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<title>幸福探求における一つの議論</title>
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<description>幸せに生きるために何ができるか色んな本を読んで考えたことを伝えたいと思います。ぜひあなたの考えも教えてください。</description>
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<title>揺らめく心の行き場所</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんはdigidonです。</p><p>さてさて、仏教の話を始めて、3回目になりますが、ここ数日、仏教において大切な教えは何だろう？という問いに対して答えが見つからない日々を過ごしています。</p><p>&nbsp;</p><p>前回のブログでは、生きるとは苦しいことだと知ることで、気が楽になると書きました。このことは、先日紹介した『ブッタとシッタカブッタ』の中でも、「雨が降っているときに雨を止めようとする人はいない。外に出るのをやめるか、どうしても外に出る必要があるときは傘をさして対策をして出かけるのです。人間の心の揺らめき（苦しみ、怒り）もこれと同じで、怒っていると思った時には、怒りを鎮めようとするのではなく、自分は今怒りの中にいるのだと冷静に見つめることが大切」というような趣旨で書かれています。</p><p>&nbsp;</p><p>苦しい時にはどうしても、苦しみを消そうと衝動的な行動を起こしてしまうことがあります。それが八つ当たりの人もいれば、お酒や衝動買いなどに走る人もいるでしょう。私の場合もお酒でしたかね。</p><p>&nbsp;</p><p>今でこそ、不飲酒（ふおんじゅ）という仏教の戒律に従ってお酒をやめましたが、昔はイライラするととにかくお酒を飲んでいたように思います。仏教でお酒をやめなさいと教えるのは、どうしても心の制御ができなくなるからなのだと何かの本で読んだことがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>仏教では、身を亡ぼすような行いを貪瞋痴と呼びます。</p><p>貪：トン。むさぼること</p><p>瞋：ジン。いかること（心を揺り動かすこと。怒りだけでなく喜びも含まれる）</p><p>痴：チ。仏教的に無知であること。</p><p>をまとめて三毒と言います。私が以外に感じたのは、瞋の中に喜びも含まれていることでした。今日は嬉しいことがあったからいい日、今日はイライラすることがあったから悪い日。そんな風に生きていては、いつも心が揺れ動いて苦しいままなのだから、いいことも悪いことも只の事実、現象と思って淡々と受け入れなさいというのが、仏教の教えです。</p><p>&nbsp;</p><p>これ、非常に難しいです。私もいまだにイライラしてしまう日があります。でもそんな時こそ、今イライラしていると自分に言い聞かせてこれ以上心が怒りの方に行かないように、嫌いな人に近づかない、楽しいことを思い出す。なんてことをしています。これも対処療法的で本質的な解決には至らないですが、どうか、イライラして仕方ないというとき試してみてほしいと思います。怒りに任せるよりも冷静に解決策を模索できることが多くなると思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12273860724.html</link>
<pubDate>Fri, 12 May 2017 00:58:54 +0900</pubDate>
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<title>日本の設計図</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、digidonです。</p><p>安倍首相から、改憲の日程が出されました。2020年の改憲を目指し、自衛隊を明記するとのことでした。さてさて、改憲によるメリット、デメリットは私のような素人が話をするのを待つまでもなく、これから色んな専門家が手を変え品を変え説明していくことでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>私も一年前なら「改憲はどんどんやろう」と言っていたのでしょうが、最近、孫崎さんの『小説　外務省』を読んでからは少し自分の考えに自信をもてなくなってきました。孫崎さんの本は『日本の国境問題』を読んで以来だったのですが、外務省官僚だった、孫崎さんから見た国境問題の捉え方は非常に勉強になりましたので、以下概要を記します。</p><p>&nbsp;</p><p>・日本は敗戦時にポツダム宣言を受諾し、ヤルタ会談で決まった領土が日本の領土であることに同意している</p><p>・ヤルタ会談で明確に日本の領土と決められたのは、北海道、本州、四国、九州まででその他の島についてはアメリカやロシアなどの勝戦国が決めることとなっている</p><p>&nbsp;</p><p>この内容が改憲の話とどうつながってくるかと言えば、私は軍事力強化の理由なのだと思います。おそらく、今後、憲法九条について、諸外国の日本の領土に対する脅威（侵略のおそれ）が高まったから云々という論説が出てくると思うのですが、この日本の領土に対する脅威として主に語られるのはロシアに占領されている北方領土と中国と衝突が絶えない尖閣諸島の話になるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>先ほども書いた通り、北方領土も尖閣諸島も決して日本が声高に固有の領土と叫べるものではありません。いうなれば「かつての固有の領土」もしくは「戦前は固有の領土だった島」なのでしょう。さて、北方領土については、長らく問題になり、教科書にも固有の領土と書かれていますが、尖閣諸島が問題になり始めたころのことを皆さん覚えているでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>私は、最初に尖閣の話が話題になったときに、そんな島があるとは知りもしませんでしたが、政治的にはかねてより「棚上げ合意」があったとされています。つまり、日本のものとも中国のものともはっきり決めずに時が解決するに任せようという判断です。この棚上げ合意が戦後ずっとあったにも関わらず、突如として棚上げ合意なんて初めからなかったかのように話が進められているのです。曰く「尖閣諸島は日本固有の領土である」と。これにより日中関係が急激に悪化し、日本の領土問題として根付いていくことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、この尖閣問題は、もともと問題になっていなかったものが、政治のリードミスにより突如として非常に危険な、ともすれば領土争いの戦争に発展しかねない問題になってしまいました。このリードミスを正すのではなく、領土問題として軍事力強化に向かう果たしてこの方向は正しいのでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>憲法は政府、国が守るべき事項です。いわば、この国の設計図なのです。改憲といえば、憲法九条ばかりが言われますが、法の下の平等、文化的生活、労働、教育、納税その他多くの大切なことを国はちゃんと整備しなさいよというのが、憲法です。教育の義務は「親になったら子供に小・中学校の教育を受けさせなさい」と国民に義務付けるものではなく、「国は、貧困やネグレクト等の家庭に問題がある子供も平等に教育の機会を与える整備しなさい」と国に義務付けるものです。さて、翻ってシリア攻撃をしたトランプ政権の意志を支持する安倍政権は「平和を希求」しているのでしょうか？この国の設計図を改めるに必要な資質はあるでしょうか？改憲までまだ時間はあります。今こそ国民は必死になってどういう国が理想であるかを考える時なのではないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34471835" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="小説 外務省-尖閣問題の正体" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/516HlP4ljyL._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34471835" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">小説 外務省-尖閣問題の正体</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34471833" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="日本の国境問題　尖閣・竹島・北方領土 (ちくま新書 905)" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41KizBbEyxL._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34471833" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">日本の国境問題　尖閣・竹島・北方領土 (ちくま新書 905)</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12271338481.html</link>
<pubDate>Wed, 03 May 2017 20:23:08 +0900</pubDate>
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<title>生きることの苦しみ</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、digidonです。</p><p>前回の更新から日が経ってしまいましたが、今日は仏教ではとても大切な怒りを鎮めることについて紹介したいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>皆さん怒りというとどんな状況が思い浮かぶでしょうか？</p><p>やはり、理不尽なことが起きたら怒りますし、腹の虫の居所が悪いときには通りすがりの人と肩が触れるのですら怒りのもとになってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>私も昔は何にでも怒り散らしていたように記憶しています。やれ、仕事が忙しいのに飲み会の幹事が多いと怒ってみたり、私は一生懸命働いているのに、なぜ同僚のあいつはのうのうと休んでいるんだと怒ってみたり、それはそれは大変な怒り様だったように思い出します。</p><p>&nbsp;</p><p>怒っている時というのは、私の場合は概して「自分は正しいのに周りが間違っている」という思いに駆られていることが多かったように思います。私は忙しいんだから飲み会の幹事位暇な奴に振るべきだ、それができない上司はマネジメントができないんだから暇な社員ともども辞めてしまえ、なんてもっともらしいロジックまでこしらえて他人の批判に余念がなかったのが数年前の私です。こんな状態で幸せになんてなれる訳もなく、何をするにもピリピリしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>こんな状態のとき、今の私なら「生きるとは苦しいことと知りなさい」とアドバイスすると思います。仏教では生きるとは一つの苦しみから異なる苦しみへ移行することであると教えます。</p><p>&nbsp;</p><p>空腹が苦しいから食事をするけれども、食べ続ければどこかで満腹で苦しくなります。睡眠をとれないことは苦しいけれども、何もしないでずっと寝続ければいつか苦しくなります。仕事だって忙しすぎると苦しいけれど暇すぎるとそれはそれとして苦しいものです。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、この教えでは、今の苦しみを耐えろという話にしかならず、一時的に、忙しさを納得させるだけで本質的な解決には至りません。この先の幸せになる思考については、また後日。</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12270235222.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Apr 2017 07:42:54 +0900</pubDate>
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<title>アナウンサーのカラコンも信心から</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんはdigidonです。</p><p>30代の女性アナウンサーがカラコンをつけるのはありやなしやとテレビでやっていたと、ヤフーニュースになっていたのを見ました。少し気になったので、今日はこの話です。</p><p>&nbsp;</p><p>前回のブログで、「幸せになりたければお布施でお金を」という宗教は似非だと書きましたが、カラコンをしないとテレビに出られないアナウンサーの存在は、日本人と宗教の関わりという意味でとても大切なことを示唆しているように思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、皆さんは、「宗教」という言葉を聞いて何を思い浮かべるでしょうか？</p><p>自分の家は仏教の何宗で～とか、いやいや家は仏教じゃなくて神道だから～という話や、国内ではオウム、国外ではISなどなにやら宗教に絡むと恐ろしいことになってしまうのではないか～とか色々な意見があることかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>私が「宗教」ときいて思うのは「心の安らぎを与えるものであれば何でも構わない」というものです。例えば、医療が発達する前に人々はどのようにして、治療を行ったかと言えば、経験に基づいて薬草を使うか、加持祈祷を行っていたわけです。薬草の方は後に薬学として発展して本当に効果があるものと単なる言い伝えに過ぎないものが選別されていくことになるのでしょうが、翻って加持祈祷はどうでしょうか？程度の差こそあれ、未だに自分や他人の健康を、神様、仏様に期待している人は多くいるのではないでしょうか？これだけ医学が発達しているのですから、医学的に健康のためのお守りを買ったり、手術が成功するようにとお祈りをしたり、ましてや病気そのものを治すために加持祈祷をあげることに本質的な解決がないことは証明ができると思います。では、なぜ人間はそれでも神様、仏様を頼ってしまうか？それは心の安らぎのためだと私は思います。</p><p>&nbsp;</p><p>治療は、お医者さんに任せるのが一番であることは頭では理解していても、ただじっと何もしないで任せているのはどうも不安で仕方がないからお守りでも買っておこうか。そして、いざ病気が治ってみると医学の力では治って当たり前だと思っているから、最後の一押しとしてこのお守りが効いたんだなんて自分を納得させるのです。このとき、お守りと治療の間になにか因果関係があるでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>あるとすれば、医者の言うことにただ従うのは不安だからと必要以上に診療を受けることを抑えた、医者の言うことにただ従っているわけではなく自分で考えてお守りを買ったから後は医者い任せようと考えて医者に素直に従うことができたということかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、お守りでもお祈りでも病気は治せませんが、病気で不安だからと言って自分の心をすり減らすことを抑えることはできます。この。「自分の心をすり減らすことを抑える」＝「心の安らぎ」であり、宗教の役割だと思います。冒頭で紹介したアナウンサーの方も「裸は見せられてもカラコンを外した姿は見せられない」とおっしゃっていました。彼女にとってはカラコンがあることで、自分に自信がもてるもしくは普段の自分とは違う特別な自分がカメラの前にいるという自己暗示のような心境に達することができ「心の安らぎ」を得られているのではないかと考えたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ここから何が言えるかと考えると、私が言う似非宗教は仏教やその他どの宗教から見ても胡乱なものに見えるのだけど、そこにお金を払うことで信者が心が安らいで自分の問題に立ち向かえるようになっているのであれば、宗教としての役割は果たしているということなのです。自己矛盾に陥っているように聞こえると思いますが、似非宗教だからと言ってその存在を簡単に排除はできないということです。ただし、その似非宗教の教祖が本当に信者の幸せを願わず、私腹を肥やすために、名誉欲を満たすために金集めをしているなら離れたほうが賢明だとは思いますが。</p><p>&nbsp;</p><p>このように験担ぎのようなことをするとき、そこには宗教があります。日本人は宗教と聞くとどうしても危険物扱いしたくなります。イスラム教徒が聖地に向かって日に何度も礼をささげることを必要以上に奇異な目で見たがりますが、日本人だって、たかが一週間しかない祭りのために何カ月も必死にお囃子や踊りを練習して、山車をつくってと、宗教的儀礼に積極的に関与する心をもっているのです。</p><p>&nbsp;</p><p>「健全な宗教を自分の中にもつこと。」これが幸せになるための第一歩ではないかと思います。別に何教である必要はありません。信者がたくさんいる必要もありません。ただ、自分がこれがあるから心を落ち着けて目の前の課題克服に集中できるというものをもつことが大事だと思います。そして次に大切なことは他の人の宗教を傷つけず尊敬する心を持つことだと思います。その大切さを気づかせてくれる僧侶の松山さんのお言葉を紹介します。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/8mAPA3YKC_A" width="416"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 22 Apr 2017 22:11:46 +0900</pubDate>
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<title>そもそも幸せとは？</title>
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<![CDATA[ <p>「そもそも」ってそもそもどういう意味ですか？と、国会で少し盛り上がったようですが、言葉遊びしてないで、中身の議論が必要なのではないんでしょうか？言葉にどういう意味が込められているかはコミュニケーションをとる上で共通認識されているべき重要な前提条件であるだろうけれども、どういう意味で使ったかが大切であって、議論をする中では意味を広めにとったり、どういう意味でその言葉を使ったか確認したりすれば良く、それこそがコミュニケーションではないかと感じるのは私だけなのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>ということで、今回はこのブログを始めるきっかけにもなった、そもそもの幸せとは？というところを考えたいと思います。最初にお伝えしたいのは以降基本的には仏教的観点からの幸福の話になります。さらに言えば日本で多くの人が仏教に抱く、お寺にいったり、お葬式で触れるような大乗仏教の話ではなく、上座部仏教に根付いた話になります。とはいえ、私もまだまだ勉強中で、何も偉そうなことは言えないのですが、皆さんにお伝えする中で考えを深めていければなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも、私が仏教に興味をもつきっかけになったのは、大学時代に先輩から『ブッタとシッタカブッタ』を借りたことでした。こう書いてしまうとその後怪しいセミナーに連れていかれて。。。なんて展開が予想されますが、そんなこともなく、この本のおかげで非常に救われた思いをしたことを今でも覚えています。この本を借りた時の私は、田舎から上京して、何をするにも不安でいっぱいでした。田舎の高校で自由も遊ぶ場所もなかった環境から、いきなり東京に出て、何時まで遊んでも、勉強しても自分の自由になったからといって、「あぁ。こんな幸せがあったなんて」となるような人間ではなかったのです。逆に「自由になったところで、何をすればいいのかわからない。周りはみんな楽しそうにしているけれど、自分は何をすればいいのだろう？」と、不安になってしまったのです。自分の価値観に合わない人や自由に遊び歩いている人間を血眼になって探しては批判することで、かろうじて「自分より下がいる。自分はまだ大丈夫」という自尊心を保っていたように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>こんなことを続けている内に、ついに私は世の中の人間を好きな人と嫌いな人とに分けて付き合いはじめ、友人からは「子供の好き嫌いみたいな人間関係をしている」とまで言われるようになったのです。そんなときにたまたま読んだこの本には人の心のクセのようなもののヒントがたくさん書かれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>「あなたが嫌いな人にも一人位は親しく話をする人がいる。とすれば必ずその人にはいい面がある。」</p><p>「験が悪いと今までの慣習から考えてしまうのは人間の悪い癖で、何も因果関係がないことをむやみに怖がるべきではない」</p><p>などなど、当時の私が欲していた教えがたくさんありました。</p><p>ちなみに今はもう少し勉強が進んで、「幸せになるために教団にお布施をという仏教団体は似非仏教」であるとか、貪瞋痴の三毒の話とか、それこそ言葉を超えた概念の仏教の話であるとか色々とあるのですが、その辺の話はまた今度にしたいと思います。ひとまず、私が一番大切にしている仏教から学んだことは、「幸せになりたければ、まっとうな努力をする必要がある」というものです。この辺の話も長くなるので、これから少しずつ考えていければなと思います。</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34368511" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41BPWJ1DQEL._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34368511" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 20 Apr 2017 00:20:49 +0900</pubDate>
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<title>たまには正義論</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんはdigidonです。北朝鮮の式典でのロケット発射のニュースが非常に大きなニュースとなっていますが、国連が国際的な平和のために設立されてもう70年以上がたつというのに、世界はいつまで世界大戦のツケを払い続けなければならないのでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>この辺の話を難しくしているのは、ツケを払うことが国益の損害と直結してしまう場合が多かったり、本来解決のための手段であるはずの政治が国内人気のために謝罪をいつまでも不十分と言い続ける場合もあることに原因があるのではないかと思います。ここまでくると一体、被害者も加害者も戦争の後遺症から本気で脱却する気あるのか？と疑いたくもあります。それでも問題は問題としてあるわけで、いまだに領土問題で紛争があったり、東西冷戦の置き土産を処理しきれていない例がたくさんあるわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は少し正義について考えてみたいのです。正義論といえば、マイケル・サンデルが有名なのでしょうが、私が参考にした本は</p><p>井上達夫著</p><p>『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』です。</p><p>&nbsp;</p><p>私は理系なので、こういう政治哲学の話ましてやリベラルの本は初めて読みました。というのも、多くの人が学生時代にわかりやすいアイデンティティの確立の一つとして、保守だのリベラルだのに傾倒していく中で私は保守に向かった経緯があるからです。日本に軍隊と徴兵制をなんて恥ずかしげもなく、友人と酒を飲みながら議論をしていたものです。ちなみに今のスタンスは「保守とか革新とかそんなイデオロギーに振り回されるなんて阿保らしい、もっと現実的に実現可能な手段を考えたい。そこにイデオロギーなんて必要ない」というものになりました。人間変われば変わるものなのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>さてさて、そんなわけで本書ですが、著者の井上先生は学会での立場としてはリベラルとのことでしたが、本の中にはリベラルを標榜する反自民党しかできない団体には辟易としてしまう人が多いだろうがリベラルな考え方は必要なものだと述べられています。特に衝撃だったのは、「憲法９条廃止論」ですね、よく改憲だの護憲だのと言っていますが、井上先生は廃止論なんです。戦争放棄するかどうかなんて憲法に書くことでなくて時々の民意に従うべきだとのお考えのようです。私は改憲して軍隊持てばいいんじゃない？と漠然と思っていたので、「お、私の考えと似ているのかな？」なんて安直に考えたら直後の文章で改憲を声高に標榜する保守も改憲後の姿を明確にしていない点で護憲と同じと言われてしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、日本が軍隊を持つとして、正直、今の少子高齢化で子供を育てるために子供基金を作ろうなんて議論している国でどうやって、最低限抑止力に足るだけの軍隊を持てるのだろうと考えます。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな本書ですが、井上先生の正義がまとまって紹介されるのは最後の方です。先生は正義とはグローバル・ジャスティスでなければいけないとおっしゃいます。つまり正義は常に国際的な正義の観点で考え、正義論の中の大きな議論の柱である「戦争」と「貧困」のうち、例えば貧困を考えるときには、国内で貧困をなくすために近隣の貧しい国の労働力や資源を奪ってしまっている場合それは正義ではなくトータルで見て不正義に当たると。これ、私は今まで考えたことがなかったのですが、ホロコーストで８万人死んだことは大問題なのに、なぜ貧困で1年に660万人の5歳未満の子供が死ぬことは貧しい国の自己責任なのだろう？とこれを解決するために先進国が自国の稼ぎの1/70の寄付すればよいのに、なぜそれすらやらず、イラク戦争には出かけていけるのだろう？と井上先生は問いかけます。</p><p>&nbsp;</p><p>この問いを胸に世界を見てみるとどうでしょう？自国第一主義の政党ばかりが目立ち、それをポピュリズムと批判される異常。本来民主的手段で選ばれた政権を終わる前にポピュリズムと決めつけられるものではないのに、そんな批判を受けても「ええ、ポピュリズムですよ」と言わんばかりの厚顔さ。もっと違う正義があっていいのではないでしょうか？ポピュリズムは衆愚政治と訳される大衆が愚かでなければ政治をよりよい方向に動かせるのでしょうか？</p><p><a href="http://www.unicef.or.jp/osirase/back2013/1309_02.html">http://www.unicef.or.jp/osirase/back2013/1309_02.html</a></p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34353838" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41BIpfrO6EL._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34353838" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12266600449.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Apr 2017 23:35:27 +0900</pubDate>
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<title>気ままに書評３(不祥事は財産だ）</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんばんは、digidonです。</p><p>皆さんと一緒に幸せな生き方とは何か？ということに関しての議論をしたいと思って、始めたこのブログですが、今回もまた、ビジネス関係の本となります。</p><p>もう少し、働くことから離れた内容はまた今度にしたいと思います。「そもそも幸せとは何か？」と問えばやはりそこは「自分で決めるもの」という禅問答のような世界に入ってしまいますし、「自分が楽しいと思う時間が幸せ」と楽観的に定義してしまっては、楽しいと思う瞬間がないと苦しんでいる人たちをいたずらに傷つける結果になりますので、ここはまた別の機会にゆっくりやりたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、ということで今日も私が読んだ本から、1冊ご紹介したいと思います。</p><p>樋口晴彦著</p><p>『不祥事は財産だ』</p><p>です。樋口先生は企業不祥事について数多くの著書を残されていて、不祥事発生の経緯から背後要因の分析まで、会社組織にいる人間にとって何よりも大切な「傾向と対策」を教えてくれます。今回取り上げた本でももちろん、「マニュアルどおりの危険性」や「空洞化したコンプライアンス」などの言葉が目次に並び、どこの企業でも発生を懸念して対策をしているであろうことについての実例が紹介されています。</p><p>&nbsp;</p><p>この本で私が最も印象に残っているのは「独立行政法人労働政策研究・研修機構（2004）は、米国においても成果主義が実践されている業界はウォール街の金融機関など一部に限られていると指摘している。（『不祥事は財産だ』より引用）」の一文でした。私の中では、「成果主義こそ頑張った労働者に賃金で報いる方法である」ともてはやされていて世界中どこでも成果主義を採用しているとの認識だったからです。でも本当の世の中は違っていて、成果主義は成果を出すことにだけに労働者の意識が向かい、リスクを回避する、マイナスの成果を隠す又はごまかすインセンティブを生むものであるとむしろネガティブな捉え方をされているようなのです。私も試しに独立行政法人労働政策研究・研修機構のWebサイトにアクセスし、「成果主義」で検索をしてみましたが、確かにそこには成果主義の問題点が多く指摘されていました。</p><p>&nbsp;</p><p>ウォール街等の金融業界では、いくらの投資でいくら回収したという具合に成果を図りやすいところはあるのでしょう。それでは、金融関係以外で考えたとき成果主義とはどのように判断されるのでしょう？営業職はノルマを達成したかどうかという指標はわかりやすいかもしれません、しかし、そこに至るまでのプロセスや周辺業務の成果はどう評価されるのでしょう？残業時間が少なくノルマを達成した人と沢山残業をしてノルマを達成した人は同じ評価でいいのでしょうか？工場に勤めている場合、問題解決に多くの労力を払ったことは評価の対象になるでしょう、それでは問題が発生しないように払った労力はどうやって評価するのでしょう？これはおそらく『バカの壁』で養老先生もおっしゃていたように「病気を予防した医者は名医とは呼ばれない」というのと同じジレンマがあるのではないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>この成果主義について本書の中では、多くの企業がバブル期の人件費削減の手段として導入したと述べています。果たして、成果主義とは誰を幸せにしたのでしょう？成果主義と言えば聞こえはいいですが、成果が何かの議論はすべての業界で尽くされているのでしょうか？労働者の『成果』と雇用主の『成果』は一致しているのでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>ただし、樋口先生が本書で言及されているように、不祥事が発生するときに悪意がある人は多くはないと私も思います。已むに已まれず経費削減のため成果主義を採用した雇用主がいて、已むに已まれず成果のために不祥事に手を出してしまった労働者がいた。おそらくどちらも善意の人なのです。ただ、その善は誰に対する善でしょうか？会社が潰れてしまったら社員の生活も危ういから経費削減のため已むに已まれず成果主義の採用だったのでしょうか？あるいは投資家が経費削減しないと馘を切るといったから已むに已まれず成果主義を採用したのでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>私が本書で学んだことは「多くの人は善の人である。ただし、その善の方向が間違っていては結局悪（不祥事）になってしまう」というものです。自分の私腹を肥やすために不祥事を出したいと思っている人は少ないはずです。背景に何か原因がある。その原因がまさか「お金」だったとき、不祥事という結末はあまりに悲しいとは思いませんか？</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="BlogAffiliate" href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34338343" rel="nofollow" target="_blank"><img alt="不祥事は財産だ-プラスに転じる組織行動の基本則 (祥伝社新書184) (祥伝社新書 184)" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41XVeBKLamL._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a alt0="BlogAffiliate" href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34338343" rel="nofollow" target="_blank">不祥事は財産だ-プラスに転じる組織行動の基本則 (祥伝社新書184) (祥伝社新書 184)</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12265998780.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 00:12:00 +0900</pubDate>
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<title>気ままに書評2（現代洗脳のカラクリ )</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんばんは。digidonです。</p><p>2日続けての更新となりました。今後、どの程度で更新できるかはわかりませんが、最も幸せな生き方とは？という議論を深めていけるようにできる限り、色んな議論の起点を提供していきたいと考えています。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、昨日は、</p><p>松村 嘉浩　著</p><p>『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?―――日本人が知らない本当の世界経済の授業』を紹介し、乱暴な結論だけを記載しましたが、私が「日本の経済は十分に成長し、成長の速度は鈍化したのに、もっと金銭的に豊かでなければいけないという妄想にとらわれた一部の既得権益に洗脳されているからだ」という少々過激な結論にたどり着いたもう一つの重要な本をご紹介します。それが、</p><p>&nbsp;</p><p>苫米地　英人著</p><p>『現代洗脳のカラクリ ~洗脳社会からの覚醒と新洗脳技術の応用』です。<br>&nbsp;</p><p>私は苫米地先生のロジック非常に共感していまして、これまでも何冊か拝見していますが、これを読んだときになんというか、これまで感じてきた矛盾点について非常に合点がいったように感じたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>私が感じていた矛盾点とは</p><p>&nbsp;</p><p>.就職活動では、企業の事業内容を見て就職先を決めるのに、実際に入社してみると現場仕事ではなくプロジェクト運営の仕事であること。</p><p>&nbsp;</p><p>に集約されます。</p><p>&nbsp;</p><p>今の会社から内定をもらった時には、これから私も一社会人として、社会に何かアウトプットを提供する事で社会の一員としての貢献ができるのだと希望を抱いていました。私の場合は理系でしたので、工場で働いて、製品を、たとえ大量消費されるようなものでないとしても、それによって社会が円滑に進むためのアウトプットを提供できる立場になるのだとそんなことを思っていました。</p><p>しかし、実際に働いてみると、なんだか様子が違うのです。私が担当する仕事はどれも、プロジェクトの必要性やプロジェクトの進め方をひたすら上司に説明する仕事ばかり、私の中で果たしてこれは仕事なのか？という思いがもたげてきます。</p><p>最初はこれもものを生み出すプロジェクトの一環なのだから当然仕事だと思っていました。皆こうやって仕事をしていて社内で必要な資料を作って役に立っているのだからこれでいいのだ、誰も万能ではないから得意分野を出し合って協力しあうことで、仕事を円滑に進めることができるのだからこれでいいのだ。とそう思っていました。</p><p>ただ、この考えにもう一歩踏み込んだ時に自分があまりに無力であることに気づくのです。理系で大学院まででて就職した私はなぜ現場にいないのだろう？現場こそが職場であるはずではないのか？果たして、今、自分が関わっている現場でトラブルが起きたときに私が一人だったら何ができるだろう？その時私はあいつが現場にいてくれたから助かったと言われる人材になれているのだろうか？と。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなときに苫米地先生の本は私に「全ての仕事が資本主義の中にある以上は拝金主義の洗脳から逃れることはできない」と教えてくれたように思います。今回紹介した本は、拝金主義という現代洗脳の裏にアメリカやイギリスの大銀行が作り出した拝金主義と疑うこともなく拝金主義に協力する日本政府そして拝金主義を批判するではなく宣伝する現代メディアの関係にスポットを当てています。苫米地先生がこれまで何度も言及されている拝金主義批判と洗脳の関連について改めて説明され、これこそ私の違和感の正体なのだと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日ひたすら机に向かって残業までしているのに、なぜ仕事が終わらないのだろうという疑問。しんどいけれどもこれが仕事さと仲間で支えあっているけれど一番大切なはずの達成感が得られない虚しさ。しんどさのピークを抜けて振り返ったときの評価が妥当かどうか説明がつかないもどかしさ。私はこれ全てが拝金主義を前提に会社システムができていることが原因だと考えています。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば以下のような問題についてどのように思われるでしょうか？</p><p>・投資家目線の経営がある以上、給料を上げるインセンティブが働かない（昨今の賃上げは官製ベースアップといわれるように政治的配慮として給料を上げているもの）</p><p>・日本経済は元気なのに景気が悪いような雰囲気が漂っている（上記の通り、賃上げは可能なだけの売り上げはあるのに、もっと豊かでなければとさらなる成長を追い求め多くの犠牲を払っている）</p><p>豊かでなければ本当に生きていけないのでしょうか？日本は世界第3位の経済国で居続けなければ滅んでしまうのでしょうか？人口は増え続けないといけないのでしょうか？拝金主義を継続する限り、こういった問題に全てYesと答え、これ以上成長が望めない分野であっても成長していると見せかける必要が生じ、日経平均を高止まりさせるために国費を投入して投資家だけが設ける世の中になり、労働者には過剰なサービス要求が継続していくことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>この状況で格差是正などあり得るでしょうか？家族と幸せに過ごすことができるでしょうか？私は無理だと感じています。ただ、私の結論に資本主義をぶっ壊せとは書いていないように、決して今のシステムを丸ごと捨ててしまえと言っているのではありません。もっと、中くらいの経済大国であること(拝金主義)を捨てる道があるのではないか？という意見です。皆さんのご意見はどうでしょうか？</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34338351" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="現代洗脳のカラクリ ~洗脳社会からの覚醒と新洗脳技術の応用" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51KJyGff20L._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34338351" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">現代洗脳のカラクリ ~洗脳社会からの覚醒と新洗脳技術の応用</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12265397082.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Apr 2017 23:11:06 +0900</pubDate>
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<title>気ままに書評1（増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?）</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんはじめまして、digidonと申します。最近の働き方改革というものに対して、少し疑問が生じてきたので、</p><p>長らく作成だけして放置してきたこのブログに初めての記事を書きたいと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>皆さんと議論しながら、働くということそして生きるということについて考えていければと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、まず私が皆さんと働くということについて考えるときに、一冊の本を提示したいと思います。それが、</p><p>&nbsp;</p><p>松村 嘉浩　著</p><p>『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?―――日本人が知らない本当の世界経済の授業』です。</p><p>経済学部2年の女学生がゼミの振り分けにあぶれて人気のない数理経済学ゼミに参加するところから話は始まっていくわけですが、本の中で繰り広げられる会話は難解な経済の話ではなく、最初はヒットした漫画の話から入り徐々に今の生活に話が入っていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>この本で紹介されている漫画で私が読み始めたのが「進撃の巨人」です。大ヒット漫画ながら、読む機会もなく、なんか流行っている漫画としか認識していませんでしたが、この本の中では、3重の壁、巨人から最も厳重に守られた領域に貴族が生活し、最も巨人に近い壁の中に農民や庶民が暮らす生活を今の貧富の格差と関連付けてこの漫画がヒットした背景を探っていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>進撃の巨人は100年の安寧が突如として壊され、なぜ現れたかも知れない巨人との激しい戦いに多くの犠牲を払いながらも真実に近づいていく様子が描かれていきます。</p><p>私たちの生活環境も高度経済成長やバブルのイケイケの時代が突如として終焉し、その後の長くつらい経済の停滞と停滞しているはずなのに仕事は増えていくという何も考えずに生活をしているだけでは、わからない苦しみに放り出されていくことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>今、私たちはなぜ苦しいのか？本来仕事とは人生を豊かにするためにあったはずなのに、いつから私たちは家族とともに家で晩御飯を食べることが贅沢な願いになってしまったのだろうか？</p><p>今後そんなことを「進撃の巨人」やその他の本を紹介しながら考えていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ひとまず、私の結論だけを乱暴に述べれば、「日本の経済は十分に成長し、成長の速度は鈍化したのに、もっと金銭的に豊かでなければいけないという妄想にとらわれた一部の既得権益に洗脳されているからだ」となります。この結論だけではあまりに乱暴なので、明日以降、疲れないペースで更新しながら考えていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34338355" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow"><img alt="増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?―――日本人が知らない本当の世界経済の授業" border="0" data-img="affiliate" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61Km2skmO9L._SL160_.jpg" style="max-width:95px;vertical-align:middle;margin:0;"></a></span></td><td style="line-height:1.5;padding-left:15px;vertical-align:middle;"><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=34338355" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?―――日本人が知らない本当の世界経済の授業</a><div style="padding: 3px 0;">&nbsp;</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/digidon/entry-12265119881.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Apr 2017 00:09:40 +0900</pubDate>
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