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<title>CHE_SS.com</title>
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<description>バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ。 CHE GUEVARA</description>
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<title>【002_101016】アルベルト・グラナドス（後編）</title>
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<![CDATA[ アルベルト・グラナドス後編です。「モーターサイクルダイアリーズ」の旅の終わりまで、前回はご紹介しました。今回はその続きです。<br><br>二人の旅の終わり、ベネズエラでの別れから7年…ゲバラはカストロと共にキューバ革命を成功。それを知ったアルベルトは思わずキューバにいるゲバラに手紙を書きます。するとゲバラからはこんな返事が来ました。<br><br><br><br>「キューバで革命を起こした。医者が足りない。すぐに来て欲しい」<br><br><br><br>アルベルトはゲバラとの旅の後、ベネズエラで医者になり、現地の女性と結婚し、子どもも授かっていました。そして医者としてもうまくいっていた（カラカス大学の教授になっていた）んですね。それでもアルベルトは、その時の”幸せな生活”（←本人も語っている）を捨て、あえてゲバラのもとへ、キューバに向かいました。<br><br>当時は情報を得る手段も決して多くなく、キューバ革命に関しては、チェやカストロが死んだと言う”嘘”の情報もたくさん流れていたそうです。そんな中、アルベルトは「カストロらがバチスタ政権を打倒し、ハバナに入場した」というニュースを目にし、その写真の中にゲバラの姿を見つました。それがとても誇らしく思えたそうです。<br><br>アルベルトがゲバラに返事を書いてから三ヵ月後、そこには「アルベルトの元を訪問したい」等と書かれていたそうですが、ゲバラの立場や状況もあって中々それ自体は実現できず、とうとう自らがキューバへ行くことを決意します。1960年、キューバを訪れたアルベルトはそこで「革命」を肌で体感、翌1961年には家族と共にキューバへ移り住みます。<br><br>バイクでの旅、ベネズエラでの別れ、その後も手紙でのやり取りが続いていた二人。自身の理想を追い求め、闘い続けるゲバラに対し、アルベルトは”一緒に働きたい””歩みを共にしたい”と思っていたそうです。再会を果たした後アルベルトはキューバについて<br><br>「この国が生まれ変わり、自立することに自分の力が少しでも役に立てばと思った。その為なら残りの人生を賭けてもいい」<br><br>と決意を固めます。<br>そういった決意の中で、7年前とは比べ物にならないくらい成長し、”個”の医療から国民全体の健康へと興味・関心が移っていたゲバラから頼まれた仕事は「病院をつくること」「医者を育てること」「福祉医療のシステムづくり」「山間部、僻地への医者の派遣」でした。当時のキューバには3500人しか医者がおらず（現在は６万人以上！）、まさしく昼夜問わず働く日々が続いたそうです。<br><br>その後、アルベルトにとってキューバは終の棲家となります。革命を肌で体感し、ベネズエラでの成功を捨て、自身が信じ・分かち合った相手、チェ・ゲバラをはじめ多くの革命の同志と共に生き、その言葉通りキューバという一つの国が生まれ変わるために「人生をかけた」アルベルト。<br><br>「アメリカのゴミ捨て場」とまで言われていた当時のキューバを、今の国の形までもっていったパワーと情熱。友や同志と共に駆け抜けた彼の人生から学ぶことは多いと思います。<br><br>というわけで今回はここまで。次回はまた違った人物にスポットを当てていきます。<br><br><br><br><br>参考文献「モーターサイクル旅行記」「ゲバラ最期の時」「チェ・ゲバラ伝」
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<link>https://ameblo.jp/che-ss/entry-10678280886.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Oct 2010 08:04:17 +0900</pubDate>
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<title>【001_101013】アルベルト・グラナドス（前編）</title>
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<![CDATA[ 今回ご紹介するのは、若き日のチェ・ゲバラと共に南米をバイクで旅したアルベルト・グラナドスという人物です。「モーターサイクルダイアリーズ」という映画（本にもなっていますね）を御覧になった方は、”兄貴分で口の達者な”という分かりやすいアルベルトのイメージがあるのではないでしょうか。その彼が実際はどんな人物だったのかを少し掘り下げてご紹介していきます。<br><br>二人の出会いは当時ゲバラがまだ15歳のとき。アルベルトは21歳の大学生で弟のトーマスがゲバラと同級生だったことがそのキッカケでした。断続的に続いていた喘息の発作と付き合いながらあえてラグビーやサッカーなどの激しいスポーツを好んだゲバラは、アルゼンチンでは珍しい無宗教の学校（国立：ディーン・フネス学院）に在学。一方アルベルトは民主的とされていたコルドバ大学に在学。アルゼンチン国内では当時軍事クーデターが続いており、アルベルトらは学生運動を起こしファシストのペロン（後に政権をとる）に対し大学でストを敢行。校舎を占拠し抵抗するが逮捕されます。自らの自由の敗北に打ちひしがれていた…そんな折に、後に”チェ”と呼ばれるエルネスト・ゲバラに出会うのです。<br><br>出会ってから四年後、ゲバラの方はブエノス・アイレス大学の医学部へ進学。勉強・スポーツ・アルバイト・そして6400キロに渡るアルゼンチンの草原地帯の走破も達成します。この時に跨ったのが「強力号（ポテローザ）」です。実はアルベルトとゲバラは出会った当初から「旅」の話をしていたのですが、お互いに若かったり、アルベルトの方は途中から医師として働き始めてしまった事もあり、旅の実現までは出会いから「8年」かかっています。その8年が経過した1951年。ついにアルベルトのほうから南米大陸～北米を目指す旅を提案。ゲバラは二つ返事でその話に乗ります。アルベルト29歳、ゲバラ23歳。こうして、1951年12月29日、モーターサイクルダイアリーズの”あの旅”が始まったのでした。<br><br>７ヶ月に及んだ旅は、二人の青年に”先住民に対する差別””米人経営者による搾取や抑圧”など当時の「南米の現実」を見せつけました。その中で最初は単なる”旅人”だった二人は、お互いに「自身の歩むべき道」を探し始めます。<br><br>キューバ解放の父、ホセ・マルティが「ラテンアメリカの主人公は道端の人々である」と言ったように。<br><br>ラテンアメリカ独立の指導者シモン・ボリーバルが「南米大陸諸国の国境というものは、人権を尊重し、平和を求め、圧制や不正に立ち向かう者たちにとって何の障害にもならない」と言ったように。<br><br>彼らはそれを心で感じ、体で受け止め、自らの道を選択し始めていたのです。年が明けた7月17日。旅の終着地カラカス（ベネズエラ首都）に着いた際、アルベルトは道を探し始めたものの、今ひとつ決め切れていないゲバラに「一度家に帰り医者になるように」とアドバイスをします。そしてアルベルト自身は既に医者だったこともあり、カラカスの大学を訪ね、自身の職を探します。当時圧倒的に医者が不足していたのは勿論ですが、何よりペロンが政権を握るアルゼンチンにそもそも帰る気が無かった…というのが大きかったようです。約10日間のうちに考え、ゲバラは帰国を決意。1952年7月26日、こうして二人の旅は終わりを迎えました。<br><br>ゲバラがカストロと共にキューバ革命を成功させるのは、7年後の1959年1月のことになります。<br>そしてアルベルトとゲバラの再会も…。<br><br>というわけで続きはまたの機会に。<br><br><br><br>参考文献「モーターサイクル旅行記」「ゲバラ最期の時」「チェ・ゲバラ伝」
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<link>https://ameblo.jp/che-ss/entry-10675371967.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Oct 2010 03:37:14 +0900</pubDate>
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<title>【000_101010】ゲバラが子どもたちへ宛てた最後の手紙</title>
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<![CDATA[ 今の僕自身は社会主義者でも革命家でもないのですが、僕はチェ・ゲバラという人物の「在り方」「生き方」「歩み」「信念」「正義」…彼の多くをリスペクトしています。そんなチェが、生前に自らの子どもたちへ宛てた”最後の手紙”を今回は紹介します。訳自体は僕の訳なので（原文はFacebookの”基本データ”ページに”好きな言葉”として掲載）正確なものではないのですが、既に訳されている文章も部分的に参考にしているので、内容は理解いただけると思います。<br><br>彼の目指した世界、社会主義そのものは、今この現代においてキューバという国を見る限り、決して成功しているとは言えないと思います。しかし、彼が愛した人々、また彼を愛した多くの人々、最期まで彼の貫いた「正義」「信念」は、この先時が経っても決して風化することのない”革命家の魂”としてその歴史と彼に共鳴した世界中の人々の心に刻まれているのだと思います。<br><br><br>--------------------------------------------------------------------<br>子どもたちへ<br><br>親愛なるイルディータ、アレディータ、カミーロ、セリア、エルネスト<br><br><br>いつか君たちがこの手紙を読まねばならなくなったとしたら、それは父さんが<br>君たちのそばにいることが出来なくなったからだ。<br><br>君たちは私のことをほとんど覚えていないかも知れない、まだ小さい者たちは<br>まったく覚えていないことだろう。<br><br>君たちの父は、信念に従って考え、行動した人間であった。<br><br>良き革命家のように成長しなさい。<br>周りの自然を自在に扱うことができるよう、よく勉強しなさい。<br><br>覚えておきなさい。「革命は大切なものである」ということを。<br>そして、私たちはひとりひとりでは何の意味もないのだということを。<br><br>もし、世界のどこかで誰かが不正な目に合っていたならば、その痛みを感じる<br>ことができるようになりなさい。<br><br>それこそが革命家にとって、最も大切な資質です。<br><br>子どもたちよ、いつまでも君たちのことを見ていたいと思う。<br>ただ今は、大きなキスと抱擁を送ろう。<br><br>パパより<br><br>-------------------------------------------------------------------<br><br>僕の娘はこのエントリを書いている時点で1歳9ヶ月。将来娘が大きくなったときに、僕も彼女に伝えようと思います。<br><br>「私たちはひとりひとりでは何の意味もないのだということを。」<br><br>「もし、世界のどこかで誰かが不正な目に合っていたならば、その痛みを感じることができるようになりなさい。」<br><br>そういう人であって欲しい。そして僕自身もそういう人でありたいと思っています。<br>
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<link>https://ameblo.jp/che-ss/entry-10673233792.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Oct 2010 23:40:57 +0900</pubDate>
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