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<title>身近な危機管理</title>
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<description>中央官庁OBである81才の著者が自らの戦争体験や業務体験を元に記す、身近な危機管理(行政への提言/セキュリティ対策/サバイバル術)あれこれ。</description>
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<title>災害と飢餓</title>
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<![CDATA[ <p>戦争中のことであるが、人は食料がなくなると栄養失調状態になり、いかに早く体力が劣化(衰え)て無力化し、死の危険に陥ることになるかを体験した。</p><br><p>昭和20年6月23日、この日、横浜市が600機余りの大空襲を受け、壊滅した。数十万人の市民は、家を焼かれ、食料を焼かれて、ただ呆然自失の状態に陥っていた。私がいた金沢区の追浜は幸い爆撃を免れ、空襲後は直ちに横浜市民の救護が命令され、取り敢えず、食料の補給として市民に「握り飯」を配ることになっり工場の食堂の炊事班は、一切に飯炊きに全力をあげ、我々学生生徒はそれを配色缶に詰めて、トラックに積み込む作業に入った。</p><br><p>昼近くから作業を始めようやく作業が終わったのは夕刻であった。<br></p><p>1万数千人が働く工場の食堂で供給されてきた飯米は、この救援作業で一切無くなってしまった。</p><p>これまでは兵食(一般の水平の食事)として十分に白米の飯が腹一杯食べられていたが、この日以来、米の飯を食べることが出来なくなり、代わりに高梁米と芋が混ざった食事でそれも量がこれまでの3分の1程度に減らされた。</p><br><p>然し、作業はこれまで通り過酷な重労働であり、工場内は炉で高温の為、体力の消耗は見る見る内に進んだ。特に、我々の班は、焼鈍炉に使う石炭を4日おきに遠くの石炭貯蔵庫まで行き、4tトラックに満載する超重労働があった。</p><br><p>これまでトラック一杯に石炭を積む(石炭上げと言った)のに4人の生徒が大きなスコップを使って約15分で積み終えていたのだが、次第に長い時間がかかるようになり、6人がかりでも1時間かかってようやく終わるほどに体力は劣化した。食道からは、時折り、ブドウ糖の配給があったが、焼け石に水の状態であった。</p><br><p>そうこうする内に、全員が下痢がひどくなり、一層体力は落ちてしまった。</p><br><p>ある日、かつて住んでいた旧寮まで荷物を取りにゆくことになり、釜利谷の宿舎を朝の8時頃出発したが、足がもつれて先に進めず、200メートルほど歩いては立ち止まり、しゃがみこんで休み、それを繰り返しながら、進んで金沢文庫の旧寮に着いたのは、昼過ぎとなった。寮で自分達の荷物をトラックに積み、上乗りをして釜利谷の宿舎に帰ったのは日暮れ時になっていた。</p><br><p>よく太平洋戦争で南方のガダルカナル島の戦闘で、上陸した日本陸軍の精鋭が相次ぐ、爆撃で、補給を断たれ、爆薬も食料も尽き、全員が栄養失調になり、銃剣を持つ力も無くなり夢遊病者のようになり、ジャングルを逃げ回りながらばたばたと倒れて死んでいった話を聞いたが、私達の6月23日から8月15日の終戦の日までの状態はほぼそれに近い状態であった。座ると、尾てい骨が床に当たり痛くて、まともに座れず、絶えず襲ってくる下痢に悩まされた日々のことを思い出すと、よくも生きてこられたものだと思う。</p><br><p>人はこのようにいったん大きな災害で食料が無くなると、日常の生活をまともに続けることが困難になり、たった2、3週間の内に体力が急速に衰えてしまい、正常な行動が出来なくなってしまう。この事を十分に理解して欲しい。</p><br><p>また、そのような時、急に食料が手に入り、飢えのあまり夢中で腹一杯食べようものなら、一辺に死んでしまう危険があることも知っておくべきである。こうした折には、まず重湯のような流動食を少しずつ摂取して、次第に濃くしながら2, 3週間かけてゆっくりと普通食に戻す事が大切なのである。</p><br><font size="2"><br></font><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10589738156.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 21:34:11 +0900</pubDate>
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<title>騒乱に備えよ　(海外での危機管理)</title>
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<![CDATA[ <p>今、タイ国で現政府に反対する派閥が大衆動員をかけて連日バンコック市内の目抜き通りを封鎖して政府軍と対峙し、ついに銃撃戦が起きて、多数の死傷者がでる内乱に近い状態となった。最近ようやく停戦合意がなされ鎮静化に向っているようだが、あの大人しいタイ人でも、時により、このような内乱の状態まで激変し、生活の危機に脅かされることが現実になった。</p><br><p>日本では到底想像もつかぬことだが、我々は海外に旅行し、海外で生活する機会が増えたことから、真剣に海外で滞在中に騒乱に巻き込まれる事態についてここで真剣に考え、どのように対処すべきかを考えてみよう。</p><br><p>一つには日本の外務省がホームページで各国の安全情報(危険地域の指定)や渡航情報、各地の治安状況を調査して警告している。海外に行こうと考えたときは、必ず、一度、外務省の渡航情報を調べて欲しい。やむを得ず、該当する地域に赴く時は、必ず現地の日本大使館、総領事館を訪ね、行動日程を知らせて何か起きた時はどのように連絡するかを取り決めておくことである。</p><br><p>決して自由な行動を取らないようにして欲しい。また、滞在地に向かう時万が一危険な状況になった時、それを回避して別な場所まで避難できるルートを予め調べておくことである。これには、現地の交通情報がどの程度確認できるかどうかで大きく影響されるので、バス、列車、航空機のスケジュールを詳細に調べておく必要がある。</p><br><p>次に、滞在する場所(多くは都市であろう)の詳細な地図を予め入手しておくことが大事である。国によっては地図は、国家機密に属するとして外国人には販売しない国があるので十分に注意することである。</p><br><p>そして、ホテルや住宅が決まった時、その周辺にどんな道があり、どこに通じているかを確かめておくこと、市外の状況でどの場所からホテルに帰るルートがあるか確かめておくことである</p><br><p>言葉の問題もあり、いざ事が起きた時に戸惑うばかりであは騒乱に巻き込まれる危険性が多く、場合によっては、障害を蒙ることが起きるので、こうした予備行動を是非、行って欲しい。</p><p>尚、日本大使館や総領事館には必ず、在留届を提出し、事件が発生した時の救援の連絡が取れるようにしておくことである。</p><br><p>その国が不安定な国であるほど、前もって脱出の準備を予め整えておくことが必要である。例えば、予めオープンチケットを購入しておくとか、まさかの時、外出が出来ない時の為に、非常食や飲料を揃えておくなどである。</p><br><p>過去数年での騒乱発生時の状況では、在留邦人の脱出用に日本政府が専用機の配備をした例(インド・パキスタン戦争の時)、インドネシアのスハルト政権崩壊の騒乱時はジャカルタが騒乱状態になり、政府は、自衛隊の輸送機をシンガポールに飛ばして、待機させた例がある。然し、政府の対応はいつも非常に遅い事を念頭に置いて、冷静に行動することである。イエメンの内乱の時は、大使館の書記官の機転によって、英国の商船にうまく便乗して脱出した事例がある。</p><br><font size="2"><br></font><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10578353660.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jul 2010 09:58:27 +0900</pubDate>
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<title>この国を護った人々　2/2</title>
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<![CDATA[ <br><p>今NHKの大河ドラマで坂本龍馬や岩崎弥太郎の明治維新期の日本でどんな戦いをしてきたかのかのドラマが放映されている。然し、私は今冷静に現在日本が直面している国の存亡の危機的状況をどう打開するかについて過去の物語よりも、もっと身近に現実に体験した国難(太平洋戦争)の際に、当時の若者達はそれをどのように受け止め敢然として立ち向かったかについて60数年前の日本の戦いの中に思いを致し、じっくりと考えてみることが重要ではないであろうか？</p><br><p>昭和20年3月、フィリピン海域の米国海軍機動部隊に対し、第一次特別攻撃隊が爆装零戦五機による突撃で大きな戦火をあげるとただちに第二次、第三次攻撃隊が編成され、クラーク基地から飛び立ち攻撃を続行した。然し、これらは兵法の外道であり、異常な感情による暴挙に近いものであり、多くの若者達は悩み、絶望しつつ、死に向かって直進していったのである。ところがこうした流れの中にあってわずかではあるが非道の指令(半強制的命令)の特攻指令に対し敢然と反対し、指揮官先頭に粘り強く戦い部下の無駄な死を避け、常に堂々と攻撃を繰り返し、8月15日の日まで戦い抜いた集団のあったことを改めて指摘したい。</p><br><p>艦上爆撃隊では肥田大尉の率いる飛行隊であり、水上機では美濃部部隊、戦闘機隊では小松大尉の率いる飛行隊である。</p><br><p>これらの戦闘隊は、ほかの隊の何れよりも激しい戦場に赴き、戦火を挙げ続け、遂に最後まで矛を収めなかった。</p><br><p>他方、基地指令や参謀達は割り当てと称し、次々に指名を行い、米軍の前に送り出し、無駄死に追いやり、自らは戦果確認の任務で職場に飛ぶ事もせず、しかも特に許せないのは故障により帰還したペア(乗り組み員チーム)を再び死なせる為に突入させていることである。特に、司令、参謀達は特攻要員となった人々を「消耗品」と呼んで、軽蔑していた事実である。この事実は今日不況の中で各企業が派遣社員を大量に予告無しに解雇し、居住権までも奪って巷に送り出している行動なって今も続いているのである。</p><p>明日どうなるかも分からず、不安な勤務の中で正社員に保障している健康保険、失業保険皆無なまま使役し、挙句の果てには生活の基盤である寮まで立ち退きを迫り、路頭に迷わせている。これはかつての日本海軍の幹部が「消耗品」と称して、大量に死地に強制的に駆り出していったことと全く同じ思想行動であり、許しがたい暴挙である。</p><br><p>このように日本の社会も、いまだに特権階級が自由気ままに大衆を翻弄していることをこの際、じっくりと考えてどのように対処するかを考えてみようではないか。<br></p><br><font size="2"><br></font><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a> <br>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10574110049.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Jun 2010 18:50:07 +0900</pubDate>
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<title>この国を護った人々　1/2</title>
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<![CDATA[ <p>今日、小沢・鳩山政府は、妄言、詭弁を乱発し、遂に辞任に追い込まれてしまった。一歩誤れば、日本を崩壊の危機に曝す暴走振りであった。そうした今、日本を取り巻く国際情勢、取りわけ、軍事的緊張はかつての朝鮮戦争の勃発に似た極めて切迫した状況にある。<br>いまだ日本と北朝鮮は戦争状態(停戦中)であり、今回の北朝鮮の魚雷攻撃で紛糾すれば、再び6月25日の悪夢が再現される恐れがある。</p><p><br></p><p>それに加え、中国海軍の多数の艦艇が日本の専管水域で堂々と侵犯を繰り返し、果ては、日本の領土である沖ノ鳥島の領海内で故意に、日本の艦艇に異常接近し、威嚇する暴挙を行った。こうした国家危機に際しては、どう対処しなければならないのか？<br></p><p>残念なことに鳩山総理(当時)は、一言も抗議をしない有様で全く中国政府からは馬鹿にされ、果ては、日本の護衛艦こそ挑発的行動をしたと抗議してくる始末であった。こうした国家の危機に際して、我々は、どのような対処をすべきなのだろうか？<br></p><p>省みて深く考えよう。かつて、祖国の危機に際して、日本の青年は敢然と全力を奮って戦い、国を護るために一身を捧げた。20年3月、日本海軍航空隊は、遂に圧倒的な戦力を誇る米海軍第7艦隊に対し、第一次神風特攻隊を発進させ、見事5気の戦爆機(零戦に500キロの爆薬を装備)が空母に突入し、撃沈した。この日の朝、空枝支廠では総員集合がかかり、1万人余りの将兵、学徒、工員全員が集合し、竹中竜三長官からの訓示を聞いた。</p><br><p>「昨日フィリピン海域においてわが特別攻撃隊は第7艦隊に対し、必死の攻撃を敢行し、見事に空母を含む艦艇を撃沈した。攻撃に参加した隊員は………、と順に隊員の氏名が挙げられる中で、中野盤夫兵曹、福島県相馬中学出身」、と言われ、一瞬異様な感激で身震いが起きた。竹中長官は「特に中野兵曹の出身校の相馬中学の生徒は先輩に恥じぬよう精励することを望む」と名指しで訓示され、我々生徒はいっそう毎日の作業に全力を尽くすことを誓った。</p><br><p>私達、爆弾部に配属の16名は直接、も艦艇攻撃用の80番、50番、25番(いずれも800kgの呼称)の爆弾を製造しており、その中の一つが中野兵曹に抱かれて、爆砕したのだと思うと、厳粛な気持ちと一層精励して国を護ることを誓った。</p><br><p>このように国家の際し、自らの立場、力量で全力を尽くす精神は、今どうなっているのだろうか？この精神は、今の日本が直面している幾多の困難、危機を打破し、祖国を護る為に、全力を尽くすことが再び強い日本を復活させる基礎になるのだということを肝に銘ずるべきではなかろうか？</p><font size="2"><br></font><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10571872818.html</link>
<pubDate>Thu, 24 Jun 2010 10:15:46 +0900</pubDate>
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<title>天災に対して公共がなすべきこと　2/2</title>
<description>
<![CDATA[ <p>成田空港には二社の鉄道会社が乗り入れている。空港地下の広大なプラットホームには数分おきに列車が到着、発車している。</p><br><p>今回のような未曾有の天災が発生した時、政府の危機管理対策室は迅速にことの重大さを認識し、直ちに空港会社と鉄道会社に滞留する膨大な旅行客の救済の為の臨時措置を依頼して、臨時列車の編成を求めて、仮の宿泊所としての列車の提供、そして空港会社、航空会社各社は、通過旅客に対しての応急救援措置として食事、寝具の提供に協力するよう依頼、空港会社に食事寝具の配給を指示するよう行動する。</p><br><p>米国ではフィーマと呼ばれる緊急事態対処専門部署が一切の指揮をとる権限を持っていて迅速に行動している。日本政府もいたずらに防災組織を作らずにこのように絶対権限をもった強力な指導機関が迅速に行動できるよう、早急に態勢を整備すべきである。</p><br><p>ここで強調したいのは、交通機関の企業はいつ何時大事故が発生してもただちにトップが直接指揮をとって行動すべきであって、起こるべき大災害のあらゆる場合にどう対処するのかを明確に決めて、社内に周知徹底しておくべきである。</p><br><p>今回のように遠い他国での天災でも交通機関では直接影響が及ぶことを理解し、取り得るべき行動について細かく指示（マニュアル化）すべきだろう。</p><br><p>今回の事故を参考に、日頃から政府機関と空港会社、各国航空会社は、緊急事態にどう対処するのかを協議検討して互いの連携を確実にする方策を取り決めておくことが必要である。</p><br><p>交通機関では、国鉄時代から長距離列車が事故で長時間滞留した時、駅では食事の手配や客車を宿泊に臨時に提供していた。今でも新幹線の事故で長時間滞留するとき列車での宿泊が行われており（とくに終電が出たあと帰宅できなくなった乗客に朝まで寝台代わりに列車を提供している）。夏は冷房、冬は暖房をきかせてくれており、今回の成田空港ロビーで、寒さに震えた旅客をみると一刻も早く当事者がしっかりと心配りをして貰いたいと考えてしまう。</p><br><p>次に、直近の課題として関東地方の大震災、台風豪雨が起きたときの対処について考えてみたい。</p><p>東京都心に近隣各県から毎日数百万人が通勤してくる。この人々はいったん大災害が起きた時、誰が救済の行動をとってくれるのだろうか？</p><br><p>防災には自助、共助、公助がある。自らを守るにはサバイバルグッズの常備が必要であるが、自宅が郊外の場合、所属する県では救援は物理的に不可能である。また行政機関は相互援助協定が結ばれていても、すぐに個人に援助を行うことは不可能である。ならば勤務している地域に助けを求めても行政機関は地元住民の救済に手一杯でよそ者にまで救済行動をとることは出来ない。</p><br><p>ではどこに救いを求めるのか？日ごろ通勤に使っている鉄道会社ではどうだろうか？何時も利用する駅との関係で考えてみる。先ず定期券でつながりがあるので、最寄駅に自分のサバイバルグッズを預ける方法　例えば、まさかの時に備え予め防災用品一式を預け、これにはカードを発行して貰い交換する方法。</p><p>一種の私書箱の登録を鉄道会社が旅客と契約し、駅構内で保管を請け負うビジネスである。そうすることによって災害発生直後すぐに行動を起こすゆとりができて、行政も地元住民を優先して救済活動に取り組むことができよう。</p><br><p>拠点駅は膨大な客が利用するので避けて身近の駅と契約することが肝要である。</p><br><p>駅には情報を集中的に集める作業を求めよう。帰るべき自宅付近の現状の情報を教えて貰い、みだりに右往左往しない。駅では応急列車のある無しや運行の情報を逐次放送することで人心を正常に保たせることができよう。</p><br><p>これを円滑に進めるためには沿線の情報を駅当局が迅速に把握しておくことが重要である。</p><br><p>■交通機関のとるべき行動</p><br><p>契約済みの乗客にカードで物品を引き渡す、最寄り駅での自宅地域の被災状況を逐一放送する、電車の運行の見通しを逐次放送する、もし長時間運休するときは駅で乗客が仮泊することを考慮して停車中の列車を仮眠場所として提供する、飲料水の補給の用意をする等々、真剣に対応策を研究すべきだろう。</p><br><p>行政機関も地元住民以外の通過客に対する救援策のひとつとして駅の機能の重要性を認識して協力体制をどう組むかを協議しマニュアル化すべきである。</p><br><p>また駅に設置している自動販売機のメーカーは交通会社と共同で災害時に飲料商品の販売と特に一般テレビ放送の受信放映を装置にセットし、災害時の情報の的確な伝達に販売機の機能を生かす研究を行うべきだろう。</p><br><p>それには日頃から太陽光発電で電源を独自に取り、コマーシャル放送を流し、災害時には公共放送を優先して流すような機能を研究することが重要である。</p><br><p>そして、事故対策の重要な施策としては、－</p><br><p>運行中に路線事故で列車が立ち往生して、復旧に長時間かかることが判明したとき、運行管理システムとしては、列車を救援する対策として、列車に非常電源を常時搭載し、電源断で自力走行が出来ないところを、非常電源の働きで最寄駅まで低速進行して乗客を降ろす救援策について研究してほしい。</p><br><p>ここ数ヶ月で新幹線の架線事故で多くの列車が立ち往生し乗客が閉じ込められた。病人が出てもなにできない、これが真夏であったらどうなることかと心配する。</p><br><p>是非、上記を関係機関専門家によって改良してほしい。</p><br><p>また、大震災で長時間列車が立ち往生したときは電車区に配備したジーゼル機関車と電源車を使い、順次待避線まで列車を牽引し、列車を排除した後、長期停電でも応急列車をディゼルカーで運行できるよう研究すべきである。昔の関東大震災では蒸気機関車で列車を牽引していたので、応急列車はすぐに編成できたようだが、今日は全ての交通機関は電車中心なので電源がないと全く運行できなくなる。</p><p>これは極めて重大な事項であるので、真剣に交通当局関係者の研究を切望する次第である。</p><br><p>翁　拝<br></p><font size="2"><br></font><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10543382144.html</link>
<pubDate>Mon, 24 May 2010 09:20:20 +0900</pubDate>
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<title>天災に対して公共がなすべきこと　1/2</title>
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<![CDATA[ <font size="1"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">2010年4月14日、中国の青海省で巨大地震が起きて多数の死傷者が出たとの報道がされ、そして同じ日に遠くヨーロッパのアイスランドでは火山が大爆発を起こし、噴煙がヨーロッパのほぼ全域に広がり、航空機の飛行が全面的に停止とのニュースが報道された。今まで各地の火山爆発でも広範囲に飛行禁止の指示が出たことはなかった。この影響ははやくも日本にも現われ、成田空港ではヨーロッパ各地に向けた航空便はどれも欠航となり、多くの旅客が足止めになった。</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br><font size="2"><br></font></font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">このとき空港当局はどんな行動（処置）を取ったのだろうか？各地の航空会社の情報収集を行ったと思われるが、しかし、乗客のもっとも必要としていることは何かという問いに対して、迅速且つ的確に応えたのだろうか？テレビ報道ではロビーで所在無く休む人々、多数の乗客は行く当てもなく旅行会社と今後の方針について相談する姿が見受けられた。</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br><font size="2"><br></font></font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">成田空港が積極的に乗客に対して、食事寝具の世話、休憩所の開設をしたとの報道は一切なかった。いわば成田にいた外国人は帰宅難民となりながら、この人々に、政府、空港会社、交通機関のいずれもが、何らかの救済行動を取らなかったのである。翻ってヨーロッパの各国はどうだったのか？</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br><font size="2"><br></font></font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">私が知った限りでは、その対応は政府、航空会社が一体となって行動していた。先ず各地に取り残された自国民の救援に航空機を飛ばし、空港に立ち往生の外国人旅客には寝具、食事の手配を行い、簡易ベッドを提供し、これを滞在中ずっと続けて行っている。</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br></font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">この事実は大きい、日本に対する感情に今後はっきりマイナスの効果が現れるであろうことを恐れる。思えば17年前の阪神淡路大震災の時、政府は神戸所在の外国公館に何の救援行動も取らずに放置した。なぜこうも外国人の生命、生活の危機に際して迅速に救済行動をとろうとしないのだろうか？</font></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック"><br></font></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><font size="2"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br></font></span></font></font></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br></font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">(2)に続く</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font face="ＭＳ Ｐゴシック"><br></font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-SIZE: 12pt" lang="EN-US"><font size="2" face="ＭＳ Ｐゴシック">翁　拝</font></span></p><br><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><br></p><font size="2"><br></font></font></span></font><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<pubDate>Sat, 15 May 2010 15:42:46 +0900</pubDate>
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<title>局地豪雨にどう備えるか</title>
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<![CDATA[ <p>いつもはなんの変哲もない街も局地豪雨では一変して地獄の様相に変貌する。</p><br><p>ではどうやって危険回避を工夫するのか？まず街の地図を購入し（標高が記載されている地図を選ぶこと）、自宅付近の地形をそこに記す。坂道がどこにあるのか、いまの場所は低地なのか、どの方向が高いのか、傾斜は自分で自転車に乗って走り確かめよう。<br>※いま市町村が配布しているハザードマップには標高が記載されていますか？よく確かめよう。</p><br><p>雨の降る日に近くの道の側溝を流れる水の方向を確かめておこう。<br></p><p>よく行く街の道筋を歩いて標高をたしかめ、どちらから水が流れてくるのかを確かめよう。<br></p><p>自動車は道路が浸水して30センチの深さになるとエギゾーストパイプに水が入り込み、エンジンは止まり立ち往生する。そしてそれ以上水深があるとどんどん流される。ドアは水圧で開けられなくなり脱出できなくなる。<br></p><p>なお普通の道路から少し水が出ていても走れるが､ガード下は必ず低くなっているのでかなり大量の水がたまりやすい。そこに車が進入するとたちまちエンストを起こして立ち往生し、急速に水嵩が増して車ごと水没、車から出られず溺死する。</p><br><p>2008年実際に栃木県で発生し女性が溺死した。</p><br><p>地下街、地下室、地下鉄は局地豪雨に弱い。濁水が流れ込み水没する。</p><br><p>かなり以前の出来事だが昭和34年夏の台風で関東地方は大雨に襲われた。当時勤務していた霞ヶ関付近は国会議事堂方面から大量の濁水が虎ノ門交差点付近に押し寄せた。</p><br><p>勤務先の書庫も冠水の恐れが出てきたので、一同地下の書庫から大急ぎで書籍を上に運び出した。</p><br><p>午後2時ごろ雨は最大限の勢いとなり人事課からは放送で早期退庁をつげ、皆いっせいに帰宅しようと外にでた。私は普段は地下鉄丸の内線で通勤していたが、何故かこの日は新橋駅まで歩き、山手線で帰ることにした。</p><br><p>虎ノ門交差点に差し掛かると、地下鉄銀座線の虎ノ門駅入り口には土嚢がうず高く積まれ、かろうじて濁水の浸入を防いでいる有様であった。</p><br><p>これではいつ地下鉄に浸水が起こり全線不通なるか分からない、と思い、駅に急いだ。ようやく新橋駅に着き、山手線に乗り高円寺の自宅に帰ろうとしていた時、車内放送で地下鉄御茶ノ水駅が浸水して丸の内線は全線ストップしたとのアナウンスが流れた。</p><br><p>神田駅で中央線に乗り換え新宿駅まで来た時に、今度は山手線が田町付近の冠水で不通となったとアナウンスがあり、うまくここまで来られたものだと自分の幸運を喜んだ。</p><br><p>この時の台風は、東京の下町に荒川と利根川の濁水が堤防を越えて流れ込み約2メートル50センチの浸水となり、大多数の家が軒下まで水に漬かり大災害になり、しかも、水はなかなか引かず大変な災害であった。</p><br><p>今日もしあなたが局地豪雨に遭遇したらどうするか？</p><br><p>地下街を歩いていたらすぐに出口を探し地上に出ること。地下街は方向が全くわからず、外の様子つかめないので危険な状態かどうかが判断できない。</p><br><p>浸水は突然起こるし地上から滝のように階段から濁流が襲ってくる。</p><br><p>階段から出ることはまず不可能で最悪で溺死するおそれがある。</p><br><p>局地豪雨での地下街浸水事故は1999年6月の朝、博多駅付近の12のビルの地下室などが浸水し、地下の変電所のブレーカーがおちて、なんとこれが福岡空港の電源をストップさせて、エアコンや照明装置が止まり大混乱となった。</p><br><p>大都市の変電所はよく地下に設置されているので、こうした局地豪雨を予想しておらず大混乱が起きるのである。</p><br><p>2000年の東海地方の豪雨では名古屋市の地下鉄でも浸水が起こり、あやうく全水没の危険が迫り3000余の人々の避難騒ぎとなった例もある。</p><br><p>大雨注意報が出ているときは地下街や地下鉄を利用しないことである。</p><p><br></p><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10512418113.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Apr 2010 13:17:50 +0900</pubDate>
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<title>都市型異常出水とヒートアイランド現象</title>
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<![CDATA[ <p>都市のヒートアイランド現象は夏の酷暑により不可避的に拡大している。屋上緑化対策は始まったばかりであり、都市の道路が面積を増加させる限り今後も拡大するばかりだろう。</p><br><p>これに加え大都市の幹線道路は慢性渋滞でほぼ幹線道路は渋滞した車両が巨大なヒーターの役目を果たし、恐竜のような渋滞ガスが熱風を大空に送り一挙に積乱雲の素を造り有名な環八雲（積乱雲）を作り上げている。</p><br><p>この現象が都市に発生する局地豪雨の要因である。</p><br><p>他方、都市の下水管と雨水管、側溝や下水、排水管は、従来観測した一般豪雨の平均降雨量で計算して排水能力を設定したものであり、特に特異現象である都市型局地豪雨の降雨量までの許容能力は予想外であり、この為、一度、局地豪雨が市街地に発生した時には、敷設した排水管は溢れ出す雨水を捌き切れず、遂には、マンホールの蓋を押しのけて路上に溢れ出し、道路があたかも川の役目を果たして低い土地―それは住宅の敷地や玄関、店先等―へと無差別に侵入してくる。</p><br><p>今市役所が配布しているハザードマップはあくまで近くの河川の氾濫を予想しそれに対処する一般的避難方法を記載しているだけで自宅付近で発生する異常出水にたいする防御方法は書かれてはいない。</p><br><p>実例としては、東京都では中野区で2005年に1時間に112ミリの降水があり、町中が水浸しになった。大阪府豊中市でも2006年に110ミリの降雨で市街地浸水の大被害が出ている。</p><br><p>その他にも目黒区中目黒地域での局地豪雨で、坂道付近が冠水しビルの地下室に浸水し中にいた人が溺死している。低地帯でなくてもこのように坂道は濁流の通り道になり、意外な場所で浸水が起きることに注意したい。</p><br><p>現在の局地豪雨は昔の夕立とは性質も規模も全くことなり、非常に危険であることを銘記すべきである。</p><br><p>大都市では地下街が発達し便利であるが、こうした都市特有の局地豪雨の発生で突然地下街に濁流が押し寄せる危険があることを日頃から注意して、ラジオやテレビの天気予報を注意しておく必要がある。<br></p><br><br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a><br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10509268849.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Apr 2010 19:56:14 +0900</pubDate>
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<title>地震への対策</title>
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<![CDATA[ <p>阪神大震災においては、6000人あまりの人が亡くなった。その中では就寝中に物が倒れて落ちてきて、その下敷きとなり、身動きがとれずに助けられないまま火災で焼死した人が多数いた。</p><br><p>これまで防災といえば家屋の耐震工事、補強ばかりを強調し、根本的に今の家の構造の条件でどうすれば人が圧死せずに助かる（生き延びる）かの論議が全くなされていない。</p><br><p>資金のある人ならば耐震補強工事も出来るだろうが、これ以上家屋の補強が出来ない人はどうすれば良いのか？また身体障害者、病弱者はどうすれば良いのか？これが全く話題になっていない。そこでの私の提案である。</p><br><p>(提案1)もっとも簡便な耐震装置 オール・スチール製二段ベッド<br>もっとも簡便な耐震装置―それはオールスチール製品の2段ベットの応用である。市販のスチール製2段ベットは、上段に乗り込んでも大丈夫なように、強固に出来ていて、しかも、左右には斜め支柱が通されて、歪まないように造られている。<br></p><p>これを基本に、さらなる補強の為にスチール製の支柱を取り付け、頭部の箇所に金網を張り側面も一部金網で補強すれば天井からの落下物や横からの倒れてくる家具からは身を守ることが出来る。<br>2段ベットの上段には予備の布団や軽いものを置いておけばクッションになって潰れる心配はない。この案では市販の価格約2万数千円で作れる。</p><br><p>(提案2)木造耐震シェルター<br>これはドイツで開発されたリグノトレンド工法で組み立てられた構造体。<br>全部が木質構造体でパネル組み立て式であり1ユニットが約40kg。2人で運び込んで上下の部材に溝から落としこんで張り合わせて、天板もパネルを組んで取り付けるだけで完成する。<br></p><p>パネルの長さが自由に選択できるので、大きさを自由に選ぶことが可能である。いまの自宅の寝室にパネルを運んで組み立てるだけなので極めて容易に設置することが出来る。ちなみに写真のモデルでは幅3.5ｍ高さ2.5ｍ奥行き3.5ｍのものであり、価格はおおよそ200万円ぐらい。組み立てる前に床の強度を予め確かめておくことが必要である。</p><br><p><a href="http://www.houze.co.jp/ligno/">http://www.houze.co.jp/ligno/</a> </p><p><br></p><p>(提案3)一般市販の耐震シェルター<br>これまでに耐震シェルターなるものがいくつか市販されている。これは強度や組み立て経費が不明なので価格が明確ではない。</p><br><p><a href="http://www.hkm-taishin.com/">http://www.hkm-taishin.com/</a> </p><br><br><p>以上、耐震シェルターの例を紹介した。</p><br><p>阪神大震災では2つのベットの間に転げ落ちてそれが家屋倒壊でも助かった事例がある。<br>地震対策の第一歩は家具倒壊からいかに己の身を守るか、部屋をシェルター的な構造物として見直すことが有効だと思うのである。<br></p><br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/"><img border="0" alt="にほんブログ村 シニア日記ブログ ７０歳以上へ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fsenior.blogmura.com%2Fsenior_over70%2Fimg%2Fsenior_over7088_31.gif" width="88" height="31"></a> <br><a href="http://senior.blogmura.com/senior_over70/">にほんブログ村</a>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10504778717.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Apr 2010 11:42:18 +0900</pubDate>
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<title>機銃掃射を逃れて</title>
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<![CDATA[ <br><p>「危機管理」に関連した記憶を辿りながら、回想をしている為、時間軸にそって話を進められない事、平にご容赦願いたい。</p><br><p>さて、―</p><p>昭和20年6月、日本本土は毎日何処かで、米国の海軍機動部隊から出撃した艦載機によって都市、農村漁村、工場、学校、そして、交通機関の列車が襲われ、このため軍隊にいる兵士よりも民間人の方が危険であった。</p><p>進行中の列車が襲われ多数の死傷者も出ていた。</p><br><p>私達は、海軍の工場で勤務していたが、空襲になっても一斉に頑丈な防空壕に退避し安全であった。</p><p>しかし、生産活動は止まり、軍需生産は殆ど停止する状態に幾度もなっていた。</p><br><p>ある勤務明けの昼間工場から宿舎の寮に帰る途中、急に空襲に遭った。<br></p><p>広い田んぼのあぜ道を数人で歩いていた時、海岸の方向から1機のグラマン戦闘機がこちらに向かって来たのである。</p><br><p>何処に隠れるか考える暇も無く、側にあった用水堀に飛び込んで体を隠した。<br></p><p>そっと首を伸ばして外を見ると、近くの農家が銃撃で燃え上がりどうにも手が付けられない有様、そのうちこちらに向かって機銃掃射が始まり、ぶすぶすと機銃弾が土煙を上げて飛んできた。</p><br><p>しかし、操縦者はわれわれを見つけられずに、そのまま鎌倉方面に飛び去っていった。</p><br><p>私達は大急ぎで寮まで駆けて帰りホッと息をついた。</p><br><p>日頃から寮長に、自分の歩く道の周囲を注意して見ておいて襲われた時の隠れ場所の見当を付けるように強く言われていた。実際、その通りに、私は、道の途中の状態をよく確かめていたのが良かったのである。</p><br><p>寮長はかつてソロモン海戦の時、乗っていた駆逐艦がやられて、多くの部下が戦死していた。その体験から、私達若者の命の大切さを心から思いやってくれる人であった、</p><br><p>先にも触れた「45秒の退避訓練の徹底振り」と、「事前点検の重要さ」を親身になって指導してくれたのである。</p><p>とっさの機転が命を救う事はままあるが、偶然や運に左右される事が少なくない。<br></p><p>日頃の事前点検は、それ以上に、私達の命を救う重要な手段である事を教えてくれる。<br></p><br><p>翁　拝</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/crisis-management/entry-10496617381.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Apr 2010 00:54:22 +0900</pubDate>
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