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<title>diannaozxcのブログ</title>
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<title>黄色な顔</title>
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<![CDATA[ <br>私は私の仲間の話をしようとすると、我知らず失敗談よりも成功談が多くなる。無論それらの話の中では、私は時によっては登場人物の一人になっているし、でなくても私はいつも深い関心を持たせられているのだが、――しかしこれは何も、私の仲間の名声のためにそうするわけではない。なぜなら事実において、私の仲間の努力と、多種多様な才能とは真(しん)に称讃すべきものではあったけれども、それでもなお、彼の思案に余るような場合があったからだ。ただどうかしてそんな場合にぶつかって私の仲間が失敗したような所では、他(た)の者もまた誰一人成功したものはなく、事件は未解決のまま残されるわけである。けれど時々、ちょっとした機会から、彼がどんな風にしてその真相を誤解したかと云うことが、後から発見されたこともある。私はそんな場合を五つ六つ書き止めておいた。そのうち今ここですぐお話出来るものが二つある。そしてそれはそれらのうちでも一番面白いものである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/diannaozxc/entry-11576542571.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jul 2013 14:05:24 +0900</pubDate>
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<title>器楽的幻覚</title>
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<![CDATA[ <br>休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目(めくば)せをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独ということも、その晩そのときにとっては非常に似つかわしかった。そうして黙って気を鎮めていると私は自分を捕えている強い感動が一種無感動に似た気持を伴って来ていることを感じた。煙草を出す。口にくわえる。そして静かにそれを吹かすのが、いかにも「何の変わったこともない」感じなのであった。――燈火を赤く反映している夜空も、そのなかにときどき写る青いスパークも。……しかしどこかからきこえて来た軽はずみな口笛がいまのソナタに何回も繰り返されるモティイフを吹いているのをきいたとき、私の心が鋭い嫌悪(けんお)にかわるのを、私は見た。<br>
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<link>https://ameblo.jp/diannaozxc/entry-11576542341.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jul 2013 14:04:43 +0900</pubDate>
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<title>既往文化と新文化</title>
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<![CDATA[ <br>一体、国防国家といふものゝなかで、文化はどういふ取扱ひを受けるべきかといふ問題ですが……この点に関しては、実にいろいろの意見があるやうです。すなはち、文化問題に就いてはまだ考へ及んでゐない、これは後廻しだといふ説が出たり、或る場合には、今までとにかく出来上つてゐる文化自体を、こゝで利用すべきだと考へられたり、一方また既往の考へ方では文化の発展などは望まれず、全く、国防国家のために必要な文化だけをこれから作り上げるべきだといふ考へ方等々が今日ではごつたになつてをるわけです。こいつを僕等はもう一応はつきりと決めてかゝらなければいけないと思つてをります。<br>
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<link>https://ameblo.jp/diannaozxc/entry-11576542071.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jul 2013 14:03:59 +0900</pubDate>
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<title>祇園の枝垂桜</title>
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<![CDATA[ <br>位置や背景も深くあずかっている。蒼(あお)く霞(かす)んだ春の空と緑のしたたるような東山とを背負って名桜は小高いところに静かに落ちついて壮麗な姿を見せている。夜には更に美しい。空は紺碧(こんぺき)に深まり、山は紫緑に黒ずんでいる。枝垂桜は夢のように浮かびでて現代的の照明を妖艶(ようえん)な全身に浴びている。美の神をまのあたり見るとでもいいたい。私は桜の周囲を歩いては佇(たたず)む。あっちから見たりこっちから見たり、眼を離すのがただ惜しくてならない。ローマやナポリでアフロディテの大理石像の観照に耽(ふけ)った時とまるで同じような気持である。炎々と燃えているかがり火も美の神を祭っているとしか思えない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/diannaozxc/entry-11576541597.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jul 2013 14:03:02 +0900</pubDate>
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<title>機械　</title>
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<![CDATA[ <br>そんな風に考えるとこの家の中心は矢張り細君にもなく私や軽部にもない自ら主人にあるといわねばならなくなって来て私の傭人根性が丸出しになり出すのだが、どこから見たって主人が私には好きなんだから仕様がない。実際私の家の主人はせいぜい五つになった男の子をそのまま四十に持って来た所を想像すると浮んで来る。私たちはそんな男を思うと全く馬鹿馬鹿しくて軽蔑したくなりそうなものにも拘らずそれが見ていて軽蔑出来ぬというのも、つまりはあんまり自分のいつの間にか成長して来た年齢の醜さが逆に鮮かに浮んで来て  その自身の姿に打たれるからだ。こんな自分への反射は私に限らず軽部にだって常に同じ作用をしていたと見えて、後で気附いたことだが、軽部が私への反感も所詮はこの主人を守ろうとする軽部の善良な心の部分の働きからであったのだ。私がここの家から放れがたなく感じるのも主人のそのこの上もない善良さからであり、軽部が私の頭の上から金槌を落したりするのも主人のその善良さのためだとすると、善良なんていうことは昔から案外良い働きをして来なかったにちがいない<br>
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<link>https://ameblo.jp/diannaozxc/entry-11576540805.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jul 2013 14:01:29 +0900</pubDate>
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