ガンおやじ https://ameblo.jp/den2007/ 突然おやじから電話がかかってきた。「わし、今日医者から食道ガンやと言われたわ。」信じたくないけど、逃れられない現実。わたしは、息子としていったい何ができるんだろうか?どう接していけばいいのだろうか? ja-jp 8月4日の日記 おやじは骨になって家に帰宅した https://ameblo.jp/den2007/entry-10044192252.html PM10時からおやじの告別式が行われた。参加したのは、昨日と同じく7人。おやじの希望通りの家族葬。大勢の弔問客がくれば、すごく大変だったと思うが、きっとおやじはわたしたちの負担を少しでも少なくしようと思ってこういう形を選んだんだろう。 お坊さんのお経が終わったのが、PM11時頃。この後、棺に入っているおやじの周りにお花をたくさん入れ、そのほかにおやじが外に行くとき良く被っていた帽子と病院に入院しているときやっていた塗り絵と山歩きのときによく持っていた地図を入れた。棺のふたがされ、霊柩車まで運ばれ 2007-08-21T20:51:18+09:00 8月3日の日記 おやじのお通夜がしめやかに行われた https://ameblo.jp/den2007/entry-10044187514.html PM2時から納棺の儀があった。納棺師の人がやってきておやじに死に装束を着せ足袋を履かせ、数珠を持たせた。髪の毛をセットしなおし化粧をした後、おやじを棺へとみんなで持ち上げて入れた。納棺の儀があった後、しばらくボーッとしていたら遺影の写真が出来上がって葬儀屋の人が持ってきた。遺影の写真には、5年前に弟の結婚式のときに取った集合写真の顔がやさしい顔をしていていいとみんなの意見が一致しその写真が使われた。PM5時30分頃、おやじのお姉さんとその息子さん2人が到着した。おやじが、生きているときに言ってい 2007-08-21T20:14:44+09:00 8月2日の日記 おやじの遺体のそばでいろいろと考えた https://ameblo.jp/den2007/entry-10043929563.html 季節は、真夏であり温度が高い状態だと遺体が傷んでしまうので、冷房を最も強い設定にしろと葬儀屋に言われたので冷房設定を最も強くした。座布団で寝るのにはすごく寒く2時間くらいは寝れたが、起きたら喉が痛かった。起きてすぐにおやじの顔の白い布を取り、わたしはおやじの顔を見て見た。息はしていなくて、体は冷たいがほんとに寝ているような感じだった。PM10時頃昨日一端家に帰って休んでたおかんと弟夫婦が車でやってきた。PM10時30分頃葬儀屋さんと予算のことや、これからやらなければいけないことの流れの確認を行っ 2007-08-19T16:00:43+09:00 8月1日の日記 おやじ永眠 https://ameblo.jp/den2007/entry-10043828311.html 朝起きて、朝食を食べてから病院へ自転車で行った。病室に入り、おやじに声を掛けてみたが、呼びかけへの反応はなく、いびきをかいて寝ているような状態。病室にしばらくいると、主治医の先生が入ってきた。お医者さんは、わたしに聞いた。「お母さんから何か詳しいこと聞いてますか?」「大体のことは、聞いてますけど細かなことまではよくわからないです。」「それでは、別室でお話しましょう。」わたしとおかんは別室に移動した。「別室に来てもらったのは、お父さんもう意識がなくしゃべれない状態だけど耳は聞こえてるんです。だから 2007-08-18T18:28:58+09:00 7月31日の日記 おやじの容態が危ないと言う連絡があり仕事を途中でやめ京都に帰った https://ameblo.jp/den2007/entry-10043811060.html 早出でAM7時から仕事をしていたら、AM9時30分頃おかんから電話がかかってきた。「さっき、お医者さんから言われたんやけど、もしかすると、あと1日か2日しか持たない可能性があるから家族呼んだ方がいいと言われた。」と言って泣き出した。「わかった。今から、仕事切り上げて帰るわ。夕方くらいにそっちの方、着くと思うし待っといて。」と言い、仕事の途中ではあったが、上司にその旨を伝えて、すぐに会社を離れAM11時30分頃アパートに戻った。急いで、昼食をすませ、礼服と着替えをかばんに入れ新幹線で京都に向かった 2007-08-18T15:22:21+09:00 7月30日の日記 ホスピスは日本ではまだあまり認識されていない https://ameblo.jp/den2007/entry-10043807151.html 今日会社のパートのおばさんから、「有給とって帰ってたみたいだけど。お父さんどうなの?」と聞かれた。わたしは、「実は今月からホスピスに入っていて、あんまり治る見込みがないんです。」と答えた。すると、そのおばさんは「ホスピスと言ったら、金かかるところなのよね。あんたの家、金持ちでいいわね。」と言った。おばさんにとっては、何の気なしに言った言葉なのかもしれないけれど、自分の家族を終末医療であるホスピスに入れる、家族の心の葛藤や苦しみが何もわかってもらってないんだなあと思い腹が立つと同時に悲しい気持ちに 2007-08-18T14:38:04+09:00 7月29日の日記 おやじの容態はますます悪化している https://ameblo.jp/den2007/entry-10041667681.html 今日も、おやじはほとんど寝ていた。ときどき起きて「しんどい。苦しい。」と声にならない声で言っていた。咳き込み出すとパニック状態になり、暴れだしそうになりそのたびに薬を入れるといった状態だった。今日は、もう栃木に帰らなければならないので、眠っているおやじをそっとゆすって起こした。起きたおやじは、わたしが誰かわかったようだった。「今から、帰るわ。」おやじは、ほとんど聞き取れない声で何か言っていた。「ごめん。何言うてるんか聞き取れへんわ。」とわたしは言うと、再び、おやじはしゃべりだし今度は奇跡的に行っ 2007-07-31T11:43:44+09:00 7月28日の日記 おやじはわたしが誰かもわからなくなってしまった https://ameblo.jp/den2007/entry-10041665921.html 今日も病室に入ったとき、おやじは寝ていた。看護師さんの話によれば、昨日の晩も咳が出て薬を入れたけれどなかなか効かなくてほとんど寝れなかったらしい。ときどき、うっすら目を開けては「しんどい。しんどい。」とつぶやいているが意識は朦朧とした状態だった。しばらくするとおやじは目をパッチリ開け、側のソファーベッドで座っていたわたしに向かってほとんど聞き取れない声で言った。「誰や?」「おれのことわからへんのかいな。あんたの息子やがな。」とわたしは、答えたが昨日までまだ、少しはしゃべれてたのにとうとう自分のこ 2007-07-31T11:25:52+09:00 7月27日の日記 おやじは苦しいと言いながらもがき始めた https://ameblo.jp/den2007/entry-10041593539.html 約2週間ぶりに病院に行った。病室に入ると、おやじは寝ていた。おやじは、さらに痩せていて手足が細くなっていた。3日くらい前から、吐くつばや痰に血が混じり始めたそうで調子がすごく悪そうだった。おやじはずっと寝たままだったので、しばらくおかんとわたしはベッドの隣のソファーに座ってテレビを見ていた。30分くらいしてナースステーションにおやじと会いたい言って来ている人がいると看護師さんが伝えに来た。おかんが、会いに行くと京大病院でおやじの前のベッドで入院していたMさんが奥さんと来ていた。おかんは、おやじを 2007-07-30T19:58:14+09:00 7月25日の日記 今週末京都の実家に帰るためJRのチケットを購入してきた https://ameblo.jp/den2007/entry-10041047904.html 最近、夜寝床についても、おやじとの思い出をいろいろ思い出してなかなか寝付けない。おやじは性格的にはこうと決めたらてこでも動かない頑固者だった。頑固者のおやじがガンになりおったから、「ガンおやじ」やと簡単な気持ちでブログのタイトルをつけ日記を付け始めてから3ヶ月ちょっと。3ヶ月前には、このような状況になっていることなんて考えもしなかった。ガンと言っても、克服して元気に生きている人もいるし、共生するような形で通院しながら日常生活を送っている人もいるし少なくとも後1年、いやあと5年くらいは一緒にお話し 2007-07-25T21:40:37+09:00