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<title>一人語り</title>
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<description>主に音楽についての雑記。</description>
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<title>現代音楽の技法（２）</title>
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<![CDATA[ <font size="4">さて、続きを始めよう。<br><br><br>＜トーンクラスター（音塊）＞<br>前回紹介した１２音技法は作曲する際の全体の骨組みとしての技法であったが、このトーンクラスターは曲の中に一要素として取り入れられる技法である。<br>短くクラスターと呼ばれることもある。<br><br>日本語の「音塊」という言葉が示す通り、これは隣り合う沢山の音を同時に鳴らして音の塊のような独特の音色を出す技法である。従って、これを和音と捉えるよりはこういう音色として捉えるほうが適切であろう。<br><br>小学校（別に小学校に限定しなくてもいいが）の音楽の授業の時、やんちゃな男子がピアノの所に集まって好き勝手に掌でバンバンと鍵盤を叩く、というような光景に接したことがないだろうか。あれぞクラスターの鑑である。<br><br>クラスターを効果的に用いた曲として参考に挙げておきたいのが、クシシュトフ・ペンデレツキという作曲家の『広島の犠牲者に捧げる哀歌』だ。弦楽合奏によるこの曲は、微分音（後に記述）によるクラスターや弦楽器の特殊奏法を用いて非常に衝撃的な音世界を創り上げている。アイデアが音楽的結実を見せた、現代音楽において稀有な例といってよいのではないだろうか。<br><br><br>＜微分音＞<br>さっき１２音技法の項で書いたが、平均律で考えると音は基本的に１２個しかない。そして最も近い関係にある音はドとド♯のような半音である。微分音は、さらにその音程関係を細分化したものである。よって、音が固定されてしまっているピアノのような楽器では微分音は使えず、管楽器や弦楽器といった柔軟に音程をシフトできる楽器により使われる。<br><br>主な使われ方は、微分音を重ねることにより極度な不協和音を作り出すことである。例えば、前述のクラスターを微分音で作ることで、より衝撃的な音色を作ることが可能になる。<br><br><br>＜偶然性＞<br>文字通り「偶然に任せちゃおうぜ」という作曲技法である。占いで作曲してみたり、サイコロを振って音を決めてみたり、適当にインクを垂らして音符にしてみたりといった、運を天に任せたとってもロックなアイデアである。代表的な作曲家はジョン・ケージ。言わずと知れた『４分３３秒』の作者である。彼は「考えたもの勝ちだ」というような現代音楽の風潮を作り出した第一人者かも知れない。彼の作品を聴いて、「こんなのが作曲と言えるなら俺にだってできる」と多くの人は考えるが、それらをケージはこう一掃する。「確かにできるでしょう。でもどうせやらないでしょ？」と。なるほど素敵だ。どれだけ口でいってもそれを実行してみせるだけの気概は一般人にはない。<br><br><br>＜ミニマリズム＞<br>さて、ここら辺で最後にしておこう。最後に紹介するのはミニマル音楽である。これは簡単に言えば短いフレーズをひたすら繰り返して作られていく音楽である。そんなのつまらないじゃないかと思うかもしれないが、この反復のなかで少しずつ音楽が変化してゆくのがポイントである。海をずっと眺めていて飽きないのは、打ち寄せる波が全部同じなようでいてそうじゃない、少しずつ変化しているからだ。ミニマル音楽にはその種の心地よさがある。<br><br>ミニマル音楽に関してはライヒ、ライリー、グラスという３人の作曲家の名前を挙げておけばほぼ間違いないだろう。調性的な作品がほとんどなのでかなり聴きやすいと思われる。このミニマル音楽というアイデアは、その発想のシンプルさからも、クラシックという垣根を超え他ジャンルの音楽にとても歓迎された。エレクトロニック系の音楽を聴いていると、しばしばミニマルという言葉に出くわすだろう。<br><br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10807368825.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Feb 2011 11:40:52 +0900</pubDate>
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<title>現代音楽の技法</title>
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<![CDATA[ <font size="4">もはやブログが日記ではなくただのメモ帳と化している気はするが、<br>それはそれで一つの使い方ではないかと思う。<br>なので私は書きたいときに書きたいことを書きつける。<br><br><br>今回はクラシックにおける現代音楽の中で用いられている技法をいくつか取り上げてみたいと思う。<br><br>現代音楽というのは多くの人の耳にとって非常に難解に聞こえる。現代音楽を音楽として楽しめる人は恐らくほんの一握りである。では現代音楽を音楽として楽しめない大部分の人が現代音楽に向き合うためにはどうしたらよいのか。<br><br>一つ言えることは、それらに私たちが期待するような「美」を見出そうとしてはいけないということである。何故なら、２０世紀における芸術全体の前衛運動とは、美しいものを創造するというそれまでの芸術の常識を破壊する形で始まったからだ。従って、そこに伝統的な意味での「美」を探そうとしても、なかなか理解できないのは当然であろう。<br><br>私たちが現代の芸術に見出さなければならないのは、そこに込められた思想的なメッセージであり、新しいアイデアとしての価値である。現代音楽の作品を鑑賞するときに、「この作曲家はこの曲でこういうメッセージを伝えたかったのだな」とか、「それまでの常識はこうだけど、彼はそれに反したこういうアイデアを用いてみたかったのだな」と考えながら聴いてみると多少は面白く感じられるのではないか。<br><br>しかし先ほどから述べているように、それらはただのアイデア勝負になってしまい、多くの場合本来的な音楽の価値である「美」につながることはなかった。結果、そのような一人相撲を延々と続ける現代音楽は聴衆に呆れられ、衰退していったのである。<br><br><br><br>前置きが長くなってしまったが、現代音楽の分野で生み出された様々な技法は、それらの「新しいアイデア」を理解する上で重要な指針であると思う。<br>まあ、こんな変なことやってるのかと思って気楽に楽しんで頂ければ光栄である。<br><br>＜１２音技法＞<br>テクニカルな意味で現代音楽への道を切り開いた作曲家として、シェーンベルクの名は挙げておくべきだろう。現代音楽の特徴として、無調ということがよく取り沙汰される。ハ長調やホ短調といった調性システムの破壊である。しかし、音楽的な骨組みとしてとても強力であった調性を取り除いてしまうことは、かなり致命的であった。理由やバックボーンもなく新しい試みをしたところでそれはただのおふざけとしかとられない。例えば、「人間は昔空を飛んでいたんだ」という主張をしたとする。「根拠は？」と聞かれて「ないよ」と言っても勝手に言ってろで終わりである。同様に、「ここにこの音を配置した理由は？」と聞かれて「ないよ」と言っても勝手にやってろで終わりである。<br><br>そこでシェーンベルクは考えた。なんとかシステマティックに無調の音楽を組み立てる方法はないかと。その結果生み出されたのが１２音技法である。ピアノの鍵盤を数えて貰えばわかるが、ドからシまで、白鍵と黒鍵を含めて音は１２個ある。まずこれら１２個の音を好きなように並べ、音列（セリー）というものを作る。あとはこの音列に基づいて（リズムを変えて並べてみたり、音列を逆から読んでみたり）曲を作っていくというのが１２音技法である。この技法の特徴は、１２音全てをまんべんなく使えるという点にある。<br><br>この１２音技法はどんどんエスカレートし、ついには音の強弱や音の長さといった情報までもをパラメータ化して並べるという「トータル・セリエリズム（総音列技法）」にまで行き着く。オリヴィエ・メシアンの『音価と強度のモード』という作品を聴いてもらえばどういうものか大体わかるだろう。ただしこれに音楽的な価値を認められたらあなたは相当なものだ。<br><br>これは現代音楽全体に言えることだが、これらのアイデアは往々にして根拠の部分が肥大しすぎて、しまいには目的そのものが失われてしまう場合がほとんどである。大学に合格するために勉強するとして、勉強に勉強を重ね、勉強のための勉強をし、「あれ、なんのために勉強してるんだっけ」という状態になるのと似ている。<br><br>自分の予想以上に文章が長くなり過ぎたので一旦終了して次項に分けることにする。まだ一つしか技法書いてないんだけど・・・。<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10807295272.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Feb 2011 09:10:54 +0900</pubDate>
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<title>なつかしきあの頃</title>
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<![CDATA[ <font size="4">あけましておめでとうございます。<br>といっても既に一月は駿馬の如く走り去って二月も半ば。<br><br>２０１１年最初の更新となります。<br><br>人間、何かのきっかけでふと懐古的になる瞬間というのがあるわけでして。<br>今回はちょっと昔の話をば一つ。<br><br><br>私が音楽を作ることに興味をもったきっかけは、とある一つのサイトでした。<br>今は無き「FlontDoor」というサイトです。（更新がストップしてからしばらくして避難所が作られましたが、そこも近々閉鎖してしまうよう）<br><br>このサイトでは、MIDIFlickというフリーシーケンサソフトが配布されており、それを使った自作曲を自由に公開することができました。<br><br>私がどういう経緯でそこに辿りついたのかは記憶にありませんが、そこで公開されている色々な楽曲に小学生の私は憧れを抱きつつ聴き入っていました。自分もこんな風に曲が作れたら、と。<br><br>しかし当時の私は音楽の素養などほとんど無く、作曲など遥か雲の上、というレベルでした。何度かソフトをいじってはみたものの、結局それらしい曲一つ作れることなく時間が過ぎてゆきました。<br><br>次第に私は音楽を聴くことに傾倒してゆき、人格形成に多大な影響を及ぼすであろう中学生の時期には現代音楽を聴き漁っていました。お先真っ暗です。というのは半分冗談で（ということは半分本当なのだけれど）、普通のクラシックも聴いてました。<br><br>私が再び作曲へと目を向けるのは高校２年になってからでした。演奏者としての自分に絶望感を抱いていた私は、「それなら作曲すればいいじゃない」と、少しづつ曲作りのための勉強をし始めました。しかし楽譜を手書きするというアナログな方法は、飽きっぽさと根性の無さが同居する私にはかなり向いていませんでした。なかなか曲が書けない。苦労して書き上げても、私の乏しい演奏力では楽譜を音に出来ない。モチベーションは下がる一方です。<br><br>そこで目にとまったのがMIDIFlick。「昔よりは多少知識ついたし、なんか作ってみるかー」と思い立ったのが始まりでした。いつも通り途中で投げ出すかと思いきや、私はどんどん作業にのめりこんでいきました。先ほども述べたように、自分の書いたものが音にできないというのは、想像以上に辛いものがあります。だからこそ、打ち込んだそばからすぐに音が確認できるのは私にとって非常に嬉しいことでした。</font><font size="4"><br><br>そうして一曲を作り終えた私は、作曲することの楽しさをようやくそこで認識することができたのです。安っぽいＭＩＤＩ音源と稚拙なアレンジ。けれどそれはある種の感動を持って私の耳に届きました。<br></font><br><font size="4"><br><br><br>あれ、なんでこんな歯の浮くような文章書いてるんだろう...。<br></font><font size="4">何故こんな話をしたかというと、そのMIDI作品第一号を今の環境でアレンジし直そうかなと思い立ったからです。</font><br><font size="4">何はともあれ、まだまだ作曲初心者なのでもっといい曲、いいオーケストレーションを目指したいですね。<br><br></font>
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<pubDate>Wed, 16 Feb 2011 02:28:35 +0900</pubDate>
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<title>エレクトロニカの世界</title>
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<![CDATA[ <font size="4">油断するとあっというまに月日は過ぎてしまうものだ。<br>これだから筆不精はいけない。というかすべてにおいて無精だが。<br><br><br>最近はすっかりクラシックから離れ、エレクトロニカやポストロックといった少々アンダーグラウンドな領域を探索している。初心者だと何を聴いたらよいものかわからないのでなかなか苦労する。しかしその悩む時間もまた音楽の醍醐味であると思う。クラシックにのめり込み始めたあの頃を思い出す。<br><br><br>そもそも私がエレクトロニカにゾッコンになってしまったのはある一つのアルバムのせいだ。Soraというアーティストの『re.sort』というアルバムがそれである。Soraというのは黒澤健氏によるソロプロジェクトの名称らしい。このアルバムにハマってしまってから、Soraの他のアルバムも無いかと探したのだが、どうやらこの１stアルバム以降は何もリリースしていないようである。非常に残念だ。そもそもこのＣＤ自体が廃版になっており、今はiTunesで手に入れるしかない。<br><br><br>このアルバムの特徴というのが、大胆なサンプリングである。３曲目の「revans」を聴いて、一部の人はにやりとさせられるに違いない。ここで使われているのは、私の勘違いでなければ、ビルエヴァンストリオの「my foolish heart」の演奏だ。なるほど、「revans」という曲のタイトルも合点がいく。<br><br><br>このアルバムを聴いていると、電子音と自然音の見事な融合で本当にリゾートにいるような心地よい気分にさせられてしまう。というと全く安易な感想になってしまうが、音楽的にもかなり優れたものであるということは言わずもがな。音色に対する優れた感性が無ければ、こんな「心地のよい」音楽が作れるわけがない。<br><br><br>もう一つ、ついさっきFilflaというアーティストを試聴してみてまたもやズキュンとやられてしまったわけだが、こちらはまだiTunesで数曲をバラ買いしただけなので、詳しい感想はアルバムを買ってちゃんと聴いた後にしておこう。<br>一つ言えることは、私はエレクトロニックなものとアコースティックなものの共演にかなりグッとくるものがあるようである。<br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10740081173.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Dec 2010 00:45:42 +0900</pubDate>
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<title>哲学と科学</title>
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<![CDATA[ <font size="4">今回は珍しく音楽以外の話題。<br><br><br>『哲学的な何か、あと科学とか』というサイトがある。勝手な推測だが、書籍化などもしているので、もしかすると知ってる方も多いかもしれない。<br><br>このサイトはその名の通り、哲学や科学についてのコラムサイトなのだが、軽妙洒脱な文章でとてもわかりやすく哲学や科学についての諸問題を説明してくれるコンテンツがたくさんあり、私のようなずぼら人間にとってはとてもありがたいサイトである。<br><br><br>個人的にとても感動したのが、量子力学についてのページで、数学の「す」の字も出てこない生活を送っている文系人間の私でも、量子力学がどういう学問なのか<span style="font-weight: bold;">ちょっと</span>わかったような<span style="font-weight: bold;">気</span>がしてしまうほどの恐ろしいわかりやすさである。あくまで<span style="font-weight: bold;">ちょっと</span>わかったような<span style="font-weight: bold;">気</span>になっているだけということを強調しておかないと本職の方々に怒られてしまいそう。<br><br>量子力学というと「シュレーディンガーの猫」という問題がとても有名だが、正直あの話だけを聞いても結局量子力学がどういうことを扱っているのか全くわからなかった。だがこのサイトでは、何故量子力学という学問が生まれたのかという根本的なところから教えてくれるので、なるほど、と思わずうなずいてしまう。<br><br><br>哲学のあの問題についてさらっと概要を知りたい、科学のあのことについてちょっと知りたい、でも分厚い関連書籍を読むのはちょっと・・・。という方にはまさにおススメなサイトである。<br><br>「さらっと」とは言っても、実に手広い分野をカバーしているので、読み物としてはかなり楽しめるボリュームだと思います。<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10714441557.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Nov 2010 04:18:24 +0900</pubDate>
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<title>閃光</title>
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<![CDATA[ <font size="4">実に１２日間、ほぼ２週間ぶりの更新である。<br>これからは更新したらツイッターの方でつぶやくようにします。<br><br>どうも記事を書くネタが思いつかない・・・。<br>というわけでいま思いついたことを適当に語っていこうと思います。<br><br><br><br>ＦＦ１３の通常戦闘曲『閃光』がかっこよすぎる。ゲームの戦闘曲をそんなに知ってるわけじゃありませんが、バテンカイトスの『The True Mirror』に匹敵するぐらい、いや、それを軽く超えてしまうぐらい自分の中での株が上昇しています。<br><br>オーケストラを用いたシンフォニックな曲というのはどうしても全体的に重たくなってしまって私はあまり好きじゃないのですが、この曲はシンフォニックな要素とロックな要素がとてもバランスよく融合していて、スケールの大きいサウンドでありながら実に軽快で爽やかなカッコよい曲となっていると思います。さすが浜渦さんとしかいいようがない。<br><br>そのうちピアノ編曲してみたいと思うものの、なかなか複雑な和声とあの軽快な曲調をどう再現するかという点で難航しそう。<br><br>一応浜渦さん自身が編曲したＦＦ１３のピアノコレクションが出版されており、楽譜を持ってはいるのですが、そっちの方はクラシカルで大人しめのアレンジになっており、原曲とはだいぶ印象が違っています。恐らく浜渦さんはピアノという楽器の中であの曲を全く別物として捉え、アレンジしなおしたのだと思いますが、ちょっと私の想像してたのと違う。というか当たり前のように９度や１０度の和音を要求してくるのはどういうことなの・・・。手の小さい私は涙目です。<br><br>それと、『閃光』のアレンジver.の『ライトニングのテーマ』もいいです。ストリングスのアレンジ良すぎです。機会があれば是非とも聴いてほしい。<br></font>
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<pubDate>Mon, 22 Nov 2010 02:58:09 +0900</pubDate>
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<title>日本の作曲家</title>
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<![CDATA[ <font size="4">やる気がある時に一気に書いてしまおう。それが自分の主義、というか結果的にそうなってしまう性格。<br><br><br><br>今回は予告通り日本のクラシック作曲家について。日本にクラシックの作曲家なんているのかというツッコミはいけません。いますとも。<br><br>日本の西洋音楽黎明期はかなり遅く、１９世紀の終わり頃です。滝廉太郎と山田耕筰の名前は学校の音楽の授業で一度は耳にしていることでしょう。単純な年代から言えば、滝の方が年上ですが、彼はほとんど歌曲しか作っておらず、わずか23歳の若さで病没してしまったため、本格的にクラシックの作曲家として活躍したのは山田耕筰が最初といってよいでしょう。<br><br>山田耕筰も『赤とんぼ』や『待ちぼうけ』などの歌曲の方が馴染み深いですが、しっかりと交響曲やピアノ作品なども残しています。彼の『スクリアビンに捧ぐる曲』というピアノ曲を聴いてみると、確かにスクリャービンのような響きも感じられますが、どちらかというとロマン派の和声と日本的な旋律が合わさった風。<br><br><br><br>さて、ここからは、一応聴いたことのある作曲家や好きな作曲家からセレクトしていくのでだいぶ偏りがあるかも知れません。<br><br>伊福部昭（1914～2006）はゴジラシリーズの音楽を担当していたことで有名。実はあのテーマは彼がファンであったラヴェルのピアノ協奏曲の３楽章からとられていたりします。彼の音楽は民族的なパワー溢れる曲想が特徴で、オスティナート（同じフレーズの反復）がその力強さを引き立てています。『ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ』のコーダの狂乱は図らずもテンションがあがる。というかこの方が書いた『管弦楽法』がずっと読みたいと思いつつ、その値段になかなか手がでないです...。<br><br><br>1930年前後には驚くほど多くの著名な作曲家が生まれています。黛敏郎、松村禎三、湯浅譲二、林光、三善晃...などなど。しかし忘れてならないのは武満徹（1930～1996）ですね。私は彼を作曲家としてだけではなく、文化人として尊敬しています。彼の活動は恐ろしいほど多岐に渡っており、その影響力は計り知れないものがありました。ピアノ曲としては、『こどものためのピアノ小品』や『ピアノ・ディスタンス』が好きですが、変化球としてはビートルズの『ゴールデンスランバー』をピアノ編曲したものも素晴らしく、聴いているとうっとりしてしまいます。<br><br><br><br>続いて、同じ1953年生まれで親交もある吉松隆と西村朗。吉松はクラシック音楽以外のジャンルにもかなり造詣が深く、自身の作品にもロックやジャズの要素をとりいれています。最近ではプログレバンド「エマーソン、レイク＆パーマー」の代表曲『タルカス』をオーケストラ編曲なんかしちゃったりしてます。近々「題名のない音楽会」でとりあげられるみたいです。ちなみにブログではボーカロイドについても言及してたり...。一般的に評価が高いのは『朱鷺に寄せる哀歌』ですが、個人的なおススメは『デジタルバード組曲』。<br><br>西村朗は吉松とは対照的で、純粋な（という言い方もおかしいが）現代音楽の作曲家として探究を続けている人です。いまは「Ｎ響アワー」の司会をやってますね。彼の音楽の要は「アジア的思想」と「ヘテロフォニー」です。ヘテロフォニーについては的確な説明ができないのでググって下さい。長大な作品が多いので、集中力が著しく欠如している私にとっては聴く前に心の準備が必要。『２台のピアノと管弦楽のためのヘテロフォニー』は名曲だと思います。<br><br><br><br>ここで紹介したのはほんの僅かですが、総括として、私が思う日本のクラシック作曲家の作品の傾向は、どれだけ前衛的な曲を書いていようとも、そこにはどこか一抹の大衆性が見えるということです。もしかすると私が知っている音楽の傾向がそうなのかもしれませんが...。これは日本人の良い面でもあり悪い面でもあると思います。<br><br>この文章を書くにあたり色々と調べなおしていたら、改めて聴きたい曲や新たに聴きたい作曲家などがザクザクと出てきました。時間がいくらあっても足りないや...。<br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10702572204.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Nov 2010 02:16:32 +0900</pubDate>
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<title>ちょっとマイナーな作曲家たち</title>
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<![CDATA[ <font size="4">こんにちは。　早くも間があいてしまいました。<br><br><br>今回は「ちょっとマイナーな作曲家たち」と題して、あまり日の目を見ることのないクラシック作曲家の作品を紹介したいと思います。何故彼らは歴史の表舞台から姿を消してしまったのか？<br><br><br><br>まずはそこまでマイナーでは無い人から紹介。<br><br>セザール・フランク（1822～1890）は、ベルギー出身、フランスで活躍した作曲家です。彼は若い時にオルガニストとして活躍していたため、作曲家として本腰が入り始めたのは晩年になってからのよう。現在、代表曲として演奏されている曲の大部分も1870年代、80年代に書かれたものなので、あまり多作ではありません。音楽の内容はかなり内省的で、滋味あふれる仕様となっております。やはり一般受けするものではないと思われます。<br><br>さて、私が紹介したいのは彼の作品の中で最も有名な『ヴァイオリン・ソナタ』です。というかそれしかまともに聴いたことありません（笑）。4楽章で構成されるこの曲は、彼お得意の「循環形式」が用いられています。循環形式は、同じ主題や動機を何度も登場させるので楽曲全体に統一感をもたせやすい形式です。<br><br>全体的な曲の雰囲気を支配しているのは夜を想わせる暗さですが、ただ暗いだけでなくその中で月の光が淡く差し込むような仄明るさも見えるのが特徴。特に4楽章はロマン派の音楽の中でも傑作だと思います。ピアノとヴァイオリンのカノンが曲の盛り上がりの場面で絶大な効果を発揮しており、ものすごい高揚感。華やかに全曲を締めくくります。<br><br><br><br>続いて、イギリスの作曲家ジェラルド・フィンジ（1901～1956）。このお方は上のフランクと比べてもかなりマイナーな域に入ると思われます。なかなか波瀾に満ちた生涯を送っているようです。<br><br>私が紹介したいのは『ピアノと弦楽のためのエクローグ』という曲です。というかそれしか（ｒｙ　その名の通り、ピアノと弦楽の協奏曲ですが、なんとも素朴で美しい曲であります。初めて聴いたときは思わず涙してしまった。決して安い感傷で感動を誘おうとするのではなく、バッハの音楽のような気高さを感じられるのが好感を持てるところ。全く偶然に知った曲ですが、本当に見つけてよかったなと思いました。<br><br>彼は合唱曲を多く残しているというので、是非機会があったら聴いておきたい。<br><br><br><br>最後に、フランスの作曲家デオダ・ド・セヴラック（1872～1921）。都会パリの雰囲気に馴染めず田舎を愛した作曲家で、ドビュッシーからは「土の薫りのする素敵な音楽」などと評されたように、曲の随所に滲み出る田舎臭さが彼の持ち味です。<br><br>彼のピアノ曲『沐浴する娘たち』は、フィンジのエクローグと同じく私が一目惚れならぬ一聴き惚れしてしまった曲です。地中海の紺碧と、燦々と輝く太陽を想起させるような高音部の煌めきが印象に残ります。軽快なリズムと装飾音も相まってとても爽やか。天気の良い日に日光浴しながら聴いたら最高じゃあるまいか。今度やってみよう。<br><br><br><br>意外なところでいい音楽に遇えた時、幸せを感じる瞬間の一つですね。これだから音楽を聴くのはやめられない。<br><br><br>次回の予定として、日本のクラシックの作曲家たちについて書いてみたいと思います。あくまで予定なので、その通りになるかは私のさじ加減ひとつ。<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10701866905.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 13:37:09 +0900</pubDate>
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<title>ラヴェル</title>
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<![CDATA[ <font size="4">ブログを始める理由の一つに「長い文章を書く訓練」って書いたけど、そもそもブログってそんなに長文を書く場でもないよね。まあいいや。<br>あと今回はちょっと文体が変わりますが、気にしないで下さい。そっちの方が書きやすいだけです。<br><br><br>最近クラシックを聴く機会がめっきり減ってしまった。全く聴かないわけではないが、新しい作曲家や演奏家をあまり開拓しなくなった。単純にほかの音楽分野に割く時間が増えてしまっただけといえばそうなのだが、なんとなく寂しい。そこで、せめて文字の上だけでもクラシックに触れておきたいと思う。<br><br><br>今回は、私の敬愛する作曲家、ラヴェルについて。古今東西を通して見ても、彼は私のなかで一番好きな音楽家だ。たぶん今後も変わることなく私の音楽の目標であり続けるだろう。<br><br>じゃあどこがいいのかと聞かれた時のために今一度考えなおしてみたい。私はラヴェルの音楽のどういうところが好きなのかと。<br><br>まず第一に、私は彼の童話的世界が好きだ。<br>もう少し具体的にいうと、それは静けさと美しさ、それと奇妙さから成り立っていると思われる。特に三つ目こそがラヴェルがラヴェル為りえるための重要な要素であり、常に印象派の代表的な作曲家としてひき合いに出されるドビュッシーとは少し違う点である。この要素抜きではラヴェルは語れないと私は思う。</font><font size="4">彼の曲には時々救いようのないグロテスクな響きがある。それがいいのだ。グロテスクというと、日本語においては、あまりご飯時に見たくないような、残忍であるとか気持ち悪い描写という意味合いで使われることが多いが、そもそもの意味は「異様な、奇妙な」という形容詞なので、ここではそっちの意味で使っている。</font><br><br><font size="4">彼の「グロテスクな」側面が顕れている曲として具体的例を挙げてみると、なんてったって彼の最初のピアノ作品が『グロテスクなセレナード』だ。この曲は、ある意味ではまだ習作時代（１８歳の時！）に書かれているため、ピアノ作品全集のＣＤには入っていないことが多く、知らない人も多いだろう。実際、私も初めて聴いたのはつい最近だ。やはり若書きの作品だけあって、構成面での甘さは感じるが、既にこの時点で後の作品に繋がるような独自の音楽の片鱗が見える。諧謔的できまぐれな曲想が特徴。<br><br>『夜のガスパール』も、彼の怪奇的志向性というか、グロテスクな面が表れている好例だと思う。ベルトランという詩人の同名の詩から着想を得た曲である。第１曲「水の精（オンディーヌ）」は水の精の美しい悲恋物語であるが、最後に水の精が突然の高笑いと共に消えてゆくシーンなどはなかなかゾクっとする瞬間である。第２曲「絞首台」は私が大好きな曲の一つで、テーマそのものがグロテスクだ。絞首台に向かう罪人の足取りのように重々しく奏される和音は、なんとも残酷な響き。無機質に、そして執拗に鳴り響く鐘の音。夕日に照らされた真っ赤な囚人の骸。極めつけは第３曲「スカルボ」。月の照る夜、地の精スカルボが突然現れ、部屋の中を飛び回るかと思えば、蝋燭の火が消えるようにパッと失せる。恐らくポピュラーなラヴェルの曲しか知らない人は初めて聴いた時に面食らう。非常に技巧的で、聴く側にとっては恐ろしく取っつき難い。グロテスクの権化のような曲である。<br><br><br>もうひとつ私がラヴェルを好きなポイントとして、古いものへ目を向け、上手くそれを利用している点がある。まさに温故知新といったところか。<br><br>一例として、彼の曲の中でも人気のある『亡き王女のためのパヴァーヌ』がある。彼は中世の教会旋法を用いることで、長調、短調では割り切れない細かいニュアンスでの情景描写を可能にしている。教会旋法についての詳しい説明は面倒なので省くが、簡単に言えば、現在広く使われている長音階、短音階のほかにも、中世ではいくつかの音階が存在しており、その中から機能的に優れたイオニア旋法とエオリア旋法だけが、長音階、短音階として生き残った、という話である。一度は淘汰された教会旋法を、新たな表現素材として見直す動きは、何もラヴェルに限ったことではなく、他の作曲家にもあったようだ。また後のジャズにおいても、教会旋法は「モードジャズ」として新たな道を切り開く一助となっている。これは余談だが。<br><br>そして、とりわけ私がラヴェルの音楽で素晴らしい、と思うのは古典形式の利用だ。バッハなどが活躍したバロックの時代、あるいはベートーヴェンやモーツァルトが生きた古典派の時代というのは、形式が非常に重要な位置を占めていた。様式美の世界である。しかし、１９世紀に入ると、絵画や文学などに題材を得たいわゆる標題音楽が登場してくる。ラヴェルやドビュッシーといった印象派の音楽はその標題的性格がさらに顕著になったものだと言える。それはともすると、なんとなくの「雰囲気」を楽しむだけの音楽になりさがってしまう危険性をはらんでいる（それが必ずしも悪いとは言えないが）。<br><br>ラヴェルは、容れ物として非常に優れた古典時代の形式を用いることで、絵画的な美しい世界を描き出しながらも、決して雰囲気のみに堕することのない引き締まった像を自身の作品に与えている。千変万化の水の表情を見事に捉えた、印象派音楽の代表格とも言えるような『水の戯れ』がソナタ形式でできているという事実には、ただただ驚嘆してしまう。<br><br><br>というわけで長々と書いてしまいましたが、以上が私が考えたラヴェル讃の理由です。今回、この文章を書くに当たって久々に彼の曲を聴きなおしてみましたが、やはり良いですね。彼ほど私の理想郷を描き出している作曲家はほかにいないと思いました。<br>改めて、ラヴェル万歳。<br><br><br>うーん、次回は何について書こう。<br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10692620884.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Oct 2010 04:36:30 +0900</pubDate>
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<title>ボーカロイドについて</title>
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<![CDATA[ <font size="4">現在、ニコニコ動画を中心として、歌を歌わせることのできるソフト、ボーカロイド（Vocaloid）が一つの音楽シーンを形成しています。<br><br><br><br>これほどまでに広まった理由としては、やはり今日のサブカルチャーの盛り上がりと、初音ミクや鏡音リン・レンといったキャラクターに起因するポピュラリティーが一番でしょうが、もうひとつ重要なことは「自分で自分の音楽をプロデュースできる」という点にあるのではないでしょうか。特に、歌モノの音楽というのは、一番身近でありながら、それを自分一人の力で発信するというのは一般人にはなかなか難しい話です。で、それを可能にしてしまったのがボーカロイド。<br><br><br><br>私も、以前はよく知れ渡っている有名曲ぐらいしか聴いたことがありませんでしたが、最近ＤＴＭに興味を持つようになってからは、勉強も兼ねて積極的に色んな方々が発信するオリジナル曲の開拓をし始めました。<br>やはりこれだけ多くの曲があると、中には素晴らしいセンスをもった音楽がいくつも眠っています。というわけで、最近知って「こいつはしびれた！」とか「参りました！」というような曲をいくつか紹介したいと思います。<br><br><br><br><br>まずはbakerさんの初音ミクオリジナル曲「celluloid」。<br>この曲は割と有名かもしれません。小細工なしにいい曲。シンプルなのに泣けるのは何故だろう。いいメロディーがいかに力を持っているかということを思い知らせてくれる曲。こういう曲を書くのが一番難しいんではないだろうか。携帯で撮影したという日常風景のＰＶも一層曲の良さを引き立たせていて素敵です。<br><br><br>続いて、ジミーサムＰさんの初音ミクオリジナル曲「Pierrot」。<br>冒頭のドラムからシビれる。カッコいい。そして３拍子系のバンドサウンドというのは新鮮かも知れない。極めつけはサビで６/８に拍子がシフトする瞬間。ここで聴いている人はハッとさせられる。サビで転調するというのは常套手段だけれども、拍子を変えるというのはありそうでなかなか無く、とても面白いと思った。初めて聴いたときは、まさに「やられた」という感じでした。<br><br><br>次は、whooさんの初音ミクオリジナル曲「Parades」。<br>whooさんの曲は温かみのあるアコースティックなサウンドが特徴的ながら、ポストロックとか、プログレとかその辺を感じさせる斬新な構成が凄い。落ち着いたミクの歌わせ方も好きです。このParadesという曲も独特の世界観をもっています。何というか、思わず微笑んでしまう優しさ。<br><br><br>最後に、ささくれＰさんのめぐっぽいどオリジナル曲「ぼくらの16bit戦争」<br>個人的にささくれさんの作る曲はツボすぎる。ゲーム音楽からの影響が大きく、変拍子や転調を曲の中に織り込みながらも、それを嫌味なく自然に聴かせ、ポップな歌モノとして成立させてしまっている点が素晴らしい。この曲の他にも、「*ハロー、プラネット。」や「タイガーランペイジ」など、素晴らしい曲がたくさんありますので、是非聴いてみて下さいませ。<br><br><br><br>とりあえずもっと紹介したい曲はありますが、キリがないので今回はこの辺で。もしかしたら２回目、３回目があるやも知れぬ・・・。<br>「ボーカロイドなんて、萌え文化の産物だろ。しょーもない」と思っている方も、そんなこと言わずにたまにはボーカロイドの曲を漁って聴いてみて下さい。思わぬ収穫があるかもしれませんよ。<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/daph-clo/entry-10692589233.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Oct 2010 01:33:05 +0900</pubDate>
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