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<title>シトロエンで逃走</title>
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<description>ここらで一発</description>
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<title>1月観た映画感想</title>
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<![CDATA[ <p>今年は映画ちゃんと観よう！という気持ちで感想です。ネタバレがんがんあります。</p><p>&nbsp;</p><p>観たやつ→ロング・ウェイ・ノース／ディリリとパリの時間旅行／パラサイト 半地下の家族／家族を想うとき／マリッジ・ストーリー／ニューヨーク公共図書館　エクス・リブリス／ジョジョ・ラビット</p><p>&nbsp;</p><p>レミ・シャイエ『ロング・ウェイ・ノース　地球のてっぺん』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/fJs-7fNmFdQ" width="416"></iframe></p><p>とにもかくにも画の美しさがものすごかったです。サンクトペテルブルクの街並み、屋敷の調度にかかる柔らかなライティングから、大胆なレイアウトで描かれる北極の海、クレバス、ブリザードの身構えるほどの迫力。可愛すぎる犬。主線を排した絵柄の、貼り絵のような濃淡に吸い込まれるようでした。</p><p>尺の短さも若干シンプルすぎるシナリオも、画の美しさに注視させる導線として機能していたように思います。ヘタに冒険活劇にしない勇気。</p><p>観た映画館の暖房が不調で、ちょっとした４DXでした。良い体験。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ミッシェル・オスロ『ディリリとパリの時間旅行』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/5W129OAtjK4" width="416"></iframe></p><p>メラネシアの少女ディリリの、ノーブルかつ愛らしい闊達さを軸に、美しい色彩と細やかな演技と若干マジか！？ってレベルのCGで展開される、素朴なフェミニズムと文化礼賛の映画でした。</p><p>タイムトラベルものなのかと思わせて別にそういう訳でもないんですが（原題も『Dilili à Paris』で時間要素なし）、「時間旅行」という言葉は大いに示唆的だなと思いました。人種やジェンダーに対する現代的な感性を携えて過去を振り返る（それを素材に物語を作る）事は、懐古話とも歴史劇とも単純には同一視できない、からこそのこの邦題だったのかなと。それはタランティーノが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でやろうとした事と通底するし（ワンハリの邦題は『クウェンティンとハリウッドの時間旅行』でも良かったかもしれない（？））、良きにつけ悪しきにつけ「無邪気」とか「素朴」って印象とも接続する。芸術や科学技術の発展が寛容の精神を培うのだという強靭な信念は眩しく納得できるものだけれど、21世紀に生きている私たちは今や、ノブレスオブリージュが絶滅寸前であることを知ってしまっているので……大いに肯きながらどこか小骨が刺さったような気持ちで観てしまったというのが正直なところです。</p><p>私はベルエポックの時代にもフランスの文化人にも全く疎いのでパンフレットは必須でしたが、詳しい人が観ればもうアベンジャーズ的に楽しいのではないかな。カミーユ・クローデルの事、恥ずかしながら知らなかったです。知った後に反芻してみると、ちょっとワンハリにおけるシャロン・テートみたいな位置づけだったな、とか。</p><p>マジか！？と言いつつCG結構見どころだとも思う……特に犬……。もぎたてみたいな３Dモデル凄いから見てほしい……。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ポン・ジュノ『パラサイト　半地下の家族』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/NOgAq5L4VBM" width="416"></iframe></p><p>もう、べらぼうに面白くて隙の無い、良き映画でした。水は下に向かって流れる。下水は上へと逆流する。机の下でも繋がるWi-Fi。レトルト麺の中の高級牛肉。見立てと対比に溢れた、感情の動きすらそっくり含めて「構図」そのもののような映画。とりわけ完璧だったのが「予感」のコントロールで、次の瞬間に起こりうる悲喜劇に身構えさせながら、予想の一段先へと踏み外させる手練手管の連続、なすすべなく滑り落ちていく快感がありました。途中の大仕掛けには何となく既視感があってそんなに驚かなかったんですが、『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』のとあるエピソードとか『クリーピー 偽りの隣人』の事が無意識に頭にあったからかもしれない。</p><p>「構図」そのものと言いつつ、ステレオタイプを弄している訳では当然無く、だからこそ心の弱い部分に一段深く刺さってしまいました。身に覚えのある感情をこうも逃げ場なく見せつけられると……。物質的な豊かさや文化的資本以上に、洗練された身振りや性根の善を目の当たりにした時「身の丈」を自覚させられるんですよね。「金持ち」の卑しい部分やダサい部分を必死こいて探してる途中、ふと我に返る時、体の内側に向かって生えてくる「身の丈」という棘を。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ空間に対峙するその人の目の中の網に、自分の存在がどこにも引っ掛からず滑り落ちていく時の惨めさ。「居心地の良い」底辺に自らを封じ込め、尊厳の無い充足に満足を偽る哀しさ。大きく奪われ続けている事に目をそらし、掠め取る側を気取る愚かさ。殺意すら重力に勝てないどうしようもなさ。呪詛というにはやり場のない、汚水のように溜まる空しさ。身の丈ボコボコスタンプラリー。なんかめちゃめちゃ書いてますね……止まらなくなる……。</p><p>ともかく、大好き！というにはちょっと隙が無さ過ぎたけど、思うところが噴出しまくる大変面白い映画でした。ミッドタウン日比谷で観たので、上映後歩きながら苦いつばが出まくりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ケン・ローチ『家族を想うとき』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/8mkIMB9INwg" width="416"></iframe></p><p>ほんっとうに『パラサイト』の後に観てよかった……。ジャンル映画が当然取りこぼす社会のひだの部分こそが中心に映されていて、同じ格差社会の苦い話なのに、かえって心の安定が保たれるような気持ちになりました。フランチャイズという「発明」で、本来支払うべきコストを当人や社会保障になすりつけて悪びれもしない企業のフリーライド根性に、もう、もう、暴動しかないわね……とお気持ちになりつつ、映されている人々は終始適切な距離と柔らかな光の中で尊厳を保たれていて、とてもつらい展開でも心にすっと染み入ってきました。例えば息子の反抗一つとっても、そこに至るプロセスや環境を丁寧に描き出すことで、家族間の軋轢に対して当人の資質に責任を負わせすぎない優しい視点があったなと思います。しかし問題やストレスを思いやりで乗り越えていったとしても、それすら単なるメンテナンスコストとして利用されてしまう出口の無さ。家族の間を巡る愛情に、システムの側こそが寄生している構図、ぼ、暴動！！！！</p><p>（あと、作中の家族の絆が深い分、家族関係の破綻した人や家族の無い人たちの現実はもっともっと苛烈なものだと思うので、「本来このような階層にいるはずじゃない人たち」すら抜け出せない新自由主義社会、というアプローチなのかな、それでこぼれるものはあるかもな、とはほんのちょっぴり思いました）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/zRL2bivKtjo" width="416"></iframe></p><p>普段あまり観ないタイプの映画なのですが、人に薦められたのと『ブラック・クランズマン』での佇まいにアッ……アッアッ……となったアダム・ドライバーが出ていたので。前2本が2本だったので、パワーカップルだな……って感想が真っ先に出ちゃったのですが、面白かった！スカーレット・ヨハンソンのユニセックスな魅力が爆発してたしアダム・ドライバーは上半身が変に分厚くて最高だった。あとスカヨハ姉（メリット・ウェヴァー）のシーン、声出して笑っちゃうくらい良かったんですが、『マーウェン』のおもちゃ屋店員役の彼女だったのね。気付かなかったです。</p><p>社会の中で生きている限り身一つなんて幻想で、職や実家や世間体みたいな外側のネットワークに伸ばす脚まで含めた総体を個人と呼ぶのであって、家族をやっていく事ってそういうタコ足同士が奇跡的に、努力の末、見て見ぬふりをしながら、絡み合うことなんだな……やば……ムッズ……無理では……という気持ちになりました。</p><p>一番グッと来たアダム・ドライバーはうっかり包丁で腕切ってキッチンの隅にうずくまって転がるも息子からは無視されるアダム・ドライバーでした。唯一無二の情けなさが出てたんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館　エクス・リブリス』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/CpnBQrD_U68" width="416"></iframe></p><p>観よう観ようと思ってたら結局2020年になってしまった。開幕即ドーキンスでちょっと笑いました。映っているものが全てだし、「図書館は民主主義の柱である」という信念にほぼ完全同意なのでそんなに書くこと無いのですが、予算をもぎ取るプロセスが繰り返し登場するところが本当に良かったです。資金繰りについて映すのって誠実。</p><p>「寛容」の実践がまさにあるなと思いました。ここまでやるんだ！と驚きの連続。スクリーンで観られてよかった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>タイカ・ワイティティ『ジョジョ・ラビット』</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/L4rFW69Ypk0" width="416"></iframe></p><p>こどもの主観として描くことを徹底している映画だったな。個人的には『崖の上のポニョ』を観た時に感じたいびつさ、おそらく意図的な、に近いものがありました。主人公ジョジョが見聞きした事、知っている事、あるいは薄々気付いている事だけで作品世界は構築されていて、リアリティラインが奇妙な場所で浮遊していました。イマジナリーヒトラーは勿論、ゲシュタポの男の極端な長身やレベル・ウィルソン演じる女性党員の豊満さ、幼児性の強いカリカチュアライズなどは、こどもの主観がゆがめた世界を表すギミックだったのではないかと。だから後半にかけて画面から色彩が急速に失われていくのは、戦争末期という表現以上にジョジョの主観世界の広がりを表しているのだろうし、本質はやっぱり少年の成長譚なのだろうと思います。</p><p>だからこそナチズム信奉という罪を少年の形で受肉させユダヤ人の少女と交流させる事と、子どもに罪はなく大人と環境に責任があるという真っ当なステートメントが組み合わさる事で、ある種の免罪符ととられかねない危うさは確かにあるなと<a href="https://note.com/ninmari23/n/n94f217fa741b" target="_blank">ニイさんの感想</a>を読んで思い至りました。ジョジョが何を代表しているのかは慎重に検討した方がよさそう。</p><p>と、言いたいことは色々ありつつ、キャストの強靭な愛らしさには終始やられてしまいました。</p><p>また出たスカヨハはこちらでも卓越した魅力のママを演じていたし、脇カプこと大尉と部下も最高でしたね。戦場で着飾ってドンキホーテ的に見栄を切る男男の図とてつもなく良かった。あの後多分部下の方が先に死んでるのもビンビン来ました。あと私は太った子供が大好きなので……ヨーキー……アーチー・イエイツくん……あれだな……ソフトクリーム食べるか……？</p><p>でもやっぱり最後の、ユダヤ人の少女エルサの、ぎこちなくリズムをとる首の動きに全部持って行かれました。トーマシン・マッケンジーさん。おばけのフリの演技も大変素敵だった。</p><p>劇中曲の解説は、たまたま聴いてた<a href="https://www.tbsradio.jp/450104" target="_blank">「ジェーン・スー 生活は踊る」高橋芳朗さんのコーナー</a>がとても参考になりました。　</p><p>あと、洋画に本当に疎いので、全編英語でドイツの話をやるのってどういう感覚なんだろうかと掴みかねてます。セルフ吹替みたいな感じなのかしら？この疑問からして島国根性なのかな。前情報殆ど入れずに行ったので、最初アメリカのネオナチカルトが子供洗脳してヒトラーユーゲントの真似事する話なのかな？と思っちゃったくらい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/citroen-escape/entry-12572343833.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Feb 2020 01:18:05 +0900</pubDate>
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<title>パワー／Power is Power !！</title>
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<![CDATA[ <p>『パワー』ナオミ・オルダーマン読みました。以下感想です（ネタバレあり）。</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="AmebaAffiliate" alt1="パワー [ ナオミ・オルダーマン ]" alt2="楽天" alt3="https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/7551/9784309207551.jpg?_ex=128x128" alt4="8" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/g00q0723.3r3i8c26.g00q0723.3r3i9fd9/2357888?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fbook%2F15629231%2F&amp;m=http%3A%2F%2Fm.rakuten.co.jp%2Fbook%2Fi%2F19319603%2F" target="_blank"><img alt="パワー [ ナオミ・オルダーマン ]" border="0" data-img="affiliate" src="https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/7551/9784309207551.jpg?_ex=128x128" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a alt0="AmebaAffiliate" alt1="パワー [ ナオミ・オルダーマン ]" alt2="楽天" alt3="https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/7551/9784309207551.jpg?_ex=128x128" alt4="8" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/g00q0723.3r3i8c26.g00q0723.3r3i9fd9/2357888?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fbook%2F15629231%2F&amp;m=http%3A%2F%2Fm.rakuten.co.jp%2Fbook%2Fi%2F19319603%2F" target="_blank">パワー [ ナオミ・オルダーマン ]</a><div style="padding: 3px 0;">1,998円</div><div style="font-size:0.83em;">楽天</div></td></tr></tbody></table></div><p>知ったきっかけはこの記事。</p><p>↓</p><p>男女の力関係が逆転したら世界はどうなるのか？ | 渡辺由佳里 | コラム | ニューズウィーク日本版&nbsp;</p><p><a href="https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2018/03/post-42.php">https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2018/03/post-42.php</a></p><p>某ノシス某イクの「女尊男卑」設定が悪い意味で盛り上がった時にもちょっと話題になってましたね。</p><p>&nbsp;</p><p>生体電気を操れるようになる「スケイン」という臓器が女性にだけ発現した事をきっかけに、男女の力関係が逆転した世界。虐げられていた女性たちによる革命がはじまり、支配の反転、独裁と圧制、そして大きな破壊へと至る「歴史小説」です。</p><p>エンタメSFとしてとても読みやすく面白かった！です。10代に読んでほしい。偽史ものの味付けはそこそこに、どちらかと言うと登場人物たちの内面にフォーカスして、想像と共感の糸を引き出していくタイプの読み口。</p><p>&nbsp;</p><p>何よりスケインという設定の、物語の骨子としての存外な強靭さに魅かれました。設定もそれに連なる描写もかなり直接的で単純なミラーリングなのですが、その鏡像反転の軸に「性」ではなく「力」を据えている事自体が非対称性の本質を否応なく突き付けてくるというか。そして単純が故に強烈なカウンター（オートスキル）を、場外乱闘的にバチボコ決めてくるので妙な爽快さすらあります。</p><p>得たパワーに耽溺していく作中の女たちが男たちに為す行為は本当に不気味で残酷で、しかしこれらは現実世界で男が女に行っている仕打ちそのものである事を都度思い出し二重の吐き気に襲われます。同時に、パワー、力、暴力の持つ抗いがたい魅力、甘やかさについてもあけすけに書いてくれている所にグッときました。これ読んで一瞬でもスケインを欲しくならない女はいないでしょう。</p><p>話は飛びますがジョジョの奇妙な冒険ストーンオーシャンの何巻かの作者コメントで、荒木飛呂彦が取材で海外の女子刑務所を訪れた際に所長に女性の犯罪は男性のそれとどういう差があるのかと質問したら、女も男も犯す犯罪の内容に違いは無いと言われたという話が自分のジェンダー観の根元のほうにあったりして（その割にうろ覚えなのどうなのという感じですが）、要はのっぴきならない状況に追い詰められた時に発露する本質の、ようなもの、は、邪であれ善であれ性差を超えて同じであってほしいという願望含みの思想です（実際は統計としての犯罪の量や傾向に性差があることは理解しています）。</p><p>『パワー』の中には、一度得たスケインを去勢される、与えられた力をもう一度奪われる人物が出てくるのですが、彼女の在り方に著者の祈りが仮託されている感がありました。なにかを与えられたとき以上に、なにかを剥ぎ取られたときに、そこに立っている二つの異なるものが同じであったと分かる。本作においてその「なにか」は「力」であり、それが天秤の両側から剥ぎ取られたとき、作中唯一の男女が心を通わせる瞬間が描かれるのです（そしてそれは大いに、現実世界に対する諦念であるとも思います。持たざる者は持つ者になれず、持つ者にそれを捨てろと言うことはできない）。</p><p>&nbsp;</p><p>メタな仕掛けとして本作は、史学者で「男流作家」のニールが、自身が執筆した歴史小説『パワー』の講評を権威ある作家のナオミに依頼する、という構成の中にあります。この外枠部分（特に末文）自体の皮肉も相当で、読了後に感想を漁っていたら「いかにも女性が書いた小説～男が書いたらこうはならないはずだ～」というような文章を見かけちゃったのですが、こういう「読めてない」感想をすべて作品世界に巻き込んでしまう意地悪で鮮やかな仕掛けだなあと。</p><p>&nbsp;</p><p>気になったところは妊娠出産の扱いがかなり透明なところでしょうか。この設定の中での扱いづらさは想像に難くないので、オミットするのも理解できるけれど。帯の「ディストピア」という惹句も最初気になった（誰にとっての「ディストピア」？）のですが、読んだ後に見ればこれも現実世界に対するカウンター、ブーメランそのもので、やるじゃん、と思いましたよ（何様）。</p>
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<pubDate>Wed, 27 Mar 2019 02:59:16 +0900</pubDate>
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<title>コオリオニ／かくれんぼか 鬼ごっこよ</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160424/23/citroen-escape/da/c4/j/o0800106613628392689.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160424/23/citroen-escape/da/c4/j/t02200293_0800106613628392689.jpg" alt="" width="220" height="293" border="0"></a><br><br><br>梶本レイカ『コオリオニ』凄まじい漫画でした。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31782819" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">コオリオニ(上) (BABYコミックス)/ふゅーじょんぷろだくと<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51p96rklIQL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥729<br>Amazon.co.jp<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31782818" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">コオリオニ(下) (BABYコミックス)/ふゅーじょんぷろだくと<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51FOpm2fV4L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥729<br>Amazon.co.jp<br>00年代初頭に実際に起きた道警とヤクザの癒着事件（稲葉事件）を下敷きに、汚職警官の鬼戸圭輔（攻）と美人ヤクザの八敷翔（受）二人の破滅的な人物が地獄へ相乗りしていく様を描いた裏社会BLなのですが、上下巻とは思えないほどに濃密なストーリーテリング、陰惨で苛烈な暴力＆性描写、そして寄せ木細工のように組み合わさっていく登場人物たちの内面、叙事と叙情ががっぷり四つに組み合った凄まじい完成度で、読了後思わず「とんでもねえな！！！」と叫んでしまいました。いや本当に。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160424/23/citroen-escape/c8/92/j/o0800069513628384827.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160424/23/citroen-escape/c8/92/j/t02200191_0800069513628384827.jpg" alt="" width="220" height="190" border="0"></a><br>※特に衝撃を受けたコマ。BL漫画ですよこれ。（『コオリオニ』下巻,ふぉーじゅんぷろだくと,8頁）<br><br>ハードな人体破壊やレイプ・拷問描写は読む上で若干ハードルになるかもしれませんが、専門用語の解説も過不足なく、出来事とそれに付随する登場人物たちの感情の流れも丁寧かつ筋道立てて導かれているので、漫画として思いの外読みやすいです。<br>（全然余談ですが、昔何かの本で「手の指が足りないヤクザは（ヘタ打った事を宣伝するようなものなので）出世できない」というような情報を知り、フィクションだとアイコン的に機能するのになあと思っていたのですが、コオリオニ読んで新たな知見を得ました。そうか足の指……。）<br>ケレン味あふれる画面構成や視覚的にも多層な台詞とモノローグのポリフォニー等、技法的な面でも完成度が高い本作ですが、とりわけ白眉なのが登場人物たちの多面性とその語られ方です。<br>初めから読者に開陳されるのではなく、同じ過去が異なる視点で反復されることで、徐々に剥き出しになっていくキャラクターの本性。小手先の伏線やトリックに頼らずここまでスリリングに出来るのか、と驚かされる構成の凄まじさは、ぜひ読んで打ち抜かれて欲しいと思います。上巻描きおろしの佐伯は言わずもがな、ベビーベッドの前に立ち尽くす鬼戸の姿が上巻と下巻で全く違う意味を孕んでいるのにも滅茶苦茶ゾクゾクしました。見え方が異なるというだけでキャラクターの誰も嘘をついていないのがまたすんごいんだ。<br><br>花に鳥、うなぎに山椒、ヤクザとBLは当然のごとく相性がいいのですが、商業的な要請もあってかどちらかの要素が味付け程度に抑えられている作品も多く。しかしそこにきて『コオリオニ』は、BL要素と裏社会要素とが、どちらが欠けても成立しない両輪となってフルスロットルに回転していて、本当に読んでいて度肝を抜かれました。<br>ヤクザと警察という合わせ鏡の組織に生きる二人が、似た者同士の嗅覚で互いを見つけ出し、依存にほど近い絆で結ばれながら悲劇的な結末へと雪崩れ込んでいく様は、深作欣二の傑作『県警対組織暴力』を思い返さずにはいられないくらいなのですが、ここに更に、ホモソーシャルを描く作品からはオミットされがちな「男同士の性愛関係」が乗っかることで、本作は他に類を見ない輝きを放っています。<br>ノワール作品のキモは、登場する男性たちを抑圧や収奪の客体として描くことで、人間の悲しさ、組織や社会のどうしようもなさを浮き彫りにする所にあると勝手に思っているのですが、BLという男性を「犯される身体」として描く文化がここに入り込み、男＝犯す側の性という特権を突き崩すことで、より一層えげつない形での男性性の客体化が実行されるのです。<br>叩きつけ合うような性行為に耽溺する八敷と鬼戸のカップルは、お互いを食らい合うことで自己の存在を確認する双子の蛇のようであり、バディやブロマンスといった言葉では表出を許されないような剥き出しの情感がそこに顕現しています。奇妙に躁的に描かれる二人きりのシーンは、肉体的な快楽以上に、「居場所を見つけられた」喜びとまたそれを失うかもしれない不安がないまぜになっていることを表現しているのかもしれません。<br><br>巧みに物語世界に引きずり込まれた先で、喩えようもない感情の塊にぶん殴られる、物凄い読書体験をしました。優れたフィクション作品がおしなべてそうであるように、完成度とはまた異なる位相に強い意志のようなものが満ちていて、それは上巻あとがきの梶本先生の言葉からも一端を読み取れるのですが、今はもうただ、こんな傑作をよくぞ描いてくださった……！と五体投地するほかありません。品薄みたいですがASAPで重版するべきです。みんな読んでくれ……。<br><br>
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<pubDate>Tue, 26 Apr 2016 00:05:33 +0900</pubDate>
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<title>ラブラブエイリアン/ホンネもそれほど悪くない</title>
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<![CDATA[ 岡村星『ラブラブエイリアン』今更読んだらビックリするほど面白かったので、3巻が出ることを祈念して記事を書きます。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31463767" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ラブラブエイリアン(1) (ニチブンコミックス)/岡村 星<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F61g9kmtiqrL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥637<br>Amazon.co.jp<br>超科学力を持った宇宙人と妙齢の地球人女性たちが繰り広げるダダ漏れトーク漫画。兎にも角にも、会話劇としてのクオリティが尋常じゃないです。うねるようなテンポで次々と繰り出される尖った言葉の応酬、「クーラシェイカーのボーカル」「リッジレーサー２」「ジュネーブ条約で禁止されてるような拷問」といった謎チョイスな固有名詞、そしてエグめの下ネタの数々にただ呆然と殴られるしかなく、気が付いたらずっぷりハマっていました。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160320/17/citroen-escape/98/cf/j/o0395031813597145402.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160320/17/citroen-escape/98/cf/j/o0395031813597145402.jpg" alt="" border="0"></a><br>※エグめの下ネタ<br>（『ラブラブエイリアン』2巻, 日本文芸社, 70頁）<br><br>漫画というフォーマットで会話に比重を置いたシットコムを何話も展開させ続けるのは難しいと思うのに、ここまで面白く仕上げてるのは本当にすごいと思います（この辺りは此元和津也『セトウツミ』なんかにも感じます。あちらは漫才形式なのでまた別の縛りがあるとは思うのですが）。結婚式と披露宴の是非についての話が秋山vs桜庭の話にシームレスに移行していく様なんかくだらなすぎてたまりません。<br><br>何より私がこの漫画を好ましいと思うのは、登場する女性たちが、他者への非難や攻撃だけでなく、好意や敬意についても「本音」で語らっている所です。<br>「女のホンネ」系コンテンツが何かと向かいがちなマウンティング描写や「女の敵は女」言説を殊更に強調することなく、毎話語り合い続ける彼女たちの間では下品な悪口と素直な感謝とが同じ温度で交錯しているのです。<br>本音で語る＝建前を剥ぎ取ることと、むやみに露悪的になることはイコールで繋がるものではなく。ネガティブな感情もポジティブな感情も、どちらにも差をつけずぶっちゃけていく姿勢は真の意味で「ホンネ系」を体現しているように思えます。<br><br>合コンで揉めに揉めた男性陣とも、続く話数で会話を重ねていき、なんだかんだで仲良くなっていったり。本音の言葉で構築された登場人物たちの関係性は少しうらやましく感じられます。<br>とにかく口が悪いし下ネタまみれの癖に不思議と痛快かつ爽やかなのは、好悪の感情に戸を立てないむき出しの会話に、コミュニケーションの一つの理想を見てしまっているからかもしれません。<br><br>『ラブラブエイリアン』おすすめです！宇宙人グッズ作ってくれ！！<br>
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<link>https://ameblo.jp/citroen-escape/entry-12134625136.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Apr 2016 00:30:52 +0900</pubDate>
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<title>ゴールデンカムイ/駆け抜けて変態</title>
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<![CDATA[ （※ネタバレあるので読んでる人向けです）<br>『ゴールデンカムイ』ほんと面白いですね～。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31439256" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ゴールデンカムイ 1 (ヤングジャンプコミックス)/野田 サトル<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51RxKau0p4L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥555<br>Amazon.co.jp<br><br>狩猟グルメ顔芸漫画としてすっかり定評が付いていますが、本作のキモはやはりキャラクターたちの異常（なまでの個）性だと思います。<br>日露戦争帰りの主人公・杉元佐一がアイヌの少女アシㇼパと組んで、金塊の在処の暗号が刺青された脱獄囚人たちをとっ捕まえながら、同じく金塊を狙う新選組の残党や第七師団と戦う話なので、必然登場キャラクターは「悪いやつら」が多くなっていきます。彼らはそれぞれ本当にキャラが濃く、限られた話数の中で強烈に印象を残していきます。<br><br>中でも度肝を抜かれたのは、4巻終盤から登場する辺見和雄というキャラクターとその顛末でした。野生のイノシシに襲われ、必死の抵抗むなしく食い殺されてしまった弟の姿を見て、自分もいつか圧倒的な暴力に相対し極限の中で命の遣り取りをしたい、そして無残に殺されてしまいたい、という願望を持つサイコなキャラクターです。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160226/22/citroen-escape/03/94/p/o0800080013577739723.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160226/22/citroen-escape/03/94/p/t02200220_0800080013577739723.png" alt="" width="220" height="220" border="0"></a><br>※うずうずする辺見ちゃん。そもそもこのエピソード、何故か杉元と辺見のロマンチックラブストーリー仕立てになってて本当に意味が分からない。素晴らしい。（『ゴールデンカムイ』5巻, 講談社, 14頁）<br><br>自らを殺してくれる存在を求めると同時に、極限の状態であがく人間の姿が見たいあまり殺人衝動の赴くまま人を殺し網走刑務所に収監されていた囚人であり、己の欲望の邪魔になるのならば罪のない人間でも躊躇なく殺してしまえる、紛うことなき「悪いやつ」なのですが、一連のエピソードの中でなんと彼の願望は最高の形で成就します。<br>私は読んでいる最中、こういうキャラクターは自分の意とは真逆のつまらない死に方をするのが定石だろうと思っていたので、絶頂の中で最高に煌きながら死んでいった辺見ちゃんの姿に呆気にとられてしまったのです。そして「何だかんだ悪人なのだから」「報いを受けるはずだ」という、無意識下で働いていた勧善懲悪精神がキレイに裏切られたことに、たまらなくカタルシスを覚えてしまいました。<br><br><a href="http://konomanga.jp/interview/52634-2" target="_blank">『ゴールデンカムイ』野田サトルインタビュー　「もっと変態を描かせてくれ！」複雑なキャラクターが作品をおもしろくする!!</a><br>このマンWEBに掲載されたインタビューで語られているように、ゴールデンカムイの登場人物たちは皆一筋縄ではいきません。設定上の主人公／敵役といった役割に対する読者の固定観念をブチ壊してくれるような強烈な性格を与えられていて、それがとても魅力的なのです。<br>物語の天秤を動かしているのは善悪や行為の正当性ではなく、生と死の間で張りつめる欲望であって、どれだけ悪人であっても変態であっても彼らが作中で「断罪」されることはないのです。<br>倫理道徳が骨子ではない。かといって露悪的な、クズほど得をするような物語でもない。「絶対の神様」がいない混沌とした世界だからこそ、登場人物たちの多面性と異常なまでの個性がぎらぎらと輝けるのでしょう。まさに野生。まさに生命力。勃起！！生あるいは死へと向かう欲望に、全力で身を投じる変態たちに対する、野田先生の深い愛情を感じてやみません。<br><br>ゴールデンカムイを読んでいると、ダイナミックなキャラクターはそれを活かす世界があってこそで、その逆もまた然りなのだと思い知らされます。本当にエネルギッシュな漫画だ。<br>このエネルギーはそのままお話の推進力とも直結していて、まだ5巻だということを忘れるくらいのドライブ感にﾋﾞｸﾝﾋﾞｸﾝします。ヤンジャン本誌を読む限り、今後も愉快な変態たちがたくさん出てくるようで楽しみでなりません。まさか勝新が……！<br><br><br>-----------------------------------------------------------<br>以下は覚え書きも兼ねた余談<br><br>野田サトル先生はインタビュー（というか言動）も大変面白いです。<br><a href="http://konomanga.jp/interview/51952-2" target="_blank">『ゴールデンカムイ』野田サトルインタビュー　ウケないわけない！　おもしろさ全部のせの超自信作！</a><br>※前述のインタビューの前編。“許すまじ『ダンジョン飯』です。”<br><br><a href="http://natalie.mu/comic/pp/goldenkamuy" target="_blank">「ゴールデンカムイ」特集 野田サトル×町山智浩対談 (1/3) - コミックナタリー Power Push</a><br>※町山智浩とのスカイプ対談記事。ここでもキャラクターの変態性についての話が。<br><br>ブログも何とも言えない味わいがあって面白いっす。<br><a href="http://723000451898910026.weebly.com/" target="_blank">野田サトルのブログ</a><br>※取材の裏話が載っているので、漫画を読んだ後だと更に楽しい。可愛いホロケウカムイ。<br><br>ワンドロ（ファン主催のお絵かき企画）に作者自らR18絵を投稿するイカレたTwitterアカウント（<a href="https://twitter.com/satorunoda/" target="_blank">@satorunoda</a>）や、ヤンジャン本誌のコメント欄からも目が離せない。<br><br>-----------------------------------------------------------<br>更に余談<br><br>前作の『スピナマラダ！』（全6巻）もめっっっっっっちゃくちゃ面白いので読んで……読んでください……Kindle出てるから……。<br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31440126" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">スピナマラダ！ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)/集英社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F6186pi4LKXL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥価格不明<br>Amazon.co.jp<br>スポ根ものとして完成されてます。キャラクターそれぞれの心情描写がとても丁寧で、癖のあるキャラもとっても魅力的に描かれています。競技への熱いリスペクトをビシバシ感じると同時に、マイナースポーツであることに対する触れ方も真摯です。端々のとぼけたギャグも絶妙に効いていて、この読後感の良さはゴルカムへ継承されているんだなと。<br>スターシステム的に出てくるあの人にも注目です。めっちゃいいキャラだから！<br>
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<pubDate>Sat, 27 Feb 2016 01:31:20 +0900</pubDate>
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<title>愛を喰らえ！！/男ぎらい（あいつ姿くらまし）</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/8c/0c/j/o0220029313568346874.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/8c/0c/j/t02200293_0220029313568346874.jpg" alt="" width="220" height="293" border="0"></a><br><br><br>あくまで私の観測範囲のものごとだけに基づいて述べるとするならば（これは以下のすべての文章の枕詞となります）、ミソジニーの男性はおそらく男性だけが存在する世界というものは望んでいない（政治や経済といった公の場においてはそれが達成されることが理想なのだろうけど）のに比べ、ミサンドリーの女性は、あらゆる男性という存在が消え失せた世界があるとするなら、そこを何より安全で理想的な世界だと考えるのではないでしょうか。<br>前者が、劣位のものたる女が男たちの権利を食い潰し、あまつさえ彼らを拒絶し攻撃することに対して憎悪を抱いているのに対して、後者はひとつの巨大な、得体の知れない脅威≒男に対するほとんど本能的な憎悪を抱いていて。それは男が女にとって精神・肉体両面から自らの実存を脅かす暴力に成り得るからであり、女は男にとってそうではないからだと思います。<br>この非対称性は男女にまつわる悲劇の根源に長く暗く横たわっていて、それは性的な交わりにおいて最も深い断絶をもたらします。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=26251078" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">愛を喰らえ!! (F COMICS)/太田出版<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F61jBSmR7AuL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,050<br>Amazon.co.jp<br><br>ルネッサンス吉田『愛を喰らえ！！』は物凄く率直かつ明快に男性嫌悪を、そしてその行き着くところを描き出した作品でした。<br>主人公の一人・百花は父親から受けた性的虐待を端緒に男性への憎悪を募らせた結果、男性を男性に売る風俗店の店長となった女性です。<br><br>「私を犯した父親も体育教師も名前も知らないのに恋人気取りの大学生も予備校の講師もバイトしてたデザイン事務所の社長もそれらの事態を事故の一言で片付けたクソもみんなみんな　みんな男だった／事故じゃねえ事件だよ殺人なんだよ死にながら生きてんだよ」（29頁）<br>「男なんかみんな犯されたらいいんだわ／そんで死ね生きたまま」（同上）<br><br>通常の文法で行けば「結果」（＝男性嫌悪）の「原因」（＝性的収奪）は物語の進行と共に徐々に明かされるものだけど、この漫画ではその「原因」は第1話で（それも主人公の独白という形をとって）一気呵成に提示されます。また、男性を男性に売る風俗という設定も、言葉から受ける印象ほど強烈な描写はありません。<br>1話冒頭と上記の引用部分前後数頁は、男性性という暴力機構がその犠牲者達にとっていかに醜悪で憎悪に値するかをとても解りやすく表現していて、ほんと男女問わず読んでほしいなと思うわけですが、この、誤解を恐れずに言うならば魅力的な吐露や、男を男に犯させる行為＝「男ども」への復讐を物語の核心部分に据えなかったのは、作者が何より「結果のその先」を描きたかったからに他ならず。<br>トラウマティックな出来事、「魂の殺人」のその後に残された膨大な時間をどうやって生き抜いていくのか。それはトラウマそのもの以上に辛く厳しい課題となって当事者にのし掛かります。<br><br>百花はひたすらに思索を繰り返し、自己の内面へと沈み込んでいきながら、傷がもたらす痛みの行く宛を模索し続けます。しかし、作中のスナーク狩りの比喩が示す通り、感情の終着地が憎悪になれば、いずれ自身の破滅を導くことも彼女は理解しています。それがまた実に苦い。<br>孤独な思索の旅がどん詰まりへと嵌り込む中、必然登場する他者が百花が「売り物」にした青年・内田です。序盤は彼女の聞き役・観察者として、終盤は彼女に歩み寄り彼女を愛する存在として、その傷口に寄り添います。<br>内田は男性だけれど収奪者の臭気をまとわない、むしろ収奪される側として百花と同位にある人間であり、かつ百花の凹凸を埋めるように成形されたキャラクター、有り体に言ってしまえば彼女の影です。<br>二人の会話はほとんど自問自答のようですが、内田という「安全な他者」との遣り取りの中で百花は「自分自身を愛せるか」という命題に直面します。<br>そこに至っての彼女の決断は拍子抜けするくらい明快で、これまでのどす黒い表現の数々に比べたら危ういくらいに優しいもので。頼りなさすら覚えるけれど、希望というものはおしなべてそういうものなのだと深く感じられる結末でした。<br><br>「復讐は何も生み出さない」という言説は半分当たっていて半分外れていると思います。トラウマから回復するために「然るべき憎悪」というものは絶対に必要であるけれど、それはあくまで過程の一つに過ぎず。憎悪を押し殺してしまうことも、復讐がもたらすカタルシスに耽溺することも、どちらも決して正しくはない。<br>他者の暴力によって存在を脅かされた女性は、非対称性と無理解が横溢する世界の中で、どうやって息をしていけば良いのか。思索と対話を繰り返し、傷口から血を流しながら道を探す百花の姿は、そんなのっぴきならない問いに一つの答えを見せてくれました。<br>作劇は少し不器用であるけれど、だからこそ大なり小なり傷を知る読み手にとっては得るものが大きいのではないかなと思います。劇的な結末ではなく、過程と決断の無数の繰り返しの中に回復はあるのだと教えてくれる。読めば読むほど考えたいことがたくさん出てくる作品でもありました。男女とも読むべし。<br><br><br><br><br><br>（同録されている連作『私信』は、百花の物語ほど強い言葉に縁取られてはいないけれど、はるかに生々しく苦い話でした。漫画を描くために風俗で働き、精神科に通う主人公・優美の、主治医への思慕や風俗店のオーナー（内田に比べてなんとも生臭い存在感）への恋の中で繰り返される小規模な失望と発見の連続は、百花の物語のある種の明快さを戒めるようでもあり。この連作の存在が一冊の単行本の奥行きをグッと深いものにしている。恐ろしいしなんだかちょっと切ないです。）<br><br><br>(2014/2/10)
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<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 22:33:21 +0900</pubDate>
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<title>毒戦・オンリーゴッド/神様の影を畏れて</title>
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<![CDATA[ <p>映画を2本観ました。ネタバレあり。</p><br><p>『ドラッグ・ウォー　毒戦』</p><br><iframe width="480" height="270" src="https://www.youtube.com/embed/tBk1Q9a-Jk4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><p>面白かった～。頭からおしりまで旨味がたっぷり。<br><br>前半の追跡＆捜査シーンは緊張の連続で、見てて疲れるくらいの密度。でも本当に面白い。特にジャン警部（スン・ホンレイ）の文字通りの名演技の数々は、キャラクターの格好良さが頭ではなく心で理解できる名シーン。<br><br>被疑者との心理戦や無線電波上の攻防を描きながら、まるでオシャレじゃないところが素晴らしいなあと。登場人物たちは皆息の合った連係プレーを見せるけれど、全然スマートに描かれていない。焦りと疲労と緊張でいっぱいいっぱいの表情からは血の通った必死さが伝わってくる。<br><br>後半、それまで捜査に協力していた麻薬組織側の男・テンミン（ルイス・クー）が開き直ってからの大銃撃戦は、前半以上の緊張と興奮の連続でホントもうマジですっっっごく面白かった。敵も味方もとにかく人が死ぬ！テンミン、敵も味方も裏切りまくり！女も身内も轢きまくり弾きまくり！可愛い顔して超卑劣！<br><br>彼の生への執着は惨めたらしさを越えて美しくすらあり、その「生き延びるため」という本能ゆえの原罪めいた暴力は、銃器を介しながらどこまでも生々しく痛い。求めよさらば与えられん、の精神であります。<br><br>強い強いその本能は彼を「最後の一人」に導いたけれど、逃げ延びる事は他ならぬジャン警部の執念が許さなかった、というのはこれ以上ない落とし所だなと。本能を凌駕した正義という理。試合に負けて勝負に勝ったというか。</p><br><p>それにしても眉毛の細い男が一人も出てこないって最高だなあ～。男も女も顔に厚みがある人ばかり。</p><br><p><br><br>『オンリー・ゴッド』<br><iframe width="459" height="344" src="https://www.youtube.com/embed/cDlf3oImGts" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br></p><p>最高だった……。<br><br>鈍く重く、粘性が極めて高い画面運びがもたらす負荷は、要所に挿入される暴力の（さながら神罰のような）唐突な瞬きとねばっこく混ざり合って、段々遅さという抑圧それ自体が快感になってくる。それは主人公ジュリアン（ライアン・ゴズリング）が毒母から受けていた抑圧と、ハムラビ方式の復讐天使チャン（カラオケおじさん）が結果的にもたらした解放とを追体験させるようでもあり。</p><br><p>「昔の三池映画っぽい」という評を聞いて喜び勇んで観に行ったのですが、本当に三池映画（初期）っぽかった。おれの、おれたちの三池が帰ってきたぞ！みたいな……。Twitterでも書いたけど、全編バンコクロケ＆キャストの大半をタイ人で固めるのは『極道黒社会』っぽいバランスだし、カラオケおじさんの存在感は田口トモロヲや『殺し屋1』の塚本晋也を想起させる。色彩とねばっこい間、終幕後のポカン度は『牛頭』。武闘場での徒手空拳の対峙は『漂流街』の吉川VS及川の卓球対決を思い出し。なんというか受け手を戸惑わせる外し方なんだよな。<br><br>私が三池映画を好む一番の理由は、無茶や破綻をはらみまくった作品の中から何かしらを読み解こうと苦心する観客たちに「意味なんて無いよ」とサラリと言ってのけながら、しかしその笑った目の端の微妙な皺に、観客たちはやっぱり言葉にならない感傷を読み取ってしまう、そんな所なのです。すみません何言ってるのか全然わからないですね。主客が……。</p><br><p>『オンリー・ゴッド』も、意味深なようで意味なんて無い、でもそこから更に深く潜ったら何かが絶対にありそうな、そんな気配が充満していて本当にたまらなかった。これはギャグだいやシリアスだといった論争がちっぽけに思える、「これはこういうものなのだ」と言い切れる不思議な強度がある作品。<br><br>意味と無意味の線上で奇妙にバランスをとりながら、時折真理が鼻先をかすめる。そういう体験をさせてくれる映画でした。サンキューレフン。</p><br><br><br><p>(2014/1/26)</p>
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<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 22:20:46 +0900</pubDate>
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<title>破滅の美学とななめの音楽</title>
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<![CDATA[ <dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31373155" rel="nofollow" target="_blank" alt0="BlogAffiliate">破滅の美学―ヤクザ映画への鎮魂歌(レクイエム) (幻冬舎アウトロー文庫)/笠原 和夫<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F21DM3RVM2DL._SL160_.jpg"></a> </dt><dd style="MARGIN: 0px">￥617 </dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp </dd></dl><p><br>・『破滅の美学－ヤクザ映画への鎮魂歌－』笠原和夫<br>仁義なきシリーズの脚本家による、ヤクザ社会の取材録＆ヤクザ映画の思い出本。幻冬舎アウトロー文庫とかいうなんだか身も蓋もない名前のレーベル。<br>侠客ものに比べて、ヤクザ映画の作り手は被写体であるヤクザたちをあまり英雄視しないな～と感じます。あくまでも一歩引いた目線で彼らの社会を活写している。とはいえ笠原和夫がこの本の中で書いているように、彼らのようなアウトロー達にどうしようもなく惹きつけられていたこともを確かだったと思います。仁義なき戦いに端を発する、東映ヤクザ映画の魅力の背景には、作り手達の＜男＞という存在に対するリアリズムとリリシズムのせめぎ合いがあったのではないかなと感じました。2つのイズムの中にある、異なるロマンが渾然となっているからこそ、単純なカタルシスには行き着かない、熱く混沌とした感情を観客に呼び覚ましたのだろうなあと。</p><p>ちょっとおもしろいなと思ったのが、笠原和夫が『緋牡丹お竜』の藤純子を指して「やくざ映画の〈情感〉は女を通しての方がより美しく、より効果的に書けるという手応え」を感じたというくだり。男性の身体は男性の中の男性的でない部分（そしてそれこそが男性の核心だと笠原は考えた）を「美しく」表現するにはあまりにも男性的でありすぎる、ということなのだと思います（男性男性うるせえな）。三島由紀夫の肉体と精神の噛み合わなさが奇妙にグロテスクに感じられるように。</p><p><br>四方田犬彦と斎藤綾子の『男たちの絆、アジア映画―ホモソーシャルな欲望』</p><dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31373162" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望/著者不明<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51jWa9jmgTL._SL160_.jpg"></a></dt><dd style="MARGIN: 0px">￥2,592</dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp<br>という編著の中に高倉健の肉体について書かれた論文があるんですが、そこでは侠客ものの全盛期を担ってきた池部良や鶴田浩二が男性的な緊張をまとった肉体であったのに対し、健さんの肉体には彼らとは明らかに違う弛緩があったと指摘されています。筆者は前者を大人の男の完成された身体、後者を大人になりきる前の未完成な身体と定義し、それは当時の映画の観客であった「大人の手前」にいる男子たちの共感を大いに呼んだ、と論じているのですが、男性的でありすぎる体は男性（≠男性性）を十全には表現しきれない、という話とも結びついていくように感じます。</dd></dl><br><p>話はまた脱線しますが川原由美子『ななめの音楽』という漫画のことを少し。</p><dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31373154" rel="nofollow" target="_blank" alt0="BlogAffiliate">眠れぬ夜の奇妙な話コミックス　ななめの音楽１ (ソノラマコミックス)/川原由美子<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51NPdAqud-L._SL160_.jpg"></a> </dt><dd style="MARGIN: 0px">￥907 </dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp </dd></dl><p><br>近未来を舞台に、光子という少女が大戦機に搭乗し飛行レースに参加するという話なのですが、彼女が戦闘機に乗る理由の一つに、第二次世界大戦の記憶を追体験する、というものがありまして。空中戦で敵を撃墜し、敵に撃墜されていった兵士たちの、記録からは削ぎ落とされた歓喜、苦痛、悲哀といった感情群を、光子は自らの身体によって再現しようとしたわけです。<br>ヤクザや兵士が属するような男性社会は、名誉とは無縁な「弱い（とされる）もの」の感情を忌避する傾向にあり、男の身体の中でそういった情感の部分は表出を許されません。しかしそれが女性の身体で再現されるとき、「男らしくない」という枷が外されるがゆえに、より容易な表出と受容が可能となります。男性たちから奪われ打ち棄てられた「余剰の（しかしそこにこそ人間の核心がある）」記憶を再び掘り起こし弔う女性、という粛々とした構図の中で、男性性というものの寄る辺は非常に危ういものとなっていくわけです。その弔いの中で本当に埋葬されているのは、戦争に象徴されるような「男の社会」そのものなのだから（ネタバレになりますが、『ななめの音楽』最終話で光子は期待と確信を込めて「男性が必要とされない未来」の到来を予言し、後輩の少女・こゆるにプロポーズします）。</p><p>『ななめの音楽』を読んで以来、こういうテーマについて考えることが多くなった中で（ジェンダーSF漫画だと庄司創『三文未来の家庭訪問』も面白かったです）、まさか笠原和夫の著書から似たようなインスピレーションを受けるとは思っても見ず。</p><p>「これを要するに＜男＞というのは、子宮を持たない人類の半分が幻想として描いたフィクションであって、実体はどこにもない、というのがわたしの結論だった」</p><p>という一文を読んだ時は少し感動すら覚えました。＜男＞を突き放すにしろ愛するにしろ、それが仮構のものであることを心に留めて置かなければならないと思います。幽霊を殺すことも、幽霊と結婚することも、同様に不可能であるように。</p><br><p>(2014/1/8)</p>
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<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 22:13:52 +0900</pubDate>
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<title>久野遥子・Airy Me/浮き・足・立つ</title>
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<![CDATA[ <p>・久野遥子の「Airy Me」（Cuushe）MVがすごい </p><br><p><a href="http://vimeo.com/70463623" target="_blank"><strong>http://vimeo.com/70463623</strong></a><br> </p><br><p>※すごいっす </p><br><p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/37/5c/j/o0220012113568314640.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/37/5c/j/t02200121_0220012113568314640.jpg" width="220" height="121"></a><br><br><br></p><br><p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/d6/c6/j/o0220011913568314638.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/d6/c6/j/t02200119_0220011913568314638.jpg" width="220" height="119"></a><br><br><br></p><br><p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/c2/69/j/o0220012213568314637.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/c2/69/j/t02200122_0220012213568314637.jpg" width="220" height="122"></a><br><br><br></p><br><p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/42/28/j/o0220011913568314639.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/42/28/j/t02200119_0220011913568314639.jpg" width="220" height="119"></a><br><br><br></p><br><p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/7c/23/j/o0220012413568314641.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160215/22/citroen-escape/7c/23/j/t02200124_0220012413568314641.jpg" width="220" height="124"></a><br></p><br><br><br><br><br><p>素晴らしすぎ！ライク手塚治虫な柔い描線と偏執的なまでに大量のコマが融合し産み落とされるニューロティックな快楽。繰り返し観てストーリーをなんとなく把握していくと、電灯ウサギが出てくる度に鳥肌が立ちます。後半、変質した少年にカメラが全くフォーカスしない所なんか本当に素晴らしいなあと。異形のものへの注視を拒むコンテが、それから逃げる人間の皮膚感覚との同調を喚起しているというか。見えている世界＝理解できる世界であるとするならば「視界の中心に捉えない」という演出は対象の異質さをより際立たせるんですねえ。其処此処に挿入される不穏なモチーフの連続が提供してくれるのは物語の核ではなく輪郭で、この淡さがまた実に心地よい。人と人ならざるものの境界線の曖昧さ、という主題は偏見かもしれないけれど女性の作家の方が好みかつ得手としている印象があります。「変身」は男の子で「変質」は女の子。スイッチとグラデーションの差というか。 </p><br><br><br><p>(2013/7/28)</p>
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<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 22:05:01 +0900</pubDate>
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<title>あなたの背中を　見送りながら　放電して</title>
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<![CDATA[ <p>15日はスーパーデラックスで山本精一とPhewのライブを観て来ました。</p><p>・山本精一<br>ギター一本と机上の機材で演奏。歌はなし。<br>先月バウスシアターで吸血鬼ノスフェラトゥを観ていたので、大体あんな感触なんだろうなーと予想していましたが（機材もたしか同じ感じだった）、その何十倍もスケールの大きなライブでした。星の一生を観るような、整合と混沌がてらいなく同居した展開。豊穣そのもの。山本精一という人の引き出しの多さ深さを実感させられたというか。退屈になりかねない長いアンビエントも、絶妙に挟み込まれる（それでいてあざとさのない）細かなフックによって美しさを湛え続けていて。<br>過剰さはなく、ただひたすらに豊かな時間でした。息をするような自然さであんな空間を作り出せる音楽家、精一さん以外に思いつかない。緊張はなく、かと言って弛緩しているわけでもない。ただそこにいて音楽をするだけの人って感じ。こんなに凄いことはないと思う。</p><p>・Phew<br>レトロくゴツい機材に囲まれ、黒いワンピースにヘッドセットを装着したPhewさん。硬質で単調なビート、しとやかなノイズ、原始的な電子音を忙しなく調節しながら、電波や波長についての朗読（というよりは説明）をマイクに囁きかける、人力マッシュアップという感じのセット。<br>とにかく物凄い完成度で。このままアルバムにしてほしいくらい素晴らしかった。どこか原点回帰のにおいもしました。現在のPhewさんが昔のPhewさんをプロデュースするような、コニープランクが生きていたらなんて言うだろう、って妄想してしまうような。<br>オペレーターという設定らしいけれど、遠くにいる人に呼びかける、という意味ではすごくPhewさんの歌にぴったりだと思いました。声や音を電波にのせるのは遠くへ届けたいからなんだよな、って思い出させてくれた。空間、時間、距離にはいろいろあるけれど、誰かに届けるためにそれを越えようとするって、すごく深い愛だよなって。</p><p>VJも素晴らしかったです。三面スクリーンでド迫力。山本精一セットはMasato TSUTSUI、Phewセットは本人が用意した写真映像を小林エリカがオペレーションしてたそう。極彩色の図形や光彩がインタラクティブに絶え間なく変化する前者と、白黒の静止画（たまに動画）がやや神経質な手つきで淡々とスライドされていく後者は、アプローチは真逆ながらそれぞれの音楽に実によく馴染んでいて、耳と目の幸福な一体感がありました。</p><p>Phewセット終盤で歌われたBig Picture「音楽みたいに」は、この日の総括のような趣がありました。たとえば音楽のようにあなたと拡がれたら～。</p><br><p>(2013/7/18)</p><br>
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<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 21:55:08 +0900</pubDate>
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