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<title>スポーツ戦隊心理レンジャー　レッドのブログ</title>
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<description>Jリーグ初のメンタルトレーナーを目指し、心理学を勉強中の大学生です。サッカーをこよなく愛しています。心理学で知ったことをスポーツに応用したブログです。ブログ内の実験・用語等は事実ですが、それ以外は僕の考察に過ぎないので、気軽に提案、質問等お願いします。</description>
<language>ja</language>
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<title>前期で学んだこと、考えたこと総括</title>
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<![CDATA[ 今回は、大学前期が終了したので、学んだこと、今考えていることを総括したいと思います。<br><br><br>今、僕は心理学をいかにスポーツに応用するかを考えています。具体的にはマイナスの状態を０にまで治すドクター的な存在になるか、０の状態からプラスの状態に改善するフィジカルトレーナーのような存在になるか、もしくは両方かの選択になると思っています。そこで、フィジカルトレーナーのような存在になる場合、「トレーニング」という名のついたものが必要であると考えました。なので、今考えていることは、空間認知トレーニング、注意トレーニング、運動学習トレーニングの3つを考えています。（まだまだ知識が浅いため、増えるかもしれないし、減るかもしれませんが。）空間認知トレーニングでは、相手がどこにいるのか、どの程度の距離なのか、スペースはどれほどあるのか、自分の見えていないところでどのようなことが起こっているのかをより高度なものにしていくもの、注意トレーニングでは、自分の視野に入ったものをより鮮明にして、網膜に映ったもの全体が意識に上るようにするもの、運動学習トレーニングは監督の指導をより短時間で吸収するというものです。<br><br><br>そして僕が今興味のあることがニューロフィードバックによる空間認知向上法。ニューロフィードバックとは脳の脳細胞を鍛えることで、運動を強化するものです。例を挙げます。それぞれの傾きをしている線分に対応する脳細胞があることが分かっています。そのため、45度傾いた線分を見せるとその角度に対応した脳細胞が発火するのです。その45度の線分に対応した細胞をより発火するトレーニングを積むことで45度の線分を識別する能力が上がるというものです。これを空間認知に置き換えてみましょう。実は空間認知に対応する脳部位が分かっています。そのため、その脳細胞を強化することで、理論上は空間認知能力が上がることが期待できます。それはとどのつまり、プレーヤー間の位置の正確性、パスミスの軽減、自分の立ち位置の正確な認識、正確なスペースの発見等が期待できます。詳細は省きましたが、そうすれば、一つ空間認知トレーニングが出来上がるわけです。<br><br>他にも、スポーツ熟練者は初心者とは見ているところが違うことや、熟練者を観察している方が初心者を観察しているよりも成長が早いことが分かっていますし（そういう意味でプレーヤーがプロの試合を見ることも効果があるのかもしれませんし、指導者のデモ自体の重要性とその質の重要性が分かります。）、それから内田篤人の「遠くを見ていれば近くも見える」という発言も興味深いですね。<br><br>かつて、プロサッカー選手である本田圭祐はこのようなことを言っていました。「目標までの筋道が見えたら達成したようなものだ。あとは自分をどれだけ信じて努力できるかだ。」と。今、僕は自分なりの筋道を立てています。あとは、修正を利かして効率的に頂上にたどり着けるかだと思います。今立てている筋道が必ずしも頂点にたどりつくとは限らず、僕の勘違いかもしれないからです。まさにイビチャオシムの言うように、「サッカーは人生の大学」ですね。<br><br>ちなみに、サッカー好きの方はご存じかと思いますが、彼はまたこのような事も言っています。「ワールドカップで優勝するには、個の力を成長させる必要がある。」僕はこれが社会に適用することができるのではないかと思います。例えば、異常気象、いまだに残る原発問題、韓国問題。僕が生きている地球のことをどれだけ知っているかを考えてみると僕はとても恥ずかしくなります。活動を起こすところまでいかなくとも、これらを知ることはサッカーに関わるものとして、というより人として知るべき問題なのかなと思います。地球人というサッカーチームの一人のチームメイトの成長として知るべきであると思うのです。<br><br>最後は話がそれましたが、充実したゼミを送らせていただきました。これからも役立つ情報を発信していけたらと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11584609187.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Aug 2013 00:50:53 +0900</pubDate>
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<title>自分のプレーを振り返るときのもう一つの基準ー注意ー</title>
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<![CDATA[ 今回は、「注意の配分」といったところでしょうか。<br><br>スポーツ、特にボールを使ったチームスポーツでは、<br><br>①変化する状況を確認。<br>②どのような行動をとるかを決定（意識的もしくは無意識的に）<br>③行動を実行に移す。<br><br>という3つのファクターの繰り返しであるといえると思います。<br><br>今回はその二つの部分、①と②に関連したことです。<br><br>有名な心理学者ShiffrinとSchneiderが1977年に注意の処理について主張するに<br>自動的なものと制御されたものの二つの処理メカニズムがあるといいます。<br><br>自動的な処理は、意識されず、早く処理され、柔軟で、注意容量をあまり消費しません。<br>制御された処理は、人によって意識され、ゆっくりな処理、注意容量を要するものです。<br><br>このような知見から、のちの研究者はスポーツにおいて、アスリートは素人よりも「適切な情報」を「適切な注意配分」で行うことができて、これが上の自動的なものにあたる。これらの処理が速いために、制御された処理に、より多くの時間を使うことができるのだ。<br>という主張をしました。<br>これはP300という脳波の結果から示されたものです。<br><br><br>また、単純な実験で、サッカーのＰＫを蹴る時に、蹴る方向をずっと見ていることで、ゴールキーパーが取れないところに正確に蹴ることができる、という結果が得られました。<br>つまり凝視時間が長ければ、より正確に運動を実行することができるという事です。<br><br>このような実験から何がいえるでしょうか。<br><br>私が考えるに、いかにして、適切な情報のみを入手できるかが一つの重要な要素であるという事です。<br>指導者の側から言えば、どこを見ていたかを指導することも選手が成長する上で一つの指導法なのではないでしょうか。<br><br>私の経験から言って、サッカーを指導していて、選手に考える習慣をつけさせるために<br>「どうしてそこにポジションを取ったのか。」<br>「どうしてそこにパスしたのか。」<br>とよく質問することが多かったのですが、<br>例えば<br>「この状況で見るべきポイントはどこか。」<br>とか<br>「どこを見ておくべきだったか。」<br>という内容に変えると、より具体的で次にプレーするときに思い出しやすかったかな、と感じます。<br><br>ポジションによって、状況によって、天候によって、相手によって見なければならないポイント、勝利するための適切な情報は違ってくると思います。<br><br><br><br>ただ、見なければ当然情報は入ってこないわけで、且つ、すべての情報を入れるのではなく、いかにして適切な情報のみを網膜に投射させることができるか。<br><br>かつて「中田英寿は3秒に1回まわりを見ていた。」という嘘か本当かわからない話が挙がりました。<br>しかし、いかにまわりを見ていたかに加え、3秒に一回「どこ」を見ていたか、も同じくらい重要であるということがいえると思います。<br><br>よって、表題に沿った話をするのであれば、例えば練習が終わって自分のプレーを反省するときに、自分はあの時、あの場所でどこを見ていた。だから、点を奪えなかった。だから、失点してしまった。というような分析をしてみるのも、成長するためには面白い観点といえるのではないでしょうか。<br>
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11568326693.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Jul 2013 19:42:14 +0900</pubDate>
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<title>スポーツの時、ストレスは軽減させるもの？</title>
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<![CDATA[ こんばんは。<br>今回はストレスに関することです。<br>スポーツをしている限り、ストレスと隣合わせであることはほぼ間違えないのではしょうか。<br>例えば、<br><br>これを勝てば優勝<br>自分より相手がうまかったらどうしよう<br>などなど。<br>プロでもアマでも試合前や試合中、引いては試合後においてもストレスにさらされていると思います。<br><br>ここで、この心の負担ははたしてマイナスなものなのか、という問いを立ててみます。<br><br>僕の考えから言ってしまえば、マイナスな面もないとは言えませんが、そうとも限らないのでは、という事です。<br><br><br>ここで一つのストレスの解釈を紹介しましょう。<br>ストレスは生理学的にみて、二つの部分に分かれます。<br><br><br>交感神経副腎髄質（SAM）<br>視床下部下垂体副腎皮質系（HPA）<br><br>これは言い換えれば<br>SAMが先に来る反応、HPAが後からくる反応です。<br><br>SAMによって、心拍数が増えて、筋肉への血流が増えて、消化活動が低減されたりします。それとは逆にHPAはSAMの働きが終わった後、ダメージを小さくするために現れる反応です。<br><br><br>ここでSAMはどういうものなのかというと、体が戦闘態勢になる準備をしているというのです。<br>逆に言えば、ストレスがなければ体が戦える状態ではないということになります。<br><br>そういう意味で最初の問いにマイナスだけではないのではないか、と答えたわけです。<br>ストレスは悪いイメージがあるだけに、軽減しようという傾向が強い気がしますが、実は心の負担はある意味で戦う準備ができているという事なのです。<br><br><br>だから、ストレスは軽減させるもの、というよりも、ストレスをいかに調整するか、という認識をもったほうがいいかもしれませんね。<br>ストレスがないことはスポーツをする時に問題ですが、ストレスがありすぎる事もまた問題であるが故に「調整する」という表現をしてみました。<br><br>現在ではバイオフィードバック法という生理学的指標を自分で調整する方法がありますが、機械自体が高すぎます。<br>だから、ここは、主観的にかつ客観的にこの状態はどうだろうか。と自問自答してみてはいかがでしょうか。<br>この状態だからこうだった、この状態だからこうだった、というように学習できれば、いずれ自分にとって最適な心的状態を作り出すことが可能になるかもしれません。<br><br><br><br>ちなみに先週のフットブレインでの大儀見選手の一言。<br>「常に笑顔でいるようにしています。」<br><br>実はこれ、結構、理に適っているんです。<br>というのも、表情の変化によって、感情も表情の変化に合わせて変化することが分かっているからです。<br>きっと、笑顔でいることで、心も安定した状態を作り出し、ブンデスリーガ得点王をとれたのかもしれませんね。<br><br>ちなみにちなみにこれはスポーツ時だけでなく、受験、就活、プロポーズなど、さまざまなストレスにいえるのでは？<br><br>今回は僕の推測する表現が多くなってしまいました。<br>ストレスを調整する方法はまだまだあるかもしれません。
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11549425852.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Jun 2013 20:47:29 +0900</pubDate>
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<title>新たな旅立ち</title>
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<![CDATA[ こんばんは。<br><br>今回は僕の心理学以外のお話です。<br><br>個人的なことなので興味のない方は今回はスルーでお願いします。<br><br><br>僕は4月でサッカーと少し距離を置くことになりました。<br>というわけで、サッカーと関わり続けて丸15年間、少し回想したいと思います。<br><br><br>出会いは隣の友達がサッカーをしていて、おそらく、つられたんだと思います。<br>今となっては、その友達がサッカーと出会わせてくれたという意味ですごく感謝しています。<br><br>そして、小学2年の時に地元の少年団に入団しました。<br>少年団では、あまり強かった印象はありません。<br>印象に残っていることは、なんか知らないけど、キックベースをしていた感じがします。<br><br>今思えば、強豪の大学の方がコーチをしていただいて、恵まれた環境でサッカーをできていたんだなと感じます。<br>このころから、左サイドバックを務めていました。（きっと左利きだったから？）<br>ただ、週1だったのが残念でした。（結局毎日、小学校に行ってボールを蹴って遊んでいたのですが。）<br>コーチにユニフォームの着こなしを何故か褒められたことも記憶にあります（笑）<br>後は、近隣のとある少年団がものすごい怖かったイメージ（笑）<br><br>とにかく、少年団の記憶はあまりなく、ただボールを蹴っていたイメージがあります。<br>まぁつまり、本当の意味でサッカーをしていなかったんだと思います。<br><br>次に中学校ですが、そのまま部活に入りました。<br>中学校はまあまあの強さでしたかね。<br>新人戦か何かで県南3位であと一勝で県大会出場というところで負けました。<br>会場は土の色がおかしい中学校。<br>ダブルヘッダーで試合をしたのですが2試合目ということで全体的に集中力がかけてるな、と感じていたところで実際に負けてしまいました。<br>当時は、サッカー経験のある指導者の方が一個上の代の時に転勤になって、自分たちでサッカーをしていかなければならない状況でした。<br><br>だから、不在のキーパーを自分たちで決めて、フォーメーションも自分たちで決めて、もしかしたらメニューもキャプテンが決めてくれていたのかもしれません。<br><br>ちなみにその時はトルシエの影響を受けたのか、スリーバックで守っていました。<br><br>やっぱり、指導者の力は絶大で、やっぱり、そのスポーツをしていない方がやれと言われて指導できるほど、サッカーを含め、スポーツは簡単ではないですよね。<br><br>中学校の代になっても、頭をこれっぽっちも使わずにサッカーをしていました。<br>そりゃうまくなりませんわ。<br><br>当時から、ロングキックは人よりできていたような気がします。<br>人から聞いた話ですが、朝、学校で自主練をしていたようでその時点でかなりサッカーにはまっていたんだと思います。（決してうまくはなかったのは周知の事実ですが。）<br><br>引退のかかった試合では、あっさり市大会で負けてしまいました。<br>確か、市の枠で県南大会には半分くらい出れるはずだったのですが、まさかの敗戦でした。<br>最後の試合はPKでした。<br><br>そして、僕がサッカーをしてきた中で最も楽しかったのが高校サッカー。<br>思い出がありすぎて、それを全部書いたら、相当長くなってしまうので、特に自主練について書いていこうと思います。<br><br>高校に入って、気づいたことがあって、自主練はずっとやっていました。<br>その気付いたことが、なぜかプロサッカー選手と自分を比べたんです。それで僕とどこが違うんだろうって。<br>結局、それの答えはいっぱいあったのですが、そんなことを考えていると、プロサッカー選手と比べて、技術不足は当たり前。だけど、自分の考え方の部分、つまりサッカーに対する姿勢、態度はプロ以上になれるんだ、という事。<br>だから、そのプロ以上の姿勢や態度の結果として、ずっと自主練をしていましたし、炭酸、スナック菓子は節制してました。それから、筋トレも欠かさずやってましたね。<br><br><br>というわけで高校に入って、全体練習が終わってから自主練をしてもいい雰囲気だったので、一年生から引退するまで、ほぼ毎日自主練してましたね。<br><br>ただ、意識が変わったのが、僕らの代になってから。（遅すぎ。）<br>それまでは自主練のための自主練をしていた気がします。<br>何のために自主練をしているのか、そこに焦点を当てて自主練をしていたかといわれれば、かなり疑問の残る自主練をしていました。<br>具体的に言えば、自主練をしていればうまくなるだろうという誤解ですね。<br>そんな意識でやっていたから、<br>自主練する→疲れる→練習でのパフォーマンスが下がる。<br>という悪循環になっていました。<br><br>で、僕らの代になってから、僕はレギュラーになることはありませんでした。<br>だから、どうすれば、スタメンに入れるかを考えて、より質の高い自主練を組みなおしました。<br>この時すでに部活に備えて授業を睡眠時間に当てることは普通になっていたし、時に疲れていると感じればあえて自主練はせずに練習後すぐに帰って、体を休めるときもありました。<br>また、サイドバックとして体力不足だと感じて、あえてフィジカルトレーニングをするときもありました。（付きあわせてしまった同期と後輩には申し訳なかったけど、後輩はそれでシャトルランの成績が良かったようなｗｗｗ）<br>とにかく僕らの代になってから、スタメンに入れなかったことで、よりサッカーについて考えるようになったし、この期間にこの技術を上げるとか、その技術をどういう練習で伸ばすかとか必然的に自主練の質も上がっていった気がします。<br><br>だからあの時、中途半端にスタメンに入らなくてよかったと思っています。<br>スタメンにならなかったことで、サッカーをより知れたし、サッカーをより楽しめたと思います。<br>そして、自主練の思考を変えたことで自分が常に成長していることを実感することができました。<br><br>何より、<br>当時の指導者の方から、<br>「技術はなかったけどチームで一番理解力があったし、指導したことを行動に移そうとすることが見えたのが（僕）だ。」<br>という声を引退してかけてもらったときは、本当にうれしかったことを今でも覚えています。<br><br>そして、自分のサッカーを完成させようとして入学した大学では、結局、サッカーしない、という選択をしました。<br><br>というのも、当時の自分にはサッカーが大好きすぎた故に飲み会なんて論外だったし、指導者がいなかったことは「なんで？」と思ってしまったし合コンなんてやってる時間ないだろ、と思ってしまったのです。（今考えれば、そんな大学サッカーは全国で数えるぐらいしかないだろ、と自分に言ってやりたいです。）<br><br>だから、もう一回浪人して強い大学に行くか、大学1年生の間はずっと考えていましたね。<br>で結局、本当に1年が過ぎて、大学2年の時にサッカー指導者として、サッカーに関わり続けていくと決めました。<br><br>そこで、一人暮らしの僕には人脈があるわけでもなく、講習会をうけまくってできるだけ人脈を広げようと必死だったと思います。<br>そこで、運よく巡り会えた方の元でサッカーを指導することになりました。<br>そこで、アシスタントコーチとして約1年間お世話になったのですが、リーグ戦全勝ということで、素晴らしい結果を残してくれました。アシスタントコーチでしたが、少しは彼らの役に立てたのかなと感じることができました。<br>この時は、欧州サッカーの試合を週３～４で自分なりに分析していましたが、またまた、サッカー知るきっかけになりましたね。<br><br>そして今年から次のチームに移ったのですが、そこで、チーム内事情により、辞めることになりました。<br><br>正直１５年間、関わってきたサッカーから離れることは大好きな人と別れる感じ（笑）。<br>ただ今年に入ってサッカー指導者としてではなく、スポーツ心理学の世界で頑張ると決めた以上、サッカーから一度離れる時期は必ず来るはずだったんだと思うようになりました。<br><br>だから、これからは短期的に見ればサッカーと離れることになりますが長期的に見れば、先を見据えて、サッカーがよりうまくなるためには、引いてはサッカー以外のスポーツでも、どうすればうまくなるのか、心理学的側面から、見ていくことで、サッカーに恩返ししていこうと思います。<br><br>そして、今度サッカーとめぐりったときは、自分の成長した姿を見せれるように、はちきれんばかりに充電しておこうと思います。<br><br>ただ、めっきりサッカーとお別れというわけでなく、Jリーグも高校サッカーも日本代表もバッチシチェックしていこうと思います。<br><br>そういう意味で、サッカーとの別れは心理学への旅立ちになると考え、表題をこのようにしました。
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11536684558.html</link>
<pubDate>Thu, 23 May 2013 23:48:07 +0900</pubDate>
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<title>社会心理学から見るスポーツにおける感情転移</title>
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<![CDATA[ こんばんは。<br>新学期が始まりバタバタで更新できませんでした。<br>そして、今学期は結構忙しそうで…。<br><br>いきなりですが、スポーツの場面で<br>「選手の間で不安は広がった。」とか「みんながファイトしてくれた。」<br>とかよく聞きますよね。<br><br>僕自身、それについてあまり信じていなかったのですが、最近これが原因なのではないか、という社会心理学の用語を見つけたので紹介します。<br><br>それがズバリ「分居状態」<br><br>あるコンピュータシュミレーションで50×50のマスに青と赤が1000ずつ配置されているとします。<br>そして<br><br>自分のまわりで自分と同じ色が1/3以下である場合、ほかの場所に移動する。<br><br>という設定をして実際に何回かシュミレーションします。<br>結果、青と赤は自然とまとまっていくのです。<br><br>これはイギリスのとある銀行倒産の原因とされています。<br>つまり、<br>不安症の人があの銀行は倒産しそうだ。と聞くことで、不安になり、預金をおろす。<br>それを知った不安でない人も誰かが預金を下ろすかもしれない、と思って預金を下ろす。<br>そして結局、大多数の人が預金を下ろすことなるのです。<br><br>そして、ここで重要なポイントは自分は他人の影響を受けていないと感じているという事です。<br>つまり、無意識のうちにこのようなことが起こってしまうのです。<br><br>では、これをスポーツに当てはめてみるとどうだろうか。<br>僕はラポール、つまり、信頼関係が強ければ強いほどそうした感情転移が早くなるのではないかと考えます。<br><br>例えば、チームスポーツで、不安を示す行動をある選手がとったとする。<br><br>そうすると、まず不安になりやすい人は、その選手を見て不安になる。<br>そして、2人の不安になった選手をみて、また誰かが不安になる。<br>という一種の悪いサイクルによってどんどん不安が広がるわけです。<br>そして、これは自分が意識していないうちに起こってしまうのです。<br><br>そして、僕の考えでは、信頼関係が強い（キャプテン、指導者、チームリーダー等）がそういう行動をとることにより、感情転移がより急速に広がるのではないか、と考えます。<br><br>実際の例を挙げましょう。<br>ワールドカップ女子サッカー決勝対アメリカ戦、延長戦での1－2の状況、<br>その時のとある選手のコメントが「その方が楽しい」<br>このコメントは上記の分居状態でよい状態を引き起こした例でしょう。<br>つまり、ある選手が気分を落としていない状態を見て、自分もそうなる、というサイクルが無意識のうちにどんどん広がっていったのでしょう。<br>その結果、優勝を手にしたのです。（もちろんそれだけが原因ではないでしょうが。）<br><br>もちろんこれは個人種目にも言える事でしょう。<br>専属トレーナーが不安になり、自分も不安になってしまったり、その逆もあるでしょう。<br><br>ここからはスポーツ心理学の分野になりますが、だからこそ、まずは自分が緊張したり、不安になっていることを認識したうえで（無意識にそうなってしまうことが多いので）不安になった場合のリラックス法（バイオフィードバック法、呼吸法、一点注視法、パフォーマンスルーティン等）が必要であり、逆U字曲線の真中の状態に素早く持っていくことが重要になるのです。<br><br><br>そういえば、最近サッカーのジュニア世代を見ていて思うのですが、チームが得点を取ったり、チームが失点したときにまずベンチの指導者をみるチームが多いように感じます。<br>おそらく、指導者に叱られるのではないか、とか指導者が褒めてくれるのではないか、という心境なのでしょうが、（もちろんそれだけではないと思いますが。）まずサッカーをしているのは誰なのかを考えるとその現象はどうなの、と思ってしまいます。<br>だから、日本サッカー協会がジュニアのチームにライセンスを義務化したことはそれを改善する一つの方法としてありなのかな、と思います。<br><br><br>ではまたー。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11528054832.html</link>
<pubDate>Fri, 10 May 2013 23:03:54 +0900</pubDate>
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<title>「科学的」への警鐘</title>
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<![CDATA[ <font size="3"></font><br>今回は心理及びスポーツの話ではありません。心理学という科学を学ぶいち大学生の意見を載せておきたいと思います。そして、この意見はかなり少数意見だと承知しておりますが、読んでいただければ幸いです。<br><br>僕は「科学的」という言葉が好きではありません。<br>「科学的」と付くだけで何か説得力のあるものになってはいないでしょうか。<br>「科学的に言えば…」と言っておけば人は納得するし、客観性のあるものだと感じると思います。<br>事実、原発問題で、放射能量は科学的に見て害のない数値を割り出しています。<br>そういう意味では確かに、役に立つものです。<br><br>ただ、そこに僕は警鐘を鳴らしたい。<br>「科学的」は圧倒的に納得して、従ってよいものなのだろうか。<br>例えば、スポーツの場面でこうこうこうすれば、怪我を防ぐことができる、というストレッチがあるとします。<br>これは科学的に見て、という事なのでしょう。<br>そのストレッチをすれば、確かにその怪我をすることはなくなるでしょう。<br>逆を言えばその怪我を経験できないということになります。<br>ほとんどの人は当たり前ではないかと思うと思います。<br>でも、怪我をしなければ、怪我の痛みを知ることはできません。<br>怪我の痛みを知るからこそ、他人の痛みはわかるし、その人の心がわかる。<br><br>本田はかつて膝を怪我していた時、こんなことを言っていました。<br>「怪我をしたことで、また進化することができた。」<br>彼は、半月板を損傷したにもかかわらず、このような言葉を残しているのです。<br><br>僕が言いたいのは、科学的、科学的と、一つ覚えのように使い、すべての「悪」が排除されることによって「経験」という、人が生きていく中で最も重要なもののひとつが失われてしまっていることに危機を感じるのです。<br><br>科学的に見れば駄目なことも、経験なしに、本当の意味で駄目だということがわかるでしょうか。果たして、文字を見たり、目に見えない情報を頼りにして、本当の意味で理解することは出来るでしょうか。<br><br>事実、害を与えるレベルの放射能量の数値は日に日に変更がなされていました。<br>何を信じればいいのか。<br>という声も聞こえてきたと思いますが、これは科学を過信しすぎた結果ではないでしょうか。<br>科学がすべて解決してくれるという考えに僕は疑問を感じます。<br><br><br><br>ただ、僕は、科学にマイナスの印象を持っているのではありません。あまりにも社会で科学が強調されすぎて、科学を受け取る側もあまりにも科学を信頼しすぎていることに疑問を感じるのです。<br>科学で分かったことは本当に自分に当てはめることは出来るのか。<br>科学で分かったことは本当に信じてよいものなのか。<br><br><br>科学の知識は一つの味方、ツールとして使っていきたいし、科学的にみて駄目なことも、科学的に見て無駄なことも僕はまず自分で経験して納得していきたいと思います。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11511464166.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 21:35:06 +0900</pubDate>
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<title>イメージ×記憶×スポーツ</title>
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<![CDATA[ <font size="4"></font><br>2013年度が始まりました。<br>ぼくは家庭教師をしながらサッカー指導をしながら、大学で心理学を学ぶような体制で9月まですごし、おそらくそこから、カナダのアルバータ大学で心理学を学びに旅立ちます。<br><br>では、今回のテーマに入りたいと思います。<br><br>皆さんは両義図形という図形をご存知ですか。<br>言葉は知らなくても、一度は見たことがあるのではないでしょうか。<br>1つの図形が二つのイメージに捉えることができるものが両義図形です。<br><br>これを使った面白い実験があります。<br>実験過程は<br><br>１、アヒルとウサギの両方に見える図形を見せる。<br>２、何に見えるか答えてもらう。<br>３、図形を隠す。<br>４、頭の中で見せた図形をイメージしてもらい、ほかに何に見えるか答えてもらう。<br><br>結果、4の段階で図形をもう一度提示した参加者はアヒル、もしくはウサギと答えられたのに対して、イメージに頼らなければならない参加者は４の段階で何も答えることができませんでした。<br>　<br>これは、イメージが主観的に形成されている事を示しています。<br><br>みなさんは、パスが合わないとき、例えば、少しタイミングが合わないとか、足元でほしかったのに、スペースに出してしまったとか、もしくはパススピードが早すぎ、遅すぎ等はありませんか。もしくはそういう現象をテレビで見たことがありませんか。<br><br>これは、上記のイメージで説明がつくと思うのです。<br>選手間でのイメージが食い違っているのです。<br>しかし、これはある意味仕方ありません。<br>なぜなら、上記で見たようにイメージは主観的なものなので、相手が描いているイメージと食い違っていることが本来の姿だからです。<br><br>では、どうすれば同じイメージを作ることができるか。<br>その一つとして考えられることが、「会話」です。<br>といいますのも、イメージは記憶から来ていると考えられているからです。<br>会話を選手間ですることで、両者に同じ記憶がインプットされます。<br>ただ、記憶は無意識でも構わないのです。<br>つまり、意識して記憶しようと思わなくても、自分が気付かないうちに勝手に脳が記憶していることはとても多いのです。（例は長くなるので割愛します）<br>実は、私たちの行動は無意識に支配されている部分が多いことも付け加えておきます。<br>それが試合になったとき、記憶からそれが引っ張り出されて、同じイメージを描くことができるのです。<br>だからこそ、そういう意味でもコミュニケーション能力が必要であると感じます。<br><br>また、逆を言えば、海外でプレーをする場合、言語習得は必須事項なのではないでしょうか。<br>言語は記憶を助ける一つのツールですから。<br>長友、本田、イチローらがそれを裏付けているように思われます。<br><br>というわけで、選手間で同じイメージを描くためにも、選手間での会話は必要なのですね。<br>
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11506865165.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Apr 2013 18:35:39 +0900</pubDate>
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<title>メタ認知からみたスポーツ指導</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">初回はメタ認知をサッカー指導に適用してみようと思います。</font></p><p><font size="3">まずはメタ認知の説明から。</font></p><p><font size="3">メタ認知とは、「知っていることを知ってる」ということです。</font></p><p><font size="3">たとえば、自転車に乗れるだけでなく、自転車の乗り方を知っていることに気づいているということです。</font></p><p><font size="3">つまりメタ認知とは、ある意味、「具体から抽象的思考に切り替えることができる」と表してもいいかもしれません。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">受験生は勉強してるだけでは受かりませんよね。</font></p><p><font size="3">その勉強法は正しいのか、という俯瞰した目線も必要になってきます。</font></p><p><font size="3">これがメタ認知なのです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">よって、普通に知っていることよりも、メタ認知的に考えることはより高度で負担のかかることであるといえると思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">話は変わりますが僕自身、サッカーを指導していますが、僕の指導力不足のせいか、指導したことがチームになかなか浸透しないことがあります。</font></p><p><font size="3">それは僕が練習を止めてフリーズコーチングするタイミング、指導する内容、伝え方が悪いときにおこることだと気づきました。</font></p><p><font size="3">そのような中であ、これはメタ認知が適用できるのではないだろうかと考えるようになりました。</font></p><p><font size="3">ただ、チーム状況によって、指導法も変えるべきだと思いますので、1つの方法として受け止めていただければと思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">まず、選手が理解しやすいことはメタ認知以前の具体的な現象を指導されることだと思います。</font></p><p><font size="3">だから、最初は練習のテーマで現象に対してプレーを止めて指導していきます。</font></p><p><font size="3">たとえば、守備のチャレンジ＆カバーであれば、それができていない現象に対してアプローチしていきます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">最初の段階をクリアしたら、次の段階でたとえば練習で選手の入れ替え等、区切りのいい時に指導していきます。そしてここでメタ認知能力を養ってもらうことになります。現象に対してアプローチするのではなく、原理原則を指導していきます。つまりもう少し抽象的な内容のことを指導していきます。</font></p><p><font size="3">たとえば前述のチャレンジ＆カバーでは、チャレンジ＆カバーとは何か、ということをプレーに見せながら指導していきます。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">このように2つのステップを踏むことで選手は頭で考えて、現象ばかりに目を取られるばかりでなく、似た状況でしっかりと対応することができると思います。</font></p><p><font size="3">また、選手は、コーチが最初自分たちのプレーを止めて言っていたことはこのような考えがあるからなのか、と考えるようになるのではないでしょうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">ただ、具体的な現象とメタ認知的思考は２ステップとして考えるよりも線上の端にこの考え方があると見たほうがよさそうです。</font></p><p><font size="3">だから、プレーを止めて、原理原則を教えたり、という入り混じったことも時として必要かもしれません。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">この考え方も指導法の1つとしてストックしておくことは決して悪いことではないと思うのですが、みなさんはどう思いますか？</font></p>
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<pubDate>Tue, 26 Mar 2013 16:41:24 +0900</pubDate>
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<title>スポーツ戦隊心理レンジャー　レッドの自己紹介。</title>
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<![CDATA[ <p>初めまして。</p><p>某大学で心理学を勉強しているものです。</p><p>僕はもともと高校まで本気でサッカーをしていて、大学からはサッカー指導にあたっています。</p><br><p>さて、まずはブログを立ち上げた契機を紹介したいと思います。</p><br><p>僕は前述のように心理学を大学で勉強しています。そして勉強を重ねるごとに、心理学がスポーツに適用できることが多いと授業を受けていて感じました。</p><br><p>スポーツは一つの分け方として、オープンスキルとクローズドスキルに分けられます。オープンスキルは相手の出方によって判断を変えるサッカーやラクロス、バスケットなどが当たります。</p><p>そこでは、外界の刺激を受け取り、自分の中で判断し、行動に移す（自分で判断することは無意識の場合も意識している場合もあるでしょう。）ことの繰り返しが行われているといってよいでしょう。</p><br><br><p>クローズドスキルの場合、練習でやってきたことを試合でいかに出せるかが重要になります。（競泳、陸上競技等）</p><p>そこでもやはり、無意識または意識の中で何がなされているかが重要になります。</p><br><p>二つに共通することは、認知心理学、神経心理学、行動心理学等が密接に関わっているということです。</p><br><p>そこで、このことを不特定多数の皆さんに発信できればうれしいと思い立ち上げた次第であります。</p><br><p>現在ノマドワーカーとして活躍されている安藤美冬さんもSNSから発展していったと聞いてますし、そんな感じになればいいなぁと思いながら書いていこうと思います。</p><br><br><p>ざっと契機を紹介しましたが、とはいえ、僕は心理学を勉強し始めて1年、サッカーライセンスもC級、と浅はかな知識しかありませんので、心理学をスポーツに適用したらこんな考え方もあるのかななぐらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。</p><br><p>またこんな考えもあるのではという指摘、感想があればコメントしていただければ幸いです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dakyonokamisama/entry-11498504308.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Mar 2013 16:16:37 +0900</pubDate>
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