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<title>chiken3のブログ</title>
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<title>具</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/chiken3/amemberentry-12514237744.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Aug 2019 18:41:17 +0900</pubDate>
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<title>年賀はがき</title>
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<![CDATA[ この時期は毎年のことであるが、年賀状を書くのに追われる。と言ってもパソコンなので書くのではなく作成して印刷するだけなのであるが、なかなか思うようにはいかない。父親や家内が居た時はその分まで作成していたので約三百枚余りを送っていたが、今では三分の一に減って楽になった。<div><br></div><div>年賀はがきは、一昔前なら手書きの葉書を送ることで気持ちを伝えるゆかしいものであったに違いない。私も心を込めて手書きしたい気持ちはあるが、パソコンに慣れると便利でどうしても億劫になってしまうのだ。寺という立場上、全く顔すら知らない方から届く年賀葉書もあるので、どうしても儀礼的な感覚になってしまう.。</div><div><br></div><div>暑中見舞いや寒中見舞い、新年の挨拶と季節によってのハガキは、昔の人にとっては便利なツールであったようだ。最近の若い世代は、こうしたハガキを送らずにメールやラインなどで済ませる人が増えてきている。</div><div>それも時代の流れなのだろう。</div><div><hr></div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/7c/d4/j/o0800053314556764816.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_533" width="560" height="373"></div><br><div><br></div><div><br></div></div>
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<pubDate>Sat, 22 Dec 2018 13:55:36 +0900</pubDate>
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<title>梵鐘</title>
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<![CDATA[ 今年もあと十日余りとなり、除夜の鐘に備えて寺の境内にある梵鐘堂の突き棒のロープを点検した。十数年前に鐘を突いている途中にロープが切れて大変な目にあったからだ。年々体力的にしんどくなってきたが、こればかりは息子にまだ全部を任せるわけにはいかない。<div><br></div><div>都会の寺では、鐘の音が近所迷惑という理由で除夜の鐘を止めたという寺もあるようだ。その点、私の寺は田舎なので全く周りを気にすることはない。昔は除夜の鐘を突いていると子供連れの方が十数人お参りを兼ねて来られていたものであるが、最近は少子化で誰も来られず寂しいものである。</div><div><br></div><div>昔は除夜の鐘を就寝しながら聞き入っていたものであるが、生活スタイルが変化した今では除夜の鐘に耳を澄ませて聞き入ることもなくなったようだ。煩悩を除去する意味で梵鐘を百八回突くのであるが、今ではそうした風情はなく、鐘の音も明らかに昔と違う響きに聞こえているのだろう。</div><div><hr></div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/5c/b6/j/o0800053314556764806.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_533" width="560" height="373"></div><br><div><br></div><div><br></div></div>
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<pubDate>Wed, 19 Dec 2018 19:35:15 +0900</pubDate>
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<title>二霊の水子供養</title>
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<![CDATA[ 今日は、午前中の満中陰忌法要に続いて午後から水子供養の予約があった。昼食を食べてから水子供養の準備をしていたのであるが、しぱらくすると自動車が参道を登って来る音が聞こえる。約束時間より三十分も早いので、違う用件の車かと思っていたのであるが、石段を登って来られたのは三十代半ばぐらいの夫婦らしき二人であった。<div><br></div><div>私はすぐ水子供養の方とわかったので「予約の方ですね」と尋ねると、「早いけどよろしいですか」と言われるので「よろしいですよ、どうぞ」と本堂に上がってもらった。供養の申し込み用紙に書かれた水子の命日を見ると二霊あるが、六年前と七年前のものである。</div><div><br></div><div>私は今までの経験から、この二霊の水子は出産を楽しみにしていたのに流れたものであると思った。供養をしていると、私の後ろに座っておられる女性のすすり泣く声が聞こえてくる。私は読経しながら、「この夫婦は子供ができないことで悩んでおられる」と確信した。供養が終わってその事を話すと、私の勘は的中したようだ。</div><div><br></div><div>そうした方々の為にと思い、まだ祀って間もない「歓喜天」の功徳を話すと拝んでおられる。私も略式ではあるが、簡単な子授けの加持をさせて頂いた。この水子供養が良い仏縁となって子供を授かる事を祈りたい。今日の水子供養でした母体加持の効果か、来られた時に比べて晴々としておられるように見えた。いつかわからないが、お礼参りに来られる日も近いのだろう。</div><div><hr></div><div>◇</div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/4b/7a/j/o0800053214556764789.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_532" width="560" height="372"></div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Sat, 15 Dec 2018 18:46:51 +0900</pubDate>
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<title>一周忌の妙味</title>
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<![CDATA[ っ昨日の日曜日、檀家様の一周忌の法要をさせて頂いた。亡くなれてから百か日忌というお参りがあるが法要というほどのものではなく、この一周忌が初めての大きな法縁である。今思えば、百か日忌のお参りをしていると何か気の抜けたような感じで仏さまの感応がなかったのが気になっていた。<div><br></div><div>というのも、この家は故人が亡くなってから空き家で普段は誰も住んでいないのである。長男は隣町に家を建てて住んでいるので、いずれこの家も売りに出されるのだろう。そんな中にあって仏壇はそのまま放置されている。長男にも話をしたことがあるが、様々な事情があるようだ。</div><div><br></div><div>百か日忌の事があったので、今回の一周忌はいつもより少し長く四十分～四十五分の読経の次第を作り臨んだのである。仏さまの性根が抜けているので念入りに拝む必要があったからだ。私の予想通りで二十分余り読経していると、たくさんの仏さまの歓喜の声で賑やかになってきた。</div><div><br></div><div>私も腹からの精一杯の大きな読経で応えたが、普通ならこんなに早くは仏さまが感応されない。おそらく亡くなられたおじぃさんやおばぁさんが良く拝まれていたからに違いない。久しぶりに私も仏さまのご加護のお蔭で良い思いをさせて頂いた。おそらく参列者の心にも響いて良い仏縁となったことだろう。</div><div><hr></div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/a5/dc/j/o0800053114556764773.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_531" width="560" height="372"></div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Tue, 11 Dec 2018 17:18:15 +0900</pubDate>
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<title>命名と戒名</title>
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<![CDATA[ 先日、水子供養の申し込み用紙に書かれた名前が男性に思えたので、「できれば女性の名前で供養した方がいいですよ・・」と助言したつもりであったが、「これ私なんです」と若い女性が言われた。私はてっきり名前の最後の文字に「雄」とついているので男性と思っていたのである。昔なら女性に子供の子をつけたり、男性は男や雄などをつけたりして男女の見分けができたものだ。<div><br></div><div>最近の子供の名前は当て字が多く、男性と女性も区別がつかない名前が多くなってきている。中にはこんな変な名前をつけられて可哀そうと思える名前もあるが、こればかりは赤ちゃんの命名権は親にあるので、両親の考え方やその時の環境、情勢にもよるのだろう。</div><div><br></div><div>戒名も命名権は導師をする僧侶や菩提寺にあるが、大きく作用するのは僧侶自身の宗教観や教養によるところが大きい。俗名でも語呂や読み方などを気にするが、戒名も同じだ。ただ、戒名の場合は故人の意向を知ることができず、遺族の気持ちに寄り沿ったものになるのは仕方ないところだ。</div><div><br></div><div>結局は俗名も戒名も命名する人の人生観や器量、環境などで左右されるのかも知れないが、この世とあの世の違いはあっても名前には変わりない。授けられた名前がその人に馴染み相応しくなって行くのだろう。</div><div>◇</div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/79/41/j/o0800053514556764761.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_535" width="560" height="375"></div><br></div><div><hr></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Fri, 07 Dec 2018 16:32:24 +0900</pubDate>
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<title>近畿楽寿観音霊場会の行方</title>
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<![CDATA[ っ昨日の月曜日、京都で近畿楽寿観音霊場会の役員会があった。３０周年記念法要の報告と打ち上げを兼ねての会合であったが、出席は六人と寂しいものである。３０周年記念法要という大きな目標が終わったこともあるのだろうか。今回の会合が今期最期の予定であったが、今期で私や事務局さんの任期が終わるので新しい役員についての話し合いを来年の二月に持つこととなった。<div><br></div><div>この十数年、総会をしても十人余りしか集まらず委任状のハガキの提出で何とか体裁を整えている状態である。役員会と総会の顔ぶれはほとんど変わらず、３３ヶ寺のうちの３分の１ぐらいだ。役員の中で会長や事務局を回しているが、それも限界でこの状態では霊場会の廃止や活動の休止も視野に入れなければいけない。</div><div><br></div><div>この霊場会が創設されて３０年、創設当時の住職さんも一部おられるが、ほとんどの寺院が世代交代をしている。そんな中で創設当時の熱い思いは何処かへ行ってしまったのだろうか。せっかく出来た霊場の法灯を護って行きたいとは思うが、今の状態では難しい。来年の２月の役員会までの根回しが、会長としての最期のご奉公になるのだろう。</div><div></div><div><hr>◇会議の前に京都植物園に立ち寄って紅葉を撮った</div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/c6/35/j/o0800053314556764747.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_533" width="560" height="373"></div><br><hr></div>
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<pubDate>Wed, 05 Dec 2018 08:26:47 +0900</pubDate>
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<title>一周忌の水子供養</title>
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<![CDATA[ 昨日の午前十一時に水子供養の予約が入っていた。道に迷われたらしく少し遅れて若い女性がやって来られたのであるが、手にはお供え物らしき大きな紙袋を持っておられる。供養の受付を済ませると「お供えをしたいのですが・・・」と言われて紙袋から花やぬいぐるみ、お菓子などを差し出された。<div><br></div><div>私は、「屋外の水子霊園もありますが、屋内の方が雨にぬれないので良いかも知れないですね」と本堂の裏に祀っている屋内用地蔵尊に案内したのであるが、初めて供養に来られてこんなにたくさんのお供えを持って来られたのは水子に対する思いがかなり強いからなのだろう。</div><div><br></div><div>五種類ある供養から選択されたのは、私の寺の一番のお勧めである特別水子供養である。申し込み用紙に記載された水子の命日を見ると昨日がちょうど一周忌であるのに気が付いて、それを指摘すると嬉しそうに「どうしても今日に供養をして欲しかったのです・・・」と話された。</div><div><br></div><div>どうして水子になったかを知る由もないが、この一年の間に自分の身体に宿った小さな命と真剣に向き合って来られたのだろう。「来年も供養に来させて頂いても良いですか？・・・」と言われるので、「いいですよ・・・」と言って別れたが、彼女の心の中に仏性が大きく開花しているようだ・・・。</div><div><hr></div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/f4/b7/j/o0800053414556764735.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_534" width="560" height="374"></div><br><hr></div>
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<pubDate>Fri, 30 Nov 2018 10:08:26 +0900</pubDate>
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<title>遷化（せんげ）</title>
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<![CDATA[ 「五月に、父（泰典）が遷化いたしました・・・<div>これまでに賜りましたご厚情に　故人になり代わりまして厚く御礼申し上げます。」という喪中につき年頭の挨拶を御遠慮申し上げる旨のハガキが先日届いた。私の父親と関りがが深く、祖父同士が兄弟のようにして育った寺からである。まだ七十代前半であるので大変驚くと共に、慌てて今日手紙を添えて香典を送らせて頂いた。九州の佐賀県で真言宗の大覚寺派ということもあり、全く情報が入って来なかったのである。</div><div><br></div><div>一般の方には「遷化」という言葉は宗教的な用語で聞き慣れないことだろう。意味を調べてみると、「遷化」の遷は移すということで、化は化導の化である。仏教では本来、菩薩がこの世の教化の縁尽きて、他の国土の教化に移る意味に使われてきたものが、時代と共に高僧の死去を「遷化」と呼ぶようになったようだ。更に一般の僧侶の死去に際しても礼を重んじて使われるようになったものらしいが、おいそれとは使い難く恐れ多い言葉なのだろう.</div><div><hr></div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/58/8c/j/o0800052714556764717.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_527" width="560" height="369"></div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Tue, 27 Nov 2018 17:16:21 +0900</pubDate>
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<title>内なる声を聞こう！</title>
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<![CDATA[ お経をあげていると、時に感情が高ぶることがある。お経は、水が滴ろように淡々と唱えるのが良いのかも知れないが、大きな読経を本意としている私には到底無理な事だ。おへその下にある丹田にしっかりと息を送り、力強く発声して読経をするのが私のスタイルである。<div><br></div><div>左手に珠数をかけて左の手の平を立て、右手は丹田に軽く当てて目を閉じて読経していると自分の内なる声が聞こえて来るから不思議だ。複数の故人の霊の菩提や祈願を祈念する時は雑音が多くて全く機能しないが、単独の年忌法要や一つの祈願には時として効果がある…。</div><div><br></div><div>これは長年してきた護摩焚きのおかげである。特に施主さまと一対一の護摩では、五感を駆使しながら丹田にエネルギーを送り込んで活性化させる技法が自然と身に着いたようだ。真言の発声も読経もすべて丹田を鍛えることによって、内なる自分の声と仏さまのメッセージを認識できるようになるだろう。</div><div><hr></div><div><div class=" " style="text-align:center;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190829/09/chiken3/d7/92/j/o0800052914556764689.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_800_529" width="560" height="370"></div><br><hr></div>
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<link>https://ameblo.jp/chiken3/entry-12513726829.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Nov 2018 20:56:47 +0900</pubDate>
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