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<title>暗い日曜日</title>
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<description>日誌と追憶</description>
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<title>１０月３０日　継続</title>
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<![CDATA[ ジムに通い出したのは去年の１０月頭からなので、ちょうど１年を経過したことになる。<br>私の場合いきなりジムに通い出した訳ではなく、その前段階にジョギングをしていた期間があったので、１年通ってみたがとくに気持ちが切れるようなこともなかった。<br><br><br>私なりにこうしてジム通いが続いている理由を考えてみると、筋肉を動かすことが好きになっているという基本的なことを除けば、ジムが通勤経路にあることであろうと思う。これは非常に大きいことだ。休みの日に家から全く別のエリアへ通うとなると誰しも足が遠のくと思うし、会社から一旦別のエリアに電車なりで移動して通うとなるとどうしても気持ちが切れてしまうだろう。私はこの点において非常にラッキーだったのだろうと思う。<br><br>もうひとつ挙げるとすれば、頑張り過ぎていないことだろう。<br>私の場合、基本的に週４日、多い時で週に５日通っているので、人によっては凄く頑張っているように見えるかもしれないが、私自身としては頑張っている実感はまるでない。楽しいので通っているというのが実際のところだ。<br><br><br>筋肉をガシガシ動かして負荷をかけると、なんだか筋肉が熱を持った感じになって奇妙に心地よい。心の中のもやもやしたことも、その時だけはどこかへ吹き飛んでしまう。それでも足りないような時はランニングマシンで１００メートルダッシュを３～５本ほどやるのだが、汗と熱が体から目一杯放出されて、ほんの暫くの間だが最後の方は頭が真っ白になる気がする。まるで体の中にある心の容器が真っ赤に焼けて、その中にある様々なもやもやとした感情が自然発火して灰になっているような気分だ。肉体と精神が互いに影響を及ぼし合うということを強く実感できる瞬間であると思う。<br><br><br>最近気付いたのだが、腹筋に縦溝が出来てきた。横溝は意外に早く出来たのだが、この縦溝は今までなかなか出来なかったのだ。縦溝というのは体の真ん中の線に沿った溝と、その両サイドにある腹筋の外側の溝のことである。おそらくこれまで使われていた内臓脂肪があらかた使われて皮下脂肪が使われる段階に入ったのだろうと思う。喜ばしいことだ。腹筋がある程度付いていても皮下脂肪があるとどうしてもそれらは見えにくいものなのである。こうしてやってきたことが目に見えて表れるというのはやはり嬉しいものだ。<br><br><br>広背筋や大胸筋も順調に大きくなってきているが、大胸筋の方はやはり腕の付け根、脇の方から大きくなっていくようなので、胸の中心部分はまだまだ不足しているように思う。それでも大胸筋の筋肉量自体はどうやら増えているようで、そのせいかこれまでのウェイトでは負荷が足りなくなったために最近ウェイトを５キロ上げた。セットの最後の方などでは胸の中心付近がピリピリと痛むような感覚がしてくるが、それがなんとも奇妙に心地よい。断っておくが私はそういった変人ではないぞ、こうしたことはそういうものなのだ。誤解のないように。<br><br><br>何にしろ、体を鍛えるのは面白い。それに何よりよく眠れる。<br>精神衛生上も良い効果があるようなので、これからも無理をせずに続けていきたいと思う。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-11392914554.html</link>
<pubDate>Wed, 31 Oct 2012 02:02:12 +0900</pubDate>
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<title>１０月２９日　入荷</title>
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<![CDATA[ 先日、ジャケットを新たに購入した。<br>私は下着やタオルなどは消耗品だと考えているのでかなりこまめに買い替えるが、服などは一度購入すると少なくとも３年は買い替えないので、今回のように３年以内に買い替えたのは珍しいことなのだ。<br><br>それというのも、ジムに通うようになってから大胸筋や広背筋が以前より大きくなったために、それまで着ていたジャケットが着れなくなってしまったからなのである。いや、全く着れないという訳ではないのだが、体の前と後ろで厚みが増えた分、今までのジャケットでは身ごろが合わなくなってしまい、以前まで着ていたジャケットでは前が空きすぎて、まるで陣羽織のような状態になってしまうのだ。姿見を見た時にさすがにこれはみっともないと私でさえ思うほどの状態だったので、勿体ないとは思ったが買い替えることにしたのである。<br><br><br>私は肩幅に対していくらか腕が短い。標準とされている肩幅と腕の長さの比率からするとおそらく２～３センチほど短いと思う。そのうえ指も薬指を除いて短い。薬指だけが長く、中指とほとんど変わらない長さがある。そのせいで小指がやたらと短く見える。もともと東アジアの人間はヨーロッパ種とくらべると腕が短い傾向にあるとのことだが、私はその中でもさらに短い部類に入るのだろう。まったく、なんというプロポーションであろうかと思うが、これも個性といえば個性なのだろう。あまり好ましい個性でないのが残念ではあるが。<br><br>そうした訳なので、こうしてジャケットやワイシャツを購入する時に私は本当に苦労するのである。肩幅に合わせると、上着かワイシャツか、メーカーなどによっても差があるのだが、袖がいつもおよそ２～５センチほど余る。それらの比率が標準体型に近い人からすれば、それくらい気にするほどのものでもないと思うかもしれないが、これがなかなか馬鹿に出来ない部分なのだ。気にしていない人もいるかもしれないが、袖の長さの合っていないジャケットというのは、はっきり言って相当にみっともない。七五三の幼い少年の方がずっと凛々しく見えるほど、袖の長さの合っていないジャケットを着ている人は幼く、頼りなく見える。フレッシュさが全身から滲み出ているような就活中の女の子ならまだ可愛らしくもあるが、年齢を問わず、男で手の半分が隠れるような袖の長いジャケットを着ているのは私は非常に見苦しいことだと思う。実際見苦しい。<br><br><br>そういうわけで、今回もいつものごとく袖を詰めてもらった。<br>作りが本式のものは肩の方からしか詰めることが出来ないので、お店の方でやってもらえなかったり、また出来たとしても費用が高額になってしまったりするのでその場合はしかたなく諦めるのだが、今回は袖口の方から詰めることの出来るものだったので、幾らかお金はかかったがきちんと採寸して長さを合わせてもらった。<br><br>出来上がったものを受け取りにいって試着してみたが、きちんとサイズのあった服というのは心地の良いものだ。ほんの数センチの違いでしかないはずなのに見栄えがまるで違う。<br><br>そんなに変わる訳がないと思うかもしれないが、私と同じような問題を抱えている人は騙されたと思って一度試してみて欲しい。ほんの数センチでも、袖の余ったジャケットはダボダボとした印象でまるで馬鹿に見えるが、それをきちんと直すことによってキリリとした印象に変わる。袖口から詰めるタイプのものであれば費用は千円以内で出来る場合が多いのでこの程度の金額なら何ら問題にならない。安いものだ。<br><br><br>服飾業界もこの部分はもう少し消費者に向けてアピールしてもいいと思う。パンツの裾上げに関しては細かくやってくれるし種類もあるのに、上着の方は一切お構いなしというのは少し変じゃないかと思うのだ。私の場合は一見して変だと分るほどなので、こうしたことが半ば必然のようになっているが、世間には袖が長いと感じながらもしかたなく着ている人も一定数はいるはずなのだ。気にしない人の方が多いのかもしれないが、そうしたことを知らないだけの人に向けてはきちんとアピールしてゆくべきだと私は思う。<br><br><br><br>iPhone５も先日ようやく入荷したので、入荷日の翌日が休日だったということもあってさっそく購入しに行った。予約してから４週間弱待ったことになる。いやはや長かった。もちろん、以前ここで話した通りSoftBankからauへ乗り換えたことは言うまでもない。<br><br><br>私の場合、以前使っていたのが3GSであるため、今回のiPhone５の間にあったフルモデルチェンジの４と４Sを飛び越えたことになるが、そのせいもあってかiPhone５の重量バランスに未だ慣れないでいる。おそらく４や４Sからの人ならここまでの戸惑いはないのかもしれないが、3GSからいきなり幅と厚みがこれだけ減るとかなり違和感を感じるものなのだ。といってもまだ１週間も経っていないので単に慣れの問題だろうということは私自身もよく理解している。3GSにした時、その頃はまだスマホという言葉もなかった頃だが、その時もしばらくの間は片手での操作は危なっかしいものだった。今回も半月ほどもすれば手の方が自然と慣れてゆくと思う。<br><br><br>iPhone５に変えてみて、もう戻れないなと感じた点はやはりLTEだろうと思う。はっきり言って上部の表示が3Gに切り替わるとがっかりしてしまうほどの快適さだ。3Gとは比べ物にならない。<br><br>テザリングも試してみたが、かなりいい感じだ。Wi-Fiの端末を持ち歩くスタイルが前時代的なものに見えるほどだ。私個人としては多用する機能ではないが、かなり使えるものであることは確かだと思う。<br><br>一番意外だったのは地図アプリである。巷の評判は散々なものだが、実際使ってみた感じではそう悪くないもののように思えたからだ。たしかにこの部分は利用者の生活している地域による部分は大きいと思う。Googlemapも地方の農村部ではスカスカで写真表示などは非常にお粗末なものだからだ。しかし、私の生活圏に関して言えば意外なほど充実していて不足はまるで感じられなかった。これに関してはAppleもこれから充実させてゆく方針なのだろうと思う。それよりも地図が指の動きに連動してリニアに、スムーズに動く点に個人的には非常に感心した。というよりもむしろ3Gでの地図アプリがストレスの塊だったと言う方が正しいかもしれない。<br><br>どうにかして欲しい、いやすべきだという部分もある。それはこれまでのドックが使えなくなったことと、純正のドックを販売しないというアナウンスをしてしまったことだ。<br><br>今は新しいコネクタに対応した市販のものも無いに等しい状態なので机に平置きにしているが、ジョブスはこうしたスマートでないことを何より嫌ったはずなのだ。実際間抜けで不格好極まりない。優れたデザインも台無しである。彼等なりに考えていることもあるのかもしれないが、私個人としては一刻も早くこんな不格好なことをユーザーに強いている状況を解消すべきだと思う。新しい小さなピンでは自重を支えきれないからというのは甘えだと思ってもらいたい。いやそれははっきりと甘えだ。<br><br><br>結果的にこのふたつの買い物は非常に満足のいくものだった。<br>ウールのジャケットは暖かくてサイズはぴったりだし、iPhone５の動作は快適だ。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-11392175778.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Oct 2012 01:26:05 +0900</pubDate>
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<title>１０月１４日　TARI TARI</title>
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<![CDATA[ 先日、といっても木曜日のことだが、さっそく風邪をひいてしまった。<br>熱はほとんど無かったのだが、鼻水と悪寒が酷かったのでその日は仕事を休むことにした。<br><br><br>風邪が鼻からくるタイプの人にはおそらく分るだろうが、そういう状態になると鼻から白湯のような粘性のまったくない鼻水が垂れてきて仕事どころではないのである。<br>しかも、鼻の粘膜が腫れているせいなのかは分らないが、鼻が完全に詰まってしまって全く鼻呼吸が出来ないのだ。<br>世間には正常な鼻呼吸が出来ないために、いつも口を半開きにして口呼吸をしている人がいるが、私にはそれは到底考えられないことである。何故なら、口からどれほど多くの空気を取り入れても全然酸素が足りない感じで、まるで酸素のなくなりかけた水槽で横倒しになっている金魚にでもなった気分になる。あの感じは実に嫌なものだ。本当にストレスが溜る。<br><br><br>風邪を引いた時、私はおかゆなどをすすりながらひたすら安静にするなどという腑抜けた直し方はしないことにしている。そんなことをしていたのでは風邪が長引くばかりだからだ。<br><br>風邪かなと思った時には、胃がまだ食べ物を受け付ける間は出来るだけカロリーの高いものを食べる。その上でいつもより多くの果物を摂ってビタミンを補給し、さらに十分な水分を摂る。がぶ飲みはいけない、断続的に摂取し続けることがコツだ。そうしてエネルギーを十分補充した後で布団に入り、枕やシーツがぐっしょりになるほど汗をかくと、これで熱が４０度以下で目眩いなどがない場合の風邪なら一日で治る。いや、半日でベッドから起き上がれるようになる。私は子供の頃からこれで治してきたので間違いない。コツは決して弱気にならないことである。<br><br>ただし、壮年を過ぎて老境に差し掛かった人や女性にはこの方法はお薦めしない。さらに、おかしな咳や目眩い、頭痛などのいつもの風邪とは違った症状の時もやはりお薦めできない。そういった場合は素直に医者にかかった方がいい。とくに老人は肺炎や気管支炎になりやすく、肺炎でまるで小鳥の雛のように簡単に死んでしまうからだ。私は実際にそうして亡くなった人を幾人か知っているので確かである。本当に冗談のようにあっけなく死んでしまう。命とはかくも脆いものかと思い知るほどだ。<br><br><br>その日もそうしていつものやり方で安静にしていると、午後を少し回ったくらいで鼻水も悪寒も収まり、ベッドから起き上がれるようになった。下着も枕もシーツも、全て汗でびっしょりだが気分は爽快である。<br><br>風邪も収まり眠くもなく、テレビは見るどころか眺める気さえ起こらないくらいくだらなかったので、私は撮り溜めておいたアニメをまとめて見ることにした。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121015/02/cromcat/38/ac/j/o0216028812237677873.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121015/02/cromcat/38/ac/j/t02160288_0216028812237677873.jpg" alt="$暗い日曜日" width="216" height="288" border="0"></a><br><br><br>結論から言うと、「 TARI TARI 」がここまでいいアニメだとは予想していなかった。嬉しい誤算である。これがあるから始まる前は「どうかな…」と思ったアニメでも私は一応録画しておくことにしているのだ。<br><br>このアニメを評するにあたって最も適当と思われる言葉は「隠れた良作」であろうと思う。<br>アートワークや物語全体のインパクトの無さなどから傑作と呼ぶような感じではないが、非常に良心的で丁寧に物語が描かれた良質な青春群像劇である。<br><br><br>物語はファンタジックな要素の絡まない純粋な日常劇で、およそ２話でひとつのエピソードが完結するというスタイルである。<br>３人の女子高生と２人の男子高生の５人の高校３年生が主要な登場人物であるが、物語全体を通した主人公は３年前に母を亡くしている坂井和奏（わかな）という少女で、それに加えて物語のミクロな舞台となる合唱部を作り、物語的に話を展開してゆく推進力として働く宮本来夏（こなつ）と、その友人である沖田紗羽（さわ）の３人が物語の主要な部分を担当している。男子高生２人は主要な登場人物とはいえ、上記３人が展開す物語を支えるうえでの脇役といった具合で、合唱に例えると華やかな旋律部分を支える低音パートのような存在である。<br><br>物語全体としては音楽を軸にしてはあるが、それはあくまでもモチーフで、実際には人生がテーマになっているのだろうと私には感じられた。<br><br>母の面影や、図らずも果たせなかった約束など、母があまりにも急に亡くなったことで問題だけが残り、いつまでもそれらを乗り越えられずに苦悩する和奏。具体的に差し迫った将来の進路のことで悩む紗羽。失敗ばかりしながらも今やりたいこと、今しか出来ないことに不器用ながらも持ち前の明るさとバイタリティで懸命に取り組む来夏など、三者三様それぞれの悩みと葛藤、そしてそれらを乗り越えてゆく様をそれぞれの悩みに絡めながら非常に丁寧に描かれている。<br><br>それに、見ていて何より感心したのは昨今のアニメには珍しく、不自然で不必要、露骨で下品な “ ファンサービス ” がなかった点である。この点は私は高く評価したいと思う。<br>あの不自然で無意味なカットは物語の流れを止めてしまうばかりか興味自体を削いでしまう、いわば現代アニメの癌細胞であると私は思うからである。<br>まぁ、私もそれらを全て無くせなどとはどこかの原理主義者でもないので言いはしないが、ああしたものはせめて必然性を感じるくらいに自然に挿入して欲しいと思う。そう思えるほど、ちょっと悪趣味だなと感じるものを目にすることが多いのだ。<br><br><br>しかし、作品としてよく出来ているとは思うのだが、もう少しどうにかならなかったのだろうかと思うところも何点かあった。その中でも主なものが以下の２点である。<br><br><br>◎ウィーンのキャラクター、エピソードが他の４人と比較するとあまりにも弱すぎる。<br><br>まずキャラクターの肉付けが不十分のように思えた。ちょっと意地悪な言い方をすると、部の最低人数の５人をクリアするために入れたどうでもいいキャラクターのように見えなくもない。それくらいキャラクターとしての質量が不足していると思う。<br>エピソードも、ヤンのことについて話を掘り下げられなかったために、書いた手紙が戻ってきちゃって心配だなくらいの非常に軽いものになってしまっている。観ている側はウィーンがヤンのことをとても大事に思っているということを「説明」はされるのだが、それを「感じる」ことが出来ないのだ。<br><br>来夏のエピソードも軽いと言えば軽いのだが、彼女の場合は十分に肉付けされたキャラクターと物語のミクロの舞台となる合唱部の創設、他のキャラクターに絡みながらストーリーを進めていく推進力としての役回りがそれらを全く感じさせない。<br>もう一人の男子高生である田中はバドミントンというキャラクターとしての「持ち物」を最初から与えられており、さらにストーリーを通じて折々に３人の女子高生と関わり、場合によってはきっかけを与える存在にさえなっているので質量不足感は感じない。<br>やはりウィーンだけがキャラクターとしての肉付け不足なのだ。これはかなり惜しく思われる部分である。<br><br><br>◎突然の廃校話と学園祭の力づくの中止が現実的にありえない。<br><br>廃校の決定、それに伴う学園祭（白祭）の中止、半年以内で校庭にプレハブの校舎を建設して生徒を移動させ、追い出すような形で学校を閉めるというやり方は現実ではまずありえないために違和感しか感じない。<br>こういった場合、業者側は偽善者と人から言われるくらい善人ぶった手法を取るものだからである。廃校が決定した時点で在籍していた学生が無事に全員卒業してから、恭しく礼をいい工事を始めるというのが現実の常套手段なのに、こうしたやり方はまずありえない。<br>６学年ある小学校なら低学年だけ他の学校に移してということはありえるかもしれないが、３学年しかない高校でこれだけ無理なプランを強いることはまずないと思う。少なくとも力づくで学園祭を中止させるようなことは絶対に無いと言える。そんなことをして地元のコンプライアンスを得られる訳が無い。そんな計画を推し進める経営者がいたとすれば、それは豪腕ではなくてただの無知無謀な愚か者だろう。<br><br>それでもどうしても学校を廃校にしたかった、校長がどうしても言い出せずにずるずると時間ばかりが過ぎてしまったということにしたかったのであれば、そうした描写を物語の始まった当初から少しずつ小出しにするなり匂わせるなりしておくべきだったと思う。なにしろあまりにも唐突すぎるし、現実的ではない思う。<br>何より廃校はともかく、学園祭を力づくで中止させるという設定は蛇足だったように私には思える。それが無くても他の生徒まで巻き込んだ大団円というエンディングは可能だったと思われるからだ。<br><br><br>以上、２つの点は実に惜しかったと思う。<br><br><br>しかし、それ以上に印象深かったシーンがたくさんあったのも事実だ。<br>それらひとつひとつを挙げることは出来ないが、中でも終盤のエピソードで田中が音楽劇の振り付けをする紗羽の姿を偶然見かけた時に抱いた最初の恋心の描写などは秀逸だった。<br>恋ともいえないような、何か未知のものが心を風のように吹き抜けたようなあの一瞬の心の様を見事に表現していたと思う。その後の別れまでの一連の描写も、端的でありながらも丁寧で良心的なもので、ともすれば下品で俗っぽくなりがちな部分をきちんと纏めており、そこには制作者の良心を感じた気がした。<br><br><br>エピローグにしても安易に５人はいつまでも一緒といった感じにはせずに、きちんと現実のそれのようにバラバラになり、それでもそれぞれがそれぞれの人生をきちんと歩んでいるように見せたのは正解だったし感心した点だった。<br><br>皆がそれぞれの人生を選択し、少しだけ大人になって、それぞれが選んだ先の舞台で新たな人生を生き始めている。きっと彼女たち、また彼等は失敗することもあるだろうし、悲しみに打ちのめされることもあるに違いない。想像もしなかったような困難に直面することもあるだろうが、それでも人生は続いてゆき、それはまた新たな人生へと繋がっている。そして、振り返ればあの高校３年の年に５人で頑張ったあの時ともしっかりと繋がっている。<br><br>そうした笑ったり泣いたりしながらも、懸命に生きてそして続いてゆく人生をこうしてエピローグまでしっかりと描いてくれたことは本当に素晴らしいことだと私は感心し、感動した。<br><br><br>たかがアニメごときに過大評価だろうと思われるかもしれないが、私はこの作品に出会えて本当に幸運だったと思うし、この作品はもっと高い評価を受けてよいと思う。<br><br><br>最後に、この作品に携わった全ての方々に感謝である。ありがとう。<br><br><br>
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<pubDate>Mon, 15 Oct 2012 02:40:48 +0900</pubDate>
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<title>９月２６日　iPhone 5</title>
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<![CDATA[ 今日もかなり涼しくて過ごしやすかった。<br>二日ほど前からエアコンをつけなくても暑さを感じなくなったし、暑さ寒さも彼岸までという言葉は地球温暖化の時代でもいまだに通用しているようだ。<br><br>人間とは身勝手なもので、こうしてようやく涼しくなって過ごしやすくなったというのに、涼しくなったら涼しくなったで勝手に寂しさなどを感じるのだから本当に我が儘なものだ。<br>それでも、こうした時期にはあのうんざりするようだった暑さがなんだか奇妙に恋しいようで、まったく複雑な気分にさせられる。<br><br>私が歳をとって老人と呼ばれるようになった時にも、どれほど悩んだり苦しんだりしたか分らないような若かりし頃の様々なことを、過ぎ去った季節を思い起こすようにして恋しく想うのだろうと思う。<br>このように考えると、決して若者とは呼べないような年齢の私でも不思議と精一杯懸命に生きなければならないと思えてくる。<br>きっと今現在の事でさえも、未来の老人になった私は過ぎ去った時間の中のひとつの記憶として恋しがると思うからだ。きっとそうだと思う。<br><br>決して今の私は未来の老人になった私のために生きているわけではないが、未来の私が過去の私を見ながら落胆するような私ではありたくないと思う。全ての物事が上手くゆくことなどはありえないことだが、それでも未来の老人になった私が、あの時は負けはしたが自分は逃げずに戦った、得た勝利は小さいものだったがそれでも自分は勝利を得たと思えるようでありたい。自分自身のためにもそのようであらねばならないだろう。<br><br><br><br><br>携帯を変えるのを機会に、私はSoftBankからauへ乗り換えることにした。<br>そうなった理由は次のようなことからだ。<br><br><br><br>予約開始日に予約したはずなのに、未だにiPhone5は購入できないでいる。<br>予約の申し込みは予約開始日に完了し予約番号も発行されたのだが、本予約のメールが全く届かないのである。<br>オンラインショップで予約したのだが、予約が成立するのは在庫の確認が取れてから送られてくる本予約のメールからサイトへアクセスし、必要事項を登録してから完了することになっている。<br>ちなみにその本予約のメールは通常２４時間以内に送られるのだそうだ。しかし、今日の時点で１週間以上、いや１０日くらいは経っていると思うが今日も送られてきていない。<br><br><br>つい数日前にそのことについてメールで問い合わせてみた。あまりにも遅いからだ。<br>とりあえず予約した日と、その時に発行された予約番号を書き、どういった状況になっているのか、いつ返事はもらえるのかといった内容である。送り先はオンラインショップ内の問い合わせ先だ。<br>すると、返信された回答にはこちらでは分らないからサポートセンターに電話で問い合わせてくれという内容のみが記されてあった。どういう状況になっているのかを聞いているのに他の場所へ電話をして聞けという。やれやれ、まるで質問の答えになっていない。<br><br><br>なんとも腑に落ちないが、電話して聞いてみれば分ることがあるのだろうと思い、私は案内された番号へ電話をかけて聞いてみることにした。<br>するとどうだろう、コールセンターのオペレーターどころか、それ以前に自動音声が本予約のメールが来ないことについての問い合わせはこちらでは受け付けていないと言っている。まったくどうかしている。なんでもその自動音声が言うには、SoftBankのホームページを確認してくださいとのことなのだそうだ。それで分らないことだから電話をして聞いているというのに。何とも馬鹿馬鹿しい。<br><br>その後、待てど暮らせど電話はつながる様子がない。おそらく２０分位は待ったと思う。<br>なぜそれほど待ったかといえば、この無機質な自動音声の案内で門前払いをされたのがはっきりいって面白くなかったからだ。それで私はオペレーターにこの事に関して事細かに突っ込んで少しばかり意地悪をしてやろうと思ったのだ。しかし残念なことに電話は繋がらなかった。まぁ、意地悪はしなくて正解だったのだろう。<br><br><br>その後、それまで起こったことを、最初のメールでの案内のことや電話での案内がどのようにされているかなどを合わせて再度メールにて問い合わせたところ、数日後に回答があった。<br>どうやら内容を見た感じでは最初にメールで回答をした人物の上役らしい。<br><br>それによると最初の入荷分に私の予約が当らなかったこと、そして次回の入荷が未定であることから在庫の確認自体が行えず本予約のメールが送れない状況であることなどだった。<br>最初からこのように回答していれば私も電話で確認などせずに本予約のメールが来るまでのんびり構えていられたのにと思わずにはいられなかった。<br>先の回答に合わせて最初の回答の不手際などが詫びられていたが、正直後の祭りである。<br><br><br>こういったことがあって、今日auで同じものを予約し直してきた。<br>先方の話では入荷の時期は未定だが、３週間ほどで次のものが入るのではないかという話だった。<br>しかしあくまでも未定なので、それより遅くなったり早まったりすることもあるとのことだそうだ。<br><br><br><br>最初に回答した者のメールを見返してみると、どうやらテンプレートの名前だけを変えたもののようだ。また、いくつかのユニットの組み合わせのようにも見える。最初の出だしから最後の挨拶まで、あいだの回答の部分を含めて使われている言葉の感じがバラバラなのだ。<br><br>つまり、この最初に私に回答をした人物は純粋に私の質問に “ 回答 ” しようとは思っていなかったのだろう。ひょっとしたら最初から答える気などはなく、また、私が何を聞いているのかさえ理解しようとしていなかったのかもしれない。おそらく機械的に最初に誘導したコールセンターの番号へ案内するように言われていて、ただそのように行動しているだけのロボットなのだろう。<br><br><br>私はぞんざいな仕事をする人間が嫌いだ。<br>同じ物を買い、同じ金額を払うのであれば、よりそうでない者の方へお金が回るようにしたいと常々思っているし、実際そのようにしている。<br>世の中には盲目的にどこそこ一筋という人もいるが、私にはそういった部分は全くない。<br>お金でつながっている相手などに義理立てなど無意味だと思うからだ。<br>まさに “ 金の切れ目が縁の切れ目 ” という関係だからである。<br><br><br>SoftBankは今回の私の件に関していえばサービスを提供する側としては失格者だった。<br>そういうわけで、今後すくなくとも二年間はauと付き合うことにしようと思う。
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<pubDate>Wed, 26 Sep 2012 22:05:01 +0900</pubDate>
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<title>９月２３日　人類は衰退しました</title>
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<![CDATA[ 昨日、今日とかなり涼しかった。<br>今日などは雨も降ったので、ポロシャツではいくらか肌寒さを感じたほどだ。<br><br>私は普段、出来るだけ朝のうちは部屋の蛍光灯の灯りをつけないようにしているのだが、今日は灯りがないとあまりに薄暗くて再び眠気に襲われそうだったので仕方なくつけることにした。<br>もちろんこれは日が長くて朝が明るい季節だけのことで、冬場などは当たり前のように灯りはつけるのだが、それでも朝の光を浴びることなく一日の最初に蛍光灯の灯りをその身に浴びるのはあまり気分のいいものではない。<br>どう表現したらいいか分らないが、なんだか凄くがっかりするというか、うんざりする、いや、一日の最初なのに心が疲れる感じがするといった表現が一番近いだろうか。<br>なにしろ、蛍光灯の灯りは心を疲れさせるというのは確かである。<br><br>ついこの間までうんざりするほど夏の暑さが残っていたように思うのだが、季節は私のそうした思いなど置き去りにして、まるで時計の秒針のように正確に、淡々と自分の仕事を進めているようだ。<br>もう少しゆっくり仕事をしたらどうかと勧めることが出来ればそうしたいものだが、こればかりはどうしようもない。<br>時間はこの世界が始まってから現在まで、たった一人で黙々と仕事をしている目も耳も口も、他の何の感覚も持ち合わせない孤独な労働者であるために誰も彼の仕事に干渉することなど出来ないのだ。<br>塵ひとつの存在にさえ値しない私に彼の仕事を送らせることなど出来ようはずがない。<br><br><br>今週からトレーニングのメニューにダンベルを組み込んだ。上腕二頭筋をもう少し鍛えたいと思ったからだ。<br><br>フリーウェイトなのでスタッフに正しいフォームを教えてもらい、鏡でフォームを確認しながらゆっくりと呼吸に合わせて行っている。ウェイトはそれほど大きくないのだが、きちんと正しいフォームで行うとかなり筋肉に効いているのが分る。<br>マシンで " 引く " ことによって同じ筋肉に負荷はかけられていたはずなのだが、ダンベルを " 待ち上げる " 動作による負荷はそれよりもより直接的で大きいもののようだ。<br><br>おかげでここ二日間ほど上腕二頭筋にかなりの筋肉痛があった。ピークは昨日から今日の朝くらいまでだったが、ちょっと経験したことのないようなものだった。<br>自宅にもダンベルはあるので普段から我流でやってはいたが、ここまでの筋肉痛は経験したことがない。<br>なんとも笑ってしまうような話だが、その痛みは腕をまっすぐに下に降ろせないほどなのだ。さらに、その降ろした腕をまた曲げ直すのにも痛みがあるという悪い冗談のような状況である。健やかな体を作るためにやっているというのに、その動きはまるで老人のようだ。錆び付いて動きの悪くなった蝶番のようでもある。<br><br>なんにせよ、筋肉痛は不思議なことに半日でかなり治まった。しかしそれでも明日のトレーニングは筋肉痛が違和感を覚えるほどに残っている状況なら見合わせようと思っている。トレーニングはウェイトや回数よりもフォームこそが大事だと私は思うからだ。<br>体とは不思議なもので、無理なウェイトでも回数でも、その負荷を体全体の筋肉に分散してなんとか対応してしまうものなのである。体を守るという上ではこれは非常に優れた機能なのだが、任意の筋肉を鍛えようとした時にはこの機能はかなり厄介なものなのだ。鍛えたい部分ではなくそれとは違う場所を結果として鍛えてしまっているということが往々にしてあるからである。<br><br>そうした理由から痛みを残した状態でトレーニングを行うことは極力避けている。ついつい痛みのために他の筋肉をつかって形だけメニューをこなしてしまうからだ。つまるところ効果が小さくなってしまうからである。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120924/02/cromcat/d1/ea/j/o0800113312203453371.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120924/02/cromcat/d1/ea/j/t02200312_0800113312203453371.jpg" alt="暗い日曜日"></a><br>つい数日前『人類は衰退しました』を見終わった。<br>とてもよい作品だったと思う。<br>私が見終わった今期夏アニメの中では最高に気に入ったもののひとつだ。<br>といっても私の場合、今期どころか前期、いや前々期のものすら見終わっていないものもあるので、良い作品はまだまだたくさんあると思う。<br><br>私はアニメでも映画でも、作品の中にかなり入り込み、感情移入して見てしまう方なので、一見して中身の濃そうな作品はついつい後回しになってしまうのである。そうした作品を鑑賞すると、内容によってはただの１本でも、あたかも登場人物達と同じように動き回ったかのごとく気分がくたくたに疲れてしまうのだ。だから連続したストーリーをきちんと追いかけていかなければならないような作品を見るのはどうしても躊躇してしまう。少なくとも平日に見ようとは思わない。<br><br>そうした理由から『人類は衰退しました』は非常に見やすかった。<br>基本的に２話完結でひとつのエピソードが展開されるようなもので、１話完結のものも加えながら全体の物語が語られるといったものである。<br>まだ完結していない物語なので全体の構成や最終話に向けての展開、最終話自体をどうするかなどはアニメの制作者側はかなり考えられただろうと思うが、私はかなりよく出来ていたと思う。<br><br>主要なキャラクターの肉付けは説明的にならない程度によくなされていたと思うし、２話完結の物語も構造的に本当によく考えられていたと思う。<br>なにより独特のアートワークが緩やかに衰退してゆく人類の物語をあっけらかんと、ぼのぼのとするくらいドライに表現してあって非常に魅力的だった。なにやら人類が衰退しているという物語の中のその世界の方が私のような現代の人類には魅力的に映ったほどだ。<br><br>なんといっても主人公である『わたし』と『妖精さん』のキャラクターがとても魅力的だったと思う。<br>『わたし』は心に純粋な部分を多く残している一方で現実的でシニカル。権力にはめっぽう弱く、若くして長いものには巻かれろ的な処世知を備え、さらに若さ故の頭でっかちでもある。<br>一方『妖精さん』は愛らしい姿には似つかわぬブラックなユーモアや物事の本質を突く言動など、人類とは明らかに違う同じ世界に住みながらも異質な存在である異形のものとしてよく描かれていたと思う。<br><br>なんにしろ、『わたし』は私のかなりお気に入りのキャラクターになったことだけは確かである。<br>原作のストックはあまり無いようなのですぐには二期を期待できないようだが、出来ることなら二期をお願いしたい作品だ。<br><br>この作品を生み出してくれた全ての人々に感謝である。
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-11362610138.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Sep 2012 23:34:43 +0900</pubDate>
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<title>９月１９日　歯医者</title>
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<![CDATA[ 　今日は雨が降るかと思ったが、どうやら降らなかったようだ。<br>晴れたり曇ったり、今も空には水をいっぱいに含んだような鉛色の雲が街と空の境を塞いでいる。<br>それでも私はこういった日も案外に好きだ。もう少し涼しくなってくれるとさらにいい。<br><br><br>　前に話した際にはやくも忘れていたが、しばらく前に半年程かけて歯の治療をした。<br>歯医者に行ってきちんと歯の治療をしたのは確か小学１～２年生ぶりだ。そうやって最後に行ったのが正確に思い出せないほど昔のことだ。<br><br>　きっかけは親知らずの生えている周辺が腫れたことだった。<br>下の親知らずが生えている周辺の歯茎が腫れることはこれまでにも何度もあったのだが、しばらくすると自然と収まっていたのでその時もしばらくすれば収まるだろうと私はいつものごとく呑気に構えていたのである。<br>しかし今回はどうも、いつまでたっても腫れが引かない。それどころかだんだん酷くなって、ちょうど顎の L字型になった辺り周辺が外から見ても分るくらい腫れてきて、しかも激痛ではないが痛みまで出てきてしまった。おかしいな、いつもと違うなと思いながらも、なお放置していると今度は上顎と下顎を噛み合わせることが出来なくなってしまった。いつもどうりに口を閉じても、奥の歯茎が腫れていてつっかえてしまい、前歯周辺が噛み合ないのである。<br><br>　こうなるとほとんど食事らしい食事は取れない。<br>腫れのせいで歯がまるで噛み合ないので、ほとんど物を噛むということが出来ない。噛んだとしてもほとんど甘噛みのような状態だ。腫れた歯茎同士が圧迫し合って痛みを生じるために普段どうりに噛めないのである。<br>そんな状態であるために、何を食べても味などしない。より正確に言えば、体の方が味を感じている余裕が無いといった感じだ。なんとか飲み下せる状態にして飲み込むのが精一杯なのである。<br>そうしたわけで、そういう状態が続いた間の私の食事のメニューは昼はウィダーインゼリー、夜は具を細かく砕いたシチューになった。そう、まるで病院食だ。<br><br>よく歯の不自由な人が食事が楽しくないというが、その理由を私は身を以て理解する経験をした。<br>本当に、楽しみの欠片も無い。まるで苦行のようだった。<br><br><br>　私もさすがにこれはどうやらいつもとは様子が違うようだぞと思いだし、いよいよ歯医者に行くことにした。<br>いい歳した大人だが、記憶が定かでないほど遠ざかっていたような場所に行くのはやはり緊張するものだ。まずもって歯の治療というものに幾らかかるのかさえ想像がつかない。人は分らないことに恐怖を憶えるものだというのは、こうした小さなことにも適応されるもののようだ。<br><br>　それでもどうにかしなければならない状態にまで悪化していたので、私は通勤経路の間にある歯医者をあたってそのなかのひとつに目星を付け、今現在口の中がどういう状況か、診察には予約がいるのかどうか等を一通り確認した後、仕事を定時で切り上げて大急ぎでその歯医者へと駆け込んだ。<br><br>　歯医者へ着くと、どんなシステムになっているのかは分らないが " 親知らずの辺りが痛くて堪らないから何とかしてくれ ” 的なことを伝えて診察カードを作り私は順番を待った。<br>受付の女の子からすれば、そこまで酷くなる前に歯医者に行けよといったところなのだろうが、前述した通り、歯医者と無縁の生活をしてきた者にはその発想がなかなか出てこないのである。歯茎が腫れるようなことがあっても自然と治るという楽観的な考えの方が勝ってしまうのだ。<br>後で歯科医に聞かされた話だが、私の歯は非常に密で丈夫ないい歯をしており、幸運にも虫歯になりにくい歯なのだそうだ。しかし皮肉にもそれが私を歯医者から遠ざけることになっていたらしい。<br><br>　順番がきて中に通された。治療室内には治療を行う椅子状のものが５つほどあり、その中のひとつに案内された。<br>ほとんど初見に近い私には、それらの機材の全てが古いものなのか最新のものなのかさえ判断がつかなかったが、どうやら設備は新しいもののようだという印象を受けた。<br>椅子につくと目の前のスペースは一面が窓になっており、ビルの中に入居しているところだったので眺めがよく、遠くにはどの街かは分らないが、少しばかりのビル群が見えた。<br>目の前にモニターがあって、私が腰を落ち着けた時にはディズニーのアニメが流れていた。どういうわけなのかは分らないが、映像がやたらチラついていた。<br><br>　しばらくすると歯科医がやってきてレントゲンを撮ると言う。<br>なるほど、基本的な情報を集めるのだなと納得しながら、されるがままにレントゲンを撮られる。<br>さらにしばらくして歯科医がやってきて、先程撮ったレントゲンを目の前のモニターに映し出した。「なるほど、このためにこのモニターはあるんだな。なかなかハイテクじゃないか。」などとぼんやり考えながら、普段見ることのない自分の歯と頭蓋骨のレントゲンに見入った。他の部分ならそれほど感じないが、自分の頭蓋骨をみるのはなかなか奇妙な感じがするものである。<br>実際のところ、こうした設備がハイテクなのかどうかさえ私には分らない。当たり前のことなのかもしれない。ただ、レントゲンといえば後ろから蛍光灯の光を当ててみる古いスタイルのものをイメージしていたのでその時にそう感じたまでのことだ。<br><br><br>　医者の中には横柄で何事にも説教臭く、尊大な態度をとる人が少なくない。<br>「あれもこれもお前のせいだが、心優しく素晴らしい腕を持った私が有り難くも治してやろう。我を賛美せよ、我に感謝せよ。」といったような態度の医者はじつに多いものだ。私もこれまでそういった医者に何度も会ってきた。しかし幸運にも今回私を担当した歯科医はどうやら当たりだったようだ。<br>何度も同じことを繰り返し言ってしまうという奇妙な癖を持った人だったが、嫌みなところはまるで無く、事細かに今の私の口腔内の状態を説明してくれた。<br><br>　　◎なんでも、これまで歯医者に行っていなかったぶん歯石が相当に溜っているとのことで、その　　　　　　　　歯石を巣にして病原菌が繁殖し、歯茎に腫れを生じさせているとのこと。<br>　　◎歯石は見えやすい部分ではなく、目で見て確認しにくい歯の裏側や奥の方にあるのだというこ　　　　　　　　と。<br>　　◎現状、その腫れのせいで親知らずには全く手が付けられない状態であるということ。<br>　　◎親知らずは下２本だけでなく上の２本も生えているということ。<br>　　◎親知らずの生えている向きには異常はないということ。<br>　　◎下の親知らずよりも上の親知らずの方が虫歯になっていて抜く処置が必要であるということ。<br>　　◎親知らずは生えはじめの乳歯のように虫歯になりやすい不完全なものであるということ。<br>　　◎下の親知らずは歯根が大きく、顎の神経がその近くを通っているので、場合によっては処置を　　　　　　　　することにより痺れ等がしばらく残ることもあり得るということ。<br><br>以上のように、今現在私の口腔内がどのような状況かを細かく説明してもらった。そのように細かく説明しなければならないくらい私が歯科医を質問攻めにしたという部分もあるかもしれない。<br><br>　とりあえず歯科医が言うには、治療には歯茎がどれくらい腫れているかを調べる検査が必要であり、それが終わってから音波を利用した機械によって大まかに歯石を取るとのこと。それが上下３分割で計６回。<br>その後、麻酔をかけて手作業によっての歯石除去を行う。やはりこれも上下３分割で計６回。<br>これらの処置の間、腫れが引いた時を見計らって上の親知らずを１回づつ抜く処置を行う、上２本で計２回といった具合になるという。<br><br>　なんだかお金も時間もかかりそうなプランだなと思ったが、とりあえず腫れをなんとかしないとという思いがあったので、最初の検査と機械による歯石除去は一旦受けてみることにした。<br><br><br>　その後、検査と機械による歯石除去を受けてみて、そんなにお金がかからないこと、痛みも殆ど無いことなどを確認すると、私はいい機会だしここはひとつ完全に治してやろうという思いが出てきてプランの全てをやってみることにした。<br><br><br>　痛みも殆ど無いと言ったが、細い検査具を歯と歯茎の間に挿入してその深さを計る最初の検査は正直辛かった。奥の方は何ともないのだが、前歯や犬歯周辺は頭の天辺に電流が走るような、痛みとは違う、何というか衝撃のようなものがあった。ちょっと表現できない嫌な感じのものだ。<br><br>　親知らずの抜歯は想像していたものとは違い、拍子抜けするようなあっけないものだった。<br>私のイメージではワインの栓を抜くように “ 引っこ抜く ” 感じだと思っていたが、実際には歯根膜から歯根を剥がして “ 取り除く ” といったような表現がより近いものだと思う。<br>歯科医に「はい、終わりましたよ」と言われた時は「？」と感じたものだ。それほどあっけないものだった。<br><br>　抜歯した親知らずは外側はあまり見た目に変化は無いが、中は虫歯がかなり進んでおり、割れたピンポン球のようになっていた。ちょうど中身が食い荒らされて皮だけになっている果実のような状態だ。<br>第２臼歯とは比較にならないほど矮小で未発達な親知らずは歯根もほとんど発達していなかった。形状は座薬の長さを少し切り詰めたような形をしていた。<br>私は抜いた親知らずをまじまじと眺め、あらためてこれらは退化の途上にあるものなのだなと奇妙な納得をした。<br><br><br>　手作業による歯石除去は施術者とのコミニュケーションが重要だなと感じた。<br>私は日によってなかなか麻酔が効きにくかったりしたので、遠慮会釈なしに麻酔を増やしてくれるように注文した。また、少し引っ張るのが強すぎるだの、そこはまだ感覚があるから麻酔を増やすか時間をおいてくれだの、私は歯科医と歯科衛生士にかなりたくさんの注文をつけたと思う。<br><br>こんなことを言うと随分嫌な患者だなと思われるかもしれないが、そうやってそれは嫌だ、こうしてくれないかということを具体的に伝えるのは私は双方にとって良いことだと思う。<br>施術者側もプロであるが故に患者の負担のより少ないやり方にトライしてそれをマスターするのは成長につながるし、患者側も当然痛みは少ない方がいいに決まっている。<br>あそこの歯医者に行ったらこんな目にあったなどと陰口など言いたくないし、治療プランを実行している最中に医院を変更したくもない。<br>何といっても、やはり必要の無い痛みなら無い方がいいのである。<br><br><br>　治療ごとに１週間の期間を空けて通院するというスタイルにしたために半年ほどかかってしまったが、夏前には治療は完了した。<br>結局様々なリスクを考慮した結果、下の親知らずは抜かずに経過を見守るということになった。<br>上の親知らずと違い、虫歯になっていなかったからである。<br>抜歯したばかりの親知らずの後には、しばらくご飯粒が２粒ほど収まるくらいの穴が空いていて苦労したが、最近はその場所にご飯粒が残るということもなくなった。<br><br>　その後、これまで歯茎が腫れるということは一度も無い。歯茎の色も健康的なピンク色を保っているし、気のせいか歯磨きの時にえづく回数も４分の１ほどに減ったような気がする。<br>歯科医にフロスを使う習慣をつけるように言われたので、いつもではないもののやってはいるが、前はともかく犬歯より奥はどうしても上手く出来ないでいる。<br><br><br>　結果として、きちんとした歯石除去をしてよかったと思う。歯の治療に関して考え方が変わったのだ。<br>以前は歯医者は文字通り歯の治療をするところだと思っていたが、実際にはそうではなかった。<br>歯自体は程度の差こそあれ、削った部分は足すことが出来る。しかし、歯茎に関しては減った部分は一生戻らないのである。これは大きい。<br>そしてその歯茎を失わせるのは病巣としての歯石なのだ。<br>私は今回のことで予防歯科というものを理解したように思う。<br><br>　歯科医が言うところによると、ちゃんと毎食後歯磨きをしている人でも３か月くらいで歯石は溜り始めるということなので、３か月ごとに機械による歯石除去の案内を送ってくれるらしい。<br>その施術は上下まとめて１回で終わるとのこと。私の場合秋頃になるだろう。<br><br><br><br>　最初に歯茎が腫れた時には何と不運なと思ったものだが、実は手遅れになる前に歯医者に行く機会が得られた私は非常に幸運だったといえるかもしれない。感謝である。
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-11358910004.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Sep 2012 14:59:08 +0900</pubDate>
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<title>９月１６日　近況</title>
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<![CDATA[ <br>ブログを更新しなくなって随分経った。<br><br><br>　更新しなくなった理由は様々あるのだが、ひとつには更新をしなくなったちょうどその頃に携帯をiPhoneに変えたことがあると思う。<br><br>今ではガラケーと呼ばれるようになった二つ折りやスライド式に代表される以前からのスタイルの携帯はテンキーでの日本語入力に非常に適したものだったので、長文を電車の中などで移動しながらでも容易に作成できたのだ。しかし、タッチパネルではそうはいかない。長い文章を作成するのはかなり困難であり、そのうえ日本語の予測変換もその当時はかなりお粗末なものだったため、携帯で文章を作成するということ自体がまったく無くなってしまった。<br><br><br>　ふたつ目は、といってもこちらの方が主な理由であろうということは自分でも分っていることなのだが、その当時、私はネット上に蔓延する悪意に心底からうんざりしていたのだ。<br><br>そうしたことは今でもすこしも変わってはいないとは思うのだが、その当時の私は精神的にもかなり疲れていたのだろうと思う、人間のちょっとした悪意にもかなり敏感になっていたのだ。<br>仮に謂れの無い非難を浴びせられている人がいたとして、たとえその人が自分とは縁もゆかりも無い人物であったとしても、憂さ晴らしの為だけにに罵詈雑言を投げつけられている人を見るのは堪えられなかったし、また、そうした悪事を働く人達をも私は見たくなかったのだ。<br><br>こうしたことを言えば、おそらく豆腐メンタルと笑われるのであろうが、それ位までに当時の私の心は弱っていたのだろうと今は思える。<br><br><br>　それで、何故今更一度やめてしまったようなブログを再開しようと思ったかというと、とくにこれといった理由は無い。始めた時と同じように、何となく文章を書きたいという欲求が溢れてきたといったところだ。なんともお粗末な動機だが、なんにしろ私の中で何らかの欲求が嵩じて私にそうしろと促すのだから、私はその動物的な得体の知れないものに従うことにする。<br><br>私はこの “何となくそういう気がする” という勘のようなものが囁きかけてくる時はそれに従うようにしている。それがいつも正しいということは無いのだが、そうしたことで大きく間違ったということがこれまでにないので、いつもそうすることにしている。<br>こういう言い方をすると何やらまるでオカルト的な感じがするが、私はそういう人物ではない。ただ、私の中の無意識が、まるで私の意識を蔑ろにするかのごとく直接私の体に感覚的に知らせてきているのではないかと自分勝手に納得しているだけのことだ。<br><br><br><br>　いつからブログを更新していないのか全然憶えていない程だから、当然のことながらそれまで何を書いていたのかもまるで憶えていない。あらためて随分時間が経ったのだなとつくづく思う。<br>それで、ブログの更新をしなくなってから以降で私に起こったことを小さいことから大きなことまで、思い出すままに箇条書きで書いてゆこうと思う。<br><br><br>◎借金の精算が完了した。<br>　　一時期300万以上あった借金は数年前に整理・完済した。<br>　　全てが終わるまでの期間は大体２年弱ほどだったと思う。<br>　　給料の半分近くが返済に消えるという現実がなくなった時の感動は忘れがたい。<br><br>◎職場が移転になった。<br>　　規模が大きくなり以前の職場では手狭になったので引っ越しになった。<br>　　現在の職場は大田区にある。<br><br>◎引っ越しをした。<br>　　職場が移転したことが第一の理由。<br>　　以前までの住所だと通勤時間があまりにも長くなってしまったためだ。<br>　　上記の理由に加えて収入が安定したということもある。<br>　　現在は賃貸、新築のワンルーム。職場と同じ大田区内にある。<br>　　浴室乾燥機がこれほどまでに便利だとは思いもよらなかった。感謝である。<br><br>◎引っ越しを機会に家具家電を全て買い替えた。<br>　　毎日帰宅時間が日付が変わる前後まで働いた。<br>　　休みもほとんど取らなかった。というか取れなかったし取る気もなかった。<br>　　稼いでも使い道は無く、休みは死んだように眠る生活だったので勝手にお金は貯まった。<br>　　上記の理由があって出来たことだと思う。<br>　　物持ちのいい方なので家具家電共にほとんど痛みもない。<br><br>◎主任になった。<br>　　名ばかり店長のようなもの。待遇は変わらない。<br><br>◎婚活をした。<br>　　有料のお見合いサービスのようなもの。<br>　　“ 嫁は要らないが子供は欲しい ”という考えが当時の私にはあり、そこにつけ込まれた。<br>　　料金が手頃だったのでやってみたが得るものは何も無かった。<br>　　この市場では私はもはや不良物件でさえないのだという現実を確認した。<br>　　得るものは無かったが特に恨んでもいない。いい経験になった。<br><br>◎ジョギングを始めた。<br>　　始めた理由は山登りの為の体力づくり。<br>　　１年半ほど続けて、ジョギングだけでは満足できなくなりジムに通うことにした。<br>　　　<br>◎ジムに通うようになった。<br>　　去年の１０月から通って来月で１年になる。<br>　　週に３～４日で通っている。<br>　　１年で６キロ減、筋量も増え大胸筋や腹直筋も目で見て分るほどになった。<br><br>◎一眼レフを買った。<br>　　コンデジを姪っ子に譲り、一眼レフを購入した。<br>　　購入理由はコンデジの小口径レンズでは広角側での周辺の歪みが気になるため。<br>　　最近、より大口径のレンズを別に購入した。非常に満足している。<br>　　<br>◎ゲームをするようになった。<br>　　引っ越しを機会にPS3を購入した。<br>　　週に１～２度、１時間から２時間程度プレイする。<br>　　格闘ゲームしかやらない。理由はやめようと思った時にすぐにやめれるから。<br><br>◎アニメを見るようになった。<br>　　2003～4年位からアニメは見ている。<br>　　録画機能付きのテレビを購入したことが機会になって深夜アニメを撮り溜めている。<br>　　見るのは１日に１本（30分）。休日なら３本程。オンデマンドのような状態。<br>　　ハーレムものの良さがよく分らない。それでも否定はしない。こうしたことは多様性が大事。<br>　　<br>◎とりあえずテレビをつけるという習慣がなくなった。<br>　　数年前までは見る見ないに関わらず帰宅したらテレビをつけていたが、それをしなくなった。<br>　　世間では色々な理由が言われているが、単純に面白いと思わない。<br>　　見るものはほぼ決まっており、それを録画して自分の好きな時間に視聴する。<br>　　人々がその生活をテレビに合わせるようなことは今後もう無いと思う。<br>　　<br>◎十年ぶりに恋をした。<br>　　これは私自身も思いもよらないことだった。<br>　　結果は望ましいものではなかったが、いまでもその娘のことは大好きだ。<br><br>◎iPhone5を予約した。<br>　　ハード側の能力が限界に近づいているのでこの選択は当然のことと言える。<br>　　予約の成立は在庫を確認してからなので確定するのは17日以降になると思う。<br>　　予約したものは32GB/White。<br>　　私はケースや保護フィルムなどは使わない。<br>　　前述したように異常に物持ちがいいので今の3GSにも傷らしい傷がないため。<br><br><br><br>　以上、長々と小さなことから大きなことまで書いてきたが、箇条書きにすると私のつまらない人生にも色々と起きていることがあるものだと実感した。<br>ざっと思い出すままに書いてみたので漏れているものもあるかもしれないが、そうしたことは思い出した時に書いてゆくことにしたいと思う。<br><br><br>　最後にもうひとつ、一番始めに宣言したとおり、このブログでは時事問題に関しては扱わない。これは私がこのブログを始めるにあたって制定した憲法なのだ。<br><br>又聞きの又聞きのような伝聞による情報をもとに、ネット上で無責任に文字と言う言葉を投げつけあったとしても、それは正しく論争とはいえないと私は思うからだ。<br>しかも、共産圏であれば仕方が無いとして、言論の自由の保障された国に住まいながら、皆が匿名と言う仮面を被って互いに汚物を投げつけ合う様は、私の目には滑稽なものとしか映らない。<br><br>私は決して政治に無関心なのではない。それはこの世の全ての尊いものを指して誓うことが出来る。嘘ではない。<br>私はただ、そうした論争は匿名でなされるべきではないと強く信じているだけなのだ。<br>故に、匿名でなされるこのブログでは私個人のこと、私がこの目で実際に見た、聞いた、行った、考えた、経験した等々、私が直接関わったことなどを扱うことにしたいと思う。<br><br><br><br>さて、今度はどれだけ続くか分らないが、以前よりも雑多なことを交えながら気軽にやっていきたいと思う。
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-11356696454.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Sep 2012 23:06:07 +0900</pubDate>
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<title>７月４日</title>
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<![CDATA[ <p>外は真っ青に晴れ上がっている。何と疎ましい天気であることか。この無遠慮な日の光が実に憎らしい上に何より暑くて堪らない。</p><br><br><br><p>今日私が見た朝の天気予報では雨を匂わすようなことを言っていたので傘を持って家を出たのだが、どうやらこのぶんでは使うことはなさそうだ。</p><br><br><br><p>週間天気予報を見るかぎり、来週末にはどうやら梅雨明けのようだ。梅雨が明ける前にもうひと雨くると思っていたのだが、このぶんではどうも降りそうにないように思える。世間一般では晴れの日の方が喜ばれるのだろうが、こうしたうんざりするほど暑い快晴の日ばかり続かれると私のようなものは本当にまいってしまう。</p><br><br><br><br><br><p>先日、といっても何週間も前の話だが、私は生まれて初めてカラスに襲われる体験をした。</p><br><br><br><p>私感だが、最近私の住んでいる地域に以前よりもカラスの数が増えたような気がする。おそらく何処からか追いやられてこの地域へやって来たのだろう。実際に増えたのかどうかは調査をしたわけではないので正確なところは分からないが、それでも私が今の住まいへ越してきた当初よりも、早朝聞こえてくるカラスの鳴き声が増えたことは確かである。</p><br><br><br><p>カラスをはじめ、鳩やネズミ、また、都市環境に適応したカモメなど、都市に住むそうした獣の多くは時として実に凶暴なものである。カラスなどはその最たる例で、高度成長期以降、長い期間人が食すような高カロリーの食物を食しながら多くの世代を重ねたことによってかなり知能が発達しており、そのうえ鳥類が元来持っている強い攻撃性がその行動に如実に現れている。現在主流とされている学説では、なんでも、鳥類は小型の肉食恐竜から進化したものだと言われているらしいが、彼等のあの強い攻撃性を見ていると、全くの素人の私にも果たしてそうかも知れぬと思わせるようなところがある。</p><br><br><br><p>ゴミの収集日には、彼等にゴミを荒らされないために都市部の住宅街ではもはや当たり前になったゴミ用のネットが私の住まう地域でも広く使用されている。誰しも自分の出したゴミ袋を食い破られて中身を外に散らかされるのは嫌なものらしく、皆が一様にそのネットの中にきちんとゴミ袋をおさめてゴミを出している。しかし、おそらく最初はかなりの効果を発揮したと思われるこの対抗策も、今ではほとんど用をなさないものになりつつある。</p><br><br><br><p>彼等は餌場のひとつとしているその地域一帯のゴミの収集日をきちんと記憶していて、朝まだ暗いうちから仲間と鳴き交わしてその収集場所付近に集まってくる。私はその頃まだうとうととしているのだが、眠っているか覚めているかといった曖昧な世界の中に何処からかカラスの鳴き声が入って来るのでそのことを知っているのである。最初は一羽が鳴いているだけなのだが、その数は次第に増えてゆき、最終的には四羽から五羽ほどの数になってまるで会話でも交わしているように鳴き交わすようになる。一応ゴミを出すのは八時までになっているのだが、ゴミの収集車が収集に来るのはもっとずっと後の事なので、ゴミが集まってから収集車が来てそれらが無くなるまでの間が彼等の食事時間になる。</p><br><br><br><p>いくつもあるゴミの袋の上にきれいにかけられたネットを彼等は器用にめくり上げて、ゴミを出しにくる人間をずっと観察していたのかと思えるほど的確に、多くのゴミ袋の中から新鮮な食べ物の入ったものを選びだす。そうして鋭いくちばしで袋に穴を開け、中から残飯や、賞味期限がきれてしまってはいるもののまだ食べられる食物を取り出して食べるのである。海亀や海鳥がビニールの袋などを誤って食べてしまって命を落とすことがあると聞いたことがあるが、彼等にはそういったことなどまるでなく、食材についたビニールでも包み紙でもきれいに取り除いて食べてしまう。恐るべき学習能力である。進化の過程において肉食は脳を発達させる一因になると聞いたことがあるが、果たしてそうであるかも知れないと思われるものである。どうかすると、彼等は季節毎にどのようなものが残飯としてゴミに出される傾向にあるのかさえ熟知しているのかも知れない。</p><br><br><br><br><br><p>その日は急に頭の後ろの方で羽音が聞こえたので、私はとっさに頭を低くした。始めはあまりに急なことだったので何が何やら分からなかったが、自分の頭の上を飛び去ったものの姿を見てそれがカラスであることを知った。直ぐに反応したとはいえ、頭に少しだけ足が触れたのがはっきりと分かった。私は幸か不幸か、やたらと自尊心の強い人間なので、ただそれだけのことで何か自分の身が汚されたように感じられ、もともと火の気が強く燃え上がりやすい私の心の中は真っ赤に燃え上がってしまった。しかし、片手には鞄を持ち、シャツの浅い胸ポケットには携帯が入っているので激しい動きもとれず、しかも電車の時間が迫っていたこともあって、その日は怒りをこらえて先を急ぐことにした。しかし、凶暴化してずる賢くなったカラスはしつこく、背中を見せた途端に低空飛行で追ってくる始末だった。電車に間に合わなくなるぞと自分に言い聞かせながら怒りを抑え、私はカラスと対峙したまま後ろ向きに彼等の視界から消える曲がり角まで歩くことにした。つくづく嫌な奴らだと思われるのは、面と向かって対峙したときには大声で鳴くばかりで全く襲って来ないくせに、体を半身にでもするとすぐに頭を低くして飛び立つそぶりを見せるところである。全く薄汚い卑怯者である。昔あるニューヨーカーが鳩など羽のついた鼠だなどと言っているのを聞いて、なるほど上手いことを言うと思ったものだが、その弁でいけばさしずめカラスなどはくちばしのついたゴキブリといったところだろう。</p><br><br><br><p>私がそうして後ろ向きにカラスと対峙して歩いていると、けたたましい鳴き声に何事かと表に出てきた老婆と行き会った。話してみると、いつもはこれほどではないとの事だったが、性質の悪い害獣に絡まれている私を見て老婆はいくらか私に同情してくれたようだった。</p><br><br><br><p>結局この日はこの一件でいつもの時間の電車には乗れず、一本遅い方の電車になってしまった。しかし、この辺りはまだ学校に上がるか上がらないかといった幼い子供も多いので、そういった子供達が襲われはしないかと無性に心配になってしまった。大事が起こってからでは遅すぎるので早めに何とかして欲しいものである。</p><br><br><br><p>その後も私の怒りはなかなか収まらず、今度会った時には木刀で打ち落としてやろうと手薬煉ひいて待っているのだが、なかなか奴らが現れずに口惜しい思いをしている。木刀でどうやって羽のついたものを打ち落とすのかと笑う者もいるだろうが、都市のカラスは１メートルまで近づいても全く逃げないし、飛び掛かってくる時には人の腕の長さほどの間合いまで近づいてくるのである。それほど我々人間の事を侮っているのだ。動物をよく知る者なら分かることだが、人間を侮り、悪い癖のついた獣というのは非常に危険なもので、たいてい元のように直すことは出来ないものである。極端な言い方をすれば、血の味を知った虎とひとつ床で臥す事が出来ないのと同じ道理である。</p><br><br><br><br><br><p>害を為す獣とはいえ、命を絶つのは心苦しいものだ。害獣であれその体には赤い血が流れており、触れれば温かくもあるからである。しかしそれでも、より我々にとって深刻な不幸を生み出さないためにその命を絶ち、駆逐するのは正しいことであると私は信じているし、ありとあらゆる全ての命が等しく尊いため、殺生すなわち罪という者の言葉など私は愚にもつかない虚言であると確信している。そうした命と命のせめぎ合いは、およそこの世界に存在する全てのものが、その存在を現した時から負うことになった宿命であるはずである。それ故に、生死を問わず、その相手の存在を自身の生存の為に必要なだけ押しやるのは当然のことであり、そうされるべき事であると私は思う。私欲や楽しみからそれを行えば当然罪にあたるだろう。その肉を食べもせず、毛皮や骨、脂、角などまるで役立てるつもりもないのに、唯々楽しいという理由からのみ行うハンティングのようなものである。しかし、自分達の命をつなぐために良い実をつけるものの種だけを残し、悪い種や役立たない実のものを取り除いてゆくことは誰しも行うことであり、我々はそうして今日まで命をつないできたはずである。</p><br><br><br><br><br><p>私はこうした豊かな時代、豊かな国に生まれた者が、物事の目に見える部分のみに感激し、感激から偏った思想に走り、自分一個の思想を御旗に掲げて他の国々や人々を非難するような者を目にするたびにつくづく残念に思うことがよくある。米一粒作ったこともない人間が農政を語り、戦争を知らない若造が老人の前で戦争や国防を語る。動物は大好きだと称しながらその世話は全くせず、肉が大好きと言いながら屠刹される獣の声を聞いたこともない。こういった者達は自分がいかに脆い肉の塊で、どうにかこうにかこの地上に存在できている獣の一つであることをついつい忘れているように私には思える。そうした獣であることに心底から得心出来ていないところが則ち彼等の言う自然から彼等自身が遠ざかっていることの何よりの証であることに気がついていないようである。戦争に夢中になるのは塹壕にいる兵士ではなく、何の危険もない会議室の一室にいる人間であると誰かが言っていたが、この理はこの場合にも通ずるところがあるように思う。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>何にもせよ、最近ではカラスの姿を目にしたときは気をつけるようにしている。朝から糞など落とされたのでは誰でもたまらないではないか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-10113888444.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 22:41:04 +0900</pubDate>
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<title>７月３日</title>
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<![CDATA[ <p>残念なことに日に日に暑くなる。曇っているにもかかわらずこの蒸し暑さときたらいったいどういう事であろうか。</p><br><br><br><p>今年は例年にもまして、ぎりぎりまでエアコンを使わずに扇風機で乗り切ろうと考えている。何も地球環境のことを考えてという訳ではない、少しでも電気代を節約しようというケチな魂胆からだ。そこまで電気代の高騰を気にかけなければならないほど生活に困っているわけではないのだが、大体において、私はエアコンの不自然な冷気が苦手でもあるし、体調を崩す原因にもなるものなので出来るだけ控えようと考えてのことである。それに、人間安楽な方に流されやすいもので、一度それに頼り始めると辛抱というものをしなくなる傾向があって歯止めが効かなくなるものだ。そのため、結局最後には頼ることにはなるのだが、無駄な抵抗を承知の上で毎年いよいよという時までエアコンのスイッチは入れないことにしている。</p><br><br><br><p>私の部屋に窓が二面以上あれば、僅かばかりでも風を入れて溜まった熱を放出することが出来るのだが、残念なことに南側に一面しか窓がないために空気を入れ替えることもなかなか難しい。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>私の住まいの周辺には多くの紫陽花が植えられているが、その紫陽花も最近は花の時期を終えたものが目立つようになった。家を出て最初の角にある紫陽花などは、今朝見たときには花は殆ど終わってしまっていて、残っている花はほんの僅かで、その残っている僅かばかりの花も花弁の縁が茶色く色が変わり始めていて、欝陶しい暑さのなか力無く萎れていた。この紫陽花も蕾が膨らみ始めたのがついこの間のような気がするが、今年こうして会うことができるのももうあと僅かのことであろう。花が終われば一年の間会うことが出来なくなるが、おそらくきっと来年も今年のように大きく立派な花をつけて私の目を楽しませてくれることだろうと思う。</p><br><br><br><p>こうして考えてみると、ただの紫陽花ひとつにしても、一生のうちに目にすることの出来る機会など僅かなのだと思い知らされる。あまりにも当たり前に咲いているので、人はついついそうしたことの尊さに気付かずにいることが実に多いものだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-10113886037.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 22:32:10 +0900</pubDate>
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<title>７月１日</title>
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<![CDATA[ <p>早いものだ、今日からもう七月である。</p><br><br><br><p>仕事が内勤のためか外の様子があまり分からないので、季節が梅雨とはいっても、それほど都内で雨が降っていたような気がしない。かなり頻繁に傘を持っていた記憶はあるのだが、いつもささずに手に持っていただけのような気がする。大粒の雨に降られて靴の中がぐっしょりになるほど降られたような記憶もない。</p><br><br><br><p>こういった感じを抱くのは多分私のような者だけであろうと思う。日がな一日空調の効いた屋内にいて、朝はまだ光の弱い内に出掛け、帰りはすっかり日が暮れてから表に出るのだから、そうして幾らか感覚が鈍ってしまったとしても当然のことであろう。しかし、私は今のこういった就業環境を決して嫌っているわけではない。むしろ、敢えてこうした環境で働けるような職種を選択したのである。何といっても私は生来体が弱く、人よりも幾らか疲れやすい傾向がある。それはもうずいぶん幼い頃から自覚していることだ。まぁ、平たく言えば貧弱で貧相な男なのである。しかし、そうしたことが幸いしてか、今までこれといって大きな病気も怪我もしたことがない。こう言うと何とも奇妙に聞こえるかもしれないが、実は私のように無理のきかない人間のほうが大病や大怪我から自然と逃れられるのである。無理のきく人間というのは無理がきくが故に、いよいよというところまで無理をしてしまいがちで、限界を超えてしまったときには取り返しのつかない状態まで事態を悪化させている場合が多いものだ。しかし私のように、そもそも無理がきかないような人間は、事態が悪化する前に体が耐えられなくなり、その結果、適当なところでいつも休みをとって、我とは知らず致命的な悪化を防いでしまうからである。幸か不幸か、私のように貧相な人間は意外にしぶとく、なかなかくたばらないのだ。取るに足らない雑草ほど駆逐出来ないのと同じ道理である。</p><br><br><br><p>それに、もう野外での肉体労働は出来れば遠慮したいと思う。以前は何とかなっていたが、だからといって今もその時と同じように出来るとは限らないし、だいたい昔のようにやり切る自信が今の私にはない。</p><br><br><br><br><br><p>今日はよく晴れている。週の半ばまではこうした晴れ間が続くのだそうだ。もう一雨来れば梅雨も開けることだろう。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>今更ながらだが、先日このブログのことでひとつ気付いたことがあった。それというのも、自分の“ルーム”というページから“次のルームへ”をクリックすることで無作為に誰かのルームへ移動できるらしい。今まで全くこうしたことに関心を払ってこなかったせいか、こうしてこの場で話し始めて一年以上経っているというのに先日偶然気が付いた。それで、ひとつものは試しというわけで、次へ次へといった風にして数珠繋ぎにしばらく歩き回ってみた。色々な人間がいるものだなと思いながら、私はこの架空の世界の中を、まるで縄張りを巡回してまわる猫のように、人のベランダや軒先を気ままに歩き回った。そうして３０分ほども歩き回っただろうか、私はもうその程度の時間でそうして歩き回ることに飽きてしまった。それというのも、おそらくあまり愉快なものを見つけられなかったせいだろうと思う。</p><br><br><br><p>そうして私が歩き回って目にした景色で最も多かったものは空き部屋だった。床には埃が積もっていて、光を浴びてうっすらと白く光っていた。人のいた形跡があるにはあるが、もう久しく使われていないように見えた。そうした空き部屋の他に私が目にしたものも色々とあったが、それは敢えてここで話さないでおくことにする。そうしたものはたいてい話すほどのものでもなかったし、それに決して快いものではなかったからである。とにかく多くは語るまい。他によく見かけたものといえば、女が男との思い出を書き連ねたノートを床に打ち捨てて出て行ったまま埃をかぶっている空き部屋の光景だった。これは実に多く見かけた光景だった。どうやら世間にはこうしたことはよくあるものらしい。</p><br><br><br><p>そうしてしばらく歩き回った後、私は手摺りから自分の部屋のベランダへ降り立ち、前足で窓をこじ開けて自分の部屋へと戻った。馴れないことをして歩き疲れたので、私はベッドの上に丸まって少しの間眠ることにした。すると、ふとある考えが頭に浮んで私は目を覚ました。それは、こうした方法で何か面白い人間を見つけることは出来ないものだろうかというものである。観察の対象になる人間をだ。</p><br><br><br><p>私はまた窓の隙間から表へ出ると、ベランダ伝いにてくてくと歩き出した。観察の対象にしようと思う人間のタイプはその時もう既に決まっていた。それは二日に一度ほどは部屋へ帰ってくる人間で、何事かに毒づくようなこともなく、罪の無い、他愛のない話しをしているような一般の人間というようなものだった。何より、恋愛話や下の話しなどを私は耳にしたくなかったので、そうした要素を含んだ人間は観察の対象から外すことにした。</p><br><br><br><p>すぐに見つかるかと思っていたのだが、意外にもそうした条件に当てはまる人間はなかなか見つからなかった。そうして歩き回っているときに感じたことだが、男というものはつくづく理屈っぽいものだなと改めて思い知らされた。まぁ、自分自身も男であるし、その上そうした傾向も多分にあり、しかもその属性は男には必要でもあるものなので非難がましく言うことなど全くの間違いであろうが、それでも私はそうしたものを見聞きすることが何となく億劫に思われたので、そうした人間も観察の対象から外すことにした。 すぐには見つからなかったが、何事も時間をかければいくらかの結果は得られるもので、私は数人の面白い人間を見つけることが出来た。色々と見てまわって見つけ出したものなので大層興味深いものなのかといえば決してそうではない。むしろ世間一般にいえばつまらないと言われるような類いの人間だろうと思う。話しを聞いていてもおよそ一般的にいって面白いと言われるようなものではない。そうした者達の話していることなど、仕事がきついだの休みが欲しいだの、今日はどこへ行ったとか、何を食べて何を飲んだとか、それが美味しかっただの朝眠いだのといったごくつまらないことが殆ど、というか全てそういったようなものである。そんなものを見ていて何が楽しいのかと問われれば私もおそらく答えに窮するだろう。しかし、何故だか知らないが、そういった何でもないようなことを唯々聞いているのが私には何とも心地よく、不思議と心の安まるような感じがするのである。</p><br><br><br><br><br><p>そういった訳で、私は今回見つけた幾人かの人間をしばらく間のんびり観察してみようと思っている。特にそのことを相手に知らせるようなつもりはないが、私にはどうも要らぬ世話を焼きたがるような年寄り臭いところがあったりするので、場合によってはお節介をやきたくなってしまうことがあるかもしれない。しかし、そうしたこともおそらく稀なことであろうと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cromcat/entry-10113885174.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 22:30:33 +0900</pubDate>
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