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<title>昭和の子供達</title>
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<description>はじめましてこのブログは、私達昭和の子供達のの記録です。ウン十年まえの自分の記憶を辿り、紡ぎ、忘れていた自分と出会うのも、たまには・・・ねまずは、昭和４４年頃、僕が4歳くらいから始まります。</description>
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<title>Roots【１1】ひろひこにいちゃんと鹿児島へ①</title>
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<![CDATA[ 前出の「ひろひこにいちゃん」は僕とちょうど１０歳違いの母方の従兄である。<br>名古屋でピックアップしてくれていた親戚である。<br>ピックアップしてくれていたのは叔母であったりするのだが<br>僕を１番面倒見てくれたのは、この「ひろひこにいちゃん」とその妹の「あきこねえちゃん」である。<br>ひろひこにいちゃんは３人兄弟の真ん中である。<br>一度一緒に前出のようにブルートレインで鹿児島に行ったことがある。<br>鹿児島の父の実家は今でいう霧島市隼人町であるが、昔は「日当山」といい今でも「日当山温泉」で知られる霧島のふもとの温泉地である。<br>今では鹿児島空港が近くになり車で１５分程の非常に便利な立地だが<br>当時は空港も鹿児島駅も<br>鹿児島市内にあり、日当山からは電車（父たちは汽車と言っていたが）<br>で１時間以上かかった。<br>まあ、鹿児島的にみてもなかなかの田舎だったのだ。<br>ひろひこにいちゃんは僕の母方の従兄であるから、（母は東京出身なのです）<br>直接鹿児島は関係ないのだが、行きたいというので、僕を連れて遊びに行ったわけだ。<br>出発の朝、ひろひこにいちゃんが僕を家まで迎えに来てくれたわけだが、何となく表情がさえない・・・<br>訳を聞いてみると、家で飼っていた愛犬の「レオ」（昔懐かしい白のスピッツ）が前日に亡くなったのだとか・・<br>余談だがこの「レオ」という犬は幼いころの僕の天敵で、よくこの親戚の家に遊びに行くと顔を舐められたり<br>すごい勢いで寝床に攻め入られたりしていた。<br>が、この時は流石に僕も悲しくて少しブルーになってしまった。<br>でも気を取り直して鹿児島に出発!<br>
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<pubDate>Thu, 17 Feb 2011 18:21:00 +0900</pubDate>
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<title>Roots[10] 色々な冒険</title>
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<![CDATA[ 僕は小学校に上がる前に今まで記したように色々な冒険をしたが、<br>当時はやはり今と比べるととても大らかで良き時代だったのかもしれない。<br>例えば、ここに記したもの以外では、<br>東京駅まで母に付き添ってもらったがそこで新幹線に一人で乗せられ<br>名古屋駅で親戚がピックアップ！発車前に母が、僕の隣の座席の大人に事情を説明して「名古屋で下してやってください」だって・・・<br>今では考えられないでしょう・・・<br>もう一つ、羽田まで母に付き添ってもらってそこで一人で飛行機に乗せられ<br>鹿児島空港で祖母がピックアップ！<br>搭乗口で今でいう客室乗務員の方に「よろしくお願いします」だって・・・<br>これは今は航空会社がサービスとしてやっているのかな？<br>僕のころはめったになかったみたいだが、機内で飛行機の玩具とかもらったりして・・・<br><br>というようなことは複数回あるのだ。<br>いい悪いはよくわからないけれど、やはり子供にとっては安全ないい時代だったのかな？と思う。<br>でもやはりダイイチ少年は実はとても心細かったのか、新幹線でも飛行機でも必ず乗り物酔いをした。<br>あまり揺れないのに・・・<br>ああそうもう一つはブルートレイン！<br>おんなじ感じで父の実家の鹿児島までよく一人で帰った「寝台車」<br>時には一人で乗せられ鹿児島駅でやはり祖母がピックアップ、又は叔母の「せいこねえちゃん」（叔母だが当時まだ１０代だったため叔母さんというと怒られた）<br>が東京に遊びにきがてら僕を迎えに来て二人で「寝台車」<br>あるいはいとこの「ひろひこにいちゃん」（前出のせいこねえちゃんと年は同じだがこちらは従兄なので本当ににいちゃんである）<br>と一緒にやはり「寝台車」<br>僕の記憶だとこのころ寝台車で鹿児島までお昼に東京を出発してあくるお昼前くらいに到着だった気がする。<br>いっぱい時間がかかってたんですねえ・・・<br>今より時間の流れがゆっくりだったのかなあ。<br>寝像の悪い子供の僕はいつも今にも寝台の３段目から落ちそうになりながら寝ていたが・・・。<br>
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10803304109.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Feb 2011 18:07:00 +0900</pubDate>
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<title>Roots[9] 幼年期、最後の大冒険</title>
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<![CDATA[ ある日、いつものように病院に行ってひじのリハビリをした後、藤原家に<br>行くと、なんと鍵がかかっていて誰もいない・・・<br><br>はて・・・<br><br>買い物中・・・？<br>どうしようか・・・<br><br>その時、僕の心の中に不思議な心が目覚めた・・・<br><br>それは、そういたずら心・・・？<br>好奇心・・・？<br><br>よくわからんが、まあ、そんな類いだ。<br><br>次の瞬間僕はある方向に向かって歩き始めた。<br>行く先は「赤羽駅」<br><br>その頃、僕の父はある小さな広告代理店を経営していて<br><br>会社は上野にあった。<br><br>今でも覚えているのだが、その会社が入っている雑居ビルは１０階建て位で<br>屋上に「ヴィクター」のシンボルのあの、犬が蓄音器のスピーカーをのぞいている<br>マークがあった。<br><br>それは上野駅からでも余裕で見えた。<br><br>そう・・僕の目標は上野駅から見える「ヴィクターの犬」だ！！<br><br>病院の帰りだから、少しはお金を持っていたのだと思うが、<br>藤原家から赤羽駅までは子供の足でたぶん２０分～３０分程度<br><br>そして赤羽から上野まで、１５分くらいであろうか・・・<br><br><br>ちょうど今の「かのん」と同じくらいだ。<br><br>大冒険である<br><br>何はともあれ・・・なんとか偶然だか何だか・・・<br><br>上野駅に着いた僕はまず、例の「ヴィクターのマーク」を探した。<br><br>はて・・・？<br><br>ところが、いまひとつ見覚えのあるマークが見当たらない・・・<br><br>今思えば、要するに自分がちびなもんだから、高いビルの向こうが見なかっただけ・・・<br><br>しかし、当時の僕はそれはもう必死である。<br><br>道行くおじさんに｛＊＊PR｝って会社どこですかあ？？<br><br>などと聞いてみたが、たかだか、上野の雑居ビルの一角の小さな会社<br><br>だれも分かる訳ない・・・<br><br>よく誘拐　あるいは　補導されなかってものだ。<br><br>そんなこんなでチョロチョロと動き回った僕はまたまた偶然<br><br>あのマークを発見！！<br><br>もうこうなったらこっちのもんである。<br><br>ビルの屋上の犬にむかってひたすら歩く・・・歩く・・・<br><br>着いた！<br><br>さてここら辺からは慣れている。<br><br>エレベーターにのって・・・？<br><br>たしか・・・７階だったか・・・<br><br>とにかくエレベーターに乗った。<br><br>すると、たまたまエレベーターから降りてきたおじさんに<br><br>すれ違いざまに声をかけられた！！<br><br>「だいちゃん？」<br><br>それは聞きなれた声だった。<br><br>父の会社の若い衆であったのだ<br><br>そのおじさんに連れられて事務所に入って行った。<br><br>父はちょうど電話中だったが、僕を見たとき<br><br>電話中にも関わらず、瞬間的にではあるが、絶対目が２倍ほど大きく見開いた。<br><br>そりゃあ驚くでしょう・・・<br><br>その後、外出中の僕の母から父に、僕が行方不明であるらしい電話が入り、<br><br>「なぜかここにいるんだけど・・・」<br><br>と、父<br><br>後から聞いた話だが、母はこの時、驚きのあまり確実に電話ボックスの中でい１メートルは飛び上がったらしい<br><br>まあ・・・<br><br>無事僕の幼少期最後の大冒険は幕を閉じ<br><br>小学生になっていく・・・<br><br>つづく・・・<br>
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10802238380.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Feb 2011 18:04:00 +0900</pubDate>
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<title>Roots[8] 藤原家の人々(4)</title>
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<![CDATA[ ある日<br><br>藤原家にて仲良しの一つ上の「さぶちゃん」<br><br>に大変なことが起こった。<br><br>さぶちゃんのお父さんが事故で亡くなったのだ。<br><br>確か電車の事故だったと思う。<br><br><br>いや・・今思えば大変であるが、当時は僕らも子供であり、事の重大さは解らなかった。<br><br>そんなことがあり数日後に彼の家に遊びに行った。<br><br><br>本人はいたって元気で家の中であるが飛び回っていた。<br><br>ついでに僕もつられて飛び回ってしまった。<br><br>お母さんは、はてどう思ったであろうか・・・？<br><br>その日、その後どんなことをして遊んだかはさっぱり覚えてないのだが、<br><br>さぶちゃんはその後どんな人生なのだろうか？<br><br>数年後、小学校の高学年になってから、たまたまさぶちゃんと再会するのだが<br><br>それは又の機会に・・・
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10802087618.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Feb 2011 15:13:20 +0900</pubDate>
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<title>Roots[７] 藤原家の人々(3)</title>
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<![CDATA[ 本当は前回で「藤原家の人々」シリーズは終わりのはずだったのだけれど･･･<br><br>思わぬリクエストがあり、がしかしそもそもあそこでネタぎれだったはずなのにスラスラといくはずもなく、１カ月も御無沙汰してしまった。<br><br>しかししまあ・・・あと一つだけ思いついたので記しておこう<br><br>ある日保育園で遊んでいた私は［骨折］した。<br><br>あれは確か保育園の年長組の初夏、僕の6歳の誕生日の直後であろうか・・・<br><br>いつものように園庭で遊ぶ僕に事件が起こった<br><br>滑り台を逆さに登っていた僕、(やってはいけないことであるが）<br><br>ちょうど中間地点に差し掛かったところに、普通に上から滑ってくるお友達・・・<br><br>というシチュエーションだった。<br><br>目に浮かぶ光景であろうが、私は横によけようとしてすべり台の下にまっさかさま・・・<br><br>「いてて！！」<br><br>とにかく痛かった。<br><br>ふと、痛いところを見ると、右腕の肘が逆に曲がっているではありませんかあ！！<br><br>僕はとにかくびっくりした！<br>痛みよりもその変な肘にびっくりして号泣！！<br><br>慌てて駆けつけてきた先生に連れられてとりあえず医務室へ・・・<br><br>「とにかく、肘を曲げてごらん！」と先生<br><br>泣きながら肘を曲げようとする私・・・<br><br>何と、肘がブランブラン状態で曲がらない・・・<br><br>何度か試してみる・・・<br><br>が、やはり肘が曲がらない、というか上がらない。<br><br>という訳で、今度は近所の診療所へ・・・<br><br>色々と検査を受け、添え木をつけられた所へ、会社から呼び出された母が真っ青なかおで現れた！<br><br>こちらも、母の顔を見たとたんまたまた泣き出した。今思えば、なんと甘えん坊なことか・・・<br><br>数日後、母につれられて診療所に検査結果を聞きに行きました。<br><br>担当の医師に説明を受けた。<br><br>「う～ん・・・骨折ですねえ・・・しかも複雑骨折」<br><br>難しい顔をした医師がレントゲンの写真を見ながら言った。<br><br>？「骨折」？｢複雑骨折」？<br><br>何といっても小学校に上がる前の子供である、医師の言葉の意味が良くわからない・・・<br><br>ただ、なぜか今でも覚えているこの言葉は当時意味がわかって、とても怖かった記憶がある・・・<br><br>「この状態ではねえ・・・手術をしてもねえ・・・」<br><br>今思えば不思議だが、「複雑骨折」の意味がわからないのに何故か「手術」の意味はわかったのだ。<br><br>不思議なもんだ・・・<br><br>ともあれ、とりあえず怖い怖い「手術」を逃れた私は、訳もわからず、今度は上半身を裸にされて、<br><br>何やら生暖かい湿った包帯のようなものを巻かれた。結構重い・・・<br><br>そう・・・ギプスであります。<br><br>なんと少年は右肘だけでなく、<br><br>右腕の甲から、右肘を通って右肩、胸、それも肋骨を覆うように、かなり広範囲に巻かれたわけです。<br><br>子供だから、暴れるから、という理由で、ほぼ右上半身が動かないように固定されたわけだ！！<br><br>ともあれ、これはえらいことで、かなり自由奔放に育って来た私にとっては相当ストレスのたまる毎日だった。<br><br>そしてこの日から、<br>保育園→藤原家→病院→藤原家という感じで、又生活の中に通うところが増えててしまった。<br><br>そしてその日が来た。<br><br>ある日、いつものように病院に行って（４歳の子供が一人で病院通い？ピンとこないですねえ放任にも程があるのか、現代が過保護なのか？）<br>藤原家に帰って来た私はとんでもない光景を目撃してしまった。<br><br>通りから藤原家に入る通路があるのだが（多分5メートルくらいかなあ）<br>その通路の両脇には熊笹が植えられていた。その熊笹と熊笹の間を縫うようにすごいスピードでジグザグに動くものがいた。<br><br>なんだろう？４歳のダイイチ少年は目をこらす・・・目をこらす・・・<br>黒い毛が全身を覆い尻尾が長くて妙に動きが早い生き物な～んだ？<br><br>ネズミである。私の【齧歯類】恐怖症はこの一瞬でできあがった。<br><br>そして季節は夏・・・<br><br>保育園の最後の夏休みはギプス姿で迎えることになったのでした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10799800311.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Feb 2011 15:42:15 +0900</pubDate>
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<title>Roots[６] 藤原家の人々（２）</title>
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<![CDATA[ 書き始めてみると<br>「藤原さんち」時代はへたすると保育園よりよっぽどネタが多いように思えて来たのでもう少しふれておきたいと思う。<br><br>ここでもやはり友達ができた。まずは一つ年上の「サブちゃん」<br>二つ年上の「ヒコちゃん」同じ年の「キヨシくん」後から入って来た「ヨシカズくん」<br>最初のうちは「サブちゃん」とばかり遊んでいた。<br>かなりわんぱくな遊びもあった気がするが<br>その中でも特に思い出すのは、赤羽の駅から赤羽台団地を通って王子まで行くバスがあるのだが、私達はそれに乗って王子の飛鳥山公園に遊びにいったのである。<br>おそらく私が４歳くらい、一つ上の「サブちゃん」は５歳くらいであったろう・・・当然小学校に上がる前の二人である。<br><br>普段から、まあそんなに温厚でない「おばさん」この時ばかりは怒った怒った、包丁の峰を「ガンッ！！」と叩きつけて怒った。<br>今まで見たなかで一番怖い「おばさん」の姿だった・・・<br>とはいえこれは「藤原家時代」数ある中でも一番の大冒険だった。<br><br>他にも色々な遊びをして毎日を過ごしたが、先にも記したように<br>「サブちゃん」も他の皆もどんどんお迎えが来て帰って行くが<br>私は、いつも［居残り組］で赤羽駅から母が「これからタクシーに乗るから外で待っているように」という電話があり、「早くこないかなあ・・・」と思いながら一人、流れる車のライトを見ていた。
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10795917620.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Feb 2011 13:55:38 +0900</pubDate>
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<title>Roots[5] 藤原家の人々</title>
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<![CDATA[ 実は <br><br>法善寺保育園は正規の保育時間が終わると、父母のおむかえが間に合わない子供のために居残り保育というものがあった。しかし我が家は父母で会社経営をしていたため、それでも間に合わない、 <br><br>そこで、さらにその後そんな子供を預かってくれる奇特な家があった。 <br>今で言えば「無認可の保育所」みたいなものだろうか？ <br>今でも忘れないその家族は「藤原さん」という家で、 <br>当時その「赤羽台団地」の一角、保育園から歩いて５分くらいのところだったように思う。 <br>家族構成はその家の主である「おじさん」、の妻の「おばさん」長男の「しげるくん」、次男の「みつるくん」の４人家族 <br>（何で、こんなにおぼえてるんだろう？） <br>おじさん、おばさんはたしか東北の方で若干なまっていた。 <br>息子たちはすでに大人で社会人だった。 <br><br>この４人＋私のような子供達が２ＤＫ（私の記憶が正しければ）の家に <br>ごった返していた訳で、今思えば何ともすごい光景だったように思う。 <br><br>ここでも私は常にビリだった。 <br>夜になり、それぞれおむかえが来て一人減り二人減り・・・ <br>決まって最後に私が残った。 <br><br>ダイニングキッチンでは、藤原家の夕飯が始まる。 <br>おばさんが「あんたもご飯食べな！」と言ってくれるのだが <br>私は決まって「いらない」と言って藤原家の食卓にはくわわらず「テレビの部屋」で一人テレビをみていた。 <br><br>なんとなく、幼心に「ここは人の家だから」という遠慮があったのだと思う・・・が、おばさんが決まって「ここにおいとくから、良かったら食べな！」と言って「テレビの部屋」の入り口に食事をおいて置いてくれた。 <br>・・・結局毎日ごちそうになっていた。・・・ <br>
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10795915805.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Feb 2011 13:00:55 +0900</pubDate>
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<title>Roots [4] 赤羽台団地</title>
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<![CDATA[ 引っ越してすぐ <br>僕は法善寺保育園というところに入園した <br><br>ここは赤羽駅からさほど離れていない赤羽台団地のはずれにある <br>浄土真宗のお寺にある保育園である。 <br>そんなに広くない園庭にはすべり台等、まぁ一通り遊び道具がある <br>木造の建物だった。園の周りは銀杏の木が数本あって、秋にはあの匂いに悩まされた。 <br>何度となく落ちているあの実の上に転んだりしてギンナンの悪臭を身にまとったことか・・・ <br><br>ところで <br><br>このころは私は今では考えられないが、嫌いな食べ物があった。 <br>それは「牛乳」「しいたけ」「肉の脂身」 <br>とにかくこの３種が出ると全然食べられず、もどしてしまうことも多々あったように思う。 <br>この３種は後にほぼ克服した。他愛もないきっかけだが、参考までに <br>記しておく <br><br>牛乳・・・テレビを見ていたら牛の姿をしたスーパーマンのようなヒーローが出ていて、 <br>子供の泣き声をキャッチして、その現場に駆けつけたところ <br>その子供は牛乳が嫌いで飲みたくなくて泣いているという・・・ <br>そこで牛ヒーローが一言 <br>「なんでこんなにうまいものが嫌いなんだい？」 <br><br>･･･はい！この一言で牛乳嫌い克服！実は子供の頃から私は「Mr,思うツボ」なのです。 <br><br>しいたけ・・・これは結構簡単で鍋物の中に入っている状態を食べたら美味しかった。 <br><br>肉の脂身・・・これはなかなか苦戦した。多分大人になった今でも丸ごと脂身のみ、しかも塊で、しかも豚、という状況では無理かも・・・あ、普通ですか？でもたまにいらっしゃいますよねえ全然OKな方が・・・ <br><br>というわけで、楽しい？　［HOIKUEN LIFE］は続いて行く訳です
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10795914000.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Feb 2011 13:00:34 +0900</pubDate>
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<title>Roots [3] 遊び場のない子供たち</title>
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<![CDATA[ すでに「遊び場のない子供たち」に属する世代の僕達は、 <br>この住宅地の中で、実に巧みに遊んだ。 <br><br>まず<br>①　十字路を利用したゴムボール野球 <br>（ただし、さすがにいくらゴムボールとは言っても、結構沢山の家のガラスをまんべんなく割ったため、とても楽しくて大好きだったけれど、なかなかデンジャラス） <br><br>②　道のど真ん中に缶を立てて行う缶蹴り <br>（これはやはりとても楽しいのだが、そもそも住宅地の中でやる訳で隠れるのはもっぱら人の家、なんと言っても見通しが悪すぎる！突然！壁を飛び越えてきて缶を蹴られてしまったりするため鬼がずーっと続いてしまい。マジ泣き続出） <br><br>③　家の裏の壁を伝って道なき道を探検ごっこ（子供だったからまだ許されていたかもしれないが、もし今だったら限りなく不法侵入） <br>と、まあさまざまな遊びをあみだし、住宅街を縦横無尽に自由に行き来した私達であるが不思議と大人たちはあまり怒らなかった。 <br>せいぜい２～３回しかられたくらい。 <br><br>自宅には風呂があった、しかしどういうわけかで私達はいつも銭湯に行った。 <br>そこは乾物屋のハル君の家の目の前にあった。今はもうない・・ここでもさまざまな遊びを開発した我々であった。 <br>恥を忍んで申告するが、 <br><br>④　前半身に石鹸をぬりたくってタイルの上を腹ばいで滑る競争 <br><br>⑤　床のタイルに石鹸をすべらせ桶をつかってプレイする石鹸ホッケー <br>分かる人と分からない人があると思うが、 <br><br>⑥熱い湯船とぬるい湯船の仕切りの下にある穴を潜水でくぐりごっこ（うう・・汚い） <br>そしてあがった後は決まってコーヒー牛乳かマミー。 <br>これが最高に楽しみで幸せだった。 <br><br>この幸せは今では風呂上がりのビールになっている <br>・・・今もあまり変ってない・・・ <br>
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10795907177.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 00:46:10 +0900</pubDate>
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<title>2 最初の友達</title>
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<![CDATA[ 新しい生活が始まった。 <br><br>友達はすぐにできた。 <br><br>家と同じブロックの真裏にあった乾物屋（今では聞かない名称だが）<br><br>の息子で私より一つ年下の「ハル」君が一番初めの友達だった。 <br><br>あと、同じ通りの真ん前に住んでいた「ケン」ちゃん <br><br>その敷地内に住む「アキラ」君 <br><br>３件隣の「ヨシマサ」君 <br><br>そしてみんなのリーダー格の「カズヒコちゃん」 <br><br>皆、大体前後１～２歳くらいの違いしかなかったが、カズヒコちゃんだけが３歳くらい年上だった気がする。 <br><br>現在、私の住んでいた家はフレームだけはそのままで、当時の大家さんの息子さんがそのまま一軒家にして住んでると思われる。 <br><br>カズヒコちゃんの家は建て替えはされているみたいだが、表札は変わっていないので、おそらく彼はいるみたい、目の前のケンちゃん、アキラ君、ヨシマサ君の家はそれこそ跡形もなく、表札も変わっていた。 <br>ハル君の家はその後ちょっとしたスーパーになったまでは知っているのだが、やはりなくなっていた。 <br><br>・・・つづく・・・
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<link>https://ameblo.jp/daiichi-mini/entry-10729767938.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Dec 2010 17:32:29 +0900</pubDate>
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