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<title>足跡</title>
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<description>自分の感覚、観点、思考を中心に書き残していく日記</description>
<language>ja</language>
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<title>情けは人のためならず</title>
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<![CDATA[ この言葉の意味をはき違えている人は意外に多い。<br><br>ちなみに僕もはき違えていた一人だ。<br><br>調べてみたら面白い意見が載っていたのでコピペさせてもらいます。<br><br>---------------------------------------------<br>■「情けは人のためならず」の「厳密な」意味<br>---------------------------------------------<br>出典とされる以下の時代別の書籍の言葉の内、「情けは─ならず」は「情けは人の為ならず」の略です。<br><br>　「曾我物語」(南北朝頃1315～1420年の伝記)<br>「情けは─ならず、無骨の所へ参りたり、又こそ参らめ」<br><br>　「太平記」（応安3～4年＝1370年頃の軍記）<br>「情けは─ならずとは斯様の事を申すべき」<br><br>　「山中常盤」（1620年代の絵巻）<br>「たんだ人には情けあれ情けは──ならず」<br><br>　「葵上」（室町後期1960年以降か？謡曲）<br>「思い知らずや世の中の情けは──ならず、我人の為つらければ、必ず身にも報うなり」<br><br>　「世話尽」（明暦2＝1656年）<br>「情けは──ならず身に廻る」<br><br>　「御前義経記」（元禄13＝1700年）<br>「とかく色には情けあれ、情けは──ならず」<br><br>　「常夏草紙」（文化7＝1810年）<br>「情けは──ならず、小半年の房銭(かどせん)を十倍にして取り返す日もありなんとて」<br><br>　乱世下克上の嵐にあって、因果応報思想が盛んとなるや、善因は善果を、そして悪因は悪果を廻らすという意味で、悪行は仕返しや仇討ちを招くが、善根を積めばやがて世間の善意となって報いられるという、1）の意味が本来なのでしょうか。<br>　それが、世阿弥における「葵上」のように、「我人の為つらければ、必ず身にも報うなり」といった、善根応報より一歩踏み込んだ、更に2）の意味に近い形で、ついに諺としての完成を見たのではないでしょうか。少なくとも、私はこの言葉が一番、諺としての結構を尽くしているのではないかと思われます。<br><br>　それが、時代が落ち着きだした江戸前期にはより功利性を帯びた1）のニュアンスや、幕末では「十倍にして取り返す日もありなん」といったなお一層利己的な、2）はもとより、もはや1）さえ離れて、「自分の利益のため」のトーンさえ帯びだしている、そんな世知辛さ、浅ましささえ混じっているようです。<br>---------------------------------------------<br><br>言葉って面白い。<br>その時代背景によって意味までも変わっていく事がある。<br><br>そんな事をこの年になってようやく気がつく。<br><br>何が書きたいのかわからなくなったので、ここで止めておこう。
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<link>https://ameblo.jp/chaiphix1977/entry-11045582278.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Oct 2011 10:23:39 +0900</pubDate>
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<title>克己</title>
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<![CDATA[ ここのところ精神的に安定していない。<br>安定していない理由は様々あるが、良い時も悪い時も外的要因のせいにしていることは明らかだ。<br><br>でもね、最近のことで言うと悪い事とは思っていない。<br>どちらかというと、良い事のほうが多い気がするほど。<br><br>僕はこの「外的要因」という奴に物凄く引っ張られて生きてきた。<br><br>幼少のころから最近まで、基本的には変わっていない。<br><br>どういう事かというと。<br>「人の目を物凄く気にする」「人が気にする事を気にする」といった観点が<br>凄まじく強く、無意識のうちに行動している。<br><br>そう「人に気に入られるため」「人に認めてもらうため」「人に必要と感じてもらうため」<br>そしてその思いが強い半面、それが心底の部分では不可能な事を知っているからこそ、<br>人との付き合いを深く持とうとしない。<br><br>めんどくさくなると、留まるのだ。見てみないふりをするのだ。<br><br>常に外的要因のせいにして生きてきた結果、多くの人と接してきた良い点はある。<br>そして多くの事を学び見てきたが、何も残っていない恐怖感も常に付きまとう。<br>いい面は必ずあるのに、それをしかり見つめようとしないのだ。<br><br>ここまで書くと「大丈夫か？」「そんなキャラ？」と思う友人、知人は多いはず。<br>なぜなら、そう演じてきたから。<br>無意識のうちに、そういう生き方を幼少のころから選んでいたから。<br><br>気にいられないと、自分の立ち位置がわからなかった。<br>気に入られることで、そこの自分の価値観を見出していた。<br><br>でもね大丈夫だよ！あえて恥をさらけ出してるだけと言えば、<br>それまでの事だから！<br><br>つい先日、大手企業の面接に臨んだ。<br><br>思いもよらない話を、自分からすることになっていた。<br>否、その面接官が人間の本質部分を引き出してくれたのだろう。<br>僕の本音の部分を聞いてくれたのだろう。<br><br>「親に愛されてこなかったんです」という話を自分からしていた。<br><br>話の詳細は、また後ほどにするが。。。<br>こんなこと、今までの自分なら恥ずかしくて言葉にできなかった事だ。<br>事実であるが、自分でも受け入れてこなかった事だし、<br>産まれてこの方、このような事を話せたのはほんの数人。心許せる友のみ。<br><br>なんて情けない話なんだ。なんて恥ずかしい事を言ってるんだ。っと思いながらも、<br>否、先の言葉を最初に発してから、考える間もなく一人で話をし聞いてもらっていた。<br><br>とても良い一日になった。<br>自分のプライドを捨てて、謙虚に自分の粗を話せたのだ。<br>もちろん、話し足りなかったがそれでも良かった。<br><br>話を戻そう。<br><br>そうなのだ！人に気に入られて生きるってことは。自分を見失っている事。<br>そんな事はどうでもよい。<br><br>人にどう見られようが、どう思われようが。<br>そして、周りの会話で「それがカッコイイ」という話が美化されようが、<br>自分が大事にしていきたい事を大事にしていかなければ、なんの意味ももたないのだよ。<br><br>だからこそ。常にチャレンジなんだ。<br>自分がやりた事が見つかったなら、それを具現化すすために突き止めればよい。<br>意味をもたない哲学モドキは捨てさったほうがよい。<br>そういった眼を養うことのほうが大事な事なんだよ。<br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/byEFpN7cmJo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>たまたまタイミングかもしれないが、この言葉は大事にしていきたい。<br><br>少しづつ、少しづつでいい。焦らなくてよい。<br>楽しい事もいやな事も、すべては自分ごとであるからこそ<br>すべてを受け入れてあげたいね。それが器の大きな男なのかな？<br><br>頭でわかったふりをするのは疲弊するだけだよ。
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<link>https://ameblo.jp/chaiphix1977/entry-11045572749.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Oct 2011 09:29:42 +0900</pubDate>
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<title>わからない事がわからない</title>
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<![CDATA[ いままで広告業で10年ほど仕事をしてきた。<br>広告業以外も経験してきているが、もし人から「何をやってきましたか？」と<br>聞かれたら「広告業でプロモーション企画、マーケティング」と答える。<br><br>もっと具体的な答え方もあるだろうけど、そんなことは後々話せばよい。<br><br>僕の頭の中は自分の好みをベースに広告業界の考え方が、<br>主体となっているのは既にわかっている。<br><br>誤解を承知で書くと「広く浅く」だ。<br><br>なので、広告に関する話題の中で知らない言葉が出てきても、<br>その話の意図や趣旨は理解できるのだ。<br>なぜなら、基本的な事は経験してきているから手法が異なったとしても、<br>特に焦りもしないし、わからない言葉だけ後で調べれば問題ない。<br><br>しかしだね、メーカーに勤めていた時にそれは起こったのだ。<br><br>話している事がわからないし、何がわからないかわからないから対処ができない。。。<br><br>その時の話は、物流関連の話だった。としか今でも覚えていない。<br>特に専門用語が飛び交っているわけでもないのだ。<br>話の意味がわからない。そしてわからない事がわからないのだ。<br><br>これと似たような感覚を、自分と向き合っていくと多々感じる。<br><br>自分のこの考えは「利己的なのか？」<br>自分の発言は「プライドなのか？」<br>この感じ方は「単純に否定しているだけなのか？」<br><br>自分と向き合うって、物凄く大変な作業ということに気がつく。<br><br>なぜか？わからないからである。<br><br>わからない事を続けるからである。<br><br>正しい正しくないという観点ではなく、自分を軸として客観的に、<br>そして、見て見ぬふりをしてきた感情を掘り起こす作業だ。<br><br>辛いよ。<br><br>多くの人はこんなことしないんだ。<br>自分と向き合わなくても生きてけるし、特に問題ないのかもしれない。<br>そうやって生きていけるほう楽なんだ。楽だから楽しいんだ。<br>人間は大なり小なり怠け者だからね。<br><br>だからね、このつらい作業の先に何があるかはわからない。<br><br>しかも、その作業中にはわからない事ばかりになる。<br><br>そうなると、怠け者の自分が出てくるんだ。<br>んま、とりあえずこんなとこで。。。という繰り返し。<br><br>だって、わからないのだよ。何がわからないかわからないから<br>掘り下げようがないし、掘り下げた後に何があるのかがわからないんだよ。<br>怠けるのが当然なんだよ。<br><br>と、綴っていくと何かが見えてくる。<br><br>なんでもそうだよね？仕事もプライベートも初めての事はわからないし、<br>わからない事が楽しかった。そのわからない事がわかって行く過程が楽しかった。<br>その楽しさが結果につながり、成果につながってきたんだ。<br><br>今はね、その結果や成果に対して自信がついてしまったから、<br>わからない事を楽しめていないんだと思う。<br><br>わからない事が恥ずかしい事だと思っているんだ。<br><br>わかってないのに、わかったふりをしてしまう事。<br>本を読んでもいないのに、わかったつもりになってしまう事。逆もしかり。<br>お店にも行っていないのに、その店の事をわかったふりをしてしまうこと。<br>人の意見をうのみにして、わかったふりをしてしまう事。<br><br>これはプライドだよね。いらないプライドだよね。<br>いままでの経験でつかんだ、わかったふりが出来るポイントを<br>自分の中で無意識のうちに増殖させてしまったんだ。<br><br>もう一度確認する。楽だからである。<br><br>楽しみたいなら、わからない事を楽しむべきなんだ。<br>楽しむってことは楽な事ではないんだということ。<br>それを繰り返していくだけでいいんだ。<br><br>少しだけ、楽しくなったから今日はここまで。<br><br>最後に自分への戒めとして。。。<br>広告業界が作りだした、専門用語に引っ張られて<br>ロジカルシンキングになった気になってんじゃないよ！！
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<link>https://ameblo.jp/chaiphix1977/entry-11017738063.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Sep 2011 17:39:42 +0900</pubDate>
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<title>心に余裕を持つこと</title>
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<![CDATA[ ブログを書いてみる。<br><br>ブログを書こうと思ったのは二年くらい前なのだが、今まで何も書いていなかった。<br>書こうと思ってはいたし、書くべきこともあった。<br>しかし、書いていなかった。<br><br>なぜか？率直に言うと「周りを気にしていた」だ。<br>自分の日記を見た人はどう思うか？自分の意見は稚拙だと思われないか？<br>自分の知識の浅さがバレてしまうのではないか？<br><br>そんな見えない相手を気にして書いていなかった。<br>否、僕自身の中で相手はいたのだ。<br><br>そう、友人や知人に見られたときに「なんて思われるか」気にしていのだ。<br>気にしていないそぶりをしているし、実は自分でもあまり意識していはいないのだが、<br>心の奥底にいる僕は感じているのだ。<br><br>しかし、今日書いてみることにした。<br><br>書く事は正直決まっていないが、まま書いてみる事にした。<br><br>切っ掛けは「モヤモヤ満載精神状態」からである。<br><br>この精神状態は、ここ一ヶ月以上続いてる。<br>波はあるが、ここ最近落ち着いた記憶は無い。<br>常に何かに追われているし、追っている状態。<br><br>大きな理由は、転職活動が上手くいっていないことにある。<br>多くを経験してきた業界から、異なる業界へとチャレンジをしているだが、<br>なかなかどうして。。。といった結果が続く。<br><br>もちろん、ある程度予想していた事でもあったが、<br>同時にある程度の自信はあったからこそ、<br>こうまで上手くいかないと凹んでくるものだ。<br><br>自分を高く売ろうとしていたのだ。<br>いままでいた業種では、それなりな結果はのこしてきていたし<br>給与面でも同年代の平均以上のものはもらっていた。<br><br>それが、タイミングでしかなかったことは分かっているつもりでも、<br>現実（生活）のせいにし、自分の目的を見失っていた。<br><br>そして、良くない流れに突き進んでいたのも分かっていたが、<br>変えられるほどの思考はもちあわせていなかったし、<br>現実から目をそむけていたから気がつかないふりをしていた。<br><br>何かを切っ掛けにしたかった。<br><br>風呂から上がって、ベランダに出たら風が気持ちよかった。<br>たったそれだけの事が、パソコンの前に向かわせた。<br><br>書いている自分を褒めている。<br><br>数日前に友人から叱咤された『自分と向きあおう』<br><br>33歳で新しいことにチャレンジしようとしている自分を褒めてあげよう。<br>何もないけど、何もないのにチャレンジしようとしている自分を褒めてあげよう。<br><br>追いこむのではなく、逃げるのでもなく。<br>現実的に行動していることを褒めてあげよう。<br><br>まずはそこから始めてみよう。
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<link>https://ameblo.jp/chaiphix1977/entry-11015991029.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Sep 2011 19:52:26 +0900</pubDate>
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