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<title>desi310のブログ</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>イコールがもつ要素抱合の関係</title>
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<![CDATA[ <p>コメント、ありがとうございました。</p><br><p>コメントを頂くたびに、書き続けている感じですが、皆様には末永く<br>見守っていただければ幸いです。</p><p><br>さて、「左側＝」の表記の考え方でした。</p><br><p>前回は、たとえば</p><p><font color="#0000ff">　ｙ＝２＋３ｘ＋４ｘ2（2乗）＋・・・</font></p><p>のような式は、右側には、左側の記号とは質の違う属性の変数名で、<br>四則演算子を使って、具体的な結合状況を示す式があります。</p><br><p><font color="#0000ff">　面積＝距離×距離</font></p><br><p>がその例で、面積と長さは違った質のものです。</p><br><p>一般には、右側には四則演算子に加え、微積分記号、集合論での記号<br>（∩や∪等）等も含む、とするとよいと思います。</p><br><p>そして左側には、右側の構造を抱合する概念の言葉（変数名）が現れます。</p><br><p>ｙやｘは単なる記号なので、この質的な違いを見分けることが難しいのですが、</p><p>こういう代数式では、最初に、このルールを指導していただくと嬉しいのです。</p><br><p>こうすると、科学論文などで、たとえば</p><br><p><font color="#0000ff">　B=1+2A+3A*A<br>　C=B+3<br>　D=Integral C dt</font></p><br><p>という式の並び順が、最終的にDの構造（や現象）をその構成要素であるCやB、<br>また最小の要素であるAの素材を使って、説明している、とのDを最外郭として、</p><p>Cを抱合し、さらにその中にB、そしてAの要素に至る抱合構造を想起させる書き</p><p>方になるのです。</p><br><p>この習慣がないと、縦方向にえんえんと計算していても、ゴールとする「最外郭」</p><p>のターゲットがなになのか、書いている本人も、読んでいる人もわからなくなる</p><p>問題が発生します。</p><br><p>実は、先生が、教室でそう指導している場面も、よくみかけるのです。</p><br><p>教科書自体、そんな記述をしている例も多いのですが・・・</p><br><br>
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<pubDate>Sat, 10 May 2014 20:24:06 +0900</pubDate>
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<title>イコール記号の置き場所</title>
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<![CDATA[ <p>コメント、ありがとうございました。</p><p>元気を出して、書き続けてみます。</p><br><p><br>右側に＝を置く表現の代表例は、算術計算です。例えば</p><p>　１＋１＝</p><p>　３×５＝</p><p>です。</p><br><p>このときの＝は、決められた計算処理のスキルを駆使する<br>ことを求めます。</p><p>しかしこの計算がいくら得意でも、数学とは無縁なのです。</p><p>左側に＝を置く表現で有名なのが方程式です。例えば、</p><br><p>　ｙ＝２＋３Ｘ</p><p>　面積＝長さ×長さ</p><br><p>があります。</p><br><p>この方程式での＝の記号は、＝をはさんで左右に質の違うモノがある、<br>という見方をする必要があります。</p><br><p>左側＝の記号が現れた時は、異なった質である右側の要素の世界を、<br>左側の記号にまとめる、という視点があります。</p><br><p>この左側＝の式の表現では、右側で注目した構成要素を、四則演算<br>などの記号で組み合わせると、ｘとは違う世界の質をもつｙを作り<br>上げる、と見ていく必要があります。</p><br><p>例えば面積は、面積とは違う質である長さの要素の乗算結合で定義<br>するというように、＝をはさんで、異なる質の要素と抱合関係を表<br>しています。</p><br><br>
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<pubDate>Tue, 06 May 2014 09:33:06 +0900</pubDate>
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<title>イコールを置くべき場所</title>
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<![CDATA[ <p><br>ということで、おそらくこのブログ世界では興味もないお話と思いますが、</p><p><br>小学校の段階でイコール（＝）記号を教えるとき、以下のコメントを、</p><br><p>ひととこ加えていただければ、嬉しいのです。</p><br><p>それは、「算数」までは得意だったんだけど、「数学」になったとたんに嫌いになることを</p><br><p>少しは抑えることができかな、との期待をしたいからです。</p><br><br><p>「イコールは、</p><p><br>　答えを書くことをうながす記号ではないのですよ。</p><p><br>　ほんとうは、右側ではなく、左側に＝と書いて、</p><p><br>　この結果になる関係が何であるか、</p><br><p>　なにが想像できるか、</p><br><p>　問いかける、記号なのですよ」</p><br><p>小学生には難しいかもしれませんね。</p><br><p>でも、こう指導しないと、受験優等生になることができても、</p><br><p>本心は、数学嫌いに育っていくのです。</p><br><p>（こんなことを主張する先生は、勤務評定が下がりますね）</p><br><p><br></p>
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<pubDate>Mon, 05 May 2014 21:52:01 +0900</pubDate>
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<title>どうして「数学記号」？</title>
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<![CDATA[ <p>なにかしらめんどうな話になりそうですが、ではなぜ数学記号を問題にしているか、<br>つい最近までその現場にいた経験をもとに紹介します。</p><br><p>「２たす３は５だよ。<br>　めんどうなはなしでなく、<br>　やりかたを教えてくれれば、いいんだよ！」</p><br><p>生徒はそんな感じで反応します。<br>しかしこれは、小学生の頃までのはなしです。</p><br><p>こういう教育をずっと続けたせいで、少し複雑な代数式とか<br>ちょっと長い物理公式にであったとたん、こりゃだめだ、とショックをうけるのです。</p><br><p>数式が表わす現実の世界をイメージできないと、<br>式がなにを意味しているのかわからないまま、<br>ひたすら暗記の世界に陥ります。</p><br><p>このため、数式の伴う学習は、単位取得や資格取得、<br>あるいは卒業のための取組みになり、<br>それらは数式の面白さとはまた別の手段と化していくのです。</p><p><br>たとえが変ですが、お経をひたすら思えるような、<br>苦行のひとつになっている場合が多いのではないでしょうか。</p><br><p>なので、四則演算や＝は、実はもののなりたちや、関係性を示すもので、<br>記号のもつ意味を、ちょっとたちどまって考えてみると、<br>試験解答する目的とは別に、あ、こんな表現のしかたがあったんだと<br>感動することもあるのです。</p><br><p>いろいろ参考書を探してみましたが、こんな解説をしているものがなく、<br>それで、ブログで書き始めたのです。</p><br><br>
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<pubDate>Fri, 04 Apr 2014 20:52:15 +0900</pubDate>
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<title>加減算のふしぎ</title>
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<![CDATA[ <p>また、年寄り話の続きを書いてみますね。</p><br><p>加減算では、同じ性質のものをならべて、記述します。</p><br><p>たとえば、長さ１＋長さ２＋と式表現して、</p><p><br>この式全体を「まとまった長さ」として＝でつないで表します。</p><br><p>逆にいえば、「まとまった長さ」には、長さ１や長さ２のような<br>部分にわけられる長さがある、と宣言しているようにみえます。</p><br><p>もしも、ですが、性質がちがうものを加減算で並べる式があるなら、<br>それは同じ性質のまとまった量を示すのではなく、<br>本来は複素数のような形で表わすべき式である、と考えられます。</p><br><p>ではミカン３個とリンゴ２個の果物の数は、何個でしょうかという問題は、</p><br><p>果物の数５個＝ミカン３個＋リンゴ２個</p><br><p>というように記述すべきで、上の話しで考えると、<br>複素表現の一種なのですね。</p><br><p>この式はまた、</p><p>果物としてまとまった考えの部分要素としてミカンやリンゴがあり、</p><p>＝記号を中心にして、一方ではまとまった何か（果物としての総量）を示し、<br>他方では部分の同じ性質（この場合は個数）が、加減記号でつながっています。</p><br><p>ただし、前の長さとはちがって、「果物」という<br>ミカンやリンゴをひっくるめた「別の言葉」が登場しています。<br></p><br>
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<pubDate>Fri, 04 Apr 2014 16:04:04 +0900</pubDate>
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<title>数学記号、どうして？</title>
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<![CDATA[ <p>退職して、やや平穏な日々を過ごしていますと、普段、<br>気にもしなかった疑問がうかんできます。</p><br><p>たとえば数学の記号。</p><br><p>＋、－、×、÷や＝の記号は、小学校低学年で教わり、<br>いまさら疑問にするものではないですが、変なことを想像しました。</p><br><p>たとえば、身長＋体重という数式がないのはどうして？</p><br><p>もしこうした数式があるのなら、それはどんな場合？</p><br><p>長さ×長さ×長さの式はあるのに、<br>重さ×重さ×重さがないのはどうして？</p><br><p>これが数値や代数などなら、なんでもありなのですが、</p><p>数値や代数と、重さ、長さ、時間の現実世界と、いったいどうちがうの？</p><br><p>若い方々には全然魅力ない話題とは思いますが、</p><p><br>年寄りの趣味で、日記風に思いを書きとめてみたいと思います。</p><br><p>時々、読んでくださいね。</p><br>
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<pubDate>Sun, 23 Mar 2014 19:41:56 +0900</pubDate>
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<title>コメント、ありがとうございます</title>
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<![CDATA[ <p>Vivichiさま、うーちゃんさま、すみません。</p><br><p>どのようにして返信するのかわかりませんので、<br>もう少し慣れるまで、待っていただければ嬉しいです。</p><br><p>（皆様のおじいさん世代より）</p><br><br>
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<pubDate>Sun, 23 Mar 2014 19:37:50 +0900</pubDate>
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<title>古池や蛙飛び込む水の音</title>
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<![CDATA[ <p>　コンピュータ科目を担当している関係で、コンピュータの位置付けや教育について雑感を述べてみます。</p><p>　今日ではコンピュータは珍しくなくなりました。</p><p><br>　ゲーム・コンピュータやパソコン、また携帯電話などの普及のせいでしょうか、すっかり生活の中にとけ込んでいます。ファミコンももちろんコンピュータの仲間で、もっと探せば炊飯器などの家電製品などにも形を変えて使われています。 </p><br><p>　コンピュータというのはCやBASICのような言語を扱うもので、携帯電話はコンピュータではない、と見る人もいますが、そんなことはありません。その古風なコンピュータ構成が、ちょっと進化して、携帯電話になっていると考えて下さい。ひょっとしたら今日なら、コンピュータとはゲーム・マシンのことだ、と認識している子ども達も多いかもしれませんね。そのとらえ方も、書籍とはマンガのことだというのに似て、あながちウソではありません。 </p><br><p>　コンピュータは以上のように、ゲームを行わせるモノ、ご飯をおいしく炊き上げるモノ、かな漢字変換してくれるモノ、計算してくれるモノというように目的に合わせていろいろ姿を変えることができます。使う人の意志や意図しだいということでしょうか。 </p><p><br>　中身はコンピュータなのに、ワープロとかゲーム機というように具体的な機能が設定され、それに応じた装置名になり扱い方が決まります。 </p><p><br>　実はこうした関係は、紙とそこに書かれる文章、絵などの関係に似ているのです。 </p><p>　一枚の紙（コンピュータ）に何を書くかはまったく自由です。書かれる内容（ソフト）によっては領収書になり、マンガ、写真にもなり、あるいは小説や公文書になるかもしれません。 </p><br><p>　使う人の意志を表現するこうした素材を意志表現手段といいます。</p><p><br>　こういう理由によりコンピュータは、パピルスや羊皮紙、紙、電波や電話などの次に登場した意志表現手段である、と私は考えています。ただし、この表現手段を扱うには、独特な言葉、コンピュータ言語に慣れなければなりません。たとえばCやJavaなどです。現在はさらに使いやすい表計算のようなエンドユーザー言語が普及しています。 </p><br><p>　こうした言葉は、コンピュータを動かすもの、操作するものと教えられるわけですが、それは一面的な見方です。 </p><p><br>　紙に書く文書のように、何をどうしたいか、設計者の意志や意図を表現するための言葉でもあります。実際に何か開発すれば実感できますが、たとえば銀行オンライン・システムとは、銀行業務はこうすればよい、ということを、マニュアルに書く代わりにプログラム言語で表現したものと考えられます。ソフトウエアはどんなものであれ設計者の意図を具体化したものであります。 </p><br><p>　さてこういうふうにコンピュータをとらえると、なぜコンピュータが難しいか、どこで難しくさせているか教育上の問題が推測できるのではないでしょうか。 </p><br><p>　コンピュータは基本的には作文して意志表現するものです。まずは作文に慣れる必要があります。 </p><p>　しかしこれは単にコンピュータを理解したからできるものではありません。</p><br><p>　たとえ話をすれば、古池や蛙や水の音などの単語は誰でも読めるし理解できます。しかし誰が、「古池やかわず飛び込む水の音」と作れるのだろうか、という話に似ています。 </p><br><p>　プログラム命令やコンピュータの構造、OSの操作も、あいうえおや単語の勉強に似て、ちょっと時間をかければその意味や働きを覚えることができるでしょう。しかし売物になるほどの作文はどう書くのか、今日ではこの問題が深刻なのです。それは表現する人の姿勢とか世界観の問題になり、もはや理工学知識体系の枠を超えてしまうのです。 </p><br><p>　ではどうするのか。 </p><br><p>　私は情報技術の基礎は、科目で言えば国語、分野で言えば哲学分野であると考えています。<br>　理工学的な、技術的な知識もたまに必要ですが、世の中に受け入れられるシステムは、そんなレベルをはるかに超え、行間に込められた世界観とでもいうような価値により、受け入れられているからです。<br>　これを育成するのはどうするか。その話はまた書きますが、ひとつの方向として、生活の切実感を見抜くという感性を養う必要があります。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/design-310/entry-11801362243.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Mar 2014 19:08:00 +0900</pubDate>
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<title>ドリトル・コンバータ</title>
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<![CDATA[ <p>　「ドリトル」で、ピンときた人の推測は当たりです。</p><p><br>　「動物音声変換器」です。</p><p><br>　以前、電子情報通信学会誌に今世紀に達成した科学者の夢、達成しなかった夢の一覧が紹介されておりました。</p><p>　現在のＴＶなどは当時の妄想のひとつでしたが、やはり実現しなかった装置がいくつかあったようです。そのひとつに、動物との会話変換器が掲げられていました。これを「ドリトル・コンバータ」と勝手に名付けましたが、どうすれば実現可能でしょうか。また、その用途は何でしょうか。</p><br><p>　ドリトル先生は、動物と会話ができました。<br>　ドリトル先生でなくても、ムツゴローさんのように、動物の反応様式を体系化し知識データベースにすれば会話はできるのではないでしょうか。要するに、その犬やネコはいまどんな気持ちか、いろいろな場面を考慮し、ありうる心理状態の候補を示せば、正確でなくても大体想像がつくと思うのです。私は犬もネコも飼っていないので、気持ちが全然想像できませんが、飼い慣れるとどの程度、会話が可能なのでしょう。</p><br><p>　人名や地名は人間独特の言葉なので、そんな固有名詞はおそらく表現できない、理解できないと思います。しかし状態や動作を示す意志、「おなかが空いた」とか「眠たい」「便意をもよおした」「結婚したい」「でていけ」「なかよしだ」「食べ物がある」ぐらいは、いつも表現しており、翻訳できるのではないでしょうか。動物の顔やしぐさから、そのありそうな項目をリストアップできると思います。</p><p><br>　犬やネコなどの人間と生活した習慣のある動物は、そう難しくなくコンバータが作れると思います。では、牛や馬はどうでしょうか。まあ可能性はあると思います。ウサギや鳥はどうでしょう？しつこいですが、カエルやヘビは？</p><br><p>　これまで、好きなペットというと、犬やネコに限られていました。</p><p><br>　ドリトルコンバータを使うと、いろいろな動物との会話が広がり、見た目のかわいさや従順さだけでなく、飼い主の気持ちによくお似合いのペット、といいますか、「お友達」作りも流行することでしょう。</p><p><br>　ヘビやカエルなんてとても、と言っていた人が、コンバータで話した結果、いちばん仲良くなれたよ、なんてことになる可能性もあるものと空想します。ヘビ・カエルの、いわれなき汚名挽回です。</p><br><p>　さて、応用例です。</p><p>　このドリトル・コンバータを人間に対して用いたら、どうなるのでしょうか。</p><p><br>　縁がなければ、無関係・無関心の顔でふるまう都市生活者どうしは、考えようによってはネコや犬よりももっと遠い存在、例えていえば、カエルやヘビのようなものかもしれません。</p><p>　そう思っていたほうが楽なのですが、そうもいかない場面もあるでしょう。電車の中の傍若無人な態度、深夜の街の徘徊・・・</p><p><br>　動物の意志が推測できるくらいなら、人間だって推測可能なはずです。「話せばわかる」のに、こんなコンバータを使ったとしましょう。いろいろな声が聞こえてくると思います。</p><br><p>　「かったるいんだよ、そこの人。どうしようと、俺の勝手じゃないか」</p><p><br>と、意外と上品な高齢者のしぐさから聞こえるかもしれません。</p><p><br>「万全を尽くして、この難局を絶対切り抜けます」</p><p><br>と力説する政治家の顔から、</p><br><p>「あーあ、だますのも飽きたな」との翻訳の声・・・</p><br><p>　人間のコミュニケーション習慣では、一応、声に出したりメールで表明したりしない限り、「何も主張しない価値中立」であることが保証されています。</p><p>　しかしこんなコンバータが開発されると、応えないノンバーバルな姿勢の中に、それなりの意志や主張を推測できると思うのです。言わぬが花、は、関わらないことの利益を意味しましたが、将来ともそうかどうかはわかりませんね。</p><br><p>　ドリトル・コンバータは、人間関係に大きな影響を及ぼすかもしれません。</p><br><p>　だから、これまで開発できなかった、ではなく、</p><p>しなかったのかもしれません。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/design-310/entry-11800804022.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Mar 2014 23:43:14 +0900</pubDate>
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<title>情報消費量の単位「ホルモーネ 」</title>
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<![CDATA[ <p>　未来社会ではビッグデータはじめ、膨大な情報が消費されることが予想されます。</p><p>　情報の単位はビットであることが知られています。では、「情報の消費量」の単位（物理次元）は何でしょうか。</p><p><br>　ウェブで情報消費や情報消費量の検索をしてみましたが、まともな定義は不思議なことに、まったくありません。そこで、勝手に創作し定義してみようと考えました。</p><br><p>　そもそも「情報消費量」とは、どういう意味でしょうか。</p><p><br>　情報の消費の意味を考えるために、対語となる情報の生成（生産）から伝達、そして消費までの過程を考えてみます。この過程は、次のキーワードで示すことができると考えました。</p><br><p>　①生成・生産過程：測定や観察結果、検索対象、創作物、意志表現物など<br>　②t伝達・供給過程：マスメディア、ネットワーク、ＣＤＲＯＭ、ネット等の媒体<br>　③受信・消費過程：理解、意思や行動の決定、娯楽的開放感、快感等、心的沈静化</p><br><p>　①の生成・生産過程で身近なものは、ウェブ、ＴＶの取材、天気予報、新聞などです。映画、音楽、ゲーム、絵画もその仲間です。また意志表現物とは、電話やメールなど文字や音声、動画で表された個人の意見、感情表現などです。</p><p><br>　伝達・供給過程の②で思いつく物は、紙でしょうか。　さらに電話機材や電波媒体そのもの、ネットワーク、またそれにつながるパソコンやソフト、モデム機器もその過程の代表物です。人間社会に限定すればこうなるでしょうが、動物や昆虫など生物全般のことを考えれば、「特定の種の集団内で生産された意味のある記号や現象を送受信する介在物すべて」と定義すればいいかもしれませんね。</p><p><br>　以上の情報生産過程と伝達の過程は日常生活でよく経験しており、ここで情報の量を表すとするなら、「ビット（あるいは文字なら語数）」で表現することが適切かもしれません。</p><p><br>　しかし情報を受信して消費をする③の過程ではどうでしょうか。</p><p><br>　ユーザーに届いた情報は、やはりビットの単位で考えるものでしょうか。</p><p>　もしそうなら、「今日の天気予報は５０ビットの内容だった」「今日の拉致事件の報道は１００ｋビットの刺激だった」という捉え方をするものになります。</p><br><p>　これでは情報の量的な面だけ示し、消費過程を何も示していません。消費過程では、たとえば電気エネルギーのワットが熱のカロリーや機械的仕事ジュールのように「ビット」とは別次元の単位に変化すると考えます。この別次元の単位を創作してみましょう。</p><br><p>　情報消費の代表例として昔から膨大なお金をかけ、どんなメディアが登場しても全然すたれない「天気予報」を例にとりましょう。天気予報では例えば「明日５０％で雨、最高気温１２度」の情報生成と伝達をします。すると、多くの人はコートを着て傘をもって行こうと、活動計画を立てることになります。人間だけでなく、動物や昆虫もこれに似た適応予測行動をすることでしょう。このとき天気予報は、人間に何を消費させたのでしょうか。</p><p><br>　予報はあくまでも予報であり完璧にあたるわけではありません。しかしそうした「現実とは異なる記号的メッセージ」が電気エネルギーのように人や動物、昆虫の頭脳に入り込み、何らかの行動や行為に及ぶものとして変化、変質したのです。</p><p>　ここで消費され変化したものは、受け取った人の不安感の低減、そのもとになるアドレナリン量の多少であると考えられないでしょうか。ニュースやドラマが面白かったという消費の程度も何かの量で示そうとするなら、脳内のドーバミン（快楽感を作る化学物質）が何ピコグラム放出されたか、となるのでしょうか。</p><br><p>　こう考えると、「あのニュースは、タバコ１本分に匹敵するドーバミンの快楽さがあった」とか、「明日の天気予報は、上司に怒鳴られるくらいのアドレナリン量だ」というように、生物特有の物質量に単位互換ができそうです。これを③の過程の情報消費量単位として使えそうですね。</p><p><br>　しかし、人間や動物の化学物質量をいちいち持ち出すと話が複雑になります。</p><p>　力学分野で消費というと、熱量でも仕事量でもいったん「ジュール」にまとめますが、情報消費の単位もそうするのがよさそうです。ドーパミンやアドレナリンは質も量も違いますが、これをいっしょくたに「ホルモーネ」と呼ぶことにします。これが情報消費量の単位です。</p><br><p>　ホルモーネは未知の化学物質を含むさまざまな微量物質の総称であり、情報に反応する単位行動エネルギーに変換できるものとします。そういう面でこのホルモーネは、エネルギー単位の「ジュール」とは異なり、労働時間に変換可能な貨幣のような単位と考えます。ただし人間のみならず動物や昆虫また植物も予測適応をしますので生命体全部にこの単位が通用するとします。</p><br><p>　さて、「ホルモーネ」の値が大きければ、情報消費量が大きいものとします。とりあえず人類共通の情報消費量の単位を規格制定します。例えば、情報を何も受け取らず未来の状況に対して全く無知の状態を０ホルモーネとします。</p><p><br>１ホルモーネは、１週間前に知る天気予報ぐらいの消費量で、「あ、そう」というストレスの程度です。<br>１０ホルモーネは、交通取締りのブザーが鳴り、そろそろ出会うかなという程度の消費量です。<br>５０ホルモーネは、異性からの結婚承諾、またフラれる知らせを聞かされるレベルです。<br>１００ホルモーネは、身内の不幸のレベルです。<br>１０００ホルモーネは、自分の生命を覚悟したときのストレスのレベルです。</p><br><p>　それでこんな単位を作って何が有益かというと、情報生産品の「面白さ」や「役にたつ」度合いの客観的な評価ができることです。</p><p><br>　現在は、あの映画は三ツ星レベルだ、とか、そのホテルは五つ星だ、またアンケートで、「とても役にたった」「まあまあだった」の感想値を提示していますが、それらは実は全部、新しい情報消費量ホルモーネに還元できるのです。逆に言えばこうした心理的評価は実は全部、情報消費量の概念でくくられるものであったと再確認できるはずです。</p><p><br>　情報消費量は貨幣のような単位であり、まさにビットコインのように、貨幣へも直接交換できます。たとえば技術改良で新しいメディアを使うと、この○○回線では何ホルモーネ向上するというように、一定の規格基準により表現することができます。</p><p><br>　もうひとつの大きな用途は、人工知能システムにコンテンツ情報の価値判断をさせることです。仮想人格にソフトウェアを使わせ、あるいは新作の映画を鑑賞せた、テスターの針のように「○ホルモーネ」と表示させます。まるでカラオケ点数表示器のような感じがしますが、いろいろなノウハウを積み重ね、全人類が感ずるータに近くなるように校正します。</p><br><p>　もしこの情報消費量の測定機械があれば・・・</p><p>　情報の消費段階での情報の価値がわからず、有名大学教授や官僚の談合まがいの会議でしか決定ができなかった情報関連新規事業に対し、誰でも独自の判断で融資できると思います。</p><br><p>　最後まで読んでいただきありがとうございました。</p><br><br><p><br></p>
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<pubDate>Tue, 18 Mar 2014 21:01:21 +0900</pubDate>
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