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<title>裏表アリ</title>
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<description>匿名でしか書けないこと書こうかな</description>
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<title>猫の神様</title>
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<![CDATA[ <p>気が付くと僕はふわふわと雲の上を歩いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>白い服を着た老猫がはるか向こうに立っていて，手招きをしている。</p><p>&nbsp;</p><p>目の前まで行くと，白い服を着た猫が言う。</p><p>&nbsp;</p><p>「お若い方，ご苦労をされたんですね。猫の世界には天国しかありません。どうぞお逝きなさい。」</p><p>「ありがとう。僕は死んでしまったんですね」</p><p>「ええ。私は猫の神様。私はあなたのことをずっと見守っていました。生まれてからずっと野良で，ずっとおなかをすかせていましたね。天国は次の生まれ変わりまでのしばしのときをゆっくり過ごすところ，休んでいきなさい。」</p><p>&nbsp;</p><p>天国は思ったよりもずっと天国だった。</p><p>おいしいものがいつでも食べられるし，こたつ完備で，たまにネズミ追いのイベントがあってだらだらと日々が過ぎていった。</p><p>&nbsp;</p><p>天国にはたくさんの猫たちがいて，それぞれが生きていたころの思い出を語り合った。でも，不思議なことに，人間に飼われていた猫にはあまり出会わなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>天国での生活に慣れ，いつまでもこんな生活が続くと思っていたころ，ふとなにかの拍子に虚しさを感じることが増えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなとき，僕は，自分がまさに死にそうになっていたとき，手を差し伸べてくれた人間を思い出した。動けなくなった僕に餌と水をくれ，ブランケットをかけてくれた。年のころ20代後半といったところだろうか，僕と同じくらいやせこけた男だった。</p><p>&nbsp;</p><p>その人間は</p><p>「済まないな。うちはチンタイだから，家には上げてやれないんだ。」</p><p>と言って，本当に済まなそうな顔をした。</p><p>&nbsp;</p><p>その日の夜も，次の朝も，その人間は僕を見に来た。</p><p>僕は結局そのままそこから動くことなくこっちに来てしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>あの人間みたいなのになら，飼われてもいいな，と思った。</p><p>&nbsp;</p><p>あくる日，僕の目の前に，猫の神様が現れた。</p><p>「人間のことを思い出しましたね。そろそろ生まれ変わる時期です。もちろん，次も猫に生まれ変われるかどうかはわかりません。もし人間になったら，猫やほかの動物に優しくしてくださいね。といっても，今の記憶はなくなってしまいますけどね。」</p><p>&nbsp;</p><p>僕は神様に言った。</p><p>「そろそろ天国に飽き始めていたからちょうどよかったです。そういえば，僕が死ぬ前に手を差し伸べてくれた人間に，なにかお礼をすることはできますか？」</p><p>&nbsp;</p><p>神様は少し考えて，</p><p>「わかりました。あの青年に，ほんのちょっぴり幸せが訪れるようにしておきますよ。」</p><p>といった。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は，天国での生活をその日一日満喫した。</p><p>眠りにつくと，夢に例の人間が現れた。夢の中で彼は，２匹の猫と田舎の大きな家で暮らしていた。田舎の家には縁側があって，猫たちはそこで日向ぼっこをしている。そんな情景に満足しながら，また僕は深い眠りについた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 13 Sep 2022 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>主流ｖｓアンチ主流</title>
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<![CDATA[ <p>長いものに巻かれる人生は楽だ。</p><p>&nbsp;</p><p>子どものころから周りとは違うことを強制されて生きてきた私という人間が，今どうなっているのか，というN=1の極めてまれな考察をしてみたい。</p><p>&nbsp;</p><p>少なくとも子供は，周りを観察して，それをまねて育つことを考えると，周囲と同調しやすい生き物なのだろうと思う。周りが持っているものを欲しがり，周りがやっていることをやりたがる。</p><p>&nbsp;</p><p>生まれながらに新興宗教二世だった私は，幼稚園・保育園にいかなかったので，周りには新興宗教二世ばかりだった。つまり，新興宗教の二世として生きることが周囲と同じ生き方だった。小学校に入って，否が応でも自分が周りと違うことを認識させられる。はじめはちょっとしたこと，宗教色のある行事に参加できなかったり，校歌や国家が歌えないといった些細なことだが，だんだんと休日に集会に参加したり布教活動に参加したりしているから遊べないといった，少し困ったことも出てくる。しかも，低俗なTV番組（バラエティ番組全般）や戦いが出てくるゲームや遊びも禁止されていた（これは，親の考えもあったみたいで，二世同志の集まりがスト２大会になったこともあるから，何とも言えない）から，学校の友達と話が合わないこともよくあった。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして私は，大多数の人がやることのいくつかをできずに過ごしてきたが，大学時代に新興宗教を脱退し，それからは一般人に混じって生きてきた。脱退したとき，また幼児のように，周りを観察してそれをまねた。12月にはクリスマスを祝い，正月には神社に行き，讃美歌の代わりに流行りの歌を覚えて歌い，夜通しお酒を飲み歩き，不道徳なエロビデオを友達界隈で回し見したりした。そうして私が感じたのは，社会はマジョリティに向けてサービスを提供するし，マジョリティに混じった方が様々なコストが安い，ということだった。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして，普通のサラリーマンとして，普通に家族をもって，普通に暮らしている。嫁や子供たちは，私の前半生を知る由もない。私は，代々浄土真宗の家に生まれて，ずっと周りと同じく生きてきたと思っているだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>長いものに巻かれるのは楽だ。でも，楽になるために巻かれているだけだから，長いものを常に取り入れ続けるのはそれも違うと思う。なにか大きな選択で迷ったら，どっちが長いものかを選ぶだけでいいのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>全然話は変わるけれど，私はiPhoneと3大キャリアを使う気はない。日本では結構なシェアをとっているけれど，自己選択の範囲が狭いのが嫌だから，Android＋MVNO（＋楽天モバ）という選択についてだけは，長いものに巻かれる気はない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12763783363.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Sep 2022 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>老後を楽しみにしない人生を</title>
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<![CDATA[ <p>パートナーとよく使っていたけどやめようと決めた言葉がある。「仕事辞めたら〇〇」「子育てが終わったら〇〇」。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日本当に忙しい。朝6時に家を出て，23時に家に帰る。土日は，夫婦で家事と買い物とその他のやるべきことに朝から晩まで追われている。特に子育て期間は忙しいし，行きたいところ，やりたいことなどいろんな我慢の連続だったりする。そのため，ついつい「こんなところ行きたいなー。子育てが終わったら」「休みが二週間くらい取れたら・・・，仕事辞めたら」とか言ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>でも，定年はどんどん伸びていく。私が入社した時点では60歳だったけど，それなりに多くの人は55歳くらいで早期退職していたが，今は定年は65歳までになったし，早期退職制度は60歳以上になった。しかも，下の子が大学卒業するのは自分が56歳のときだ。今は，体はどこも悪くないけれど，体力が落ちていくのは感じている。いつまで今みたいな暮らしができるかわからない中，あまり老後に詰め込みすぎるわけにはいかないのではないかと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>あるラジオ番組で，老後に向けていろいろなやりたいことを考えていたけれど，結局老後になると，新しいことを始めるのはおっくうだし，出かけるのも面倒になる，さらに足腰が衰えると，日々の生活すらもままならなくなるという。そう，だから行きたいところ，やりたいことがあるなら，どんどんやっていかなければいけないのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>年を取るにつれて，時が過ぎるのが早くなると感じることはないだろうか。これは，19世紀に心理学を研究したジャネーという研究者の名前から，ジャネーの法則と呼ばれている。5歳児にとっての1年間は人生の1/5であり，50歳の人にとっての10年に相当し，50歳の人にとっての10日間は，5歳児にとっての1日に相当する，ということになる。子供のころは，1日がとても長かった。朝からいろんなことをして遊んでもまだ時間があった。そのころにもっといろんな体験をしておけばよかったと思ってももうその時代に戻ることはできない。</p><p>&nbsp;</p><p>でも，このジャネーの法則にはこんな意見もある。年を取ってくると世の中への理解が進んで，新しい刺激が減るから，その分時間が短く感じられるので，常に新しいことに取り組んでいると，時間はそれほど短く感じない，というものだ。個人的にはあまりこの意見には賛同できない（新しいことに取り組んでも，時間が早く進むように感じているから）が，停滞したらそれこそ，あっという間に老け込んでしまいそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そう，毎日新しいことを始めようと思う。興味を持ったら試してみる。行きたいところには，できるだけ早くいく計画を立ててみる。単なる所有欲ではなくて，知識や体験という価値にお金を使うのだ。どんなにいろいろやっても，人生でやりつくしたなんてことは起こらないくらいこの世は楽しいことにあふれている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12762502921.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Sep 2022 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>みんな自意識過剰</title>
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<![CDATA[ <p>みんな暇なのだろうか。人の生活に口を出す余裕があるほど自分の生活に余裕がないから，自分は他人の暮らしにあまり興味がない。</p><p>&nbsp;</p><p>世間では，芸能人の不倫とか，政治家の醜聞を取り上げて，あーでもないこーでもないと話し合う番組が相変わらず視聴者を集めている。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみにわが国では，不倫は犯罪ではない。不貞行為は民事的な不法行為ではあっても，刑法犯罪ではない。我が国は民主主義的な法治国家なのだから，日本国民は不倫は，当事者間では問題のある行為だが，犯罪として裁くべきではない，と考えているわけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも，夫婦の形は外から見ていては理解できない。家の外に出れば仲睦まじく見えたとしても，しょせんは赤の他人同士なわけで，大なり小なりの問題はあるだろう。そして，それを解決する手段の一つとして，婚外に安らぎを求める可能性があることも，場合によっては，婚姻は継続しつつも，パートナーの精神的自由を認める関係だって，あっても驚きはしない。どこまで行っても，当事者間の関係の問題であって，他人がとやかく言えることではない。サレタガワのパートナーが可哀想かどうかなんて，親友ならいざ知らず，赤の他人は推し量ることができないからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも，芸能人や政治家が道徳的に聖人でなければならないのだろうか。芸能人や政治家というのは，会社の事務員や工場の作業員やコンビニの店員と同じ，職業に過ぎないとは思わないのだろうか。きちんと芸能の仕事（演劇や歌謡など）や政治（国民の代表として国をよくするための立法を議論し決定する仕事をしている限り，本来何ら非難されるべきではない。私生活で性に奔放であろうと，パートナーと不仲であろうと，ヘンな宗教にはまっていようと，サラリーマンが仕事をきちんとしている限り，それ以外の事にはあまり会社が介入するべきでないのと同じだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも女性アイドルが処女であること（まして，女子アナなんかは，普通の会社勤めである）を求めるなんて，普通の感覚からしておかしいし，この時代に言葉に出すことすら気持ち悪い思想だ。例えばサラリーマンである俺が童貞かどうかなんて，会社が介入してきたら気持ち悪いうえに当然コンプライアンス違反だし，取引先からそれを理由に取引しないとか言われたら，アタマおかしいと思わないか？</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに，もちろん私自身は芸能人ではないわけで，自分の事なんて誰も興味がない，と考えるととても楽になった。特にファッション面では，できるだけ個性のないファストファッションか，自らの役割を表すサラリーマン然とした服装をしていればよく，街に溶け込むことこそが重要なポイントだ。カルト宗教などにはまらず，誠実で堅実なサラリーマンとして，大多数と同じ選択をし，大多数に混じるように生きていくと，人生はすいすいと動いていく。</p><p>&nbsp;</p><p>自分に興味を持ってくれるのは，家族とか親友とか数人いればいいよ。それを大事にしながら，他人には興味を持たず，今日も生きていこう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12762488434.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Sep 2022 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>教育と自由</title>
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<![CDATA[ <p>親が子供にしてあげられる最大のことは何だろうか。私は教育だと考えている。</p><p>&nbsp;</p><p>正確に言うと，教育の機会を与えてあげることだと考えている。前にもブログで書いたけれど，うちの親は両親そろってカルト宗教を信奉していた。その宗教では，もうすぐ終末が訪れるから，今は世俗の教育や仕事などにうつつを抜かさず，宗教活動をして，週末を生き残る努力をすることに主眼が置かれていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私は，親に言われるがまま，カルト宗教に没頭し，小学6年生で神に献身し正式な信者となった。いわゆる模範的な信者だったと思う。しかし同時に，うちの親は何を思ったか，私を小5から塾に入れ，私立の中学校に受験させた。西日本の片田舎でのことだ。当然宗教の集まりの中でも，かなり不思議がられた。とはいえ，私はそれを補って余りある程度に模範的に活動し，宗教内部でもそれなりの役割を得ていた。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん，学業と宗教活動との両立は大変で，高校受験時も，大学受験時もそれはそれは大変だった記憶がある。でも，親が周りの反対を押し切ってまで，またどちらかというと貧しい暮らしの中で学費を出してくれていることは理解していた。おかげで無事に国公立大学に進学することができた。実は，あまりにも貧乏だったおかげで，大学時代には国から経済的困窮者向けの学費援助が出ていたくらいだ。</p><p>&nbsp;</p><p>学費援助を得るためには，単位数を単位評価（優・良・可）で割った成績が一定以上でなくてはならず，理系の必修は意外とギリギリになるおそれもあったことから，大学時代は，バイトの傍ら，とにかくいろいろな授業を取りまくっていた。その中にはおおよそ専攻とは関係のない哲学・宗教学とか法学，教育学などがあり，当時の私は夢中になってそれらを吸収していった。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん，現在の仕事に役立っているコンピューターの知識や，理数系の知識もあるけれど，それ以上に社会の仕組みや自分が没頭していたカルト宗教についてもメタ認知を得ることができ，その結果としてカルト宗教から無事に脱出することができたのだった。さらに，無事にブラックながらも一般企業に就職し，経済的にも親からの自立をすることもできた。</p><p>&nbsp;</p><p>この話には後日談がある。実はカルト宗教に没頭していたかに見えた父親は途中からかなり冷めていたそうだ。そして，教団内の若者が学も手に職も得ずに苦労している実態を見て，わが子には最低限独り立ちできるだけの教育を施したいと思っていたのだという。しかも父親は学歴こそないものの好奇心が人一倍強く，私を学者にしたいと思っていたそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>自分も子供を授かり，子供たちにはいろいろな体験をさせたいと思ってきた。が，このコロナ禍だ。自分の原体験として何を経験してきたかが，その人の人生を大きく左右する。イノベーションを起こすためには，社会課題をどれだけ自分の問題としてとらえられるか，の深さがものをいう。そこは，どれだけ頭で考えても体験とは雲泥の差である。であれば，そうした体験を重視してくれる環境を用意してあげたい。</p><p>&nbsp;</p><p>実は，自分が私立の進学校に通ったし，いくつかの進学校を見学した中でいうと，一般的なイメージとは異なり，進学校は勉強一辺倒ということは少ない。もちろん，勉強量は多いが，それと同じくらい体験型の授業を大事にしている。理科の実験，フィールドワーク，情操教育としての文化や自然学習などだ。学習指導要領の範囲外での時間の使い方ができたり，それをすることによって将来の進学実績＝学校の評判につながることがわかっているからなのだろう。そういえば，中学時代に私立中学校の先生がこんなたとえをしていた。私立中学校は高速道路のようなものだ。目的地の近くまで，一番早い道のりを提供することはできる。だけど，運転という努力をしなければ目的地には着けないし，高速道路でも事故は起こるし渋滞も起こる。高速道路をゆっくり走る人もいる。高速道路だけではいけない場所もある。だけど，高速を使わなくても目的地には着ける。私立中学校でも，公立の中学校でも，なりたいものになれる可能性はすべての子供たちが持っていると，教員である自分は信じている。</p><p>&nbsp;</p><p>サラリーマンの給料では，私立に行かせるのは正直辛い。しかし，私が手にしたような自由を，子供たちも手に入れてほしいから，子供たちの教育の機会を提供していきたい。</p>
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<pubDate>Mon, 22 Aug 2022 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>食のタブー</title>
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<![CDATA[ <p>子供には、なんでも好き嫌いなく食べなさい、といつも言ってる気がする。</p><p><br></p><p>私自身は好き嫌いがほとんどないのだけれど、特に好きなものがある。生肉だ。</p><p>ユッケとか、肉寿司とか、馬刺しとか、我が国には生肉文化があふれている。とりわけ今は禁止になってしまったが、生レバーは最高だ。</p><p><br></p><p>でも、昔はレバーとかは我が家ではタブーだった。ちょいちょい出てくるカルト教団の教えで、血を食べることが禁じられていたからだ。ほかにも、サラミとかクジラとかも禁止だった。</p><p><br></p><p>でも、そういう食べ物へのあこがれと好奇心は果てしなく、脱会後はとにかくいろんなものを食べた。もちろん今はサラミも鯨肉も好物だ。</p><p><br></p><p>そもそも、食べられるものを食べないのは食物に対する冒涜だと思う。素材をできるだけ美味しく調理すること、旬とか鮮度とか、できるだけ良い状態で食べることこそ、神への感謝をあらわす行為だと考えている。</p><p><br></p><p>今日も、様々な命を、感謝しながらいただく。</p>
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<pubDate>Tue, 02 Aug 2022 22:30:07 +0900</pubDate>
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<title>忙しい</title>
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<![CDATA[ <p>忙しいは心が亡いと書く。だから，どんなに忙しくても，忙しいとは考えない，相手にも言わない方がいい，と前職で教えられたものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>人生で最初についた仕事というのは，とても自分の人生に大きな影響を与えることがある。上場はしているけど某ブラック企業に就職した私は，自分の心よりも先に体が壊れてくれたおかげで，今のホワイトな会社に転職をしてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>前職のブラックエピソードには事欠かない。今から20年近く前のことなので，最近では世間並みになっているらしい。始業時間は8:30だったが，当時は新入社員は7:30にくること，8:00から全従業員参加で掃除をすることになっていた。こんなの序の口で，何時間残業をしても20時間分までしか残業代が出なかった。それもあって，夜21時，22時は当たり前，繁忙期には日付が変わることもしばしばだった。それでも，当事社員寮にいた私は家のベッドで寝られたが，遠くから通っている人は寝袋生活をしていた。そんな感じで，土日も当然のように出社していた。土日は，朝ゆっくりできる日，くらいの認識だった。水曜だったか金曜だったかは定時退社推奨日だったが，一般職の女性を除き，誰一人帰るものなどいない。ちなみに，有給休暇は退職するまでの2年半で1度も使ったことがなく，退職前も結局1日も使わせてくれず，辞表を出したら，月の途中で退職扱いになって，即退寮させられた。</p><p>&nbsp;</p><p>次に務めることになった会社は私が入った当時は超がつくホワイトな会社だった。</p><p>まず，カルチャーショックだったのは，労働組合があること。そして，定時退社や労働可能時間（朝6:00～21:00）が決まっていて，それを変更するためには組合との折衝がいること，有給の取得も推奨されていることなどだ。また，当然残業時間はやや適当だけど一応タイムカード管理されている。</p><p>&nbsp;</p><p>でも，結局仕事は仕事だから，どこかできちんと帳尻を合わせてやらなくてはいけない。ホワイトに働いていては，回っていかない程度には仕事はあるし，自分のやるべきことを終わらせなければいけないという程度の責任感はある。そうなると，ホワイトな職場の方がイレギュラーな仕事はしにくい。いわゆる，最近ハヤりの「時短ハラ」というやつだ。アウトプットが変わらないのに，時間を減らされると，その分の仕事は闇に潜って終わらせなければいけないからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>特に，最下層の管理職になると，部下には早く帰らせ，上には今まで以上の業務をしているという報告をしなければならないが，これはつらい。このブログも，家で仕事をする傍らで書いているというわけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>6:00に家を出て，7:30前に仕事を始めて，21:30まで仕事をして，帰るともう23:00近く。それから夕食を食べて寝て，5:30に起きる・・・。これを心が亡い暮らしと言わずして何なのだろうか。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12756316537.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Aug 2022 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>恋愛とか</title>
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<![CDATA[ <p>未だに異性と話すときにはどことなく緊張してしまう。特に相手が同年代以下だととても構えてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>それで何度失敗してきただろうか。今までに付き合ってきた顔が思い浮かぶと，自分は誠実だったのだろうか，と申し訳なくなる。貴重な人生の時間，しかも，その中でも飛び切り貴重な青春の時間を使って自分と付き合ってくれていたのだから，それなりによい体験や，記憶を残すことができたのなら悔いはない。</p><p>&nbsp;</p><p>実家にいたころは，プライバシーがなくて，携帯電話を片手にバッテリーが切れるまで近所を散歩しながら話をしたものだ。そういえば，当時は手紙なども書いていた。頼むから，相手の方には永久に闇へ葬っておいてほしいものだ。自分が何らかの形で有名になったらその手の物は突然メディアの格好のネタになるのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>話を戻すが，結婚して本当にホッとした。もう，誰かと恋愛をしなくてもいいのだ。パートナーさえ大事にすれば，よほどのことがない限りそう簡単には一人になることもないだろう，と思ったからだ。結婚をしたのは20代最後の年だった。最近ではアラフォーになっても若々しい容姿を保った人はいるが，自分は間違いなくそっち側の人間ではない。むしろ，年を取るにつれてキモがられるようになることは自覚していた。</p><p>&nbsp;</p><p>結婚生活は今年で13年を過ぎた。幸い，小さな言い争いはあるが，大きなトラブルはない。その一方で，異性の友人はほぼいなくなった。パートナーは特に嫉妬深い人というわけでもないし，自分も束縛されていると感じることはない。まさか，結婚相手のキープとして友人関係をしていたわけではないだろうが，自然と疎遠になっていくものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも，子育てが忙しい時期は，特に何も感じなかった。でも，子育てに手がかからなくなってきて，人生も折り返してくると，恋愛に関して，これでよかったという思いが9割，残り1割くらい，やり残した感がないわけではない。もちろん，今から若い子を口説く気力は全くないし，同年代との関係はリスクしかない。そんな折，首都圏在住の同級生で集まる機会があって昔話に花が咲いたついでに，その当時の淡い思いもよみがえってきて，そのあと何日かモヤモヤした。当然当時好きだった子の連絡先なんてもう知るわけもなく，どうこうできるわけでもないのだけど。</p><p>&nbsp;</p><p>意外と，家庭や人生を壊さないリアルな恋愛体験は，このくらいの年代にこそ価値があるのかも，と感じたりする。個人的な価値は高いけど，社会的に受容されることはなさそうなので，ビジネス化するのは難しそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12756304857.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Jul 2022 21:00:00 +0900</pubDate>
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<title>一神教考</title>
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<![CDATA[ <p>日本で生まれ育ったほとんどの人にとって，神様というのは日常のいろんなところにいる，という認識なのではないだろうか。トイレの神様，学問の神様，果ては神プレイまで，日本人の日常には神様がいたるところに隠れている。</p><p>&nbsp;</p><p>古代のエジプトやメソポタミア，ギリシャ神話の神様や，ヒンドゥー教や古代のバラモン教，古事記の神話の世界を見ても，圧倒的に多神教が多い。神話の中の神様は比較的生き生きとした感情をもち，人間社会と時には強調し，時には天罰を下したり祟ったりしする存在だ。</p><p>&nbsp;</p><p>一方，中世以降，一神教が極端に力をつけてきた。キリスト教とイスラム教＋ユダヤ教である。いずれも同じ一人の神を信仰しながら，世界中に多大なる影響力を及ぼしてきた。ここでの神は唯一絶対であるから，人間くささを感じさせることはない。唯一絶対であるゆえに，間違いを犯すことはないし，そもそも神が間違うという概念自体存在しない。人間社会で起こることに対して，宗教的な理屈をつけて考えていくと，一神教の神は，理論的にずるいのだ。「神が●●といった」で話は終わってしまう。通常の批判的思考（クリティカルシンキング）でいうところの，なぜ？だから何？という問いかけがそこでストップしてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>物心ついたときからキリスト教系のカルト教団で育った私には信教の自由はなかった。唯一絶対神の存在に怯え，私は宗教組織の中で模範的であることを常に求められたし，それなりに期待に応えていた。ただ，知的好奇心が人一倍強かった私は，カルト教団の教義，いやそもそも神の存在についても基本的にはずっと懐疑的だった。ちなみに，仏教的な思想が好きなのは，あまりそういう神秘的な思想が出てこないこと，神道的なアミニズムが好きなのは，そもそも生活を規定してこないし，神格化された存在を証明する必要もないことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>私は，結局理系の大学に進学した。カルト教団への表向きは，「神が創り給うたこの世界や宇宙の理をより理解するため」であったが，神がいるかどうかなどどうでもよく，美しい数学と理論的な学問の中でとても楽しい4年間を過ごしたのだった。もちろん，大学時代にはいわゆるリベラルアーツもよく学んだ。インド哲学，日本と世界の歴史，法律，文化，教育などについてだ。学べば学ぶほど，日本に住んでいる多くの人が，一見無神論のようでいて，その実は非常に信心深いことが実感として分かった。研究室には実験の成功を祈る神棚があったりするし，心霊スポットやパワースポットに喜んで出かけていく。ちなみに，心霊現象を起こす怨霊も日本人にとっては神と似た種類の現象として受け止められている。</p><p>&nbsp;</p><p>私は，こうした習俗を好ましいものと思ったし，日本の風土に合った精神世界だと受け止めた。結果的に，カルト教団を脱会し，一見無神論的な周囲に交じって生きていくことを選択したのだった。今となっては，むしろ良く神社に参る方だと思うし，古寺を訪れるのがとても好きだ。私が神様の存在を信じているかどうかなんて，そんなのはどうでもよいことだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12755255485.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Jul 2022 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>天職と巡り合う</title>
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<![CDATA[ <p>今の仕事を始めて早いもので20年近くになる。</p><p>&nbsp;</p><p>私の仕事は忙しい。そして，起こる事件は大体解決できずに塩漬けになっていく。でも，仕事について，自分なりのこだわりを持っている。それは，次も自分に依頼したいと思ってくれるかどうか，今風に言うとCX（カスタマーエクスペリエンス）を大事にしたいということだ。</p><p>&nbsp;</p><p>前にも書いたけれど，仕事でお金をもらっている以上，それが誰かの喜びにつながらなければそこに価値はない。そもそも私は理系大学出身なのに法律関連の部門にいるという異色の経歴だ。でも最近感じるのは，法律や契約書は人間社会のプログラムみたいなものだ。起こりうることを想定して，原則と例外処理を記載していく。どこまで想定外を織り込むかは，そのプログラムを作る思想のようなものだ。ただ，このプログラム，簡単にはデバッグできないし，バグが起こったときには取り返しがつかないことが結構ある。一方，ガバガバな契約書でも何も起こらないこともざらにある。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事を進める中で，中途半端な知識で，自領域に注文を付けてくる人と仕事をするのはやりにくい。もちろん，見落としなどもあるから，建設的な意見をいただくのは歓迎すべきことなのだが，説明しても妙なところに固執する人がいる。逆に私は，研究開発部門や生産現場に対して，中途半端な知識で意見しようとは思わないし，疑問に思ったときにはその課題がきちんと見えるまで質問をすることにしている。それが相手への気づきにつながるのであれば，それは仕事として成功だ。餅は餅屋の言葉通り，それぞれの領域をきちんと全うすることこそがプロの仕事だし，それを信頼できないとよいチームは生まれない。</p><p>&nbsp;</p><p>それから，いい大人なのに，人にいろいろなことを決めてもらおうと思っている人と仕事をするのも嫌だ。判断は責任が伴うし孤独なものだ。ただ，判断ができるようになるために，いろいろな知識を広げていく必要があるし，専門家のチームに助けてもらうことこそあれ，判断を他人任せにするなんて自分に能力がない，と言っているようなものだ。こういう人に限って，物事が失敗したときに真っ先に責任を追及してきたりするのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>もう今の仕事を始めて20年近くになる。天職だとも思うけれど，ちょっと忙しすぎる。今一度，自分の歩みを振り返る機会を作りたいと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/debu9999/entry-12755250945.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Jul 2022 22:00:00 +0900</pubDate>
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