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<title>CLEVER日記</title>
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<title>Where there's a will, there's a way.</title>
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<![CDATA[ 皆さん、志を持ちましょう。<br><br>意志のあるところに、道はある。<br><br><br>よく言ったもんですなー。<br><br>
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2009 00:25:30 +0900</pubDate>
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<title>愛。</title>
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<![CDATA[ 愛の形はいろいろ。<br><br>恋の形もいろいろ。<br><br>恋愛の形もいろいろ。<br><br>恋人の形もいろいろ。<br><br>夫婦の形もいろいろ。<br><br><br><br>愛し合い、恋をする人の数だけ、その間にある愛の形も存在するのだろう。<br><br>ただ、それは、その当人たちが「それは恋や愛である」と思っている場合だけだ。<br><br><br>愛は自己満足なものであってはならない。<br><br><br>これだけ愛しているんだと胸を張ったところで、それは何の意味も成さないし、それを愛とは呼ばない。<br><br>愛とは相手を思いやること。<br><br>愛とは自分を犠牲にすること。<br><br>愛とは見返りを求めないこと。<br><br>愛とは、意識とは別に存在する、この世で唯一無二の普遍的なもの。<br><br>
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<pubDate>Tue, 29 Sep 2009 20:05:03 +0900</pubDate>
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<title>Rome was not built in a day.</title>
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<![CDATA[ <br>さぁさぁ、学校も始まりまして、皆さんお忙しい時をお過ごしのことと思います。<br><br><br>題名の通り、人間コツコツと積み上げなければ、デカいことはできませんよ。<br><br><br><br>コツコツ、コツコツ。<br><br><br><br>やっていきましょう。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10350954863.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Sep 2009 11:01:34 +0900</pubDate>
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<title>感覚</title>
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<![CDATA[ 男という生き物は、どう生きるべき生物なのでしょうか。<br><br>男に生まれたというのに、私にはそれがわかりません。<br><br>信念がある者。<br><br>信念がない者。<br><br>弱い者。<br><br>強い者。<br><br>何かを背負う者。<br><br>何かに背負われている者。<br><br>男とは、何かを守るために生まれたのでしょうか。<br><br>国家。<br><br>名誉。<br><br>大切な人。<br><br>信念。<br><br>それを守るために死ねるのなら、それが本望だということが男なのでしょうか。<br><br>しかし、それは一方的な思慮であり、守りたいと思われている人間にしてみれば、それは薄っぺらいプライドなのかもしれません。<br><br><br>そんな事など気にしない。それが男だと言うならば、男などその意見にすら耳を傾けようとしない。ちっぽけな生物だと言うことになります。<br><br>誰かを守って死んだら、死んだ本人は満足かもしれません。ですが、死なれた当人は一生それを背負って生きるのです。<br><br>結局、誰かを守るということは、欺瞞にしか過ぎないのでしょうか。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10347868583.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Sep 2009 05:35:10 +0900</pubDate>
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<title>ミハエル・シューマッハ</title>
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<![CDATA[ <br>いやー。<br><br>シューマッハがＦ１ドライバー復帰ですよ。<br><br><br>びっくりですねぇー。<br><br><br><br>まぁ、マッサが怪我したからシューマッハが復帰するんですが、マッサは心配だし、シューマッハ復帰は嬉しいような微妙な心境ですねー。<br><br><br>ヨーロッパＧＰから復帰するらしいので、皆さん興味があれば是非ともご覧下さい。<br><br><br> 
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10312822402.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 23:03:37 +0900</pubDate>
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<title>続き…</title>
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<![CDATA[ <br>先のブログで、日本人は英語を学ぶべきでないと書きましたが、今日はその続きです。 <br><br><br>小学校で英語を学ばせるというのは、短絡的かつ整合性に欠けると言いましたが、そもそも、週に２～３時間英語を学んだところで、効果があると思いますか。<br><br>週の授業の半分を英語に費やせば、少しは効果があるかもわかりませんが、それでは日本人であるのに日本語もロクに話せないような人間が生まれます。<br><br>そんな教育は、英語半分、日本語半分の中途半端な人間を作り、そんな人間は、アメリカでも日本でも役に立ちません。<br><br><br>日本の公立小学校は、立派な日本人を育てるための学校です。<br><br>日本人を育てるための施設に、英語など必要ではないのです。<br><br><br><br><br>日本人はそもそも、英語がど下手です。<br><br>その証拠に、ＴＯＥＦＬのテストで、アジアの中では日本がビリなのです。 <br><br><br>それは、学校の先生のせいでも、政治家のせいでもありません。<br><br>日本語があまりにも英語とかけ離れた言語だからです。<br><br><br>小学校から英語を教えても、使えないんじゃ意味がない。中途半端になるだけで、日本人は英語が下手と来れば、日本人であるからこそ日本語なのです。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10306569275.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2009 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>風が吹けば…</title>
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<![CDATA[ <br>風が吹けば桶屋が儲かる。<br><br>そういうことわざがあります。しかし、現実的に考えれば、風が吹いたことによって桶屋が儲かる確率は、何兆分の１という確率です。<br><br>風が吹く。<br>↓<br>舞った埃で目を患う人が増える。<br>↓<br>目を患った人から三味線弾きが出る。<br>↓<br>三味線の需要が増え、三味線の皮は猫の皮なので、街から猫が居なくなる。<br>↓<br>猫が消えれば、ねずみが増える。<br>↓<br>ねずみは風呂桶をかじる。<br>↓<br>桶屋が儲かる。<br><br><br><br>このことわざにはこういう理論があります。大変に長い論理ですが、間違いではありません。しかし、信頼性は限りなく低いです。<br><br><br><br><br>論理の例として、もうひとつ挙げます。<br><br><br>小学校から英語を教える。<br>↓<br>英語を話せるようになる。<br>↓<br>国際人が増える。<br><br><br><br>こちらは短い論理ですが、前と同じく間違いではありません。しかし、短い論理は深さがないので、本当にそうなのかという疑問が残ります。<br><br>２つの例で理解できる通り、長い論理は、信頼性に欠け、短い論理は合理的ではあっても短絡的で、また、信頼性に欠けるのです。<br><br><br>小学校から英語を学ばせるというのは、臨教審のお偉方が長い時間をかけ、国際化にはどうすれば良いのかという問題を解決するために編み出した物です。<br><br>そういう会議をする人間は、言わば日本を代表する知識人で、頭が良い人だと考えられますが、どうしてそれほど頭が良い人が、そんな短絡的かつ整合性に欠ける結論に至ったのか、不思議ではありませんか。<br><br>そもそも、英語を学ばせることが間違いではないでしょうか。<br><br>英語を話す人は、世界に３億７０００万居ますが、そのうち、アメリカとイギリスで８割を占めています。<br><br>残りの２割、およそ７０００万が、アメリカとイギリス以外で英語を第２言語とする人間です。<br><br><br><br>日本の人口の半分しかアメリカとイギリス以外で英語を第２言語とする人間は居ないのです。<br><br>なぜ、そんなに話す人が少ない英語が世界共通語なのか。<br><br>簡単に言えば、アメリカとイギリス、つまり欧米諸国が強いからです。<br><br>そして、そのほかの国々は「長いものには巻かれろ」主義なのです。<br><br><br><br>日本人なんだから、日本語をもっと勉強した方がいい。<br><br>美しい日本語を話す。美しい日本語を知っている。それこそが真の国際化なのではないでしょうか。<br><br> 
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10306097902.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2009 02:31:23 +0900</pubDate>
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<title>ゆとり教育</title>
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<![CDATA[ <br>私たちはゆとりチルドレンです。<br><br>我々は未来永劫、そうやって世間にバカにされる宿命を持っています。<br><br><br>そうすると我々は、どうしてもゆとり教育というものを事実上制度化した政治家や、臨教審のお偉方を批判しようとします。<br><br>「ゆとり教育なんか作りやがって」<br><br>「お前らのせいで俺たちはゆとりチルドレンだと言われるんだ」<br><br><br>そう思うはずです。<br><br>しかし、それは大きな間違いです。 <br><br>なぜなら、ゆとり教育という制度化されたものを原因として、我々の学力が落ちた訳ではないからです。<br><br>円周率が３．１４であろうと、３であろうとそんなものは関係ありません。ゆとり世代の学力は、ゆとり教育の影響ではなく、下がるべくして下がったものだったのです。<br><br><br>それは何故か。<br><br><br><br>フィンランドという国をご存知でしょう。<br><br>フィンランドも、週休２日制、日本に比べて授業時間も大分少ないですし、ゆとり教育の真髄とも言うべき「総合的な時間」という授業も導入しています。<br><br>しかし、フィンランドの学力は落ちてはいません。ＯＥＣＤの国々でトップの成績を挙げています。もちろん、日本は全てにおいて下回っていますが。<br><br><br>日本と同様の教育システムを持ちながら、ＯＥＣＤでトップの学力を誇るフィンランド。<br><br>これで、日本におけるゆとり教育が、ゆとり世代に与えた学力低下を説明できないことがわかります。<br><br>確かに、<br><br>「日本には合っていない」<br><br>などの意見もあると思いますが、それでは相対的な見方が出来ません。<br><br><br>結局は、その国々の子供のやる気ということです。<br><br>それを、我々ゆとりチルドレンは身を持って知ったということでしょう。<br><br><br> 
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10305395135.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2009 01:34:07 +0900</pubDate>
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<title>大事件</title>
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<![CDATA[ 大事件です。<br><br><br>さっきスーパーで買い物していたら、カゴを保育園くらいの小さい女の子の顔面にぶち当ててしまったのです。<br><br><br>ぶち当てたって言っても、別に私がカゴを振り回して遊んでたとかそんなんじゃありません。<br><br><br>走ってきた女の子が私のカゴにぶつかってきたのです。<br><br><br>なんにしろ、ぶち当ててしまったのは事実。<br><br><br><br>ヤバい泣いちゃう<br><br>と思いましたが、その女の子はこちらを振り返って「ペコリ」と頭を下げ、走っていってしまいました。<br><br><br><br><br>さすがにこのままってのはマズいと思いまして、その女の子の親らしい人に謝ろうと、その女の子のあとをつけ、カートを転がしていたその女の子の親に言いました。<br><br><br><br>俺「あの、さっきこの子にカゴを当てちゃって、大丈夫かなと」<br><br><br>親「あら、そうなんですか、大丈夫よね？ゆきちゃん？」<br><br><br>子「うん！痛くない！」<br><br><br><br>なんといい子だろう。なんといいお母さんだろう。<br><br>人の優しさに触れました。<br><br> 
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10299821442.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Jul 2009 18:31:30 +0900</pubDate>
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<title>スターリングラード</title>
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<![CDATA[ スターリングラードという映画を知っていますか？<br><br><br>スターリングラードにも名言が隠れた名言がありましたよ。<br><br>この名言を理解してもらうには、映画の内容も伝えないといけないのです。<br><br><br><br><br><br><br>時代はソ連、ドイツの戦争。<br><br>ソ連はドイツの侵攻をスターリングラードにて食い止めようとしますが、ドイツの新兵器の前に苦戦が続きます。<br><br><br>ソ連はバシリ・ヅァイツェフという狙撃手の若者を英雄として祭り上げ、士気の向上を図ります。<br><br>ヅァイツェフは奇跡的な腕前で、ドイツ軍の将校を倒し続け、自他ともに認める英雄になります。<br><br>ドイツ軍はヅァイツェフを殺そうと、ケーニッヒ少佐という腕利き狙撃手をスターリングラードに送り込みます。<br><br><br>ケーニッヒはヅァイツェフを、ヅァイツェフはケーニッヒを撃とうとしますが、先にヅァイツェフが戦死したという情報が入ります。<br><br>しかし、ケーニッヒはそれを認めません。<br><br>そこで名言を言い放つのです。<br><br><br><br><br><br>「ヅァイツェフは死んでなんかいない…。俺が殺してないからな」<br><br><br>事実、ヅァイツェフは戦死しておらず、ケーニッヒはヅァイツェフと死闘を演じることになります。<br><br><br><br>スターリングラード。<br><br>興味が湧いた方は、レンタルしてみてはどうでしょうか。 <br><br>
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<link>https://ameblo.jp/clevers/entry-10297428882.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Jul 2009 23:40:30 +0900</pubDate>
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