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<title>dans-luneのブログ</title>
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<title>美しいということ</title>
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<![CDATA[ 花を見て美しいと思う。<br>それがどういうことだか分からない。<br><br>そういうと、<br>「当たり前のことでしょう」<br>一体何を言っているんだろうと、怪訝そうな顔をされた。<br><br>鮮やかな色複雑な色彩。それは分かる。<br>でも、それを美しいと感じることは、全く別物ではないか。<br>私の言っていることは、そんなにおかしいことなのだろうか。<br><br>自分がものを感じるという自覚すら薄かったので、<br>相手の表情を見て、怖気づいていたことにも気付かなかった。<br>ただ、それからは、そのことについては一切触れないようにした。<br><br><br>16歳の秋。<br>下校中、橋の上を通る。<br>山の向こうに沈み行く夕日が見えた。<br>それはいつもと変わらない風景だった。<br>けれど、その時。<br>初めて、「美しい」ということを実感した。<br>感じるということは、理屈でもなんでもない、<br>すとん、と何かが私の中を落ちていく感じがする。<br>呼吸が止まる。<br><br>感じるということは身体反応でもあるのだな、<br>そんなことを後でぼんやり考えた。<br>それだけのことが分かるのに、16年かかった。<br><br>それから、美しいということの実感がわいたためか、<br>私にとっての「美しいと感じるもの」が増えていった。<br>陽に透ける葉脈。大地に根を張る節くれだった木の根っこ。<br>美しいと思うものは、他者と共有する必要は無いのだ。<br><br>今も花を見て美しいとは思わない。<br>柔らかい、と思う。<br>私にとってはそれでいいのだ。<br>そう思えるようになるまで、今までかかった。
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<link>https://ameblo.jp/dans-lune/entry-12542460018.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Feb 2007 21:18:40 +0900</pubDate>
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<title>異界への扉</title>
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<![CDATA[ 存在していること自体が落ち着かない。<br>「自分ではない」人間がたくさんいることが恐ろしくて仕様がない。<br>自分が、何かわけの分からない異分子のような、そんな感覚を、物心ついた頃から感じ続けていた。<br>自分が何かをしたり言ったりするたびに、笑われる。驚かれる。疎まれる。<br>なぜかが分からない。<br>ここにいていいのか、ここに存在していいものかも分からない。<br>存在することに対する違和感は、少し大きくなっても、（そして今でも）なくなることは無かった。<br><br>もしかしたら、私は本当に異世界の異分子かもしれない。<br>そんな思いは、異世界に還るという空想にふけることにもなった。<br>異世界への扉はそこここにある。<br>例えば合わせ鏡。例えば水溜りに映る青空の向こう。竹やぶの薄暗がり。<br>きっとそこを通っていけば、私の本当の世界に還れるのだ…。<br><br>そんな空想は、子どもにはありがちなのかもしれない。<br>でも、私は、その空想に逃げることで、<br>「いつかは還るのだ。だから今しばらくはここにいるのだ。ここにいることを許してもらえるのだ」<br>と自分を慰めていた。そうでもしなければ、「存在することへの違和感」に耐えることが出来なくなっていたかもしれない。
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<link>https://ameblo.jp/dans-lune/entry-12542460016.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Jun 2006 06:35:33 +0900</pubDate>
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<title>言葉の獲得 感情の獲得</title>
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<![CDATA[ 言葉を覚えるのは、早い方だったと思う。<br>読んだり書いたりで苦労した覚えがない。<br>特に教えられた記憶もないのだが、保育園時代にはすでに黙読を始めていて、ちゃんと意味も分かっていたので先生たちが驚いていた、という話も聞いた事がある。<br>物語の筋は分かる。登場人物の感情も分かる。ちゃんと手がかりが何処そこに書いてある。流れを読んでさえいれば、主人公以外の人物が何故そんなことをしたのかも読み取れる。<br>でも、現実はそうは行かない。<br>分からないことだらけ。<br>混乱して立ち尽くしていると、子どものこと、容赦ない攻撃がすぐに来る。<br>外から見ると、無表情に立っているだけなので、何を考えているかまるで分からない、気味の悪い子ども、だったのかもしれない。<br><br>今だから分かること。<br>実際のところ、自分の感情というものの在り処が自分でもまるで分からなかった。<br>大学で、発達心理学の講義を受け、すとんと納得のいくことがあった。<br>生まれたての子どものころは快・不快のみだった感情が、少しずつ分化して、嬉しい、悲しい、怒り、喜びなどの感情を獲得していくという。<br>私の感情の動きは、ずいぶんと長い間、快・不快の段階にいたようだ。<br>だから、<br>「どう思う？」<br>と聞かれるのが一番苦手だった。自分が何を考え、どう感じているのか、まるで分からない！<br>言葉は早くから知り、意味も分かっていたが、実感したことがなかったので、自分が感じてもいないことは、形だけでも作文に書くこともできない。<br>本を読むのは好きだったし、それなりにのめりこんで読んでいたのだが、その感想を書けといわれても、途方にくれてしまう。ただ単に物語りに同化しているだけで、私の感情なんて何処にもないのだから。<br>読書感想文を描いているときの私はいつもそんな風だった。<br>隣の子の作文を横から覗きこんでみると、<br>「感動しました」<br>と書いてある。<br><br>感動！<br>言葉は知っているが、感動するということがどういうことなのか、知らない。だからそんな言葉は使えない。「美しい」という言葉は知っている。でも、花を見て美しいと「感じる」ことが当たり前だとは分からない。<br>もしかしたら他の子どもたちは、大人たちが「花は美しい」というのを聞いて、鸚鵡返しに「花は美しい」といっていたのかもしれない。そうしてそういうものだ、と納得していたのか。<br>でも、私にはそんな簡単なことすらできなかった。<br>「美しい」と感じることがどういうことか分からないのだから、<br>「きれいだねえ」<br>と話しかけられても、うんといえない。どう返していいのか分からないので、黙っている。<br>やっぱり言葉の面でも、変わっている子、と言われるしかなかった。
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<link>https://ameblo.jp/dans-lune/entry-12542460014.html</link>
<pubDate>Thu, 18 May 2006 03:27:48 +0900</pubDate>
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<title>自他</title>
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<![CDATA[ 世界が狭く、自他の区別をうまく付けられなかった子ども時代。<br>物心ついた頃から、混乱の日々でした。<br><br>自分の知っていることを、他の人が知らない。<br>他の人が知っていることを、自分が知らない。<br>そんな当たり前のことすら分からず、途方にくれていた。<br>それは、私の相当古い方の記憶です。<br><br>自分の五感の及ぶ範囲のことしか知覚し得ないという知識はありました。<br>けれど、実際のところそれがどういう意味なのか、どう認識すればいいのか皆目見当が付かない。<br>当然、人との付き合い方も分からない。<br><br>「変わった子」<br><br>気が付いたときには、そんなレッテルが大きくべったりと貼られていました。
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<link>https://ameblo.jp/dans-lune/entry-12542460012.html</link>
<pubDate>Sun, 14 May 2006 19:53:48 +0900</pubDate>
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<title>胡蝶の夢</title>
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<![CDATA[ 胡蝶の夢とは<br><br><br>こちょう-のゆめ　―てふ― 【▼胡▼蝶の夢】<br> <br>〔荘子が、蝶となり百年を花上に遊んだと夢に見て目覚めたが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのかと疑ったという「荘子（斉物論）」の故事による〕<br>1 夢と現実との境が判然としないたとえ。<br><br>2 この世の生のはかないたとえ。<br> 「春の夜のひと時、―の戯れに/謡曲・船橋」<br><br>ｙａｈｏｏ辞書大辞林より<br><br>高校の時、「胡蝶の夢」の授業がありました。その時の古文担当の教師は、授業のまとめとして、<br>「人生は儚い。だからこそ、逞しく生きていかなければならないという教え」<br>と言いました。<br><br>「そんなことはありえない！」<br>というのが、私の率直な意見でした。<br>なぜなら、私は幼い頃から現実かと思うようなありえないリアルな夢を見続けていたからです。そんな夢を見たことが1度でもある人間なら、上の教師の言うような事は決して言えるはずがない。そう思いました。<br>夢から覚めたときの、「現実」の心許なさ。恐ろしさ。<br><br>もちろん、そんな逞しい人間ももしかしたらいるかもしれませんが、少なくとも、私にはそんな発想はありえないものでした。「胡蝶の夢」を読んだ時、<br>「ああ、私だけではなかったんだ、この恐怖を味わっていたのは」<br>と思い、安堵さえしました。<br>幼い頃から「変わった子」と言われ続け、生きることは恐ろしい時間の連続だった私のこれまでの時間を、少しずつ語っていこうと思います。
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<link>https://ameblo.jp/dans-lune/entry-12542460011.html</link>
<pubDate>Sat, 13 May 2006 20:26:21 +0900</pubDate>
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