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<title>トンデモ奮戦記　～オカンとボクと、ときどきマルチ～</title>
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<description>理系大学生が、ニセ科学に踊らされる両親を説得するべく奮闘するブログ（更新停止中。新ブログ：http://ameblo.jp/you-manavee/）</description>
<language>ja</language>
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<title>事実上の更新停止と新ブログのお知らせ</title>
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<![CDATA[ 皆さんお久しぶりです。<br>大分長い間放置してしまったので，もう見てる人も少ないと思いますが。<br>放置してしまってすいません（汗）<br><br>実は，ある教育系サークルでの活動が忙しく，ニセ科学関係のことにはもうほとんど時間を割くことができない状況です。<br><br>そっちの方でやってるブログ（随時更新中）：<br>http://ameblo.jp/you-manavee/<br><br>なので，こっちのブログは事実上更新停止ということになります。<br>良かったら新しいブログの方をよろしくお願いしますm(_)m
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-11486233013.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Mar 2013 21:59:03 +0900</pubDate>
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<title>「できる」人になろう</title>
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<![CDATA[ 今日は色々と失態をやらかした日だった。<br>鞄の中にバナナを入れていたのを忘れて本を詰め込み、中で潰してしまうわ（これで二度目）、演習の発表のとき初歩的なことを忘れて間違うわ、サークルでやったイベントの反省会に出席し忘れるわ。<br><br><strong>……いや、忘れすぎだろ僕。</strong><br><br><br>まあそんなことは僕にとって割と<strong>よくある話</strong>なので置いておくとして、最近とにかく勉強しなきゃまずいと痛感している。<br>うちの学科は、優秀な人が多い。最近になって特にそれを感じる。<br>演習の時間などになると、僕が一つの問題でずっと悩んでいる間に、他の人は次々と問題を解いていく。<br>自分の計算力のなさに愕然とする瞬間である。<br><br>しかし不思議なのは、そのとき習った内容などについて学科の人と喋っていると、案外僕の方が分かっている（と思える）ことが多い（もちろん相手によるが）ということである。<br>そういうことがあると、つい「あれ、僕って割とできる方なんじゃね？」などと思ってしまう。<br>ところが、演習が始まると大概前述のような散々な結果になるのである。<br><br>つまり、僕はどちらかと言えば<b>「分かるけどできない人」</b>なのである。<br>以前、何かの授業のとき教員が、「『分かる』と『できる』には大きな隔たりがある」と言っていた。これは本質的で重要な事実である。<br>これは単純に、どっちが難しいとか、どっちが凄いかとか言える問題ではない。<br>恐らく僕とは逆で、「分かってないけどできる人」もいるはずである。「できる」素養と「分かる」素養は（完全にではないが）別物であり、どちらも大事な素養なのである。<br><br>もちろん、「できる」ことは「分かる」ことに繋がる（逆も真）。<br>授業を受けているとき「算数」（主としてあまり面白くもない式変形などを行う作業をこう呼ぶ。ただし簡単とは限らない）ができなくて止まってしまうと、それだけで授業についていけなくなり、理解が進まなくなる。<br>つまり「分かる」を重視するにしろ、結局ある程度の基礎体力は必須なのである。<br>あと、演習で活躍できないとやはりちょっとカッコ悪い。<br><br>というわけで、これからはなるべく手を動かす習慣をつけることにした。教科書をただ追っているだけでは計算力はつかない。<br><br><br>また、今までの話には関係ないが、同時進行で原子力政策についての勉強も始めることにした。<br>今まで、自分の知識を世の中に還元するために「サイエンスコミュニケーション」（でんじろうさん的なこと）をするサークルで活動してきたが、今の世の中を見ていると、何だか「こんな悠長なことをしていていいのか」という気になってくる。<br><br>今の世は明らかに、何かを考えたり、判断するための基本的な「材料」が不足している気がする。<br>それは単純な「知識」だけじゃなく、考え方の様式や、センスのようなものも含めてだ。<br>そして、その一部を提供する能力と責任が僕にあると考えるのは、決して自惚れではないと僕は信じている。<br><br>というわけで、まずは愚直に、今世の中で関心が集まっている原子力問題から切り込んでみたい。そして僕の方から世の中に何かを問いかけることで、話をさらに一般的な方向へ繋げていけたら理想的である。<br><br>実はすでに、そういったことができそうなコミュニティに僕は所属している。<br>色々と大変ではあるが、何よりも自分が輝くために、できることを精一杯やっていくつもりである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10909340336.html</link>
<pubDate>Tue, 31 May 2011 21:10:48 +0900</pubDate>
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<title>母の日</title>
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<![CDATA[ 皆さん，お久しぶり．<br><br>最近，授業やレポートや実験やサークルに追われて更新する暇がまるでない．<br>驚くべきことに土曜にも授業が入っている．うちの学科は学生を殺す気だとしか考えられない．<br><br><br>しかしそれでも早めに書いておきたいエピソードが一つあるので，こうしてキーを叩いている．<br><br>一週間前，実家の母親に母の日のプレゼントを贈った．メッセージカード付きで．<br>こんなことをしたのは生まれて初めてだ．<br><br>先ほど述べた異常なまでの忙しさのせいで，発送が７日になってしまった．<br>速達にすれば８日に着いただろうが，金をケチって普通郵便にしたせいで到着が９日になった．<br><br>中身の方もかなりケチった．店で売ってる中で一番安い造花を選んだ．<br>プレゼントなのだしもう少し奮発しようとも思ったが，そもそも親の金なのだから，親へのプレゼントに注ぎ込むのも何だか違う気がしたのだ．<br><br>それでも，向こうは本当に喜んでくれたようだ．<br>９日の夜に母から来たメールには，母だけでなく，父や祖母まで自分のことのように喜んでいると書いてあった．<br>あんなお粗末な物でそこまで喜ぶなど，やはりお目出度い親である．<br><br><br>去年の夏ごろだったと思うが，僕の下宿に泊りに来た友達が，リリー・フランキーの言葉を引用したことがあった．<br><br><em>「母の日に電話一本する事すら照れているような奴は、どんなスーツを着ていても かっこよくないと思いますけどね。」</em><br><br>そのときから，次の母の日には遠く離れた実家にいる母に何か贈ろうと決めていた．<br><br>また，４月の初めごろ，大学のキャンパスが変わる関係で下宿を引っ越すことになった．<br>そのときは，両親二人ともこっちへ来て，色々大変な作業を手伝ってくれた（というより僕より働いていた）．<br><br>GWのときも，今度は母親一人でまたやってきて，僕がいつもサボっている掃除や洗濯をしてくれた．<br>大学生にもなって情けない話である．<br><br>もちろん他にも，山ほどお世話になった．その全てを書き出すことなど到底できない．<br><br><br>また，迷惑をかけたことも数えきれない．<br>以前僕が，少し心を病んでいて，家の物を意味もなく壊したり，暴れたりしたことがあった．<br>そんなどうしようもない僕のことも，両親は暖かく包み込んでくれた．<br><br><br>もちろん理解し合えないことや，許せないこともあったけれど，感謝してもし足りない親である．<br>「ありがとう」と言ったり，何かしてあげられる期間は永遠ではないのだ．<br><br>いつかその日がきたとき，僕は「あの言葉を言い忘れた」と後悔しないでいられるだろうか．<br>
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10892928620.html</link>
<pubDate>Sun, 15 May 2011 20:54:49 +0900</pubDate>
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<title>対角線論法を救え！　～後編～</title>
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<![CDATA[ <a href="http://ameblo.jp/clock-necker/entry-10850682237.html">前回</a>の続きである．<br><br>前回は何だかんだで対角線論法の説明だけで終わってしまったから，ここからが本題になる．<br>例の<a href="http://www8.atwiki.jp/contradiction/pages/12.html">「対角線論法撲滅委員会」</a>は，前回紹介した対角線論法を大胆にも「欠陥のある論法」だと批判する．<br><br>その理由は，<b>「同じ論法を使えば，『正の偶数の全体に番号が付けられない』ことが証明されてしまう」</b>というものだ！（注１）<br>もちろん，そんなことがあるはずがない．例えば，<br><br>1番目　 2<br>2番目　 4<br>3番目　 6<br>4番目　 8<br>5番目　10<br>　　・<br>　　・<br>　　・<br><br>のように小さい順で並べていけば，どんな正の偶数にも番号が付けられる．<br>それなのに「番号が付けられない」なんておかしな結論を導いてしまうのだから，その証明法はどこかに欠陥があるのだ，というわけである．<br><br>それでは早速，どうやってそんな頓珍漢なことが証明されるのか見ていこう．<br>まず，前回と同じように，すべての偶数に番号が付けられて，それが全て列挙されたとしよう．<br><br>1番目　 2<br>2番目　 4<br>3番目　 6<br>4番目　 8<br>5番目　10<br>　　・<br>　　・<br>　　・<br><br>もちろん，上に書いたのはあくまで「数え方の一例」である．これから使う論法は，<b>どんな「数え方のルール」に対しても適用できる</b>ものであり，またそうでないと意味がない．<br><br>ここで対角線論法をうまいこと使うために，ちょっと工夫が必要だ．<br>まず，これらの偶数を全部２進法表記に直す．つまり，<br><br>2　⇒　  　10<br>4　⇒　  100<br>6　⇒　  110<br>8　⇒　1000<br>10 ⇒　1010<br>　　・<br>　　・<br>　　・<br><br>とする．そしてここからがちょっとややこしいのだが，この２進法表記を<b>左右反転</b>させて，<b>頭のゼロの後に小数点を打って小数をつくる．</b><br>一個ずついこう．まず左右反転させると，<br><br>2　⇒　　  10　　⇒　 　 01<br>4　⇒　 100　　⇒  　 001<br>6　⇒　 110　　⇒　　 011<br>8　⇒　1000　　⇒　0001<br>10 ⇒　1010　　⇒　0101<br>　　・<br>　　・<br>　　・<br><br>（どうもスペースがうまく入らなくて，見づらいかもしれないがお許し願いたい）<br>これらは元々偶数だったから，こうすると先頭の数字は必ずゼロになることに注意しよう．<br>次に，こいつらの先頭のゼロの次に小数点を入れ，無限小数にする（後ろにずっと0を続ければ，形式上は無限小数）．<br><br>2　⇒　　  10　　⇒　 　 01　　⇒　　0.10000…<br>4　⇒　 100　　⇒  　 001　　⇒　　0.01000…<br>6　⇒　 110　　⇒　　 011　　⇒　　0.11000…<br>8　⇒　1000　　⇒　0001　　⇒　　0.00100…<br>10 ⇒　1010　　⇒　0101　　⇒　　0.10100…<br>　　・<br>　　・<br>　　・<br><br>こうして無限小数に「変換」された偶数たち（注２）を，再び並べてみよう．そして前回の議論と同じように，「対角線」の数字に注目する．<br><br>1番目　 0.10000…<br>2番目　 0.[0]1000…<br>3番目　 0.1[1]000…<br>4番目　 0.00[1]00…<br>5番目　 0.101[0]0…<br>　　・<br>　　・<br>　　・<br><br>ただし今回は，１行目は無視して２行２列目から始める（注３）．こうして[]で囲んだ部分を抜き出して小数を作ると，<br><br>0.0110…<br><br>となる．さらにこの小数点以下の桁で，<br><br>0⇒1<br>1⇒0<br><br>のように0と1を逆転させれば，<br><br>0.1001…<br><br>という小数のできあがりである．これは明らかに１番目の0.1000…とは違うし，二番目以降はどれも<b>どこかの桁が異なる</b>ように作ってあるから，リストの中には存在しない小数だ．<br>しかも先頭の数字が0だから，先ほどの「変換」と逆の過程をたどれば必ず<b>何かしらの偶数に対応している</b>はずである．<br><br>こうして，「全ての正の偶数」を列挙したリストを作ったはずが，そこから<b>リスト外の偶数</b>を作り出すことができてしまった．<br>よって，全ての正の偶数を番号付けすることは原理的に不可能である．証明終了.<br><br><br>……そんなバカな！　しかし，これも確かに歴とした対角線論法のように見える．<br>ということはやはり，対角線論法という論法そのものに何かしらの穴があったのだろうか？<br><br>僕もかなり悩んだ．僕は数学の専門家ではないから，僕の出した結論がどれほど信用の足るものか，またそれを導く論理がどれほど妥当かは怪しいと思う．<br>しかし，それでもあえて僕の答えを言うと「NO」，すなわち「やはり対角線論法そのものに穴はなく，<b>穴があるのは上で示した使い方</b>である」だ．<br><br>僕が思うに，これは以前僕が<a href="http://ameblo.jp/clock-necker/entry-10850675910.html">『「0.999…=1」論　～実数とは何か～』</a>で書いた，「『9が無限に続く数』なんて存在しない」ということに関係しているのだ．<br><br>0.999…という書き方は，「9をずっと続けた数」という意味ではなく，「9を続ければ続けるほど近づいていく数」という意味である．<br>それなのに「9をずっと続けた数」なんてものが<b>存在する</b>と思っている人は，「0.999…=1」という等式を見て困惑する．<br><br>今回のパラドックスも同じで，「0.1001…とずっと続けた数（に対応する偶数）」が<b>存在すると思ってしまうことを突いた心理トリック</b>に，我々はまんまと騙されているのではないだろうか．<br><br>確かに，そんな小数で<b>表される実数</b>は存在するだろう．<br>しかし，よく思い出して頂きたい．先ほど我々が偶数を「変換」して対応させたものは何だっただろうか？<br>我々は偶数をある規則に従って小数に変換したが，<b>その小数が表す実数</b>にまで関連付けた覚えはない．<br>我々が偶数と結びつけたのは，あくまで<b>小数としての表現そのもの</b>であって，「それが表す実数」ではなかったのだ．<br><br><br>話がちょっと複雑になってきたので，ここではっきり結論を述べよう．<br>何が言いたいかと言えば，先ほど対角線論法で作った新しい小数0.1001…に<b>対応する偶数など存在しない</b>ということだ．<br><br>真面目に，0.1001…を元の偶数に戻す方法を考えてみて欲しい．<br>先ほどやった「変換」を逆戻りして，「逆変換」を行うのである．これは次のようにすればいい．<br><br>①小数点を取る　⇒　01001…<br>②左右反転する　⇒　…10010<br>③十進法に直す　⇒　？？？<br><br>よくよく考えてみれば分かるはずだ．③の過程は<b>絶対に無理</b>だと．<br>当然，②における…の部分は左側に無限に続いており，何らかの規則に従って0が出たり1が出たりする．<br>だが，それじゃあ困るのである．…は桁が大きくなる方へ伸びているのだから，そのずっと先が0か1かで対応する偶数が大きく変わってしまう．<br>それなのに…が永遠に続かれたら，対応する偶数など決まりようがないのである．<br>[…のずーっと先の方で000…となればよいのだが，生憎どんな番号付けの仕方をしても絶対にそうはならないことが証明できてしまう.]<br><br>これが，上で使った「偶数版対角線論法」の穴である．<br>どれだけ向こうが「リストにない小数が見つかったぞ！」と叫ぼうが，「じゃあ，その番号付けされてない偶数って何よ？　言ってごらん？　ほらほら」と問い質したら，絶対に答えられない．<br><br>前回やった本式の対角線論法の場合は，「二進法に直して，左右反転して……」などとややこしいことをやっていないから，番号付けの対象である実数は，リストの<b>小数表現と直接結びついている．</b><br>だから，ちゃんと決まった規則に従って生成されている限り，新しく作った小数は必ず区間(0,1)の実数にちゃんと対応する．<br><br><br>このように，「無限に続く小数」に意味があるのは，<b>それが表す実数が存在する</b>からだということを忘れてはならない．<br>先ほどのように，偶数なんかと「形式的に対応する小数」を考えたときには，それが「無限に続く」ということにどんな意味があるのかきちんと見極める必要があるのだ．<br><br><br>（注１）他にもいくつか「戦線」があるらしいが，僕は読んでいない（＾＾；）　とにかく，ここで紹介するのがメイン．<br>（注２）一応，これらの小数は「十進法のつもり」と元サイトに書いてあったので，小数が111...で終わっても問題ない．<br>（注３）後から作った「新しい小数」が，１番目と異なることはすぐに確かめられる．もちろん色んなルールの中にはすぐに確かめられないものもあるだろうが，そういうときは都合のいいようにちょっと「ルール変更」して，2（⇔0.1000…）を１番目に持ってきたりしても本質は変わらない．
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10867713697.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Apr 2011 21:33:46 +0900</pubDate>
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<title>勉強会</title>
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<![CDATA[ 今、色々と忙しくて更新が滞っている。<br><br>書きたいことは大量にある。対角線論法の話の続きも書かねばならないし、この間IPSのセミナーに行ってきた（今回はちゃんと録音までした！）のでそのレポートも書きたいところだ。<br>しかし、今はとりあえず目の前にあることに集中したい。<br><br>学科の人達の中で仲間を集めて、勉強会をやっている。「統計力学」という物理学の分野の勉強で、主に僕が講師をやっているのだが、それがまた講義ノートを作るのに異常な時間がかかる。<br><br>しかし、教えている相手から「おお、なるほど！」とか「分かりやすい！」と言われたときの喜びは格別である。<br>また、人に教えるとなると理解したことをしっかりまとめなければならないから、その過程で理解が深まる。<br><br><br>改めて、人に教えるって素晴らしいことだなあ、と思う。<br>いつかは大勢の学生の前に立って、どんな高度な内容も（その哲学的な面白さや思想も含めて）分かりやすく伝えられる人になりたい。
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10866735800.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Apr 2011 23:40:14 +0900</pubDate>
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<title>対角線論法を救え！　～前篇～</title>
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<![CDATA[ <a href="">前回の記事</a>の話題に関連して，最近僕が見つけた面白いサイトを紹介したいと思う．<br><br>対角線論法撲滅計画<br><a href="http://www8.atwiki.jp/contradiction/pages/12.html">http://www8.atwiki.jp/contradiction/pages/12.html</a><br><br>このサイトでは何と，数学の有名な証明の一つである<b>「カントールの対角線論法」は間違っていた</b>というスゴイことが主張されている．<br>（どうでもいいが，「撲滅」とはまた物騒な話である）<br><br>まず，「対角線論法とは何ぞや？」という読者もいると思うのでそれを説明しよう．<br>もちろんできる限り分かりやすく説明するつもりだが，この話は少しばかり高度なので数学が苦手な方にはちょっとヘビーかもしれない．<br><br>そもそも「対角線論法」なるものが何をするために発明されたかと言うと，簡単に言えば「実数の方が自然数よりはるかにいっぱいある」ことを証明するためである（注１）．<br>「そんなのどっちも無限にあるんだから比べられないじゃないか！」というもっともな反論が予想されるが，ここで言う「はるかにいっぱいある」というのは，次のような意味である．<br><br>「実数は，自然数で番号付けできない」<br><br>つまり，ある一定のルールに従って「0.376は15247番目の実数で，0.819は3386124番目の実数で……」という感じに全ての実数に番号を振ることは<b>原理的に</b>できないということだ．<br><br>「そりゃそうだろう．だから何だ？」と思われるかもしれない．だが次の事実を知るとこれが全く「当たり前」でなくなるだろう．<br>実は，「整数の全体」や「有理数の全体」は番号付けが可能（「可番付」という）なのである！<br><br>整数はまだしも，有理数が？　と思うだろう．<br>整数の場合は，<br><br>　 0 ⇒ 1<br>　 1 ⇒ 2<br>　-1 ⇒ 3<br>　 2 ⇒ 4<br>　-2 ⇒ 5<br>　　　・<br>　　　・<br>　　　・<br><br>のように，正の数と負の数を交互に番号付けすれば全ての整数に番号を付けられる．<br><br>有理数はと言うと，少し工夫が必要だ．分子と分母の組み合わせでやっていくのはすぐに思いつくが，例えば「分母を固定して分子をずっと動かして……」みたいにやろうとすると，分子が向こうまで行って永遠に帰って来られなくなってしまう（「鉄砲玉」というやつである）．<br><br>こういう「二つの数の組み合わせ」を数えるときは，以下のようにやるのが賢い方法だ．<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/01/clock-necker/1f/54/p/o0329024311148551442.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/01/clock-necker/1f/54/p/t02200162_0329024311148551442.png" alt="$トンデモ奮戦記　～オカンとボクと、ときどきマルチ～" border="0"></a><br>↑この矢印に沿って番号を振っていく．ただし，約分できるものは飛ばす．<br><br>こうすれば，全ての有理数に<b>有限の</b>ナンバーが与えられる．<br>例え「8290032番目の有理数は？」と聞かれようと，「36171/382028925は何番目？」と聞かれようと，この矢印を辿っていけば原理的には必ず答えることができるのだ．<br><br><br>ところが，実数となるとそうはいかない，というのが今回の話である．<br>我々は実に「0より大きく1より小さい（以下『区間(0,1)』と書く）実数の集まり」ですら，その全てに番号を振ることができない．<br>それを証明する手法が，今回のテーマである「対角線論法」だ．<br><br>まず，実数というのは必ず無限小数で表すことができる（有限小数のときも，後にずっと０を続ければ形式上無限小数である）．<br>しかも区間(0,1)に限ってしまえば全て，<br><br>0.****…<br><br>というふうに，頭がゼロで，その次の小数点以下に任意の数字が並ぶという形になる．<br><br>そこで仮に，区間(0,1)の全ての実数に番号を振ることができる画期的なルールが発明されたとすると，それに従って<br><br>　１番目　0.42803…<br>　２番目　0.75309…<br>　３番目　0.85023…<br>　４番目　0.29847…<br>　５番目　0.87230…<br>　　　　　・<br>　　　　　・<br>　　　　　・<br><br>のように小数展開したものを順番に並べることができる（注２）．<br>全てに番号を振ったのだから，区間(0,1)のどんな実数もこのリストの中になくてはならない．<br>それなのに，よく考えると必ず「<b>リストの中にない</b>（区間(0,1)の）実数」が見つかるというのが，対角線論法のポイントである．<br><br>以下で，[ ]が付いている数字に注目して欲しい．<br><br>　１番目　0.[4]2803…<br>　２番目　0.7[5]309…<br>　３番目　0.85[0]23…<br>　４番目　0.298[4]7…<br>　５番目　0.8723[0]…<br>　　　　　・<br>　　　　　・<br>　　　　　・<br><br>この部分を取り出してみる．<br><br>0.45040…<br><br>そして，その各桁を「今以外の数字」に変える．例えば，<br><br>　0～4 ⇒ 5<br>　5～9 ⇒ 1<br><br>のように各桁の数字を変換すると，<br><br>0.51555…<br><br>という小数ができあがる．これも当然「区間(0,1)の実数」だが，上のリストの中にあるだろうか？<br><b>あるはずがない．</b>何故ならこれは，リストの中のどれと比べても必ず<b>どこかの桁が違う</b>ように作った小数だからである．<br><br>リストの１番目と比べると小数点以下１桁目が違う，２番目だと２桁目が……というふうに，上の図の四角で囲まれた数字が必ず違うようになっているのだ．<br>このように，対角線の部分を取り出して新しい，絶対にリストにない小数を作り出すから「対角線論法」というのであろう．<br><br>かくして，（区間(0,1)の）全ての実数に番号付けをする試みは必ず失敗に終わることが示された．<br>番号付けのためにどんなルールを採用しようとも，必ず「<b>永遠に番号付けがされない</b>実数」が見つかってしまうのだ．<br><br><br>今回は対角線論法の説明だけで終わってしまった．<br>次回はいよいよ，最初に示したサイトが指摘する「対角線論法の不備」の紹介と，それに対する僕の反論を述べる．<br>お楽しみに！<br><br><br>（注１）その後色んなところに応用されているそうだが，筆者は数学が専門ではないのでよく知らない．<br>（注２）カントールのオリジナルでは二進小数らしいが，やってることは同じなので分かり易さを優先して十進法でやる．また，999...で終わる表示法は禁止とする（こうすると，実数の小数による表し方は一通りに決まる）.<br>（注３）2013/03/08追記：このとき，000...や999...で終わる可能性がないようにしなければならない. ちょっと前までこの部分を0→1, 1→2,..., 9→0 とする「一個ずらし式」で書いていたが，それだと000...→999...となってしまうのでまずい！
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10850682237.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Apr 2011 00:21:01 +0900</pubDate>
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<title>「0.999…=1」論　～実数とは何か～</title>
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<![CDATA[ こういう話を聞いたことがないだろうか．<br>1を3で割り算して小数で表すと，0.333…となる．<br>一方，1を3で割ったものとは分数で表すと1/3のことである．すなわち，<br>  1/3=0.333…<br>この両辺に3を掛けると，次の式を得る．<br>  1=0.999…<br><br>誰もが聞いて，何だか腑に落ちない感じを受けると思う．0.999…っていくら9を続けたところで，1になるわけないやないかと．<br>しかしこの「モヤっと感」は，実は無限に続く小数（無限小数という）を表すとき使う記号「…」の本当の意味を理解していないことから来ている．<br>それをちゃんと理解すれば，上の式「1=0.999…」は腑に落ちないどころか「当たり前の式」にしか見えなくなる．<br><br>そもそも，「0.999…っていくら9を続けても1にならないからおかしい」という論理で言えば，「1を3で割ったものは0.333…である」という主張に対しても全く同じ反論ができることに気づくべきである．<br>小学校で習ったように商と余りを使って書けば，<br><br>1/3<br>=0.3   余り0.1<br>=0.33  余り0.01<br>=0.333 余り0.001<br>=…<br><br>となる．つまりどこまで割っていっても，0.00…01という僅かな余りが生じてしまうわけで，結局0.333…といくら3を続けても絶対1/3にはならないのである．<br>（にも関わらず，我々は「小学校でそう習ったから」という理由で思考停止し，このような不条理を見逃してしまう．）<br><br>というか，そもそも0.333…というふうに「ずっと3を続ける数」とは一体何だろうか．そんな数が<b>存在するのだろうか．</b><br>実はこれは「実数とは何か」という問題にも繋がってくる，ある意味では深遠な話である（と言っても，今の例ではただの有理数だが）．<br><br>数直線上でその位置を特定しようにも，「とにかくずっと3を続けろ！」なんて言われてはどうしようもない．<br>3がどこかで途切れていれば，「1を10等分したもの3つと，それをさらに10等分したもの3つと，そのまた…」という風にやれば何とかなるが，それを<b>無限にやる</b>なんてできるわけがない．<br>結論を言えば，そもそも文字通り「3をずっと続ける」とか「9をずっと続ける」なんて数は<b>存在しない</b>のである．<br><br>では，小学校で「1÷3=0.333…」と習ったのは，あれは何だったのだろうか．まさか嘘を教えられたわけではあるまい．<br>実は，この「…」という記号には，単に「ずっと続ける」というのとは違う，もっと合理的な意味があるのだ．<br><br>それは，「続ければ続けるほど，いくらでも近づいていく（その先の数）」という意味である．<br><br>先ほどの1÷3の例をもう一度見てみて欲しい．先ほど書いたように，この割り算はどこまで割っても余りは0にならないが，しかし確実に小さくなっているのが分かるだろう．<br>実際，0.333…の末尾に3を一個付け足すたびに，余りは1/10になっていく．<br>つまり，1÷3の<b>真の答え</b>である1/3と，「（0.333…と）3をn回続けた数」との<b>差</b>が（nが1増える毎に）1/10になっていくのである．<br><br>くどいようだが，0.333…と3をいくら並べたところで絶対に1/3にはならない．しかし，3を続ければ続けるほど，1/3に<b>いくらでも近づいていける</b>のである．<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110404/00/clock-necker/32/7a/p/o0276006811144133840.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110404/00/clock-necker/32/7a/p/t02200054_0276006811144133840.png" alt="トンデモ奮戦記　～オカンとボクと、ときどきマルチ～-0333" border="0"></a><br><br><br>これは文字通り「いくらでも」だ．<br>先ほど書いたように，「差が1/10になり続ける」という近づき方だから，それがいつか目的の数である1/3に一致したり，追い越したりすることはない．<br>しかしだからと言って，どこかで近づくのが<b>ストップしてしまうこともない．</b><br>近づくステップの大きさは次第に小さくなっていくが，それでも確実に，<b>いくらでも</b>近づいていくのである．<br>たとえその差を「百万分の１にしろ」と言われようと「1千億分の1にしろ」と言われようと，我々は<b>有限個の</b>3を並べることでその注文に応えることができる．<br><br>そう，これこそが記号「…」の真の意味なのだ．<br>最初に取り上げた0.999…にしろ，これは「9がずっと続くような数」という意味ではなく，「9を続ければ続けるほど<b>ある数X</b>に近づいていきますから，そのXのことを表してますよ」という意味である．<br><br>ここまで来ると，もはや冒頭の式<br>  0.999…=1<br>は不思議な式でも何でもないだろう．「9を続けるほど近づいていく数Xって何だろう？」と少し考えれば，それが1であることは明白である．<br><br>分かりづらい人は，<br>  1 - 0.99…9 （←n回続けた）<br>という引き算の結果が，nを増やしていくとどうなるか考えてみればいい．<br><br><br>（補足）<br>さて，今の話では循環小数（0.333…とか1.0101…とか，同じパターンを繰り返す小数）しか扱わなかったが，それ以外はどうだろう？<br>例えば√2という数は，<br>  1.4141356…<br>と循環しない小数で表されるが，この場合の「…」も先ほどと同じ意味なのだろうか？　答えはイエスである．<br><br>しかしこの場合「…の後何を続けたらいいか分からないじゃないか」と思うかもしれないが，そこに並ぶ数字たちだって何かある決まったルールに従って並べられているはずである．<br>（ただし，循環小数のときと違ってその数字の並びをいくらじっと眺めても「決まったルール」は見えてこないが．）<br><br>例えば√2の場合，「この4の次に1が来ても，まだ大丈夫（2乗して2を超えない）．しかしそこに1ではなく2を入れてしまうと，2乗したとき2を超えてしまうから駄目だ．ということは少なくともこの4の次は1で確定だな」といった具合だ．<br><br>こうしてある決まったルールに従って数を並べていくと，その小数が「いくらでも近づいていくある数X」というのが必ず<b>たった一つだけ</b>存在する．<br>その理由を説明するのは難しいが，とりあえずは実数の公理の一つのようなものだと思って欲しい。<br><br>[厳密な説明：そもそも実数とは，「有理数の（コーシー）列（の極限値）の集合」として構成されるものだからである。]<br><br>我々人間は，世の中の色々な量を数で表そうとしているうちに，有限小数で表せない量や，分数で表せない量があることに気が付いた．<br>だから，あらゆる量を表すのに十分な「受け皿」として「有限小数と無限小数で表される数の集まり」を実数と呼んで使ってきたのである．<br><br><br>※記述の中に何かおかしな点がありましたらご指摘ください．<br><br><br>★次回予告「対角線論法を救え」お楽しみに！<br>
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10850675910.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Apr 2011 23:09:39 +0900</pubDate>
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<title>万事休す</title>
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<![CDATA[ 福島第一原発で、放水によって使用済み燃料棒が冷えても、放射性崩壊が止まるわけじゃないのに放射線量が減るのはどういうこと？　という質問がネット上で多く飛び交っている。<br><br>僕は情けないがその辺の話に詳しくないので、温度や圧力によって崩壊の速度が変わるのか、変わったとして意味のあるオーダーなのかといったことが全く分からない。<br>しかし大体色々なところを見る限り、放射線量が減っているのは冷えたからではなく、放射線を吸収してくれる水が増えたからというのが正解らしい。<br><br><br><br>それにしても、近くのスーパーであそこまで絶望を味わうことになるとは思わなかった。<br><br>①コーヒーが飲みたいが、水が切れている。買いに行こう<br>　⇒水がない！<br><br>②納豆（注：僕の生命線の一つ）が切れた。買いに行こう<br>　⇒納豆もない！<br><br>③主食であるパックご飯（注：僕の部屋に炊飯器などというものはない）が切れた。買いに行こう<br>　⇒パックご飯もない！　赤飯とかは残ってるけど……う～ん……<br><br>④仕方ない、卵でチーズオムレツ（注：僕が唯一作れる料理）でも作って食いつなぐか<br>　⇒卵もない！<br><br>⑤仕方ない、カップ麺でも食うか<br>　⇒作ろうにも水がない！<br><br>⑥実家から持ってきたインスタント味噌汁……<br>　⇒だから水！<br><br>ひょっとして、僕は今<b>生存の危機</b>に立たされているのではないだろうか。<br>まあ、被災地の人たちはもっと過酷な環境にいるのだということを考えればこれぐらいは……<br><br>しかし、流石にもう<b>餅だけの昼飯はイヤ</b>だ。<br>明日はまた牛丼でも食いにいくか……。<br><br><br>まあ、水道水でコーヒー沸かしたって別に問題ないだろうけど。<br>乳児が長期間に渡って使用したらヤバイって話で、成人男性が飲んだって問題ないそうだから。<br>にしても、東京の水道水はカルキ臭いので僕は普段から市販の水でコーヒーを飲んでいる。<br><br>とはいえ、乳児のいる家庭にとっては重大な問題なのだから、ここは僕もおいしいコーヒーは諦めるべきだろう。<br>スーパーでこぞって買い溜めしているのは、果たして皆乳児のいる家庭の人たちなのだろうか？<br>にしては減りが激しすぎやしないだろうか。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10839365965.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Mar 2011 21:55:36 +0900</pubDate>
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<title>福島第一原発についてまとめてみた part2</title>
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<![CDATA[ 今回原発を襲った地震のマグニチュードは、原発設計時に想定されていたものより0.7も大きかったそうだ。<br>マグニチュードは地震のエネルギーの尺度であるが、エネルギーの大きさに<b>比例はしない。</b><br>マグニチュードの数値が1大きくなると、エネルギーは10の1.5乗（≒31.6）倍になる。<br>（詳しくは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89">wikipedia</a>参照）<br>マグニチュードが0.7大きいということは、エネルギーとしては大体11.2倍である。想定の10倍以上のエネルギーの地震が襲ったことになる。<br><br>また、その後襲った津波にやられて、予備の冷却水用ポンプがダウンしてしまった。しかし、津波が来ることぐらいは予想できたはずである。<br>僕は技術的なことはよく知らないので、そのような配置にしたのには何が理由があったのかもしれないが、もし予備のポンプを高い場所に置いていたならこんなことにはならなかっただろう。<br><br><br>以下、各原子炉ごとの簡単なまとめ。<br><br><u>1号機、３号機</u><br>・水素爆発で建屋損傷。格納容器は無事だから、炉心溶融しても放射能漏れはない。<br>・ヨウ素、セシウムの放射性同位体が混じった水蒸気が爆発で放出され、一時的に放射線レベルが上昇したが、すぐに拡散して下がった。<br>・３号機の使用済み燃料プールで水蒸気と見られる白い煙が発生。それだけでは何とも言えないが、<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000529-san-soci">18日の報道</a>で「水蒸気量減っている」とある。もし使用済み燃料棒がプールから露出したらヤバイ（理由は前回の記事参照のこと）。<br><br><u>２号機</u><br>・燃料棒が２度露出。炉心溶融の可能性あり。<br>・格納容器の一部であるサプレッションプール（圧力抑制プール）で原因不明の爆発？　損傷<br>　⇒もし炉心溶融してたら、放射能漏れの危険（前回も書いたが、格納容器は放射能漏れを防ぐ最後の砦）<br>・爆発の原因は不明だが、もし水素爆発だとしたら燃料棒のジルコニウムが腐食、放射性物質が漏れている可能性がある。<br><br><u>４号機</u><br>・１５日、使用済み燃料プールで水素爆発（？）、建屋損傷<br>・水素爆発だとすれば、燃料棒のジルコニウムが腐食している？　としたら放射性物質漏れている可能性がある。<br>・しかし１６日、プールに水があり、燃料棒が全て浸かっているのが目視で確認された。だとすれば水素爆発はおかしい（？）<br><br><br>不正確と思われる記述があればご指摘願います。
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10835186757.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Mar 2011 16:20:40 +0900</pubDate>
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<title>福島第一原発についてまとめてみた part1</title>
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<![CDATA[ 昨日地元に帰ってきた。しかしたったの５日間なので避難にも何にもならないという。<br>とりあえず、今度は父と一緒に念入りに母を説得しておいた。<br>それについての報告はまたそのうちということで。<br><br><br>実家に帰ったら、父が原発の話ばかりする。<br>僕は東京にいるときあまり原発のことを調べなかったのだが、父があまりにうるさいので自分でも調べてみることにした。<br>せっかくなので、そうして得た情報をここで自分なりにまとめてみる。<br>なお、情報収集には以下のサイトが非常に役に立った（ただし情報が古いかもしれないので注意）。<br><a href="http://d.hatena.ne.jp/arc_at_dmz/">http://d.hatena.ne.jp/arc_at_dmz/</a><br><br><u>「炉心溶融」とは？</u><br>まず「炉心」とは主に、「燃料棒」の集合体を指す。その「燃料棒」というのは、燃料であるウランを「ジルコニウム」という金属でできた管に詰め込んだものである。<br>（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E6%96%99%E6%A3%92">wikipedia</a>参照）<br>「炉心溶融」で辞書を引くと「燃料棒が溶けること」と書いてあるが、これはちゃんと言えば「ジルコニウム」が高温で溶けることである（注１）。<br><br>これが起こると、燃料棒に閉じ込められていた放射性物質が外に流れ出る。ただしここで「外」というのは、もちろん環境のことではない。<br>炉心そのものは「圧力容器」という、名前の通り圧力釜みたいなものに覆われている。<br>さらにその外側は、放射線を一切外に出さないための「格納容器」（これ重要）に覆われており、さらにそれをコンクリートの「建屋」が囲んでいる。<br>（原発の構造は<a href="http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/arc_at_dmz/20110317/20110317001522_original.jpg">こちら</a>）<br><br>つまり外側の<b>「格納容器」が破損しない限り、放射能が外に漏れることはない。</b><br>（と言っても１号機や３号機ではそれ以外の要因で漏れたのだが、それは後で述べる）<br><br>今回、冷却水のポンプにトラブルがあって燃料棒が露出する事故が相次いでいるが、燃料棒は冷やさずに放っておくとどんどん高温になっていくので、そのようなリスクが生じるのである。<br>なぜ勝手に高温になるのかと言うと、ウランの核分裂は止められていても、核分裂で生じた「核分裂生成物」が勝手に崩壊（原子核の陽子や中性子が、分裂したり別のものに変わったりして放射線を出す現象）して熱を出すからである。<br><br><br><u>水素爆発について</u><br>１号機と３号機の建屋、および４号機の燃料プール（注２）で、水素爆発が起こったと推測されている。<br><br>水素が危険な気体であることは、大体の人が知っているだろう。酸素と混合させて火をつけると爆発を起こす、恐ろしい気体である。<br>問題は水素が発生した原因の方だが、これも燃料棒の露出が関係している。燃料棒の露出した部分を取り巻くのは、ほとんどが水蒸気であると言っていいだろう。<br>燃料棒の温度が1200℃ぐらいまで上昇すると、被覆のジルコニウムと水蒸気が化学反応を起こす。水はH2O、すなわち水素と酸素からできているが、その酸素がジルコニウムの方とくっついてしまい、水素だけが取り残されるのである（ここで、ジルコニウムが酸化して腐食することもにも注目）。<br><br>こうして炉心を取り囲む圧力容器内に水素が発生するのだが、この時点では多量の水蒸気と混ざっているから、爆発する心配はない。<br>１号機と３号機の場合は、これが建屋内に放出された。何故かというと、圧力容器内で水が蒸発して圧力が高まり、容器破損の恐れがあったため放出せざるを得なかったのである。<br>建屋の上部に放出された水素と水蒸気の混合気体だが、そこでは圧力容器内より温度が低いため、水蒸気が凝結して水に変わる。<br>そして取り残された水素は、そこで空気と混合する。そして何らかの原因で火が付き、建屋の壁を吹っ飛ばすほどの爆発が起こったのである。<br><br>このとき一時的に大気中の放射線レベルが急上昇したが、これは水蒸気に放射性物質が含まれていたせいである。<br>さっきの水素が発生するところまで遡ってほしいのだが、ジルコニウムが水蒸気と化学反応を起こすと、酸化してしまうのである。そしてそのとき、燃料棒内の放射性物質（主にセシウムとヨウ素）が水蒸気の中に漏れ出すのだ。<br>それらの放射性物質が水蒸気と共に建屋内に放出され、爆発で周囲に飛び散ったわけである。<br>ただし、それらの放射性物質はコンスタントに出続けるわけではないから、すぐに拡散して大気中の放射線レベルは下がった。<br><br>また４号機では、燃料プールで水素爆発が起こったと言われている。<br>それが本当だとすれば、原理は１号機や３号機とほとんど同じであろう。<br>使用済み核燃料とは言え、中の「核分裂生成物」は先ほど炉心溶融のとき説明したように「崩壊」して熱を放出し続ける。<br>もしそのときプールの水位が下がって使用済みの燃料棒が露出すると、高温になった表面のジルコニウムが水蒸気と反応して水素が発生する。<br><br>しかし、１６日の報道では燃料プールに大量の水があることが目視で確認されたということだ。<br>「プールに水ない」と発言していた米国NRCのヤツコ委員長も、後に発言を修正している。<br><a href="http://www.asahi.com/international/update/0318/TKY201103180139.html">http://www.asahi.com/international/update/0318/TKY201103180139.html</a><br><br>これがどうもよく分からない。燃料棒が全部浸かるくらいプールに水が溜まっていたのなら、水素は発生しないと思うのだが……。<br>まあ、「水素爆発」というのも枝野官房長官が推測で言ったことだから確実とは言えない。<br>しかし「プールに水あった」報道の後そのことに触れる記事が全く出ていないというのはどういうことだろう？<br><br>誰か詳しい人、教えてくださいm(_)m<br>あと、何か不適切な記述が見つかった場合はご指摘ください。<br><br><br>（注１）ただし、巷で心配されているのは文字通り「溶ける」だけじゃなく、熱や圧力で破損したり、酸化してボロボロになることも含まれると思われる。<br>（注２）後述のように、僕はこれにちょっと疑問を抱いている。
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<link>https://ameblo.jp/clock-necker/entry-10834737964.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Mar 2011 23:58:00 +0900</pubDate>
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