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<title>歴史ヲタの近現代史ブログ</title>
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<description>様々な近現代の歴史を紐解きます</description>
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<title>熱中症の予防と対策　バランスの悪い水分摂取は水中毒を引き起こす</title>
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<![CDATA[ 暦の上では立秋を向かえ、そろそろ涼しくなる・・・はずもなく、暑い日が続いています。<br>今年の暑さは、太平洋高気圧の張り出しが9月まで続く為に、残暑が長引くとされていますが、これほどの暑さが続くと、やはり気になるのは熱中症。<br>暑い最中にはこまめな水分補給を、といわれますが、果たして水分であれば無条件に、どのようなものでも摂取していれば良いのでしょうか。<br><br>人間の体液は様々な物質で作られています。<br>血液の中の各種成分も、人間の体の乾きや潤いに関わりなく、なるべく一定程度の濃度を保とうとし、機能を維持しようとします。<br><a href="http://www.if-r.co.jp/water/order_low/" target="_blank">五十森達哉</a><br><br>当然、たくさんの水分を摂取し、それが全部体に吸収されてしまうとこの体のバランスが崩れるわけですから、体は必要以上の水分を摂取したらそれを排出しようとします。<br>そうなると増えるのが尿量。<br>尿の量が増えると、さらに水分補給をしなければならない気持ちになり、補給、さらに尿の量が増えるという悪循環に陥りますが、しかしさらに怖いのが、尿の量が増えずに体にたくさんの水分が蓄積されてしまい、体のイオンや微量元素の体内濃度が崩れてしまうことです。<br>これが水中毒の主なメカニズムです。<br><br>その為に、ポカリスエットなどの体液の組成に近いスポーツドリンクが発明されたわけですが、糖分には十分気をつけながら、まずは夏の水分補給には水よりもこれらのドリンクの方が適しているといえるでしょう。<br><br>夏の暑い盛りでもゴルフを楽しむお父さんは多いと思いますが、ゴルフも楽そうな競技に見えて、真夏の暑い時にグリーンに出ると、時に40度を越える猛暑を直接浴びる事になります。<br>18ホールもプレイするとなると、水分補給よりもプレイする時間はもとより、なるべく日の当たらないところを使い移動して、発汗を抑える努力をして下さい。<br><br>でもそれって、ラフをめがけてボールを打ち込めということかと怒られそうですが（笑）<br>なんせ、パッティングに自信があるならアドレスは短めに、パットしたらすぐに日陰に入り、後はクラブハウスで冷たい生ビールで楽しむ事にしましょう。<br><a href="http://www.tanimizu.jp/classic/img/score/toyota%20cup/2011.3.10%20amayosen.pdf" target="_blank">五十森達哉</a>
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<pubDate>Thu, 16 Aug 2012 13:52:04 +0900</pubDate>
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<title>太平洋の勝敗の帰趨を分けたと評価される分水嶺とそれぞれの対応</title>
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<![CDATA[ お盆といえば、里帰りや旅行など、非日常を満喫し、英気を養う時期でもありますが、同時にそれはご先祖様を弔い、亡き親族に思いを馳せ、自らの日常を静かに見詰めなおす機会でもあります。<br>ナスやかぼちゃで作ったご先祖様の「乗り物」も、また季節感のある楽しいもので、送り火代わりの花火の色もまた、この季節ならではのものですね。<br>日本中が祈りと鎮魂の色に染まる、日本独特の風習の時期でもあります。<br><br>ところで、開戦劈頭破竹の勢いで進軍した日本は、どこでその勢いが止められ、敗戦への坂道を転がっていったのでしょうか。<br>その理解として一般的なものは、恐らく陸の戦いがガダルカナル島の戦い。<br>海の戦いがミッドウェー海戦ではなかったかと思われます。<br><br>このうちミッドウェー海戦は、空母を中心とした輪形陣による空母の集中運用と集中打撃という全く新しい戦法を編み出した日本海軍のアドバンテージがまだまだ大いに働いていた時でもあり、空母や空母護衛の巡洋艦などの性能を考えても勝利は疑いなく、アメリカ海軍の司令官ですら「避けられない悲劇を戦いに行く心境だった」と振り返るほどに戦力差がありながら、敗れた海戦でした。<br><br>この海戦により主力空母4隻を失い、真珠湾以降の歴戦の熟練パイロットの大半を失った日本海軍は、これ以降において一度も南太平洋における戦いのイニシアティブを取り戻す事ができないままに3年半の年月が流れ、レイテ沖海戦に投入した残存空母・戦艦・巡洋艦の全滅をもって日本海軍は事実上消滅。<br>ここに敗戦を迎えることになりました。<br>日本は、有史以来初めて独立を失い、連合国の傘下に入る事になりました。<br>多くの戦没者を巻き込みながら、まさに悲劇の幕が終わったといえるでしょう。<br><a href="http://regionalnews.http://regionalnews.blog.fc2.com/blog-entry-164.htmlblog.fc2.com/blog-entry-164.html" target="_blank">五十森達哉</a><br><br>ミッドウェー海戦における敗戦の要因の分析は未だに歴史家の間でもホットな話題で、なぜ戦力・経験・物量に、勝る局地戦で日本が敗れたのかについては多くの研究がなされていますが、ひとつ間違いがない事は、海軍の人事制度に大きな欠陥が在ったのは間違いなく、本来であれば水雷畑出身の南雲忠一中将がなぜ空母機動部隊の指揮官となったのか。<br>その指揮に大きな問題があったのは間違いがないものと思われます。<br>惜しむらくは、山口多聞中将のような航空畑の有為な指揮官がいたにも関わらず、機動部隊をそれらの人材に預けられなかったこと。<br>70年後の今でも、悔やまれることであるのかもしれません。<br>戦後の評価は様々なものがあるのは事実ですが、ここは静かにご先祖様に静かに手を合わせ、お祈りを捧げるだけの日にも、してもいいのではないでしょうか。<br><a href="http://blog.livedoor.jp/jukinge/archives/5568606.html" target="_blank">五十森達哉</a>
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<link>https://ameblo.jp/danroper/entry-11329061505.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Aug 2012 14:17:33 +0900</pubDate>
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<title>近代兵器の発展史とその因果関係</title>
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<![CDATA[ <div>近代兵器の開発の歴史を紐解くと、兵器の開発と言うものは良くシーソーに例えられ、あるものができるとそれを阻止する兵器が生まれ、そしてそれを阻止する為の兵器が生まれ・・・というように、おおよそキリのない発展をしていくものです。</div><div><br></div><div>一例を挙げると、日露戦争で初めて登場し、その威力を示して世界を震撼させた「機関銃」の存在は、戦争の様相を一変させました。</div><div>どれだけ多くの兵が束で掛かっても、一瞬にして大量の弾を発射する機関銃は、機関銃兵一人で数十人の敵兵をなぎ払う事が出来、まさに守備側絶対優勢の戦争の体制を作ったのです。</div><div><br></div><div>この事に教訓を抱き、敵の機関銃の雨が降り注ぐ中でも進軍する事ができる兵器は無いだろうかと言う発想で、イギリスが開発したのが「戦車」でした。</div><div>この戦車はまさに、敵の機関銃の雨の中をモノともせずに進み、敵の機関銃兵をなぎ払う事に、第一次世界大戦では貢献したのです。</div><div><br></div><div>ちなみにこの戦車の原型になったもの、なんとイギリス海軍が世界で初めて開発したものでした。</div><div>この時の秘匿名称が「tank＝水入れ」。</div><div>この時から、戦車をあらわす英語がtankとなり、今に至ります。</div><div><br></div><div>そして戦車が圧倒的な威力を発揮した第二次世界大戦の影響を受け開発をされたのが対戦車ヘリ。</div><div>戦車を潰すことだけを目的に開発され、その戦車狩りに対する性能は凄まじいものでした。</div><div>しかし、次は歩兵がヘリ撃墜用の携行対空火器を所持するようになり・・・</div><div><br></div><div>はい、もうキリがありません。</div><div>これから先もこのようにして通常兵器は兵器のシーソーゲームを繰り返していくのかと思いますが、しかしこのような過程から民生化され、私たちの生活を豊かにしているものがたくさんあります。</div><div>その代表的なものといえばインターネットでしょうか。</div><div>実はインターネットの技術も軍事技術が転用されたものですが、それはまたの機会に。</div>
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<pubDate>Thu, 26 Apr 2012 18:54:42 +0900</pubDate>
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<title>大和型戦艦3番艦　「信濃」　空母改装をめぐる思惑　嶋根純一の研究</title>
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<![CDATA[ ご存じのように、ミッドウェー海戦に敗れた日本軍は、不足する空母を補強するために、既に存在価値が完全に否定されていた大和型戦艦の3番艦である「信濃」の建造を中止し、これを改造して空母「信濃」として再設計をし、建造を再開します。<br><br>この動きは、ある意味において1947年の終戦後においても戦艦を造り続けていたアメリカ海軍よりもよっぽど早く、大艦巨砲主義から抜け出し、空母と言う新戦力に移行することに、日本海軍が成功していたかを物語るエピソードとしても語られるべきかもしれません。<br>日本の教育現場では、一切語られる事はありませんが。。<br><br>しかしこの空母信濃。<br>原子力空母エンタープライズが就航する1960年代まで、世界最大の空母と言う基準排水量を誇ったにもかかわらず日本での知名度は完全に0ですね。。<br>何故か日本では、日本軍は頭のおかしい連中が大艦巨砲主義に狂って日本を誤らせたという「定説」に反する事は、一般に流布させるのはタブーとされていますので。<br>おかしな話です。<br><br>それはさておき、このようにして生まれた空母信濃ですが、完成間近の1945年。<br>横須賀の海軍工廠から、呉の海軍工廠に移動して、いよいよ艤装を施し、最前線に投入しようと言う時に・・・。<br><br>回航中、アメリカ潜水艦アーチャフィッシュの放った魚雷2発で、一切の戦闘経験することなく、あっけなく海の藻屑と消えてしまいました。<br>本件については詳しく何度も語りたくありませんので、もしよろしければ下記2つのブログのいずれかから詳細記事をお読みください。<br>(;つД｀)&nbsp;<br><br>
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<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 23:20:04 +0900</pubDate>
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<title>宰相になれなかった男　明治日本陸軍の英雄　児玉源太郎</title>
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<![CDATA[ 明治を代表する陸軍の軍人を一人上げるとすれば間違いなく入るであろう児玉源太郎。<br>日露戦争では、日本陸軍の1.5倍に相当する世界最強の陸軍国家を相手に正面から戦い、奉天会戦においてこれを撃破。<br>満州の野からロシア軍を駆逐する事に成功した満州野戦軍の総参謀長を務めた男です。<br><br>日本のナポレオンとも称された彼は、陸軍大学においてドイツのメッケル少佐に師事。<br>日露の開戦が決まった時には、ドイツに戻っていたメッケル少佐をして、「この戦争、児玉が作戦指導をするのであれば日本の勝ちだ」と予言したとすら言われています。<br><br>その源太郎は、どこまで言っても出来ることとできない事を切り分ける、現実に根ざした思考回路を持った男でした。<br><br>連戦連勝で満州の野からロシア軍を駆逐し、国内世論は「このままモスクワまで攻め込め」という極めて非現実的な加熱をしている状況にあって、「今を置いて講和の時はない」と、アメリカに仲介役を頼んで和平を打診。<br>全権大使の小村寿太郎は、わずかな土地だけを引き換えに、日露は和平条約を結びます。<br><br>このような児玉源太郎の極めて現実的な戦争指導。<br>後の昭和陸軍に、そのＤＮＡがわずかでも受け継がれていたら、と言う事を悔やみます。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/danroper/entry-11227227912.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Apr 2012 12:16:14 +0900</pubDate>
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<title>ハンモックナンバーと言う制度疲労　日本海軍の弱点</title>
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<![CDATA[ <div>明治維新以来、まさに負け知らずの日本海軍が起した組織の制度疲労は、極めて深刻なものになっていたように思います。</div><div>これは、苦労して列強の仲間入りをしたその歴史の上に、苦労をせずに胡坐をかき始めた世代から顕著に現れ、中でも海軍大学の卒業の序列がその後の出世ばかりでなく、局地戦の司令官人事をも９９％決定すると言う驚くべき人事制度にも現れていました。</div><div><br></div><div>このような悪弊はミッドウェー海戦の際に最初に現れ、ミッドウェーの生き残りの将兵を呉海軍病院に軟禁し事実が外に漏れないようにするという、海軍の隠蔽体質がまともに現れ、教訓が次の戦闘に生かされるチャンスを失いました。</div><div><br></div><div>また、台湾沖航空戦の際には、アメリカ海軍の空母や戦艦を２０隻以上も撃沈したと言う虚偽の海軍大本営発表を行い、陸軍の作戦をも誤らせるという異常なほどの隠蔽体質を見せています。</div><div><br></div><div>日本海海戦において世界の海軍の常識にパラダイムシフトを起した日本海軍。</div><div>世界初の正規空母を就航させた日本海軍。</div><div>空母の集中運用による航空機の可能性を世界で初めて証明した日本海軍。</div><div><br></div><div>このような栄光すら一瞬で壊してしまうようなこの恥ずかしい歴史は、日本海軍を愛するがゆえに見えてしまうものとはいえ、やはり寂しい気がします。</div><br><br>
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<pubDate>Mon, 16 Apr 2012 11:13:26 +0900</pubDate>
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<title>ガダルカナル島の戦いがもたらしたもの</title>
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<![CDATA[ <div>太平洋戦争のポイントになった局地戦を２つ上げるとすれば、間違いなく海はミッドウェー海戦、陸はガダルカナルの戦いになると思います。</div><div>両者とも、戦争の主導権、つまり主客が入れ替わったと言う意味において極めて大きな意味を持つ戦いですが、そもそもこの戦いはどのようにして起こり、どのような経緯をたどり、どのような帰趨になったのでしょうか。</div><div><br></div><div>ガダルカナルの戦いについてです。</div><div>破竹の勢いで東南アジアを抜いた日本陸軍は、アメリカ軍の本格的な反攻が始まる前にアメリカとオーストラリアを分断し、オーストラリアを連合国から脱落させることを企図していました。</div><div>いわゆるＭＯ作戦、ＦＳ作戦の発動です。</div><div>その前提としてガダルカナル島の占領が不可欠ですが、難なく蘭印インドネシアからガダルカナルの占領に成功した日本軍は、さっそく同地にヘンダーソン飛行場を建設し、まだまだ反攻は先のこととたかをくくってのんびりしていました。</div><div><br></div><div>しかしそこにアメリカ軍は１個師団１２０００人体制で逆上陸。</div><div>ついにアメリカ軍の本格的な反攻が始まるわけですが、大本営陸軍部はこのアメリカ軍の意図を読み違え、重大な過失を招く判断を繰り返すのですが、続きは以下のリンクから。</div><div><br></div><br>
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<pubDate>Fri, 13 Apr 2012 11:05:18 +0900</pubDate>
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<title>陸軍騎兵創設の父　秋山好古</title>
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<![CDATA[ 明治日本の陸軍において、騎兵を一から創設した事で知られる秋山好古・陸軍大将ですが、実はあの海の名参謀・秋山真之の実兄でもあります。<br>幼少のころから貧しい家に育った好古は、無料で勉強ができると言うことだけを理由に師範学校に入り教師になりましたが、結局同郷の人に勧められて陸軍士官学校に進みました。<br><br>明治時代、というよりも日露戦争を通じて、日本軍には陸海問わず様々な名将・名指揮官が生まれましたが、好古も間違いなくその一人と思います。<br>他に名将と言える日露戦争の英雄は、児玉源太郎や東郷平八郎がいます。<br>特に東郷平八郎は世界３大提督の呼び声も高く、本当に素晴らしい海の名将でした。<br><br>詳しくは下記のサイトでも読んでいただけます。<br>
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<pubDate>Thu, 12 Apr 2012 16:51:46 +0900</pubDate>
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<title>日本史・世界史が大好きな歴史ヲタクです</title>
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<![CDATA[ 初めまして、日本史・世界史が大好きな歴史ヲタクです。<br>いろんな歴史に関する情報を発信して行きたいと思います。<br>どうぞ宜しくお願いします。
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<pubDate>Tue, 10 Apr 2012 15:51:02 +0900</pubDate>
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