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<title>誰か俺に鳥肌が立つような写真を見せてくれ</title>
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<description>ドキドキするような、ハラハラするようなそんな写真に出会わなくなった。ただ単に俺のアンテナが壊れてるだけかもしれない。エログロはいらない。純粋に作品としての写真を見てみたい。</description>
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<title>ルーティーン</title>
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<![CDATA[ 朝起きる。<br>いつもの朝食。<br>いつものテレビ。<br>いつもの準備。<br><br>仕事に行く。<br>電車の中は朝早いせいもあって、周りは寝ている人が多い。スポーツ新聞を広げる人よりも最近は日経を読んでいる人が多い。それと携帯でゲームをしている年配の方が意外に多い。<br>それにしても結構早い時間なのに電車の中はそこそこ混んでいる。<br>本を読んだりするにはうってつけの時間だと感じながらもやはり寝てしまう。<br>乗り換えの時はふらつきが酷い。<br>駅を降り、勤務先に着くまでの間、ウォークマンの音量を上げる。<br>まだ頭がハッキリしない。<br><br>仕事は朝早く夜遅い。<br>それでもある程度満足している。<br>仕事は写真とは全く関係ない。そこが悔しいときもある。<br>夢を、やりたいことをいつまでも追いかけれるとずっと思っていった。でも、時間はその気持ちを気がつかないうちに削ぎ落としていく。ガタツキながらも立っていた気持ちはあるスタジオの面接で粉々に砕かれた。<br>いつでもやり直せるんだという気持ちで全力で挑んだが、それは甘すぎた。でも今考えると面接の人は正しかった。言い訳で塗り固められた僕はスカスカで脆かった。<br><br>仕事先では写真の話は一切したことがない。そこになんの意味もないし、他の人間も全く興味がないだろうし。<br>客先で写真関係のものを見かけてもぐっと堪える。すぐ口に出してしまい、またピエロにはなりたくない。<br><br>仕事が終わると、疲れが押し寄せてくる。また何時間後にここに来なければと思い、うんざりするときもある。<br>帰りの電車もなかなか混んでいる。遅くまで働いている人がこんなにいると思うと少し安心する。<br>電車の中で極力本を読んだりしようと思い、鞄に本を入れておくが今日もまた開くことがなかった。気がつくと立ちながら寝ていて、危うく携帯を落とすところだった。<br>電車を降りるときに無駄に押してくる人間がいた。少しイラつく。振り替えると30手前位の女性だった。<br><br>駅を降りるとみんな同じ表情をしていた。<br>こんなに皆自分を磨り減らしながら働く意味ってなんだろうと思う。見えにくくなっているけど、いつの時代だってピラミッド構造は変わっていない。気がつかないふりをしながら死んでいくんだ。<br>家に帰り、ちょっと遅い夕飯を食べる。<br>気がつくと0時を越えていた。今日も何もできなかったという形だけの懺悔をする。<br>明日こそは本を読むとか、あの資料をつくるだとか考えて寝るが恐らく朝には忘れてしまうのだろう。<br>悔しさは眠りと共に流れ落ち、また明日の朝には同じ場所からスタートするんだ。<br><br>ベットに入るといつの間に寝ていた。
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<pubDate>Fri, 04 Mar 2016 00:05:36 +0900</pubDate>
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<title>送る言葉 1</title>
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<![CDATA[ 写真で飯を食いたいなら、少しでも早く仕事に関わるべきだ。<br><br>どんなに理不尽でも忍耐が大事な時がある。<br><br>業界から一度離れるとなかなか戻れなくなる。<br><br>表現の道は暗闇だ。<br><br>まずは自分の食いぶちを稼げるようになってからがスタートライン。<br><br>暗闇の先に何もないかもしれない。それを恐れるなら最初から進まない方が良い。<br><br>写真は撮ったらすぐプリントして渡すべきだ。熱が冷めないうちに。<br><br>写真は撮っているんじゃなくて撮らせて頂いているんだ。<br><br>積極的にプリントは見せなさい。<br><br>失敗だとか、作成途中だとか言い訳はいらない。<br>
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<pubDate>Thu, 03 Mar 2016 23:06:14 +0900</pubDate>
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<title>送る言葉</title>
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<![CDATA[ これから目指す人へ。<br><br>そして改めて自分へ。<br>これらのことを実行できる強い人間でありたかった。そして、そうなれるようになりたい。僕には今更届かないことも多いけど。<br><br>全部が正解かわからない。<br>間違いだらけかもしれない。<br><br>ただ、まだ間に合う君が少しでも何かを感じてくれたら。
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12135345471.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Mar 2016 23:00:40 +0900</pubDate>
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<title>黄金時代 6</title>
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<![CDATA[ 僕の時、クラスは全部で10あった。<br>1クラス20人くらいだと考えると200人入学した計算になる。その半数位は女性だった。一昔前は男性が主を占めていたという話だったので、ガーリーフォトの役割は大きかったのだろう。<br><br>暗室やスタジオ、機材を借りるのは凄く困難だった。当時は台帳で一人一人手作業でチェックするとても時間のかかるやり方の上、予約時間も限られていた。授業が始まると予約は受け付けてもらえず、暗室の予約だけで連日早朝から学校裏に長蛇が形成されていた。そんなに近いわけでもなかった僕は始発電車で並んだことも多々あった。<br>試験間近になると並びは更に激しくなり、始発で並んでも授業開始時間になってしまい、予約ができなかった事もある。そういった時はやむを得ず貸し暗室に行ったりもした。<br><br>どの世界でも同じだが、こんな感じで試験間近に先頭の方で並んでいる人間は普段見かけない者が多い。彼らは気づかない。普段きちんとやっている人間の足を知らず知らず引っ張っていることに。でも、真面目にやっている人間は気がつかない。以外にこういう人間が生き残っていくことに。<br><br>話は逸れたが、半年以上もこのおかしな状況が続いた。通りかかりのお婆ちゃんに「何の行列？私も並んだ方が良いかしら？」とまで言われたこともある。<br>その後、学校側も近隣から苦情を受けたらしく、コンピューターによる予約システムを導入した。確かタッチパネル操作だった気がする。それ以降嘘のように予約で並ぶことはなくなった。<br><br>まぁ、並ぶのが馬鹿馬鹿しくなって暗室を作った人も少なからずいたのではないだろうか？僕もその口だった。<br><br>学校には機材や教室のレンタルも存在した。<br>お世辞にも素晴らしい機材が揃っているとは言えないが、それでも中判や大判カメラ、ストロボ機材などが揃っていた。空いている教室はレンタルスタジオとして解放され、1部屋に最大6人まで入ることができた。<br>学校に入ってから初めて中判や大判カメラをさわった僕は、毎週のようにカメラをレンタルしていた。正直何を撮っていたのか思い出せない。物珍しそうに色んなカメラを使ったのを覚えている。<br><br>今だから思うけど、機材の知識は作家にとって必ずしも必要でない気がする。アシスタントをやったりするならカメラマンの持っている機材に対応しなければいけないので知識はあればあるほど良いと思う。ただ、1台しかカメラを持っていないと言って有名になった人を何人も知っている。余計なことを考えず、ただひたすらにシャッターを切る。それが大事なのかもしれない。まぁ、その一台しかないカメラが多分一番しっくりするものだったというだけかもしれないけど。<br><br>暗室も同じで、こだわりだすとキリがない <br>。やれあの現像液がどうだとか、あのフィルムがどうだとか選択肢が多過ぎて泥沼から抜け出せなくなってしまう。そして写真を撮るのが専門なのか、暗室作業が専門かわからなくなってしまう。先生でも生徒でもそんな人を何人も見かけた。技術論だけが先に進んでしまって肝心の写真の中身、何を撮っているのかがからっぽな感じ。僕も一時これになりかけた。確かに良いネガを作ることは大事だ。情報がなければプリントはできない。ただ、問題は目的があって初めて手段を選ぶべきなのに、手段が先にいってしまっていることだ。<br><br>写真は『選択の美術だ』と言っていた先生がいた。何を求め、何を表現するか。そのために何が必要か？カメラは何を使う？フィルム(デジタル)は何を使う？レンズは？シャッターはどのタイミングで？どの構図で？現像は？暗室は？全て選択が必要だ。そこに沢山の誘惑がある。カメラはあれが欲しい。レンズはあの描写が素晴らしい。いやいや、ネガを作るにはゾーンシステムだね。やっぱりTRI-Xの粒子はいいね。<br>惑わされてはいけない。その表現には何が必要なのかを考えたら自然に選択ができるはずなのだから。<br><br>学生の頃、僕はこれらのことにきちんと気がつくことができなかった。日々学ぶことに喜びを感じながらも、新しいことに翻弄されていた気がする。学校の課題をきちんとこなし、言われたことに少しだけプラスして写真を撮る。周りからもその出来映えを気にされる存在であったがそれ以上ではなかった。<br>何よりも自分で考え、行動し、自分のテーマときちんと向き合う時間がもっと大事だったにではないかと思う。<br>今となってはもう遅いのだけれども。
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12135338611.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Mar 2016 22:50:49 +0900</pubDate>
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<title>黄金時代 ５</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160214/00/darekaorewo/fb/c9/j/o0800044413566503877.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160214/00/darekaorewo/fb/c9/j/o0800044413566503877.jpg" width="100%"></a><br><p>今思い返せば『？』がつくような授業があった中、面白かった授業もある。</p><p>１年生の頃に受けた写真表現に関する授業で、最初は先生が与えてくれたテーマで作品をつくることから始まり、最終的には自分でテーマを設定するという内容だった。</p><p>組写真という存在も改めてそこで学んだし、自分の写真に対する向き合い方もかなり変わった。</p><p>&nbsp;</p><p>まず第一にその先生はベタを凄く重視していた。</p><p>ベタというのはコンタクトプリントとも呼ばれる物で、ネガを一枚の印画紙に並べてプリントしたものいわばインデックスプリントの等倍版みたいなものである。</p><p>ベタの中には凄くいろんな情報が存在している。撮った人間が被写体を見つけて、どのようにその被写体と向き合ったか、次の被写体にどう向き合っているか、一連の流れが確認できた。</p><p>しかもルーペを使うと意外に細かい部分まで確認できる。</p><p>先生はそのベタをライトボックスにのせ、ルーペで見ながら、どうしてもっと寄ったり引いたり、別の角度から撮影したりと色々なアプローチをしなかったのかだとか、この部分は必要ない部分じゃないかとダーマトで斜線を引いたりしながらその人の癖を見ていった。</p><p>そして失敗した撮影もしっかり残るので、何が良くなかったのか、これは良いねと話しながら、一枚一枚を丁寧に写真を見てくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>海外の写真集を見たりすると、たまにベタも一緒に載っているのを見かける。赤いダーマトで○がつけられていたり、斜線で塗りつぶされていたりするものを見ると、あの有名な一枚はこんな流れで撮影していたのかと勉強になる。そして意外に被写体一つ一つに結構な枚数を撮影しているのが確認できる。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は自分のベタを見るのが好きだった。何十枚ものベタが枕元に置いてあって、それを毎晩見ながら寝るのが好きだった。ベタを作った日は特にテンションが上がって、気がつくと3時くらいまで自分のをルーペで見ていた。</p><p>そういったことをする中、自分の悪い癖も見えてくる。気怖じしてこのときは一歩踏み出さなかったんだなとか、集中力が落ちていて被写体に真剣に向き合っていないなとか。</p><p>そして、自分の心地よい距離感なんかも非常にわかってきたりする。</p><p>そうやって夜な夜な写真を見ながら寝て次の撮影に生かせるようにした。</p><p>&nbsp;</p><p>先生はやる気のある人間は付いてくればいいし、やる気の無い人間は適当にやってれば良いというタイプだったので、自分の授業の日ではない生徒の写真も、空いている時間があれば見てくれた。</p><p>そんなに熱意のある人が何で先生をやっているんだろうと思った。こんなに時間を使っていれば自分の写真もろくに撮れないのではないかと。</p><p>ただ彼は言っていた。</p><p>「生徒の写真から刺激を受けることが沢山ある。たまに自分より上手い！と思うような写真に出会うことだってある。それに負けない様に頑張らなければと自分を奮い立たせるためにも授業が楽しい。」</p><p>大先生の言うことはごもっとも的な縦社会も一部で根強く残っているこの世界で、そんな意見を聞けるのは新鮮だった。</p><p>&nbsp;</p><p>また、授業は組写真で見せていくことを中心に進められた。</p><p>最初は一枚で見せていく物が、３枚、５枚と増えていく。写真の枚数が増えればそれだけ表現することに深みが持たせられる反面、難易度も非常に上がっていった。全部が強すぎる写真はぶつかり合ってしまうし、弱すぎる写真は存在感がなくなってしまう。心地よいリズムをつけながら選んでいかなければいけない。そして、いくら自分のお気に入りの写真でも、リズムやテーマとズレが生じるのであればはじかなければいけない。そして、迷い過ぎると出口のない迷路の様に、答えが見つからなくなる。当然、見ている人間にも何も伝わらない写真になってしまったりする。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は写真の魅力の一つが組み写真だと思う。</p><p>それは組み合わせによって無限大の可能性が広がっているように感じるからだ。</p><p>展示でも写真集でも僕はよく考える。なぜこの作家はこの次にこれをもってきたのか？なぜこの写真だけ大きいのか？なぜ横位置でそろっている物の中に縦位置を入れてきたのか？一つ一つに明確な理由が存在すべきだと。そうやって作者の意図を読み解いていくという楽しみもある。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみにその先生は、３、４年後に学校を辞めてしまった。</p><p>卒業後に学校に遊びに行くと、仲の良い先生からその話を聞いた。少し残念だったが、その後とある賞を受賞したとか、写真集を出版したとかで見かけることもあったので安心した。</p><p>多分、彼は自分の写真に少し限界を感じていたりしたのかもしれない。そんな時に専門学校の教師になることで少し羽を休め、周りからもらったエネルギーで飛び立とうと決心したのだと思う。最近、僕の耳には名前を聞かないが、きっと素晴らしい作品を作るために奮闘しているんだと思い影ながら応援をしたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12128301500.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Feb 2016 16:14:03 +0900</pubDate>
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<title>『撮る人へ』</title>
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<![CDATA[ <p>随分前に読んだ本なので、内容が思い出せない部分もあるが、</p><p>かなり印象に残った本で、『撮る人へ』という本がある。</p><p>うっすらとした記憶の中のものを紹介するのをどうかとは思ったが、</p><p>写真を始め、思い悩むようになった際、この本を読んで非常に心を動かされた思い出が未だに残っているので紹介したい。</p><p>古本で買えばかなり安く手に入るのではないだろうか。僕ももう一度読み返したいと思っている。</p><br><p>人によっては内容が過激だとか、その考え方が一方的過ぎると思うかもしれない。</p><p>ただ、写真を撮る人間からの考えではなく、写真を見せたり販売するギャラリーの人間から見た考えとして捉えるならそれは読む価値があると思う。</p><br><dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=31358284" rel="nofollow" target="_blank" alt0="BlogAffiliate">撮る人へ―写真家であるためのセルフ・マネージメント 人生と仕事のサプリ/窓社<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51fOrZ01vkL._SL160_.jpg"></a> </dt><dd style="MARGIN: 0px">￥1,728 </dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp </dd></dl><br><p>写真を始め、ある程度のレベルまで進んでいくと、自然とギャラリーで展示したいとか、出版したいとかいう思いが芽生えてくる。それはそれで非常に良いことだと思うし、チャンスがあるならどんどん実践すべきことだと思う。ただ、一つ忘れてはいけないのが、撮る人間の感覚と見る人間の感覚は違うということだ。</p><p>ましてや、お金を払ってその作品を購入したいと思わせることはまた別の視点から物事を捉える必要性がある。ギャラリーの人間は、いわば見せるプロであり、それを糧に飯を食っている。</p><p>ほとんどのギャラリーが入場料を取っていないので、作品が売れなければ収入は無いに等しい。<br>つまり、彼らは売らなければならないし、それに命をかけている。</p><p>どんなに崇高な目的があっても継続できなければ意味がないのと同じで、</p><p>写真家も写真を売らなければ意味がないと僕は思っている。</p><br><p>たまに、『アートは崇高なもの』と訴え、自分の作品が売れない事や評価されない事から逃げる人間がいる。金儲けの為ではないだとかなんとか言うが、結局そんなに崇高で素晴らしいものなら誰かしらが購入するだろう。</p><br><p>僕は美術家だろうが何だろうが、金儲けをして構わないと思っている。</p><p>それが次の作品の力になり、より良い作品を作れるのであれば大いにすべきだと。</p>
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<pubDate>Sat, 13 Feb 2016 14:39:54 +0900</pubDate>
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<title>黄金時代 4</title>
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<![CDATA[ 一年生の頃、僕は周りと少し距離を置いていた。高校を卒業したての彼らがワイワイと授業を受けていると少し苛立ちさえ感じていた。多分彼らも扱いにくい人間として距離を置いていたと思う。<br>何よりも時間が惜しく、現像やプリントをしたい写真が山ほどあった。僕は常にイライラしていた。<br>そんな中クラスメイトの紹介でＫさんと知り合うことになった。彼は在日韓国人で、日吉の学生寮に住んでいた。僕と同じで、大学を卒業した後、この専門学校に入ったらしい。<br>彼の部屋に行くと4畳半ほどのワンルームで、ちょっとした家電や家具が備え付けられていた。狭い部屋に無理やり二段ベッドがあり、その下部分は暗室になっていた。部屋はとても窮屈だった。<br><br>当時、一年生は35mmの一眼レフを使うのが当たり前の中、彼はPENTAX6×7を使っていた。大学の頃から使っているもので、初めてのカメラでもあるらしい。逆に今まで35mmを使ったことがないというのには驚いた。触ったことがある人ならわかると思うが、このPENTAX6×7という代物、結構扱いにくい。ボディは中々の重量感だし、ミラーショックが大きいせいで結構ブレやすい。僕が持っていたものは古いせいもあって、ファインダーが非常に暗く、ピントを合わすのに苦労した。<br>慣れた人ならともかく、初心者向けとは到底言えない機種だと思う。<br>彼は課題なんてくそ食らえで自分の撮りたいものを沢山撮っていた。そして近い将来、中国の奥地に行きたいと話していた。<br><br>僕らはすぐに意気投合した。<br>最初は紹介してくれたクラスメイトも一緒だったが、次第に彼の部屋で二人で話をするようになった。夜な夜な写真を見ながらあーだこーだと話をしながら過ごし、そのままテンションが上がって撮影に行くこともあった。初めて充実した日々を送った。何だか同じ目標の人間を見つけた気がした。憧れもあったと思う。学校に入ってから初めて人の写真を見て僕は感動した。<br>そんな中、いつも通り彼に学校で会うと「お袋が倒れた。家の手伝いをするため実家に帰る。」と言われた。突然の事に理解ができなかった。家族は？他に助けてくれる人は？という問いかけに良い答えはなかった。<br>一ヶ月か二ヶ月かわからない。Ｋさんと出会って別れまで一瞬だった。大事なことを沢山教わった気がする。エネルギーも凄く頂いた。僕も人に分け与えることができるぐらいの力が欲しかった。<br><br>僕らには時間がないんだ。<br>こんなに頑張っているＫさんがいる中、適当に授業を受け、適当に過ごしている人間は写真を撮ることができる。Ｋさんが果たせなかった目標へ向かうことができる。彼らに罪があるわけではないが、周りを少しだけ憎んだ。<br>突然降りかかる不幸がある。自分ではどうしようもないような。普段はそんなことが起こるか考えさえもしない。でも、いつか突然やってくる。僕はわかってしまった『人生は残酷だ』と。<br><br>その夜、僕は一人涙を流した。
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12127622186.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Feb 2016 19:31:08 +0900</pubDate>
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<title>黄金時代 3</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160206/22/darekaorewo/d1/d2/j/o0800044013560195579.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160206/22/darekaorewo/d1/d2/j/o0800044013560195579.jpg" width="523"></a><br><br>専門学校に入った僕は愕然とした。<br><br>まぁ、学校によってかなり差があるとは思うが、僕が通ったところは何だか人生の逃げ場みたいだった。<br>なんで入ったの？と聞くと『なんとなく』とか『美大に行けなかったから』だとかいう答えが多かった。<br>何より衝撃だったのが、カメラを持っていないという人が結構いたこと。<br>沢山の選択肢があるなか、なぜ写真だったのか？表現手段としての明確な理由までは求めていないがせめて『好きだから』の一言が欲しかった。<br><br>当然授業は教本に書いてあるような基本的な事から。個人的には『そんなことは家で勉強をしてくれば良いのに』『折角学校に来ているのだから本屋にある知識以外のことを勉強したい』と思っていたが、学校も商売だから仕方がない。やめない程度にだらだらやってくれる方が学費を払ってくれる。厳しくやり過ぎて辞められたらたまったもんじゃない。<br><br>当時は酷い授業をする教師も多かった。正直二流以下のカメラマンが、自分の仕事では食えないから安定した仕事をしている感じもした。冷静に考えれば、カメラマンとして第一線で活躍する人間が週に何回も授業をできる訳がない。そんなに暇じゃないし、撮影している方がよっぽど稼げる。若手育成への情熱がよほどない限り無理な話だ。<br><br>ここまで書くと専門に通う意味があるのだろうか？と疑問に思う人もいるかもしれない。正直答えは50/50だと思う。学校で何を求めるかを明確に持てば非常に有意義だとは思う。『就職へのこね作り』『個人では買うのが困難な機材を扱える』『作品を批評してくれる機会が多く得られる』『独学では学ぶことが難しい知識の習得』それと学校の蔵書次第では『貴重な写真集を見れる』なんてのもある。<br><br>ただ、注意して欲しいのが写真業界に就職した際、学校で学べることがどこまで役に立つか分からない。<br>個人的には尊敬する写真家にコンタクトをとり、写真に対するアツい気持ちをぶつけ、弟子になった方が良いと思う。所詮、学校から与えられる課題は、それにギャランティーが発生するものではなく、緊張感や責任感は無いに等しい。<br>『自分はギャラをもらうつもりでいつも撮ってます』という人間がいたら僕は鼻で笑ってしまうかもしれない。<br>お金を出して写真を買ってもらうのはそんなに甘くない。<br><br>本物の現場の密度は学校の何倍も高い。<br>それはどんな仕事でも一緒ではないだろうか。大学に入って勉強しても、実際就職すると世界はだいぶ違う。学校教育の限界なのか、それとも学校教育が世間とかけ離れすぎているのか、、、。<br><br>僕の場合は、写真関係で食っていく=学校に通うというごく平凡な考えしか思い付かなかった。医者になりたいなら医学部に行く。建築士になりたいから建築学部に行く。それが唯一の道だと思っていた。今思えば無知すぎたと思う。<br><br>でも、僕は専門学校に行って100%無駄だったとは思っていない。そこでは様々な出会いがあったし、何より周りが同じものを目指しているという環境は凄く刺激になった。時に刺激を受け、刺激を与え。<br>写真は個々の力が重要だ。自分でやることばかり。いや、自分で頑張るしかないのだ。一人で頑張っていると、時々暗闇の中を一人で歩いているような気分になる。周りに光があるだけで僕は少し頑張れる気がした。周りに大きい光があると僕も強く光を発せられた。そういう存在がいてくれた事はとても幸せだった。<br>
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12125853435.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Feb 2016 19:53:19 +0900</pubDate>
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<title>黄金時代 2</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160204/23/darekaorewo/35/91/j/o0800044413558601428.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160204/23/darekaorewo/35/91/j/o0800044413558601428.jpg" width="523"></a><br>深く知りたいと思うようになった僕は手探りながら色んな本や写真雑誌を読んだ。<br><br>わからない事があると時々親父に聞いたりもした。小さい頃にレゴを一緒にやったときぶりかもしれない。写真の教本みたいなのを広げて質問すると丁寧に説明してくれた。シャッタースピードと絞りの関係。絞りとボケの関係。広角と望遠レンズの違い等々。<br><br>写真雑誌を見ては、露出がいくつでー、カメラは何を使ってー、フィルムは何を使ってーというのばかり気にしていたような気もする。何だかカッコいいと思う写真を見ると、大抵ハッセルだったりローライだったり、コンタックスだったりして、カメラを変えればきっと素晴らしい写真が撮れるんじゃないかとさえ思ってしまう程だった。<br><br>サイトに写真をのせている人達に質問したりしているうちに一緒に撮影に行ったこともある。写真初心者のくせに意気込んで、velbonの３段式の三脚を持って撮影会に参加したときは使い方はままならないし、やたら邪魔くさいしで結局何を撮ったかさえ覚えていない。<br><br>そんなこんなで熱中する中、気がつけば大学4年生。就職活動もろくにしないでいたけどそれは正直専門学校に通いたかったからでもあった。でも、大学にも通わせてくれたのに今更専門学校に行きたい何て躊躇して言えなかった。<br><br>ある時、バイト仲間のN君にその話をすると、親に頭を下げて頼んでみるべきだとあっさり言われた。それだけ熱中するものがあるならチャレンジしても良いんじゃないかと。彼も映画監督をしたいと言っていた人間であったし、それに向かって着実に動いていた。<br><br>何か引っ掛かっていたものがとれた気がした。確かに今までの人生の中、ここまで熱中したものがあっただろうか？ここで何かを堪えて諦めたら後悔しか残らないんじゃないか？<br>意を決めた僕は親父に相談をした。すると待っていたと言わんばかりに一言。「そろそろ言われると思った。」親って凄い。<br><br>親父曰く、カメラを買い与えた自分にも責任があると。それに心のどこかで写真を通して沢山コミュニケーションをとれたことが嬉しかったんだとも思う。正直、思春期辺りからそんなに関係がうまく言っていたわけではなかった。<br><br>そんなあっさり専門学校に行けたなんて世の中なめてると思う人もいるだろう。実際、学校に行きたくても行けない人間も沢山いるし、働きながら夜間で通う人も多い。だから否定はしない。確かに甘いとは思う。でも、チャンスがあったからチャレンジするのは当然だと思う。あっさり入れてしまうことで勘違いすることも多く、苦労した人間の方が得てして生き残っていることも確か。<br><br>ここでダメだと言われ、自分で金を貯めてから行った方が良かったかもしれない。正解は分からないが、僕は幸運だと思う事にして専門学校への願書を提出した。<br>
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12125154341.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Feb 2016 20:59:14 +0900</pubDate>
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<title>黄金時代 1</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160203/10/darekaorewo/63/40/j/o0800044013557107898.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160203/10/darekaorewo/63/40/j/o0800044013557107898.jpg" width="523"></a><br>僕の写真との出会いはかなり遅い。<br><br>有名作家さんや、趣味でもベテランの方々は、親がカメラマンで物心ついたとき～とか、小学校の頃～とか結構早い頃から触れていたりするのだが、僕の場合は大学生の頃だ。<br>むしろそれまでは写真が嫌いだった位だ。写真に写るのもあまり好きじゃなかったし、撮るのもどんなタイミングでどう声をかけて撮っていいかさえわからなかった。<br>そして当時僕は写真作家という存在さえ知らなかった。今でもそこまで有名な存在とは言いがたいが、当時は尚更わかりにくい存在だったと思う。<br>写真はどちらかというと鉄道やアイドルを撮るためのもので、オタク感の強いものとさえ思っていた。思春期の男子にとってこのオタク感はあまりプラスにか感じ取れなかった。(だからって否定するわけではない。オタクだろうとなんだろうと、熱中できる何かがあるのは素晴らしい!)<br><br>ともあれ、写真に対してはマイナスイメージだった。<br>そんな中、大学生以前から興味を持ってちょいちょい作っていたホームページのデザインにのめり込み、色んなサイトを巡るなか、カッコいいサイトにはやはりカッコいい写真が必要なんだと思うようになった。それもまぁ素材としての意味合いが非常に強いのだけれども。<br><br>当時LOMOというトイカメラが一部で流行り出した頃でデザインサイトの一部でもそれで撮った写真を使っているものが見られた。プラスチックレンズで周辺光量が落ち、色再現も乏しい。おまけに目測なので思うようなピントが来ないので予想外の写真が撮れた。ガーリーフォトブームにも重なって、お洒落に敏感な人達の一部にも火をつけたと思う。<br>僕もこのカメラが欲しく、必死にバイトした。性能も良くないくせに2万以上もしたことは覚えている。<br><br>ようやくLOMOを手にいれた僕は当時サイトに載っていた写真を真似ながら手探りでシャッターを押した。ま、当然そんなカッコいいものが簡単に撮れるわけでもなく、試行錯誤している中、丁度実家に帰った僕に親父がカメラにケチをつけてきた。<br>親父はカメラ関係の設計をしてた人間で、ちょっとカメラにはうるさかったみたいだ。それまで全然親父の仕事も知らなかったし、何よりそんな仕事をしてるくせに家にはろくなカメラがなかった。<br>そんな親父の口からでたのはオモチャみたいなカメラはダメだと。やるなら一眼レフにしなさいと。トイカメラと言うぐらいだからオモチャと言われてもしょうがないんだけれども。<br>で、何を血迷ったか突然カメラを買ってきたのだ。シルバーのNikonNewFM2というフルマニュアルカメラ、レンズは適当なズームレンズ。これを手渡され、写真は一眼レフだとか何とか言われた。絞りだとかシャッタースピードだとかさっぱり分からない僕にいきなり。自分もそんなに撮影したことないくせに。<br>当然のごとくそんなカメラを僕はあまり触らなかった。何より見た目がゴツくて嫌だった。銀色に光るボディは当時僕が好きではなかったオタク感を漂わせていた。<br><br>LOMOを片手にたまに一眼レフ。<br>まぁ、当然マニュアルカメラなのでさぱり分からない。ファインダーを覗いて半押しをすれば赤い◎が光ったり、+や-が光ったりするからそれに合わせれば良いと言われるがなんのこっちゃ原理が分からない。仕方なく初心者向けの本を読む。乗っている写真が全然面白くない。でもしょうがない、、、の繰り返し。親父に聞きながらもようやく原理も理解してきた。<br><br>その頃辺りから少しずつ気づいていた。<br>写真の勉強をする中、素材として写真を見ていたのだが、色々な人達が自分の周りのものを自由に撮っている。僕の知っている写真のイメージとはかけ離れたものを。ガーリーフォトなんて言って、当時HIROMIXとか出たてで、自分の周りを軽やかなリズムで撮影することが流行っていた。<br><br>そしてふと気がついた。<br>自由なんだと。<br>被写体に縛られることなく、自分の好きなものを感じたままに撮っていく。いわゆる空気感を撮ること。それもありなんだと。<br>そう思った瞬間世界が広がった気がした。<br><br>そして、もっと知りたい！もっと撮りたい！という気持ちが強くなった。
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<link>https://ameblo.jp/darekaorewo/entry-12124511841.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Feb 2016 09:24:01 +0900</pubDate>
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