<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>紅茶紅茶のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/couchacoucha/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>印象</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今年は</p><p>人の死について</p><p>考えることが多くなったし</p><p>ときどき友人にそういう話をするようになった</p><br><br><p>自分なら絶対にボランティアよりも葬式に行った、と言い切ってくれた友人がいた。</p><p>母親と同じくらい自分を世話してくれた人だから、と。</p><p>確かに僕にとって祖父は、父や母ほど大切な存在ではなかった。</p><p>僕は、両親の葬式だったら絶対にボランティアには行かなかった。</p><p>言い切ってくれるほど祖母を愛していて</p><p>僕に遠慮しないでそれを言ってくれる、それがありがたかった。</p><br><p><br>祖父の死の一連の話を聞いて、泣いてくれた友人がいた。</p><p>その人は僕が卒業して大阪を離れる最後のときも、泣いてくれた人だ。</p><p>もし自分の祖父母が死んだらと、重ね合わせたんじゃなくて</p><p>単純に、僕が苦しんでいたということに対して泣いてくれていたような気がする。</p><br><p><br>自分は祖父母が死んだとき、泣けなかった。</p><p>という友人がいた。</p><p>人の死に涙できなかったということに悩んでいるようだった。</p><p>その子はとても純粋な女の子で</p><p>僕なんかよりずっと心もきれいだから</p><p>泣けなかったということを思い出させてしまって申し訳ないな、と思った。</p><br><br><p>震災で親友が死んだ、という友人がいた。</p><p>海外に卒業旅行中に死んでて連絡も取れなかったから、葬式にも出れなかったそうだ。</p><p>中学時代か高校時代に、テニス部でペアだったそう。</p><p>僕には到底理解できない甚大な苦しみと覚悟を彼はきっと所有していて</p><p>その彼の日記を読んで、自分も祖父母の死について書く意義があるんじゃないかと思って</p><p>それで今回僕もこのような日記を書いた。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11104211461.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 20:27:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>９月１９日とその後数日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ばあちゃんの死を知ったのは、休日の朝だった。</p><p>９月１９日のこと。</p><br><p>母からの着信があることに気づいて、折り返したら、ばあちゃんが死んだ、とのこと。</p><br><p>「あのね、ばあちゃんが死んだ。」</p><br><p>母の最初の一言目はそれだった。</p><p>言葉が出なくなった。</p><p>頭がまっ白になった。</p><br><p><br>ばあちゃんは実は数年前から施設に入ってて</p><p>呆けが進んで、ほとんど僕のことなんて認識できてなかった。</p><p>そう、人間としては生きていても、祖母としてはある意味もう死んでいた</p><p>僕にとってはばあちゃんはばあちゃんだけど、</p><p>ばあちゃんにとって僕は孫ではなかった。</p><p>じいちゃんも夫ではなかった。</p><p>じいちゃんは「よく怒る人」で、僕の母は「よく世話をしに来る人だった」</p><br><p>年に数回しか来ない僕は、誰でもなかった。</p><br><p>ボケの進んだばあちゃんの話す言葉は、敬語が多かった。</p><p>誰もが、祖父よりも先に祖母が死ぬだろうと思っていた。</p><p>それもあって、７月の祖父の危篤は衝撃的だったのだ。</p><br><br><p>声が出せないまま10秒くらいして</p><br><p>「大丈夫？」と母が聞いてきた。</p><br><p>「うん」と声が出た。</p><br><p>経緯と、事務的な情報を聞いて、電話を切った。</p><br><p>ばあちゃんが、死んでいる。</p><p>それで僕はどうすればいいんだろう？</p><p>何も答えが見つからなかった。</p><br><br><br><p>ばあちゃんは、前日の夜から容体が悪かったらしい。<br>死ぬと確信できるほどに。</p><p>それなのに！夜には僕に連絡が来なかった。</p><p>じいちゃんのときにはすぐ連絡が来たのに。</p><p>でもそれは母の優しさだとわかっているし</p><p>なんだかその問題は何となく理由がわかってて</p><p>でもそれを言葉にしようとすると複雑すぎて</p><p>何よりも、もう祖母は死んでいるから、</p><p>何も思えなかった。</p><p>空しすぎて</p><br><p>祖父が死んだときは、劇的だった。<br>人間の命の、その重みを知る出来事だった。</p><p>そう、命は重いはずなのに、<br>「気づいたら死んでた」なんて</p><p>軽すぎるじゃないか。</p><br><br><p>葬式は、本当に近しい家族だけで小さく行うとのことで</p><p>僕は鹿児島に行くかどうか迷い、</p><p>行かないことにした。</p><p>親戚の多くも行かないとのことだった。</p><br><p>祖母の死に関しては誰にとっても予定調和で</p><p>もちろん今日死ぬ死なないなんて誰も知らないけど</p><p>これまでにも何回か重態になったこともあって、近く死ぬとわかっていたし</p><p>ある意味で祖母はとっくに死んでた、というのは母でさえも抱いていた認識なのだ。</p><p>「難病」でもなく「意識不明」でもなく、「認知症」だから。それは死に等しく、早く死んだほうが楽なのだろう。</p><p>僕らにとってそういう認識だった。かなり極端に、言えば。</p><br><p>自分ならこういう風に長生きしたくない、と思ってしまう。<br>人間にとって一番残酷な生き方なんじゃないか？と。</p><p>苦しまずに死ねたらいいね、と心のどこかで思いながら、帰省のたび施設の祖母を訪れていた。</p><p>それなのに、毎回、元気な姿を見て本当に安心もしていたのだから、人間というのは不気味なものだ。</p><br><p><br>知らせを聞いた数時間後</p><p>兄から電話が来た。</p><p>「お母さんが、こうたろうが元気なくしちゃったと言ってたから」</p><p>という電話。</p><p>ばあちゃんは苦しみながら死んだんだ、ということをここで聞いた。</p><p>泣きながら、涙声になりながら会話した。</p><br><br><p>翌日、祝日明けの火曜日の朝<br>僕は会社で、カレンダーを見た。</p><p>月曜日が、何の日だったかを知った。</p><p>「敬老の日」だった。</p><br><p>見た途端</p><p>反吐が出るような、最悪な気分が滝のように僕を襲った。</p><br><p>ばかばかしい</p><p>ばかばかしいばかばかしいばかばかしいばかばかしいばかばかしいばかばかしい</p><br><p>最悪な言葉が一日中、頭に流れ続けた。</p><br><p>気づいてしまった。</p><p>祖父の死のときは、僕を救ったものが二つあったのだ。</p><p>一つは、祖父の最期を見届けられたということ。</p><p>そして自分は何よりあのとき、ボランティアに救われていたんだと。</p><p>祖父が死んですぐ、別の人を救えたという経験が</p><p>僕をとてもとても救っていたんだ。</p><p><br>今は僕は誰も救えないし</p><p>何も、誰も、僕を救ったりしない。</p><p>最悪な僕が、残るだけだと気づいてしまった。</p><br><br><p>頭を巡った無数の「ばかばかしい」は、自分に対しての嫌悪。</p><br><p>「敬老の日に祖母の葬式に行かないことを決意」してしまった自分。</p><p>これまでの人生で、こんなに最悪でばかばかしい「決意」があっただろうか。</p><p>自分を納得させられないことに、気づいてしまった。</p><p>悲しみが、自分への嫌悪感に変わった。</p><p>カレンダーを見る前まで納得してた自分の最悪さに気づいた。</p><p>一生の恥とは、このようなことを言うんだろう。</p><p>誰に話しても、「なんで？」と言われるだろう。<br>そして答えることは、できない。</p><p>「葬式を軽く見たからです。」と答えなきゃいけないけど、</p><p>きっと僕はそんな正直に答えられない。</p><br><p>あの日の僕は永遠に最悪なままで僕の記憶に残り続け、</p><p>僕はそれを他人の記憶に入れないようにこそこそし続けるだろう。</p><br><br><br><p>木曜日、台風で多くの電車が止まった日。</p><p>帰れなくなった同期と二人で、新宿で酒を飲んだ。</p><p>このとき僕はようやく、家族以外の人に祖母のことを話した。</p><br><p>彼は、ただただ僕の話を聞いてくれた。</p><p>「大変だったんだな。なんて言っていいかわからないけど、、、」と言っていたが</p><p>僕のほうは、人に話せたということだけですごく気が楽になってしまって</p><p>それまで三日間まったくってほど出なかった本物の笑顔が、出てきた。</p><p>突然世界が明るくなって</p><br><p>次の日からは驚くほど自然に、人と会話を楽しむことができるようになった。</p><p>きっとこのとき、二人きりという環境じゃなかったら僕は絶対何も祖母のことを話さなかったと思う。</p><p>二人きりというのが僕にとって大切だった。</p><p>台風とか、いろいろな偶然のおかげで救われた。</p><p><br>それからまったく彼とその話をすることはなかったし、</p><p>二週間くらいは、彼以外の人間には誰にも祖母のことを伝えることないまま時間が過ぎた。</p><br><br><p><br>それと時間はさかのぼるけど祖母が死んだ月曜日の夜、</p><p>大阪の友達から急に電話が来た。</p><p>その日の後ろ向きな僕のツイートを見て、電話をかけてきたらしい</p><p>「仕事たいへんなん？」って。</p><p>実は祖母が死んだんだなんて微塵も予想してないんだろうな、と思いながらもやっぱりうれしくて</p><p>フフっと笑えるような、澄んだ気持ちにさせてもらえた。</p><p><br>祖母の死でもやっぱり、沢山の友達に救われた。</p><p>知りもしない友人たちが無意識に僕を救った。</p><p>死に立ち会えず、ボランティアもなかったけど</p><p>家族と友達はあのときと変わらず僕の心のそばにいて、僕を救ってくれた。</p><br><p>次の週、両親が前々から予定していた東京観光に予定通りやってきて</p><p>明るく祖母の話もして</p><p>僕は苦悩の洞窟から抜け出せたことを確信した。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11104031046.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 17:12:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月１５日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ボランティア6日目</p><br><p>早起きして、宿泊所の掃除。<br>担当の役割や場所が決められているわけではないので、<br>自分で仕事を探すっていうのがけっこう大変。<br>そういうのが得意な人ってやっぱいるよなって思う。<br>それはリーダーシップのひとつでもある。</p><br><p><br>掃除の後は<br>全グループが宿泊所に集合してちょっとした閉幕式があり<br>各班のリーダーが一言ずつ振り返りをした。<br>高城さんがそこで、僕と祖父の話をした。<br>僕の名前は伏せて。<br>これも板巻さんのときと同じように、事前に了承済みで。<br>今朝の掃除中に、話してもいいかと聞かれて。</p><br><p>高城さんは、話し出すや否や涙ぐんでうまくしゃべれなくなり<br>早々に板巻さんにチェンジした。<br>陵南の魚住が引退する時の、あのままな感じで。</p><br><p>板巻さんが話すと<br>僕はいかにもパワフルな熱血漢のように表現された。<br>「そのとき、彼は迷わずボランティアを選びました」<br>というのは、本当ではないな、と思う。</p><br><br><br><p>高城さんがそうやって僕のことをみんなに伝えようとしてくれた、<br>そして泣いてくれたっていうのが<br>すごくうれしかった。<br>まるで初めからその思いがほしかったかのように<br>高城さんのその話のあと、僕はしばらく涙が止まらなかった。</p><br><p>不思議な涙だった。<br>堰を切ったようにあふれ出る涙じゃなくて<br>涙腺が機能しなくなって勝手に出てくるような涙。<br>それと、鼻水が涙以上にどんどん出てきた。</p><br><p><br>高城さんには、ボランティアの最後にバレたからよかったんだと思う。</p><br><p>僕の選択がいかにも立派そうだったとしても、</p><br><p>僕がボランティアにしっかりと取り組んでいなかったら全然感動するわけがない。<br></p><p>涙が出るわけがない。</p><br><p>僕は最終日までボランティアをして</p><br><p>そしてその姿を見ていた人が、僕の選択に涙を流してくれた。</p><br><p>それですごく安心した。</p><br><p>自分が頑張ってるのかどうか、自分でわからなくてずっと嫌な気持ちだった。</p><br><p>だけど高城さんの涙を見て、ああ、自分はきっとがんばれてたんだな、と思えた。</p><br><p>じゃなきゃ僕のためにこんなに泣いてくれる人がいるわけがない。</p><br><br><br><p>閉幕式後、高城さんのところに行こうと思っていたが、</p><br><p>高城さんは他の人と話し込んでいて</p><br><p>僕も直ちにレンタカーを一関駅まで返しに行かなければならなかったので</p><p><br>高城さんとようやく話したのは一関駅でだった。<br>「高城さんたちに知ってもらえてよかった」ということを<br>ちゃんと伝えた。<br></p><p>それに、家族や、みっちぇるやKにも決して言わなかった思いというか<br>ずっと感じていた悔しさみたいなものも伝えた。</p><br><p>高城さんは本当に素敵な人というか<br>かっこいい人だ。<br>クールで責任感があるし<br>それでいて自分の感情を外に出してくれて<br>何より優しくて純粋。<br>子どもみたいなところがあるのがいい。<br>奥さんと子どもは幸せだと思う。</p><p><br>一関駅では、運転手以外のみんなを乗せたバスが僕らを拾いに来るまで暇なので<br>他の班の運転手たちとラーメンを食べて、<br>あとはコンビニで立ち読みして過ごした。</p><p><br>バスではまたみっちぇるの隣。<br>やはりずっと話してた。<br>お互い一時間くらいだけ寝たけど残りはずっと。</p><br><p>ボランティアとは関係ないけど<br>大学のときからひそかに抱いていた決意の話もした。<br>当然、反論された。<br>この話は誰にも賛同されたことなんてないんだけど<br>わかってるからそうそう人に話すこともないし<br>大学の友人の中でも３～４人くらいにしか話したことはなかった。<br>同じ会社の人には誰にも。</p><br><p>この話をみっちぇるにしようと思ったこと自体が<br>僕がよっぽどこのときみっちぇるに心を開いていた証拠なんだろう。</p><br><br><p>20時半ごろに東京に到着したら<br>簡単なセレモニーをして解散。</p><br><p>班のみんなで記念撮影をして、<br>そして一人ずつ、あいさつをして抜けて行って<br>僕とみっちぇるだけになったところで、ボランティアに参加した同期での飲み会へ。</p><p>この飲み会はひたすら楽しんだ。<br>大声出して笑って下ネタ飛ばして<br>バカになれて楽しかった。<br>二つテーブルがあったんだけど、<br>僕のいたテーブルは真面目な話なんて一つもしなかった。<br>それがよかった。</p><br><p>解散して<br>大久保駅から寮に歩いてく途中で母に電話。</p><br><p>電話の向こうの母には気づかれてなかっただろうけど<br>ここでもぽろぽろ泣いた。<br>とにかく自分が、<br>ボランティアを選んでよかったということ<br>それは「良い経験」ができたからとかそんなチャチな理由じゃなくて<br>「希望の実現の助け」になれたからに他ならないんだってこと。</p><br><p>すごくいいボランティアだった。<br>間違いなく。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11103925171.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 14:50:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月１４日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ボランティア5日目</p><br><p>漁業用のいかだ作り。<br></p><p>いかだ用の浮き輪にビニールシートをかぶせたり、<br>縄を均等な長さに切ったりする作業。</p><br><p>この日もまずは陸前高田のＶＣ（ボランティアセンター）に集合して、<br>ドアに指を挟むことなく現地へ。</p><p>作業する場所が二か所あったので、</p><p>初め一か所目に到着してから運転手だけそのまま二か所目の場所を確認しに行くことに。</p><p><br>二か所目を案内してくれた漁師の人は両親が津波に流されたそうだ。<br></p><p>妻・子供は無事で、今は妻の実家にお世話になっていると。</p><p>陸前高田に５つあった漁港のうち３つは潰れてしまったそうだ。<br></p><p>今回僕たちの訪れた場所は、地盤沈下はしているが復興が無理なダメージではないそうで<br></p><p>3年後に牡蠣が取れるようにまた一から作業を進めているということだ。</p><br><p>今回のイカダ作りは、その三年後に取れる牡蠣を想像しながら作業する。<br>そう思えば、復興の実現の手助けになっているということが実感できる。</p><br><p>午前中は浮き輪作り。<br>日陰のない空き地での作業だったので、道路にできた家の影の上で休憩を取った。<br></p><p>休憩時間はほのぼの、としていた。<br></p><p>いつものように坂巻さんは自分の水筒の冷たい水をみんなに飲ませる。<br></p><p>漁師さんからは差し入れにアイスをいただいた。</p><br><p><br>お昼ごはんは弁当の宅配を頼んで<br>それを港に戻って、漁師さんたち手製の休憩所で食べた。<br>言い方は悪いが、ホームレスが住む家のような感じだ。<br>みっちぇるが持ってきたきゅうりの浅漬けをみんなで食べる。</p><br><p>昼食後から14時までの1時間で、縄切りをする。<br>何回か切っているとコツがつかめて、上手に一回で切り取れるようになった。</p><br><br><p>作業中に突然フジサンケイの記者がやってきて、撮影と取材を始めた。</p><br><p>新聞に載ったらどうしよう、なんて考える。<br></p><p>板巻さんはあからさまに前に出た。<br></p><p>初めこそウキウキしたが、次第に写真などどうでもよくなった。<br></p><p>インタビューは受けたくなかった。</p><br><p>みっちぇるは長いこと取材を受けていた。<br>しっかりと話していたので関心した。<br>あとで聞いたら、会社はおろか名前も職業も伏せていたそうだ。<br>しかもわりと斜に構えてて、どうせ載らないんだろうと思いながら話していたらしい。<br>それであれだけちゃんと話すならむしろ一層関心するよ。</p><br><br><p>作業の最後に、漁師さんに名刺をもらった。<br>三年後に食べに来て、というのと、<br>都民ボランティアはもう終わるけど個人でのボランティアでいつでも来てくれ<br>という二つの願いを込めて。</p><br><br><p>ＶＣに寄ってから、今日もまた気仙沼プラザホテルの温泉へ。<br>また時間ぎりぎりだった。<br></p><p>ホテルの前で、ひさしぶりにKと遭遇した。元気そうだった。</p><br><p>みっちぇるは風呂の中で同期に会って話し込んでいたらしく随分と長風呂だった。<br>遅くなりすぎてさすがに申し訳ないと思ったらしく、まゆげは書いてこずに集合場所にやってきた。</p><br><p>晩御飯はあさひやという洋食屋へ。<br></p><p>これがこのメンツでの最後の晩餐。<br>カツカレー的なものを食べた。</p><br><p>板巻さんがみんなに、おじいちゃんの話をした。<br>元報道マンだから、知っていることはみんなに伝えたくなるんだと。<br></p><p>ホテルで風呂上り二人でいたときに、他のみんなに君のことを話してもいいかと尋ねられたのだ。<br>僕は、ダメとは言わなかった。<br>話してもいいかと尋ねてくれることが、いろんな意味で優しかった。</p><br><p>高城さんと奥田さん、当たり前だけど、全然気づかなかったそうだ。当たり前だ。</p><br><p>高城さんは<br>「泣きそうになっちった」「俺なら葬式に行っちゃうな」と言った。</p><br><p>僕は、用意してた返答というか、<br></p><p>葬式に行った人だってそれはそれで立派ですよ、とか<br></p><p>この選択をどう受け取るかはその人次第ですしね、とか<br></p><p>模範解答みたいな説明を付け加えたけど</p><br><p>「ボランティアって言っても人によって受け取り方が全然ちがって…」<br>ということを言いながら泣きそうになってしまった。</p><p>ていうか泣いた。</p><br><p>しゃべろうとすると涙が止まらなくなるので、数分ほどずっと黙り込んで<br></p><p>そのあと自然に、とっくに変わった話題の中に参加した。</p><br><br><p>宿泊所に戻ってから一人で、<br>人に見られない場所で椅子に座って、涙を流していた。<br>何を思い返してそこで泣いたのかはいまいち思い出せない。<br>ただ、いろいろ思い返して泣いたのは確かだ。</p><br><br><p>少し時間を戻して<br>夕食後は、ひぐらしの近くにみんなでまたホタルを観に行った。</p><p>昨夜見れなかったから今度こそと。</p><p><br>あいにく時間が早く、ホタルは見ることができなかった。<br></p><p>ホタルを呼ぶ儀式とかやったんだけど無駄だった。</p><br><p>リーダーミーティングのため保健センターにもどって高城さんと板巻さんを下ろしてから、<br>改めて奥田さんとみっちぇると三人でひぐらしに向かった。<br></p><p>どうやら場所が微妙に間違っていたらしく、<br>他の宿泊所からやってきた別の班に教えてもらって、ホタルを観ることができた。</p><br><br><p>この日は最後のリーダーミーティングということではからいがあり<br>リーダー以外の人も参加することができたのだが<br>あまり意味はなかったかもな。</p><p><br>そのあとの懇親会も、同じ会社の同期が群れるばかりになっていたような。</p><br><p>変な話だが、僕は同期よりも奥田さんや板巻さんといるほうが落ち着いた。<br>みっちぇるは、もっと同期と話したそうにもしながら、<br>僕と奥田さんに少し遅れてついてきた。</p><br><br><p>夜遅く、<br>高城さんとみっちぇると<br>三人で話し込んだ。</p><br><p>高城さんとこうしてじっくり話す機会は本当に少なかった。<br></p><p>副団長として忙しかったから。</p><br><p>自分がいる事業部の認知度をもっと上げたいんだ、とか<br></p><p>奥さんと付き合ってたときの話とか<br></p><p>いろいろ話してくれたな。</p><br><br><p><br>この日の深夜の僕は、<br>後にみっちぇるいわく、「しょんぼりしていた」らしい。<br>そうかもしれない。</p><p><br>思うことがいろいろあったせいか<br></p><p>口が言いたいことを言わず<br></p><p>心が思いたいことを思わなかった。</p><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11103596125.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 02:50:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月１３日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ボランティア4日目</p><br><p>陸前高田で草刈り。二つの班で。</p><br><p>陸前高田はそれはもうひどい有様。<br></p><p>被害の範囲が恐ろしく広い。<br></p><p>波に飲まれたというより、波にぶっとばされたというほうがむしろしっくりくる。<br>その被害後の現場から当時の津波を想像すると、そんなことあるわけないだろうと思うような超絶な絵しか浮かばない。</p><br><p>ボランティアセンターでまず集合して、ミーティングと用具の借入れ。</p><br><p>ここで事件が。<br>みっちぇると二人で熊手などの用具を車にしまいに行った際に、<br>車のドアに指をはさむトラブルが発生。</p><br><p>変なとこに手を置いてた俺の過失が大きいし<br>そもそもそんなに大きなケガにもなっておらず痛みも小さかったんだが<br>みっちぇるはかなり動揺し責任を感じてしまった。<br></p><p>本当に心配された。これでもかってくらい心配された。<br>大丈夫だって言ってるのに。<br>駐車場の前にある川で指を冷やさせられる。<br>「冷やしてくれないと私の気が済まない」と言われて。<br>本当に、いい子だなって思った。<br>このような人を守ることが、神様の最低限の責任なんじゃないかと思う。</p><p><br></p><p>依頼は個人のものと聞いていたが、<br></p><p>土地は個人の所有だがそこで物資供給などのイベントを行おうというつもりらしい。<br>それでその空地の雑草を刈ってほしい、と。<br></p><p>大切な仕事だな、と思える仕事だ。</p><br><p>草刈りにはカマとクワとクマデを使う。<br></p><p>20分働いて10分休憩、の繰り返し。<br>どこかで熱中症で倒れた人がいたらしく、2時までで終了しなければいけない。<br></p><p>もっと働きたい。</p><br><p>差し入れにジャガイモの塩茹でや手づくりのおかしをもらった。<br>塩ジャガめっちゃおいしい。</p><br><br><p>昼休みに少し歩いて、惨状のよく見える場所に行った。<br>息を飲むような光景。</p><p><br>線路に瓦礫が引っ掛かり、瓦礫の道ができていた。<br></p><p>ミクロに見れば瓦礫は瓦礫でなく、ＣＤプレイヤーや棚や洋服に姿を変える。<br></p><p>単なる建物ではなく、人間の生活がぶっこわされたんだ、とわかる。</p><br><p>ここでも現地の人たちは、嫌な顔をせずに当時のことを話してくれる。<br>本当にたくましい。<br></p><p>きっと彼らは、自然と生きてきた分、自然に奪われることに対してはもともと覚悟ができてるんだ。<br>誰かに家族を奪われたりしたなら一生それを憎むだろうけど、自然(現象)に奪われるなら。</p><br><p>だけど昼食のときに家を貸してくれたおじさんがいうにはやはり遺恨というか暗いものは残っているようで<br></p><p>家を流されなかった人は気まずい思いをしているし<br>流された人ももちろん完全に平気なわけもない。</p><br><br><p>予定通り2時で終了したけど、思っていたよりもたくさん草を刈れたと思う。</p><br><br><p>ボランティアセンターに寄ったあとは気仙沼プラザホテルに温泉アンド食事へ行く。<br></p><p>4時までで、かなりぎりぎりに着いた。<br>実際は少し遅れても入れてくれるようだったが。<br>途中で道を間違えたときはビビった。</p><p>なんせ運転してるの自分だから、遅れたら自分のせいだから。</p><br><p>しょっぱいお湯の、いい温泉だった。サウナもついてる。</p><br><p>ホテルの料亭の刺身定食もおいしい。<br>板巻さんがコーラを急に飲みたくなったらしく</p><p>自分で二杯と僕に二杯で合計四杯注文して、一同爆笑。</p><p><br>高城さんとみっちぇるはノンアルコールビールを飲んだ。</p><br><p>コンピュータの未来の話とか、坂巻さんの吉祥寺のママとの話とか、<br>今まではあまりしなかったような話もするようになった。</p><p>なんでアナタたちはいまの会社に入ったの？みたいな質問を奥田さんにされたりも。</p><br><p><br>プラザホテルを出て、ひぐらしという別の宿泊所の近くに出るというホタルを観に行った。<br></p><p>なかなか見つからず、見当はずれの山道を進んでその道を引き返しただけだった。<br></p><p>しかしその冒険がとても楽しくて<br>全員とても盛り上がった。<br>無駄を楽しめた。</p><br><br><p><br>宿泊所に帰ったら奥田さんとミッチェルと雑談。<br></p><p>この日は昨日よりもさらに長くそしてさらにとりとめもなく雑談。<br></p><p>奥田さんがどっか行ってもみっちぇると二人で雑談。<br></p><p>みっちぇるがどっか行っても奥田さんと二人で雑談。<br></p><p>紅茶飲みながら。</p><br><br><p>そこに途中から、昨日みっちぇるが歯磨きしてるときに知り合ったという<br>香港人でＮＺ在住の歯科衛生士マギーが加わり、<br>さらに歯科医師の升田さんをマギーが呼んできた。</p><br><p>升田さんは愛媛の歯科医で、<br>はじめは読者の多い知り合いのブロガーに頼んで歯科医としてのボランティアを手伝ってくれる人を募り<br>ホームページを立ち上げて、反応のあった人を東北に紹介したりしているそうだ。</p><br><p>マギーは</p><p>NEW ZEALANDから日本を助けたいという思いで</p><p>「歯科衛生士　ボランティア」で検索してたまたまそのＨＰにたどり着いたようで、<br></p><p>外国人を一人で行かせるわけにはいかないということで升田さんも東京から一緒に来たのだとか。</p><br><p>訪問による歯科治療を専門にしているそうで、<br>この日も30人ほど治療してきたそうだ。</p><br><p>気仙沼では最大だった訪問看護センターが流されてしまい、<br></p><p>医師が覚えていたのをリストアップして訪問しているとのこと。</p><br><br><p>行動力があるっていうのはすごいことだな。<br>同世界にいるはずの人が<br>あっという間に別世界に飛んで行ったりして<br>僕にはそれがない。</p><br><br><p>途中から升田さんは被災地のことよりも歯のことを熱く語りだした。<br>口から人を幸せにする</p><p>それが彼のポリシーらしく</p><p>かなり思い入れというかプライドがあるんだな。</p><br><br><p>余談だが、</p><p>ボランティアで医療をする、というのもいろいろ複雑な問題らしい。</p><p>無料で治療してくれる医者がいれば、</p><p>優良で治療する医者がいられなくなる。</p><p>ボランティアの医者がはびこるほど、現地の医者が困る可能性が大きくなる、ということ。</p><br><p>かといって医者はお金を取って治療するにはその地域で医師としての登録が必要で、</p><p>それをするには、もともと働いている病院をやめなければならない。</p><p>そんなこともなかなかできない。</p><br><p><br>東北でこんな出会いをするとは思っていなかった。</p><p>体一つで日本に飛び込んできたニュージーランド人と</p><p>そのような外国人に人助けの場を提供する愛媛県の医師様。</p><p>人間は美しい。</p><br><p>こんな出会いはさすがに予想していなかった。</p><p>みっちぇるの、知らない人と打ち解ける力にもびっくりだ。<br>彼女のおかげでいい出会いができた。<br>まあ僕は人見知りしちゃって、聞くばかりであんまりしゃべれなかったんだけども。</p><br><br><br><p><br>この日は、高城さんが「かわいい」という話で盛り上がった。</p><p>奥田さんも気づいてたみたいだ。</p><br><p>クールで大人な普段の中に、ちょくちょくかわいいところが出てくる。<br>かみなりをこわいこわい言ったりね。<br></p><p>噛めば噛むほど味が出る人だ。高城さんは。<br></p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11103592934.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 02:33:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月１２日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ボランティア３日目</p><br><p>今日は炊き出し。<br>廃校になった津谷川小学校の建物が避難所になっていて、そこに住む30人の夕食を作る。<br></p><p>13時くらいに現地に入って食材などの確認。<br>おおよその内容は前日に引継ノートでわかっていてメニューも決めてきたので、<br>量や状態などを見てそれを微調整。</p><br><p>前の日程ですでに炊き出しを経験していた知り合いの話からすると<br>男は野菜を洗ったりピーラーで皮をむくだけになるのかなと思っていたが</p><p><br>普通に僕も野菜切ったしほうれんそうの胡麻和えの味付けなんかしたりもした。</p><p>野菜切るのはまだ経験から何とかなるにしても<br>胡麻和えなんて作ったことないんで、もーウザいくらいみんなに確認してもらった。</p><p>包丁の扱いについては奥田さんに「意外と上手い」と言ってもらえた。<br>板巻さんにもほめられた。<br></p><p>期待が低かったとしても、そこそこ良かったってことだと思う。</p><br><br><p>殺菌には想像以上に最深の注意が払われていて、<br>食材以外のものを触るたびに手を洗うのはもちろんだが<br>包丁やまな板は一度使う度に洗うだけでなくいちいち熱湯に晒してから使用するほどだった。</p><br><p>ほとんど時間通りに料理は出来上がり、<br>反省するべきことが思い浮かばないほど、順調にできた。<br>ごまを使った料理がちょいと多過ぎたけど。</p><br><p>皿に盛りつけることも、食べる姿を見ることもできないのは残念だ。<br>やっぱ炊き出しのゴールは「完成」ではなく「美味しい」だから。<br>ゴールできずに終わったかのような気分だ。<br></p><p>きっと美味しく食べてもらえたと想像することしかできない。</p><br><p>料理中の板巻さんの動きが面白かった。あれやるこれもやるやる言ってて。<br>金平ごぼうに固執していたのに、金平には結局ほとんど触れなかったし。<br>炊き出しには板巻さんは相性がよくなかったかも。<br></p><p>しかし板巻氏は本当に活力がすごい。<br>昨日の瓦礫運びでも、ポンポン運んでいた。<br></p><p>放置してれば役に立つっていう感じ。<br>空気が読めないわけじゃなくて、ちゃんと周りに迷惑をかけない動き方をしてるんだよな。<br>ちゃんとチームの力になってる。<br>すごいおじいちゃん。</p><br><br><p>料理完成後、校庭にいた「さんすけ」という犬と戯れる。</p><br><p>お風呂は今日もまきばの湯。<br>リーダーミーティングまで時間がなかったので晩御飯はコンビニで。<br></p><p>コンビニ弁当とはいえ</p><p>みっちぇるがめちゃめちゃ楽しそうに選びめちゃめちゃうれしそうに食べるから場は和む和む。<br>彼女の才能であり長所だ。</p><br><p>保健センターに戻ってからは<br>みっちぇる・奥田さんとおしゃべり。<br>距離が縮まったなあという感じ。</p><br><p>奥田さんは48～49歳で旦那さんはいるけど子供はいなくて<br>こういうボランティア的なことは震災の前からやっているみたい。<br>旦那さんとは趣味の野球(応援)を通じて知り合ったとか。<br></p><p>50手前とは思えないほど若い。<br>落ち着いていて、僕やみっちぇるみたいなコドモにも理解がある。</p><br><p>今回のボランティアに参加してる人は、年齢より若い人が多い。<br>そういうものなんだろう。<br>ボランティアに参加するような精神のことを、「若い」というのだろう。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11102822521.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Dec 2011 12:13:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月１１日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ボランティア二日目</p><p><br>初ボランティアは、大島で個人宅の瓦礫分別。二つの班で。</p><p>すこし早い時間に起床し、コンビニで昼食を購入して気仙沼のフェリー乗り場へ。<br></p><p>みんな起きるのが早いんだ。<br>俺は前日徹夜明けなのもあって、アラーム鳴ってもなかなか起きず。</p><br><p>気仙沼の港近くはひどい有様。<br></p><p>二日後に見ることになる陸前高田に比べれば随分軽いといえば軽いが、<br>壊滅的打撃といえるくらいのダメージを受けていた。<br></p><p>復旧なんて全然だが整理は進んでいて、<br></p><p>無事な建物と、瓦礫の退けられた更地と、取り壊しを待つ無残な建物の３種類に分かれている感じ。<br></p><p>道路は通れない場所もまだあった。<br></p><p>海からの生ごみのような匂いも漂っていた。我慢できないほどではないが。</p><br><p>大島の港からすぐ近くの場所に依頼人の家はあった。<br>おそらく７０～８０くらいの主人とその奥さん。<br></p><p>家屋は隣家の土地まで流され、家があった土地には大きな瓦礫の山が一つと、分別された６つほどの山。<br>大きな山はブルドーザによって一気に寄せられたもので、<br>前日までにほかのボランティアがその大きな瓦礫山を分別して<br>６つの山に組み直す作業をしてきたのを同じように進行するのがこの日の仕事。</p><br><p>瓦礫の種類は木材が最も多いが、<br>農業漁業をやっていたそうで、木材以外の重たい瓦礫もかなり多かった。<br>何に使うのかよくわからない金属の何かや、網など。<br>運ぶことよりも、木材と金属がくっついているのをバールではがす作業が一番力を使った。<br>水を吸った衣服はずしりと重くて、かなり苦労した。<br></p><p>大きな瓦礫山の外側はもう乾いていたけど内側は水分が多いため、ハエがたくさん出てきた。<br>日差しが強く、長袖長ズボンに帽子で僕は防備していたが、防備していない他の男性陣は真っ赤に焼けていた。</p><br><br><p>ご主人はとても気持ちの良い人だった。<br>午前と午後でアイスを二個もいただいたし、おにぎりやジュースも。<br>冗談が好きな人で、５秒に一回はジョークを飛ばしていたような気がする。</p><p>目の前にある家の老人は津波に流されて亡くなってしまったそうだ。<br>甘く見たのか、高いところに上らず小屋の中に立て籠もってしまったらしい。</p><p>地盤沈下により、陸だったところが水に遣っていた。<br>１～２メートル、沈んだようだ。不思議な光景だった。</p><p><br>男性陣はおとなしそうな人も厳つい人も雑把な性格の人もいたが、<br>誰もが手を抜かずきちんと作業していた。<br></p><p>女性は、手を抜いているという感じではないが、マイペースに作業していた。</p><p>ボランティア参加者は女性が多い。<br>それは、よくもわるくもマイペースだからなのだと思う。<br>よくも、わるくもだ。</p><br><p>僕はといえばずっと不安を抱えながら作業していた。<br></p><p>自分は他の人以上に頑張れているのだろうかと。<br>他の人が走らないところで走ってみたり<br>ちょっとした「あがき」をしながら作業をしていた。</p><br><p>規則によって、3時までしか作業はさせてもらえない。<br>全体の休憩時間には自分も休憩しなければならない。<br>パワーや作業効率では僕はほかの人に勝れないと思うから、僕にとっては嫌なルールだった。</p><br><p>３時になり、ご主人の要望でビニールシートにみんなでメッセージを書いて家を後にした。<br></p><p>フェリーに向かって自宅から手を振ってくれていたのには感動した。ドラマみたいな風景。</p><br><p>フェリーでも眠りに落ちた。</p><p>今朝の寝坊(集合時間に遅れたわけではないので遅刻ではない)のせいもあって<br>僕は「よく寝るキャラ」になったようだ。</p><br><p>一度宿泊所に帰ってから、準備して風呂アンド食事へ出る。<br>昨日と同じまきばの湯へ。<br></p><p>風呂上りは、昨日よりも多く雑談をしたような気がする。<br>運転が昨日よりも上手くなったと高城さんに褒められた。<br>やさしくて、ふくらまない運転になったそうだ。<br></p><p>奥田さんには「独創的な料理をつくりそうだね」と言われた。<br>はやくもそのキャラか。まだあんまりしゃべってないのに。はやいな。</p><br><p>そしてお風呂を出て「ヒルトップ」というステーキ屋さんへ。<br></p><p>目の前でステーキを焼いてくれた。すんごくおいしい。<br>サラダ・ライス・スープは食べ放題で千円。<br>今回のボランティア期間の食事の中でも最も印象に残った。</p><br><br><p>宿泊所ではだんだんと藤本との会話が弾むようになってきたか。<br>他の人にはまだ顔見知りしたままな感じ。</p><p>夜は一人で外に出てたそがれる。<br>とはいえよく人が通るから、一人になりきれない感じではあるけど。</p><p><br>小学校のころからの友人から突然電話がかかってきた。<br>酔っぱらって、なんとなくの勢いでかけてきたらしい。<br>来年から緑色の銀行に就職することになったらしい。<br>なんだか少し、変な性格になっていた。<br>昔からそうだったのかもしれない。<br>俺は彼のことをこうしてきちんと眺めることがすくなかったのかもしれない。<br>同じ業界に行くもの同士、また仲良くしていきたいな。</p><br><p><br>板巻さんに祖父のことを話してしまった。<br>何となく、勢いで。<br>人に知ってほしいんだよなやっぱ。</p><p>いたく感動された。<br>おじいちゃんも喜んでるよと言ってもらった。<br>ある意味では定型文。予想通りの言葉が返ってきただけ。<br>それでも<br>安心するよ。<br>72のおじいちゃんが言うんだから<br>88のおじいちゃんもそう思ってるんじゃないかって思える。<br></p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11102817555.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Dec 2011 12:03:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月１０日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ボランティア一日目</p><p>少し時間に追われながら家を出る。</p><p><br>コンビニで足りない物資を少し購入して<br>新宿の集合場所までは歩いて行った。<br>途中でタクシーを拾うことも考えたが<br>汗をかき早足になりながら結局歩いて行った。</p><br><p>集合場所で友人に会い安心した。知り合いがいる、と。<br>会社の休暇制度でボランティアに参加したため</p><p>会場内には同期がたくさんいたが、知り合いはさほど多くなかった。<br></p><p>会社主催のボランティアではないので一般の方もたくさんいた。</p><p>参加者はおよそＭＨが半分、一般が半分という割合だ。</p><p>2つ前のクールに参加した友人からフリーターが多いと聞いていたが、<br>実際今回はそんなにいなかったようだ。</p><br><p>はじめに会社のメンバーで集合かけられた後、<br>軽めの開会式をしてバスに乗り込む。</p><br><p>みっちぇると同じ班になったことには少し戸惑った。</p><p>入社後最初の研修合宿で同じ班だった女の子。</p><p>いっしょの班でボランティアに取り組むには近すぎる間柄というか</p><p>同じ班の他の方々からしたらどう見えるのだろうかと。<br>まあ知り合いがいることのメリットデメリット、どちらかといえば、<br>メリットのほうが大きいと思った。</p><br><p>同じく参加していた同じ支店のKを見つけて<br>いかにも普通を装って話しかけた。<br>祖父の件で迷惑をかけたことについても普通に謝意を伝えた。<br></p><p>考えすぎかもしれないが、<br>なんとなくいやな距離を感じた。<br>「死」のこととなると<br>問題は解決を持たない分、ややこしい。</p><br><p>同じ班のメンバーはみっちぇるのほかには<br>30代前半のイケメン高城さん（仮名）<br>49歳（これはあとで聞いて驚いた）のボランティア2回目、金髪主婦奥田さん(仮名)<br>72歳の元報道マンでこれもボランティア経験ありの板巻さん(仮名)<br>合計5人で6日間を過ごすこととなった。</p><p>行きのバスはみっちぇるの隣になった。<br></p><p>バス出発後はまず班での自己紹介。<br>高城さんがリーダーに自ら立候補。<br>免許を持っているのが高城さんとみちぇると俺の3人で、<br>リーダーはドライバーとの兼任禁止、みっちぇるはペーパーということで俺がドライバーということに。<br></p><p>仕事が与えられるのは正直うれしい。<br>少なくとも運転という面で役に立てる。</p><br><p>およそ8時間の道のりの中で<br>1～2時間くらいは寝たけど<br>それ以外はずっとみっちぇると話してた。</p><p>何の話をしただろう。<br>祖父のことは話してしまった。<br>誰かに話したかったのもあるし<br>隠すほうが、心への負担というか疲労が重い気がして。<br>というかある程度明るく飄々と話せる自信があったんだ。<br>切り替えができてると。<br>まあ多少空気が暗くなってしまいはしたけど、話せてよかったと思う。</p><br><p>４月の合宿の話や、支店の話や、<br>お互いの家族の話とか、<br>学生時代の話とか。<br>ノーベル賞の話をしたことがみっちぇるの印象にはけっこう強く残ってたらしい。</p><p><br></p><p>拠点である一関市に到着して、まず団長副団長等の決定。<br>高城さんは副団長になった。<br>団長はバリバリの仕事ウーマンな印象のおばさん。はっきり言ってしまうと、エラそう。</p><p>宿泊所には３つの班が宿泊。<br>宿泊部屋はとても広く、男八人には十分すぎるスペース。</p><br><p>荷物だけ置いて、班のメンバーでお風呂と食事のため車で外出する。運転は、僕。<br>６キロほどの山の上にある、まきばの湯という銭湯へ。<br>くねくねと長い山道で少し苦労したし本当にこの上に風呂があるのかと不安にもなったが、無事到着。</p><p>とても雰囲気のいい場所だった。<br>高原の景色がきれいで、風が気持ちよくて。<br>風呂上りに話しながら、<br>板巻さんが某キー局の元社員で、ベトナム戦争のとき日本のメディアで一番に現地入りした人だと知った。<br>４月にボランティアに行ったときは一週間風呂に入らなかったらしい。</p><br><p>夕飯はコンビニ弁当を買って帰り、男部屋で班みんなで食べた。</p><p>リーダーミーティング終了後、班でのミーティング。そして就寝。</p><br><p>じいちゃんが今日、灰になったっていうことはなかなかイメージしてもピンと来なかった。<br>灰になるっていうのがどういうことなのかもよくわからない。<br></p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11101677036.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 00:39:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>７月７日～７月９日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今年の僕を一番揺るがしたのは祖父母の死で</p><br><br><p>記しておかないといけない気がする</p><p>人の目に触れられる場所に残しておかないといけないような気がする</p><p>そんな気がしたからわざわざこんな場所にブログを開いたけれど</p><p>どうしても自己満足に終わってしまいそう。</p><br><p>とりあえず数日かけて書いていく。<br><br><br></p><p>花は枯れるけれど</p><p>花の匂いは枯れない</p><br><p>例え貴方がこの世を去ろうとも</p><p>あなたが残した声や思いは今も私の心の中には鮮やかに残っている</p><p>それは繊維に染みついた花の香りのように枯れることはない</p><br><p>ただ私が悲しいのは、その香りが薄れてしまうことなんです</p><p><br><br><br><br></p><p>今年の七夕</p><br><p>祖父の危篤の知らせが届いた。</p><br><p>帰ろうと準備していたロッカーの前で母の留守電を聞いた僕は</p><br><p>混乱してまず何をしていいかわからなくなった。</p><br><p>危篤だ、ということだけを伝える３時間前のメッセージ。</p><br><p>全然、元気だったはずなのに。</p><br><p>すぐに電話する人はすぐにするのだろうけど</p><p>心の整理が全然、全然できなくて</p><p>１分間、電話を手にしながらロッカールームを歩き回っていた。</p><br><p>１分後、男の同期が二人、部屋に入ってきた。</p><p>何も悟られないように</p><p>笑いながら「今日は先に帰ってて」と言いロッカールームを逃げ出て</p><p>誰もいない食堂に逃げ込んだ。そこで母に電話した。</p><p><br></p><p>まだ生きているということがわかった。<br></p><p>だけどもう絶対に、今回の「コレ」で、祖父は死ぬんだということがその電話でわかった。</p><br><p>一人で運転中に脳出血を起こして事故になり、、<br></p><p>そのまま病院に運ばれたそうだ。</p><br><br><p><br>会社を出るとき、同期の女の子Kのために誕生日プレゼントをその日の朝買ってきていたことを思い出した。</p><br><p>僕は祖父が危篤中で、Kは僕の祖父の危篤を知っていて、</p><br><p>そんな状況で僕はKに、実写版宇宙戦艦ヤマトのDVDを手渡した。</p><p><br>プレゼントのばかばかしさに、そのときだけは気持ちが軽くなった。</p><p>Kは優しかった。</p><br><p><br></p><p><br><br></p><p>翌日は会社を休み、朝９時頃、病室に着いた。</p><br><p>カバンには、着替えといっしょに葬式用のスーツをぶちこんで行った。</p><br><p>祖父は生きていた。</p><br><p>祖父の周りを、両親と、母の姉二人と、従姉妹のお姉さんと、そして兄夫婦が囲んでいた。</p><br><p>僕が来たのを見て、みんな泣き出した。</p><br><p>じいちゃんよかったね、こうたろうが来たよ</p><br><p>こうたろうよかったね、じいちゃんまだ生きてるよ、こうたろうを待ってたんだよ</p><br><p>みんなもうすでに散々泣いていただろうに、それでも泣いた。</p><p><br></p><p>そこは病室ではなくまさに「治療室」という感じの場所だった。</p><br><p>いつでも見える場所に医師がいて、何度も機械をいじったり体温を測ったりしていた。</p><p><br></p><p>死ぬとわかっている人を一定時間死なせない場所。</p><br><br><p><br>あとのご家族は、何時ごろに到着する予定ですか？と</p><br><p>医師が母に聞いていた。</p><br><p>彼がそんなことを尋ねる理由を、誰もがわかっていた。</p><p><br></p><p>僕が来て１０分もすると、場はとても和やかになった。<br></p><p>世間話や冗談もたくさん交わしていた。<br></p><p>じいちゃんこんな顔だったっけ？<br>こうたろうはもう東京の暮しには慣れた？<br>こないだ職場の上司がさ、、、<br></p><p>そんな会話ばかりしていた。</p><br><p>１時間ほどして、東京に住む別の従兄が駆けつけた。<br></p><p>僕が来た時と全く同じように</p><p>間に合ってよかったねと感動し</p><p>みんなで泣いた。</p><br><p>そして世間話に戻った。</p><br><p>そしてまた別の従兄が駆けつけてみんな泣きだし、、、と</p><br><p>それが３回ほど繰り返されて、すべての近しい家族が集まった。</p><p><br>じいちゃんは血圧も脈拍もとても不安定になりながら</p><br><p>それでも予想よりかなり長いこと生きていた。</p><br><br><p><br>夕方５時くらいになり<br></p><p>僕は会社の上司に報告の電話をかけなければならなかった。</p><br><p>なんと報告していいのだろうか？<br></p><p>僕は、ありのままを伝えてしまった。</p><br><p>「まだ生きてるけど、もう死にます。」という主旨のことを。</p><br><p>「もう死ぬんです」ということを口にするよりも、</p><br><p>「もう死ぬって…でもまだ死んでないんでしょ？」と聞いてくる上司に</p><br><p>「ええ、まだ生きてます」と答えるほうが辛かった。</p><p><br></p><p><br>祖父は、その電話の１時間くらいあとに死んだ。</p><br><p>急にゴールを見つけたかのように</p><p>脈拍も血圧もゆっくり一定のﾍﾟｰｽで下がりだして</p><p>そのまま一直線に死んだ。</p><br><p>死ぬ直前が、心電図がほとんど直線に近づいてしまったときが一番悲しくて</p><p>涙が止まらなくて死んでほしくなくて声を出して</p><br><p>本当の直線になった瞬間は、ああ終わったか、と思うだけだった。</p><p><br><br></p><p>死んだ夜は</p><p>兄と銭湯に行った。</p><p>露天に浸かりながら</p><p>「ほんとに死んだんだね」「実感わかないね」と</p><p>セリフのような会話をして</p><p>そこで死の事実を自然と受け入れられたような気がする。<br><br></p><p><br></p><p>悩みがあった。</p><p><br></p><p>僕には翌々日から１週間、東北にボランティアに行くという予定があった。</p><p>祖父の葬式に出ると、ボランティアに行けなくなる、という問題。</p><p><br>僕の中では早い段階で、やりたいことははっきりしていた。</p><p>ボランティアに行きたい。</p><br><p>祖父はもう死んでて<br></p><p>葬式に行ったって、僕は何もできやしない。</p><br><p>兄をはじめ、何人もの従兄が鹿児島に残って葬式なんかの手伝いはしてくれるし</p><br><p>僕が祖父の葬式に出ても、できることなんて、何もない。</p><br><p>ボランティアに行かなかったら、欠員が出た分誰かが苦労するだろう。</p><br><p>ボランティアに行ったら、誰かを助けられるかもしれない。</p><br><p>それなのになぜ祖父の葬式を優先する？<br></p><p>祖父はもう苦しんでなんかいないし<br></p><p>そもそも葬式ってなんなんだ？何のためにやるんだ？</p><br><p><br></p><p>僕には、祖父の葬式に出ることのほうが正しいってわかってた。</p><br><p>ボランティアを休むのはもちろん<br>大事な仕事を休んで祖父の葬式に出る人も、<br>何を犠牲に祖父の葬式に出る人も、必ずその行いは正しい。<br></p><p>誰も悪く言うわけがない。<br>必ず善人だ。</p><br><br><p>祖父の葬式を休んでボランティアに行くのはどうだ？<br></p><p>何人かは賛成してくれるかもしれない。<br></p><p>だけど反対する人が必ず、たくさんいる。</p><br><p><br></p><p>たかがボランティアじゃないか。<br></p><p>良い経験ができたらいいな、という程度の考えで申し込んだんだろ？<br></p><p>祖父の葬式より優先するようなものか？</p><br><p><br>批難というより</p><br><p>不可解そうな反応をした人が多かった。</p><br><p>反射的に「どうして？」と聞かれた。</p><br><br><p>僕は誰にも胸を張って言えなかった。<br>死んだじいちゃんにだって顔を合わせられないと思った。<br>それなのにそれでも、ボランティアに行かなきゃ絶対に後悔すると確信していた。</p><br><p>葬式の理念は、「恩」だと思う。<br>恩を感じている人はふつう、葬式に出席する。</p><p>だから出席しない僕は恩知らずで、恥知らずな男だ。<br>そのレッテルを背負う覚悟をしてまで、僕はボランティアを選ぼうとした。</p><p><br>バカみたいな話だが、僕自身がやはりそれまで、ボランティアをなめていた。<br>だけどじいちゃんの葬式と天秤にかけようとしたとき、<br>ボランティアというものに対する見方が一変してしまい、<br>ここでボランティアを選ばないのは、自分に反していると感じてしまった。<br>じいちゃんの死は、命よりも重たいものはないと教えてくれたけど<br>ボランティアと祖父の葬式ならボランティアのほうが、「命を大切にする」に近いんじゃないかと。</p><br><p><br>変人だ。</p><br><p>だけど、人に軽蔑されることはどうしても怖くて、たまらなくて<br>もしボランティアが取るに足らない、誰の力にもなれないつまらないものだったらどうしよう<br>そしたら僕はどうなるのだろうか、と<br>不安でしょうがなかった。</p><p>こっちはじいちゃんの葬式サボってボランティア行くのに<br>「良い経験ができたね」程度で１週間が終わったら間抜けだ。</p><p><br>祖父の死の翌日、通夜を途中で抜け出して東京に戻り<br></p><p>ボランティアに参加した。<br></p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/couchacoucha/entry-11101597776.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Dec 2011 23:14:30 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
