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<title>cup1357のブログ</title>
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<title>私の願い</title>
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<![CDATA[ <p>　今日は火曜日でした。最近、行っているのか。みんな体調が優れない様子。そこで、急遽、企画した「しりとり列車ゲーム」「目線あわせゲーム」を試してみることに。最初は暗い顔のこどもたちでしたが、少しずつ明るくなってきました。</p><p>　教室の空気ってとっても大事。一人がしんどい顔をしとると、それが蔓延して、空気が悪くなる。じゃあ、どうしたらいいのかと言うと、しんどい顔をさせなくする。本当にそれでいいのか。しんどい時はしんどいと言える、がんばるときは一人でもがんばる、そんな子どもを育てたいのではないか。だとしたら、空気ばかりにとらわれていていいのか。自分は何を大事にして、教育をしていくのか。何を目指すのか。もっとじっくり考えていきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>　でも、究極の目的は「みんなが幸せに生きられるようにすること」です。だって、人生は一回きりだし、やりたいこと、ゆめを見たもん勝ちです。</p><p>そんな力をつけさせたいなって考えている。ただし、「みんなが」ここを強調したい。つまり、一人でもいやな気持ちをしていたら、みんなが幸せではないから。</p><p>&nbsp;</p><p>　この究極目的から、逆算して、今の教室という社会、子どもという名の人間を育てていきたい。そう願うこの頃です。それが今のところ、僕が夢見る幸せです。&lt;明日にはこの考えが変わっているかもしれませんが、とりあえず。&gt;</p>
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<link>https://ameblo.jp/cup1357/entry-12418860572.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Nov 2018 22:36:41 +0900</pubDate>
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<title>仕事終わりのバッティングセンター</title>
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<![CDATA[ <p>　今日もみなさん仕事おつかれさまです。月曜日がはじまってしまったので、今週も精一杯がんばります。ちなみに私は学校の先生をしています。詳しくは言えませんが、子どもたちと楽しい時間を過ごしています。ただ、月曜日の子どもたちは少しお疲れ気味な様子です。土日の忙しさを冷ますかのようです。かくいう私も月曜日は大の苦手、テンションが低いのをばれないように、はきはき授業に挑みました。しかし、今日は一つ一つの授業がはきはきとしたものではなく、少しだらだらとした空気になってしまいました。反省です。。</p><p>　そして、題名にもありますとおり、仕事終わりに一人でバッティングセンターに行ってきました。昔から好きなバッティングセンター、ミートできた時のうれしさはとてもすごいです。ただ、久しぶりにバットを振ると手がとても痛かったです。定期的に通いますね。</p><p>　明日も授業がんばるぞ！明日はテンポとはっきりとした声、子どもたちにはたくさんのスピードを早くする力を付けさせましょう。がんばれ、みんな！</p><p>&nbsp;</p><p>　ブログの方向性を模索している現在ですが、一日の振り返りというのもありかもと思い始めました。では、ごきげんよう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cup1357/entry-12418619715.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Nov 2018 21:52:08 +0900</pubDate>
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<title>疑えないこと</title>
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<![CDATA[ <p>　昨日、思考実験から導きだされる、この世界の存在の不確かさの理論を書かせていただきました。</p><p>この理論を乗り越えようとした人がいいます。その人の主張はざっくりいうとこんな感じです。</p><p>「確かに世界が存在しているか、していないかはわからない。しかし、このめの前に見えているものは疑えない」というのです。</p><p>今、目の前に見えちゃってる、パソコン、本、机、これが見えちゃってるということは、真実であると言うのです。つまり、私たちの意識作用が生み出した目の前に見えている世界は疑えません。それは確かにあるのです。</p><p>　私はそれにひどく納得してしまいました。あるか、ないか、わからないものをいくら考えていも仕方がない。今、目の前にみえちゃっているものや人、世界を信じよう。その世界は確かに目の前に意識作用として現れているのだから。説明や文章が下手でつたわらないかもしれませんが、最近はこの考え方に支えられています。今、見えている現実と向き合おうという気持ちが溢れています。</p><p>　このブログでは、メモ書きのような自分のひらめき、知ったことを書いていきたいなとおもっています。拝読ありがとうございました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cup1357/entry-12418337007.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Nov 2018 18:31:06 +0900</pubDate>
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<title>目の前に見えていること、疑えないこと</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　みなさん、こんにちは。少しずつ気温が下がり、肌寒くなってきましたね。</p><p>風邪をひかないように気をつけてくださいね。</p><p>&nbsp;</p><p>　先ほど、「世にも奇妙な物語」を見ました。後半にありました「われわれの世界は一つの脳みそが作りあげた幻想かもしれない。」というくだりが、デカルトの話だなと思って聞いていました。この話をもっと簡単に言うなら、私たちが今生きている世界は、誰かの夢の中の出来事かもしれない、だから、この世界は存在していないという仮説が成立するということですね。いわゆる思考実験的なやつかと捉えてもよいのかなと思います。「いやいや存在しているよ～」と思われるかもしれないですが、論理的にこの仮説を否定することはできない、証明しようがないけど、否定もできないです。</p><p>　私は哲学的なことを考えるのが好きで、この考え方に最近までとらわれてまして笑</p><p>なんかなにしてても、あ、この世界って、夢の中の話かもな～、存在しないかもな、生きるってなんだろな、とか、本当に深刻に悩んでまして笑</p><p>　でも最近になって、この世界の存在の証明について解決策、一歩、議論を前に進めた人物がいまして、その人の考え方を知って、この悩みから、少しだけ解けた気がしました。次回は、その人のお話をしたいなと思います。拝読ありがとうございました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/cup1357/entry-12418188161.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Nov 2018 00:08:06 +0900</pubDate>
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