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<title>いま、ここにいるということ。〜言葉を変えれば世界は変わる〜</title>
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<description>目の前の世界は言葉でできています。では、その言葉の使い方を考えてみましょう。あなたの世界は思い通りになります。</description>
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<title>すべては関係性の中</title>
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<![CDATA[ 誰かのために、というのは立派なことだろうか。<br><br>確かに「利他のこころ」というのは大切なことだ。<br><br>しかし、誰かの言うがまま、というのとは違う。<br><br>あなたのために、あなたの言う通りに行動しますよ、というのは自分の意思とはどんどん乖離していくということになる。<br><br>つまり、自分の人生をいきていることにはならないのだ。<br><br>相手が喜んでくれるには、どんなことをしたらいいんだろう？<br><br>それに従って行動する。<br><br>それはまさに自分の意思に従っていること。<br><br>つまり、自分がそうしたいから、相手を喜ばせたいから、そうするのだ。<br><br>これは見方を帰ると利己的とも取れるのではないだろうか？<br><br>自分がそうしたいからそうする。<br><br>結果として相手も喜ぶがあくまで自分がそうしたいから、よろこばせたいから。<br><br>つまり、あのマザーテレサも自分がそうしたいからそうしたという究極の利己主義ともとれるのだ。<br><br>そして、それは尊いことではないだろうか。<br><br>結局自分の目的と世界との関係性の話なのだ。<br><br>関係性がうまくマッチすれば、偉人となり、マッチしなかったら、悪人となる。<br><br>すべては世界の構造の中での関係性が意味を決定する。<br>
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<pubDate>Wed, 11 Nov 2015 02:17:21 +0900</pubDate>
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<title>人生楽ありゃ苦もあるさ</title>
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<![CDATA[ 幸せってなんでしょう。<br><br>幸せ以外と比べた時にそうじゃない方だと認識するものです。<br><br>何が言いたいかというと、不幸せな経験がないと幸せってわからないということ。<br><br>「楽しい」と感じるのは「苦しい」があるから。<br><br>仕事で頑張って成果を出した。苦しんで頑張ったから嬉しいわけで。<br><br>こんな話がある。<br><br>ある極悪人が犯罪の限りを尽くして、ついに死を迎える。<br><br>その極悪人は死後、気がつくとベットにいる。<br><br>周りには執事のような人がいて、美味しい食事を運んでくるし、映画や音楽のDVDやCDだって用意してくれる。<br><br>毎日寝ては食べて、楽しんで、を繰り返していた。<br><br>ある時その極悪人はあまりの刺激のない毎日に飽きて外に出たくなる。<br><br>執事はそれだけは許してくれないのだ。その極悪人は言う。<br><br>「毎日退屈で飽き飽きだ。こんな暮らしがずっと続くなんてまるで地獄じゃないか！」<br><br>執事は驚いて、こう言った。<br><br>「驚いた。ここをどこだと思っているんですか？」<br>
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<link>https://ameblo.jp/collon2015/entry-12094215640.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Nov 2015 02:09:04 +0900</pubDate>
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<title>いま、ここ、に生きること</title>
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<![CDATA[ 僕たちはいま、に生きている。と言ってるそばから過去になっていくんだけど。<br><br>過去はすでに起きたこと。<br><br>その意味はいま決めることができる。<br><br>次の瞬間にはその意味は変わっているかもしれない。<br><br>成功者の話で、大きな失敗をして、でもその失敗に学んで最終的に大成功を収めた、という話をよく聞くと思う。<br><br>つまりは、失敗があったからこをいまの成功があるのだと。<br><br>この時点で失敗だと思っていた出来事はもはや教訓でしかない。<br><br>失敗という意味では無くなってしまったのだ。<br><br>過去の出来事の意味はいまの自分が決める。<br><br>ところが、その過去の経験がなんども続くと、それは再現性のあるものだと、つまり次もそうなると決めつけて、行動できなることがある。<br><br>現状維持をしていれば安心安全だから、過去の経験に照らし合わせて余計なことはしないようになる。<br><br>これは、未来に過去の類似性を投影して勝手に不安になるパターンだ。<br><br>もちろん、自分の無意識は自分を守るためにそうしている。<br><br>しかし、そうすることで、未来の可能性も自ら無くしてしまうのだ。<br><br>過去の出来事の意味はいまの自分が決める。未来の出来事もいまの自分がやるかやらないか決める。<br><br>もちろん、意味をつけるのもいまの自分。<br><br>いま、ここ、に生きるしかないんだ。<br><br>集中。
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<link>https://ameblo.jp/collon2015/entry-12094214722.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Nov 2015 02:00:02 +0900</pubDate>
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<title>僕たちは比べないとわからない。</title>
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<![CDATA[ 僕たちは目の前の出来事やものを何かと比較しないと認識できない。<br><br>コーヒーカップに入ったコーヒーはコーヒーじゃないものと比較しないとコーヒーだと言えない。<br><br>かつて、カップにコーヒー以外のもの、例えば紅茶が入っていたのを経験して、味わって、コーヒーとは違うということを知っているから、認識できるんだ。<br><br>あるいは、このコーヒーカップに醤油が入っていたらどうだろう。<br><br>急いでいたら、認識できないかもしれない。<br><br>でも、通常コーヒーカップに醤油は入れないことになっている、ことを知っているから見ただけでコーヒーだと認識する。<br><br>口を近づけて、匂いを嗅ぐ。<br><br>コーヒーの匂いじゃなくて、醤油の匂いだったら。<br><br>醤油のにおいも知っているから、これは醤油じゃないか？と疑うのだ。<br><br>知らなかったら、コーヒーの匂いじゃないぞ、なんだなんだ？となる。<br><br>つまりは、通常、コーヒーカップに黒い液体が入っているとコーヒーだと経験上認識しているから、その類似性からこれはコーヒーだと断定する。<br><br>醤油の匂いがしてたらビビるわけだ。<br><br>そうやって、それではないものと比較することで僕たちは目の前のものを認識する。<br><br>出来事も同じ。<br><br>類似した出来事から判断するのだ。<br><br>何が言いたいかというと、僕たちは経験したものからできている。<br><br>そして、それは言葉でできているのだ。
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<link>https://ameblo.jp/collon2015/entry-12094212581.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Nov 2015 01:42:15 +0900</pubDate>
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<title>僕たちは本当の世界を知らない</title>
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<![CDATA[ 僕たちは、目の前の出来事をすべて五感で捉えるしか術がない。<br><br>つまり、目で見るか、耳で聞くか、鼻でにおうか、舌で味合うか、肌で感じるか。<br>どれも信号を受け取るだけ。<br><br>目にはたくさんの情報が四六時中入ってくるが、そのうち意識するのはほんのちょっとだけ。<br><br>例えば、たった今見た景色の中で赤いものを思い出してみて、といわれてもほとんど覚えちゃいない。<br><br>耳も同じ。<br><br>すべての音を聞いているわけではないし、逆にすべての音を意識していたら頭がどうかしちゃうだろう。<br><br>夢中になったら余計な音は聞こえない、そんな経験あるでしょう？<br><br>鼻も舌も肌も同じ。<br><br>すべてを認識していちゃ大変なことになる。<br><br>というわけで、僕たちは五感を通して目の前の世界を取捨選択しているようだ。<br><br>しかも。その情報を経験と照らし合わせて、認識する。<br><br>つまり、自分の経験と類似したものと照らし合わせて、意味をつける。<br><br>逆に言うと、経験したことのないものは認識できない。<br><br>何が言いたいかというと、目の前の世界は自分が勝手に作り出しているということ。<br><br>つまり、自分が勝手に作っているものならば、勝手に作り変えることも可能だということ。<br><br>そう。世界は自分の自在に変えられる。<br><br>こういうものだ、と決めるだけだ。
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<link>https://ameblo.jp/collon2015/entry-12094211178.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Nov 2015 01:30:42 +0900</pubDate>
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