<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>自死までの道</title>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/denden-muchi/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>自死に至るまでを綴る日記。　</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>自死までの道　その１６</title>
<description>
<![CDATA[ <p>気分を病むときに感じる要素として、周囲の人間との解離感があります。</p><br><p>自分と同世代の同じ境遇の人間と話をしたときに感じる、</p><br><p>自分と他の健常な人々との間にある溝のようなもの。</p><br><p>溝というよりは薄膜のようなものといったほうが的確かもしれない。</p><br><p>向こうの様子はわかるし、それが同世代の普通の生活なんだろうな、と思うけれど自分には決して超えられない「薄膜」。</p><br><p>その薄膜がある限り、自分が薄膜を認識している限り、決して彼らのように笑うことができない。</p><br><p>理解はしていても、彼らのように振る舞うことはできない。</p><br><p>その感覚を覚えてしまうと段々と気分が憂鬱になってくるのです。</p><br><br><p>自分も彼らと同じはずなのに…、まるで永遠に戻らない若かった時を懐かしむ老人のような感覚。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10390790712.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 22:47:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１５</title>
<description>
<![CDATA[ <p>いよいよ自殺することを決めました。</p><br><p>予定としては１年後の３月末にする予定です。</p><br><p>なぜそんなに後かというと、</p><br><p>来年から仕事をするので１年間貯めたお金を少ないながらも親に残したいと思ったからです。</p><br><br><p>ここまでの日記で書いてきたように、ほとんどが自分の内因的な要因によって自殺することになったわけですが、</p><br><p>ここで一度、自分が人生に絶望した理由、生きていくことが厭になってしまった理由をまとめておきたいと思います。</p><br><br><p>まず、（これはかなり大きな要因だと思いますが）恋愛面において全く喜びというものがなかったということ。</p><br><p>もともと人と接することが得意ではなかったのかもしれませんが、とくに異性との関係においてはほとんど発展的になることがありませんでした。</p><br><p>これは孤独を自分の内面に植え付け、やがてその孤独感すら感じなくなってしまうようになり、最終的にすべてに絶望するようになってしまったのだと考えられます。</p><br><p>つまり人から愛されたことがない、人を愛したことがないという精神的な欠如が自殺念慮の大きな引き金になっていたのだといえます。</p><br><p>周りの人たちはどんどん幸せになっていくのにどうして、自分はいつまでも同じ位置から動けないのだろうか？</p><br><p>むろん外見的な問題もあったのだと確信しています。</p><br><p>人の幸せというものは私にとっては残酷な刃でしかありませんでした。</p><br><br><p>次に、何かに打ち込めなかった、自分を形作る柱としての経験・体験を積み重ねてこれなかったこと。</p><br><p>人間の人格というのは、その人が続けてきたこと、してきたことによってできているのだと思います。</p><br><p>そのことを考えると私には何もない。自分がこの20数年で積み重ねてきたものはほんとに何もない。</p><br><p>この虚無感が年を経るにつれて強くなってきました。</p><br><br><p>そして、これも大きな要因としてあげることができるのは、このような自分のダメなところが少しでもわかっているのに、それを変えていこうとしなかったこと。</p><br><p>変えようとしなかったということは自分に責任があるわけですが、言い換えると変えようとするモチベーションが出てこなかった、そして仮にモチベーションがあったとしてもそれが長続きしなかった。</p><br><p>現状を打破する能力の欠如ともいえます。</p><br><p>勿論、自分の力だけでこの状況を打破するだけが方法ではないかもしれません。</p><br><p>人の助けを借りて、人から手を差しのべられて状況を変えることは可能なのかもしれません。</p><br><p>しかし、私には手を差し伸べてくれる人も、助けを求めれば答えてくれる人もいませんでした。</p><br><p>私は周りの人達のように経済的な支援をしてくれる親というものが存在しないので、生きていくために自分で自分の全てをマネージメントしなければいけませんでした。</p><br><p>そのような状況で自分の精神的なことまでも調整する余裕などなかったと思っています。</p><br><br><p>以上が自殺に行き当たった経緯です。</p><br><p>具体的な事柄を上げればキリがありませんが、結局のところ</p><br><p>「辛い、寂しいと感じながら毎日を生き、そしてこの先もそれが何十年と続いていくであろうことに耐えられない」</p><br><p>ということなのだと思います。</p><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10380729974.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Nov 2009 19:15:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１４</title>
<description>
<![CDATA[ <p>なぜ、社会・政府は自殺を防止しようとするのか。</p><br><p>日本の自殺者数は毎年約３万人だそうです（平成20年度は32249人）</p><br><p>しかしこれは死因が明らかになっている者のみで、変死などを含めるとその倍は自殺していると推定されます。</p><br><p>自殺者を年代別にみてみると２０代から５０代が多く、男性が約７割ほどです。</p><br><p>また20～35歳までの死亡原因の１位が自殺となっています。</p><br><br><p>これは労働力、生産力の高い年代を多く損失しているということを示唆しています。</p><br><p>社会的には労働力・競争力の低下を招き、政府としては税金を多く納めてくれる世代が少なくなるためデメリットとなるわけです。</p><br><p>経済的理由（借金）を苦に自殺する人も多いわけですから、お金を返してもらえない消費者金融などの金融機関もたまったものではないでしょう。</p><br><p>つまり,自殺者が増える→社会的に損失が生まれる→政府・社会としては困る→自殺を防止</p><br><p>という簡単な図式ができます。</p><br><br><p>ただ、ここで言いたいことは、個人レベルの価値観で考えると自死というものは必ずしも否定されるべき価値観だけでは語れないということです。</p><br><p>もともとこの地球上に決まった価値観などは存在しません。</p><br><p>価値というものは文明・社会・宗教・国家・メディアが作り出すものであって、絶対的なものではないのです。</p><br><p>例えば、宗教によっては神のために自死する殉教を認めているものもあります。</p><br><p>さらに今の時代は様々な価値観が混在し、またそれが許されるべき時代でもあると思います。</p><br><p>つまり自殺をただ単に「ダメ」なものだと規定してしまうこと自体に無理があるわけです。</p><br><br><p>価値観は押し付けられるべきものではなく、自らがその人生の過程において形成していくものであるべきだと考えます。</p><br><p>人が自死する理由は、自死する人の数だけ、その価値観の数だけ存在しているというのに、単に社会の損得のために「自殺、ダメぜったい」という画一的な価値観を押し付けようとする社会に疑問を感じてしまいます。</p><br><p>おそらくこれからも自殺者は増加していくでしょう。</p><br><br><p>医療技術が発達し、介護が必要となる高齢者が増加している一方で、少子化が進行し、社会的に生産力のある壮年層が自殺していくというのは何とも皮肉な状況であると言わざるを得ません</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10314885460.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Aug 2009 22:24:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１３</title>
<description>
<![CDATA[ <p>その１２で、いつから日本人は「恋愛」と「外見」「食欲」「性欲」にしか興味を持たなくなったのでしょうか、と書きましたが、</p><br><p>よくよく考えてみれば、ネット上に（特にブログサイトなどに）記載されているようなニュースなどは、ネットを利用することの多い若年者に向けた、ある方向性を持った宣伝効果を目的としたものであるので当たり前のことです。</p><br><p>必ず背後にはスポンサーが存在して、広告を見る人々に対してある種の意識操作を期待しているわけです。</p><br><p>自らのビジネスに消費者が流れるように、儲けがでるように。</p><br><p>ネットを多く利用することが多い若年者の興味といったらたしかに上記に挙げた内容のものになるでしょう。</p><br><br><p>このことを考えてみると、どだいネット上にはある種の方向性をあらかじめ持たされた情報が多過ぎて正しい知識、真の知識などはほとんど存在しないことが理解できます。</p><br><p>勿論、テレビ、映画、ラジオといったメディアにも同じことが言えるはずです。</p><br><p>では『知識』はどこにあるのか、それはネットやメディアから配信されるようなものではなく、自らが外界に出て得るものなのかもしれませんし、</p><br><p>宣伝・広告など関係なく偶然出会った書物から得られるものかもしれません。</p><br><p>結局言いたいことというのは、ネット上メディア上の知識では人は決して救われることはない、ということです。</p><br><p>このネットという情報媒体は余りにバイアスがかけられ過ぎています。</p><br><br><p>正しい『知識』を求めていくことが生きていくヒントになるかもしれません。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10307891795.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Jul 2009 19:50:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１２</title>
<description>
<![CDATA[ <p>この世の中が腐っているのか、</p><br><p>それとも私の頭の中が腐っているのか、</p><br><p>もはやどちらでも関係ないですが。</p><br><p>義務でこなさなければならないことが多すぎて、本当に自分が何をしたいのかがわかりません。</p><br><p>何かの目的のためにしていることではなく、周りを見て自分もした方がいいだろうという流れでしているだけ。</p><br><p>もし、それが将来の夢につんがるのであれば行為は無駄ではないでしょう。</p><br><p>それでお金を得て家族を養ったり、大切な人のために使うのであれば、ストレスを感じながらも頑張れるはずです。</p><br><p>頑張る対象、目的、夢。</p><br><p>そんなものはどこにもありません。</p><br><p>持っていたのに無くしてしまったのかもしれません。</p><br><br><p>でも、夢を探すとか、今の自分は本当に自分ではない、などと勝手に解釈し、今やるべきことを投げ出すような真似はしたくはない。</p><br><p>目的も、意味も見いだせないままそれでも社会の歯車であろうと、思考を停止して生きていく。</p><br><p>それが一人の大人としての責任だと思うからです。</p><br><p>当然ストレスだけがかかり、苦労しても喜びも達成感も得られはしない。</p><br><p>無意味な行為でしかないのですが。</p><br><br><p>意識しないうちは幸せかもせれません。</p><br><p>目先の快楽だけを追い求めて生きていければ、それは心から幸せだと思います。</p><br><br><p>今ブログを書きながら、横のニュースの欄をふと見てみたら、</p><br><p>ホントにくだらないことばかり羅列されています。</p><br><p>いつから日本人は「恋愛」と「外見」「食欲」「性欲」だけにしか興味を持たなくなったのでしょうか。</p><br><p>満たされない私の偏った見方でしょうか。</p><br><br><p>こんなふうに周りの環境に責任を転嫁するのもかなり心が荒んできた証拠でしょう。</p><br><p>環境に責任はない、その中で自分がどう生きていくかが大切である、ということは心に刻みつけています。</p><br><p>ただ、くだらないとしかもう感じないほど感受性が低下してしまったのかもしれません。</p><br><p>喜怒哀楽といった感情を覚えることはなく、ただ苦だけが日に日に圧し掛かってくる。</p><br><p>人はどこまで耐えられるのでしょうか。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10307877170.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Jul 2009 19:20:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１１</title>
<description>
<![CDATA[ <p>この数年は同じところを何度も何度もぐるぐる回っていただけっだたように思います。</p><br><p>寄り道や遠回りをしたり、行き止まりにぶち当たって引き返してまた進んで、などということもありません。</p><br><p>寄り道したって遠回りしたって、少しずつでも先に進んでいれば、ちょっとでも成長できていればそれでいい。</p><br><p>この数年は、全くそんなことはありませんでした。</p><br><p>ただ毎日毎日同じことの繰り返し、同じ思考の繰り返し、まるで無限ループ。</p><br><br><p>自分の将来像を描いていなかったからでしょうか？</p><br><p>“何か”を必死に探し求めなかったからでしょうか？</p><br><p>日々を楽しく過ごそうと努力してこなかったせいでしょうか？</p><br><p>なんでもいいから一生懸命に我武者羅に取り組んでこなかったせいでしょうか？</p><br><p>周囲の状況に対する感受性が低いせいでしょうか？</p><br><br><p>答えなどは無いとわかってはいても、自問せずにはいられません。</p><br><br><p>大人に成りきれなかった自分。</p><br><p>結局愛してあげることができない自分自身。</p><br><p>努力しない自分など自己肯定してあげられるはずがないのです。</p><br><br><p>なぜ苦しみに包まれていても生き抜かなくてはならないのでしょうか。</p><br><p>自分を生んでくれた親に対する責任感でしょうか。</p><br><p>死んでしまっては申し訳ない、その気持ちだけで生きているようなものでしょうか。</p><br><br><p>そんな生に、ただ生きているだけの生に意味などあるはずがありません。</p><br><p>どうすればいいのでしょうか。</p><br><p>例え今の環境から逃げ出したとしても、周りが変わったとしても、</p><br><p>自分が変わらなければ結局また破綻が訪れるのでしょう。</p><br><br><p>人生は論理的には解決できない。</p><br><p>人は理屈じゃない。</p><br><p>では、どのように現実に対処すればいいのでしょうか。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10306071623.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2009 01:10:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１０の２</title>
<description>
<![CDATA[ <p>つまらない人間が多い、など言っているからそもそもいかんのでしょうが・・・。</p><br><br><p>本題からはズレてしまいますが、もう少し語りますと、</p><br><p>人間は豊かになりすぎてしまった、その事実が種としての進化を滞らせてしまったのではないかと思うわけです。</p><br><br><p>豊かな環境に置かれると生物はその数と多様性を増すことができます。</p><br><p>そこで同一の種の間で競争が行われ、優秀な（強い）個体が子孫を残していく、ということであればその生物は世代を経るごとに環境に対しての適応性を緩やかに増すことができるでしょう。</p><br><p>逆に厳しい環境に置かれると弱い個体は死滅していき強い個体だけが生き残る、つまり多様性は少なくなりますが、弱い個体がふるいにかけられることで、その生物の平均的な強さは増します。</p><br><p>またそれぞれの個体は厳しい環境に適応するため個体レベルでもその屈強さを増していきます。</p><br><br><p>しかし、今の世の中は「豊かになりすぎてしまった」</p><br><p>つまり優秀な個体でなくとも子孫を残すことができる。</p><br><p>結果として世代を経ても種としての進化が起こらない。</p><br><p>この機序が格差社会を生み出している一つの誘因ともなっているわけですが。</p><p>（つまり富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる）</p><br><p>今の世の中で優秀な人のみが子孫を残すというシステムは非人道的であり現実的にも構築不可能です。</p><br><p>また選民思想にもつながり極めて危険な考えともいえます。</p><br><br><p>では人間が種として進化していくことはもうないのでしょうか。</p><br><p>それにはもっと厳しい環境が必要になってくると考えられます。</p><br><p>厳しい環境というのは（もちろんあまりに厳しすぎてしまうと逆効果ですが）成長を促します。</p><br><p>それは個人にも言えることですし、国レベル、文明レベルの話にも当てはまります。</p><br><p>古代に文明が生まれたのは豊かな土地でしたが、その後産業革命を経て一気に発展した西洋文明は東洋に比べて寒く厳しい環境にありました。</p><br><br><p>つまりある程度進化しつくしてしまったモノをさらに発展させていくためには適度に厳しい環境が必要になってくるということです。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10305322203.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jul 2009 23:17:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その１０の１</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ここでせっかくなので私の歪んだ人間観について触れておきたいと思います。</p><br><p>そもそも、こうまで他者のことを考えないということの根底にあるのは、<br></p><br><p>この世の中にそんなに魅力的な人などいないだろうと考えていることです。</p><br><p>極端な例を挙げると、恋愛の話などでよく「素敵な人」というフレーズが出てきますが、</p><br><p>この日本にそんな「素敵な人」が果たしてそんなにポンポンいるものでしょうか？</p><br><p>むしろつまらない人間が多過ぎるくらいだと思います。</p><br><p>もちろん私もそうですが・・・。</p><br><p>（ここで少し補足しておきますがあくまで私の考えですので世間一般の常識・良識とは大きく異なっていると思います。私の考えは『歪んでいる』と自覚はしていますので。）</p><br><p>ではなぜそんなつまらない人間を「素敵な人」と呼び、挙句の果てには結婚し（離婚も増えていますが）子供を作り人間は増えてしまうのでしょう。</p><br><p>それは脳の原始的な部分に本能がちゃんと残っているからでしょう。</p><br><br><p>現実社会に自分が「つまらない人間」だと自覚してその遺伝子を後世に残しては人類のためにはならない、と考える人がいるでしょうか。</p><br><p>そんな人間は見たことはありません。</p><br><p>ただあまりに「つまらない人間」だと自覚している人は自殺（生物の細胞で言うところのアポトーシス）をしますが。<br><br></p><br><p>「つまらない人間」でありながらも本能に従って子孫を残そうとする働きが「素敵な人」という幻想を作り出しているのではないかと考えています。</p><br><p>相手を「素敵な人」と考えることで間接的に自己の価値を高めている、ある種の自己暗示のようなものでしょう。<br></p><br><p>そのような自己暗示をすることそのものがつまらないことだと思ってしまいますが・・・。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10305282974.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jul 2009 23:12:11 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その９</title>
<description>
<![CDATA[ <p>自分の書いた文章を読み返してみると、書いた時よりは冷静に客観的に自分の心理状態を理解することができます。</p><br><p>そしていくつかの傾向が見えてくるわけなのですが、私の場合は『孤独』というものが大きなポイントになっているように思います。</p><br><p>結局簡単に言ってしまえば、誰かに悩みを聞いてほしい、慰めてほしいというワガママではないか、という気がします。</p><br><p>もともとこのブログを始めたのは誰かに自分の悩みを見てほしかったという側面があるわけですし。</p><br><p>ただ、今までの自分を振り返ってみると、誰かが孤独で悩んでいるときや辛いそうな時に自分なら本気になって話を聞いてあげただろうか、また今そのような状況があったとしてもその人を助けるだろうか、と考えてみると答えは“No”なわけです。</p><br><p>結局のところ人間は（というよりむしろ私は）自分のことしか考えていない。</p><br><p>他の人のことなどどうでもいいわけです。</p><br><p>まぁ、これは性質みたいなものであるわけで、仕方がない。</p><br><p>だから人のことを心配したり、誰かのために親身になってあげたりしないような人間には他人は優しくしたりしない。</p><br><p>これは自然のことだったわけです。</p><br><p>他者を心配しない人が他者から心配されるはずがない、こんな簡単なことに気付けていませんでした。</p><br><p>（もちろん、一部の魅力のある人達は別ですが・・・）</p><br><p>それも自分のことで精一杯になってしまっていて、周りが見えていなかったからだと思います。</p><br><p>このように自分を分析して、そのことがわかったところで問題は全く解決していないわけですが。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10305252793.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jul 2009 22:20:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自死までの道　その８</title>
<description>
<![CDATA[ <p>この１ヶ月くらいはなるべくpositive thinkingで行こうと思っていたのに、</p><br><p>やはり死にたい。</p><br><p>もはや自分に価値を見出すことはできない。</p><br><p>多分に自分の被害妄想の可能性が高いが、周りと比べて自分が不幸に感じる。</p><br><p>勿論周りの人たちだって悩みがあり、辛い時もあると思う。</p><br><p>ただ、少しくらいはいいことや楽しいことがあって、その瞬間に元気づけられて</p><br><p>日々頑張っているんじゃないだろうか。</p><br><p>それと比較して自分に喜びの感じる瞬間のないことが、とてつもなく痛く、哀しく、そして空しい。</p><br><p>この空虚感。無力感。</p><br><p>こんな虚しさだけを抱えてただ歳をとっていくという現実の重みに耐えられそうもない。</p><br><p>あとは方法を考えるだけだ。</p><br><p>それと少しの勇気、それだけあればきっと永遠に悩みから解放されることができるはずだ。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/denden-muchi/entry-10305086630.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jul 2009 18:54:38 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
