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<title>霊鷲山 大法輪寺　坊主が吠える　がくほう独り言写真日記</title>
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<description>『葬式仏教が真実なら　私は坊主をやめる！』</description>
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<title>耳に痛い言葉ほど受け止めるのは難しい</title>
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26年ブログを書き続けていると、不思議なもので、自分の内側だけでなく、他寺の様子にも目が向くようになる。最初はただの日々の記録であったはずが、いつしか「これはどうなのだろうか」と感じる出来事に出会うと、言葉にせずにはいられなくなる。もちろん、誰かを批判したいわけではない。あくまで注意喚起のつもりであり、同じ道に身を置く者としての小さな提言のつもりで書いている。しかし、そうした文章に対して、ときどき僧侶の方から警告や忠告をいただくことがある。中には名乗られない方もおられ、返事のしようもない。ただ、
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<dc:date>2026-04-24T08:30:39+09:00</dc:date>
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<title>典型的なB型人間ですね</title>
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最初に説教を依頼されたのは、二十五歳のときだった。今思えば、まだ何も知らぬ若輩者である。それでも、多くの人の前に立ち、胸の内にあるものを、ただひたすら言葉に乗せて語った。あのときの自分には、怖さよりも「伝えたい」という思いの方が勝っていたのだろう。振り返れば、ずいぶん思い切ったことを口にしている。よくあそこまで言えたものだと、我ながら感心するほどである。だが現実は甘くなく、その後すぐに先輩僧から厳しい注意を受けた。「それは言い過ぎだ」「立場をわきまえなさい」そんな言葉が、胸に重くのしかかった。宗
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<dc:date>2026-04-23T08:39:41+09:00</dc:date>
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<title>「寺はこうあるべきだ」という強い意志の表れ</title>
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縁というのは不思議なもので、求めずともふとした折に導かれることがある。今日もまた、そうした流れの中で一つの寺院を訪ねた。玄関を入ると、どこか新しい空気を感じた。聞けば、すべて自力で建立されたという。その言葉の裏には、並々ならぬ覚悟と労苦があったはずだが、不思議とそれを誇る気配はない。ただ静かにそこに在るだけである。住職の人柄もまた、その寺の空気を形づくっており、柔らかく芯が通っている。そのせいだろうか、門徒は確実に増え続けているという。無理に引き寄せるのではなく、自然と人が集まる。それは本来、宗
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<dc:date>2026-04-22T08:34:54+09:00</dc:date>
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<title>毎日が命懸けの旅路</title>
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しとしとと降る雨の中、ふと玄関先に気配を感じて戸を開けると、そこには思いがけぬ参拝者がいた。猿の一団である。まるで示し合わせたかのように、玄関前の軒下や、道を挟んだ向かい宅の屋根の上で、それぞれが思い思いに雨をしのいでいる。こちらをじっと見つめる者、身を寄せ合う者、ただ黙って雨音に耳を澄ませているような者もいる。彼らは猿の聖地ともいわれる高崎山から離れ、餌を求めてこの辺りまで流れてきた者たちだ。毎日が命懸けの旅路であり、人の目を盗み、犬を避け、時には追われながら、それでも生きるために歩き続けてい
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<dc:date>2026-04-21T07:43:04+09:00</dc:date>
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<title>住職さん、写真いいですか？</title>
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本堂でのお経と法話を終え、さて静かに下がろうかと一歩引いたその時だった。「住職さん、写真いいですか？」最近はこういうお声がけも珍しくない。時代だなと思いながら、私はさりげなく襟元を整える。袈裟の乱れを直し、ほんの少し顎を引く。どうせ写るなら、後世に残っても恥ずかしくない一枚にしていただきたい。さて、どの位置に立とうかと周囲を見渡し、列の端か中央かと一瞬迷う。やはり中央が無難だろうか、などと考えていたその時、すっと手元に何かが差し出された。スマホである。「あ、これでお願いします」一瞬、時が止まった
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<dc:date>2026-04-20T07:27:46+09:00</dc:date>
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<title>封筒ではなく一本のリポビタンD</title>
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リポビタンDを手にするたびに、ひとつの葬儀の光景が静かに胸に浮かび上がる。それは、ある葬儀社の担当者が、ためらいがちに紹介してくれたご遺族との出会いから始まった。事情を聞けば、決して余裕のある状況ではない。それでも「せめてお経だけでも」と願うその言葉には、故人を思う真っ直ぐな心が滲んでいた。これもご縁と思い、私はいつも通りに心を込めてお送りした。形式や規模ではなく、ただ一心に、手を合わせる人の気持ちに応えたい。その思いだけが、読経の声に乗っていたように思う。葬儀を終え、寺院の控え室に戻ると、担当
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<dc:date>2026-04-19T07:51:38+09:00</dc:date>
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<title>必要なのは持久力(草食)</title>
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私はもともと肉が苦手で、自然と野菜中心の食生活になった。今日の食事も、いただき物の新玉ねぎを薄くスライスしたものとセリ、こだわり生姜入りのあたたかい味噌汁。それで十分に満たされている自分がいる。かつては「それだけで足りるのですか」と驚かれることもあったが、不思議なもので、身体は与えられた分にきちんと応えてくれる。むしろ余分なものを取り込まない方が、軽やかに日々を過ごせるように感じている。思えば、私たちは少し食べ過ぎているのかもしれない。特に夕食となると、一日の終わりという安心感からか、つい量も内
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<dc:date>2026-04-18T08:34:08+09:00</dc:date>
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<title>ステンドグラスの十字架</title>
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日出本院のステンドグラスを見上げるたびに、少し不思議な感覚に包まれる。一番上には、ためらいもなく大きな十字架が描かれている。仏教寺院に十字架・・・常識だけで見れば、確かに似つかわしくない光景かもしれない。けれども私は、その「十」のかたちに、単なる宗教の違いを超えた意味を見ている。縦の線は慈悲、横の線は愛。その二つが交わるところに、人の願いの原点があるように思うのだ。その交わりが、静止したままではなく、やがて動き出す。すると尾を引くようにして「卍」となり、さらに回り続ければ、やがて角は取れ、ひとつ
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<dc:date>2026-04-17T08:05:59+09:00</dc:date>
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<title>巨大な大殿堂をいくつも訪れてきたが</title>
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僧侶の見学や相談に応じていると、時に思いもよらぬ来訪者に出会うことがある。ある日、新興宗教の幹部の方が、数名の信者と共に訪ねて来られた。穏やかな口調ではあったが、その奥には教団の存続に対する強い危機感がにじんでいた。日本には宗教法人として認められている団体が、十八万ほど存在すると言われている。それぞれが教えを掲げ、人々の拠り所であろうとしているが、現実には「組織を守る」という課題が重くのしかかる。やがて「信者を増やさなければならない」という発想に至り、その手段として“ご利益”が強調されていく。し
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<title>お布施の中身を見ない</title>
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お布施というものは、本来、金額で測られるべき性質のものではないはずである。にもかかわらず、その額によって檀家を見分け、態度を変えてしまう僧侶が少なからず存在する現実に、私はこれまで何度も違和感を覚えてきた。そのため、僧侶を対象とした講座や講演の場では、繰り返しこう伝えてきた。「住職は、お布施の中身を見てはならない」と。お布施を頂いたならば、そのまま開封することなく会計へ回す。それが一つの節度であり、信頼を守るための最低限の作法ではないだろうか。中身を知った瞬間、人の心はどうしても揺れる。多く包ま
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