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<title>ORQUEのブログ</title>
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<title>アメリカインディアンという呼び方について</title>
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<![CDATA[ 近年、「アメリカインディアン」という呼称について差別を助長するという理由から、ネイティブ・アメリカン(Native American)と呼び替える動きが進んでいるが、これら「アメリカ」を含む単語はアメリカ合衆国内の先住民のみを指す場合もある。ネイティブ・アメリカンという呼称はインド人(Indian)を祖先に持つインド系アメリカ人(Indian American)と区別するために、人類学者が作った造語である。アメリカ先住民の活動家、ラッセル・ミーンズ(Russell Means)は、アメリカ先住民への承諾なしに政府がこの用語を使用しているとして批判している。別の視点では、白人が過去の不正行為から目を背けて「インディアン」という言葉を削除しようとしているのではないかという疑問もある。さらには、「ネイティブ」という単語は「?生まれ」を意味するため、アメリカで生まれた人すべてを指すことにもなるという意見も出ている(これを区別するため、一般的にネイティブ・アメリカンの表記では大文字のNを使用している)。 また、「アメリカインディアン」と呼ばれることに誇りをもつ先住民はこれを自称し、またその名称を替えること自体が差別的であるとする見解もある。これはそもそもアメリカという地名そのものが後付であるという見解からである。また、インディアンは差別語ではないという人は少なくない。1996年の先住民に対する調査では、ネイティブ・アメリカンよりもアメリカン・インディアンという呼称のほうが好まれるという結果も出ておりインディアンと呼ばれる事に誇りを持っている人も多い。 とはいえ、ほとんどのアメリカン・インディアンは、インディアン、アメリカン・インディアン、ネイティブ・アメリカンという用語に不快感はなく、いずれも同じ意味合いで使用されている。2004年にワシントンD.C.で開館した博物館の名前は、国立アメリカ・インディアン博物館となった。 カナダでは、イヌイットとメティ（Metis、先住民とヨーロッパ人両方の血を引く人々とその子孫）を除く先住民の総称としてファースト・ネーションズという呼称が一般的であり、ハイダ、クリー等個々の部族を指すときは部族名の後に「ファースト・ネーション」をつける（例：ハイダ・ファースト・ネーション）。メティの人々の総称はメティ・ネーションである。また、会話中ではネイティブ・カナディアン(Native Canadian)という呼称が使われることもある。<br>■「アメリカインディアン」『フリー百科事典　ウィキペディア』（http://ja.wikipedia.org/）
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<link>https://ameblo.jp/designers-orque/entry-11363893785.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Sep 2012 20:41:33 +0900</pubDate>
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<title>アメリカインディアン─迫害の歴史</title>
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<![CDATA[ <font size="5">アメリカインディアン─迫害の歴史</font><br>アメリカインディアンとの戦い：コロンブスが新大陸に到着した当時、現在のアメリカ合衆国には200万人程のアメリカインディアンが存在し、言語も極めて多く８００以上の独立した言語があったと考えられている。 かれらの生活様式や政治組織・経済機構・は部族により多様であるが、アニミズム的宗教や自然に対する考え方などでは一定の共通性をもっていた。 しかし、１６世紀の白人の到来によって、銃・鉄製品など生活を豊かにするものも手にしたが、基本的にアメリカインディアン独自の生活には終止符がうたれることになる。彼らは、土地も生命も文化も全て奪われて居留地へと囲われていくのである。 1776年の合衆国独立宣言には、「すべての人は平等につくられ……」とうたわれているが、アメリカインディアンがこの「すべての人」に含まれないのは明らかだった。 合衆国は、領土の拡張と白人定住地の拡大を国家的使命としたが、その使命はアメリカインディアンの征服と土地奪取なしには達成されえなかった。 最初、アメリカインディアンの部族を主権国家とみなして条約を結んで土地を購入するという政策をとったのもつかの間、1803年にジェファーソン大統領が「われわれが手を振り降ろしさえすれば粉砕されてしまうことをアメリカインディアンは理解すべきだ」と述べたように、合衆国の国力が強まるにつれ、「力」による抑圧が公然と行われていった。 1830年、ジャクソン大統領は強制移住法を制定し、5万人のアメリカインディアンをミシシッピ川以西のインディアン=テリトリーへ移住させた。頑として移住を拒否し続けたチェロキー族も、ついに1838年に連邦軍によってジョージアから追いたてられた。1万2000人のチェロキー族一行は、冬空の下、5ヵ月をかけてオクラホマへの長い行程を強いられた。寒さ、飢え、病、暴行によって8000人もの命が失われたという「涙の旅路」である。 強制移住の結果、ミシシッピ以東の土地はほぼ完全に白人に開放された。そして、連邦政府は移住させたアメリカインディアンに対しては「文明化」を推進していく。 19世紀後半、とくに1860年代から80年代にかけての西部は、こうしたアメリカインディアンと白人との激烈な戦いの場となった。 アメリカインディアンにとっては、侵略者から自分たちの生活を死守するための戦いだったのであり、実際に野蛮で残虐だったのは白人の側だったのである。 アメリカインディアンは、白人に立ち向かった。 1866年のフェッターマン大尉以下81名のせん滅や、1876年のスー・シャイアン連合軍によるカスター将軍大隊のせん滅など、アメリカインディアン側は輝かしい戦果をいくつも挙げ、スー族のシッティング・ブルやアパッチ族のジェロニモの名は白人を震え上がらせた。 しかし、白人側の軍事的・物量的優位はやはり動かしがたかった。ジェロニモは降伏し、シッティング・ブルも保留地に閉じ込められた末に、1890年12月15日、ついに逮捕された。 「わたしは行かない。さあ、みんな立ち上がれ。決起するのだ。」 こう叫んだ瞬間にブルは射殺された。 この2週間後、第七騎兵隊は無抵抗のスー族200名を虐殺した。この事件によって、アメリカインディアンの武力抵抗は完全に弾圧された。 同じ1890年の合衆国国勢調査は、フロンティアの消滅を高らかにうたった─。 合衆国の発展と繁栄は、まさにアメリカインディアンの屍の上に築かれたものだったが、白人たちは辛うじて生き延びたインディアンに対しては、生存の条件としてアメリカインディアンであることをやめるよう要求した。 アメリカインディアンの文化的抹殺こそが、文明の勝利だと確信されていたのである。 すべてのインディアンが合衆国市民として認められたのは、ようやく1924年のことだった。 19世紀末に25万人にすぎなかったアメリカインディアンの人口は、現在142万人（1980年）にまで回復している。 しかし、社会的・経済的裏づけのない政治的権利は、アメリカインディアンにとっては、絵に描いた餅にすぎない。収入・学歴・生活環境なとさまざまな指標では、アメリカインディアンは民族集団の中でも最下位に位置している。 アメリカインディアンへの人種的差別も根強いものがあり、依然として合衆国の中でアメリカインディアンがアメリカインディアンとして生きていくことは容易ではないのである。<br>参考：鵜月裕典「アメリカ・インディアン史」─歴史読本ワールド『西部英雄伝』
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<link>https://ameblo.jp/designers-orque/entry-11363892394.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Sep 2012 20:39:36 +0900</pubDate>
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<title>アメリカインディアン[ネイティブアメリカン]</title>
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<![CDATA[ <font color="#FF0000"><font size="5">[アメリカインディアン]</font></font><br><br>なじみの言葉ではあるが、”アメリカのインド人”と呼ばれるのは何故なのか。<br>アメリカインディアン/アメリカの名の由来は、１６世紀イタリアの探検家で商人のアメリゴベスプッチによりアメリカが１つの大陸であることを発見し、その功績をたたえ彼のラテン語名Americus Vespuciusからこの新大陸をアメリカとなずけた。<br>問題は(?)コロンブスたちである。<br>初期ヨーロッパ人探検家たちがアメリカ合衆国に初めて到着した時、インドに到着したと間違って、彼らはアメリカのネイティブ・アメリカン先住民をインディアンと呼んでしまったことにある。この間違いが今日まで続いているのである。<br>彼らアメリカインディアンは日本人と同じモンゴロイドであり、かつて氷河期であった２万５千年ほど前にアジアからベーリング海峡を渡ってマンモスやバイソンを追ってアメリカ大陸へと移動してきた民であることが常識となっている。<br>コロンブスがアメリカ大陸に初めて上陸したころ、北アメリカ（北米）には約200万人ほどの先住民が生活をしていたといわれている。かつては、アメリカの西部劇の印象そのままに羽飾りをまとった勇敢ではあるが「頭の皮をはぐ、などの」悪役として描かれていた彼らも現在では、インディアンジュエリー、やカチナ人形、ナバホラグなどアートに、またホピ族など精神世界へとつながる存在として広く知られるようになってきた。<br><br>『フリー百科事典　ウィキペディア日本語版』<a href="http://ja.wikipedia.org/" target="_blank">（http://ja.wikipedia.org/）</a>
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<link>https://ameblo.jp/designers-orque/entry-11363883433.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Sep 2012 20:14:48 +0900</pubDate>
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