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<title>min風呂</title>
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<description>映画と音楽とビールとお風呂をこよなく愛するアラフォー女子のブログ☆人生とは「感動すること」。色んな感情あってのHAPPY LIFEを追い求めてます。</description>
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<title>お花模様のランチ</title>
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<![CDATA[ もうすぐ、おひな祭り。<br>花模様の巻き寿司を練習中。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130228/15/djmin/2a/9e/j/o0800060012437909997.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130228/15/djmin/2a/9e/j/t02200165_0800060012437909997.jpg" alt="$min風呂" border="0"></a><br><br>まだ肌寒いので、鮭の粕汁と一緒に。<br>札幌からきた父と一緒に。<br>身も心もぽかぽか。<br><br>春はもうすぐ。
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<link>https://ameblo.jp/djmin/entry-11480370669.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Feb 2013 15:01:25 +0900</pubDate>
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<title>推定：世界一のバースデープレゼント</title>
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<![CDATA[ 今年の元旦に義母が他界した。<br>元旦は父の誕生日でもあった。<br><br>義母というのは、父の再婚相手で結婚して20年以上になる。<br>戸籍上は私の母という関係。<br><br>実母も健在なことと、<br>少なからず両親の離婚の原因にもなった人だったので<br>正直言えば、ずっと複雑な思いを抱いていた人だった。<br><br>一緒に暮らしたことは無いし、<br>複雑な思いから会ったのも数える程ではあったけど<br><br>彼女と再婚してからの父は嘘のように穏やかで、<br>子どもへの愛情も素直に表す人に変化していったことは確かだった。<br>（もちろん歳をとって丸くなったのもあるだろうが）<br><br>何より、離れていても（現在、父は札幌へ移住）、<br>父が幸福なことが、ことあるごとに父の言葉や態度の節々から伝わってきた。<br><br>だから、私も自然と父たちを許せるようになっていった。<br>いつの間にか、二人を心から応援するようになっていった。<br><br>結婚して20年以上たっても、お互いを必要としあい<br>いつも、相手のことばかり思いやる二人を見て<br>時々は実母を思って寂しくもなったけれど<br>素直に素敵だと思った。<br><br>母が末期ガンを宣告されたのは数年前だったけど<br>父を遺して逝くのがよほど心配だったのだろう。<br>そこから随分と長生きをした。<br><br>具合が悪くても、父の洗濯をし、丁寧な料理を作り、<br>家の中はいつもピカピカだった。<br>父がどんなに寝ていろと言っても<br>「してあげられることは、出来るうちに全部してあげたい」<br>と言ってきかなかったそうだ。<br><br>最後の3ヶ月。<br>父は病院に泊まり込みで毎日看病をした。<br>すべての時間を母のために捧げていた。<br><br>一度、危篤になったと連絡を受け、私も札幌へ行った。<br>でも、本当は行くまで随分と迷った。<br>一緒に暮らしたわけではないのに、「お母さん！」と手を握るようなのも違う気がしたし<br>内心は実母への義理立てで<br>あくまで「母ではなく、父の嫁」という感覚をどこかでキープしていたかったから。<br><br>迷っていたら、本当に不思議なもので急に北海道取材の仕事が入った。<br>「これは行けということなのかな」<br>こうして意識があるうちに、私は母に会いにいった。<br><br>私が行ったときは一時的に意識を取り戻し、小康状態になっていた。<br>随分と小さくなった母を見て、私は涙が止まらなかった。<br>「お母さん、ありがとう。お父さんを幸せにしてくれて」<br>心からそう思った。<br>ただただ、感謝の気持ちでいっぱいだった。<br><br>父に看病は辛くないかと聞くと<br>「いなくなるのを考えると寂しくて怖くて仕方ないけど、<br>後悔したくないから看病はちっとも辛くない」と、どこか幸せそうでもあった。<br><br>東京へ戻ってから、締切などに追われていたが<br>母は随分と持ち直し、安心していた。<br>もちろん、長くは無いと思ってはいたけれど。<br><br>それから数日して大晦日の夜に父からメールがきた。<br>「いま、弱々しく細い呼吸をする母さんの横で紅白歌合戦を観てるよ。<br>どうやら、もうすぐお別れすることになりそうだ」<br><br>静かに、終わりの時を迎えようとしているのが伝わってきた。<br>年越しまであと数十分。<br><br>除夜の鐘が聞こえて来て、父の誕生日になった。<br>おめでとうのメールなんて出す場合じゃないと思った。<br><br>でも、ふと。<br>こんな時だけど、父が生まれたことを祝ってあげたいと思った。<br>少しでも力になればと思った。<br><br>0時12分。<br>父にメールをした。<br><br>「お誕生日おめでとう」<br><br><br>それから20分くらいして、父から電話があった。<br><br>「0時12分。お前がメールをくれた時、ちょうど母さんが天国に行ったよ」<br><br><br>慌ただしかったのだろう、一言だけいって電話は切れた。<br><br>一瞬、なんて悲しいバースデーかと思った。<br><br>でも、すぐに違うと思った。<br><br>母は、なんとしてでも父の誕生日を生きて祝いたかったんだ。<br><br>最後の力を振り絞って、父の誕生日だけを祝うために頑張ったんだ。<br><br><br>その母の思いを知っていたのだろう。<br>母が亡くなって、すぐ<br>病室にバースデーソングが流れ、<br>看護師さんたちが全員ケーキを持って病室に入ってきたそうだ。<br><br>死んだばかりの母の横でサプライズバースデーなんて<br>不謹慎だと思うかもしれない。<br><br>でも、母の想いは、そばにいたお医者様や看護師さんたちに一番届いていたんだろう。<br><br>すごいバースデープレゼントだと思った。<br>こんなバースデープレゼントを貰った父は、世界で一番幸福だと思った。<br><br><br><br>私は未だに、愛が何かなんてわからない。<br><br>でも、きっこんな風に誰かを深く思いやる、<br>何かすごいものが確かに存在するのだと思う。<br><br>父と義母のおかげで、それを知ることができた気がする。<br><br><br>今なら本当に素直に言える。<br>お義母さん、ありがとう。
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<link>https://ameblo.jp/djmin/entry-11473178941.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Feb 2013 12:21:47 +0900</pubDate>
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