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<title>ラインのブログ</title>
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<title>さよならストレンジャー</title>
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<![CDATA[ <br><br><p>先日仙台にお邪魔した時、ちょうど七夕のシーズンだったようで、お盆前の平日にもかかわらず、仙台駅の周辺はかなりの人だった。</p><br><br><p>私は滞在ホテルまでの道があやふやだったので、道中通りすがりの人にきいてみることにした。</p><br><p>が、話しかけた人たちがみなストレンジャーだった。</p><p>青森から出張に来ているのでわかりませんという人や、岩手から買い物に来ているのでわかりませんという人だった。</p><p>関東の人から見る東京のようなもので、やはり東北の中心として機能しているのだなと思った。</p><br><br><br><p>仙台といえば、伊坂幸太郎。以前はスタバなどで書いていると言っていたが、今はどうなんだろう。</p><p>伊坂幸太郎さんは、学生時代から仙台に住んでいるらしい。</p><p>小説の舞台も、仙台。</p><p>「よく知っている街だからこそ、嘘がつきやすい」と言っているのを読んだことがある。</p><br><p>よく知っている街だと、風景の描写や町の設定に困らない。実際の街と異なってても、そこは小説だから嘘もつける。っていうことなのかなあ。</p><p>ちなみに仙台の街の区画は、あおば通、広瀬通を中心に、比較的わかりやすい（はず）。</p><br><br><p>・・・・・・しかしストレンジャーの私にとっては、それでもホテルの場所が分からなかったので、尋ねたということです。</p><br><br><p>今回のホテルは、テレビのほかに、有線やラジオが聴けるシステムがついていて、部屋に長時間こもっていても快適に過ごすことができた。有線のチャンネルを独り占めできることなんてほとんどないので、いくつか変えてみたりした。</p><br><p>以前、東京都内のホテルに滞在した時にも、このようなシステムがあるホテルがあった。</p><p>その時は、1週間近く、知り合いにも会えない日々だったので、ラジオで流れるＤＪの話や、有線の絶え間のない選曲は、自分以外の者の存在を認識できる、大きな存在だった。</p><br><p>流れてくる歌を聴きながら、顔を合わせすぎて嫌気がさしている家族や、知人、日々の仕事のことを思い出して、もう少し優しくなれるかもしれないとか思ったりしてしまう。</p><p>世の中ではこれをおセンチメンタルといいますね。</p><br><br><p>仙台での今回の滞在でも、少しそのようなクセが顔を出し、一人で飲みに行ったり、お茶しに行ったりした。おいしいけれど並んでいない店を見つけたので、次来る時にまた来ようと思う。</p><p>次回の私はストレンジャーではない！！！</p><br><br><br><br><br><br><br><p>ちょっとふらふらしただけだから確かではないが、仙台の街には、意外とたくさんのスタバがあるなあと思った。</p><p>有線聴きながら、仙台が出てくる歌って思い当たらないなあと思った。スタバが出てくる小説ってあったかな？</p><br><p>むろん、東京って出てくる歌はたくさんある。</p><p>私は大塚利恵さんの「東京」がすきだな。昔、ラジオをで流れたのを聞いて、ＣＤを買いに行った記憶がある。</p><p>イントロや間奏のピアノが、曲が全体が映画みたいに頭に浮かんでくるなと思った。「東京に帰っておいでよ」という歌詞だけでストーリーが出来ていくから不思議だと思った。</p><p>自分が過ごす東京と異なる東京だった。でも、素敵な東京のイメージだと思った。</p><br><br><p>仙台の街に長く過していないから、仙台に対するイメージが出来ていないから、仙台の歌が思い当たらないのかもしれないな。</p><p>仙台の歌、ゴーグル先生でちょっと探してみよう。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/classroom-letter/entry-11603933040.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Aug 2013 19:07:30 +0900</pubDate>
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<title>ヘブンズキッチン</title>
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<![CDATA[ <br><p>時間が出来たので、台所に立つことも増えた。</p><br><p>ちなみに今日は、白米、レタスとトマトのサラダ、モロヘイヤのおひたし、豆腐とニンジンの味噌汁、さんま。</p><p>簡単なものだけれど、台所に立ったことになる。</p><p>関係ないけど最近はニンジンが高い。</p><br><br><br><p>今まではというと、朝は食パン、昼はおにぎり、夜はサラダと惣菜、</p><p>という感じ。</p><p>どうしても、明るいうちは炭水化物だけ摂ることで、手っ取り早く腹を満たし、罪悪感を減らすために夕飯で他の栄養を摂る、という食生活にループしてしまっていた。</p><br><br><p>むかし何かの本に、「食べることは生きること、生きることは食べること」と書いてあった気がするけれど、</p><p>確かにどっちの因果にしても、生きることと食べることは関係があるような気がします。</p><p>生活が忙しければ、食べることはその影響を受けるし、もしかしたら反対に、食べることが生活の在り方を決定づけているのかもしれないとすら思う。</p><br><p>実際に体の中に入れないとしても、食べ物を扱う台所は、どこか生きることに関する大きな力が宿っているのかもしれないな。</p><br><br><p>幸田文の『台所のおと』でも、たしか主人は病床から、台所から聞こえてくる音を聞くことで、自分が包丁を菜箸を動かしていることを想像して、心の憂さを晴らしていた。</p><p>吉本ばなな『キッチン』では、たしか台所で寝ていたし、主人公の心身にとって重要な場所だった。</p><br><p>現代では食材はすでに〆られた状態で台所に到着する。</p><p>もう生物の命を奪う場所にはなっていない。</p><p>それでもやっぱり生きること、生命に関する神聖な場である感じがするのはなんだろうな。</p><p>食べなきゃ心臓も脳も動かないもんな。おいしいものを食べるとがんばろうって思うもんな。</p><br><br><p>調理が生活の一部になっている人や、家庭を持つ人だと話は違うのだろうが、</p><p>忙しいと台所に立たなくなる人はけっこうな多数な気がする。</p><p>身体的にも精神的にも、食事をもう少し大事にすれば、私の生活もちょっとはましになるような気もする。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/classroom-letter/entry-11601235381.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Aug 2013 23:29:16 +0900</pubDate>
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<title>答えは風の中</title>
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<![CDATA[ <p>７，８月はよくわからないまま忙しくなって、忙しいのが終わった。</p><br><p>身体的な忙しさは終わったのに、今度は先の見通しが立たない状況になって、精神的な忙しさが生じている。</p><br><br><br><p>カッコつけて言うと↑のような感じですが、</p><p>……つまりは、今仕事が無いということです。</p><br><p>仕事が無いと不安になる。燃え尽き症候群に似た感じで、「私には出来ることは他に何もない」みたいな脳内になっている現状です。</p><br><br><br><br><p>忙しい時期が終わってここ数日は、帰宅後ワイン１本空けたり、１０時間寝たりと、かなり堕ちた生活を送っていたけれど、</p><p>燃え尽きたからといって酒ばかりかっくらっていても仕方がないので、本屋で適当な本を見繕って読むことにした。</p><br><p>ちくま文庫の黄色い背表紙の棚の前で、タイトルをみて、数冊ペラペラとすること１０分くらい。</p><p>荻原魚雷さんという人の『本と怠け者』という本を買ってみた。</p><br><p>本の内容は、古書好きの荻原魚雷さんの読書を通じてのエッセイみたいなもの。</p><p>本の中で魚雷さんは、エッセイなのか批評なのか、ということについて何度か思考をめぐらせている。</p><br><p>ここでためしに、私もエッセイと批評の違いについて思考をめぐらせてみることにする。</p><p>批評というものが批評対象の存在を中心にまわるもの、エッセイというものが著者自信を中心にまわるもの、</p><p>というように分けるのであれば、</p><p>魚雷さんのはどちらだろうか。</p><p>でも、この分け方は妥当ではないのかな。</p><p>心ひかれる批評というものには、エッセイのような批評の著者自信の欠片があるし、</p><p>自立したエッセイというものには、自己以外の何か（批評対象のようなもの）を媒介として、結論として著者自身を帰結させているといえる。</p><br><p>『本と怠け者』を読んで、文中で扱われる書物にも興味がわいたし、著者の魚雷さんにも興味がわいた。</p><p>やっぱり、批評なのかエッセイなのかはわからん。</p><br><br><br><p>ちなみに、『本と怠け者』で紹介される作家はもちろん、著者の魚雷さんもなかなかの怠け者感がでています。</p><p>怠け者か否かの基準は色々あるけれど、</p><p>ここでいう「怠け者」は、社会経済を活性化させる一員としては失格な一方、</p><p>自分でものを考えられる、感じ取ることができる、人間的魅力としてはかなり優秀だと思う。</p><br><p>こんなこというのはおそれ多いけれど、この本に出てくる「怠け者」たちと同じようなところが私自身にもある。</p><p>だから私は彼らを魅力的だと思うのかもしれないです。</p><br><br><br><br><p>ちなみに余談として、</p><p>この、自分と類似性があるものを選択する傾向は、</p><p>他者肯定をすることによって結果的に自己肯定を導き、自信を回復するということであり、</p><p>心理学では、つりあい原理とよばれるみたいです。</p><p>むかし無藤先生の本に書いてあった。</p><br><br><br><br><p>『本と怠け者』を読んでいるとき、ipodではディランを聞いていました。</p><br><p>俺がやってやるんだ！！！みたいな意欲の強い人には鼻で笑われちゃうかもしれないけれど、</p><p>私みたいな怠け者にとっては、「答えは風の中に吹かれている～」って言われるのは、悪い気がしないんだよね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/classroom-letter/entry-11600480716.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Aug 2013 21:11:37 +0900</pubDate>
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<title>シャツを洗えば。</title>
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<![CDATA[ <p>明日は休み。休みの日は何もしたくないと思う人と、休みだからこそ何かしようという人の２タイプいると思う。</p><p>もっとも、休日のうち済ませなきゃならないことが増えて、</p><p>仕方なく休みだからこそ動かなきゃならない、っていう人のほうが多いのかも知れない。</p><p>世の中が土日が休みになってからは、土曜は出かけて、日曜は家でゆっくりする人が多いのかもしれない。</p><br><p>私の休みは不定期だから、日曜日！！！っていう感覚を世間と同じように実感することは難しい。</p><p>だけれど、くるりとユーミンのシャツを洗えばを聴くと、日曜日感への憧れが増してくる。</p><br><p>きっと週末休みの人たちはこんな感じでシャツを洗って、シーツも干して、日光を浴びているのだろう。</p><p>いいなあ。</p><p>日曜日に休む、ということへの憧れを具体的にいうと、</p><p>日曜日が休みなら友人とも都合が合うのに！っていうことと、</p><p>「日曜日を過ごす人たち」というイメージが持つ幸せ感に対するもの。</p><p>（とくに後者！）</p><br><p>そんな私もたまに日曜日に休みを頂ける。憧れの日曜日！</p><p>ただ、何回過ごしてもうまく過ごせない。</p><p>イメージの中の日曜日と違うんだよ！</p><br><p>きっと、イメージするような休日を過ごせている人は実はあんまりいなくて、</p><p>理想の日曜日は想像の中にしかないものなのかな。</p><p>休日を上手に過ごせるようになりたいな、と聴くたびに思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/classroom-letter/entry-11535974157.html</link>
<pubDate>Wed, 22 May 2013 23:38:28 +0900</pubDate>
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