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<title>ch-aunenn1229のブログ</title>
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<title>【古代日本史を考える05】神武東征</title>
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<![CDATA[ <p>先の記事で、古事記、日本書紀を記すにあたって、仏よりも前に神が存在する必要があったと書きました。</p><p>＋αの理由として中国の存在も欠かせないと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>「当時の日本が中国とその成り立ちをどこまで知れていたのか」を確認する必要があると思いますが、</p><p>考えるに以下は知っていたのではないでしょうか。</p><p>・400年漢という国があった。その起源はBC200年頃まで遡れる。</p><p>・漢の前に秦という国があった。</p><p>・秦という国の前に色んな国があった。</p><p>&nbsp;</p><p>プロパガンダを書くにあたって、隣の国は国として1000年近く遡れるのに、神がそれよりも後に現れるのは変ですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>初代天皇の神武天皇は橿原（辺り）に地を得て後の大和政権の基礎を作る（ったと思われる）のですが、</p><p>先の仁徳天皇が第16代で300年代後半です。</p><p>&nbsp;</p><p>素直に15代×12～15年で計算すると約200年前、100年代後半になります。</p><p>そもそも的な話を言い出すと考察の意味がなくなってくるので困ったことになりますが、</p><p>国同士が栄えた後、戦乱の時代におよそ近い頃と言えますので、前向きさは必要ですが違和感ない頃合だと言えます。</p><p>&nbsp;</p><p>神武天皇の実際の年代は100年代後半ではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>神武天皇は橿原を得て戦乱を勝ち抜いた。ではそこに東征は本当にあったのか？</p><p>&nbsp;</p><p>ブログの冒頭にも書いてますが、実際は無かったと考えています。</p><p>考察の部分は後に書きたいと思いますが、理由としては大きく２つあります。</p><p>&nbsp;</p><p>・東征の必然性、また結果的に橿原を得られるまでの必然性が見いだせない。</p><p>・中国には西征がある。</p><p>&nbsp;</p><p>です。</p><p>当時の人たちにとって漢は偉大な国です。</p><p>その漢の礎を造った劉邦は秦を滅ぼすために西へ西へと征し、神の地を得て漢を造ったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>たまたま最初に橿原に国を構えて今（700年頃）に至るよりかは、</p><p>東へ東へ征して、神の地を得たストーリーがあった方がプロパガンダとしては箔が付きますよね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ch-aunenn1229/entry-12430503356.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Jan 2019 03:15:42 +0900</pubDate>
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<title>【古代日本史を考える04】古墳時代以降</title>
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<![CDATA[ <p>古墳時代は長く続いた時代ですが、線引きも難しい時代だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>300年代から600年代と言われていますが、考古学的な意味合いもあろうかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>元来日本に土着していた信仰は神道になります。</p><p>信仰と宗教は違うものだと思いますし、日本に「宗教として」初めて入ってきたのは550年頃の仏教が最初だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>日本において宗教に対しての信仰（神道)の存在感は他国に比べてかなり大きいんじゃないでしょうか。</p><p>その理由としては、国の成り立ちと宗教の流入にタイムラグがかなりあることが考えられます。</p><p>&nbsp;</p><p>墓と死生観は切り離せないものだと思いますが、私の考える古墳時代は500年代くらいまで。</p><p>仏教の伝来と入れ替わるように衰退し、以降の古墳はある意味保守的なスタンスの元つくられていたと考えます。</p><p>(もちろん財政の面や仏教以外の影響もあろうかと思います。)</p><p>&nbsp;</p><p>一つの時代を終わらせるくらい強い影響力を持つ仏教ですが、</p><p>以前の記事に「古事記、日本書紀は政権側のプロパガンダ」と書きました。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="display: inline !important; float: none; background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(68, 68, 68); font-family: &quot;ヒラギノ角ゴ Pro W3&quot;,&quot;Hiragino Kaku Gothic Pro&quot;,&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;,&quot;MS PGothic&quot;,sans-serif,&quot;メイリオ&quot;,Meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">元来</span>日本は神道と共に歩み、時の権力者である天皇(大和政権)も同じであり、それは周りの知るところでもあります。</p><p>また、仏教の起源が正確でないとは思いますが、1000年程度遡れることも知れていたと考えます。</p><p>&nbsp;</p><p>プロパガンダを記す際、天皇<span style="display: inline !important; float: none; background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(68, 68, 68); font-family: &quot;ヒラギノ角ゴ Pro W3&quot;,&quot;Hiragino Kaku Gothic Pro&quot;,&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;,&quot;MS PGothic&quot;,sans-serif,&quot;メイリオ&quot;,Meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">（の祖先）</span>は神と融合しますが、神の起源が仏教より後の時代だと、みんな信じてくれますかね。</p><p>仏より神のほうが凄いんだ。天皇凄いだ。そう思わせるためには仏よりも前に神が現れる必要があったのだと思います。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ch-aunenn1229/entry-12430500622.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Jan 2019 02:19:19 +0900</pubDate>
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<title>【古代日本史を考える03】第16代仁徳天皇</title>
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<![CDATA[ <p>前回記載した古事記、日本書紀の作成を指示したのが第40代天武天皇と言われています。</p><p>600年代後半の方です。</p><p>&nbsp;</p><p>この第○○代の数字って合ってるのかなぁ、なんでそう言えるのかなぁと学生時代によく考えたものですが、</p><p>天皇の代数が多少ずれていてもあんまり問題ないかとの自分なりの結論を得たので、</p><p>現在一般化されている「代数は合っている」との前提を元に考察を進めます。</p><p>&nbsp;</p><p>タイトルにも書きましたが、仁徳天皇は有名な天皇の一人だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>大阪にある大仙陵は仁徳天皇の陵だと学校で習った影響ですが、</p><p>違う天皇の陵だとする説もあるようです。</p><p>&nbsp;</p><p>話が少しそれますが、昨今のニュースで大仙陵の発掘を少し行ったとか。</p><p>事実が明るみになるのは良いことだとも思いますが、</p><p>古代日本は分からないことがたくさんあることが大きな魅力の一つでもあるので、複雑な心境です。</p><p>&nbsp;</p><p>先にも書きましたが、代数が多少ずれていても考察に大きな影響はないと思いますので、</p><p>「第16代仁徳天皇」、「大仙陵は仁徳天皇の陵」というのは合っていると決めつけさせていただきます。</p><p>&nbsp;</p><p>仁徳天皇が300年代後半の方なので、40代天武天皇まで24代300年。</p><p>割り算すれば一代平均12.5年になります。</p><p>&nbsp;</p><p>学者ではないので、妥当という表現は相応しくないと考えますが、</p><p>違和感ない年数だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>大仙陵は巨大な陵です。400年代前半のものと言われていますが、</p><p>大きな陵ができた理由としては、</p><p>・仁徳天皇時代に大和政権は大きく繁栄し、財政的にも潤っていた。</p><p>・仁徳天皇は偉大な天皇だった。</p><p>・大和政権の偉大さは国内外に示す必要があった。</p><p>・土木技術が向上した。</p><p>&nbsp;</p><p>等々が考えられますが、決めつけたい事実をあげるとすれば、</p><p>&nbsp;</p><p>・仁徳天皇もしくはその前の時代に大和政権は頭抜けた存在になった。</p><p>・また他国に命令できる立場になった。</p><p>&nbsp;</p><p>だと考えます。</p><p>巨大な陵を造るためには財政的にもそうですが、</p><p>人的にも多くの奴隷が必要になるからです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ch-aunenn1229/entry-12430494814.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Jan 2019 01:05:45 +0900</pubDate>
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<title>【古代日本史を考える02】古事記と日本書紀の位置づけ</title>
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<![CDATA[ <p>まずは古事記、日本書紀の位置づけを確認したいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p style="background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(68, 68, 68); font-family: &amp;quot;ヒラギノ角ゴ pro w3&amp;quot;,&amp;quot;hiragino kaku gothic pro&amp;quot;,&amp;quot;ｍｓ ｐゴシック&amp;quot;,&amp;quot;ms pgothic&amp;quot;,sans-serif,&amp;quot;メイリオ&amp;quot;,meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px; orphans: 2; padding-bottom: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; padding-top: 0px; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">古事記、日本書紀が作られたのは700年の初期(※1)と言われています。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の日本の流れを大雑把に確認すると、</p><p>弥生時代後期、様々な国が土地に根を張り乱立、その後最終的に<span style="display: inline !important; float: none; background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(68, 68, 68); font-family: &quot;ヒラギノ角ゴ Pro W3&quot;,&quot;Hiragino Kaku Gothic Pro&quot;,&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;,&quot;MS PGothic&quot;,sans-serif,&quot;メイリオ&quot;,Meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">大和政権が</span>抜け出し、</p><p>古墳時代・飛鳥時代を経て奈良時代に移ります。</p><p>&nbsp;</p><p>701年に大宝律令が発せられ、初めて「国家としての国」になったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>663年の白村江の戦いは日本における重要なポイントと言われていますが、</p><p>国内外に対して大和政権の正統性・国体を示すための「政権側から発行されたプロパガンダ」が古事記、日本書紀になると考えられます。</p><p>&nbsp;</p><p>初めに否定してしまいますが、</p><p>神武天皇の始まりが紀元前660年であることも、神武東征も作り話(※2)です。</p><p>&nbsp;</p><p>と、単に言い切ってしまうだけでは叩かれて終わってしまいますので、</p><p>「なぜそういった作り話、記述に至ったのか？」を考察していこうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>(※1)西暦表記で通していきますが、重要ではない・判然としない細かい年代は概ね省いていこうかと思います。</p><p>(※2)ニュアンス的に作り話というのが近いかなと思ってそう表現しています。ざっくり受け取ってください。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ch-aunenn1229/entry-12430482875.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jan 2019 23:51:13 +0900</pubDate>
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<title>【古代日本史を考える01】</title>
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<![CDATA[ <p>平成の時代もそろそろ終わりを告げるなぁと考えいたらこのテーマを考えてました。</p><p>当然天皇を中心に考えることになりますが、政治的な思想に偏りはないニュートラルな日本人でいるつもりです。</p><p>フラットにご覧いただければなぁと。</p><p>&nbsp;</p><p>考察を始める前に、古代日本史は資料が乏しい時代です。</p><p>まずは、事実もしくは事実に近いであろうことを整理・決めつけてを行うことで、道筋をたどろうと考えます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ch-aunenn1229/entry-12430469410.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jan 2019 22:55:08 +0900</pubDate>
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