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<title>映画好きの魂のブログ</title>
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<title>「中華そば敦」</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a id="i12510042737" class="detailOn" href="http://ameblo.jp/blues-yoshi/image-11516337199-12510042737.html"><img border="0" alt="永田よしのりの映画と唄と言霊と　　映画批評と紹介記事など　-201304221812000.jpg" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130422/18/blues-yoshi/f9/2d/j/t02200391_0480085412510042737.jpg"></a> </div><br>風が冷たく小腹もすいた。亀有の中華そば「敦」にて一杯。煮干しが効いていて美味い。麺もあえて不揃いの食感が好きなタイプ。 <!-- google_ad_section_end(name=s1) --><!--entryBottom--><!-- google_ad_section_end(name=s1) -->
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<link>https://ameblo.jp/daga159taka/entry-11568082139.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Jul 2013 20:13:08 +0900</pubDate>
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<title>「世界が食べられなくなる日」新作映画　今日の試写室</title>
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<![CDATA[ <p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｃ　不明</p><p><br>「世界が食べられなくなる日」</p><p><br>６月８日公開<br>１１８分<br>配給　アップリンク<br>監督　ジャン＝ポール・ジョー<br>出演　コリーヌ・ルパージュ、ジル＝エリック・セラリーニほか</p><p><br>　ここ数年問題視されている農薬に強い遺伝子組み換え作物や種子。そしてそれを生産、販売利益を上げるために、それらの種子には耐性を持たせる除草剤を販売するモンサント社の実態。<br>　昨年もこれらの問題を取り上げたドキュメンタリーが日本で公開されたが、今作品ではモンサント社の遺伝子組み換え作物を与えた研究用ラットがいかにして身体を壊していくかを追う実験を紹介すると共に、原子力問題をミックスさせて描いていく。<br>　遺伝子組み換え作物と原子力開発（原発問題）の共通点は、一度汚染されたら二度と元に戻らないということ。<br>　映画では原発事故以降の福島県でも撮影され、被災地の人々の声や様子も見せていく。<br>　映画で主に見せられていくのはフランスと日本の現状。<br>　遺伝子組み換えが行われた作物がどのように人体に影響を与えるか、をまだ日本人はあまり知ってはいない事実。<br>　そして、そうした遺伝子組み換え作物が使われた加工食品がどれだけ現在の日本に溢れていることか。<br>　もちろん加工食品に遺伝子組み換えの表示義務は定められているが、その加工食品の大元の遺伝子操作実態にまでは追随してはいないのが日本という国。加工後の食品から遺伝子組み換えタンパク質が検出されなければＯＫなのだ。これはつまり、根本は見逃す、ということ。<br>　そしてそこまで表示すると、諸外国から輸入できるものが減ってしまうからだ。<br>　もともと人間の身体を構成している遺伝子を操作する、ということは、かつてあった人間の人間たる正常なモノを破壊する、ということ。<br>　そしてそれは一度破壊され組み換えられると、二度と元には戻らない。<br>　だから、現代の人間は、昔よりも耐性に変化が起きてきているのは明らかなのだ（花粉症などはその最たる例ではなかろうか）。<br>　ちょっと考えてみてほしい。<br>　原発事故で汚染された大地でも青々を育つ作物がある。それは遺伝子操作されて作られた放射能耐性を持つ種子から育った作物。それを国が認めているからと、あなたは買って食べるだろうか？<br>　この映画で描かれていることはそういうことなのだ。<br>　遺伝子操作をされた食物は、それを売る企業の儲けが第一。消費者のことなど考えてはいない。つまり、それを売る側だけに都合の良いものが遺伝子操作された食物なのだ。<br>　そしてそれは、緑豊かな土地でなくても育てられる、などと苦しんでいる農業生産者たちに甘い蜜をちらつかせる。<br>　まるで、世界征服を企む悪の秘密結社のようだ。 <br>　自分の身は自分で守るしかないのだが、それさえも危うくなっているのが、現在の日本なのだ、ということは、もう少し理解していた方がいいだろう。<br>　「便利になる」ということは、自然ではない、ということと同義なのだ。<br></p><!-- google_ad_section_end(name=s1) -->
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<link>https://ameblo.jp/daga159taka/entry-11568082405.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Jun 2013 19:30:11 +0900</pubDate>
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<title>「犬と猫と人間と　２　動物たちの大震災」新作映画　今日の試写室</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a id="i12505847420" class="detailOn" href="http://ameblo.jp/blues-yoshi/image-11514219216-12505847420.html"><img border="0" alt="永田よしのりの映画と唄と言霊と　　映画批評と紹介記事など　" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130419/09/blues-yoshi/49/38/j/t02200293_0480064012505847420.jpg" width="220" height="293"></a> </div><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｃ　不明</p><br><p><br><br>「犬と猫と人間２　動物たちの大震災」</p><br><p><br><br>５月公開<br><br>１０４分<br><br>配給　東風<br><br>監督　宍戸大裕</p><br><p><br><br>　２００９年に製作・公開された「犬と猫と人間と」の監督・飯田基晴が構成・編集・プロデュースを担い、彼から映画撮影を学んだ宍戸大裕が、東日本大震災以降の故郷・宮城県の被災状況の中、一人で撮影に臨んだドキュメンタリー。<br><br>　被災地では地震、津波、原発事故により、それまで平和に暮らしていた日常が一変し、故郷に住むことが出来なくなった。それは人間だけではなく、飼われていた犬や猫、そして牛たちも同じ。<br><br>　キャメラは非日常となった世界の中で、動物たちの置かれている悲惨な状況や、それに伴った人間たちの身勝手さ。そしてやりきれないままで今も過ごしている被災当事者たちの姿を通して、今、被災地では何がどうなっているのか？　を見せていく。<br><br>　前にも書いたことだが、ドキュメンタリー映画というものは、実際の現場を撮影しているものではあるが、編集の仕方によって、その見せたいものの意図がいかようにも変化していく。<br><br>　本作品は、最初、どうも撮影者の意志が見えていて、多少は現場に居る者の憤りが表出していたように感じられるが、中盤から後半にかけてその匂いが薄れていったように思う。<br><br>　それは長く現場に居ることで頭が冷めてきたからか、それとも冷静に対応することが出来るようになったからなのかは分からない。<br><br>　しかしながら、時に冷酷にも見える描写もしっかりと挿入し、被災現場の動物たちの姿を写し出していくことで、ドキュメンタリーとしての体を成していったように感じた。<br><br>　食料もなく餓死し、半分干からびた死体に沸く蛆虫の群れ。道の脇に半壊したまま転がっている猫の死体。それらはすでに動物ではなく、腐った肉の塊としてかつては牛だったり、猫だったりしたモノとして写し出される。<br><br>　その姿に目を覆うことは簡単であり、観たくないものを観ないという選択も当事者の自由意志ではある。<br><br>　しかしながら、我々のように試写を観て、一般に映画としての意味を広げていく作業をする者にとっては、こうした辛い描写を観ないで世間に届けることは出来ない。<br><br>　描かれているものは全部観なければいけないと僕は思う。<br><br>　そんな覚悟もなしに、「映画紹介をしてます」などとのたまう人の気持ちが知れないし、そんな甘えきった心根の者は現場から去って欲しいとさえ思う。<br><br>　大体にして、そうした発言が出来る人は、現場に行かないでああだこうだ、と言っている夢見る人たちなのだろう。　<br><br>　作品を作っている人、撮影をしている人からしたら、そんな人たちに「泣けました。感動しました」などと言って欲しくはないのではないだろうか。<br><br>　ペットとして、動物を飼うこと。<br><br>　それは愛玩だけすればいいということではない。<br><br>　彼らが死ぬまで同じ場所で一緒に生き、時間を共有することによって得ていく連帯感を共有すること。<br><br>　それが出来ないのなら飼ってはいけない。<br><br>　しかしながら、そうした思いでいても、被災地では動物を置き去りにせざるを得ない状況が、国によって作り出されていく。<br><br>　「動物なら置き去りにしていいのか」<br><br>　「動物なら見殺しにしていいのか」<br><br>　国は、税金を払う者だけを確保すればいいのか。<br><br>　その家でずっと飼っていた犬や猫は、あるいは牛は、その飼っていた人にとってどれだけ大事だったことか。<br><br>　こうした被災地を撮影した映画を試写室で観ていると、時にある場面で（見ようによってはユーモラスに見えるのかもしれない場面だが、僕には被災当事者の自虐的あきらめの言葉にしか聞こえてこないため、いつも辛いのだが）一部の人から笑いが起きると、僕はその度に愕然とした気持ちになる。<br><br>　笑える神経が理解できず腹立たしい思いで一杯になるのだ。<br><br>　映画という画面の中とはいえ、被災現場の様子を観て笑える人たちは絶対に被災地現場には足を運んでいないだろう。<br><br>　こうした映画を観て笑える人、居眠りを出来る人、残酷とも言える場面で目を逸らす人、あなたたちは一度被災してみた方がいい。<br><br>　そうすれば、人の心が少しは分かるようになるのではないだろうか。<br><br>　だから、僕は現場に行かない人間を信用しない。<br><br></p><!-- google_ad_section_end(name=s1) -->
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<pubDate>Sat, 15 Jun 2013 18:42:43 +0900</pubDate>
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