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<title>ことのは旅日記</title>
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<description>毎日の生活で、自分の中に響いたモノやコト、を書き溜めている日記です</description>
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<title>WhatとWhy</title>
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<![CDATA[ きちんと定期的に書こうと思っていたのに間が空いてました。。インプットしたものはアウトプットしていかないと身にならない、自分の中にすっと入っていかないのでちゃんと更新しよう。<br><br>５W1H。文章を書いたり何かを考えなければならないときは型を使うのが楽だ。その基本はきっとこれ。<br><br>人は何でもまずHowを求める。仕事にしても人生で起きた出来事にしても。すぐ解決の方法を探ろうとある人はビジネス書をある人は啓発本を。<br>そんなものに答えなんか書いてるとは個人的に思わない。答えを急ぐものじゃないし、頼りたくなるものだけど人それぞれ抱えている課題は様々。<br><br>応用できることもあるかもだけど、そもそもそこに答えがあると期待して手を伸ばす時点で答えから遠ざかる。自分の頭で考えることをその時点で止めるから。<br><br>本当に大切な事は一生かかって求道すべきこともあるし、そんなに簡単じゃない。<br><br>仕事でもクリエイティブな仕事をしていると周りに聞かれるのはまず、How、どうやったら？ということ。でも一番大切なのはWhyとWhatだと思う。<br><br>なぜそれをしないとならないのか、何を本来すべきなのか。その原点をつきつめることから初めてHowが、キーワード、きっかけが見つかるもの。これは経営戦略の基本でもある。大学院や国際MBAとった方ならわかるだろう。<br><br>わかりやすく言えば、結婚したい人がいて、どうやったら？と思考はすぐそこへ。でも、何の為に、何故結婚するのか、それが本当に必要なのかわかってない場合が多い。<br>自分の目的は本当にそれを望んでいるのか、つきつめて考えれば自分がどう行動すべきかヒントぐらいはみえてくる。それと一緒。<br><br>それでも人は悩む。いろんなことで。<br>でもその人が見つけた正解以外は同じ人はいないから、他で応用がきくものでもない。<br>上述の話に戻せば、「幸せになりたいから」という答えも多いはず。<br>じゃ、幸せの定義って？自分にとって。<br>誰もすぐには答えられない。それは人それぞれで定義が違うから。一緒の事。<br>正解はないしひとつじゃない。それに気づけるかどうか、それだけでも抱えている問題の糸口になると思っている。<br><br>迷ったら、なぜ？なんのために？なにを？<br>何でも基本からだ。
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-11908605052.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Aug 2014 04:03:44 +0900</pubDate>
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<title>後ろ姿</title>
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<![CDATA[ 後ろ姿がきれいでありたいと思う。<br>人でも動物でも、後ろ姿がいいなと思えたらそれは好きだってことだと糸井さんが<br>言っていた。同感だ。<br>後ろ姿を見つめる自分の視線は相手には気づかれない。気づくことはない。<br><br>それは相手からの何かしらの見返りというものを求めないということだ。<br>好きになったらああしてほしい、こうしてほしいと育った環境も、年齢も<br>まして男女で思考の差があるのにどうしても意識していなくても要求してしまうもの。<br><br>相手に何かを期待すればするほどそれが戻ってこなかったときの不満や落胆は<br>想像に難くない。<br><br>何かを期待するなと言っているのではない。相手が自分と違うことをきちんと<br>理解するということが大切だと思う。<br><br>で、話を戻すと。<br>後ろ姿を見ている自分の視線というのは、何かしらのものを相手に求める<br>ものではない。好きだから、そういう視線を送るもの。<br><br>なんだかちょっと切ないけどそれもいいなと思う。<br>言葉にしなくても、相手を温かく見守る視線って。<br>そういう後ろ姿がきれいで視線を送られる人になっていきたいもの。<br><br>後ろ姿がきれいで、いろんな事情で言葉を交わすことができないまでこじれた<br>相手がいる。相手の環境が結婚という形で変わったことを、一番やってほしく<br>なかった形で知らされる。<br><br>それでも私はその後ろ姿が好きだ。振り返ってはもらえないけど。<br><br>私自身が後ろ姿がきれいになっていこうと強く思った。その人との関係は<br>まったく関係なく。そして、その人には後ろ姿に温かく視線を送っていくだろう。<br>今はまだ無理でも。いつか、できる。本当に人を愛するということは<br>そういうことなんじゃないかと思う。できなければ本当に好きではなかったんだと。<br><br>ずっとブログも放置気味だったが（いろいろありすぎました）きちんと更新していこう。<br>たくさん書きたいことがあるがきちんとテーマを決めているので、ふり幅はありますが。<br>何かに自分が響かないとうまく書けないが更新はしていくので、少しでもいいなと<br>思ってもらえたら読者登録や読んでもらえたら嬉しいな☆<br>
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-11739799065.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Dec 2013 02:05:32 +0900</pubDate>
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<title>人生の時計</title>
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<![CDATA[ 久々にブログを書いてみる。<br><br>人生の時計は、一度しかそのねじを巻かない。<br>その針がいつ止まるか、遅れるか、それとももっと早くか、誰も知らない。<br>今だけがあなたの時間だ。<br>生きよ、愛せよ、そして心を尽くして働け。<br>明日があると思ってはならない。<br>なぜなら、そのとき、人生の針は止まっているかもしれないから。<br><br>ヨーロッパに伝わる作者不明の詩だ。<br><br>人は生まれた時から死に向かっていて、だからこそ一日一日が貴重で<br>大切に生きるべきだ。明日生きているかなんか全くわからない。<br>が、そうだと頭でわかっていても時間というものは無限に自分には<br>あるように思えて凡人な私は大切な一日を無駄にすることも多い。<br><br>仕事や趣味や２４時間ではたらなくて、ただ、何も考えずぼーっとする<br>時間だって必要だ。でないと心のバランスが崩れてしまうから。<br><br>考えたくないけど、時間には限りがあって、自分の人生という時間にも限りが<br>あり、だからこそ日々を大切に生きるべきだと改めて言っている詩。<br><br>ある程度の年齢を重ね、そして今家族である大事な飼い猫が余命宣告を受けた。<br>動物は人間より寿命が短いから先に送らねばならないのはわかっていたが長年<br>一緒にいて支えてくれた大切な飼い猫がもう残された時間がないと宣告されて<br>改めて死というもの、日々の大切さを実感している。<br><br>自分自身にとってもまた今年は転機であり新たな時を刻み始めた。<br>その一方で時計の針が止まろうとしている大切な飼い猫。<br>自分のもとで彼は幸せだったんだろうか。<br>自分と一緒にいて良かったと思ってくれるんだろうか。<br>その針が止まるまで、幸せだったと思ってもらえるよう残された日々を<br>大切にかわいがってあげたい。<br><br>私自身も新たな歩みを始め新たな時を刻みはじめたが、時間は本当に貴重だ。<br>だからこそ今という瞬間を大切に自分らしく人生の時を刻んでいきたい。<br><br>今はいろんなことが重なったショックでどこか自分の時計が狂っている。<br>でも歩みは止めてはならない。深呼吸して、ゆっくりと、自分らしさを<br>取り戻せるように。
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-11738421210.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Dec 2013 04:55:16 +0900</pubDate>
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<title>少年</title>
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<![CDATA[ 福山雅治さんの歌は、いつも自分の中にすっと入っていく。<br>久々に、少年を聴いた。<br><br>阪神大震災、ちょうど震災にあった。そして去年。東日本大震災はとても近い親戚が被災し友人もなくした。家ごと流されて自衛隊に救助されたり、身内が避難所生活になったり。テレビの中のそのままのことが自分自身に起きて少しの間会社も休んだ。<br><br>テレビでは伝わらない、その場に行かないとわからないこともある。<br>がれきの山、自分が見知った街が跡形もなくなって、魚の腐ったにおいと一生忘れる事はできない。<br>何にもない人生より少しぐらい起伏があったほうが、面白いとは思うけどあまりに大変な事ばかり続くとなんで自分だけ、という思いや、どこにもぶつけられないやるせなさ、お日様向いて前向いていこう、といつも楽観主義という私でもさすがに自分の気持ちをよいしょっと持ち上げる事はなかなかできない。<br><br>辛い時こそ笑顔。一理あると思う反面、辛いときこそ、それを一人で抱えず、辛いなら辛いと言っても顔に出しても、誰かの力を借りてもいいのだと思う。鎧で完全武装して平気な顔して、本当は一人で強がっても立ってもいられないぐらいなのに抱えたままで結果自分でどうにもできなくなるのなら、もっと肩の力を抜いて、辛い、って言ってもいいんだなと。<br><br>人に弱みを見せる事は大の苦手だ。年齢や、プライドや、性格や、いろんなものが邪魔をして素直になれない自分がいる。強がっているのを察してくれる人が近くにいるときはいいが、そうでなければただ、それは、辛い。察してくれる人なんか、いざ、という時近くにいないことのほうが多い。<br><br>でも誰だって完璧じゃないし人間は弱いもの。もっと早くヘルプのサインを出していたらもっと心が軽くなっていただろう。それが遅くなって結果自分を追い詰める事になってしまった。<br>辛い、と正直に言うのもこれもまた勇気、なんだろうな。身にしみて実感。<br><br>「間違いとか　後悔とか　何度も繰り返すけど　あとどれくらい泣いたのなら強くなれる？<br>・・なくしながら　掴みながら　走ってゆく<br>・・生きる事の美しさと儚さを知るその時　この痛みは　やがて明日の歌になるよ」<br><br>歌声とその歌詞がとても自分に響く。<br>いくら泣いたって強くならないのかもしれない。強くならなくていいのかもしれない。<br>弱いままでもいいのかもしれない。<br>でも抱えている痛みは、いつか痛みでなくなる日は必ず来る。<br><br>目の前のことから逃げずありのまま受け止め、強い時もあるけど弱い時もある自分自身を否定することなくそのまま受け止める。そのまま周りに伝えてもいいんだ。<br><br>いろんなものをなくしながら、でもなくした反面今まで見えなかったことも見えてきたり、気づいたり。たくさん得るものもある。<br><br>大変な事はまだまだ抱えているけれど、抱え過ぎず、ありのままを受け止めよう、辛いなら誰かの力を借りよう、何かあったら今度は自分がお返しをしてあげればいい。<br>心の弾力性を持つこと、大事な事だと思った。<br><br>歌の力って凄い。たとえ自分が自分の気持ちなのに素直に言えなくても、吐き出せないときでもそういう歌に出会ったとき、心が軽くなる。<br>改めていい歌。<br>今日は福山さんの他の詩もじっくり聴こうと思った。<br>誰よりも生きる事の美しさと儚さを嫌でも知ることになったから。<br>今の自分をきちんと受け止めて大事に、丁寧に一日一日を過ごしていこう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-11219860892.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Apr 2012 01:07:35 +0900</pubDate>
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<title>成功より成長したい</title>
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<![CDATA[ 二日前の日経新聞、大好きな三浦カズさんのコラムに「成功より成長したい」という内容があった。<br>これはザッケローニさんの名言。素直に素敵だなと思った。<br>何の分野でもその道を極めた人が言うと同じ言葉でも重みが違う。<br>私の友達はカズさんと同じ時代に、ちょうどJリーグ元年に同じフィールドに立っていたがもうすでに引退している。<br>プロのスポーツ選手の中でもサッカー選手は選手生命が短い。<br>そんな中、カズさんはまだ現役で頑張っている。<br>十分に成功者だと思うが、それでも成功ということよりも成長したいという強い思いがあるからこそ今もフィールドに立って現役を続けているんだろうなと思った。<br><br>時代を創り、切り開き、それでもまだ走り続けている。もっと成長したいという思いと共に。<br>物欲、出世欲、食欲、いろんな欲がまわりには沢山あって、どうしても凡人はそちらに足を取られがちだ。<br>そんな中、この言葉が真っ直ぐに出てくるのは謙虚な気持ちを忘れないからこそだろう。<br>そして、限界を決めないこと。<br>限界を決めてしまうのは自分自身。<br>もっと上を、という強い思いと謙虚さと、そして何よりも目の前に与えられた事を、仕事を精一杯楽しもうと言う姿勢。<br>忘れないでおこう。
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-11212846322.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 00:26:08 +0900</pubDate>
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<title>知ってほしい事実　震災</title>
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<![CDATA[ この度の東北地方太平洋沖地震により被災された皆様に謹んでお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復興を衷心よりお祈り申し上げます。<br><br>石巻の従兄弟、一人発見。家ごと津波で流されるも避難と確認した。ただ、まだ残りの友達、親戚の安否は不明です。応援コメントなど感謝です。<br><br>現地には緊急車両と報道しか入れない。テレビ局の報道の友達二人が応援で現地に入っている。<br>報道長い二人であらゆる修羅場を観てきた二人。<br>連絡を取ったが、その二人でさえ言葉をなくし、自分たちでさえ気が滅入ると。<br><br>津波は１０ｍの防波堤も超えて襲ってきたが、彼らが言うには２０ｍの所に車が刺さっているって。。<br><br>TVで観てても涙が出てくるが、その現場を目の前にしている彼らも大変だ。<br>一人は奥さんが宮古出身で親戚一同安否がわからないまま、自分が伝えなければと涙をこらえて取材を続けている。<br><br>彼らと話していてわかったのは、やはり電波が届かない事が多くまだ避難していても見つけてもらえてないけど生存者はいるということ。<br><br>全国からの温かい励ましとともに物資が集まってきているが石油が足らず被災地までまだまだまわっていない。<br><br>首都圏では余震の続く不安もあり買占めが日増しに酷い。その不安も理解した上でサンドイッチマン伊達さんが、自分だけ助かろうなんて無理、という事もわかってほしいと。本当に同感だ。<br><br>その買占めが原因で被災地に届く物資が不足の影響が出ていることをわかってほしい。<br>自分より酷い状況の人達がいるって常に考えて欲しい。トイレットペーパー１２ロールで１千人がトイレに。バナナ１房で１０人の子供にオヤツ。ガソリン１０Ｌで怪我人４人を隣町に搬送。パン１斤で１家族が食事。ガスコンロ１本で１０人が暖かいご飯。お米５ｋｇでオムスビ１２０個。電池１個で１００人がラジオ聞ける。<br><br>どうかこの事実を知ってほしいし協力をお願いします&lt;(_ _)&gt;<br><br>関西の友達、親戚らにも被災した家族と被災地に乾電池を送りたくて連絡。<br>阪神を経験しているからか、また県民性が出ていると思ったけど、関西でも少しずつ物資が店から消えてるみたいだけど、皆が送ってくれることになった＞＜<br>なくなったらそれはそれでなんとかなるやろ！それより被災者に届けなって。<br><br>全国の温かい応援の声も、募金も、本当に有難いです。私も心の防波堤を高く、半分覚悟はしているが友達親戚を全力で探し、自分にできる事、を今していきたい。<br>
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<pubDate>Fri, 18 Mar 2011 02:35:22 +0900</pubDate>
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<title>ある患者さんの詩</title>
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<![CDATA[ 友達から教えてもらった、ある患者さんの詩に久々にぐっときた。<br>忘れないうちにここに書いておこう。<br><br>大きな事を成し遂げる為に力を与えてほしいと神に求めたのに、謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった。<br><br>より偉大なことができるようにと、健康を求めたのにより良きことができるようにと、病弱をあたえられた。　幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。<br><br>世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに得意にならないようにと失敗を授かった。　人生を楽しもうと沢山のものを求めたのにむしろ人生を味わうようにとシンプルな生活を与えられた。<br><br>求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられていた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ。<br><br>これはニューヨークのある大学病院の壁に残された名もなきある患者さんの詩だ。<br>ある意味悟りの境地というか、人間が持つ欲望や慢心や業のようなものが全て解放された、死を目前にして本当の人としてのありかたを実感している詩だ。<br><br>凡人だから、誰もが富と名誉と地位と、欲望のままに流れてしまうもの。<br>そこで一歩踏みとどまって最後自分自身を冷静に見極め、本来の幸せとは何なのか？人から与えられるものでもなく自分自身で自分自身を創ってゆく。<br><br>人生とはその作業の繰り返しなのだろう。<br>忘れてはならない言葉だと思った。この方のメッセージを、大切にしよう。
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<pubDate>Sun, 13 Feb 2011 22:52:09 +0900</pubDate>
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<title>ファンタジスタの言葉～ロベルト・バッジョ～</title>
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<![CDATA[ スポーツは自分でするものでもあるが、スポーツ観戦がこれまた大好き。<br>どちらかというと野球派ではなく、完全にサッカー派。<br>あまり詳しくはないが、Jリーグが創設される前、ちょうど木村和司さんらが活躍していた日本リーグの<br>時代から好きだった。<br><br>Jリーグは贔屓のクラブチームの試合は当時京都にいたが、平塚が好きだったので（中田ヒデのデビュー戦も見ている）平塚への遠征？、神戸、大阪の長居、などとにかく見ていた。<br>ワールドカップも好きで、しかも録画ではなく「タイムリー」にどうしても見ないと気が済まないので<br>４年に一度は全試合必ずチェック。<br><br>そんな私だが、一番好きな選手、それがバッジョだ。「ファンタジスタ」という言葉はまさに彼のために<br>あるなぁとつくづく思うし、今の現役選手で一番「ファンタジスタに近い」選手はデルピエロだと思っている。<br><br>あまりサッカーに詳しくない人でも９４年W杯、アメリカ大会の最後のPKを外したシーン、歓喜で沸くブラジルの横で、茫然としている後姿のショットは見たことがあるだろうし、この１件は有名なのでご存じだろう。その後姿はあまりにもきれいで、そして儚い。<br><br>彼のプレーを見ていると、グラウンドに出ていると、何かをきっとやってくれる、奇跡を起こしてくれると思わせる何かがあり、実際そういう選手であって、人をひきつけてやまない選手だと思う。<br><br>ロナウドやロナウジーニョも好きだが、彼らのプレーからとくに一番感じるのが、プロ意識の高さは当たり前として、なによりもサッカーが好きなんだなというのが伝わってくる。その笑顔もいい。<br>そしてチームメートにも、この人がいれば安心、と思わせる大きな存在感。<br><br>ほかの選手も<br>「世界でイタリアだけが唯一、彼をNo.1だと認めなかった」 ジネディーヌ・ジダン<br>「彼のようなフットボーラーと出会うには、少なくともあと20年はかかる」 バティストゥータ<br>「彼はフィールドの中で出来ない事など何もない」 ジーコ<br>と絶賛している。<br><br>彼の言葉もまた、いい。<br>「今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない」 <br>「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」<br>「僕の知っているドーピングはただ1つ、努力だ」 <br><br>サッカーという非常に現役生活を送るのには短いプロの世界で、いろんな事を経験し酸いも甘いも嚙み分ける境地まで至ったというか、３７歳という年齢まで第一線で活躍してきたその人の言葉はやはり重みが違う。<br>どこまでもサッカーに対して真摯で貪欲で、愛していて、それがインタビューなどを通して人柄やプレーから伝わってくる。<br>どんなに批判されても、どんなに叩かれても、人としてのブレがない。<br><br>うじうじとなかなか邪魔が入って進められない案件を抱えている今、「一歩を踏み出すこと」を改めて思い出させてもらった。<br><br>最近契約が取れた仕事を、単に担当者と仲良しだからあいつは仕事をもらえたんだと陰口を叩かれ後ろ指をさされ、私のほうが関係値を持っていることも情報をもらえる速さも違うことを営業努力だとは言われず、<br>妨害され、そしていわれのないことまでいわれ、なんだか孤独というかさびしいというか悲しい思いをしていたちょうど今。<br><br>誰に何を言われても間違ったことなんかしていない。きちんと自分のやるべきことをやったまでで。<br>それなのに悪口を言われることに精神的に疲れてしまっていた。<br><br>それが嫉妬からであろうが、なんであろうが、正しいことをしているのだから非難される筋合いはないのだが、どうして私の営業努力と思わず非難するのか、その前に自分を省みることをしないのか、それにうんざりで参っていた。<br><br>でも、間違ってないなって。だったら自分がどこまでもブレなければいいんだね。<br>難しいけどまだまだ営業のはしくれだけど、志だけはブレず、勇気をもって、努力をしきった、といえるまでやってみようとバッジョの言葉を思い出して改めて思った。<br><br>なんでもプラス思考、お日様みあげて前向いて、が、やっぱりいい。<br>
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-10319678739.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Aug 2009 00:00:52 +0900</pubDate>
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<title>エヴァーグリーン</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090810/01/confetticandy33/14/62/j/o0700038210229936602.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20090810/01/confetticandy33/14/62/j/t02200120_0700038210229936602.jpg" alt="ことのは旅日記" width="220" height="120" border="0"></a><br><br>私は絵画については専門知識もなければど素人、の範囲におそらくはいる。<br>ただ、感覚的にそれが好きか、否か、引き付けられる物があるか、ないか、でいつも判断している。<br><br>今から十数年前、新宿ハルクの絵画展で初めて笹倉鉄平先生の絵画と出会った。<br>素敵な絵だな、というのが一言感想。今でも忘れられないのが「さかなつり」と題された絵画だった。<br>当時社会人になりたてて絵画を買う余裕もなく、後ろ髪をひかれる思いでその場を立ち去ったのを<br>覚えている。<br><br>それから画集やDVDで先生の作品を眺めてはその情景、語りかけてくるものに耳を澄ませていた。<br>そして６年前。営業途中で立ち寄った展示会。そこでこの絵画に出会った。<br><br>笹倉先生の絵画では何度もその場から足が動かなくなるほどのものを受けたのものがあるがそれはまた<br>今度。<br><br>営業そっちのけで、その作品を購入するか否か悩みに悩んだ。といっても、ぽんっと出せるだけの<br>財力もなければ飾れるだけのしゃれた部屋でもない。<br>ただ、ちょうど６年前は自分にとっての転機となる時期だった。<br><br>エヴァーグリーンのDX版というのがあり、これはいくつか候補の言葉から自分が選んだ言葉を絵画の中の<br>キャンバス内に後で書いてくれるものだった。DXだけの特典。<br><br>思い切って購入を決意。そして先生とお話をし、裏面に名前もいれてもらった。<br>後日送られてきたキャンバス内にはとっておきの言葉が。<br><br>「Life can be confusing,But good things come out of bad」<br><br>人生には様々な困難やつらいことがあるけれど、必ずそのあとにはいいことが待っているんだよ。<br><br>今でも一番大切にしている言葉だ。<br><br>エヴァーグリーンは先生の作品の中でも窓辺シリーズにあたる。その中で一番好きだ。<br>でもこのやわらかで、すがすがしいグリーンとやさしい白を基調としたものは見ていると心がとても<br>穏やかになるし、グリーンは新芽を表す色でもあり、よし、これから頑張ろうとなぜだかこの絵を<br>みて思える。先生の言葉も心強い。<br><br>私の大好きなシャンパンと一番好きなカサブランカと。<br>自分の気持ちは落ち込んだりへこみがちだったりでこぼこだけど、この絵画を眺めて思う気持ちは<br>大切にしたいもの。<br><br>
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<pubDate>Mon, 10 Aug 2009 01:30:13 +0900</pubDate>
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<title>論語から～過ちに関して～</title>
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<![CDATA[ 孔子の論語から２つほど。<br><br>■過ちを弐たびせず<br>哀公問曰、弟子孰爲好學、孔子對曰、有顔囘、好學、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好學者也<br><br>哀公が孔子に孰（たれ）か学を好むと聞いた時の言葉だ。それに対し、<br>「顔回なる者あり、学を好む。怒りを遷（うつ）さず、過ちを弐（ふた）たびせず。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡（な）し。未だ学を好む者を聞かざるなり。 」と答えている。<br><br>怒りにまかせての八あたりはせず、過ちは二度としない人物だったと。<br><br>私は凡人だから、時にはへこんだり、だれかに当たってしまったりでこぼこだ。不完全で当たり前なのかもしれない。<br>最近思うのは、会社で、男の人が下を怒ったりするのは普通のこととされるが、事、女性がそれをやると<br>単なるヒステリーとみられる場合が非常に多い。<br>同権が叫ばれている中、現実はまだまだだなぁと思ってしまった。<br><br>■過ちて改めざる、これを過ちと謂う<br>子曰、過而不改、是謂過矣、<br><br>過ちは誰でも犯すが本当の過ちとは過ちと知っていながら悔い改めないことである。<br><br>本当にそうだ、と思ったし自分の中によくよく言い聞かせようと思った。<br>人に頭を下げられない、ごめんなさい、が言えなくなったら終わりだ。<br><br>最近私も身近な人を傷つけてしまったであろうことにずっと心を痛めている。<br>謝って、悪い部分があったのであれば直していきたい。<br><br>こういうことをいうと、それは自責の念から解放されたい、結局は自分がそれで楽になりたいからだと<br>昔このての話で議論になったことがある。<br><br>確かにきちんと謝ることで少しは楽になるのはあるかもしれない。<br>でも、人の心に釘を刺してしまった場合、釘は抜けても穴は残るのだ。<br>だから誠心誠意もしそうであるなら謝りたいなと思う最近。<br><br>それが人として忘れてはいけないことのひとつだと思うから。<br>大人になればなるほど「ごめんなさい」が言えなかったりする。<br>子供のほうが邪念も計算もそこにはないから素直だ。<br><br>素直な気持ち。心。いくつになっても忘れないでいたい。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/confetticandy33/entry-10314975000.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Aug 2009 00:57:24 +0900</pubDate>
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