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<title>工具マニアで困ってます</title>
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<description>営業職なのに工具大好きで、営業中にホームセンターに入り浸り・・・</description>
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<title>住民サービスの効率化</title>
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<![CDATA[ <p>インターネットをはじめとする情報化への取組みに関しては、行政部門にも注目すべき試みが出てきた。その一例は、南スラウェシ州タカラール県が一九九九年四月に導入したワンストップ・マネジメント情報システム（ＳＩＭＴＡＰ）である。ＳＩＭＴＡＰは、タカラール県政府が国営電話会社と共同で開発したインターネット利用の情報管理システムであり、住民に対する行政サービスの効率・迅速化、および県知事・県書記による住民サービスのモニタリング、の二つの目的がある。</p><br><p>住民サービスの効率化では、建築許可、立地許可、住民登録証（ＫＴＰ）の発行、土地所有証の発行、出生・婚姻などの証明、土地建物税の支払い、商業許可、商業登録証や企業登録証の発行など一二種類の許認可手続きが一カ所で済み、しかもコンピュータを通じて処理されるので、手続きに要する時間が飛<br>躍的に短縮された。通常は二～三日かかっていた住民登録証の発行が、写真など必要書類が整えばわずか五分で済むようになった。入力データはそのままサーバーに蓄積されるので、書類を紛失するといったよくある事態も発生し難くなった。</p><br><p>一方、県政府は、こうした住民サービスの状況を二四時間いつでもどこでもインターネットを通じて把握することが可能になった。県知事や県書記はすべての住民サービスを、県の各事業局長は自分の局に関する住民サービスを、それぞれ自分のオフィスに居ながらにしてモニタリングできる。今現在の県政府の自己資金収入額や住民登録者数なども瞬時にわかる仕組みである。これまでは各事業局に問い合わせて単票を再度合算する、と手間がかかり、正確な額を把握するまでに何カ月も費やしていた。</p>
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<pubDate>Sat, 09 Apr 2016 12:33:49 +0900</pubDate>
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<title>ヨーロッパ通貨制度ＥＭＳの発足</title>
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<![CDATA[ <p>ＥＣ通貨統合の挫折という報道が溢れる中で、ＥＣの通貨統合は進んでいった。それぞれの理由から脱落したアウトもやがてより完全になったスネークに戻ってくる。ＥＣのすごさは、その論評に実践で応えていくところにある。</p><br><p>国際通貨体制の変動の中でも、ＥＭＵの立てた基本原則は頑固に守られてきたが、それは結局経済統合からさらに政治統合までを目指すＥＣの行動原理にもとづくものといってよい。つまり、ＥＣの通貨統合への執着は、単なる市場論理から来るものではなく、共同体論理から来るものだからである。その意味で、一九七四年ご一月にＥＣ首脳会議に提出されたチンデマンス報告はとりわけ重要な内容をもっていた。</p><br><p>この報告では、新しい方式によるスネークの維持の必要性、アウトに対する支援、基軸通貨としてのドルとの関係調整、共同体における社会問題の重視、等々を基礎としたヨーロッパ同盟の設立を提言している。要するにこの報告書は、八〇年代、九〇年代のＥＣの将来を展望する指針となっているのである。</p><br><p>一九七八年七月、ブレーメンで開催されたＥＣ理事会で、通貨統合を前進させるためのヨーロッパ通貨制度ＥＭＳの創設がヘルムートーシュミット西ドイツ首相（当時）によって提言され、翌七九年三月一三日より発足した。ＥＭＳはまずスネークを強化、再構築した。アウト諸国と協議機関をつくり、二段階方式ｔwｏ-ｔieｒ　ｓｙｓｔemによる域内為替相場の変動幅の調整を行った。すなわち、イギリス、スペイン、ポルトガル、ギリシヤを除く加盟国は原則として上下各二・二五パーセントの幅を遵守し、これが困難な加盟国に例外的に上下各六パーセントのケースを設けたのである。</p>
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<pubDate>Wed, 09 Mar 2016 11:46:06 +0900</pubDate>
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<title>ジフテリアの予防とペータ・ファージの運命</title>
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<![CDATA[ ジフテリアの予防に有効な予防接種について考えてみたい。ジフテリアという病気は、ジフテリア毒素の毒作用が発揮されなければ起こらない。ジフテリア毒素はタンパク質であるが、生体は、自分の身体の中にないタンパク質に対して抗体を作るのが原則である。抗体を作らせる物質を抗原というが、ジフテリア毒素も、このような抗原のひとつである。<br><br>ジフテリア毒素をそのまま注射することは、重症のジフテリアを起こすことにほかならないので、ジフテリア毒素を予防接種に使うには工夫が必要である。そのために化学薬品を用いてジフテリア毒素の分子の形をほとんど変えずに、毒素作用だけを除いたものを作ったのである。このように毒作用がなくなった毒素のことをトキソイドというが、このトキソイドを多量に注射しても、ヒトは決してジフテリアの症状を起こさない。<br><br>しかしトキソイドの注射の結果、ジフテリア毒素の毒作用を中和できる抗体を、血液の中にたくさん保有するようになる。このトキソイドによる予防接種によって、現在の日本では、ジフテリアは大規模には見られないものになった。ところで、このような予防接種を受けた子供の血液の中には中和抗体がたくさんあるのだが、この抗体は耐Ｑ抗体といって、血液の中には多くあっても、粘膜上には存在しない。それにもかかわらず、どうして粘膜に感染するジフテリア菌によって起こされるジフテリアが予防できるのであろうか。
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<link>https://ameblo.jp/cfmv/entry-12126826960.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Feb 2016 15:34:47 +0900</pubDate>
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<title>重症患者を見世物に出す</title>
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<![CDATA[ <p>ルネッサンス時代の十六世紀頃から、精神病者を監禁しておく収容所が、各国に建てられはじめた。特にスペインでは、アラビアの影響も受けやすかったためか、十五世紀初めにはもう、セビラ、バルセロナ、トレドなどに精神病者の収容所が建てられている。</p><br><p>ロンドンにかの悪名高い「ベッドラム」が誕生したのは、もとセントマリオ・オブ・ベツレヘム（St. Mary of Bethlehem）という名の修道院だったものを、ヘンリー八世の命を受けて精神異常者の強制収容所にしたものである（1547年）。</p><br><p>収容所とは名ばかりで、高い塔の内部は地獄さながらの光景となり、凶暴な患者はてペニーで見せものに出し、比較的おとなしい患者には、ロンドンの街角でこじきをさせていた。</p><br><p>この二十年後にアメリカ大陸で最初の精神病者収容所がメキシコに設立された。フランスでの最初の施設は、パリ郊外に建てられた、シャランタン精神病院（Ra Maison de Charenton)（1841年）で、十年後にはビセートルに840人収容の精神病院が建てられた。</p><br><p>さて、日本でのその当時の精神病というとごには、六世紀半ばにシナから伝わったといわれるお灸が一番広く、幾時代にもわたって用いられている。アンマや、水治療なども用いられているが、いわゆる普通の治療といえば、ほとんど寺の坊さんによる祈祷や僧侶の儀式だった。</p>
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<pubDate>Tue, 12 Jan 2016 15:57:23 +0900</pubDate>
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<title>中国経済の救世主とは</title>
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<![CDATA[ 1980年代の中国経済は、物資の増産の数値に関する限りは順調だったが、増産が進んだだけに、産業構造の内部矛盾も増大した。電力、輸送などのインフラストラクチュアの遅れや、鋼材や石炭などの基本素材やエネルギーなどの相対的不足が、工場生産の足枷となり、多くのプラントの稼働率が低下した。国営企業は次々と新工場を建設したが、海外からせっかく新鋭プラントを導入しても、多くは使いこなせず、その生産効率の悪さが目立った。<br><br>多くの人材と多額の国家資金をつぎ込んでも、その割には経済的成果が上がらないのだから、インフレーションがひどくなったのも当然である。1989年の国民総生産は目標の7％を大幅に下回り、前年比3.8％にすぎず、インフレ率は17.8％にもなった。そのインフレが市民生活を直撃したことが、天安門動乱の一つの原因にもなったのである。<br><br>政府の経済政策はインフレの抑制を最優先とした。生産活動に直接関係のない建設事業は、ほとど中途で停止となった。1989年の秋に雲南省に出かけたのだが、省都の昆明では、大きなホールや体育館などの工事が軒並み打ち切られて、コンクリートの骨組みが人気もなく、空しく横たわっていた。<br><br>当時の中国での景気調節は、金融機関の貸し出しや公定歩合のコントロールによるよりも、政府の基本建設の推進や抑制によるところが大きかったのである。「これが社会主義の景気調節なのだな」と、私はしげしげとその風景に見入った。中国の政治も経済も重大な危機に陥った。危機はますます深まると、中国から海外に亡命した学生や知識人が語っていたが、2年後の1991年に思わざる援軍が現れた。<br><br>インフレがかなり鎮静したうえに、輸出も輸入も急激に伸び始めたのである。内需がすっかり冷え込んだので、国営企業も農村部の郷鎮企業も輸出に力を注がざるを得なかったのだが、それが、とりわけ香港とアメリカに向かったのである。天安門動乱の時は、香港の学生や知識人は盛んに反中国政府キャンペーンを展開し、アメリカは海外諸国の中では、最も声高に中国政府と解放軍の人権揉願を非難したのだが、その二つが中国経済の救い主となった。 <br><br><a href="http://www.therapidgamers.com/thentry14.html">結婚式 無駄</a><br><br>
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<pubDate>Wed, 09 Dec 2015 13:05:14 +0900</pubDate>
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<title>地域包括システム</title>
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<![CDATA[ <p>住民側か市町村を選択する時代に入ったということもできる。これは、保健や福祉をまじめにやらない市町村長ぱ、次の選挙では落選するという側面も持っている。市町村長はうかうかできないことにもなる。どういうわけか、保健や福祉に熱心な市長村長は、介護保険の成立にも前向きの人が多い。目線が住民のほうにあるのか、自分の市町村の台所だけを考えているかの違いのようだ。</p><br><p>高齢社会に対応するために、政府はゴールドプランを推進しているが、そのポイントのひとつは、老人にたいするサービスの総合化である。地域の保健・医療・福祉のシステムがきっちりとつくられ、この三つが統合化されて、コソトロールータワーがあって、それが作動していなければならない。</p><br><p>現在のところ、これらの条件を満たしている地域はまだ少ない。そのなかで、もっとも早くから整備され、活動しているのが広島県御調郡御調町にある公立みつぎ総合病院（山口昇管理者）である。みつぎ総合病院が組織化している地域包括システムのひとつずつをごくかんたんに説明しよう。</p><br><p>一般病床二二〇床、診療科目一五、職員数三一六人（うち医師三〇人）、診療圏域人口約七万人で二次、三次医療を行なっている。理念は包括医療の実践で、このため院内に健康管理センターを併設して病院保健婦、ＭＳＷ（ケースフーガ占、介護福祉士等を設置している。</p><br><p>一九八四年四月、院内に行政部門である健康管理センターを併設し、町厚生課の保健担当部門、住民課の福祉担当部門、社会福祉協議会のホームヘルパー、さらに四年後には国保事業もここに移管し、その行政責任者は病院長が兼務、これにより、病院と町厚生課に二分されていた保健婦も一体化され、文字どおり、保健・医療・福祉の連携体制が整った。連携から統合への第一歩であった。一方、町は厚生課と住民課を統廃合して厚生課は廃止され機構改革された。また院長は町長と直結し、町住民課、教育委員等との連携も定例会議を開くなどして緊密である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cfmv/entry-12094009297.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Nov 2015 15:43:39 +0900</pubDate>
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<title>「実権派」との軋蝶</title>
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<![CDATA[ <p>毛沢東の「冒進」を諭す実務派官僚「実権派」との軋蝶は、不可避であった。現実的基盤を欠いたユートピア思想は、それが見果てぬ夢であるがゆえに、これを現実に引きもどそうとするもうひとつの社会的勢力を恒常的に生みつづけたのである。毛沢東には、このもうひとつの社会的勢力「実権派」は己れに刃向かう「階級敵」としてしか映じなかったのであり、それゆえ毛沢東にとって階級闘争はほとんど恒常的であり、またそれをみずからよしとしてきたのであった。毛沢東のこの階級敵との闘争が、「整風運動」であり、「反右派闘争」であり、「廬山会議」であり、そしてなによりも「プロレタリア文化大革命」であり、つまりは建国後の毛沢東の政治的エネルギーのほとんどすべてが、毛流の階級闘争のためについやされてきた。</p><br><p>郵の現実主義は他の指導者のいずれに比較してもいっそう徹底したものであった。この現実主義は、これを追求すればするほど当の社会主義それ自体がすっかり「脱色」してしまい、はたしてこれがほんとうに「社会主義」なのかといぶからざるをえないまでに、「後退」してしまうほどのものであった。郵小平のイメージしている社会主義は、もういちどいえば「生産力主義」である。「社会主義を建設するには、かならず生産力を発展させなければなりません。貧困は社会主義ではありません。われわれは当然、社会主義を堅持します。だが、資本主義よりも優位性をもつ社会主義の建設をさらに一歩進めるためには、なによりもまず、貧困からぬけだすことができる社会を建設しなければなりません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cfmv/entry-12082331668.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Oct 2015 17:53:29 +0900</pubDate>
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<title>相対的に不利・不要な産業</title>
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<![CDATA[ <p>確かに、ある産業での空洞化が進めば、雇用問題を引き起こす。ただ、生産拠点が外国に移転することで過剰となった労働力が解雇されたとしても、これは本来の意味での雇用問題ではない。すなわち、解雇されても新しい職場があれば雇用問題とはならない。円高で有利になる産業が雇用を拡大し、また新しい産業が生まれてくるとすれば、雇用機会は増え、雇用問題とはならないのである。日本の場合は、いわゆる終身雇用制度の存在により労働市場が発達していないために、一旦解雇されるとそれまでの条件と同等の職場を見つけることはきわめて難しくなる。そこで、雇用の拡大だけでなく、雇用システム自身を改革する必要が生じる。</p><br><p>空洞化は外国で生産することが有利な部門だけが外国に行くわけであり、すべての企業が外国に行くわけではない。日本で行うより外国のほうが相対的に有利になって外国に資本が流出することは、その分だけ相対的に日本で生産することが有利な産業は国内の資源をより多く利用できるわけである。すなわち、空洞化は既存産業の雇用を減らすが、同時にその余力ぱ新しい産業にチャンスを作っていく。産業がスムーズに転換していくためには規制緩和の問題はあるが、産業構造の変化が日本経済の新たな活力の源泉となるのは間違いない。</p><br><p>日本で生産するのが相対的に不利で不要な産業が出て行き、相対的に効率の高い産業が残ることになれば、日本経済全体の効率を高めることになる。確かに、日本経済の中で企業の一部が外国へ移ることは、国内の資本の一部が外国へ移るのであるから、それだけでは国内の生産には減少要因となる。しかし、その企業で雇用されていた経済資源はより効率の高い産業に雇用されることになり、全体とすれば生産の水準が上昇するはずである。経済の効率が高まっているのに経済活力が低下するはずがない。</p><br><p>すなわち、空洞化は産業の効率化にとって必要なこととなる。比較優位のある産業に特化することが経済の効率を高める。問題はスムーズに産業構造の転換が行われるかどうかである。さらに、空洞化は経営の判断の問題であって、日本経済の問題ではない。企業はいずれ潰されることになる限界企業になりたくないために努力する。このことが日本経済の効率を進め、人々を豊かにしていくのである。</p>
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<pubDate>Wed, 09 Sep 2015 15:41:57 +0900</pubDate>
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<title>経常収支の黒字額</title>
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<![CDATA[ <p>世界経済のなかでの日本経済の姿も、人口の高齢化によって、大きく変化するのである。この関係は、つぎのようにして理解できる。貯蓄は、国内の投資にあてられるか、あるいは海外　への投資にあてられるかである。ところで、経常収支の黒字は、長期的には日本の対外投資に等しい。したがって、貯蓄投資差額と経常収支の黒字は、長期的には等しくなる。「人口の高齢化によって貯蓄率が下がるので、現在のうちに投資を行なう必要がある」というのは、個人の場合と似た事情である。若年期、壮年期の貯蓄余力のある時期に将来のための投資を行ない、高齢期に備える必要があるのだ。</p><br><p>日本経済か将来に向けて行なうべき投資の対象としては、さまざまなものがありうる。海外生産拠点に工場を建設することもあるし、国内で研究開発に投資を行なうこともある。社会資本に対する投資も重要だ。また、広い意味でとらえれば、教育のための支出も将来のための投資と考えることができる。これらの投資のうち、とくに社会資本や教育などに関しては、公共主体が重要な役割を果たしている。</p><br><p>ここで重要なのは、将来の社会で有用となるような対象に集中することだ。それに対して、財源として何を用いるかは、必ずしも最重要の課題ではない。しかし、一般には、投資の内容より財源の選択が重要と考えられている。とくに、政府の投資に関して、その財源を公債に求めることが望ましくないという考えが広く信じられている。たとえば、財政制度審議会の財政構造改革特別部会は、二〇〇五年までに国・地方の財政赤字を対ＧＤＰ比三％以下にすることを提言している。</p><br><p>財政赤字を減らすべきだという意見は、それを家計の借金と同一視することから出てくる。家計の赤字は、家計が使える経済的資源を時間的に変更させる機能をもつ。借り入れの時点では、収入以上に支出をすることができる。逆に返済時点では、収入だけの支出ができなくなる。親が借金をして子供が返済の義務を負う場合には、親の浪費の後始末を子が行なうことになる。</p><br><p>財政赤字もこれと同じ結果をもたらすと考えている人たちが多い。高齢化する日本社会で国債残高を将来世代に残してはならないとの観点から、赤字縮小が必要だといわれる。しかし、政府の赤字は、家計の借金とは基本的に異なるものだ。財政赤字が内国債でまかなわれる限り、それは、一国が全体として使用できる資源総量を時間的に変更する機能をもたないのである。</p>
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<pubDate>Tue, 11 Aug 2015 10:06:25 +0900</pubDate>
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<title>銀行の整理統合</title>
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<![CDATA[ <p>戦時金融体制のなかで中心的な役割を果たしたのは、日本興業銀行をはじめとする特殊銀行である。一九三九年には、国家総動員法にもとづく「会社利益配当及資金融通令」が施行され、大蔵大臣が日本興業銀行に対して、融資などの命令ができることとなった。一九四〇年には、「銀行等資金運用令」が制定され、これによって、興銀以外の金融機関に対しても、融資などの命令が発せられることとなった。</p><br><p>他方で、企業の経営形態の変化も、金融制度の改革をうながした。配当制限を嫌って株式市場は低迷し、株式市場からの資金調達が困難になったからである。このため、従来は株式によって調達されていた長期資金を、間接金融システムで供給する必要性が強まった。一九四一年には、日本興業銀行を中心とした「時局共同融資団」が設立された。これが、戦後のメイン、。パンク制の始まりであるといわれる。一九四二年には、国家総動員法にもとづいて制定された「金融統制団体令」によって「全国金融統制会」が設立され、これによる共同融資が大規模になされた。</p><br><p>一九四二年には、戦時金融統制の最後の仕上げとして、「日本銀行法」が改正され、総力戦遂行のための金融統制体制が完成することとなった。これは、一九三九年に制定されたナチスードイツのライヒス、、パンク法をモデルとしたもので、きわめて統制色が強いものである。第二条「日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ」といった条文をみるだけで、それが明らかだ。この法律は、戦後長い期間にわたって存続した。それが改正されたのは、一九九五年のことである。</p><br><p>以上でみたような資金配分面での統制とともに、金融機関の整理統合も進められた。金融恐慌によって多くの銀行が休業に追い込まれ、金融システムの安定性に対する不安が強まったため、大蔵省は一九二七年に「銀行法」を制定した。ここには、免許制の導入、最低資本金などによる銀行基盤の強化、預金者保護のための監督権の強化（店舗増設の認可制等）が含まれていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cfmv/entry-12048757245.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Jul 2015 11:35:26 +0900</pubDate>
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