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<title>コピペ星人のコピペブログ</title>
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<description>バイロンケイティさんの一言を和訳してます</description>
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<title>今日の(8/14)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/42/30/j/o0548048013064168495.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/42/30/j/o0548048013064168495.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>私は恩寵の状態のうちに生きています。<br>(あなたもね！)<br>そしてこの恩寵の状態とは、「知る必要がある」ものなどではないのです。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「私は、知らなければならないということがけしてない恩寵の状態に生きている(そしてあなたもそうだ！)」<br><br><br>今日のお言葉にある「恩寵」。<br>宗教用語としては<br>「神から人への一方的な愛」<br>であるといわれます。<br>重要なのは、この「一方通行」。<br>我々人間の側がどれほど善行や徳を積んだかに関わらず、神は人に対して一方的に慈しみを与えるという点です。<br><br>しかし。<br>最近あった「原因と結果の法則」についてのお言葉などをみると、この「恩寵」、私たちの思考に彩られた二元性の世界では認識しにくいもののようですね。<br><br>だって、「神の一方的な愛」なんて聞くと<br>「そんなら、思いっきり悪さしていーのね？どんだけ悪さしても、神様ゆるしてくれるんでしょ？」<br>…という思考回路が発動しちゃう(笑)<br><br>上記のような「恩寵としての神の愛」の人間界における葛藤は、我々にとってなかなかスパッと解決できないテーマとして有名です。<br><br>多くの文学作品が、人間の罪や悪はどこまでゆるされるのかを取り上げていますね。<br>また少なくない数の、古今東西の宗教家たちが、どんなに罪深い者であっても救われる…と説いているのもご存じのとおりです。<br><br>にも、かかわらず。<br>歴史上どころか、日々のニュースを見るだけでも、人間が性懲りもなく悪さをしでかしているのは相変わらずです。<br>(--;)ﾔﾚﾔﾚ<br><br>そんな「極悪人」どもを目にするとき、私たちは「ええいあんなやつ、地獄におちろ！」と思って溜飲を下げたりしますよね。<br>しかし同時に、何か釈然としない思いも残ります。<br><br>神様って、一方的に人を愛してくれるおかたじゃなかったっけ…<br>そしたら、やっぱりあんなやつでもゆるしてもらえるのかな。<br>いーや、あんなに悪さしてもゆるしてもらえるなんて不公平だ。<br>…でもなんかこう、問答無用に地獄行きってのも、なんだかなぁ。<br>うーん…<br>(;´д｀)<br><br>この葛藤を解決するにも、「ザ・ワーク」の問いかけは大活躍です。<br><br>悪人は罰せられるべきだ。<br>罰によって、罪が帳消しになりゆるされる。<br>悪いことをした人間は、悪人だ。<br>悪人は罪滅ぼしをしなければならない。<br><br>…それは本当なのでしょうか。<br><br>問いかけを通して、私たち自身が信じている「正義」が必ずしも公正ではないことを確かめるのは、「恩寵」に触れるための大切なプロセスだと思います。<br><br>「恩寵」じたいは、知るべき必要のあるものではない…<br>と、ケイティさんは言っています。<br><br>それは取引ではありません。<br>「恩寵」なのです。<br>それに与っていない人は、誰一人としていないはずです。<br><br>それならば、そのためのプロセスを通れば、誰もが必ず「恩寵の中に生きている」と確認することができるはずです。
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11923795957.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Sep 2014 13:31:52 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/13)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/b6/62/j/o0548048013064166209.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/b6/62/j/o0548048013064166209.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>この世界は、私が「こんなものだ」と信じていたものではありません。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「世界は私がそうだと信じていたものではない」<br><br><br>今日のFacebookの背景の写真には、ワンコがいます。<br>このコがまた何ともいえないよい味(*^^*)<br><br>相当真剣な眼差しで、じーーーっと一方向を見つめています。<br>このコには、このコ自身の世界が見えているのでしょう。<br><br>そして、そんなにも大真面目な横顔から、ふとこんなツブヤキが聞こえるような気がしてくるのです。<br><br>あれ…<br>世界って…<br>こんなもんなの？<br>なんか、思ってたのとちがくね？？<br>(-_-)<br><br>まあまあ。<br>ちがくたっていいじゃあ～ありませんか。<br><br>世界は、私が信じているようなものでなければならない。<br><br>それは本当ですか？<br>…と、聞くまでもないかもしれませんね。<br><br>きっと写真のワンコも、このふとした哲学的一瞬のあと、「ワン！」と一声<br>￣(=∵=)￣！<br>元気に海に入って水遊びしたことでしょう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11923794570.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Sep 2014 13:28:19 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/12)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/67/f9/j/o0548048013064164501.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/67/f9/j/o0548048013064164501.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>必要があれば、私は望みをもったことでしょう。<br><br>でも、それだと「私は必要としている」ということが結果になってしまいます。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「必要があれば、私は望んだだろう。しかし、それでは私の必要性が結果になる」<br><br><br>なかなかに目からウロコの、今日のお言葉。<br><br>私たちは、望みをもてば結果としてその望みが叶う…と考えています。<br>望むことの結果は、その願望の充足…<br><br>しかし。<br>それは本当なのでしょうか。<br><br>今日のお言葉でケイティさんは、望むことの結果は「必要性」だと言います。<br><br>望むことの結果として、私は、私が望んでいるものを必要とするようになる…<br>と言うのです。<br><br>ステキな恋人が欲しいわぁ。<br>…と、望むことの結果は、ステキな恋人に巡り会うことではない。<br>「私にはステキな恋人が必要だ」というその必要性が、望むことの結果なのだ…<br><br>え、うっそ！！！<br>マジ？！<br>＼(◎o◎)／ｶﾞｰﾝ<br><br>ぢゃ、散々やりまくった願望実現のアファメーションとか、引き寄せの法則とかは、何だったワケ？！<br>(；゜∀゜)<br><br>……orz……ｶﾞｯｸｼ<br><br>いやいやそう落ち込まずに(笑)<br>でも、今日のお言葉を聞いてナルホドと思いませんか？<br>道理で、あんなに頑張って(笑)いろんないいものを引き寄せようとしたのに、確率的にはイマイチだったわけが…。<br><br>うーん。<br>たしかに、そうかも。<br>いくつかはラッキーなこともあったけど、全部うまくは手に入らなかったなあ…<br>宝くじは当たんなかったし(笑)<br><br>昨日のお言葉にもありましたが、原因には必ずそれ相応の結果が続き、同じく結果には必ずそれ相応の原因があります。<br><br>望めばそれがそのまま叶う…<br>なんて、冷静に考えたらかなり飛躍してますよね。<br>f(^_^;<br><br>「望むこと」と「必要とすること」って、ひょっとしたらいつまでたっても交互に原因と結果になりっこしてばかりなのかもしれません。<br><br>…て、ちょっとちょっと！！<br>じゃーアタシのステキな恋人はどうしてくれるの？！<br>どうやったら、ステキな恋人に出会えるのよぉぉー<br>(＃｀皿´)ｷｰ<br><br>まあまあ。<br>(^w^)<br><br>私にはステキな恋人が必要だ。<br>私はステキな恋人がいないと生きていけない。<br><br>…それは本当ですか？<br><br>その答えを見つけてみてください。<br>その答えを体験して、あなた自身があなたの世界の「原因」であることを確かめてください。<br><br>あなたを原因とする、あなたの結果としてのあなたの世界。<br><br>そこでもステキな恋人が欲しいなと思ったら…<br>ぜひ来週あたり、合コンにでも顔出してみてちょッ！！<br>( ("⌒∇⌒")
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11923793683.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Sep 2014 13:25:23 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/11)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/96/d3/j/o0548048013064158417.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140912/13/copyp/96/d3/j/o0548048013064158417.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>二元性の(世界)の中で、正義はどこにあるのでしょうか？<br>すべての原因と結果(原因と結果の法則)ー<br>それこそが正義です。<br>もしもあなたが真の正義を求めているのなら…<br>「ただ正確に、原因で、ありなさい」。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「二元性における正義はどこにあるのか？すべての原因と結果だ。もしあなたが真の正義を求めるのなら、『正しく、原因で、あれ』」<br><br><br>弱きを助けて強きを挫くのも、犯罪者への処罰も正義と呼ばれることがあります。<br>しかしここでの「正義」とは、厳格に、きわめて公正にはたらく法則が存在することを言っているのでしょう。<br><br>原因があれば、それに沿った結果が続く。<br>それが、原因と結果の法則です。<br>二元性で成り立つ世界において、この法則ー「正義」の厳格さ、正確さ、公平さはいうまでもありません。<br><br>もしもあなたが真の「正義」を求めるのなら…<br>あなた自身が原因でありなさい。<br>あなたという原因に沿って、あなたの世界という結果が生じていると理解しなさい。<br>今日のケイティさんはそう言っているのだと思います。<br><br>あの人がこんなことを言った、やった。<br>あんな出来事、こんな出来事が私の身に降りかかってきた。<br>…その結果として、私は苦しんでいるのだ。<br><br>このような、結果としての「被害者」の立場に自分を置くのではなく、あなた自身が常に原因であり続けなさい…<br>ケイティさんはそう語りかけているのでしょう。<br><br>あの人の言動が私を傷つけた。<br>あの出来事が私の人生を狂わせた。<br><br>…それは、本当なのでしょうか。<br><br>そうです。<br>それは本当ではないのです。<br><br>それをはっきりと理解したとき、私たちは、私たち自身が結果ではなく原因であることを知るのです。<br><br>そのときはじめて私たちの求める「真の正義」が、私たちの世界に実現することでしょう。
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11923790319.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Sep 2014 13:17:14 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/10)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140906/12/copyp/79/e0/j/o0548048013058008180.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140906/12/copyp/79/e0/j/o0548048013058008180.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>私は何も見ていないー「無(nothing)」を見ているのです。<br>きれいよ！<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「私は無を見る(何も見ない)。美しい！」<br><br><br>何も見ない。<br>または「無」を見る。<br>それってどんな感じなのでしょう。<br>ケイティさんはそれを「美しい！」と言っていますが…<br><br>「見る」って、つい「おメメを使う」と考えてしまいますが…<br>どうやらこれがそうではないらしい。<br>( ゜o゜)ｵ?!<br><br>ケイティさんにさんざん言われて、ようやく気がつくようになりました。<br>私たちが「見る」というとき。<br>それは、実は私たちの心のなかの思いを「見て」いるのですよね。<br><br>すると、「何も見ない」とは「何も考えない」ということになるのでは…？<br><br>何も考えない…？<br>そんなこと、あり得るの？？<br>(((((((・・;)<br>と、とりあえずムガのきょーちを、目指せってか！！<br><br>いえいえ。<br>そう一筋縄にはいきませんよ～(笑)<br><br>これまたさんざんケイティさんに言われて、ようやく腑におちてきましたが、どうやらモンダイは私たちが思考するかどうかではないらしいのです。<br>( &nbsp;-_・)ﾑﾑ?<br><br>思考停止する、一切何も考えない、考えることそのものをストップする…<br>どうやら「美しい」、「無」を見る秘訣はここにはない、というコト。<br><br>私たちが次々生み出す思い、考え。<br>その思考を盲目的に信じるかどうか…<br>「何も見ないこと」の秘訣は、どうもこちらにあるらしいのです。<br><br>私たちの心のなかにある思考の数々を、無条件に信じなくなるとき。<br>それは、私たち自身の心のなかを、ありのままに受け入れている状態なのかもしれません。<br><br>そんなときには、たしかに、美しい「無」が見えるのかもしれませんね。
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11920795312.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Sep 2014 12:00:03 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/9)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140906/11/copyp/5b/62/j/o0548048013058006936.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140906/11/copyp/5b/62/j/o0548048013058006936.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>私は座ります。立ち上がります。横になります。<br>…なあんて、ね。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「私は座る。私は立ち上がる。私は横になる(私は嘘をつく)。」<br><br><br>原文の、「座る」「立つ」の次にある「I lie」は、「横になる」という動詞でもあり「嘘をつく」という動詞でもあります。<br><br>今日のお言葉の写真は、アイビー柄のストッキングをはいたおみ足が、アイビーの茂みに立っている…というもの。<br>オモシロイ(^w^)ﾑﾌ<br><br>ひょっとしたら私たちは、ケイティさんはこの写真みたいなカメレオンみたいな真似なんてするはずない、ウソなんか絶対つくはずない…と考えてはいないでしょうか？？<br><br>それは、本当ですか？<br>Ψ(￣∇￣)Ψ<br><br>ケイティさんは、いつも必ず自分を貫く人のはず。<br>正直で、決して嘘なんてつかないはず。<br><br>…それは、本当ですか？？<br>Ψ(￣∇￣)Ψ Ψ(￣∇￣)Ψ<br><br>もしもそんなふうに考えているとしたら…<br>私ら、そりゃもうハタ迷惑な輩ですよねぇ(笑)<br><br>
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<pubDate>Sat, 06 Sep 2014 11:58:17 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/8)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140906/11/copyp/e5/ea/j/o0548048013058005704.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140906/11/copyp/e5/ea/j/o0548048013058005704.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>「あなたのファンタジーである世界」って、厳密にいえば何のことでしょうね？<br><br>それは、あなたの過去と未来のすべてです。<br>(ひとつ残らず、全部ですよ)<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「厳密には、あなたの幻想の世界とは何か？あなたの過去と未来の全体(ただそのすべてのみ)」<br><br><br>過去と未来がぜーんぶ「幻想(ファンタジー)」だとすれば、「幻想」でないものは何でしょう。<br><br>過去と未来ではない「時」…<br>それは、現在、すなわち「今」ということになります。<br><br>「今」目の前で起こっていること。<br>それを「今」、見ている。<br><br>そのような「今」は、幻想ではないということになりますね。<br><br>ではそもそも、私たちお得意の(？！)「幻想」とはいったい何なのでしょう。<br><br>精神分析学ではこの「幻想」を、欲望の充足と深い関係があるものとして考えるそうです。<br>興味深いですね。<br><br>欲望を満たすために、幻想を作り出すとすれば…<br>幻想の源になっているその「欲望」の正体とは、「『今』への不満」なのではないでしょうか。<br><br>今、目の前に起きていること。<br>今、自分が見ている、経験していること。<br>そうしたものに対する不満が「欲望」となって、幻想の世界ーすなわち、すべての過去と未来とを作り出している…と、いえるのではないでしょうか。<br><br>今目の前にあるもの、今の自分の経験に100パーセント満足していたら、欲望は生まれません。<br>従って、ファンタジーを抱く理由もないはずです。<br><br>そしてすべての過去と未来が幻想の世界であるならば、その源である「今への不満」もまた、幻想だといえるのではないでしょうか。<br><br>つまり、私たちが今に対して不満をもつ理由は、実はないということになります。<br><br>私たちは、本当は「今」に100パーセント満足できるものなのです。<br><br>なにせ「今」以外、ひとつ残らずぜーーんぶ「幻想」なのですから…<br><br>ケイティさんは自分自身を、「リアリティの恋人」と呼んでいます。<br>「私はあるがままのリアリティを愛しています」<br>と語ります。<br><br>彼女は問いかけを通して、「今」に完全に満足できるのだ…という真実を見いだしたのでしょう。<br><br>そしてそこから、今日のようなメッセージによって、私たちを招いてくれているのだと思いました。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11920794097.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Sep 2014 11:56:17 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/7)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140906/11/copyp/d0/c7/j/o0548048013058003474.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140906/11/copyp/d0/c7/j/o0548048013058003474.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>悲しみ？<br>それは全部、だだっ子のかんしゃくよ。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「すべての悲しみはかんしゃく」<br><br><br>かんしゃくの原語は「tantrum」。<br>幼児が、だだをこねた挙げ句にする大騒ぎなどのことです。<br>最近はあまり見かけなくなりましたが、ひと昔前はスーパーのお菓子売り場などで時々見られた光景ですね。<br><br>おかしかってー<br>かってかって、かってーー<br>(お母さんの厳しい「ダメ！」宣告)<br>お…お…お…<br>(うるうるうる)<br>うわぁぁん！！！<br>ママのばかぁぁぁー<br><br>…というアレです。<br><br>しかし今日のケイティさん。<br>私たちの「悲しみ」は、みんなこの「ママのばかぁぁぁー」と同じだと言うのです。<br><br>ちょっとちょっと。<br>あのねえ、アタシは7年つき合った彼氏にふられたんですよ。<br>お菓子売り場のコドモと、一緒にしないでよ。<br>結婚しようって約束してたのに。<br>専務の娘だかなんだか知りませんけどね。<br>そりゃアタシより若い。しかも美人。<br>だからって…<br>だからって…<br>(うるうるうる)<br>うわぁぁん！！！<br>たかしのばかぁぁぁー<br><br>…てあれ、なんかコドモと同じになってる((-""-;)<br><br>いやいやそういうことではないのです。<br>たかが三歳児のお菓子と、婚約までした恋人の心変わりは、同じレベルで考えちゃあいかんでしょそりゃ、って話。<br><br>…しかし。<br>それは本当なのでしょうか？<br>( ・◇・)？<br><br>いずれにしても、なぜ今日のケイティさんは悲しみを「かんしゃく」と呼んでいるのでしょう。<br><br>実をいうと悲しみとは、自分の思い通りにならなかったときに起こります。<br><br>将来を約束した婚約者の心変わりであれ、お菓子を買ってくれないお母さんであれ、悲しんだり感情的になるのは相手が思い通りになってくれないからなのです。<br><br>この点に目を向けて考えれば、悲しみは、実は自分の思い通りにならないことに端を発しているのがわかります。<br><br>ケイティさんはよく言っていますよね。<br>「リアリティと争えば、あなたは必ず負けを喫して苦しむことになります」<br><br>目の前に起きていることと争った結果、私たちは悲しみに囚われ、苦しみます。<br><br>どんなに私たちのほうが正当で、リアリティに非があると思えても、それは実際に起こってしまったのです。<br>起きた出来事を変えることはできません。<br><br>お母さんは、今日はお菓子を買ってくれませんでした。<br>彼氏はよりよい条件の女性のほうを、選んだのです。<br><br>それがどんなに非難されるようなふるまいに思えたとしても、もう変えることはできません。<br>起こってしまった、リアリティなのですから…<br><br>それについて不満をもち、争い、悲しむのは、私たちのわがままであり「かんしゃく」なのです。<br><br>「かんしゃく」である悲しみは、私たちにとって苦しいものです。<br><br>その原因は、実は私たちがリアリティを受け入れようとしないことにある…。<br><br>それに気づければ、これから悲しくなったときには<br>「お。ワガママなんだな、かんしゃくなんだな」<br>と思い直せます。<br><br>自分自身の、リアリティに対する考えを見直すことができますね。<br>
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<pubDate>Sat, 06 Sep 2014 11:53:19 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/6)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140902/16/copyp/23/c9/j/o0548048013054322236.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140902/16/copyp/23/c9/j/o0548048013054322236.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>どこでもないところ。<br>それが、私が我が家のように寛ぐところです。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「どこでもないところで、私は寛ぐ」<br><br>「nowhere」で、私は寛ぐ。<br>「nowhere」こそが、私にとっての「我が家」。<br><br>Facebook上の今日のお言葉の背景の写真は、締められた水栓からぴちょん…と滴り落ちる水滴です。<br><br>この水滴は、水栓を離れました。<br>でもまだ地上に落ちきってはいません。<br><br>どこにも所属していないこの水滴、どれほど自由なことでしょう。<br><br>このどこにも属していない、滴り落ちるさなかの水滴…<br><br>ケイティさんはそれを「孤独」や「不安」、「恐怖」などと呼んではいません。<br><br>どこにも属していない、滴り落ちて行くその瞬間の水滴に「我が家にあって、寛いでいる」というイメージを重ね合わせています。<br><br>私たちが探し求めてやまない「我が家」。<br><br>それはある地点ーたとえば、旅の「終着点」にあるのではないのかもしれません。<br><br>それは「とある場所」ではなく、どこでもないところ…nowhere そのものなのかもしれません。<br><br>そんな nowhere は、いったいどこにあるのでしょうか。<br>私たちが本当に寛げる「我が家」とはどこにあるのでしょう。<br>どこを探せば、そのnowhere は見つけることができるのでしょう…？！<br><br>それはまさに nowhere 。<br>「どこでもないところ」なのでしょうね。<br>(*´∀｀)
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<link>https://ameblo.jp/copyp/entry-11918924735.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Sep 2014 16:13:53 +0900</pubDate>
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<title>今日の(8/5)ケイティさん</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140902/16/copyp/38/62/j/o0548048013054311647.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140902/16/copyp/38/62/j/o0548048013054311647.jpg" width="400" height="350"></a><br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br>「私は」に、証拠なんてありません。<br>☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br><br>原文「『私は』証明がない」<br><br>原文をそのまま訳せば、「『I am』には何の証拠もない」です。<br><br>いかなる証拠や証明を必要としない、そのような証拠や証明とは一切無関係の「I am」 。<br><br>「ザ・ワーク」の問いかけにある<br>「その考えがなければ、あなたは何なのでしょう？」<br><br>その答えを言葉で表現したのが、この何の証拠や証明のまったくない「I am」…<br>そんなふうにも思えます。<br><br>ということは、<br>「私は、○○だから私なのです」<br>と言える「私」は、実は本当の「私」ではないのかもしれません。<br><br>あなたは○○だから、○○な人ですね。<br>…なんていう「あなた」も、甚だ怪しくなってきます。<br><br>○○だから、という「根拠」のあるあなたや私って、それこそ何なのでしょう…！？<br><br>Facebookの今日のお言葉の背景の写真は、きれいな花です。<br><br>このかわいらしいお花を見て<br>「この美しさとは、様々な色や形態の調和のなせるわざなのであーる」<br>とか<br>「センスのある有名フラワーコーディネーターがいけると違うねぇ～」<br>なんて言っちゃうのも無粋かと(笑)<br><br>そんな「根拠」なしでも、きれいなものはやっぱりきれいですもんね。<br>o(*⌒―⌒*)o
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<pubDate>Tue, 02 Sep 2014 16:00:24 +0900</pubDate>
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