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<title>ちかとのブログ</title>
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<title>評価したいところをぐっとこらえて濁しています。</title>
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<![CDATA[ 私の小さい頃は、バラエティーというのは屈託のない無邪気な笑いをとることだったと思いますが、今は、私はこういう人間ですと自分をさらけ出す、そのような行為自体を見せる番組が増えているように思うのです。<br><br>自分をさらけ出す行為が正義だとすれば、良く見せようとする行為も、広い心で見れば素直な表現なのだけれども、しかし、偽りと映ってしまうのかなと思います。<br><br>まるで生き方の指南書のようなそんなバラエティー番組も、コンプレックスを抱えた素直でない人の言動をも笑って受け入れたら、更に次元の高いものになるのではないかと思います。<br><br>この点で、明石家さんまさんは素晴らしいと思います。というか今、気付いてしまいました。<br>彼の笑いは、単に面白さの量が大きいというだけでなく、質のレベルが高いように思います。<br><br>ま、どうでもいい話でした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12194643913.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Aug 2016 23:46:28 +0900</pubDate>
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<title>パシフィコ横浜</title>
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<![CDATA[ 昨日の柴田淳のコンサートの余韻が冷めない。<br><br>白い世界からのロックな曲は、格好よかった。初お目見えのちょい悪なノリのドラムスが、今までとは違う空気を作っていたように思う。<br><br>そして、パズル。<br>恒例の、といっていいのか知らないが、歌の入りを間違えたらしく歌い直しをしたのだが、それまでの緊張から抜け出し始めて、根っこの部分で余裕が出てきた。<br>多分、当人は、間違えたことで相当緊張していたと言うだろう。実際、声は震えていた。<br><br>次の曲も同じ感じだったが、その次の曲からは新生柴田淳が、これまでにない、吹っ切れた歌い方で気持ちよさそうに綺麗に歌い上げていった。<br><br>普通、このように歌がうまいと、本人がその歌唱に気がとられて何を歌っているのか伝わってこないものだが、そこは謙虚な柴田淳、きちんと気持ちが入っていた。やはり、一流の歌い手だ。<br><br><br>対して我々、聴衆について。<br>僕が初めて行ったしばじゅんのコンサートと同じように、今回の観客の演奏中の反応は、まるでクラシックコンサートのように静かなものだった。<br>当初は、反応のなさにびっくりしたものだが、個人個人が直接柴田淳と繋がっているのだから、他人の合いの手で現実に引き戻される危険性がない分、よほど良いのではないかと思っている。<br>ま、そこを見極めるまでには、自己顕示欲と自制心と、場の空気を盛り上げたいが逆効果になるのではないかとか恥ずかしさとかで、嵐の心境だったりする。<br><br>最後は、柴田淳涙で、スタンディングオベーション。<br><br>もう一曲、アンコールは僕の味方かな、と思っていたら観客が立ち始めて、「今夜、君の声が聞きたい」でコンサートは終了した。<br><br>つまらぬことばかり考えてしまって、他の多くの人のように純粋にライブを楽しんでいないのかな、とは思うけれども、個人的にとてもいいライブだった。
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12116722789.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jan 2016 20:24:44 +0900</pubDate>
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<title>追記</title>
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<![CDATA[ できなかったことを振り返ってこのモヤモヤを消化しようとするのだが、どうも素直に認められない。<br><br>そこで、自分の感情に素直になってみる。<br><br>立場上、言えることではないのだが、先方が迷惑をかけた相手への謝罪は、そっちでやってくれと言いたい。原因がこちらにあるとはいえ、直接関係しているあなたが先方に謝るのが、筋というものだろう。<br>そして叫ぶ。こっちに振ってんじゃねえよ。格好悪いことしてんじゃねえよ。<br><br>あなたは、先方に対する責任を放棄しようというのですね。抱えきれないのですか。<br><br><br>んー、なんか違う方向にいってしまうなぁ。自分の感情を表に出すことで、素直に非を認められるようになることを言いたかったのだが。<br><br><br>感情は、傷みと同じようなもので、自然発生的なもの。いいも悪いもない。<br><br>どんな感情であろうとも、まずは肯定してあげないと、先に進めない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12109470434.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Dec 2015 21:24:18 +0900</pubDate>
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<title>謝罪がスルーされる場合</title>
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<![CDATA[ 謝るとは、恥をかくということ。<br><br>迷惑をかけた人に対し、正直に自分の非をさらけ出すこと。<br><br>だが、迷惑をかけた相手が目の前のひとりとは限らない。自分のせいで、相手が更に他の誰かに迷惑をかけているかもしれない。<br><br>その為に相手が自分の謝罪を受け入れていない場合、その先の相手の前で恥をかく機会が与えられたならばその時、更に恥をかくことを躊躇してはいけない。<br>２度目の恥をかくことを相手が望んでいるのならば、そうすることでしか、その相手への謝罪は完了しない。<br><br>目の前のひとりに謝ったからといって、安心してはいけない。
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12109169434.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Dec 2015 22:59:06 +0900</pubDate>
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<title>大器晩成</title>
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<![CDATA[ 大器晩成。<br><br>小さいころから人前で、父親によく言われてきた言葉。<br><br>いまはまだ器は小さいけど、後々に大成する。そういう意味だと理解しているが、この言葉がその頃から嫌いだった。<br><br>将来の不確実な未来を褒められても、何も嬉しくはなかった。<br><br>むしろ、当時の『今』を否定され、認められていないことの現実を思い知らされ、しかも人前でけなされて、悔しさが増していくだけだった。<br><br><br>父親に対する小さくないわだかまりが未だ僕の中にあるのは、父親が酒飲みで、飲んだら暴れることがありそれが恐怖として残っているから、というのが家族内の共通認識なのだろうと思っていて、家族に対して説明の必要がなく誰もが納得できるがために、僕が父親を許せない理由でこれ以上のものはない、これこそがその理由だと僕のなかで思おうとしていたのではないか。<br><br>しかし、未だこのわだかまりが消えていない。<br><br>考えられる他の理由の１つは、この大器晩成の言葉に象徴される、今を否定されてきた哀しみ、怒りがあるのかもしれない。<br><br>実は実感はないのだが、無条件に愛されたかったという欲求がありそれが満たされなかった不満を抱いていたのではないか、ということも考えたりする。<br><br>それに関連して、大きくなってから思っていたことなのだが、『今更仲良くしようと思うのは許せない』という断片の記憶がある。<br><br>僕が大きくなって、父親の態度が突然軟化した。しかし、封建的な教育で、何でもはいはいと応えることで乗りきってきた自分には、突然態度を変えられても、染み着いた絶対服従の態度は変えられない。いや、かえたくない。なぜなら、僕の父親像はこういうものだと半ば強引に肯定してきたものを今更塗り替えることは、なんといえばいいか、やっぱり、今更なんなの、というこれは激しい憤りなのだが、そうとしか表現できない。<br><br>それでも、その強い怒りを内に秘め、人として最低限の優しさをもちつつ(これは私のプライド)、今までと同じ距離感をたもって接してきた。<br><br>そこで問題になるのが、父親が融和を計ろうとしているのに私はそれを拒否しているという事実。<br><br>父親からは、何が悪かったとかの謝罪の言葉は今までになかったと思うが、言われても、今はまだ、なにを今更と思うだけだろう。<br><br>しかし、私が態度を軟化さえすればまるく収まるし、そうしてもいいんじゃないのと、今の状況の責任は私にあるという構図。<br><br>その罪悪感から逃れるために、ずっと、許すという行為を棚上げにしている。<br><br>そうすることで、いくらか前に進めている。
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12104393280.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Dec 2015 14:35:03 +0900</pubDate>
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<title>名も知らぬお友達。</title>
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<![CDATA[ 柴田淳さんのお友達という三葛牧子さんの参加しているピッコラコリーナのツーマンライブがあったので、六本木のアークヒルズカフェに行って来た。<br><br>前回も来たのだが、その時は、壁際のふたり席にひとりだった。<br>しかし今回は、男子との相席だった。<br>予約をするということを忘れていて、前夜に申し込んだからなのか仕方がないかと思った。<br><br><br>一組目のさとうあいさんを聴いている時は、少し微妙な雰囲気が漂っていた。<br>ところが、そのあとぽつりぽつりと話をしてみると、だんだん場が落ち着いてきた。僕と気が合う人のようだ。<br>相席と知った時には、特に話をする必要もないと思っていたが、してみるもんだなと思った。<br><br>彼は三葛牧子さんが出演するというので来たようで、僕と似たようなものかと思っていたら、それだけでなく、柴田淳も聴くという。彼女のことは最近知ったというが、ベストアルバムしばづくしのための選曲投票もしていて、変身はまあそれとして、夜の海に立ち、泣いていい日までを選んだと言う。<br>しばじゅんを分かっているじゃないか(上から目線)、と嬉しくなった。<br><br>そのうちに、ピッコラコリーナのメンバーが定位置に着いた。！三葛さんが近い。これがしばじゅんだったら卒倒してしまうな、とか要らぬ妄想を、ついしてしまう。<br><br>で、演奏が終わると、テーブルの前になんと三葛牧子さんがいた。相席の彼のところに来て、彼と話をしているではないか。！<br><br>そして三葛さんに僕のことを、友達ですと振ってくれたのだが、相席になっただけですなどと、つまらぬことを口走ってしまう私であった。(泣)<br>しかも彼は、プレゼントも用意していたようだ。柴田さんのファンクラブイベントライブで、グッズを三葛さんから手渡してもらっただけの僕とはレベルが違うぞ。<br><br>そして、バストラミビーフのルーベンサンドも食べ終わったので、名も知らぬ彼とさよならをした。
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12103910325.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Dec 2015 01:51:16 +0900</pubDate>
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<title>訂正</title>
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<![CDATA[ 前の日記でなんとなくひっかかっていたのがどうおかしいか分かったので、訂正してみたりする。<br><br>今では柴田淳のイメージが僕の中で普通になってきてしまっている。喉元過ぎようにればなんとやら。<br><br>というよりは、僕の中の柴田淳像が、在ってあたりまえになっている。の方が正確かな。<br>獲得してしまったら、その大切さを忘れがちになる。<br><br>昔、嫁にするならびっこをひいた子がいい、と父親に言われたが、こういうことなのかな。
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12069645820.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2015 11:50:17 +0900</pubDate>
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<title>必然</title>
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<![CDATA[ 8/30のTV、行列をネットで観た。<br>ここは、シンガーソングライター柴田淳のフィールドじゃないな、というのが率直な感想だった。歌こそが彼女の表現の場所だと思った。<br><br>しかし、思い返してみると、僕が彼女の存在に衝撃を受けたのは、品川教会でのコンサートのDVDで初めて動くしばじゅんを見た時だ。曲の間のしゃべりや何気ない言動に、心を奪われてしまったのだ。まるで聖母マリアのような、絶対的安心感を彼女から感じた。<br>だが、今では柴田淳のイメージが僕の中で普通になってきてしまっている。喉元過ぎようにればなんとやら。<br><br>今、テレビで動くしばじゅんを見て、あのときの僕と同じように感じる人がいてもおかしくはない。今回の行列でも、柴田淳を必要とする人に、柴田淳が届いたのではなかろうか。
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-12068846344.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Sep 2015 07:09:10 +0900</pubDate>
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<title>セリカ</title>
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<![CDATA[ この季節になると、セリカXXを運転したことを思い出す。<br><br>免許をとって、初めての自分の車を引き取りにいって運転した、ワクワク感。<br>教習車と違って足を前に投げ出した着座姿勢と低い視界。ボンネットが長くて、そしてヘッドライトを点けるとウィンと上がるパカ目。何もかもが堪らない。<br><br>いい季節だ。
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<pubDate>Sun, 22 Mar 2015 12:46:57 +0900</pubDate>
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<title>花吹雪</title>
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<![CDATA[ なんかいいことないかな<br><br>軽い絶望みなぎる救いのなさ。そんな感覚を共有できていることを実感することで救われる、そんな柴田さんの中では異端の歌。<br><br>だが、花吹雪はさらに違う。受け入れることができない歌。<br><br><br>よく卒業の歌などと書かれているのを目にするが、僕にとっては、同じ関係がずっと続くことはない、哀しい現実を表した歌なのだ。<br><br>ある二人の関係は、(お互いにとって)何かを知る、もしくは成し遂げるためにある。時を経て、その関係のなかで知るべきことを知り、成すべきことを為したならば、その二人の関係は必要なくなる。お互いがお互いを必要としなくなる。別れの瞬間がやってきたのだ。<br><br><br>歌詞の中に、<br><br>やがて二人 すれ違って<br>君より大事なことが増えて<br>会わなくなる そんな時が<br>いつか来るのだろう…<br><br>というのがあるが、<br><br>”会わなくなる”を<br><br>”合わなくなる”<br><br>に、僕の中でどうしても置き換えてしまう。<br><br>合わなくなる瞬間がこのタイミングなのか、まだ、学ぶべきことがあるのか。まだ必要とされているのか。<br><br>離れたくないと思う自分の欲求越しに、現実を冷静に見つめることの難しさ。<br><br><br>今回はこの辺りで仕舞います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/chikatikatie/entry-11991398839.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Feb 2015 10:51:00 +0900</pubDate>
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