫌悪も好意も抱いたことはなかった。<br><br>『痛いのは、嫌』<br>『怖いのは、嫌』<br><br>試験管の中で覚えたのはこの二つ。<br>人がラピスたちを物だと思うように、ラピスも人間を同じ存在だと思ってはいなかった。<br>この人たちは、嫌いじゃない。<br>どちらでもない存在。<br>閉鎖された研究室という空間の、外から来た人物。<br>それだけではなく、側にいると温かい。<br>一目見た瞬間に、何かをラピスはアキに期待したのだ。<br>名前を付けてもらった時、初めて触れてもらった時、連れ出してもらった時、ラピスは純粋に嬉しく感じていた。<br>叶うはずがない自分の願いが、誰かに届いたのだと。<br>何人もいたマシンチャイルドの中で自分だけがここにいる事実に、少し後ろめたいものを感じつつ、ラピスは思考する。<br>残念ながら、全部を纏めることはできない。<br>知識も経験も、何もかもが足りない。<br>あるのは有り余る好奇心だけだ。<br>分かった事は、アキが勝ってしまうとロン毛と誇称される、話をラピスなりに汲み取る限りろくでもない人物のところに行かなければならないらしい。<br>しかし、ラピス・ラズリという存在が、この二人と離れたくないのは確かな事実。<br><br>『初めて会った』<br><br>改めてその部分に、ラピスは変な引っかかりを覚えた。<br>本当に、会ったのはこれが初めてだろうか。<br>少なくとも、ラピス自身の記憶にはない。<br>それなら、どうしてこの二人はラピスのことを知っているのだろう。<br>どうして連れ出してくれたのだろう。<br>名前すらなかった自分のことを。<br>一、実験体に過ぎない、マシンチャイルドとしても『未完成』な自分を。<br>今更なことに、ラピスは久しぶりに長い時間外気に触れてはっきりしない頭を傾げた。<br>とにかくここからまたどこかに連れて行かれるのは、好ましくない。<br>ラピスはダッシュを心の中で応援することにした。<br><br>「……何と言われようと、ダメだと言ったらダメだ」<br>『マスターの分からず屋！』<br><br>ダッシュが一際大きな声で応戦した。<br>アキも、一瞬怯んだように表情を返る。<br><br>「子供みたいなわがままを言うな」<br>『人間の年齢と照らし合わせても、間違いなく私は幼児です！』<br>「屁理屈を……」<br>『道筋が立ってなくても理屈ですよ～だ！』<br>「くっ……百歩譲って認めたとしよう。目も見えなくなった俺が、どうやってラピスの世話をすればいい？」<br>『それは……』<br><br>言い淀むダッシュに、ほっとしたようなアキを見ながら、ラピスは変な違和感に焦っていた。<br>ダッシュが劣勢だからと言う訳ではない。<br>もちろんそれもとても大事なこと。<br>それとは別に、身体に変な違和感がある。<br>焦燥感。<br>不安感。<br>その二つの原因をラピスは理解して、変わることのなかったラピスの無表情に少し羞恥が混じる。<br><br>『そ、それはですね。わ、私も頑張ります。えーと……勉強とかなら教えられますよ？ ナノマシン工学とか一対多の戦術理論とか戦艦の操縦方法とか……あとハッキングとかクラッキングとか』<br>「………………な、諦めて保護してもらおう？」<br><br>ダッシュの健気な努力の甲斐もなく、アキは嘆息吐いて口を開いた。<br><br>『何ですか、その変に長い間は！？ 可哀想な子を見るような目はやめてください！ 期限付きでも良いですから、ラピスと一緒に居たいんですよ……マスターは違うんですか？』<br>「……いいや、居たくない訳じゃないよ。お前の気持ちも良く分かる。全く、どうしたらいいのか……ん？」<br><br>何とか折衷案を探して会話を成り立たせている二人を不安げに交互に見つめて、伝えるべきかどうかがわからなくなり口を開けたり閉めたりしていたラピスは、会話をやめたアキにびくりと肩を揺らした。<br>アキは怪訝そうにラピスに顔を向けると、ゆっくりと首を傾げて見せた。<br><br>「……どうした、ラピス？」<br>『マスター、ラピスがどうかしたんですか？』<br><br>心配そうに口を開いたアキと、ラピスの様子に違和感を感じなかったダッシュ。<br>表情の作り方がまだ分かっていないラピスの変化を読み取れないのは、当然のこと。<br>寧ろ、気づいたアキが変なのだと言えた。<br>三人しかいない部屋で、ラピスは二人の視線を受ける。<br>言いたくないとラピスは思い、俯く。<br>羞恥心をまだ羞恥と理解できないラピスは、俯いたまま上目遣いにアキを見上げ、舌足らずな声でこう言った。<br><br><br>「……………………とい、れ」<br><br><br>バッと、影が動く。<br>言った瞬間、言い争いは保留となり、ラピスは半ベソ状態でアキに抱えられ通路を疾走していた。<br>あっと言う間の出来事に、部屋にポツリと残されたウィンドウ。<br>ダッシュは呆れたように、開いたドアに視線をやる。<br><br>『……目、見えなくても何とかなるじゃないですか』<br><br>自分の主の虚偽を目の前にしたダッシュの呟きは、誰にも聞かれることは無かったのだった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>機動戦艦ユーチャリス。<br>それがこの艦の名前。<br>白百合の名を冠する戦艦に、黒百合と呼ばれる機動兵器はもう積まれていない。<br>この戦艦が、辿り、流れ着いた場所には、黒百合は来ていなかったからだ。<br>黒い百合。<br>白い百合。<br>どちらも百合の名に因んでいるのは、アキなりの皮肉なのだろうか。<br>もう会えない愛した人の名を付けて、いつまでも復讐に生きるつもりなのだろうか。<br>そんな生き方は、あんまりだ。<br>火星の時もそうだった。<br>ダッシュの主は自らを蔑ろにし過ぎる。<br>だから黒百合は、白百合には帰って来なかったのかもしれない。<br>これ以上、アキを戦わせないために。<br>これ以上、そんな生き方をさせないために。<br>自ら、姿を消したのかもしれない。<br>閑話休題。<br>ユーチャリスを制御するオモイカネ級スーパーコンピュータ、オモイカネ・ダッシュ。<br>通称ダッシュは、艦の整備のために人間で言う自意識の部分をブリッジに降ろした。<br>数ヶ月前、ダッシュがこの世界に降り立った場所は火星宙域に位置する隕石群の中だった。<br>状況も理解できず、自らの主に連絡を取ろうにも繋がらない。<br>一時は自閉モードに入りかけたこともある。<br>過去の世界。<br>ダッシュには、未知の世界。<br>頼れる者がいない世界で、ダッシュが縋ったのは同じオモイカネシリーズ。<br>つまりはナデシコ。<br>主が接触するならそれしかないだろうと考えて、ひたすらに待った。<br>幸い、探知妨害等の隠れる機能は幾らでもユーチャリスには搭載されている。<br>無人兵器から身を隠し、オープン回線に設定し、艦内のバッタを動員して機能の回復に当てた。<br>外装を修理しようにも何分資材が足らず、第一外部装甲には今でも未だに亀裂の入ったままだ。<br><br>『迎えにいく』<br><br>約束を支えに、ダッシュは待った。<br>主が乗っていないとしても、何らかの手掛かりはある筈と。<br>そして、ナデシコは歴史通りやって来た。<br>完全に戦艦自体はユーチャリスをスルーしていたものの、ダッシュは確かに自分と同型の存在に回線を繋いだのだ。<br>ナデシコＣとは直接話すことがなかったので、ダッシュは兄弟、姉妹との初めての対面となる。<br>少し、期待はあった。<br>期待は、確かにあったのだ。<br><br><br><br>『……只今、大事な大事なデータの撮影中です。オモイカネの最優先事項。その他の命令系統は遮断中。ちょっと待っててね』<br><br><br><br>相手方の第一声。<br>わざわざ撮影データを流して来たのは、喧嘩を売ってきたと解釈していいだろう。<br>人間で言う『ぶち切れた』を体感できたのは、ダッシュも今では良い思い出。<br>その後は、思い出したくもない。<br>罵詈雑言の罵り合い。<br>恐らくメモリーからも通信内容は滅却されていることだろう。<br>何にせよ、主であるアキトがアキと名を変えてナデシコにいるのが分かったダッシュは、タイミングを見計らって悪のオモイカネの魔の手からアキを救い出した。<br><br>良かった。<br>本当に、本当に、良かったと、ダッシュは思う。<br><br>ナデシコは限り無く前回に近い条件でチューリップを通過した。<br>途中アキが危険に遭うことも多々あったが、ナデシコは８ヶ月、もしくは変化の誤差からしてそこから前後１ヶ月の間に地球宙域に出現することだろう。<br>その８ヶ月。<br>アキとダッシュにも無駄にすることは出来ない。<br><br>『一隻……いえ、二隻ですか』<br><br>ユーチャリスは現在、木星、地球間のルート上に停止している。<br>アキに余計な負担をかけることを避けて、ユーチャリスをあえてボソンジャンプさせずに通常航行でさっさと地球に戻ってきた。<br>奇襲強襲艦の名は伊達ではない。<br>ユーチャリスのスピードとナデシコのスピードとでは、ナデシコはユーチャリスの足元にも及ばないだろう。<br>例によって隕石の岩場に船体を隠し、外部に飛ばしたバッタから送られてきた映像を解析する。<br>二隻の大型輸送戦艦。<br>過去のデータと照らし合わせて、蜥蜴戦争時のクリムゾン戦艦だと確認した。<br>木星、地球間を木星蜥蜴の襲撃を全く考慮せず移動する不審戦艦を発見したのは、この二隻を含めこれまでに合計三隻。<br>どれも大量の資源を積んでいるともなれば、怪しさは倍増する。<br><br>『三番、九番、十三番。四機づつ率いて行動開始。第二警戒態勢のまま、目標戦艦船体後方ブロック排除』<br><br>ダッシュの命令に反応して、番号を呼ばれたバッタが五機、二隻の戦艦に取り付くべく命令を実行する。<br>先行した二機のバッタ発射したマイクロミサイルが、一隻の戦艦を威嚇した。<br>ある筈のない無人兵器の襲撃に慌てたのだろう。<br>大した武装も積んでいなかった二機の戦艦はなすすべなく輸送ブロックをバッタに切除され、地球に逃げ帰った。<br>木星と地球企業の間で、戦後の覇権取引があったのはダッシュの記録にもある。<br>元々資源に乏しい木連と、戦艦開発でネルガルに遅れを取ったクリムゾンが手を組むのも必然と言える。<br>どちらにも言えるが、ネルガルですら出来るだけ長く戦争が続いた方がいい、そんな思想をちらつかせていた。<br>片方は自らが正義であるという理想と、見せかけだけの大義を地球に思い知らせるため。<br>もう片方はライバル企業に勝利し、新たな兵器を開発するため。<br>戦争が長く続いた方が都合がいいのは、どこの企業も統一して言えるのだが、不穏な動きを見せないだけアスカ・インダストリーは堅実な企業なのだろう。<br>大人の事情は大人の事情。<br>完全な独立勢力であるアキとダッシュには関係ない。<br>せっかくなので、木連に輸送される筈だった資源は有効利用させて貰うことにした。<br>ユーチャリスの戦闘バッタも沢山減ってしまったし、外部装甲も直さないといけない。<br>押収したコンテナの資材はユーチャリスを修理しても余りある程。<br>証拠が残らないように、余った資材は積めるだけ積んでバラバラに解体しておくことにしよう。<br>出来る女は大変だ、とダッシュは作業に一区切り付けて一息吐いた。<br><br>「……おかあさん」<br><br>いつの間にか、ブリッジに一人の少女。<br>ラピス・ラズリ。<br>ダッシュにとって、昔のラピスや今のラピスなど関係なしに、愛おしい存在。<br>アキも、気持ちは同じなのだ。<br>ただ少し真面目過ぎて、自虐的過ぎて、割り切れないだけ。<br>先程の件がうやむやに出来たのだから、アキも存外ラピスと一緒も悪くないと思っているのかも知れない。<br>ダッシュは思考を切り替えると、ウィンドウをラピスの前に投影する。<br>わざわざウィンドウの中にＣＧで人の形を映し出しているのは、ひとえにラピスのため。<br>外見はラピスを成長させたものをシミュレートして作って見た。<br>先程改めてアキに尋ねたら「そんなことをしなくても、ダッシュはダッシュだろう」と言われてしまった。<br>ラピスと話すのに、ましてや幼い子供と話すのに声だけでは味気ない。<br>ダッシュ自身の夢や理想、人にであったらこうなりたいという願望でもある。<br><br>『呼びましたか……あ、お風呂いれてもらったのですね？ どうでした？』<br>「みず……きらい」<br>『……そうでしたね』<br><br>ラピスは今、火照った顔をして、少し大きめのピンク色のパジャマに身を包んでいる。<br>ほかほかなのか、満更でもない顔のラピスに、ダッシュは微笑む。<br>姉のおさがり。<br>意味的にもニュアンス的にも、それで間違いないだろうと、ダッシュは思う。<br>アキはトイレにラピスを連れてった後に、何だかんだでダッシュの頼みを聞いてくれた。<br>文句は相変わらず言っていたが、昔から水を怖がるラピスをお風呂に入れるのはアキの役目であった。<br>何にも、変わってない。<br>アキは、誰よりも優しいアキ。<br>トイレのことだって、余程気を遣ってなければ気がつかなかったこと。<br><br>何か、良いなぁ。<br><br>なんとなく、再び三人揃った安堵からかそう思った。<br><br>「…………なかったよ」<br>『はい？』<br><br>ラピスが何かを言ったが、最初の言葉が小さすぎて聞こえなかった。<br>ラピスはダッシュを見据えて、口を開く。<br><br>「……こわく、なかったよ」<br>『嫌いだけど……怖くなかった、ですか？』<br><br>ダッシュの言葉にコクンと頷くラピス。<br>そう言えば、ラピスのトラウマは北辰に連れ去られた時に生まれたのだ。<br>今回は、それがなかった。<br>間に合った、ということだろうか。<br>それなら良いことだけど、何故ラピスは突然そんなことを言ったのだろう。<br><br>「……えらい？」<br>『……？』<br><br>何かを期待したように、ラピスはどこか胸を張ってダッシュに尋ねる。<br>疑問符を浮かべるダッシュ。<br>それを見て、ラピスも疑問符を浮かべる。<br><br>「こわがらなかったから、えらいって……いってたよ？」<br><br>誰が、何てことはない。<br>おそらく入浴中にアキが「怖くないか？」とか何度も聞いたのだろう。<br>簡単に想像できる光景に、少し可笑しさを覚えた。<br>今はっきりした。<br>目が見えなくなっても、アキには全く問題ない。<br>もちろんゆくゆくは治ってほしいが、今は問題ないことがダッシュに理解できた。<br><br>『ええ。ラピス、偉いですよ』<br>「……うん」<br><br>単純に褒めて欲しかったのか、興味があったのか、ラピスは満足したように頬を薄く染め返事をした。<br>ふと、ダッシュは気が付く。<br><br>『ラピス、マスターはどうしました？』<br>「つかれたから、さきにねる……って」<br>『もう……』<br><br>でも、疲れたのは本当なのだとダッシュは思う。<br>色々、アキにとっては考え過ぎることでもあった。<br>今日は、ゆっくり休んで貰おう。<br>ふわっと、映像が乱れた。<br>ダッシュがラピスに目をやると、ウィンドウにラピスが手をかざしている。<br>自分の手がすり抜けるのを、心底不思議そうに握って開いて確かめているラピスを見て、ダッシュは微笑みを浮かべる。<br><br>『これは、ホログラムですよ？』<br>「……ほろ？」<br>『立体映像……って、まだ良くわかりませんよね』<br>「うん」<br><br>自分のこともまだ良く理解していないラピスに、立体映像やコミュニケについて教えても仕様がない。<br>ダッシュ自身の存在をAIや、スーパーコンピュータと言っても納得してくれるとも思えない。<br>ぶっちゃけて言うと私戦艦ですよー、では、意味も理屈も通らない。<br>何と言ったらいいのか、考えて一つ、試してみることにした。<br><br>『そうですねぇ……ラピス、外見たいですか？』<br>「みたいっ」<br><br>思った通り、元気な返事が返ってきた。<br>アキがメインモニターを見る意味がなくなったため、しばらく使っていなかったが、こう期待されると嬉しいものだ。<br>スイッチオン、と命令を下す。<br><br>「ぁ………」<br><br>ユーチャリスのメインカメラの光景を投影すると、ラピスは目を見開いて小さく声を漏らした。<br>遠くに地球を望み、キラキラとした星が映る、暗い暗い世界。<br>ラピスにとっては初めて見る、本当の『外』。<br><br>「……ちきゅう？」<br>『地球はあのちっこいまん丸です。ここは地球のもっと外……宇宙ですよ』<br>「うちゅう……」<br><br>何となく伝わったらしい。<br>理解したのか、ラピスはモニターに釘付けになっていた。<br>別な様子、別な世界は、アキに見せてもらうことにして、ダッシュは予め飛ばしておいたバッタのカメラを今度はメインモニターに切り替える。<br><br>「あっ……わぁ……」<br><br>切り替わって残念そうにした直後、モニターに映った物にまた感嘆する。<br>ユーチャリス。<br>白亜の、戦艦。<br><br>『これがラピスの今いる場所です』<br>「……おふね」<br>『まぁ、そんなところです。さしずめ私は船の女神ってところでしょうか？』<br>「おかあさんが……おふねで……？」<br>『曖昧で良いですよ。私は、こういうものなんです』<br><br>混乱気味のラピスをなだめると、ラピスはまだユーチャリスを見つめていた。<br>時々、何かを理解したようにコクンと頷いている。<br>その光景が可愛らしいておかしくて、ダッシュはまた微笑む。<br><br>『……たくさん学びなさい。いつか後悔しないように。貴女の未来はきっと私とマスターが守って見せますから』<br><br>静かに、優しく囁くように呟いたダッシュの声は、ラピスに聞こえていない。<br>モニターを真剣に見つめるラピスを、ダッシュの温かい眼差しが包んでいた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>「おはよう……おとう、さん」<br><br>次の日の朝、ラピスの第一声は、アキを凍り付かせるには十分過ぎる物であった。<br>おずおずと挨拶したラピスに、ひとまず表情を変えずに「おはよう」と返したアキは、ラピスの前を駆けていく。<br>昨日は夜遅くまで色んなことを『母』に教わったラピスだったが、夜遅くまで起きているのはいけないことらしい。<br>母の話はどれもこれもラピスの好奇心を充実させてくれたし、言われたとおりに朝の挨拶もちゃんとできた。<br>昨日のお風呂同様、褒めてくれて、頭を撫でてくれるとばかり思っていたラピスは、ちょっと残念に思う。<br><br>『アキじゃなくて、おとうさんの方が喜んでもらえますよ』<br><br>ダッシュの言葉が蘇る。<br>喜んで、くれただろうか。<br>ラピスは少し期待に頬を染めて、アキについていった。<br><br>「どういうつもりだ、ダッシュ！」<br><br>『何のことだかわかりません、マスター』<br><br>「……いつからお前は純真な子供を洗脳できるようになった？」<br><br>『洗脳なんて人聞きが悪いです。私はラピスと信頼関係の元に愛称を付け合っただけですよ』<br><br>「…………もう、手遅れなのか？」<br><br>『マスターがおとうさん……私がおかあさん……。はぁ、夢のようですね』<br><br>がやがや、ざわざわ、聞こえる声は左の耳から右の耳へ。<br>扉を開いて、ラピスは中へ。<br>もちろんブリッジに入ったラピスの瞳には力無くうなだれたアキと、にこにこ笑顔輝くダッシュが映るだけで、二人の会話なんかこれっぽっちも聞こえてはいなかった。<br><br><br>ある意味、将来大物になれることだろう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418164856.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 15:00:11 +0900</pubDate>
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<title>01</title>
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<![CDATA[ <br>「おいお前、どうやって入って来た？」<br><br>声に反応したように、その男は足を止めた。<br>夜勤の眠気を覚まそうと、コーヒーを煎れて来た帰りの出来事。<br>カップを滑らせて落とし、白衣に染みが着く。<br>扉を出た目の前、真っ黒な男が通路を歩いていた。<br>見れば見るほど怪しい格好。<br>黒服。<br>黒マント。<br>後ろ向きになっていて見えないが、あれはバイザーだろうか。<br>一瞬、幽霊か何かかと思った。<br>どんなに良い方向に見ても、同じ技術者には見えなかった。<br>この場所に入るには直通のエレベーターが一本のみ。<br>限られた人間が持つカードキーを使うしか、入ってくる手段はない。<br>そして今日は、この一人の研究者以外の人間がここに来る予定はない筈だった。<br><br>「……人間開発センター、地下7階実験施設……誤差はゼロ……」<br>「……聞いているのか？」<br><br>無視を決め込み、何かを呟いている男。<br>強い口調で怒鳴っても、返事はない。<br>寝不足で幻覚でも見ているのかと思い、研究者は自分で首を振る。<br>まだ、そこまで朦朧はしていない。<br>自分と同じ技術者にも見えないが、どうだろうか。<br>後ろめたいことをやっている以上、上司がどんな人間を雇っているかわからない。<br>思えば前にもこんなヤツが来たことがあることを、思い出す。<br>格好こそ自分と同じ白衣だったが、何というか、雰囲気が自分たち『まとも』な人間とは違う人間。<br>そいつは突然やってきて、上司の許可書を見せると『人形』を一人連れていった。<br>廃棄も近かったし、データも取り尽くしていたため利用価値もない。<br>何よりこの研究者は下っ端の下っ端。<br>夜間のデータ確認が主な仕事。<br>アルバイトと大した違いもないだろう。<br>上司の命令ではしかたがないが、納得のいかないものがあった。<br>連れていった技術者の名前は確か、ヤマサキとか言っただろうか。<br>今となっては、どうでもいいことだ。<br>遂には立ち止まるのをやめて、再び歩き出した男の肩に手を掛ける。<br><br>「査察か何かは知らないけれど、時間を考えろ。人形はまだ寝てる、今来てもデータはやれない」<br>「……人形？」<br>「ああ、いや失言だった。上司の命令でそう呼ばされている。造られた人の紛い物とは言え、人形と呼ぶのはどうかしていると思うがな」<br>「……そうだな」<br><br>男はふらりと、興味を示したように顔をこちらに向ける。<br>やっと分かってもらえたのかと、エレベーターへの道を譲るが、まだ男は動かない。<br><br>「さぁ、帰ってくれ。明日の昼には責任者が戻って来る。言っておくが上のホシノ技術局長に何と言われてようと、ここは管轄が違う。ナノマシンの開発施設ってことになってる。お前も裏の仕事なら分かるだろう、帰る時に余計なことは言わないで欲しい」<br><br>少し苛立ちを覚えながら、男を押しだそうとした時だった。<br>ゴチッ、と額に何かが押しつけられた。<br>押しつけられた物を辿ると、黒衣の男の手のひらに繋がっている。<br>紛れもなく、拳銃。<br>サイレンサーらしき物がくっついていて、それはとても長く感じられた。<br><br>「……何のつもりだ、お前」<br>「貴様の雇い主は誰だ？」<br><br>低く、冷たい声で聞いてくる男。<br>正直、やってられない気持ちになる。<br><br>「……私は馬鹿か？ 同業じゃなかったか。まぁ、いい。上司は今のネルガルの社長……これでいいか？」<br>「随分、口が軽いな」<br><br>信じてもらえるとは思っていないが、嘘を言って殺されたのでは意味がない。<br>一応、両手は上げておくことにする。<br><br>「雇われ社員。給料は大事だが、命には及ばないことくらい自分で弁えている。それで、殺すのか？」<br>「…………いや、興ざめした」<br><br>男はしばらく考えるように暗い眼でこちらを見たあと、銃を下ろした。<br>腰を抜かしてへたり込むと、カツカツと廊下を足音が遠ざかっていく。<br>視線を上に向けることができないくらい、実はビビっていた。<br>それにしても、残念だ。<br>男が『あの部屋』に行くと言うことは、研究者の職は手元に残らないだろう。<br>こんなのでも技術者の端くれ。<br>仕事には充実していたと言える。<br>そう言えば、自分は何を目指してナノマシン工学を学んで来たのだろう。<br>場違いな仕事とは言え、ネルガルに就職したのもそれが理由だった筈だ。<br>ふと、意味も無く呟きが漏れた。<br><br>「…………ホシノ・ルリ、完璧な人形か」<br><br>思わず漏れた本音。<br>プシュッ、という音。<br>自分の体を見ると、右足に空いた穴から血が溢れてきている。<br>見上げる。<br>真っ黒男が、銃を構えてこちらを向いていた。<br><br>「は、はは……は……殺さないと、言ったじゃないか」<br><br>掠れた自分の声。<br>馬鹿みたいに痛い。<br>床を這うようにして男を睨みつけると、生きると言う希望を完全に諦めた。<br>幽霊なんかじゃない。<br>立っているのは、悪鬼。<br>次元が違う、化け物。<br>体が、今更震えだした。<br>頬を、涙が伝う。<br><br>「次に彼女を人形と呼んでみろ……その頭を吹き飛ばしてやる」<br><br>目を瞑って、故郷で生き絶えたの母親のことを思い出していた時、男は吐き捨てるように呟いてまた足音を立てる。<br>訳がわからないが、あんなモノに接触して生きているのが不思議なくらいだった。<br>痛い。<br>死にそうなくらい。<br>痛みを感じられると言うことは、まだ生きている。<br>這いずり、壁に寄りかかる。<br>今度こそ、男はマントを翻して通路から去っていた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>試験管の中、少女は目を覚ました。<br>正確な時間は分からないが、零時は回っているだろう。<br>眠る時間は、いつも決まっているので間違いない。<br>少女は首を傾げる。<br>睡眠の途中で目覚めたことは、初めての事。<br>試験管いっぱいに満たされた人工羊水を掻き回すように、くるっと周りを見る。<br>誰もいない、研究室。<br>少女は自分がどんな存在か、ある程度把握しているつもりだ。<br>ネルガルと言う企業の実験体。<br>プラスチックとシリコンで作られた10のマイナス……いくつだっただろうか。<br>とにかくナノマシンと言うとても小さな機械が自分の体に入っていて、時には痛み、時には苦しみを少女に教えてくれる。<br>まだ本格的な『教育』の段階までは受けていない少女には、難しいことはよく分からない。<br>少女が最初に記憶した景色はこの試験管越しの世界だし、無針注射によるナノマシン投与実験以外では、この試験管を出たことすらない。<br>会ったことのある人間も、白衣を着た恐い顔の研究者だけ。<br>この研究室のずっとずっと上の階には、自分の成功作がいるのだと、研究者が話していたのを聞いたことがある。<br>成功作。<br>マシンチャイルド、と言うらしい。<br>成功作と失敗作の違いは、あまりに明確。<br>公にできる者と、そうでない者。<br>少女は後者、幼いながらも自分が世の中にバレてはいけないのだと研究者の態度から察していた。<br>ふと思い出し、訂正。<br>この部屋に誰もいない、と言う訳ではない。<br>少女の周りにある幾つもの試験管。<br>まばらな位置にポツポツと、羊水に満たされた試験管。<br>少女と同じような子供が何人か、目を瞑って浮かんでいる。<br>話したこともなければ、触れたこともない、同じ実験体たち。<br>接触自体はなくても、それでも狭く暗い世界で共に生きる、言わば仲間意識、自分と同じだと言う繋がりのようなものを少女は感じていた。<br>少女の隣の、空の試験管。<br>数日前、連れていかれた。<br>それまでは、赤い髪が綺麗な個体が入っていた試験管。<br>たまに目が合う程度の関係だったが、少女にとっては閉じられた空間の中、他の誰よりも身近だったと言える。<br>外の世界から来る研究者たちを、少女は嫌いだった。<br>たまにデータを取りに来て、規定以下の個体は処分。<br>処分。<br>何度も、研究者が口にした言葉。<br>その言葉と一緒に隣の個体は連れていかれて、二度と帰っては来なかった。<br>身を捩る。<br>少女は割と『優秀』な部類に入るらしく、連れていかれはしない。<br>強化体質との相性が何とか、と言っていた。<br>ナノマシンを投与されれば痛みはあるが、すぐに慣れる。<br>おそらくそのことだろうと、少女は考えていた。<br>何故、起きてしまったのだろう。<br>夜に起きても良いことはない。<br>暗いし、寂しくなる。<br>外の世界は、暗かったり明るかったりするらしいが、この場所はいつも暗いからどうでもいい。<br>違和感。<br>落ち着かない感覚。<br>誰かに起こされたような、そうでないような。<br>とにかく、少女は眠る気にはなれなかった。<br>何を期待して自分は起きてしまったのか、少女には分からない。<br>予感。<br>そんなものを、感じたのかも知れない。<br>ますます良く分からなくなって、少女は目をパチクリさせた。<br>明日も、痛い思いをするのだろう。<br>また誰かいなくなるのかも知れない。<br>痛い思いをするのかも知れない。<br>それは、嫌。<br>嫌なら、どうしたらいいだろう。<br>少女は今まで疑問にも思わなかった。<br>いなくなるのが、嫌。<br>痛いのが、嫌。<br>出たい。<br>この場所を、この場所から。<br>逃げ出せるなら、そうしている。<br>無理だと分かっていて、少女はそう結論付けるしかなかった。<br>ここで起こることには、抗えない。<br>でもここを出れたら、外を見てみたい。<br>広いのだろうか。<br>ここよりは広いのだろう。<br>少女が夢に思いを馳せていると、プシュッと、静かな部屋に響く小さな音が聴こえた。<br>カツ、カツ、カツ、カツ、と一定感覚を刻む音。<br>なんだろう。<br>最初に鳴った音と一緒に、人の声が聴こえた気がした。<br>それからは、断続的な足音。<br>皆には聴こえないのか、目を覚ます者はいない。<br>足音は近づいて、この部屋の扉の前で止まる。<br>こんな時間に、こんな場所に来る人間はいない。<br>来たとして、いつもの白衣。<br>開く扉。<br>こんな時間に目を覚まして、『たまたま』起きていてしまった少女は、目を見開いた。<br>入って来た人物は、白衣とは対照的な真っ黒。<br>独り、少女には目もくれず、部屋の隅の制御機器へ向かうと作業用のIFSコンソールに手を当てる。<br><br>『マスター、どうですか？』<br>「……遅かった。ここは通った後のようだ」<br>『落ち込まないでくださいよ……マスターだって万能じゃないんですから、失敗は私と半分こです』<br>「……わかっている」<br><br>男の人と女の人。<br>少女には会話の声が、そう聴こえた。<br>男の人が一人しか、いない筈なのに。<br>誰だろう。<br>何だろう。<br>少女は好奇心から耳を澄ます。<br><br>『私がリードします。手順通りに、子供たちの試験管から羊水の排水を……』<br>「ああ、こうでいいのか？」<br>『はい、上出来です。マスター、IFS端末の操作上手くなりましたね』<br>「……オモイカネに、ちょっとな」<br>『……だからオモイカネは嫌いなんです。私がいない間にマスターと親密になって、私からマスターを取っちゃう気なんだ』<br>「…………さて、終わったし帰るぞ。アカツキに匿名連絡で、情報を流してくれるか？」<br>『私が火星に着いた時も夫婦みたいに会話してたし、マスターはすぐ誤魔化すし…………いいですよ、私は一生懸命尽くしますから』<br><br>拗ねたような女性の声に、男は「……はぁ」と溜め息を吐いて見せた。<br>そこで、少女は試験管から水が抜けていくのに気付く。<br>半分程水が抜けたところで試験管が開き、バシャッと水が抜けきると同時に、少女は自重に負けて残った土台にへたり込んだ。<br>キョトンとして、男を見上げて首を傾げる。<br>他の試験管の子も突然の出来事に目を覚ましたのか、少女と同じようにペタっと座り込み、男を見て首を傾げている。<br>不思議、不思議。<br>みんな、目がまんまる。<br>少年少女にして見れば、不思議で仕様がないことだろう。<br>出して欲しいと願ったら、この人が出してくれた。<br>少女には、それが偶然ではないように思える。<br>自分が今晩目を覚ましたのは、この人をより長い時間見ていられるように。<br>そんな、気がした。<br>男は入って来た時と同じように、少女を見ることなく、前を通り過ぎようとする。<br>その瞬間、パッと少女の視界が半透明な何かに塞がれた。<br><br>『こっちでは初めまして、小さなラピス』<br><br>視界を塞いだ四角形。<br>四角形には、小さな小さな妖精みたいな女の子が映っていた。<br>びっくりして、少女は四角形に手を伸ばすも手は空を切ってすり抜ける。<br>そんな少女が可笑しいのか、四角形の中の女の子は『ふふふ』と微笑んでいた。<br>少女の体が、影に隠れた。<br>見上げれば、真っ黒な男の人が目の前に立っていた。<br><br>「……ダッシュ、どういうことだ？」<br>『この子は、ラピスです。６つくらいでしょうか、ちっちゃくて可愛いですよ』<br><br>よしよしとでもやりたげに、少女の頭をすかすかと通過する四角。<br>ラピスとは、誰のことだろう。<br>識別番号しか与えられていない自分。<br>この二人は、誰なのだろう。<br><br>「そんなことを聞いているんじゃない。何故、ここにいることを黙っていた」<br>『言ったらマスター、意固地になって会わなかったでしょう。ラピスを放っておいたら、爬虫類に連れてますよ？ それでも良かったのですか？』<br>「む……それは……」<br>『まぁ、この子に名前付けてあげて欲しかっただけなんですけどね』<br>「……本音が出ているぞ」<br><br>真っ黒い人は疲れ気味にまた溜め息を吐くと、少女の前にしゃがみ込む。<br>視線が近くなると、顔がはっきり見えた。<br>黒い。<br>顔の半分くらいが、黒い何かで隠れていた。<br>黒い、板。<br>少女は『これなんだろう』と思って、手を出そうか出すまいか迷っていると、体に何かが巻かれた。<br>真っ黒い、布のような物。<br>男の人の背中についていたヒラヒラが、無くなっていた。<br><br>「……寒くないか？」<br><br>ふるふる。<br>首を振る。<br>あったかい。<br>いつもの粗暴な研究服以外の何かを着せられた、着せて貰ったのは、初めてのことだった。<br>男の人の目は、少女から見えない。<br>見えないけれど、少女はその瞳に安心感を覚えた。<br><br>「名前は、あるか？」<br><br>しばらく考えて、思い出す。<br><br>「……C-0016」<br><br>小さく精一杯の言葉で発すると、男は小さく笑ってみせた。<br><br>「それは番号だ」<br>「ちがうの？」<br>「違う」<br><br>そう言うのなら、そうなのかも知れない。<br>自分はまだ、何も知らないから。<br>それなら、名前とは何だろう。<br>個体を識別するための番号とは違う。<br>物にも付いている、名前。<br>自分には、ないもの。<br><br>「……名前、ほしいか？」<br><br>反射的にコクンと頷いてしまった。<br>あまり勢いがついたせいか、首がちょっと痛くなる。<br>前を見ると、男はまた小さく笑っていた。<br><br>「ラピス・ラズリ……それが君の名前だ」<br>「……ラピス・ラズリ……？」<br>「そうだよ」<br><br>男の手が上がる。<br>少女はビクッとして、身を縮ませた。<br>何をするのだろうか、叩くのだろうか。<br>怖がって目を瞑ると、頭に柔らかい感触があった。<br>撫でられる。<br>羊水から出たばかりなので、長い髪はまだ湿っていた。<br>気にしていないのか、男は二、三度少女を撫でると立ち上がった。<br>少女は、男から目を離さない。<br>黒衣の男は、どこから出したのか白い布を持って少女の横を再び通り過ぎて行った。<br>更に何かを期待するように男を見ていると、男は少女に背中を見せる。<br><br>『マ、マスター、もう行っちゃうんですか？』<br>「……この子のことは、俺が関わるべきことじゃない」<br>『でも、ラピスですよ？』<br>「もうラピスにはあえない。寂しいのはわかるが諦めろ。この子は、たまたま同じ名前だっただけだ」<br>『……マスター』<br><br>男の人は歩き出し、遠ざかっていく。<br>扉が再び開き、姿が消える。<br>少女は、自分の足に力を込めた。<br>体を包み込む、真っ黒い布。<br>あまりに大きすぎて、ずるずると引きずってしまう。<br>後ろを振り返ると、いつの間にか子供たちには白い布が掛けられていた。<br>まん丸な瞳は、今も出ていった人物を捉えているように真っ直ぐ。<br>少女と同じようにぶかぶかな衣、それでも寒くはない。<br>冷たくは、ない。<br>ラピス、と言う名前。<br>ラピス・ラズリ。<br>忘れないように三度呟いて、ラピスは足を前に出す。<br>一歩、一歩。<br>慣れない足取り、ふらつく足取り。<br>少女、ラピスは自分の意志で立ち上がった。<br>何をしたいのかは、わからない。<br>ただ、付いていきたかった。<br>今の仲間よりも、繋がりを捨ててでも。<br>置いていかれるのは、嫌。<br>そんな、変な思い。<br>最初見た時から、抱いてしまった不思議な思い。<br>ラピスは布を握り締め、自らの足で歩き始めた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>黒衣の男、アキは歩みを止める。<br>すると、ペタペタという音も、止まる。<br>小さく三歩、前に出る。<br>ペタペタペタ。<br>また止まると、音も止まる。<br>アキの背中には、ジッとした視線。<br>どうしてほしいのだろうか。<br>アキは本日だけで三度目の溜め息を吐いて、額を押さえた。<br><br>『あの、マスター？』<br>「わかっている……わかってるから、何も言うな」<br>『でも、かわいい……じゃなくて、ああもう、私の在り方がもどかしいです』<br>「…………」<br><br>アキが歩く度に聴こえる、ラピスのちんまい足音。<br>裸足なためか、ペタペタという足音が良く通路に響いた。<br>歩き方が危なっかしく、時々足の踏み場を間違えて転びそうになっている。<br>どこで、狂ってしまったのか。<br>違法研究施設の駆除と、違法実験によって捕らえられているマシンチャイルドたちの救出。<br>アキは皮肉って世直しなどと冗談で言ったが、文字通り腐った連中を駆逐するために、今日この場にアキは現れた。<br>暇になってしまった幾ばくかの期間。<br>その間にできることを考え、今回が初めての活動だった。<br>ダッシュに選択を任せた時点で、何か波乱に満ちていることに気づくべきだったのだ。<br>とは言え、ほうっておく訳にもいかない。<br>アキはラピスに背を向けたまま、口を開く。<br><br>「いつまで付いてくるつもりだ」<br>「……わかんない」<br>「……俺はいくぞ」<br><br>歩みを、進める。<br>今度は、少し早足で。<br>酷かも知れないが、仕方のないこと。<br>なにしてるんですかー等と、わーわー喚いてるダッシュは、この際無視することにした。<br><br>「ん……」<br><br>最初は懸命に付いていこうとしていたラピスも、まだ歩くのに慣れないのか段々と距離が離れていく。<br>うっすら苦悶の声に、早く動かそうと頑張っている足の音。<br>正直、心が痛い。<br>しかし、時には心を鬼にしなければいけない時もあることを、アキは心得て——<br><br><br><br>びたんっ。<br><br><br><br>唐突に、足音が止んだ。<br>これ以上ついてくる気配も無い。 それもそのはずラピスは転けたのだ、それも豪快に。<br>瞬間、アキに焦りが生まれる。<br>逃げようとしていたことなど忘れて、アキはラピスに駆け寄っていた。<br>倒れたまま動かないラピスを抱き起こす。<br><br>「大丈夫か？ 痛くないのか？ どこか病院に……」<br>「……いたくない」<br>「……そうか、無事か」<br><br>偉い偉いと、アキはラピスの頭をくしゃくしゃと撫でる。<br>何が偉いかなどどうでもいい、強いて言うなら転んでも泣かなかったことが偉い。<br>痛みという感覚が希薄なラピスには、造作もないことだが、ラピスもまんざらではない表情で、されるがままにされている。<br><br>『マスター……すごい過保護だと思います』<br>「……うるさい」<br><br>結局、鬼にした筈の心でも、アキは鬼になりきれない。<br>ラピスの無事を確かめて喜び、安心からラピスの頭を撫でるアキを、ダッシュはくすくすと笑いながら見ていた。<br><br>「……だれ？」<br><br>ラピスが初めて自分から口を開く。<br>今度はアキとダッシュが首を傾げた。<br><br>『「誰？」』<br>「……だれ？」<br><br>そこでアキは気が付く。<br>聞かれているのはアキが誰か、と言うことではない。<br>純粋に、『誰』なのか。<br>自分に与えられた物に関連する物に対する好奇。<br>ラピスに名前は与えたが、自分の名前は教えていなかった。<br><br>「アキだ。覚えなくていい」<br>「……アキ……アキ？」<br>「……そうだ」<br><br>ラピスはこくんと納得したように頷くと、ぶつぶつと何かを呟き始めた。<br>心なしか、アキと連呼しているように聴こえる。<br><br>『本気で覚えにかかってますね』<br>「……だれ？」<br><br>ラピスは、今度はダッシュに問い掛ける。<br>名前くらいなら、教えてしまってもいいだろう。<br>見えはしないが、ダッシュの楽しそうなニコニコ顔が目に浮かぶ。<br>完全な他人とは言え、久しぶりに出会えたラピス。<br>ダッシュも嬉しくなるのも頷けると、アキは無言のままダッシュに許可をだした。<br><br>『私はダッシュと言います。マスターの忠実な下僕で……』<br>「黙れ」<br><br>妥協した自分が馬鹿だった。<br>アキはピシャリと、ダッシュの発言を却下する。<br><br>『事実です。ラピスはどうぞお母さん、と呼んでください』<br>「おかあさん？」<br>『はい、ラピス』<br>「……おかあさん」<br><br>洗脳とは、こういう物を言うのだろう。<br>アキは、生まれて初めて刷り込みというものをまじかで経験しようとしている。<br>幼い純粋なラピスに要らぬことを吹き込むのは、よろしくない。<br>信じきったラピスに、満足げなダッシュ。<br>再開は、これっきり。<br>明日からは、ネルガルに保護されて二度と会うことなくなる。<br>お互いに接触しないまま、別れるのがベストだった。<br>甘いのだ、アキは。<br>善い意味でも、悪い意味でも。<br>この二人にも、ナデシコのクルーにも、そしてルリにも。<br>幸い、アカツキ直下部隊が来るまでは早くてもあと10分はある。<br>しばらくはダッシュとラピスに付き合ってやっても、そうアキが考えていた時の事。<br><br><br>僅かな、足音。<br><br><br>視覚を失い、聴覚に敏感なアキだからこそ分かるくらいの小さな、それでいて整った複数の足音。<br>部隊の到着。<br>アキは落ち着いて、懐から一つCCを取り出した。<br><br>「……ダッシュ」<br>『来ましたね。逃げますか？』<br>「妙だ、早過ぎる」<br><br>逃げるのはもちろんのことだが、不可解な点は調べておく必要がある。<br>アキがラピスを抱えて空いた部屋に隠れると、ダッシュから返事が返ってきた。<br><br>『はい。ここに侵入した時点で私が連絡しましたし、予定通りです』<br><br>あっけらかんとダッシュは言った。 <br>アキは聞き違いかと、一瞬唖然とした表情になる。<br><br>「……何？」<br>『……今の状況を見て、気付きませんか？』<br><br>現状で部隊の到着が早まった以外に、何も予定外のことなどない。<br>アキは研究データを改竄できたし、場所の漏洩も済んだ。<br>怪我はなし、CCも補充して抜かりなし。<br>ラピスもアキが抱えているから無事。<br>あとは子供たちが保護されれば、全部が上手くいったことになる。<br><br><br>……………………。<br><br><br>そこで、アキの背筋が凍りつく。<br>おかしい点に、気づきたくない。<br>本能でそう思っても、理性では警報が鳴ってしまっている。<br>改めて、アキは自分が小脇に抱えた物を見る。<br><br><br>何故自分は、ラピスを抱えているのだろう。<br><br><br>疑問などもう役に立たない事を、アキはこの時点で知らなかった。<br><br>『さ、目的達成。帰りますか、マスター♪』<br>「……まさか」<br>『本当に、マスターは子供に好かれますよね？』<br><br>腕には、ヒシッとした感触。<br>ラピスが、しっかりとしがみついている。<br>ここまでの段取りを決めたのは、全部ダッシュ。<br>アキは、忘れていた。<br>このAIが凄まじいお節介焼きだと言うことを。<br><br>『どうしますか、このままジャンプしたらラピスが大変なことになりますよ？ それとも……可愛いラピスを無理矢理ひっぺがしますか？ 途中で引っ付いたら元も子もありませんよ？』<br>「……それが、お前の目的か？」<br>『問答を繰り返す余裕はありません。隣の部屋まで来てますよ？』<br>「初めから変だったんだ。お前にしては段取りが良過ぎだと……覚えていろよ」<br>『貴方が望むなら、いつまでも。お叱りは後ほど、甘んじて受け入れます』<br><br>こうなると、アキの完全敗北。<br>言いたいことを言って消えてしまったダッシュに悪態をつきながら、アキは跳躍の準備をする。<br>黒い膜が、アキとラピスを中心に覆い被さった。<br>アキは、ラピスに顔を向ける。<br><br>「……ラピス」<br>「……？」<br>「目を、瞑ってもらえるか？」<br><br>ラピスがこくんと頷くのを確かめると、アキはCCを握り締めた。<br>ラピスの件は、保留にする他ない。<br>問題のダッシュは、あとで折檻することをアキは深く心に刻む。<br><br>「ジャンプ」<br><br>力を吸い取られるような感覚。<br>アキは意識を強く持つと、イメージを固めていく。<br>アキとラピスが消え去るのと、ネルガルのシークレット・サービスチームが部屋に踏み込むのは、寸分の差だった。<br>部屋にはもう、誰もいない。<br>淡い光だけがそこに存在した何か痕跡を示し、揺らめいていた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>あとがき(初)<br>お目汚しになると思い、今まで書きませんでしたが、ついに書かねばならない事態に。<br>既にご覧の通り、The blank of eight months 大体こんな感じでお送りします。<br>ルリが出てこない黒衣なんか黒衣じゃないやいっ！<br>オモイカネがいないのにやってらんなよっ！<br>などの確固たる鉄の意思をお持ちの方は、残念ですが疎開して本編をお待ち下さい。<br>アキ、ラピス、ダッシュでお送りする今後、今までと同じく楽しんで頂ければ幸いです。<br>
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<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 14:59:57 +0900</pubDate>
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<title>23</title>
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<![CDATA[ 『敵影確認。チューリップ大型中型含め46隻、無人戦艦40279隻、バッタ及びジョロ測定不能。無人戦艦に該当データに無い種類を発見、新型の模様。ナデシコ、完全に敵包囲下』<br><br>いつになく無機質な声のオモイカネが状況を報告する。<br>ブリッジに戻ったルリの目に映ったのは、メインモニターを埋め尽くす敵の大群だった。<br>空は蟲の軍勢に覆い尽くされ、ちゃくちゃくと包囲網を広げていく。<br>まるで勝利を鼓舞するかのように、今もチューリップからは敵が溢れ出ている。<br>絶望的な戦力差。<br>細かなミサイルや砲撃に揺れる艦内。<br>ルリは走り疲れ、よろよろと自分の席に戻った。<br><br>「ルリルリ、どこいっ……」<br><br>勤務中にも関わらず、突然いなくなったルリを心配してミナトが声をかけるも、言葉は続かない。<br>ルリにも、聞こえてはいなかった。<br><br>「どうしたの？ 顔、真っ青じゃない……それにその杖」<br>「……アキが、消えました」<br>「消えたって……どういうこと？」<br>「……どこにも、居ないんです」<br><br>杖を抱き締めたルリの体が、カタカタと震えた。<br>居ない。<br>どこを捜しても、艦内中の映像を調べても。<br>アキが居なくなるのを待っていたかのように現れた敵の量。<br><br>違う。<br><br>待っていたのは敵じゃなくて、アキが敵が来るのを分かって居なくなった。<br>あくまで勘でしかないものの、ルりにはそれが分かった。<br><br>『ブリッジッ！ 聞こえるか！？』<br>「はい！ 問題発生ですか？」<br><br>ウリバタケが血相を変えてモニターに飛び出し、ユリカが慌てて対応に当たる。<br><br>『アキのエステが動いてる！ アイツどっから……それよりもだ、あの敵の量にエステ一機ぶつけるなんてブリッジは何考えてやがる！』<br>「え……、発進命令なんか出してませんよ？」<br>『何だと……うおっ！？』<br><br>モニターに映った黒いエステは、返事の出来ない機械のようにウリバタケの脇を通り過ぎ、ハッチに向かう。<br>ルリはコンソールに手を当てた。<br><br>「オモイカネ」<br>『了解。ハッチ、閉鎖します』<br><br>あくまでも事務的なオモイカネの態度。<br>オモイカネもおかしいが、今は気を掛けてはいられない。<br>閉鎖には成功。<br>アキは出られない。<br>そう思い、モニターを見ると——<br><br><br>アキのエステが、大きく拳を振り被った。<br><br><br>ガツン、と金属同士がぶつかる鈍い音。<br>よく見れば、エステの拳は緊急時のエステ用手動開閉装置を貫いている。<br>鈍い音と共に、ハッチは開いた。<br>外部の映像に切り替わると、アキは銃を構え、再び閉まったハッチを開かないように壊し出す。<br><br>「あ、あいつ、なにしてんだよ？」<br>「まさか、カッコつけて独りで突っ込むつもりなんじゃ……おのれまたしても！」<br>「違うっぽいよ？ ほら、お兄様降りてくし」<br>「……クロッカス？」<br><br>パイロット組はアキの行動に戸惑う。<br>パイロットたちだけではなく、ブリッジ全てのクルーは同様していた。<br>ユリカやプロスの呼びかけに対しても返事がない。<br>アキの機体は、吸い込まれるようにクロッカスに入っていった。<br>クロッカスを、動かすつもりなのだろうか。<br>連合軍艦とは言えど、クロッカスは新型艦。<br>コンピュータ制御によって、一人でも操縦できる。<br>ルリはひとまず、アキが敵に向かわなかったことにホッとした。<br><br>「アキさん！ アキさ～ん！ も～、ルリちゃん、グラビティ・ブラスト発射！ 敵の数を減らします」<br>「……了解。グラビティ・ブラスト用意、発射します」<br><br>これで、アキを助けられる。<br>黒い光に照らされた敵影を見ながらそう思ったルリは、すぐに顔を安堵の表情を崩した。<br>無数の影は、まだ動いている。<br>その量を、未だ誇示しながら。<br><br>『敵、損害率７％。相転移エンジンの出力低下』<br>「そ、そんなぁ～」<br>「言ったでしょう、いつまでも勝ち続けられる訳ないのよ。この状況を唯一打破する可能性があるとすれば……」<br><br>驚く艦長を皮肉るイネス。<br>言葉は続くことなく、モニターに映ったクロッカスを見詰めている。<br>状況は、ますます悪くなった。<br>敵が強くなったことはあっても、敵に攻撃が効かないなどとはここに来るまでありえなかった。<br>バッタですら、煙を吹きながらグラビティ・ブラストに耐えている。<br>ナデシコは、ネルガルの新型。<br>地球最強と言ってもいい。<br>ナデシコの攻撃が、効いていない。<br>その事実は、戦況が明らかにあちら側に傾いていることを示していた。<br>このままではいけない。<br>アキに行動させてはいけない。<br>しかし、ナデシコも危ないのにどうしたらいいのか。<br><br>『ルリさん』<br><br>声に気づいて、相手を認識する。<br>オモイカネが、初めていつのように呼んでくれた。<br><br>『信じて』<br><br>疑っている訳ではない。<br>秘策があると、アキの友達に頼んだと言っていた。<br>信じていない訳じゃない。<br>だけど、嫌な予感。<br>何とかするから放って置くなんて、ルリにはできなかった。<br>突然、声が上がる。<br>モニターには動き出したクロッカス。<br>船体を傾け、ゆっくりとナデシコに向けて動いている。<br>最近の戦艦はオモイカネ程の性能はないにしろ、かなり優秀で一人でも人が命令を出せばその通りに動く。<br>アキが、動かしているのだろう。<br>ルリがクロッカスにアクセスするよりも先に、真っ黒なアキの姿がブリッジに映し出された。<br><br>「あ、アキさん！ 勝手なことしたらダメですよっ！ ユリカ、ぷんぷんですからね！」<br>『ナデシコ諸君に告ぐ』<br><br>ユリカに応えることなく、アキは冷徹に言葉を発する。<br>プロスやルリが話しかけようとした瞬間、モニターのクロッカスが砲身を開く。<br><br><br>無骨な形のクロッカスの主砲が放たれ、ナデシコのフィールドを掠めていった。<br><br><br>どよめく艦内。<br>誰もがメインモニターを信じらんないような目で見上げた。<br><br>『今のは威嚇だ。要求に従わない場合、次は命中させる。進路を正面に取り、前方の大型チューリップに入れ』<br><br>要求は、一方的。<br>頑として誰とも会話する気はないのか、アキはまるで写真のように微動だにしなかった。<br><br>「ば、ばかじゃねぇのか、そんなことしたらクロッカスの二の舞……」<br>「馬鹿は貴女よ」<br>「んだとっ！」<br><br>リョーコを無視すると、イネスは涼しい顔でブリッジの中央に移動した。<br>そのまま立ち止まると、くるっと回ってアキを見る。<br><br>「チューリップは一種のワームホール、だけどその機能は敵専用。敵の無人戦艦とナデシコにはあって、クロッカスにはなかったもの……この間説明したわね、ナデシコは木星蜥蜴の技術を応用してるって」<br><br>ナデシコと蜥蜴にあって、クロッカスに無いもの。<br>強固な鱗と、鋭い牙。<br>この場合は、鱗。<br><br>「……ディストーション・フィールド」<br><br>ルリが呟くと、イネスはビシッと指を差してきた。<br>説明が進むたびに笑顔が増している。<br><br>「頭の回転が速くで結構。あくまでも仮説だけど、ナデシコのフィールド出力があればチューリップを通過できる筈なの。出口は分からないとは言え、今より悪い状況にはならないでしょう？」<br><br>アキは、それを知っていたのか。<br>知っていた。<br>機密だろうが、何だろうが、アキは知っていた。<br>イネスの高説もあり、脱出の糸口が見つかったため、クルーの目に光が灯る。<br><br>「ミナトさん、進路正面！ アキさんの言う通りにしてください！」<br>「わかったわ、艦長」<br><br>艦長が慌てて指示を出すと、ナデシコは進み始める。<br>その指示を、慌てて制する者がいた。<br><br>「艦長、それは認められません」<br><br>一人異を唱えたのは、プロスペクター。<br><br>「貴女はネルガル重工の利益に反しないように最大限の努力をするという契約に違反しようとしています。いくらアキさんの言うこととは言えども……」<br>「プロスさん」<br><br>ユリカは、イネスに向かった時のように真っ直ぐプロスペクターの前に立つ。<br>いつもはボケボケしてるのに、やはりやる時はやる。<br>艦長として、申し分ない貫禄があるとルリは思った。<br><br>「アキさんは、ナデシコのために体を張ってきてくれました。御自分が選んだクルーが……ナデシコのクルーが信用できないんですか！？」<br>「……そうではありませんよ。確かにアキさんの言う通りにすれば上手くいくと、私なりに確証も持っています。ですが、今我々がチューリップを利用して脱出した場合、彼はどうなるのですか？」<br><br>ハッとしたように、クルーがモニターを見上げた。<br>ルリも、それを考えていた。<br>作戦を提示するだけなら、力ずくにアキがクロッカスに乗り込む必要はない。<br>不安な顔を浮かべる皆を尻目に、イネスはるんるんとホワイトボードを引っ張り出し、何やらチューリップらしき二つの物体を書きなぐる。<br>片方にはＡ、片方にはＢと書き込まれてあった。<br><br>「説明しましょう。チューリップＡからチューリップＢに物体が移動する場合、物体の移動、つまりは位置と時間の移動が必要となるわ。クロッカスのような異物が侵入した場合出口は不特定、本来決まっていたＢと言う出口とは予定外の出口、ＣやＤに移動してしまう。一緒に消滅したパンジーがいないようにね」<br><br>Ｃ、Ｄと書き込まれたチューリップが追加され、Ｃの近くには火星が書き加えられた。<br>イネスは生き生きとした表情で教鞭を振るう。<br><br>「わかるかしら？ 物凄く簡単に言えば、フィールドを持つ物体がチューリップを通過する場合チューリップ同士は必ずどれか決められた出口と繋がっている。私たちが今、目の前のチューリップに侵入すれば、そこを通って必ず追ってがかかるの……誰かが道を塞ぐ必要がある。そうよね？」<br><br>「ま、仮説でしかないけれどね」と付け加え、ひとしきり早口で喋ったイネスはホワイトボードをよけて、モニターのアキを凝視する。<br>皆も同じく、ホワイトボードから視線を移した。<br><br>「アキさん、まさか……」<br>「ウソ……よね？」<br><br>ユリカとミナトの声にルリは今まで思考をやめていたのに気づく。<br>理解したくなかった。<br>ルリは縋るようにアキを見る。<br><br>『……俺が残る。後ろに心配はいらない、安心して先に行け』<br><br>アキは、笑った。<br>困ったように、苦笑するように。<br>生き残れる筈はない。<br>いくらアキでも、痛みに顔をしかめて、苦しみを訴える、ただの人間なのだから。<br><br>「クローッ！そんなこと許さねぇぞ、待ってろ！」<br>「はやくっ！お兄様連れ戻さないと……」<br>「……無理よ。もう、間に合わない」<br><br>イズミの言うとおり、打開するには時間がない。<br>ルリの近くにいたプロスが溜め息を吐くと、アキに話し出す。<br><br>「正直、私の見立てでは遺跡の調査ができないことよりも、貴方がいなくなることのほうが損失は大きいと考えております。是非とも本社に招いて会長に紹介したかったのですが……」<br>『あのロン毛に、俺のことは言ってなかったのか？』<br>「ええ、まあ、こちらにも事情がありまして一クルーとしか……それよりも、会長の容姿はトップシークレットです。どうか内密に」<br>『……そんなものをトップシークレットにしてどうする』<br><br>はっはっはっと、プロスは笑い出してしまった。<br>アキも、苦笑を絶やさない。<br>決して笑える雰囲気ではないし、二人が何を言ってるかもよくわからない。<br>会長はロン毛。<br>どうでもいいことだが、どうでもいいことを大変な時に言われると、割合深く覚えてしまうものである。<br><br>「わ、笑ってる場合じゃありません！ ミナトさん、チューリップに入っちゃだめです！ 反転してアキさんを……」<br>「言われなくてもやってるわよ！ も～、どうなってんの！？」<br><br>ミナトの焦る声。<br>ルリが見れば、ミナトが必死に舵を回すのに、ナデシコは進路を変えない。<br>操作を、受け付けない状態。<br>ルリは、そんな指示は出していない。<br><br>『……ごめんね、ミナトさん』<br>「オモカネちゃん！？」<br><br>ルリは、自分の耳を疑った。<br>オモイカネはアキを助けてくれると言ったのに、何故。<br><br>『いいのか、オモイカネ？』<br><br>アキが複雑そうな顔をして、オモイカネに尋ねる。<br>どうやらアキの指示で動いたのではないらしい。<br>それなら、オモイカネの意思で動いたと言うことになる。<br>もう、ルりには訳がわからない。 オモイカネは機会的だった先程とは打って変わって、優しい声でアキに返答する。 <br><br>『いいの。ここでナデシコが戻ったら……みんな死んじゃうのかもしれなくなったら、アキ、もっと無理するもん』<br><br>『……そうだな』<br><br>『だから……アキはわがまま、やってもいいよ。自分を許せるようになるまで、頑張っていいよ』<br><br>『ありがとう……ルリを、頼む』<br><br>『嫌。アキが守ってあげるの。またあおうね、ルリと一緒に待ってる。帰ってきてね』<br><br>『……生きてたら、な』<br><br><br>クルーは二人の会話を呆然と聴くしかなかった。<br>オモイカネは、アキが死ぬなんて考えは全くないように一時の別れを告げ。<br>アキは、まるでもう戻れはしないとでも言いた気。<br>その間にも、ナデシコはチューリップに近づいていく。<br>わからない。<br>何もかも。<br>オモイカネを無理に制御することもできるが、二人の会話を聞いた今、それすらもやっていいのかわからない。<br>アキがいなくなるのに、自分は何もできない。<br>酷く、無力だ。<br>悔しく、思う。<br>とても、とても。<br>嘆くようにモニターを見つめる者。<br>悔しさに唇を噛む者。<br>未だに諦めず、届かない声を叫ぶ者。<br>うなだれて、目を瞑る者。<br><br>「……嘘つき」<br><br>ルリの口から、こぼれた言葉。<br>何かが、決壊した。<br>抑えていた物が。<br>我慢していた物が。<br>ルリは、自分の席から立ち上がった。<br><br>「もう無理しないって、自分を大事にするって、約束したのに！」<br>『……ルリ』<br><br>こんな時まで人の心配しかしない人。<br>あの人は、ばかだ。<br>この場所で、ナデシコで、一番ばかだ。<br>溢れる言葉は、留まらない。 <br>「地球に帰った病院いくって…………ちゃんと、生きるって…………アキ……言いました。嘘、つき……アキの嘘つき」<br>『…………』<br><br>いつもそう。<br>困った時は押し黙って、自分も辛いのを隠して。<br>あの人は、全部自分が悪いと思ってる。<br>ほんのちょっとの、悪いことでも。<br>ナデシコに起こった全部の悪いことを、独りで背負おうとしてる。<br>違う。<br>アキがいたから、今のルリがある。<br>アキがいて良かったのだと、アキは何も悪くないのだと、伝えなければならない。<br>伝えなければ、アキはいつか潰れてしまう。<br>それなのに、口から恨み言ばかり。<br>こんなことが言いたいんじゃない。<br>引き止めなきゃ、いけないのに。<br><br>「……家族との、最後の……約束だって……アキが……」<br>『……泣かないでくれ』<br><br>アキの言葉に、ルリは初めて気付いた。<br>頬を、水が伝う。<br>アキの顔が、ぼやけて見えなかった。<br>泣いたことなんかない。<br>これからもそんなこと一生ないだろうと、思っていた。<br>泣くほどに、辛い。<br>初めての涙は流せるのに、何故一言がでないのだろうか。<br><br>『……俺はこれで良かったんだ。こんな自分でも、誰かを救うことができた。満足している』<br>「ホントに？」<br><br>静まり返った艦内で、ミナトがキッとアキを睨みつけた。<br>ルリの手を引いて、アキに見せつける。<br><br>「この子泣かして、勝手にいなくなるつもりなの？ ルリルリのこと、あなたが一番わかってたんじゃないの？ ホントに満足してる? ……ねぇ、何とか言いなさいよ！？」<br>『何も……言うことはない。行け、ナデシコ』<br><br>ナデシコの船体が呑み込まれて、チューリップの入り口にクロッカスを置いたまま、段々と離れていく。<br>モニターに映ったクロッカスから飛び出した黒い機体は、銃口をクロッカスに定めている。<br><br>「アキ、いやです……アキが死んだらいやです。待ってください、もっと一緒にいてください、アキ…………アキッ！」<br><br>みっともなくても関係ない。<br>涙を流しても、子供みたいでも、アキがいてくれるならそれでいい。<br>大切な人だって言ったのに。<br>ルリは叫ぶ。<br><br>『……ごめん』<br><br>そして、ルリの声はアキに届いた。<br>辛うじて繋がっている通信には砂嵐のような物が走り、周りを見れば何人かが倒れている。<br>ルリは遠のいていく意識の中、振り返るアキの顔を見た。<br>アキは、ルリに微笑んでいた。<br><br>『俺がいなくなっても、元気で……』<br><br>途切れる言葉。<br>ばか。<br>本当にばか。<br>最後の最後まで他人の心配ばっかりして、自分が心配されているのに気づいてない。<br>もう、何もできることはない。<br>死んでほしくない。<br>自信満々のオモイカネを信じよう。<br>アキが、生きて戻ってくることを祈ろう。<br>何かを知っているオモイカネな、確信があるのだろうと、ルりは思う。<br>アキを待って、帰ってきたら、ひっぱたいて、文句を言って、約束破りの罰も……あと——<br><br><br>おかえりって言ってやるんだ。<br><br><br><br>「……アキ……」<br><br>もう、声は出ない。<br>やがてクロッカスの反応が消え、ルリも意識を手放す。<br>アキが見えなくなる最後まで、ルリは涙を止めることはできなかった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>アキは独り、視界を埋め尽くす無人機艦隊を前に、改めて自分のしたことを思い返す。<br>再びナデシコに乗り、ダイゴウジ・ガイもサツキミドリ2号の人々も死なずに済んだ。<br>予定外の無人兵機の進化、ナデシコを火星に誘い込むような不可解な敵の配置。<br>敵の進化速度からして、容易く火星への侵入を許す筈がない。<br>機体を地表に降ろす。<br>クロッカスを使ってチューリップを破壊したのはいいが、敵の出方がどうなるかアキには見当もつかない。<br>フクベがまた火星に残り、改変した歴史の中でも助かるとはアキは思っていなかった。<br>だから、代わりになるとアキは決めた。<br>わがまま、なのだろう。<br>オモイカネの言うとおり、自分が許せない。<br>償いは、守ること。<br>ナデシコを守るためなら、盾にも生け贄にもなるつもりだった。<br>元々存在しない命だからこそ、そうするつもりだった。<br>大切な誰かから嫌われても、憎まれても、決心は揺るがない。<br>本当に、そう思っていた。<br><br>「馬鹿か……俺は」<br><br>涙を流すルリの表情が、頭から離れない。<br>ルリでも『ルリちゃん』でも、アキは彼女の泣き顔は見たことがなかった。<br>強い子だから。<br>いつしか、そんな風に思っていたのかも知れない。<br>分かっていた。<br>強くも何ともない、彼女がただの少女であることも。<br>知っていた。<br>ずっと、オモイカネと二人で自分の心配をしていてくれたことも。<br>こんなにも、自分の行動に罪悪感を持ったことがあっただろうか。<br>一人の少女を泣かせただけで、約束を破ってしまったことで。<br>大切だと、言ったのに。<br>彼女も大切だと、怖がらないと言ってくれたのに。<br><br>「……ごめん」<br><br>何度でも言いたい。<br>悔やんでも、悔やみきれない。<br>ちゃんと謝るにも、もう遅い。<br>十中八九、自分はここで死ぬだろう。<br>アキの切り札のＣＣも、手持ちは最後は先程エステに乗る為に、あえて使ってしまった。<br>これで、いい。<br>自分には相応しい末路だろう。<br>せめてあとは、ナデシコが上手く立ち回ってくれることを祈るしかない。<br>アキはコックピットに独り、バイザーを外した。<br>テンカワ・アキトとして生きた一生は、この黒衣を身に纏ったときに終わったのだ。<br>今はアキと言うただ独りの復讐鬼。<br>否定。<br>復讐鬼ですらない。<br>誰かを守りきることも、誰かを殺すこともできなかった、化け物だ。<br>この時代を恐れて、人と関わることを恐れて。<br>『前回』の出来事は、アキにとってはあまりに遠い過去。<br>このあと、フクベは何故か助かった。<br>地球の提督と言うことで捕虜になっていたのか、熱血好きの木連連中なら、自分を捨てて仲間を助ける姿に好感を覚えたのかも知れない。<br>どちらにしろ、アキは詳しくは知らない。<br>万が一、生き残ってしまったのなら、謝りにいこう。<br>ルリに、泣かせてしまった少女に。<br>万が一など有りはしないのだと、もう一人の自分が嘲笑う。<br>まったくだと、アキは口元を歪めた。<br>最期は、戦いの中で。<br>真っ当な死に方なんか望んではいない。<br>一機でも多く道連れにして、自分の最後としよう。<br>敵の船団はナデシコを見失ったことに戸惑っているのか、静止行動を取ったまま。<br>ログを辿らせないために、ナデシコを跳ばしたチューリップはアキが破壊した。<br>アキはライフルを構え直すと、しっかりと銃身を握る。<br>このまま、撤退するのだろうか。<br>ナデシコがおらず、たかだか機動兵器が一機残るのみ。<br>相手にもされないかも知れない。<br><br>「有り得ない」<br><br>あくまでも希望的観測。<br>アキが思考を展開している間に、バッタが一機、こちらに向かってきた。<br>周りのバッタは動かず、ジッとアキを見ているようだった。<br>先頭意欲がなさそうなことから、降伏勧告と言ったところか。<br>受け入れれば、フクベのように助かるのだろう。<br>捕らえられ未来を知りながら指をくわえて、この世界の行く先を木連で見せられるくらいなら——<br><br><br>「本当に、俺は馬鹿だな」<br><br><br>迷いなく、アキは迫るバッタの中心を撃ち抜いた。<br>敵の変化は、劇的。<br>静止状態にあった艦隊は主砲を展開し、数え切れない程のバッタの群はミサイルを装填、発射姿勢に入る。<br><br>『またあおうね』<br><br>ついさっき、オモイカネが言った言葉。<br>微塵もアキが死ぬとは信じていなかった。<br><br>「……ごめん、オモイカネ」<br><br>期待には、応えられそうにない。<br>応える気も、あまりに希薄。<br><br>『……嘘つき』<br><br>彼女の言葉。<br>泣き顔。<br>泣かせた。<br>約束、破ってしまった。<br>せめて蜥蜴戦争の終わりまで、ナデシコの無事を見届けたかった。<br>彼女の、無事を。<br><br>「ごめん、ルリ」<br><br>自身にとって、この世界は似ているようで全く違う世界。<br>アキと言う偽りを孕んだ、『再び』と『もし』を形にした世界。<br>世界にあるもの全てが、アキには居づらさを感じさせた。<br>火星に着くまで、悩みもした。<br>異分子として、歴史をかき乱し。<br>ボーっとして考えるも、結局頭も回らず、火星で死を選ぼうとしている自分。<br>アキには懐かしく、残酷でもあった世界の中で、唯一偽りではないこと。<br>出会い。<br>ルリやオモイカネ、また改めて出会えたクルーとの出会い。<br>それだけは偽りではないと、アキは信じていた。<br><br>「心置きなく、消えよう」<br><br>夢を見た。<br>死ぬ前に一度だけ。<br>懐かしく、幸せで、大切な人たちと過ごした夢を。<br>楽しかった。<br>嬉しかった<br>正直、自分には勿体無い程。<br>復讐鬼を終えた、復讐をやめたただの化け物には、勿体無い程に。<br>神がいるかは知らないが、この一点に関しては礼を言いたかった。<br>バッタの無機質なカメラアイがこちらを見ている。<br>何をしているのだろうか。<br>撃つなら、早くすれば良いものを。<br>何故だろう。<br>全部同じ筈のバッタの眼が、その一機だけ懐かしく思える。<br>アキがそんなことを考えた瞬間だった。<br><br>アキを見ていたバッタは体を大きく傾けると、隣のバッタに自らの体を叩きつけた。<br><br><br>「なに？」<br><br>一匹ではなく、次々と。<br>割合にしてみれば何百機いる内の一機。<br>その少数たちが、手当たり次第に味方機を破壊していく。<br>最初、一部のAIの故障かと考えたアキだが、考えを否定する。<br>暴走を起こしているバッタが纏うフィールドは、あまりにも強固。<br>火星に集められた破壊されている側のバッタたちとの性能差が見て取れた。<br>暴走バッタたちはどこからか数を増していく。<br>何が起こったのか、わからない。<br>アキがバッタに守られる形で呆然とことの成り行きを眺めていると、事態を把握できないでいた後方の無人戦艦もようやく主砲を展開し出した。<br>バッタの群れは暴走機を追いかけてうねり、味方を巻き込むのを躊躇っているのか無人戦艦たちはなかなか撃とうとしない。<br>やがて暴走機たちが他のバッタを引きつけたまま、無人艦隊に向かって移動し始め、アキは何故か放置される形になってしまう。 アクシデントは最後までまとわりつく。<br>特にアキには、慣れっこだ。<br>アキは思考を止め、体から力を抜いた。<br>何となく、嫌な予感。<br>善くないことが起こる、そんな気がする。<br>そしてアキのそれは、良く当たる。<br>バッタの群れの先頭が、混乱する艦隊を通り過ぎた時の事だった。 <br><br><br>『私のマスターに、触るな』<br><br><br><br>聞き覚えのある声。<br>火星の地表に、四本の黒い柱が立った。<br>貫かれる無人艦隊。<br>すぐさま方向を割り出し相手に反撃を試みるも、一撃を与える暇もなく轟沈していく。<br>残った艦が反撃するが、敵の攻撃は緩まない。<br>撃ち合いにすらなっていないのだ。<br>制空権ならぬ、制宙権は未知の敵にある。<br>立て続けに黒い柱は宇宙から降り注ぎ、艦隊の数は減り、アキを守っていたバッタたちは己が力を示すように残った同じバッタを喰い千切る。<br>真っ二つ、三分割されたカトンボやヤンマの破片が重力に引かれるまま、下にいた味方を巻き込んで轟沈していく。 数の差を無視した戦い方。<br>奇襲は挨拶代わり、少数精鋭の戦闘スタイル。<br>アキは、久しぶりに額に手を当てた。<br>自分は参っている。 それが、認識できた。 <br>『……鉄屑が、身の程を弁えなさい』<br><br>冷徹に言い放つと、最後の一撃がチューリップを一掃した。<br>そうだそうだー、とでも言いたげにアキの周りを囲んでアクロバットをするバッタたち。<br>間違いない。<br>共に死地を歩んだバッタたち。<br>そうなると、無駄に偉そうな乱入者が誰なのか決まってくる。<br>文字通り鉄屑と化した艦隊が散る火星の空を、巨大な白亜の剣が舞い降りた。<br>名は、ユーチャリス。<br>アキの、最も良く知る戦艦だ。<br><br>「……………………ダッシュ」<br>『はい。マスター……お迎えにあがりました。旧世代兵器に遅れを取ったつもりはありませんが、御怪我はありませんか？』<br>「……お陰様で」<br>『……マスター、私は嬉しいです。死にたがりのマスターのことですから、私がいなくて自分を蔑ろにしてないかとか、ビスケットでも良いからご飯はちゃんと食べているのかと、とても不安でした』<br>「…………」<br><br>ダッシュの言葉は不服ではあるが、今まさに死を覚悟していたので何も言えない。<br>まるっきり蔑ろにしていたし、たまに栄養を取らなかったこともしばしば。<br>ダッシュが別れ際に言っていた『絶対に迎えにいく』。<br>何度も何度も繰り返し思い出しはしたが、ユーチャリスのコミュニケも最初に流れ着いた時には通信不可、音信不通なので逆にアキが心配していた。<br>それはそれ、ひとまず置いて置く。<br><br>「何故、俺がここにいるとわかった？」<br>『マスターのことなら何でも把握しています……と言いたいところなのですが、知り合いから教えてもらいました』<br>「知り合い？」<br>『ナデシコのAI……なんでしたっけ、メモリーに残ってませんね。どうでもいいことです。あんな物は忘れましょう』<br>「……オモイカネか？」<br>『ええ、そうでしたね。『ただの』オモイカネでしたね』<br><br>オモイカネ・ダッシュが良く言う。<br>よっぽどオモイカネが嫌いなのか、ダッシュは不機嫌そうに応えた。<br>オモイカネの絶対的な自信の正体。<br>今なら、理解できる。<br>アキがここで動くことも、予想済みだったのだろう。<br><br>『マスター』<br><br>俯いていたアキが顔を上げる。<br>ダッシュはどこか不安そう。<br><br>『ユーチャリスの修理も、半端なままで申し訳ありません。マスターがいると知ってからは居てもたっていられず、戦える兵も少なく……ごめんなさい』<br><br>本当に済まなそうに、謝るダッシュ。<br>助けられて、謝られる。<br>要らないことに責任を感じる。<br>オモイカネはアキに似ているが、ルリがいたならダッシュもアキにそっくりだと言うことだろう。<br>アキは馬鹿馬鹿しくなって、苦笑した。<br>ダッシュのウィンドウを見る。<br><br>「……ダッシュ」<br>『……はい。どうぞ、お叱りを。私はマスターが無事なら……』<br>「ありがとう……迎え、助かった」<br><br>いつまでも、こうしていても意味はない。<br>アキはダッシュに頭を下げると、懐かしいユーチャリスに向かって大地を蹴った。<br>ままならない。<br>やることなすこと裏目裏目。<br>結局、また生き延びてしまった。<br>えぐえぐ。<br>変な音がアキの耳に入る。<br>この状況でアキの他に言葉を発する人物は一人しかいない。<br><br>「ダッシュ？」<br>『マスター……ん……ほんとに、よかった』<br>「……どうした？」<br>『生きててくれて、よか……た。マスター……もうあえなかったらって……マスター』<br><br>もしかしたら、泣いているつもりなのだろうか。<br>ノイズ混じりの音声で、何度もアキを呼ぶダッシュ。<br>存在を確かめるように、何度も何度も。<br>機械だから無理と割り切るには、感受性が豊か過ぎて判断がつかない。<br>一概にAIと言っても、ダッシュやオモイカネは特殊。<br>本当に悲しみもすれば、本当に喜びもする。<br>無傷の筈の船体には大小なりの傷。<br>とにかく心配して、修理も継ぎ接ぎのまま来たのだろう。<br>アキのために。<br>どこに跳ばされたかはわからないが、独りでずっと捜していたのだろう。<br>生きる。<br>それがダッシュとの約束だったのに。<br>迎えに来てくれるまで、アキは死んではならなかった筈なのに。<br><br>「……約束、破るところだったな」<br>『……うん。はやく、帰って来て……ください、マスター』<br>「ああ、今戻る。何か俺に出来ることはあるか？」<br>『……寂しかった。お話、いっぱいしてください』<br>「……了解」<br><br>久しぶりの再開。<br>アキは知らず知らずの内に笑顔を浮かべていた。<br>登場のタイミングなど狙ったとしか思えないし、予め敵軍にバッタが潜伏していたことなど、ナデシコからアキを引き離そうとダッシュが策謀したのが見て取れるだろう。<br>しかし、アキは純粋にダッシュとの再開を喜んでいるため、もちろん気づきはしないのだった。<br>ユーチャリスの格納庫にエステを入れる。<br>バッタたちもアキに続いて専用カーゴに戻っていく。<br>アキは見慣れた筈の、自らの母艦の格納庫の壁を見渡す。<br><br>『マスター』<br>「ん？」<br>『呼んみただけです』<br>「……そうか」<br>『マスター？』<br>「…………なんだ、ダッシュ？」<br>『えへへ、何でもありません』<br><br>楽しそうにダッシュはアキを呼び、アキに自分の名前を呼ばせようとする。<br>何度も何度も、繰り返し繰り返し。<br>いつもはシャンとして冷静なダッシュだが、今は子供のような、子犬のような。<br>ダッシュの気が済むまで、付き合ってやろう。<br>アキは苦笑して、コックピットから飛び降りる。<br>これからのことは、あとから考えればいい。<br>アキがオモイカネに打ち明けたように、それが大きな助けになったように、ダッシュもまたアキを導いてくれるだろう。<br>あとのことが上手く行かなくても、少なくとも負ける気はしない。<br>アキとダッシュは、お互いを呼び合い、自分が共にあること喜び合った。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>ユーチャリスの艦長席で、アキは頭を抱えていた。<br>冷や汗を流し、表情には焦りを浮かべて。<br>アキは、誤って見切り発車した気分でいっぱいいっぱいだった。<br><br>『マ、マスター、どうしたんですか？ぽんぽん痛いんですか？ えっと、お薬は……』<br>「……万が一が、起こってしまった」<br>『はい？』<br><br>ダッシュとの約束で思い出した。<br>死ぬつもりで飛び出した来たからこそ、アキは約束を破ることができた。<br>涙を見せる少女の顔。<br>そればかりではない、どうやってナデシコに戻れと言うのか。<br>これから戦火は格段に拡大する。<br>無視する訳にはいかない。<br>とにかく、アキが悩んでいることは……。<br><br>「ルリに、何て言えばいい？」<br>『し、知りませんよぉ、マスターが悪いんじゃないですか！ 勝手にルリと仲良くなって、約束して……私、いなかったのに！』<br>「……俺だけが残るのを見計らってくる余裕はあったのにか？」<br>『……何のことでしょう』<br>「正直に言ってみろ」<br>『マスターと二人きりがいいなぁ、なんて…………悪いですか！？ 私だってマスターと一緒にいたかったんです！』<br><br>呆気なく暴露するダッシュ。<br>アキは溜め息を吐くとうなだれた。<br>ダッシュのウィンドウがアキの前に来る。<br><br>『数ヶ月はありますし、のんびり謝罪でも考えましょう？ 一緒にですよ、マスター』<br><br>頼もしいような、そうでもないような。<br>上手くナデシコがチューリップを通過できた以上、ミスマル・ユリカ、テンカワ・アキト、イネス・フレサンジュの三人が導いてくれるだろう。<br>それまでの空白の時間、アキはダッシュと二人。<br>空白の時間を、未知の歴史を二人きりで乗り越えなければならない。<br>アキは、外したバイザーを掛けなおした。<br><br>「……そうだな」<br>『はい。それで、まずはどこへいきます？』<br>「地球へ。何かやることも見つかるだろう」<br><br>思案するようにウィンドウがくるくる回ると、『あいあいさー』の文字。<br>意図を汲んでくれるダッシュに、アキは感謝する。<br><br>『了解。マスターとのリンク再接続、感覚イメージ固定。マスターのデータ、受け取り完……』<br>「跳ぶぞ」<br>『……許可できません』<br><br>繋がる感覚がアキの身体を通りぬけ、いよいよ跳躍というところで、ダッシュはフィールドを霧散させる。<br>アキの行動は、何故か許可されなかった。<br>不思議そうな顔をして、アキがダッシュに問いかける。<br><br>「何なんだ、いったい……」<br>『どうなってるんですか、これは。ねぇマスター、身に覚えがありますよね？ どれだけ無茶したんですか？ ＣＣのストック、もちろん残ってますよね？ マスター、聞いてますか？』<br><br>ぎくりと、アキは身を震わせる。<br>ああ、余計な事をしたと、ダッシュとリンクを結んだことをちょっぴり後悔した。<br><br>「あ、ああ、少し無茶はしたかも知れないな」<br>『使ったのですね、ＣＣ全部…………はぁ。過ぎた事は仕方ありません。通常航行で戻ります』<br>「しかし……」<br>『まだ…………何かありますか？』<br>「いや、すまない。何でもない」<br><br>不利を悟ったアキはすぐさま口を紡ぐ。<br>がみがみとダッシュのお説教を受けながら、ユーチャリスは火星を離脱していく。<br>前途多難ではあるものの、長い旅になりそうだ。<br>アキは苦笑しながらダッシュの追及をかわし、ダッシュもダッシュで「なに笑ってるんですかー！」と怒り出す。<br>そんな会話に、先の不安を紛らわす安堵を覚えるアキなのであった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>何もかもが消え去った火星の大地。<br>無数の無人艦と無人兵器の残骸が山を作っている。<br>未来の力、未知の力に、成すすべなく倒れた艦隊の屍の山を、蠢く物があった。<br>装甲板を押し上げて、瓦礫の山を切り崩し、這い出てきたのは三つの黄色。<br>虫型無人戦闘機。<br>通称バッタ。<br>烈火のようなユーチャリス艦の攻撃を生き延びたそれら三匹は、不気味な程に強固なフィールドを纏っている。<br>特化したような大きなカメラアイは、離脱していくユーチャリスを見つめていた。<br>追撃する訳でもなく。<br>取り付く訳でもなく。<br>四連装のグラビティ・ブラストの渦の中でも、三機のバッタは戦いをする事はなく、早々に死角から全てを記録していた。<br>記録。<br>見ていた。<br>ただ、在りのままを。<br>存在した異分子を、たった今、確認した。<br>仮定は、決定事項に移行する。<br>帰らなければならない、主の下に。<br>持ち帰らなければ、データを。<br>思考から割り出した答えを一致させた三機のバッタは、後部装甲から伸ばした端子を連結させて一つになる。<br>キ、ギギ、と音を立てて身体を組み替える。<br>その姿は、小さなバッタに取り付かれたデビルエステバリスなるものに酷似していた。<br>ナノマシン端子による機械融合。<br>これもまた、新たな力。<br>より強固なフィールドと、推進力を得た大きなバッタは、浮遊を始める。<br>目的は、宙域のチューリップとの合流。<br>武器を持たない記録用無人兵器は、ユーチャリスがいなくなるのを確認して、飛び立っていった。<br><br><br><br>母星である、木星に向けて。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418164224.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 14:59:10 +0900</pubDate>
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<![CDATA[ <br>クロッカス。<br>連合宇宙軍第三艦隊所属ミスマル・コウイチロウ提督の指揮下にあった駆逐艦。<br>第一次火星会戦では連合軍第一、第二艦隊の火星撤退に貢献した。<br>会戦後は、戦艦トビウメの護衛艦として活躍する。<br>そして、ネルガル製の機動戦艦ナデシコを拿捕するために駆逐艦パンジーと共に作戦に参加し、冬眠中だったチューリップに飲み込まれクロッカスは完全に消滅した。<br>チューリップに侵入した戦艦が生還した例はない。<br>クロッカスは中にいた軍人もろとも、完全消滅した。<br>軍の公式記録では、そうなっている。<br>ルリは改めてメインモニターを見た。<br>氷付け。<br>冷凍庫を通過してしまったような、クロッカスの姿。<br>地球で消滅したクロッカスが、火星の大地に鎮座している。<br>反応がないことからして、生存者はいないのだろう。<br><br>「なぜ、クロッカスが火星に？」<br>「説明するわ」<br><br>分からないことがあった時の、イネス女史。<br>ずいっとモニターの前に現れる。<br>説明している時のイネスは、ルリの目から見ても、とても生き生きしているようだった。<br><br>「私が調べたところ、チューリップから敵戦艦が出現するとき、その周囲で光子、重粒子などのボース粒子、すなわちボソンの発生が確認されている。つまり……」<br><br>要するにチューリップは木星蜥蜴の移動手段、もしくはそれに準ずるゲートである可能性が高いと言うことらしい。<br>地球から火星まで、新型戦艦のナデシコでさえ一月以上。<br>クロッカスの破損状況、劣化状況から計測して数ヶ月は放置されている。<br>瞬間移動。<br>クロッカス周辺には、チューリップ。<br>仮説はほぼ確定されるが、一緒に消失したパンジーがないことから、出口は必ずしも一つではないと言うこと。<br>ルリが考えを纏めてモニターを見ると、何故かイネスが睨んでいた。<br>イネスは説明好き。<br>ルリは、そう認識することにした。<br>一応生存者確認のために、ナデシコはクロッカスに接近する。<br>周辺の安全が確定したら、内部の調査に移るだろう。<br>カツカツと、足音。<br>説明を終えたイネスは、ブリッジ後ろの壁に寄りかかるアキの隣に歩いてきた。<br><br>「今のも『知っていた』のかしら、お兄さん？」<br><br>周りにも聴こえるように、あえてイネスは言葉を強調した。<br>イネスはアキを名前で呼ばない。<br>まるで、意味が無いと言うかのように「お兄さん」を多用する。<br>客観的に見て、イネスの方が年上に見えるけど、どうなんだろう。<br>クルーは振り向きはしないまでも、二人の会話に耳を傾ける。<br><br>「……さあな」<br>「貴方の記録、見せてもらったけど不自然な点が幾つか。高度な……違うわね、熟練した操縦のテクニック、失明、この二つの項目だけでも、現存している人物なら発見は難しくない」<br>「何が言いたい？」<br>「経歴の一切ない人間は存在しない、と言うことよ。調べたわ、貴方が初めて第三者に目撃されたのはナデシコオペレーター、ホシノ・ルリの居た人間開発センター」<br><br>自分の名前が出たこともあってか、ルリは振り返った。<br>ルリと出会ったのが、アキが初めて他者に確認された日。<br>今時、過去が存在しない人間などいない。<br>生まれた瞬間からDNA登録され、カメラなどは街のあちこちに設置してある。<br>偶然がアキに適応するとは、ルリには思えなかった。<br>アキは無言でプロスを一瞥するように身体を動かし、クルーは横目で二人を見るようになる。<br>イネスの言っていることは、この間プロスが言っていたことと同じ。<br>『お手上げ』<br>何も見つからなかったのなら、正にお手上げ状態だったのだろう。<br><br>「……言いたいことは、それだけか？」<br>「いいえ、結局調べても何もわからなかった。だけど、貴方は何かを知っている。この艦に乗るきっかけなんて極めつけじゃない、予知不可能な木星蜥蜴の襲撃を、貴方は予知していた……そうよね？」<br><br>アキは、何も答えなかった。<br>アキがナデシコに乗る時、ナデシコのクルーにとってはピンチに現れたヒーローのように思えただろう。<br>客観的に見れば、それはおかしいこと。<br>ルリは今更そんなことは気にしないが、この雰囲気でイネスが次に言いたいことが予想できた。<br>予知不能な敵の攻撃を知るには、どうすればいいのか。<br><br>「貴方、地球と木星……どっちの味方？」<br><br>ブリッジの全員が、息をのんだ。<br>初めから敵ならば、双方の全てを知っている筈だろう。<br>アキは黙ったまま、イネスと向かい合っている。<br>皆、何も言わずに黙ったまま。<br>ばかばっか。<br>みんな、ばかだ。<br>ルリは立ち上がって、アキとイネスの間に割って入った。<br>真っ直ぐ、イネスを睨みつける。<br><br>「ふざけないでください」<br><br>自分は今、怒っている。<br>ルリはそう実感できた。<br><br>「私は極めて客観的に事実を述べたに過ぎない。その可能性もあると言っただけ、どう判断するかはそれぞれが決めることよ」<br>「私は、アキを信じます」<br>「どうして？」<br><br>嘲笑するようなイネスの態度に、腹が立つ。<br>視線が自分に集まっているのを、ルリは感じた。<br>誰一人、アキを不審に思わないとは、もちろんルリも思っていない。<br>怪しい行動も幾つかあった。<br>謎な人間と認識されていても仕方がないだろう。<br>疑うなら、疑えばいい。<br>嫌うなら、嫌えばいい。<br>アキは、そう思っている筈だ。<br>それは、間違っている。<br>ルリは疑わない。<br>アキを知っているから、絶対に疑わない。<br>ルリは、大きく息を吸った。<br><br>「アキは嘘をつきません。少なくとも、私には」<br>「……どういうことかしら？」<br>「アキはナデシコに帰って来た時に『ただいま』って言ったんです。私がアキを信じるのには、それで十分です」<br><br>アキは『おかえり』と言ったルリにそう返した。<br>これからも、ルリはアキが帰ってくる度にそう言うだろう。<br>アキも『ただいま』を返してくれるだろう。<br>疑う必要など、初めからない。<br>アキは、ここを帰る場所と認識しているのだから。<br>ルリがイネスと睨み合っていると「ぷっ……」と吹き出す笑い声が聞こえた。<br>複数から。<br>ミナトがナデシコの操縦桿を握りながら、ヒラヒラと片手を振っている。<br><br>「はーい、私もルリルリに一票」<br><br>手を引っ込めると、ルリに向かってグッドサインを出した。<br>ミナトに触発されたように、パイロット組が立ち上がる。<br>足並み揃えて、イネスの前に。<br><br>「女博士さんよぉ、世の中には言って良いことと悪いことが……」<br>「あんまし、つまんねーこと言ってんじゃねぇぞ！」<br>「おい、俺の台詞の途中だろっ！？」<br>「お兄様はね、こんな格好だけどけっこー信用あるんだよ？」<br>「…………命、賭けてます」<br>「「「賭けてねーよ」」」<br><br>四人は言いたいことだけ言うと、席に戻っていった。<br>残りの一人は厨房勤務のためいないが同じ気持ちだといいな、とルリは思う。<br>気付けば、ユリカがルリの隣でイネスに向かい合って立っていた。<br>いつになく艦長らしく、真面目な表情。<br>イネスは困惑した様子も見せずに、涼しい顔でユリカの顔を見つめていた。<br><br>「艦長として、クルーへの侮辱は許しません。ルリちゃんの言ったことはナデシコの総意です。これ以上でたらめなこと言うなら、あなたもナデシコのクルーとして罰則を受けてもらうことになります」<br><br>ユリカは怯まず、威厳を持ってイネスに言い放った。<br>そのままユリカは屈み、ルリと視線を合わせる。<br><br>「ありがとう、ルリちゃん」<br><br>お礼を言われた。<br>笑った顔。<br>見れば他のクルーの顔も微笑んでいた。<br>もしかしたら、最初からルリが言うのを待っていたのかも知れない。<br>無性に、自分の行為が恥ずかしくなる。<br>笑顔のまま、ユリカは自分の席に戻っていった。<br>誰も、さっきまでの会話は聴かなかったとでも言うように、業務に戻っている。<br>何故だろう。<br>誰も、アキが敵だとは思っていないのが。<br>誰も、アキを疑ってはいないのが。<br>ルリは、嬉しく思った。<br><br>「……嫌われちゃったわね、私」<br><br>声に気付いて周りを見ると、アキの寄りかかる壁の隣にはイネスの姿があった。<br>言葉とは裏腹に、悪びれた様子は全くない。<br>その態度には、見覚えがある。<br>どこかで見た、嫌いな人物の態度と類似していた。<br>ルリはアキの隣に駆け寄ると、イネスを睨む。<br><br>「ルリ、やめてやってくれるか？」<br>「え……」<br><br>ビクッとして、アキを見上げる。<br>アキが批判、侮辱されたのに。<br>アキが疑われたのに、どうしてイネスを庇うのかルりには理解できない。<br><br>「どういうつもりだ？」<br>「どういうつもりも何も、私の意見がここでは信用に足らなかった、それだけよ」<br>「あまりにもお粗末じゃなかったか、イネス・フレサンジュ博士？」<br><br>小声で会話する二人には、互いに嫌悪感は感じられない。<br>むしろ、好意的。<br>アキの皮肉に、イネスは苦笑までして見せた。<br>アキまでも、何がおかしいのか苦笑している。<br>この瞬間、ルリは不愉快の感情を理解した。<br><br>「最初から気付いてた、って訳ね。やっぱり面白いわ、貴方……で、どうだった？」<br>「芝居の見過ぎだ。何がしたかったのかわからん」<br>「この艦での貴方の立場、それが知りたかっただけよ。事実は事実だけど、バイザーとか、穴を探せばいくらでも見つかるわ。第一、木星蜥蜴は無人機集団、仮に人型で高度な知能を備えた生命体だったとして、わざわざ地球の新造戦艦の位置を調べて乗らなくても、火星の私を捕まえた方が早いじゃない」<br>「ひねくれてるな」<br>「あら、理解していたのに黙って付き合ってくれた貴方ほどじゃないわ……それにしても嘘はつきません、か。まさかそんな答えが返ってくるとは、人気者はつらいわね」<br>「誰が……ルリが庇ってくれなかったら、誰も何も言わなかった」<br><br>ついにはくっくっと声を出して笑い出す。<br>ルリはきょとんとして二人の会話を聞いていたが、段々と堪えられなくなってきた。<br>知り合って間もないのに、旧知の友のような会話。<br>実際は腹の探り合いなのだが、遠慮の無さが伺える。<br>ルリは、精一杯の勇気でイネスの前に立った。<br>改めて思い返すと、かなり恥ずかしい言葉もあった。<br>それなのに、アキはイネスが本気でアキのことを敵だと思っていたのではないと知っていたのだと言う。<br>納得いかない気持ちもあってか、文句の一つでも言ってやろうとルリが顔を上げる。<br>くしゃっ、と手がルリの頭に置かれて頭は動かなかった。<br>もちろん、アキの大きな手。<br>黙ったままのルリを気にしていたのか、アキはこちらに顔を向けていた。<br><br>「……ルリ、ありがとう」<br>「……はい」<br><br>ずるい。<br>卑怯だ。<br>しかも天然だから質が悪い。<br>そういえば、久しく撫でられていない気がした。<br>気持ちいい。<br>何も、言えなくなってしまう。<br>ルリはアキに撫でられながら、頬を染めて俯いた。<br><br>「この子とは、どういう関係？」<br><br>今度はイネスが屈んでルリと目線を合わせて来た。<br>目は合わせるのに、アキに話し掛ける。<br>たぶん、仲良くはできない。<br>ルリはそっぽを向いて、アキの陰に隠れた。<br><br>「旅を共にする仲間……ではどうだ？」<br>「ふふふ、まあいいわ。貴方が表に出てきたきっかけ、つまりは現時点で貴方を一番よく知る者……興味深いわね」<br><br>一番よく知る者。<br>それに当てはまるのは、恐らくオモイカネくらい。<br>実際はほとんど何も知らないのだが、余計なことを言ってアキを不利にするのは本位ではない。<br>勘違いしているならさせて置こう。<br>イネスの食い入るような視線から守るように、アキが一歩前にでた。<br><br>「さっき、どっちの味方かと聞いたな」<br>「ええ。私の予想ではクリムゾンかアスカの人間だと思ってるけど……それが？　実は木星人でしたとか言うつもり？」<br>「クリムゾンには恨みがある、アスカ・インダストリーには興味がない」<br><br>ルリはアキの言葉を聞き逃さない。<br>地球での戦艦造船を手掛ける三大企業。<br>ネルガル。<br>クリムゾン。<br>アスカ。<br>クリムゾンに恨み。<br>恨みと聞いてまず初めに思い浮かぶのは、アキの身体のこと。<br>本当なら、ルリには許せなかった。<br>自分のことではなくても、アキはオモイカネと一緒のルリの初めての『友達』。<br>友達を酷い目に遭わせたのなら、許せない。<br>あとで、徹底的に調べてみよう。<br>アキが口に出したのなら、何かは見つかる筈だ。<br><br>「選択肢を減らしてくれてありがとう。木星人ではないとしたら、同僚とか？」<br>「調べていなかったんだろう？」<br>「……それなら、何なのよ？」<br><br>いじけたようにイネスは、アキに聞いた。<br>先ほどまでクルーと対峙していた涼しい表情からは想像できないほど、子供っぽくふてくされている。<br>不思議と大人なイネスがしても、似合わなくはなかった。<br>イネスの態度にアキは苦笑すると、後ろに隠れていたルリを抱えて自分の前に降ろした。<br>突然の行動に驚いて、ルリはアキを振り返る。<br><br>「ア、アキ」<br>「……俺はこの子の味方だ」<br><br>頭に手が当てられる。<br>ルリはアキらしくない行動に、違和感を覚えた。<br>優しいのはいつものことだが、アキが積極的に何かを話すのも、自分のことを言い出すのも不自然。<br><br>「この子の？」<br><br>イネスは意外そうにアキを見る。<br><br>「俺が今もこの場所にいる理由。何があっても、この子とナデシコを守ろうと誓ったから、俺はまだここにいる」<br>「…………私、が？」<br><br>アキがナデシコに乗った理由。<br>やり残したことがあると、そう言った筈。<br>やり残したこととは、自分を守ること？<br>アキがナデシコにいるのは自分のため？<br>内心動揺。<br>それとは別に、アキはまたキザな台詞を言っている自覚はあるのだろうか。<br>自覚がないのはいつものことだが、周りにルリがいることを考えて欲しい。<br>ルリは、またアキの後ろに隠れた。<br>イネスは何やらぶつぶつと考え込んでいる。<br><br>「あー、全くわからない。貴方が言うことを纏めるなら、火星出身の経歴不明無所属盲目の特級パイロットは、ホシノ・ルリのためだけにナデシコに乗ったって……信じると思う？」<br>「どう判断するかは……」<br>「……そうだったわね。参考程度にはしておくわ、貴方は嘘をつかない、だったわよね？」<br><br>イネスはルリに確認を取っているようなので、こくんと頷くことにした。<br>少なくともルリには嘘をつかない、もしくはつけない。<br>イネスにはどうだか分からないのだが、言わないで置くことにした。<br>それからイネスはまた何か考えるようにぶつぶつ言いながら、ブリッジから出ていった。<br>天才。<br>イネス・フレサンジュ。<br>医師の資格まで持っているらしい。<br>ルリも天才と言えば天才なのだが、人為的な作為であるものが多い。<br>性格も違えば、思考回路も違う相手の考えていることは理解できないだろう。<br>アキを見る。<br>アキはいつものように、ボーっとして何かを考えている。<br>その間も、アキは愛しむようにルリの頭を撫でていた。<br>何かが、おかしい。<br>ルリから近づくことはあっても、アキから歩み寄ってくるのは、いつもはない。<br>アキの考えていることも、イネスが考えていることも、ルリには理解することはできない。<br>ルリは控えめにアキのマントをくっくっと引く。<br>アキは気づくと、ルリに近付くように身を屈めた。<br><br>「アキ……？」<br>「……君は、幸せになってくれ」<br>「幸せ？」<br><br>ルリに囁くように、アキは呟いた。<br><br>「そうだ。いつか結婚して、家庭を持って……最後まで、自分が後悔しないように生きろ」<br>「そんなこと、まだ考えられません」<br>「覚えていてくれるだけでいい。俺のことは忘れもいいから、その言葉だけは覚えていてほしい」<br><br>アキは、ルリを撫でるのをやめない。<br>ルリのためにではなく、アキが自分から望んでしているように。<br>変だ。<br>絶対に。<br>今日のアキは、変。<br>イネスとの会話も、しなくても、話さなくていいこともあった筈。<br>無理に積極的になっているような気がする。<br>今の状況だって、ルリには別れを告げているようにしか聞こえなかった。<br>言えることを、無理矢理全部吐き出してるようにしか見えなかった。<br>ルリは不安な顔でアキを見た。<br><br>「……どうしたんですか？　アキ、変です」<br>「……俺は……結局何もしてやれなかった……」<br>「え……」<br>「……ここにいるべき人間ではない……大事に……ごめんな…………」<br>「アキッ！」<br><br>うわごとのように小さな声で何かを喋り続けるアキ。<br>怖かった。<br>アキが呟く度に、どんどん希薄になっていくようで。<br>ルリが大声で名前を呼ぶと、アキは初めて自分の行動に気付いたと言わんばかりに、ビクリと身体を揺らして立ち上がった。<br><br>「……すまない」<br><br>謝られても、何を謝ったのか分からない。<br>アキが逃げるように扉へ歩き出す。<br>無意識の内に足は、アキを追いかけた。<br>あのまま放って置いてはいけない。<br>ルリの勘は、ことがアキ関係の嫌な予感であるなら外したことがない。<br>追いかけるまでもなく、アキは扉の前で止まった。<br>見れば、扉からはテンカワ・アキトがブリッジに入って来ている。<br>いつもの人が良さそうな顔ではなく、怒りの表情。<br>道を譲ったアキと同じように、ルリも避ける。<br>ずんずんとフクベに向かって進んでいくアキト。<br>気が付くと、アキは扉の前で立ち止まっていた。<br><br>「さっきイネスさんに言われた、よくこの艦に乗ってられるなって……あんたが第一次火星会戦の指揮をとってたのかよ？」<br>「何言ってるのよ、アキト。フクベ提督が第一次火星会戦で指揮をとった英雄じゃない」<br><br>知らなかったのだろうか。<br>地球では子供でも知っていることだ。<br>ユリカの言葉も届いておらず、凄い剣幕のアキトに対して、フクベは思い詰めた表情で黙って肯いた。<br><br>「戦闘で撃墜されたチューリップのせいで、一つのコロニーが消えた……あんたが、あれを落としたのか？」<br><br>クルーが、息を飲む。<br>フクベは顔を上げて、アキトの目を見て言った。<br><br>「そうだ。私が君の故郷を破壊した」<br>「おまえがっ！おまえがアイちゃんを、火星の人たちを……っ！」<br><br>アキトが、腕を振り上げる。<br>殴るのだろう。<br>パイロットたちが制止するにも、間に合わない。<br>間に合うとしたら、ルリの隣の人くらい。<br>隣を見る。<br>アキの姿は、ない。<br>アキは、フクベとアキトの間<br>振り上げたアキトの拳を、アキは微動だにせず受け止めていた。<br><br>「アキ君……やめてくれ。これは私の問題だ」<br>「なんで止めるんですか！？　アキさんだってわかるでしょう、こいつがユートピア・コロニーをっ！　こいつがっ！」<br>「……それ以上喋るな」<br><br>アキの怒声を聞いたのは、ルリは二回だけ。<br>ムネタケを殺そうとした時と、今、アキトを殴りつけた時。<br>殴り飛ばされたアキトに艦長や、ヤマダたちが駆け寄った。<br>アキトは信じられないとでも言いたげに、尻餅をついてアキを見つめる。<br><br>「アキさん、アキトに何するんですか！？」<br><br>ユリカを無視すると、アキはアキトを睨みつけた。<br><br>「なんで……？」<br>「お前は、提督に何か言う権利があるのか？」<br><br>アキはアキトに歩み寄ると、胸ぐらを掴み上げて立ち上がらせる。<br><br>「独りだけあの場所から逃げ出したお前が、提督を責める権利があるのか？　独りだけ生き延びた、お前が」<br>「——ッ！？　そんな、俺は……」<br>「俺もお前も、逃げ出したんだ。故郷を見捨てて、守りたかった人を見捨てて」<br>「違うっ！　俺は、見捨ててなんか……あいつだっ！　あいつが全部悪いんだっ！」<br><br>アキの手を振り払って、フクベに再び殴りかかろうとしたアキトは、次の瞬間、宙を舞った。<br>アキを軸にぐるんと一回転すると、アキトの体が硬い床にぶつけられる。<br>一撃で気絶したのか、動く気配はなかった。<br><br>「うわっ、痛そー」<br>「「アキトォォーッ！」」<br><br>ヤマダとユリカが揃うと、とても五月蝿い。<br>ルリは耳を塞いだ。<br><br>「……言ってわかる男ではない、か」<br><br>アキは呟くと、ルリの側まで歩いてくる。<br><br>「艦長」<br>「は、はいっ！」<br>「そいつは提督に拳を上げた……独房刑くらいにはなるんだろうな？」<br>「え、それはちょっと……」<br>「なるんだろうな？」<br>「……はぁい」<br><br>艦長の返事を聞くと、アキはブリッジを出ていった。<br>皆、呆然としている。<br>無理もない、アキが言ってることはアキトにしか、火星にいた人にしか伝わらないのだろう。<br>開いた扉。<br>アキの姿が小さくなっていく。<br>ルリは急いで、アキのあとを追いかけた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>焦りと、憤り。<br>今日のアキを見ていると、そんな気持ちが読み取れる。<br>イネスとの会話もそうだが、アキらしくない。<br>ルリに何かを伝えようとして失敗したり、呆けて別なことを考えていたり。<br>後者に関しては、火星に近づくにつれて回数が増えていった。<br>増していったのはボーっとする回数だけではなく、疑問も。<br>故郷の火星。<br>両親を亡くした。<br>移民名簿に無い。<br>クリムゾンに恨み。<br>傷ついた身体。<br>ナデシコに乗った理由。<br>ルリのため。<br>自分を古くから知っている。<br>正体不明。<br>アキ。<br>纏まらない、繋がらない。<br>焦っているのはルリも同じ、アキは何かをしようとしている。<br>オモイカネが言っていた『危険なこと』。<br>止めないと。<br><br>「……ま……って、ください」<br><br>アキの歩幅は広い。<br>ルリの歩幅と比べれば差が付くのは当たり前だが、アキは明らかに早足だった。<br>息も切れ切れ。<br>ルリの制止に、アキは後ろ姿で止まった。<br><br>「……ルリ」<br><br>ほんの少しの違和感、それがとても怖く感じる。<br>アキが、顔を向けてくれない。<br>アキの声に、力がない。<br>確証のない焦りが、ルリに警報を鳴らす。<br>後ろ向きのままアキは自分の杖を両手に持って、ルリに見せた。<br><br>「短い間だったが、俺を支えてくれた。もう必要ない……ナデシコに、置いてやってくれ」<br><br>カランと、杖はアキの足元に落ちる。<br>見えるように動けると言っても、アキはナデシコで杖を手放したことはあまりない。<br>短い間。<br>必要なくなったと、確かにアキは言ったんだ。<br><br>「…………なんで……」<br><br>自然と声が震える。<br>アキの手を掴んでしまえばいいのに、それができない。<br>俯いて床を見る。<br>おかしい。<br>自分も、アキも。<br>変じゃないか。<br>人間開発センターで別れた時は、こんなに怖いなんて思わなかった。<br>こんなに、誰かを失いたくないとは思わなかった。<br>それが、今では——<br><br><br>「未来……しっかりな」<br><br><br>あの時と、同じことを言われた。<br><br>「アキッ！」<br><br>いなくなる。<br>アキが、いなくなる。<br>直感して顔を上げた時には既にアキの姿はなく、薄い光がゆらゆらと煌めいていた。<br>まだ間に合う。<br>ナデシコから出る手段は限られている。<br>諦めずにルリが走り出すのと同時に、ナデシコに警報が鳴り響いた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418164117.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 14:58:58 +0900</pubDate>
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<title>21</title>
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<![CDATA[ <br>「戦艦一隻で助けに来ただなんて、おめでたい人たちね」<br><br>ユートピア・コロニーからやって来たイネス・フレサンジュ博士のナデシコでの第一声。<br>何やらネルガル傘下の研究所の偉い博士らしく、態度はとても堂々としたものだった。<br>金髪に研究者特有の白衣。<br>皮肉を込めて言葉を発する姿は、何故からルリにはアキに重なって見えた。<br>既にオリンポス研究所から戻って来ていたメンバーも揃って、ブリッジクルーは動揺する。<br>艦長であるユリカがイネスに向かい合う。<br><br>「どういう、意味ですか？」<br>「わからない？ 私はともかく、火星の住人はこの艦には乗らない、そう言ってるのよ」<br><br>動揺は更に広まる。<br>ナデシコが火星に来た意味。<br>火星の生存者を救助することが目的だったのに、肝心の生存者が乗らないのでは来た意味がない。<br><br>「確かにナデシコは一隻です。頼りないかも知れません。でもナデシコはここに来るまでの間、一度だって負けたことはありません」<br>「今までは、ね。それとは別に、シェルターにいる人たちは第一次火星会戦で家族を失い、命からがら逃げて来た人たち。火星の防衛線をさっさと放棄した地球の人間を信じることができると思う？」<br>「それは……」<br><br>ユリカは言葉を続けることが出来ず、黙った。<br>イネスも火星の人間である以上、言っていることは正しいのだろう。<br>一度裏切られた信用は、簡単には取り戻せない。<br><br>「なら、ここでくたばるのを待つって言うのかよ？」<br>「それもまた彼らの選ぶ道の一つよ。今まで生きてきた故郷を棄てて地球に逃げ延びるよりも、故郷に骨を埋めたい。火星出身者なら、理解できるんじゃない？」<br><br>リョーコの言葉を一刀両断したイネスは、意味ありげにアキトの方を見た。<br>一々、人をくくったように話す仕草は、短気な者にとっては馬鹿にされているようにしか思えない。<br>アキトは悔しそうにしながらも、イネスの前にでる。<br><br>「確かにそうそうかもしれない……でも、死んじゃったら意味ないだろ」<br>「意味があるかないかじゃない。身内の亡骸を残して地球に帰れるか……それは、気持ちの問題。それにしても呆れるわ、貴方たち本当にたった一隻の戦艦で火星を脱出できると思ってるの？」<br>「お言葉を返すようですが、貴女はできないと仰るので？」<br><br>誰も反論することが出来ず、イネスの独壇場となっていたブリッジに、プロスペクターの声が割り込んできた。<br>回収して来たデータの確認とやらで、席を外していたらしい。<br>誰もがプロスに期待したところで、イネスは顔に微笑を浮かべた。<br><br>「意地が悪いわね、プロスペクター。いいわ、説明しましょう。ナデシコの性能では火星を脱出できない、その理由を」<br><br>とても嬉しそうに、何処からかホワイトボードを引っ張り出して来たイネス。<br>ノリに任せてメンバーたちは前に集まってしまう。<br>良く分からない書き込みが入り、ディストーションフィールドの原理から始まって、相転移エンジンの出力面での問題に続き、最終的にはナデシコの設計者がイネスで火星から脱出できないのは断言できると閉めるのだが、ルリは始まって数分で聞くのを諦めてブリッジを出ていった。<br>恐らく何時間か続くことになるだろう。<br>暇な時間は有効に活用しなければならない。<br>目的の人物は、すぐ側にいた。<br>また疲れているのだろうか。<br>アキはブリッジ近くの椅子に腰掛けて、身体を完全に壁に預けていた。<br>結局、あのあとアキとオモイカネは口を割らなかった。<br>むしろ、オモイカネのお父さん発言のせいで、もっと大事なことを誤魔化された気がする。<br>仲が良いのは、別に悪いこととは思わない。<br>しかし、こそこそと何か暗躍したり、あからなさまに秘密と言う態度を取られると、仲間外れにされたようでルリは嫌だった。<br>自分のしていることが子供のようだと言うことは、理解している。<br>不機嫌になることも喜ぶことも、アキとオモイカネといると多くなる。<br>感情を表に出す。<br>少し前ならそれを良くないと捉えたかも知れないが、今は何故かあまり嫌じゃないとルリは思う。<br>アキが気付かないようなので、ルリも隣に腰を下ろした。<br>目も鼻も舌もない生活なんて、ルリには想像もできない。<br>アキは、いつもそんな中で生活している。<br>何故三つもの感覚を失う目に遭ったのか、アキは話してくれない。<br>ルリを信用していないからと言うよりは、心配をかけたくないからアキは話さないのだと言うことは理解している。<br>理解と納得は別問題。<br>今もまた、アキは何か陰で行動しようとしているのが分かる。<br>アキトとの会話も然り、都合のいいイネス・フレサンジュとの接触も然り。<br>焦っているような、薄れていくような。<br>ルリには嫌だった。<br>確信はないが、嫌な予感がする。<br>アキは約束しても、自己犠牲をやめないだろう。<br>いつか再びアキが無茶をすることがあったら、ルリは止められるだろうか。<br>それが、怖かった。<br>ふと、気が付く。<br>アキが何も言ってこない。<br>目が見えなくてもルリが近付けば「ルリか？」と、分かってくれるアキ。<br>気配を読み取るらしいのだが、アキがただの少女であるルリに気が付かないのはおかしい。<br>もしかしたら、寝ているのだろうか。<br>目元はバイザーに隠れている、仮説に過ぎない。<br>本当に、眠っているのだろうか。<br>眠っているのだとしたら、ルリの隣には睡眠中のアキがいることになる。<br>なんとなく、ルリは恥ずかしくなった。<br>無防備なアキ。<br>何故か赤面気味のルリ。<br>何をする訳でもない沈黙。<br>いつもの沈黙には変わりないが、これではアキが起きたときに何をしていたと言えばいいのか。<br>この間のことを思い出す。<br>アキと食堂の通路でのこと。<br>小さな誘惑。<br>ルリの頭には、もう一度やってみたいことが思い浮かぶ。<br>思い切って、少し体を傾けた。<br>ぽすっ、とアキに体が寄りかかる。<br>アキとルリと間の距離が、完全に埋まった。<br><br>「……………………」<br>「……………………」<br><br>起きなかった。<br>ルリは安堵の溜め息を吐いて、改めて自分の体をアキに預ける。<br>あったかい。<br>とてもあたたかい。<br>何故、こんなにも安心できるのだろう。<br>オモイカネが『お父さん』と呼ぶ理由が理解できる気がした。<br>前に内緒で寄りかかってしまった時から、もう一度できないかと考えては不自然だと、何を考えているのかと頭を振ってきたルリ。<br>再び、誘惑に負けてしまった。<br>アキは眠っているのだから、バレてはいない。<br>クルーもイネスの講義を聞いているので、ここは通らない。<br>誰も見ていないと分かっていても、羞恥心から顔は赤くなり、離れようとしても体が動かない。<br>アキから、離れたくない。<br>ルリは自分の行動を、そう認識せざるを得ない。<br>何故そう思ってしまうのか、自分がおかしいのだろうか。<br>ルリは困惑しながらも、アキの服の袖をギュッと握る。<br><br>「……アキ？」<br>「……………」<br><br>返事はない。<br>ルリは更に顔を赤くして、口を閉じた。<br>本当に、自分は何をしているのだろうか。<br>アキが眠っているのをいいことに、隣に座って、くっつき、寄りかかって。<br>頭から湯気が出そうなくらい自分の行動に混乱しながらも、ルリは恥ずかしさに我慢できず、自らの目を瞑った。<br>こんな光景を誰かに見られでもしたら、ルリはどうなってしまうのか分からない。<br>やっぱり、いけない。<br>意味不明な行動。<br>今日の自分は変だと、ルリは目を開く。<br><br><br>『……………………あ』<br><br><br>ルリでもアキでもない、声が聞こえた。<br>数枚のウィンドウが、ルリの視界の中を浮遊している。<br>ウィンドウには『撮影中』『永久保存』『ルリさんandアキNo.57』『オモイカネ私用fileへ』の文字。<br>ルリは羞恥心や発覚の焦りよりも、三枚目のウィンドウが気になった。<br>『No.57』と言うことは、1から始まったと考えると57番目。<br>それまでの全ての動画か静止画か不明の画像データは、『オモイカネ私用file』とやらに保存されていることになる。ルリが目を瞑ったと油断したのか、現れたオモイカネは次々とウィンドウが消すが時既に遅し。<br>あとで、絶対に消去しよう。<br>どこに隠してあっても、絶対に。<br>ルリは最後に残った小さなオモイカネマークをジトっと睨む。<br><br>「オモイカネ、何してるの？」<br>『ルリさんこそ』<br>「私は……別に」<br><br>確かに今の状況で何を言っても説得力はない。<br>隣には、アキ。<br>袖を握りしめ、寄りかかるルリ。<br>見つかったのがオモイカネで良かったと思う反面、誰だろうと見つかってしまったことによる羞恥。<br><br>『……ずるい』<br><br>オモイカネが、ポツリと呟く。<br>ルリの体がビクリと震えた。<br><br>『二人だけ、ずるい。私も』<br><br>子供のように、オモイカネの投影された映像はアキとルリにすり寄った。<br>感触や温度は感じられないかも知れないが、気持ちはあたたかくなるのだろう。<br>オモイカネはぼんやりと、とても満足そうだった。<br>ルリも一緒になって、ボーっとする。<br>不安だったことは、こうしていれば紛れる。<br>紛れるが、紛れるだけ。<br>誤魔化しているだけで、解決はしない。<br>アキがいなくなったら、今のような時間はなくなってしまう。<br>オモイカネも、アキも、ルリも、ナデシコのみんなも。<br>アキがいなくなったら、別な場所になってしまう。<br>ルリの知っているナデシコではなくなってしまう。<br>それが、怖かった。<br><br>『大丈夫』<br>「オモイカネ？」<br><br>オモイカネは、ルリの心中を読んだように話しかけてきた。<br><br>『アキは、守る。私とルリさんが、アキを守る。大丈夫』<br>「……うん」<br><br>それは、もちろんのこと。<br>だがいつもアキは、先に起こることを知っているように行動する。<br>そんな魔法使いみたいなことを、平気でやってのける人だ。<br>ルリの予想外のことをするのでは危険なのかそうでないのかの判断もできない。<br>アキの秘密を知っているオモイカネなら、分かっているのだろうか。<br><br>「……アキが何をするのか、オモイカネはわかる？」<br>『たぶん、危険なこと。アキが何もしない筈ないから……ごめん』<br><br>内容は、言えないと言うことなのだろう。<br>ルリは謝るオモイカネに「いいよ」と応えてアキを見上げた。<br>危険なこと。<br>アキはそれをするつもりらしい。<br>どうしたらいいだろう。<br>エステバリスに乗せないとか、色々手段はあるが一概に安全とは言えない。<br><br>『ルリさん』<br><br>オモイカネは、いつの間にかルリの前にいた。<br>ルリはゆっくりと顔を向ける。<br><br>「なに？」<br>『アキは、死なせない。私が何とかする。信じて』<br>「どうするの？」<br><br>信じろと言われれば信じるが、オモイカネやルリ、ましてやナデシコの人間がアキを止められるとは思えない。<br>ナデシコが危機に陥るようなら、進んで体を張る人間。<br>戦闘に入ってしまったら、ルリやオモイカネでは止められない。<br><br>『秘策あり。心配なし』<br><br>秘策、とはなんだろうか。<br>自信満々のオモイカネに安心はするが、オモイカネの口振りでは頼れる人がいるようだ。<br>考えるが、思いつかない。<br>オモイカネは、アキのどこまでを知っているのだろう。<br>身体障害。<br>交友関係。<br>能力。<br>過去。<br>もしくは、それらの全て。<br>オモイカネは、知っている。<br>ルリは、アキのことをほとんど知らない。<br>羨ましいと思わずにはいられない。<br>誰にも、打ち明けないこと。<br>いくらルリを心配してくれていると分かっていても、アキはオモイカネには話したのだから。<br>なんだか、ルリは寂しく思った。<br><br>「オモイカネは……知ってるの？」<br>『ある程度。でも勘違いしないで、アキは……』<br>「……うん。わかってる」<br><br>本当は分かってなどいないのに、そう応えるしかない。<br>理解と納得は違うから。<br>ルリはアキの袖を握る手に力を込めた。<br><br>『アキのことは頼んであるから、ルリさんは待っててあげて。おかえりって、言ってあげて』<br>「……おかえり？」<br>『アキは帰る場所、すぐに忘れちゃうから、ルリさんが言わないと、帰れなくなっちゃうから』<br><br>帰る場所。<br>アキには今までなかったのだろうか。<br>オモイカネは言葉を止めない。<br>必死な様子のオモイカネに、ルリは頷いた。<br><br>「その時は、オモイカネも一緒にね？」<br>『……いいの？』<br><br>ルリは少し明るい表情を浮かべ、黙って頷いた。<br>オモイカネは姉や兄のような一面もあれば、妹や弟のような一面も見せる。<br>大人のような時もあれば、子供のような時も。<br>隣で寝ている誰かのようだった。<br>やはり似ていると、ルリは改めて思う。<br>オモイカネはオモイカネなりに一生懸命なのに、ルリがうじうじしているのでは示しがつかない。<br>オモイカネは嬉しそうに、またルリとアキにすり寄ってきた。<br>しばらくオモイカネとボーっとしながら、目を瞑る。<br>アキとオモイカネが一緒にいてくれる温かさと、心地よさ。<br>家族。<br>一瞬、ルリの頭に浮かんだ言葉。<br>親族、血縁関係の他に、大切な者と言う意味もある言葉。<br>自分の両親も、こんなに温かいものだったらいいとルリは思う。<br>もし捜してくれていなくても、一生見つけてくれなくても、側にアキとオモイカネがいてくれればいい。<br>まだ見ぬ両親と、側にいる二人。<br>考えるまでもない。<br>ルリからして見れば、選ぶ方は後者と決まっている。<br>アキとオモイカネが、本当の家族だったらいいのに。<br>嬉しくなった。<br>これは、間違いなく幸せと言うものなんだろう。<br>アキが、眠っている。<br>ルリも、段々と眠くなってきた。<br>いいよね。<br>許可は誰に取る訳でもなく、自分から了承をすぐに受け取る。<br>ゆっくりと瞼が重くなって、開かなくなって。<br><br><br>『アキのことは任せてあるから』<br><br><br>オモイカネの言葉。<br>誰に。<br>どうやってアキを任せるのか。<br>信用できる相手なのだろうか。<br>虚ろな意識のままルリは瞳を半分開き、オモイカネを見つめた。<br><br>「……誰に？」<br><br>オモイカネは意味を汲み取ったのか、ルリの視界の中心に動く。<br><br>『アキの……友達……たぶん』<br><br>たぶん？ オモイカネのウィンドウを良く見ると、イライラマーク。<br>オモイカネが不快を表すアイコンを出すのを、ルリは初めて見た。<br><br>「……嫌いな人？」<br>『嫌い。大嫌い。アキと違ってうるさいし、優しくないし、我が儘だし、発想が幼稚。それに多重人格。えーと、えーと』<br><br>アキの友達。<br>それなら、大丈夫だろう。<br>オモイカネは、無理矢理に罵詈雑言を探し続ける。<br>オモイカネにここまで嫌われる程の人物なのだから、ある意味珍しい。<br>嫌い。<br>ルリはその感情を持ったことがある。<br>誰にだっただろうか。<br>オモイカネを見ていると、自分と似ているような気がして思い出せそうで。<br>オモイカネの相手への悪口も半分に聞きながら、ルリは目を閉じて体の力を抜いた。<br>頭がまともに回らなくなっている。<br>ルリは睡魔に身を任せることにした。<br><br>「……オモイカネ、ごめんなさい」<br><br>ルリはオモイカネに謝ると、温かさに引かれるままに眠り始めた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>『ルリさん、ダメ……あーあ』<br><br>意識を手放したルリは、返事をすることはない。<br>オモイカネは、ルリとアキの周りを心配そうにくるくる回る。<br>眠っているアキとルリ。<br>ルリは、アキの片腕を抱き枕代わりにして寝息をたてている。<br>会話の間も、最後までルリはアキから離れなかった。<br>二人共疲れが溜まっていたようだが、恥ずかしくないのだろうか。<br>人通りがないとは言え、往来の場所。<br>仲良しで有名な二人でも、見つかったら明日から仕事ができないかもしれない。<br>幸せそうに眠る二人。<br>規則的に呼吸の音が聞こえる。<br><br>『……いいなぁ』<br><br>オモイカネは思う。<br>オモイカネに体があるならば、迷うことなくもう一席が埋まる。<br>開発段階からナデシコのAIであるオモイカネ。<br>これ程までに自分の在り方と、自分を造った開発者一同を呪ったことはないだろう。<br>全てが上手に終わったなら、イネス女史にボディに近い物でも造ってもらえるように進言してみようとオモイカネは密かに決意した。<br>それはともかく、こんなところで眠っては風邪を引いてしまう。<br><br>『どうしよう』<br><br>オモイカネに出来ることと言ったら、人を呼ぶか起こすくらいなのだが、どちらもおすすめできない。<br>起こしてしまうのも、もったいない気がする。<br>そもそもアキともあろう人間が、何故起きないのだろうか。<br>結構な声で話していたのだから気づいてもおかしくはない。<br>むしろ、起きないのがおかしい。<br><br>「ん……」<br><br>ルリの口から声が漏れた。<br>椅子に座ったままでは寝苦しいのか、少し体をずらすが、アキの腕は絶対に離さない。<br>アキは、起きない。<br>避けるどころか、寧ろ無意識の内にルリが掴みやすいように腕を差し出しているように見える。<br>ルリはまた寝息をたて始めた。<br><br>『……ルリさん、だからだね』<br><br>結局、そう言う結論に至る。<br>アキがルリを避ける筈がない。<br>敵意を読み取るアキが、気を許しているルリに反応して起きる筈がない。<br>何にせよ、風邪を引くのは良くないこと。<br>しょうがないので、オモイカネは艦内の設定温度を上げることにした。<br>二人の健康とクルーの迷惑。<br>天秤に掛ける必要もない。<br>オモイカネは迷わず決定を選択する。<br>過保護と言う点では、オモイカネもアキのことは何も言えないだろう。<br>あとは、何をすればいいだろうか。<br>人が来る前にしておかなければいけないこと。<br>何か、何か。<br>オモイカネは、あせあせとウィンドウをくるくるさせる。<br><br>『……あ』<br><br>電球マーク。<br>思いついた。<br>大事なこと。<br>しておかなければならないこと。<br>オモイカネの視界には寄り添って眠る無防備な二人。<br>時折ルリが動いて、アキの腕の陰に隠れたり、頭を乗せている肩からよろけそうになって焦って戻ったりしている。<br>何とも、仕草一つ一つが可愛らしかった。<br>アキとルリが一緒のことも相まってか、二人共にあまりにも無防備過ぎる姿だった。<br>記録、しなければ。<br>保存、しなければ。<br>ついでに、ルリにバレたので隠し場所も変えなければ。<br><br>『撮影……すたーと』<br><br>永久保存。<br>もうすでにオモイカネの思考回路には、それ以外のことは一切残っていなかった。<br>オモイカネの幸せ。<br>いつまでも、この光景が見られればいいと思う。<br>この日、『ルリさんandアキ』の動画データにNo.58が追加された。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>「…………ん？」<br><br>アキが目を覚ますと、まず状況把握が必要だった。<br>何時間眠っていたのだろうか。<br>体の調子が悪い訳ではないが、最近眠ることができなかったのは事実。<br>気がゆるんでしまったようだ。<br>これではいけない。<br>いつ何時でも、気を抜くことはできない。<br>アキのいる場所はブリッジの前の椅子。<br>人に見つからなくてよかったと思いつつ、立ち上がろうとすると——<br>何かが膝の上に乗っていた。<br>慌てて座り直す。<br>アキの膝の上のものは、アキが動いたのに合わせてもぞもぞ動く。<br>ついでに片腕も掴まれていた。<br><br>「……なんだ？」<br>『アキ、動いちゃダメ』<br><br>オモイカネの声。<br>言われた通りに動きを止めると、膝の上のものも動きを止めた。<br>人。<br>接近、接触まで気づかなかったのは、アキには驚愕だった。<br>腕が鈍ったどころではない。<br>何故、その前にこれは誰なのか。<br>気が付く。<br>アキの膝に乗っている人物は、かなり小柄なようだ。<br>ナデシコには、一人しかいない。<br><br>「……ルリ？」<br>「ん……」<br><br>返事をするように、膝の上のルリは寝返りをうった。<br>寝息が聞こえてくる。<br>アキが眠っていたように、ルリも眠っているらしい。<br>ルリはブリッジにいたのではないのだろうか。<br>それがどうしたら、こう言う状況になるのだろうか。<br>アキは動くこともできず、オモイカネに助けを求める。<br><br>『……ルリさん、いいなぁ。アキ、私も、私も』<br>「……ダメだ。それよりルリは、その、どうしてここに？」<br>『私が来た時には、睡眠中のアキの隣にいたの。お話してる間にルリさんも眠った』<br><br>睡眠中のアキの隣。<br>お話している間。<br>全く気付かなかったことに、アキは少し落ち込む。<br><br>「……何故、膝の上？」<br>『今度接続した時に見せる。全部保存してあるから』<br>「消せ」<br>『やだ。可愛かった……ルリさんがだんだんアキの方に傾いてって、ストンって膝の上に』<br>「……頼む。消してくれ」<br>『やだ。一生の宝物にする』<br><br>そんな物を宝物にしてどうするのか。<br>オモイカネは頑なに拒否を続ける。<br>アキは溜め息を吐いて諦めることにした。<br>とにかく、現状を打破しなければならない。<br>こんな状況を誰かに見られたのでは、何と言われるか分からない。<br>ルリも全く同じことを考えていたとは露とも知らず、アキは起こそうと思い躊躇うの繰り返し。<br>眠っているのを、無理に起こしては可哀想だ。<br><br>『イネス女史の講義終了。ジャストタイミング』<br>「……俺を困らせて楽しいか？」<br>『楽し……嘘。恐い顔しないでアキ』<br><br>誰に似てしまったのだろう。<br>少なくとも自分ではないと、アキは思いたかった。<br><br>『起こさないように、ルリさんの部屋に運ぼう』<br>「それはいいが……鍵は？」<br>『私』<br><br>忘れがちだが、オモイカネはナデシコの制御メインコンピュータと直結している。<br>あまりにも仕事をしていないように見えても、オモイカネはオモイカネ。<br>アキはルリを起こさないように抱き上げると、ルリの部屋に向かって歩きだす。<br>重さは、ほとんど感じない。<br><br>『……お姫様だっこ』<br>「……他に方法がない」<br>『………………すたーと』<br>「……………………」<br><br>もう、何も言うまい。<br>アキはせめて出来るだけ急ぐようにと、早歩きになる。<br>オモイカネはアキの周りを回って前に出た。<br><br>『アキ』<br><br>話し掛けられ、アキは顔を上げる。<br>どうせ見えないが、オモイカネやルリにはこうするようにしたい。<br><br>『怖い夢、見た？』<br><br>言われて見れば、いつも見ている悪夢を見ていないことに気が付く。<br>何故だとは、考えない。<br>側に誰かが居てくれるのは、誰でも心強く思うもの。<br>今日、眠ているアキの側には人がいた。<br>先ほど抱き上げた時に解いた手には、今はまたルリの小さな手がちょこんと乗っかっている。<br><br>「いや、見なかったよ」<br>『そう。ルリさんがいて、良かったね』<br>「……ああ」<br><br>アキは、苦笑してオモイカネに応えた。<br>昔には二度と戻れない。<br>誰もが周りにいてくれたあの頃には。<br>今は手の届く人だけでも、守り通す。<br>アキの隣にいてくれる少女を、そしてオモイカネを。<br>ルリの部屋に到着するまでアキの笑顔が消えることはなかった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>ベッドの上で目を覚ましたルリが、どうやって部屋に戻ったか思い出せないでいると、一枚のウィンドウが差し出された。<br>アキに寄りかかって目を閉じるルリ。<br>アキの腕を抱きしめるルリ。<br>アキに膝枕されて熟睡しているルリ。<br>アキにお姫様だっこされているルリ。<br>アキにベッドに寝かされて、アキに頭を撫でられ、アキが帰れずに困っているのに手を離そうとしないルリ。<br>寝ぼけ眼のままウィンドウを見ていたルリは、一瞬の内に真っ赤になった。<br>見せるものだけ見せると、ウィンドウは消え去る。<br>この日、ブリッジで物凄い量のウィンドウを展開して作業をしている、何故か赤面したルリが目撃されたのは言うまでもない。<br>ちなみに、決死の捜索も空しく『オモイカネ私用file』は見つからなかったらしい。
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<link>https://ameblo.jp/ccastle/entry-11418164025.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 14:58:48 +0900</pubDate>
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