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<title>萩史・46億年のあゆみ・・・透明という色を描いてみたい</title>
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<description>幕末の長州藩動向を地球誕生46億年前に遡って、綴ってゆく。</description>
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<title>萩史・46億年（第三回）</title>
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<![CDATA[ <h2><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/15/dobbpubb/a7/0d/j/o0512051215289218189.jpg"><img alt="" height="220" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/15/dobbpubb/a7/0d/j/o0512051215289218189.jpg" width="220"></a>　　（第三回）</h2><h2>&nbsp;</h2><h3><span style="color:#7fd7ff;"><font color="#ff0000"><span style="caret-color: rgb(255, 0, 0);">　　　　更新、遅れて申し訳ありませんでした。</span></font></span></h3><h3><span style="color:#7fd7ff;"><font color="#ff0000"><span style="caret-color: rgb(255, 0, 0);">　　　　三週間の入院生活で、少し継続の意欲が落</span></font></span></h3><h3><span style="color:#7fd7ff;"><font color="#ff0000"><span style="caret-color: rgb(255, 0, 0);">　　　　ちています。改めてぼちぼちと復活です。</span></font></span></h3><h2>&nbsp;</h2><h2>&nbsp;</h2><h2><span style="font-size:1em;"><span style="color:#ff0000;">◎透明という色を描いてみたい</span></span></h2><h3><span style="font-size:1em;"><span style="color:#ff0000;">　　　　　　　　　　　　　　　（エッセイ集）</span></span></h3><h3><span style="color:#0080ba;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">第三回・村上宗隆選手への期待</span></b></span></h3><div><span style="color:#000000;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">　</span></b><span style="font-size:1em;">遠い昔、小学生の頃は野球少年だった。放課後はほとんど同級生や近所の子供たちとゲームを楽しんだ。友達が見つからず一人の時は、隣の4階建て市営アパートの壁を相手に一人キャッチボールだ。一階の管理人だった、確か「原さん」の奥さんにうるさいと何度も怒られた。それでも私はやりつづけた。原さんはいつしか転居している。今になって60年後になって、原さんへは本当に申し訳なく思っている。絶対にイライラするほどうるさかったはずだ。通りですれ違えば、笑顔をくれたり、ほんとうにありがとうございました。</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　この頃は金田正一投手（国鉄スワローズ）の熱狂的ファンだった。風呂屋へ行って、下駄箱の34番が空いてなければ、一回り時間を潰して、空くのを待って、それから風呂屋へ入った。それにしても金田正一のファンとは、悲しいものである。当時、巨人全盛、金田の国鉄は万年最下位の弱小球団、今の私のちょっとゆがんだ性格、この頃の負け犬根性が根本をなしているのだろう。</span></span></div><div><font color="#000000"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">　20歳を過ぎてから、私はアメリカ生活をはじめた。となれば、とにかく大リーグ野球に熱を入れた、ニューヨークに在住の頃、年間に70試合ほど、野球観戦に出かけた。ニューヨークで、アメリカンリーグにヤンキース、ナショナルリーグでメッツがあった。二球団あったから、ニューヨークの主催ゲームが150試合ほどになり、その半分ほどをかんせんしていたことになる。大リーグ野球の歴史を調べ、歴代大リーグ選手の全員のデータをパソコンに打ち込んだりした。黒人初の大リーグ選手となった「ジャッキー・ロビンソン」の物語を書いてもいた。</span></font></div><div><font color="#000000"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">　私は20年間以上のアメリカ在住であったから、日本野球とは全く疎遠になっていた。48歳で帰国して、以来日本定住をしている。日本野球を見てはいたが、あまり熱が入らない。やっぱり私にとって、「野球は大リーグ野球」なのである。わたしにとって、日本野球は大リーグ野球の二軍くらいの認識であった。</span></font></div><div><font color="#000000"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">　ほどほどインターネットで野球情報をチェックしていたが、関心はずいぶんと薄れていた。で、去年の2022年、私は魅了されてしまった。村上宗隆選手（ヤクルトスワローズ）に・・・</span></font></div><div><font color="#000000"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">　私が村上選手に注目し始めたのは、2015年夏の甲子園に出場したときから（九州学院・3年生）だった。その頃、同学年の清宮幸太朗（早実高）が歴代高校生一位の通算一位のホームラン数をもって圧倒的な人気、注目度を得ていた。私の性格は何につけ二人を並べて地味な控えめの方に応援する傾向がある。「村上君頑張れ、プロに入ったら、対場逆転してみせろ」といった応援だ。</span></font><font color="#000000"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">プロに入れば、あれよあれよという間に追い越し、逆に村上君が清宮選手へ圧倒的な差をつけていった。なんか私は自分のことのようにこの逆転現象に嬉しくなっていた。</span></font></div><div><font color="#000000"><span style="caret-color: rgb(0, 0, 0);">　そして2022年、村上宗隆は、野球を見ない人々をも巻き込み、日本の国事というほどの大活躍をしてみせた。王選手の日本人シーズン最多ホームランを抜く56号ホームランは国民誰しもが知る偉業となった。私は、55号から長く新記録更新がならず、シーズン最終戦、それも最終打席で、ホームランを放ったその一振りが忘れなれない。投球が（</span></font>ＤｅＮＡ、入江大生投手）がバットに当たった瞬間、たしかに球が古い電球が弾けて粉々に破れ散るようだったのだ。このシーズンを見ていて、金田投手以来本当に久々の熱中できる野球選手を得た私だった。本当に、村上さん、ありがとう。また、野球が好きになってきました。</div><div>　村上選手、大失速、強度のスランプ期間を迎えるのです。シーズンオフになって、遊びすぎました。テレビ、ユーチューブに出ずっぱり、女性ゴルファーとのデート報道も出て、体の休まる暇もなかったでしょう。23歳の若者が天下を制して、そのシーズンオフに羽目を外すのも仕方のないことかもしれない。</div><div>　そして心の休養がとれぬまま3月からWBC（ワールドベースボールクラシック）への参加。ここで大不振、準決勝・決勝で復調、どうやら面目を施したが、弱冠23歳代表の主砲を担い、この期間の気苦労は大変なものであったろう。私には私見がある。大人になってずっと大リーグ野球で過ごしてきた影響だろうか、WBCにあまり意義を見いだせない。世界一は大リーグ・ワールドシリーズ優勝球団である。WBCに優勝したって、世界一はやっぱりワールド・シリーズ優勝球団である。そこに微塵の疑いを挟まない。だからWBCに選出された選手たち、適当にお祭り気分でWBCを戦ってほしいのである。</div><div>　村上選手はどうだったか、大会中の不振に、責任もろかぶりのように悩み、もがいてしまった。ただただ精神的に疲れ得る大会になってしまった。もう一度いう、WBCは単なるお祭り大会（アメリカ国民の誰もがそう思っている）なのだから、打っても打たなくても、基本、楽しくやってくれればよかったのだ。</div><div>　疲弊が払拭されぬまま、2023年のペナントレースに入った。開幕第一戦の第一打席にホームウラン、さすが「もってる村神様」であった。チームも連戦連勝、いい感じだった。ところがあに図らんやというべきか、村上選手は絶不調に陥り、チームも連戦連敗。打率は1割5分あたりをうろうろで私はおもった。「高津監督よ、村上君を故障者リストに入れて、二週間くらい二軍へ落としたら」と。その間、野球から離れてなんにもせずにゆったりと暮らせばいい。しかし高津監督は打順4番で続けた。</div><div>　6月11日現在、58試合を消化して、村上選手は打率2割3分、打点34，本塁打11と打率はともかく数字はそんなに悪くない。腐っても鯛か、私にはまだ、こんなことを言ってる余裕がある。</div><div>　だが待てよ、村上宗隆へ究極の期待はどこにある？</div><div>　昨年に私は悩んだ、①日本球界にとどまって王貞治さんの通算868本塁打の記録を書き換える。②大リーグ野球で日本人初のホームラン王をとる。で、今になっての結論は②である。野球の花はなんといってもホームランであり、それはアメリカでも日本でも変わらない。ぜひ大谷選手任せにしないで、村上選手もそこへ向かって邁進してほしいと思う。年俸も日米に大きな隔たりがある。アメリカへ行って、好きなだけ稼いでくればいい。こんなところで足踏みしている場合じゃないぞ、たのむぞ、村上宗隆よ。</div><div>　</div><div>　</div><div>　</div><h2><span style="color:#ff0000;">◎萩へ長州へ、遊びに来ませんか</span></h2><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　</span></span></div><div>&nbsp;</div><p>&nbsp;</p><h3>　　　　　　　高杉晋作編</h3><div><span style="color:#ff0000;">　　　</span></div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/6d/4d/j/o3488261615289364728.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/6d/4d/j/o3488261615289364728.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/18/dobbpubb/6c/83/j/o3352223415289327357.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/18/dobbpubb/6c/83/j/o3352223415289327357.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/cf/67/j/o3488261615289363769.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/cf/67/j/o3488261615289363769.jpg" width="220"></a></div><div>　誕生地　　　　　　　　東行庵墓地　　　　　　胸像</div><div>　　　萩南古萩町　　　　　　下関吉田町　　　　　下関唐戸市場</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/75/c9/j/o3456230415293890838.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/75/c9/j/o3456230415293890838.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/41/14/j/o3456230415293891961.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/41/14/j/o3456230415293891961.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/47/d4/j/o3488261615293891560.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/47/d4/j/o3488261615293891560.jpg" width="220"></a></div><div>　萩博物館館内　　　　　東行忌150回忌　　　　銅像</div><div>　　　萩城下堀内　　　　　　東行庵吉田町　　　　　下関火の山公園</div><div>&nbsp;</div><div>尊敬する歴史上の人物とはと問われれば、「高杉晋作」と応える。現今、萩地域で吉田松陰と共に人気の双璧（とはいえ、松陰はダントツ）、良くも悪くもヒッチャカメッチャカ、この人物へ時に辟易しながら、結局、大好き。「功山寺の挙兵」は私が最も評価する歴史事件。</div><div>&nbsp;</div><h2>&nbsp;</h2><h2><span style="color:#ff0000;">◎大河連載</span></h2><h2><span style="color:#ff0000;">　地球46億年のあゆみ</span></h2><h4><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">　●第二次としての出アフリカ</span></b></h4><p>　「二十万年前頃（四十万年前頃ともいわれる）にホモ・ハイデルベルゲンシスを進化させてホモ・サピエンスが誕生している」とさきに記述した。誕生地は特定されており、オモ・キビシュである。この地において、ホモ・サピエンスと認定される人骨二体が発掘されていることを主因としている。オモ・キビシュ地域はエチオピア国内に在し、アフリカ大陸の中央部東側に位置する。上にスーダン、左に南スーダン、右にソマリア、下をケニアに囲まれている。「オモ・キビシュ」とはオモ川流域のキビシュ地域という意味である。オモ川は地図上で下方（南方向）へ流れ、ケニアのトゥルカナ湖に注いでいる。この湖は、一九八〇年代に西岸から百六十万年前頃と推定される少年の骨（トゥルカナ・ボーイ）が発掘されていて、人類化石に貴重な土地でもある。やがてホモ・サピエンス（オモ・キビシュの主体族）はオモ・キビシュを北上し、十六万年前頃に、ヘルト地域で定住を始めた。ヘルト地域は現在のエジプト国内に在り、首都アジスアベバの北東、紅海の出入り口、アフリカ大陸とサウジアラビア大陸が再接近する位置だ。ヘルト地域で数万年を過ごしたホモ・サピエンスは、やがて本格的な「出アフリカ」を開始。これは約百八十万年前、ホモ・エレクトスが史上初の「出アフリカ」を果たしているから、今回のホモ・サピエンスによる出アフリカは「第二次出アフリカ」と呼ばれる。</p><p>　「第二次出アフリカ」を語るに、避けて通れない論争が存在している。「アフリカ単一起源説」と「他地域進化説」だ。前者によれば、新人（ホモ・サピエンス）はアフリカに由来し、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアへ進出していった。その際先々の地域において、先住民で</p><p>ある原人ないし旧人との混血はなかったということなのだ。この説の根拠は、ミトコンドリアＤＮＡを分析した結果である。一方後者は、アフリカ、ヨーロッパ、アジアのそれぞれの地で、複数の人種混合があって、原人から旧人へ、さらに新人へと繋がっていった。推測に「流れ」があり、この主張は多くの形態人類学者によって支持されていた。しかし、ミトコンドリアＤＮＡ分析の普及が進むにつれ、アフリカ単一起源説が次第に優勢となっていったのだ。</p><p>　本書はこれより何世代も掛けて世界各地へ拡散してゆく「第二次出アフリカ」を記述していくが、なにぶん遠い昔のことである、一本化された定説などあり得ない。そこでホモ・サピエンスの拡散を『週刊・地球４６億年の旅・全５０号（主に４３号）』（２０１４年１２月１４日発行）をよりどころにして記述を進めていくことにする。</p><p>　</p><p>　<b style="font-weight:bold;">●世界の隅々へ拡散</b></p><p>　前述しているホモ・サピエンスの足跡を整理しておこう。</p><p>　　○約２０万年前頃にホモ・ハイデルベルゲンシスを進化させてホ　モ・サピエンスが誕生。</p><p>　　○誕生時の定住地はオモ・キビシュ。移住のためこの地を北上し、十六万年前頃にヘルト地域で定住を始めた。ヘルト地域は現在のエジプト国内に在り、首都アジスアベバの北東、紅海の出入り口、アフリカ大陸とアラビア半島が再接近する位置である。</p><p>　そこから十万年前の頃、ホモ・サピエンスは紅海の最上部地域で定住を始めた。この地はアラビア半島北部（イスラエル・ヨルダン・レバノン・シリア・イラク）に横たわっていた。東にアジア、西に地中海、南にアラビア半島そして北にヨーロッパで囲まれた地域だ。ホモ・サピエンスにとって追分となる地点（紅海の最上部地域）で、二派が生じた。東南アジア方面へと向かう一派と、西へ進みヨーロッパ方面へ踏み込んでいった一派だ。</p><p>　先に出発したのは東進派と察せられる。約七万年前にはヒマラヤ山脈東端を背にしたミャンマー（旧ビルマ）、及びインド東方地域に到達している。一方の西進派は、数万年ほどその地にとどまって、やがてヨーロッパ西部（フランス、スペイン）へ約四万年前に到着している。約四万年前といえば、東進派はさらに二派に分かれて、遙かオーストラリアや中国、さらに日本へ足を踏み入れている頃である。</p><p>　西進派は、一部中央アジアに向かってはいたが、大半はフランス・スペイン地域に踏み入り、そこで進行を打ち止めにしている。この頃、スカンジナビア半島やフランス上部、及びグレートブリテン島地域は氷床や永久凍土の不毛地帯であり、足を踏み入れることが出来なかったのだ。</p><p>　比して東進派はとどまるところを知らず、さらに三万年も四万年も費やし、何世代をもかけて、世界拡散を継続していった。</p><p>　約七万年前にはヒマラヤ山脈東端を背にしたミャンマー及びインド東方地域に到達していた一派は、定住して生活活動範囲を広げるうちに、広大な平野を見つけた。タイランド湾から南シナ海に没した海底地域であり「スンダランド」と呼ばれるところであるが、現在では水没されていて、跡形もない。七万年を前後した頃はヴェルム氷河期にあって、海面が百メートルほど低かったから陸地化されていたのである。</p><p>　彼らはその地を基地として、丸木舟を駆使しながら頻繁に周りの島々へ遠征しており、やがてついに、四万五千年前頃、オーストラリア大陸へ足を踏み入れた。その頃、インドシナ半島とオーストラリア大陸の間は、飛び石のあとのように点々とする島群があって、海上からの進行を可能としていた。東進派は約七万年前に、ミャンマー（ビルマ）及びインド東方地域に到達していると前に記述した。</p><p>　この地域で、新たな道を切り開こうとした二派が生じた。一派は前述したオーストラリア大陸への進出派である。ならば別の一派といえば、シベリア方面へ北上してゆくのであった。</p><p>　シベリア北上一派の本拠地は、周口店（中国）からマリタ（シベリア）へ至る地域であった。四万年前頃にマリタ地域を離れ、シベリア奥地へ入り込み、二万五千年前頃にベーリング海峡へ到達。一万三千年前までに地球寒冷化の影響を受けて陸地化されていたベーリング陸橋を渡り、そしてアラスカ経由からアメリカ大陸へと辿り着いた。さらに中央アメリカを通って、一万二千年前頃には南アメリカにも定住の地を得ていたのである。第一次出アフリカが百七十万年以上掛けても果たせなかった世界拡散を、この度わずか六万年間足らずで完遂させたのだ。</p><p>　なるほどホモ・サピエンスが世界各地へ拡散していった分布図は圧巻だ。これまで述べてきた諸ルートに加えて、さらに四千年前頃にニューギニア、ミクロネシアへ渡った一派も出現している。この派は太平洋南部の諸島伝いにメラネシア、フィジー、トンガへ、そして千五百年前には南アメリカ大陸を間近とするイースター島に到達しており、ハワイ島さえも、この一派が千四百年前頃に辿り着いているのだ。</p><p>　</p><p>　<b style="font-weight:bold;">●人類の一本化</b></p><p>　現今、地球上のありとあらゆる場所に見受けられる七十億人の現生人類は、肌の色の違いに関係なく、すべてホモ・サピエンスに属している。これが現在における大本命の定説である。</p><p>　人類の一本化・・・ホモ・ハビリスや、ホモ･エレクトス、ホモ･ハイデルベルゲンシス、ネアンデルタール人、あるいは世界各地に点在していたはずの無名な人類（人骨化石が未だ発見されておらず、人知れず古い地層に埋没されている）たちはすべて絶滅し、新たな人類も出現していない。人類はホモ・サピエンスのみに一本化されており、現在へと続いている。昨今主流となっている「アフリカ単一起源説」は、これらの定義に裏打ちされているのだ。</p><p>　ならば単純な疑問が一つ沸き上がる。白人・黒人・黄色人種、この肌色の違いはどういうことなのだろう。そしてその外形、鼻とか唇とか。</p><p>　この疑問には明快な回答があるのだ。鍵となる言葉は「メラニン」。肌色は皮膚の表皮深層にあるメラニン色素の量により決まるが、これは太陽光中の紫外線にたいするフィルターの役割をなすもので、熱帯地方の住民では長年の自然淘汰の結果メラニン量が多く、色が黒くなっている。</p><p>　ホモ・サピエンスがアフリカ地域で誕生した当初、肌は黒色に近い茶色だったと推測されている。アフリカにとどまり続ける一派はなお黒くなってゆく。アフリカを離れて低温地域に拡散していった一派は、その定住地の気温が低くなればなるほど、肌の色が白色化していったのだ。つまり肌の色は気温がすべてを語っていると云って差し支えない。</p><p>　このような地理的多様性における人種形成の差異は唇の厚さ、あるいは鼻穴の膨らみ具合などにも説明がつくのである。アフリカに定住する一派は、おおむね唇が分厚く、鼻穴が広い。これは体内温度をより下げやすくさせるためなのだ。勿論、ホモ・サピエンスの世界拡散が苦も無く成し遂げられたはずもない。約十万年前から約四万年前後の期間、未だ氷河期のまっただ中、寒い。</p><p>　</p><p>　こんな話がある。『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで（溝口優司著）』からの抜粋だ。「十万年前頃、イスラエルのカフゼー地域に現れたホモ・サピエンスは、三万五千年前までにはヨーロッパに到達していたようだ。ただし、ヨーロッパに現れたホモ・サピエンスが、イスラエルにいた人類の末裔かというと、それがはっきりしないのです。というのも、八万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降五万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからです」と。この記述から興味を引かれることは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との関わり合いである。両者、ゆくゆくはヨーロッパ地域で一時世代を共存した関係に発展していったような形跡がある。</p><p>　同書はさらに言い及んで、</p><p>　「頑丈型の猿人、パラントロプスが栄養価の低い粗食を食べることに完璧に適応してしまったが故に滅びたように、ネアンデルタール人もまた、寒冷な気候に体で適応してしまったがゆえに、滅びたのかもしれません。私たちの祖先ホモ・サピエンスは体が寒冷地適応していなかったために寒さをしのぐ必要にせまられて道具を発達させ、それによって知能が発達して、さらに別の道具を作り、ということを繰り返したのでしょう。そしてもっと寒い地域にも住めるようになっていったのでしょう」と、何か「コツコツと苦労していった者が生き残ってゆく」とイソップ（アリとキリギリス）の世界を漂わせている。</p><p>　興味深い事実が一つ、現生人類につながるホモ･サピエンスとの比較において、ネアンデルタール人の脳容積の方が大きいということだ。ネアンデルタール人が平均千五百立方センチメートルで、一方ホモ・サピエンスは平均千三百〜千四百程度である。頭はネオンデルタール人の方が良いはず・・・人類の生き残り、あるいは絶滅はただ単に知能の優劣だけにあるのではなく、いろいろな環境の綾に左右されているということなのであろう。</p><p>　現生ヨーロッパ人と呼ばれている、つまり「クロマニヨン」とは、ホモ・サピエンスがヨーロッパや中近東に定住したいわばローカル名であり、つまりホモ・サピエンスそのものなのだ。</p><p>　ネアンデルタール人は約二十万年前に、クロマニヨン人（ヨーロッパへ渡ったホモ・サピエンス）は約四万年前にそれぞれ出現していて、一万年間ほど並存していたとみられる。旧説ではネアンデルタール人の持つ遺伝子が突然変異して進化したことにより、クロマニヨンが出現したとされた。しかし現在の定説において、その遺伝子的直系性は否定されている。ネアンデルタール人化石のＤＮＡを調べたところ、人類との直接血縁関係は大旨に否定されたのだ。「似て異なもの」、もしネアンデルタール人が絶滅せずに現在へと存在したと仮定すれば、「ヒト」に属しても、人間とチンパンジーの中間に位置する存在になると考えるのが妥当なところのようだ。</p><p>　ただし現代人大半（ホモ・サピエンス）のＤＮＡにはネアンデルタール人由来のＤＮＡが一〜四パーセント含まれていることも報告されている。つまりクロマニヨンとネアンデルタール人との間で異種交配があったことの名残りと考えられるのだ。この事実は、互いの生活圏が交差した時期があり競合があり、そしてどこかしらの支配・融合があったことを示唆しているといえよう。</p><p>　思い起こせば溝口氏が「八万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降五万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからです」と記述したことを踏まえて、一旦はネアンデルタール人が生存競争に優勢だった時期があったのかも知れない。</p><p>　ネアンデルタール人、彼らはヨーロッパを中心に暮らしていたが、二万数千年前に原因不明で忽然と絶滅していった。この時期、ヨーロッパを席捲していったのはアフリカから後続してきたクロマニヨン人だったのである。ネアンデルタール人は採集狩猟民族だから、食料が激減した氷河期を生き残れなかったという説がある。一方には、クロマニヨン人によって滅ぼされたという説も可能性として捨てられていない。確かにネアンデルタール人の頭蓋骨には武器闘争によって生じたと思われる痕があって、その治療形跡もあり、この説の拠り所となっている。「滅ぼされた」という言葉では強すぎるとして、「混じり合い」と言い換える説もある。ネアンデルタール人がクロマニヨン人に吸収され、そして淘汰されたという意味合いだ。日本における「縄文人と弥生人」の関係のように。</p><p>　クロマニヨン人は、アフリカからヨーロッパ大陸へ進出したホモ・サピエンス属で、現代ヨーロッパ人の直接の祖先とみなされている。彼らは精巧な石器や骨器などの道具を製作して狩猟採取生活を営んでいたようだ。優れた洞窟壁画や彫刻を残し、死者を丁重に埋葬し、また呪術を行なった形跡もある。</p><p>　現在において、ホモ・サピエンス（現生人類）は「コーカサス」「モンゴル」「エチオピア」「アメリカ」そして「マレー」の五人種に分けるのが一般的だ。これは十八世紀後半に「人類学の父」と謳われたドイツ人医学者（比較解剖学者）ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハによって提唱されて後のことである。その上でごく最近の傾向として、人種を三つに分け、「コーカソイド（白人）」「ネグロイド（黒人）」そして「モンゴロイド（黄色人種）」と呼ぶ分類法が主流となり、さらに直近の情勢として、このような呼称をやめ、「ヨーロッパ人」「アフリカ人」そして「アジア人」と呼ぶのが多数派となり始めてきた。</p><p>　人種として「クロマニヨン人」に対比して使われる「モンゴロイド人」について記述を進めてゆこう。</p><p>　ホモ・サピエンスが東進してゆく一派に、シベリア方面へ進出していく分派があったことは前述している。この流れを汲む派はさらに進んで東南アジア・東アジア方面へ向かう一族を派生させた。ヒマラヤ山脈とアラカン山脈の間に横たわる麓に位置している地域だ。立地条件が天然の要害のようで、中東・インド亜大陸の人々との交流を持つことなく、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなったのだ。この人種がモンゴロイドである。人類学上においてモンゴロイドは、東南アジア・東アジア方面に定住する一派を「古（南方系）モンゴロイド」として、シベリアに定住する一派を「新（北方系）モンゴロイド」と区別されている。モンゴロイドの一部は、四万年前を前後して、現在の日本地域にたどり着く。ホモ・サピエンスに属さない原人（原住民）は五十万年前すでにこの日本地域に住んでいたという有力説もある。もちろんその種は絶滅していて、ホモ･サピエンスとは何の繋がりもない。</p><p>　実は、人類がアフリカからユーラシア大陸広域に大移動を始めた頃には、地球は氷河期真っ只中にあった。これがヴェルム氷河期であり、約七万年前に始まって約一万年前に終わった地球最新の氷河期である。私たちが生きる現在はヴェルム氷河期と次の氷河期のあいだの間氷期にあたり、この間氷期は一〜二万年と比較的短期であると考えられている。この説に従えばヴェルム氷期は現在を遡って約一万年前に終わっているから、あと二千年位で次の氷河期に入っていく計算となる。昨今、地球温暖化に危惧感を抱く私たちには信じられない未来図が待ち受けているのかも知れない・・・</p><div><p>&nbsp;</p><p>　</p><p><span style="color:#800000;">　********************************************************************</span></p><p>　　この連載となる元本（萩史・46億年のあゆみ）、嫁に行きそび</p><p>　　れた在庫がいくらか残っています。連載を読み、面白いと思って</p><p>　　くださったなら、無料で進呈させていただきたく存じます。結構</p><p>　　豪華版（三部作）です。コメント欄にその旨、お知らせください。</p><p>　<span style="color:#800000;">********************************************************************</span></p><p>&nbsp;</p><h3>&nbsp;</h3><div>&nbsp;</div><h3>&nbsp;</h3><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p></div>
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<link>https://ameblo.jp/dobbpubb/entry-12806402800.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Jun 2023 16:31:08 +0900</pubDate>
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<title>萩史・46億年（第二回）</title>
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<![CDATA[ <h2><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/15/dobbpubb/a7/0d/j/o0512051215289218189.jpg"><img alt="" height="220" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/15/dobbpubb/a7/0d/j/o0512051215289218189.jpg" width="220"></a>　　（第二回）</h2><h2><span style="font-size:1em;"><span style="color:#ff0000;">透明という色を描いてみたい</span></span></h2><h3><span style="font-size:1em;"><span style="color:#ff0000;">　　　　　　　　　　　　　　　（エッセイ集）</span></span></h3><h3><span style="color:#0080ba;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">第二回・長門峡にホタルは飛ぶか</span></b></span></h3><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　以前、長門峡へ毎年出掛けていた。新緑の頃だったり、紅葉の頃だったり。今から、五年ほど前に、足取りがおぼつかなくなり、それ以来行くことは無くなった。</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　竜宮淵（萩側）から道の駅・くんくのだいち（山口長門峡駅側）までおよそ5.1k、ゆっくり徒歩で100分ぐらいだろうか。ある時、ふっと思い当たることがあった。歩道橋下のほとんどがはゆったり流れる小川、水はもちろんきれい、ならばホタルは生息していないのだろうかと。</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　山口県内ではよくホタル鑑賞地が取り沙汰されている。萩地域に近いところでは、山田とか麦谷（福井上）、佐古（川上）あたりへ行っていた。私はどうしても長門峡に蛍が飛んでいるのかを確認したくなった。そして、ついに決行・・・</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　蛍が何処にいるのか、長門峡全体で確認したかったので（つまり中途で引き返すことはしない）、反対側へ行って夜を待たなければいけない。女房と二人連れ、まず入り口は萩市側からの竜宮淵だった。午後４時ごろから先ずは全長5.１程度、約100分をかけて、終点地の「道の駅くんくのだいち・山口側」へ抜けたのだ。そして駐車場付近で持参手製のおにぎりを食べ、暗くなり初めの頃を待った。多分、暗くなり始めた頃の８時前後だと思う、山口側から長門峡へ入った。その時点で、ほろほろと蛍が飛んでいる。「幸先いいな、きっと奥にホタルの乱舞があるかもしれない、世紀の大発見だ」と胸をワクワクさせた。道行き、だんだん闇夜状態になってきた。遊歩道の下は岩場に小川、柵はところどころにしかなく、懐中電灯だけが頼り、どちらかといえばいざとなれば、女房の方が度胸があり先に歩いていた。私は女房の背中をみながらついてゆく。ホタルは途切れることなく飛んでいた。やがて３kほど歩いて鈴ケ茶屋に到着。昼間ならば散策する人たちの休息場所、昼食も用意されている店だ。夜になった今、もちろん誰をいない。もしかして、長門峡のホタルをナイショで楽しんでいる人がいるのかと思っていたが、どうやら、私たちだけがこんなことをしているようなのだ。この私だけの着眼点、ちょっと鼻高々・・・</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　岩場に突き出した客席に足を投げ出し、裸になって汗を拭き、裂きイカを食べながら、いざホタル鑑賞！</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　段々と本当の闇夜になってきた。それにつれ、ホタルもあちこちに数を増してきている。向こうのほうからホタルは徐々に私たちへと大行進してくるのだ</span></span><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">。やがて私たちを軸とするかのように乱舞、360度の鑑賞劇なのだ。この「360度感」は他所ではなかなか見られないもので、女房ともども大感激。</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　さて30分ほどのんびりして、帰途に向かった。私たちがこの場にいた痕跡を残さないように、しっかりと掃除・後片付けを済ませ、萩方向の竜宮淵へ出発、残り2.1k。</span></span></div><div><span style="color:#000000;"><span style="font-size:1em;">　その時の期待は「途切れることなく、ホタルが飛んでいてくれ」ということであった。ならば、長門峡全長5.1kの全てにホタルが飛んでいることになる。すごいでしょ、ギネスブック級の大発見と、みんなに自慢できる。期待通りに</span></span>ホタルは最後まで途切れることなくいた。道すがら、時々立ち止まり、懐中電灯を消し、漆黒の闇を作り、ホタル鑑賞をした。やれやれ、女房よ、ご苦労さん。</div><div>　以後、五年間ほど、長門峡ホタル鑑賞を続けていた。やがて、私の足腰は衰えてきて、この大事にしていた年中行事を断念することになる。もう一度だけでいいから、行ってみたい。今では女房と二人の貴重な、美しく良い思い出ですね、世間の人が味わっていない・・・</div><div>　ところで、一度だけ女房のお母さんと一緒した。その時、お母さんは70代後半だったはず。お母さん、足取りかるく、上機嫌でたいへんに元気。鈴ヶ茶屋ではホタルに向かって独特な節回しで「こっちおいで、こっちおいで」とおいでおいでをしていた。今はすっかり認知症が進んで、危なっかしい毎日を過ごしている。あんなに朗らかで優しかったのに・・・</div><div>　「お母さん、ありがとう」、お母さんは娘が何処の馬の骨かわからない男と急に同棲を始めた。心配だっただろうに、だけど私たちに決してそれを言わず、毎週末、遊び（様子見）にきてくれて、折々三人で外出した。萩で定職を持てなかった私、新聞配達を二年間した。お母さん、黙って、私たちを見守ってくれたこと、本当にありがとうございました。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><h2><span style="color:#ff0000;">萩へ長州藩へ遊びにきませんか</span></h2><h3>　　　　　　　萩地域の海編</h3><div><span style="color:#ff0000;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</span></div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/5c/bd/j/o3488261615294819080.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/5c/bd/j/o3488261615294819080.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/75/5d/j/o3456230415294818783.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/75/5d/j/o3456230415294818783.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/62/0b/j/o3463259715294819261.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/62/0b/j/o3463259715294819261.jpg" width="220"></a></div><div>　漁船と夕景　　　　　　夕暮れに一両電車　　　町境の一枚板</div><div>　　　萩美浜海岸　　　　　　惣郷鉄橋　　　　　　　奈古海岸　　</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/86/a2/j/o2919218915294819284.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/86/a2/j/o2919218915294819284.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/3f/d8/j/o2592194415294819017.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/3f/d8/j/o2592194415294819017.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/c3/1d/j/o2592194415294818586.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230606/13/dobbpubb/c3/1d/j/o2592194415294818586.jpg" width="220"></a></div><div>　食堂から鯖島　　　　　グラデーション　　　　萩の北の果て</div><div>　　　さんさん三見　　　　　　飯井海岸　　　　　　見島横浦海岸　</div><div>&nbsp;</div><div>写真を撮りながら、撮っている自分に感動している。そんな滅多にない体験をさせてくれたが、「漁船と夕景」がその貴重な一枚。</div><h2>&nbsp;</h2><h2><span style="color:#ff0000;">大河連載（第二回）</span></h2><h2><span style="color:#ff0000;">萩史・地球46億年のあゆみ</span></h2><div><font color="#ff0000"><span style="caret-color: rgb(255, 0, 0);">　</span></font>●巨大隕石の衝突・・・そして絶滅</div><div><p>　ティラノサウルスを頂点に地球の覇者となった恐竜、その絶対権力は永遠に続くかのようであった。ところが、ひょんなことから絶滅してゆく。原因は直径十キロメートルにもおよぶ巨大隕石の落下、白亜紀末期六千六百万年前のことだった。</p><p>　衝突速度は秒速二十キロメートル、その瞬間、広島型原爆の十倍にあたる凄まじいエネルギーが放出された。衝撃波による爆風は周辺地表の温度を一気に、最高点で二百六十度に上げた。マグニチュード十一にもおよぶ地震、また巨大な津波は三百メートルを超えた。とりわけ甚大な被害を被ったのは北アメリカ大陸、地球に対して約三十度の低角度で南南東の方向からメキシコ湾の浅瀬・メキシコのユカタン半島に衝突しているから、高熱爆風は北方向を総なめにした。衝突後のわずかなあいだに恐竜をはじめとする多種の動植物があっという間に死に絶えた。</p><p>　先史有史のスーパースター・ティラノサウルスもあっという間に焼き焦がされた。一握りの生き残り、運良く焼死から免れても、食べるものが焼き尽くされている。以後の食糧難にあえいで徐々に絶滅への道を辿っていった。ティラノサウルスは北アメリカ大陸だけに生息する恐竜だったから、恐竜全体が地球上から壊滅したわけではない。巨大隕石落下の直接影響は云わば局地的なものであり、地球規模ではなかった。南アメリカや、中国中心のアジア、アフリカ、ヨーロッパに多種の恐竜が存在していたのだから、彼らが生き残っていいはずだ。ところが世界中の恐竜は例外なく絶滅の方向へ向かっていった。何故なのか・・・そこで注目されたのが衝突後に訪れた気候変動というもの、いわゆる「衝突の冬」であった。</p><p>　恐竜絶滅の推移を整理しておこう。</p><p>　隕石の落下により、核兵器千個分の衝撃で吹き上げられた粉塵が地球を覆った。北米大陸を生息地とする動食物に不幸は、衝突地一帯が炭酸塩・硫酸塩岩地帯であったことだ。これらが衝突によって溶けて、大量の二酸化炭素や硫酸が大気中にまき散らされた。二酸化炭素は温室効果ガスだ。硫酸は大気中で硫酸エアロゾルに変化することで太陽光をさえぎる上、有害な酸性雨となった。光合成を行う生物にとって、壊滅的な打撃を被ったのである。『地球４６億年の旅（週刊・第３２号、２０１４年９月２８日号）＝朝日新聞出版』の文章によれば、「いうまでもなく、光合成は植物にとって呼吸だ。光エネルギーを利用して、水や空気中の二酸化炭素を細胞に取り込み、生命維持に必要な炭水化物（糖）に変換する。光合成が停止すると、植物は生命を維持することが出来ない。太陽光が途絶えることはすなわち、植物にとって死を意味するものだ」と。</p><p>　抜粋を続けて、</p><p>　「白亜紀末の植物の絶滅は世界中で起きている。衝突地点から近い北米大陸内部では、植物の最大九十パーセントが絶滅。海洋の一部の植物プランクトンの絶滅率は、北半球の海洋では最大九十八パーセント、南半球の海洋で約八十パーセントといわれる」と。さらに絶滅における植物と恐竜の因果関係に言い及んで、「植物の絶滅は一見、恐竜の絶滅とは関係が薄いように思われるが、じつはその逆で、これほど深刻な事態はなかった。なぜなら、植物は『植物連鎖』における捕食、被食関係の基底をなす生物だからだ。植物が絶滅した結果、植物を食料にしていたトリケラトプスやセントロサウルスなどの植物食恐竜も、死に追いやられた。ならば、恐竜の頂点に君臨していたティラノサウルスやゴルゴサウルスなどの肉食恐竜も、絶滅の運命をたどるしかなかったのだ」と。</p><p>　そして「衝突の冬」状態は数万年から数十万年続いたと云われる。この間、初期にティラノサウルスは死に絶えていたであろうし、又世界各地に点在していた恐竜種々も先細りに、やがてすべてが絶滅していった。どうやら大きな体の恐竜から小さな体の恐竜へ順に死に</p><p>絶えたようだ。動物間の生存競争に打ち勝つための巨大化が、この折り、徒</p><p>あだ</p><p>となるという皮肉があったということなのだ。</p><p>　実は恐竜も全種が絶滅したわけではなかった。それが鳥類で、恐竜の一種が「飛ぶ」という技を身につけていたのだ。だからカラスも</p><p>スズメもウグイスも素性を辿れば恐竜である。現在、哺乳類から源を発する私たち人間が地球の覇者として「我が世の春」を謳歌してい</p><p>る様を、恐竜は鳥の姿で空から見下ろしている。地球覇者の座を取って代わられた恐竜から派生した鳥類、その種の最も未練がましい鳥</p><p>がカラスであろうか、随分と人の生活に反抗的で、ガーガーとうるさい。とにかく人間に厄介をかける存在なのだから。</p><p>　●哺乳類の躍進</p><p>　六千六百万年前に地球を襲った巨大隕石の衝突は、全生物種の七割を絶滅させて、暁新世（五千六百万年前頃）まで影響を及ぼした。それでも地球は時間をかけて少しずつ蘇っていった。寒冷から抜け出し、温暖化に向かっていったことを主因とする。光合成も復活して&nbsp;地上に植物が戻ってきた。「全生物種の七割が絶滅した」とされる暁新世の初期、裏を返せば三割が生き残っていたということになる。哺乳類幾種も頑張っており絶滅危機から脱していた。ただし、大半がネズミほどの小柄な種であった。小柄だから少量の食べ物で生きながらえることが出来たからだ。小柄だからこそ、地面に穴を掘ったりして雨風に耐え、寒さをしのぐことが出来たのだ。</p><p>　夜行性の哺乳類、そのうちに昼間の陸上世界が妙に静かであることに気がついた。勇気を持って昼間に辺りを歩いてみれば、あの空恐ろしい恐竜たちが見当たらない。それどころか、あちこちにそれら恐竜の骨が散乱している。恐竜が死滅していることを知った哺乳類、恐竜を避けるために夜行性へと押しやられたのだから、もうその習性でとどまる理由はなくなった。「戻ろう」、哺乳類は昼行性へと復帰し始めた。確かに恐竜の姿一匹なりとも遭遇することはなかった。哺乳類はのびのびと日差しを浴びて駆け巡り、陸上の隅々へと生活圏を広げていった。虫食性や植物食性の哺乳類は、ほとんど敵のいない楽園の日々を謳歌してゆく。そして、六百万年が瞬く間に過ぎていった。やがて異変が忍び寄ってきた。恐竜がいなくなって、「生態系の頂点」というニッチ（生態的地位）に空きが出来ていたところ、そこへ君臨したのが強鳥類の代表種ディアトリマであった。暁新世後期の六千九百万年前頃のこと、陸上から恐竜が消えていることを悟ったようで、「地王に怖いもの無し、ならば羽をバタバタ跳ぶのは面倒くさい」と飛ぶことをやめた。飛ばぬなら体重を軽くしておく必要性もなくなり、どんどん大きくなって足から頭までの高さは約二メートル、体重は二百キログラムと巨大化していった。肉食動物であるから巨大化すればするほどに他種動物へつぶしがきく。哺乳類にとって、恐竜ほどではないにしろ、飛ばない強鳥類の存在は脅威となった。哺乳類の多種が強鳥類との関わり合いを避けるように、森林の樹上生活を始めた。</p><p>　</p><p>　●霊長類が生まれた</p><p>　暁新世が終わって「始新世（約五千六百万年前）」に入った。実は、暁新世に活躍した哺乳類のほとんどの種が始新世（約三千三百九十万年前まで）のうちに絶滅していた。暁新世哺乳類が始新世哺乳類（ウマやゾウの祖先型が出現）との生存競争に敗北したからだ。かつてニッチを張ったディアトリマなどの強鳥類も肉食哺乳類の進化によって捕食が容易でなくなって、絶滅に追いやられていた。一方で、樹上で暮らすことを選択していた哺乳類たちは、殺伐とした地上の生存競争に巻き込まれることなく、暁新世から始新世へと生を繋げてゆくことが出来た。暁新世の末期（五千八百万年前頃）に樹上性哺乳類の範疇から進化して霊長類が登場した。霊長類においてその展開をおおよそに示せば、白亜紀終盤（暁新世へ入る直前頃）の約六千五百万年前、哺乳類から初期霊長類への進化が始まったとされる。</p><p>　哺乳類の進化といっても、人類が出現するのはまだ当分先の話、恐竜全盛時代にかかわり合いを避けて夜行性動物へとならざるを得なかった。ネズミやモグラなどの小動物哺乳類が、恐竜絶滅後の今、昼行性へ戻って日差しの中に生活圏を広げてゆく程度だった。ちなみにモグラはやがてネズミに追いやられて、地中へ潜ってゆく。</p><p>　人類へつながる直接的な進化について、ここで言及されるべきは「プルガトリウス」である。ネズミ然としている風貌から抜け切れていないが、系統的にはサルにつながるものである。鼻が長く四十四本の歯を持つ。するどいカギ爪を使って木の上に登り、進化した手の指（親指が他の四指と向かい合う）を駆使して木々を渡り歩く。果物や昆虫を食べていたと考えられ、体長は十センチほど、彼らこそが「霊長類の共通祖先」といわれる。霊長類の定義として、指の平爪、鎖骨、前を向いている目、色の識別、他の指と向かい合っている親指、二つの乳房、切歯・犬歯・臼歯、腕の可働域の広さなどが挙げられていて、その上で指紋がなければいけない。</p><p>　「霊長類の共通祖先」とされるプルガトリウスであったが、そこから派生した「プレシアダピス」。ネズミに似た小型の原始哺乳類で、横並びのかぎ爪を使って樹上に生活しており、霊長類へ進化する手前の動物であったとされる。しばらくプレシアダピス類が繁栄していたが、暁新世の中期に絶滅、入れ替わるように約五千五百年前、人類の近縁にあたる二類が地球上に出現、アダピス類（原猿類の祖先）とオモミス類（真猿類の祖先）だ。アダピス類が現世のキツネザル類・ロリス類へと進化していくところ、より重大な意味をなすのがオモミス類だ。なぜなら、ここに現世人間につながる原点があったと考えられるからだ。つまり現在の通説で、オモミス類から真猿類（ヒト・類人猿・テナガザル・新世界ザル・旧世界ザルなど）とメガネザル類の二類に進化したとされているのだ。</p><p>　</p><p>　ところで、「ヒトはサルから進化した」という言い方について、それは正確な云い方ではなく「祖先は同じとしても、ヒトはサルから進化したのでない、分岐したのだ」というべきなのだ。つまり、世界各地に棲息していたプルガトリウスが、各々に、ヒト化へと進んでいった。各地それぞれのヒト科には「遺伝的」に縦の関係も、横の関係もないと云うことである。だから分岐と進化において、「分岐」といえば、ヒト科のその種がそこで打ち留め、絶滅してゆくことである。「進化」とは、次への遺伝子的継続があると云うことなのだ。</p><p>　さらに附記しておこう。以前の定説によれば「霊長類→類人猿→猿人→原人→旧人→新人」とすっきりした進化経路で説明されたものだが、現在においてはＤＮＡ鑑定の著しい進歩、その上で化石人骨がだいぶ揃ってきたことにより、これまでの定説とされていた進化経路が見直されて「再定義時代」にある。つまり新人の一部が旧人よりも古い時代に棲息していたことが判明し、事実が名称と合わなくなってしまったのだ。本来なら、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人よりも先に出現しているが、前者を「新人」とし、後者を「旧人」とよんでいるのが現状だ。</p><p>　付記して現生人類と高等霊長類との遺伝子ＤＮＡの共有度（十％以上）を記しておこう。</p><p>　　</p><p>　　ホモ・サピエンス（ヒト）　１００％</p><p>　　チンパンジー　　　　　　　 ９７％</p><p>　　ゴリラ 　　　　　　　 　　　９６％</p><p>　　オランウータン　　　　　　 ９３％</p><p>　　テナガザル 　　　　　　　 　９０％</p><p>　</p><p>　●オモミス類からホモ･ハビリスへ</p><p>　オモミス類は始新世の全般に渡って存在した。その始新世の途中、オモミス類は、四千万年前（後期始新世）を前後して、真猿類を派生させている。オモミス類自体は寒冷化に適応できずにやがて絶滅した。生き残ったのはオモミス類から分岐した真猿類で、ここからまた分岐が起こり、ふたつの大きなグループにわかれて生存していったのだ。二派とは広鼻猿類と狭鼻猿類である。広鼻猿類とは現在南米大陸に生息する新世界ザル（南米ザル）で、狭鼻猿類とは旧大陸（アフリカ・アジア）に生息する旧世界ザルと類人猿をふくんでいた。</p><p>　漸新世の後半、約三千万年前に広鼻猿類はさらに旧世界ザル（ニホンザルやコロブス）とホミノイド（類人猿やヒト）の二つのグループに分岐した。ホミノイドは小型類人猿と大型類人猿とに分けられている。現存しているものとして、小型類人猿には東南アジアに生息しているテナガザルだけが含まれる。大型類人猿にはオランウータン、ゴリラそしてチンパンジーが含まれており、そしてヒトも大型類人猿の範疇にある。ヒト属とチンパンジーは大型類人猿という共通祖先から分岐しているのだ。</p><p>　大型類人猿の系統から、約七百万年前にアフリカ大陸で猿人が出現している。エチオピア地域に生息しアルディピテクスと呼ばれ、直立二足歩行の可能性が示唆されて、人類において最古の属とされ、「類人猿と人類祖先が分岐した」と特徴付けられている。</p><p>　アルディピテクスに後続して、サヘラントロプスやアウストラロピテクスなど多種多様な人類がアフリカに登場し始めた。彼らは直立二足歩行をしていたとされるものの、その容姿はチンパンジーなど類人猿の面影を強く残しており、脳の容積も大きくなかった。かれら「猿人」たちはアフリカ大陸のそこここに暮らし、そして「ヒト」に繫がることなく（進化することなく）滅んでいったのだ。</p><p>　現在の「人間」となる原型の人類は着々と進化をしてゆく。ただし正確に言えば、「人間」とは云えず、「ヒト科」という範疇である。ヒト科とは生物進化の中で，人類以前の祖先から人類が誕生した段階およびその経過をいう。化石発掘調査によって、約二百四十万年前〜約百六十万年前の年代に「ホモ･ハビリス」の存在が確認されている。ホモ・ハビリスとは、その名の語源は「器用なヒト」という意味である。彼らはケニア地方に住み、そして画期的なことに動物の死骸を食べるといった肉食も始められていたとされている。脳容量は現生人類の半分ほどとされ、身長は百三十センチと低く、不釣合いに長い腕を持っていたようだ。そういうことから発掘当初は、猿人から一歩抜け出た「原人」と考えられていた。しかし現在ではホモ・ハビリスを「猿人と原人の中間位置」とするのが一般的となっている。</p><p>　「原人のはしり」となるホモ・ハビリスが生きた時代から私たち現生人類の直接的祖先であるホモ・サピエンスが出現するまでにはまだまだ相当な期間を要した。人類分岐の根幹を「ホモ・ハビリス」として、後続人類を列記させてゆけば、「ホモ・エレクトス」から「ホモ・ハイデルベルゲンシス」、「ホモ・サピエンス」へと続いてゆく。</p><p>　ところで今を生きる我々が、ホモ・ハビリスからホモ・サピエンスに至る、人類進化の過渡期に思い巡らすときに、理解しておかなければならない前提がある。ホモ･ハビリスが生きた時代には、猿人のアウストラロピテクスやパラントロプス、さらに原人ホモ･エレクトスなどが同時期に、世界各地に分散されながら存在していたということを。つまり地球規模において、異なる人類が諸所点々としていたということなのだ。このような状況下で、ホモ・サピエンスを除き、すべての人類がやがて、いつの間にやら死に絶え絶滅していった。</p><p>　</p><p>　●出アフリカ、ホモ･エレクトスの快挙</p><p>　約百六十万年前にホモ･ハビリスは寒冷化など地球環境変動に打撃を受けて絶滅してゆくが、その過程の中で約百九十万年前に過去の人類とは一線を画す特徴を持ち合わせた人種が分岐して来た。大きな容量を誇る脳を持ち、草原の暮らしに適応したすらりと長い手足を備えた、「ホモ・エレクトス」である。もう一度書き置くが、『現在において原人ホモ・ハビリスと原人・ホモ・エレクトスの関係は「共通の祖先（猿人アウストラロピテクス）から分岐（進化ではない）した存在」と認識されている。</p><p>　ホモ・エレクトスはアフリカ大陸東部・南部（現在のエチオピアやケニア）に暮らしていた。なお、細かく限定すれば、定説では彼らの出現地をケニア最北の地トゥルカナ湖周辺としている。ホモ・ハビリスに比して脳が一段と大きく歯が小型化されている。採集狩猟生活を営み、火の使用も始めた。火の使用は「煮る」「焼く」を可能にし、そのため肉の調理が出来るようになった。これにより食文化に著しい変化がもたらされたのだ。先輩ホモ・ハビリスはいつしか絶滅してゆくが、後輩ホモ・エレクトスは生き残ってゆく。しかしホモ・エレクトスが我々人類の祖先であるホモ・サピエンスへと進化していったのかは、現在否定されている。両者が隣り合わせに暮らす時期もあったことは否定できないけれども、混血化した可能性は「無し、あるいはほんの少々」と断言するのが昨今の定説である。</p><p>　</p><p>　ホモ･エレクトスは、ヒト史において大いなる偉業を達成している。約百八十万年前を前後して、アフリカの地を離れユーラシア大陸へ進出していったことである。これを「出アフリカ（第一次）」と呼んだ。</p><p>　ホモ・エレクトス、彼らはエジプトとサウジアラビアを分断する紅海のその最上部（北部）を経由してユーラシア大陸に入った。この地で二派に分かれ、一方はインド北部から東南アジア・タイ方面へ向かった。別隊は丸木舟により黒海を渡り、百十万年前頃にヨーロッパへ入っていった。なお先に記した一派は、タイ地域あたりでさらに分派しており、百五十万年前頃になって、一方は海沿いに中国上海地域へ入って、一方はオセアニアに入った。この流れに沿って、北京原人やジャワ原人と現地名で呼ばれるホモ･エレクトスがその地域々々に定住した。ならば現在から遅くとも四万年ほど前にホモ･エレクトスは絶滅しているから、ホモ･エレクトスの範疇にあるジャワ原人や北京原人たちは、現生人類とはつながりがないのだ。</p><p>　おおよそ三十万年をかけてのホモ・エレクトス大移動、しかし当時はまだ航海術の未熟さにより、オセアニアからの海越えはならなかった。南北アメリカ大陸、およびオーストラリア大陸への拡散は百四十八万五千万年まで待たなければならないのだ。但し、この拡散時既にホモ・エレクトスは絶滅しており、世界制覇を実現したのはのちの世代のホモ・サピエンスであったのだ。</p><p>　それにしてもホモ・エレクトスの生命力はたくましかった。約百九十万年間〜百九十六万年間ほどをずっと生き抜いた。最終的には約七万年前にホモ・サピエンスとの生存競争に敗れて絶滅しているが、他種でこれほど長いこと地球に存在し続けた例はない。ホモ・ハビリスでさえ約八十万年間である。我々ホモ・サピエンスは継続中であるとはいっても、未だ二十万年間に過ぎない。</p><p>　そもそも何故に、ホモ･エレクトスは大移動を始めたのか・・・主要因は本格的な「肉食」生活を始めたからだといわれる。動物の「肉」を求めて追いかけ続けるうちに、「出アフリカ」として地球上各地へ分散していったという説だ。狩りには大変な危険が伴った。シカやウマやキリンなどの草食系動物であったなら相手から襲われることはなかったが、クマやハイエナなどの肉食系動物を相手にそうはいかない。「食うか食われるか」の死闘を繰り返したのだ。ホモ･エレクトスは知恵を絞って危険に立ち向かっていったはずだ。具を改良し、待ち伏せや追い込みを工夫したりと。そういう知恵を働かせる脳を備えていたし、その脳は必死の生活のうちにさらに磨かれその容量を増していった。こうした脳の発達は確実に次世代へ継承され、人類（ヒト）を次なる高みへ導いていった。</p><p>　ホモ・エレクトス自体はやがて絶滅していった。しかし絶滅しても、ホモ･エレクトスは時間をゆっくりかけえながら世界規模で二種のヒト科を分岐させていた。ホモ･ハイデルベルゲンシスとホモ･ネアンデルターレンシス（ネアンデルタール人）である。もちろん、約六十万年に出現したホモ・ハイデルベルゲンシスと約３０万年前に出現したネアンデルタール人とは別人類である。</p><p>　ホモ･ハイデルベルゲンシスとは、ホモ･エレクトスの中で出アフリカをしなかった一派の末裔と、出アフリカをしたものの何らかの理由により帰郷した末裔が交合して発生したとされている。そのホモ･ハイデルベルゲンシスがホモ･サピエンスへと進化していったのだ。</p><p>　　　</p><p>　　　ホモ・ハビリス　　　　　　　　　２４０万年〜１６０万年前</p><p>　　　ホモ･エレクトス　　　　　　　　１９０万年〜４万年前</p><p>　　　ホモ･ハイデルベルゲンシス　　　６０万年〜２０万年前</p><p>　　　ネアンデルタール人　　　　　　　３０万年〜４万年前</p><p>　　　ホモ・サピエンス</p></div><h2>&nbsp;</h2><p>　</p><div><p>&nbsp;</p><p>　</p><p><span style="color:#800000;">　********************************************************************</span></p><p>　　この連載となる元本（萩史・46億年のあゆみ）、嫁に行きそび</p><p>　　れた在庫がいくらか残っています。連載を読み、面白いと思って</p><p>　　くださったなら、無料で進呈させていただきたく存じます。結構</p><p>　　豪華版（三部作）です。コメント欄にその旨、お知らせください。</p><p>　<span style="color:#800000;">********************************************************************</span></p><p>&nbsp;</p><h3>&nbsp;</h3><div>&nbsp;</div><h3>&nbsp;</h3><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p></div>
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<link>https://ameblo.jp/dobbpubb/entry-12806099754.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Jun 2023 14:38:23 +0900</pubDate>
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<title>萩史・46億年（第一回）</title>
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<![CDATA[ <h2><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/15/dobbpubb/a7/0d/j/o0512051215289218189.jpg"><img alt="" height="220" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/15/dobbpubb/a7/0d/j/o0512051215289218189.jpg" width="220"></a>　　（第一回）</h2><h2><span style="font-size:1em;"><span style="color:#ff0000;">◎透明という色を描いてみたい</span></span></h2><h3><span style="font-size:1em;"><span style="color:#ff0000;">　　　　　　　　　　　　　　　（エッセイ集）</span></span></h3><h3><span style="color:#0080ba;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">第一回・ビートルズにハマっています</span></b></span></h3><p><span style="color:#000000;">　私はビートルズ時代に少し遅れて生まれた男です。「レット・イット・ビー」や「イエスタデー」などの大ヒット曲を楽しんで聴く程度でした。もっぱら音楽は、ドノバンや岡林信康に集中していました。</span></p><p><span style="color:#000000;">　実は、ビートルズを本気で、集中的に聞きだしたのは70歳を過ぎてからでした。ほとんど毎日、２〜３時間聞いています。その上で、zappyさんをはじめとしたビートルズ関連のユーチューブへ頻繁にアクセスして、ビートルズ全体像への理解を深めています。</span></p><p><span style="color:#000000;">　面白いですね、そして考えさせられます。憧れもありますが同情してもいます。史上最高のロック・グループにも、個々の人間としての苦悩もあるのですね。初めジョン・レノンがリーダーとしてグループを引っ張っていました。すぐにポール・マッカトニーが頭角を顕してきます。二人は天才児です。やがてポールがリーダーの座を奪い、ジョンは逃避もあってドラッグに溺れていきます。ビートルズの面白さ、奥の深さはここから増してゆくのです。それはジョージ・ハリソンの存在です。ジョージは「静かなビートルズ」と云われて、ジョンとポールの後塵に拝するような存在でした。そしてジョージは二人から「つべこべ言わずについて来い」と言った軽い扱いを受けていました。しかし、ついにビートルズ活動最後の頃になって、世界規模の名作「Something</span>(サムシング）」という大傑作をものにしました。</p><p>　70歳になってからビートルズにハマり出した私は、今、ちょっとした計画を立てています。今後も五年ほどビートルズの楽曲を聴き込んで、ジョン、ポール、ジョージ、そしてリンゴの人間として喜怒哀楽を理解してゆき、そこを題材に本として出版できたらなと思っています。</p><p>　先日、この目論みを２５歳の若い人に話しました。彼は「溝田さん（私）、羨ましい人ですね」と云ってくれた。年老いてきても「元気、元気」と褒めてくれたのでしょう。確かに・・・体は透析患者でもあって、なんとなく辛い日々を送っていますが、気持ちはどうやら大丈夫、ちょっと忙しい日々を送っていて、まだまだ死んでもいいけど死ねないのです。</p><p>&nbsp;</p><h2><span style="color:#ff0000;">◎萩へ長州藩へ遊びにきませんか</span></h2><h3>　　　　　　　高杉晋作編</h3><div><span style="color:#ff0000;">　　　</span></div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/6d/4d/j/o3488261615289364728.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/6d/4d/j/o3488261615289364728.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/18/dobbpubb/6c/83/j/o3352223415289327357.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/18/dobbpubb/6c/83/j/o3352223415289327357.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/cf/67/j/o3488261615289363769.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/19/dobbpubb/cf/67/j/o3488261615289363769.jpg" width="220"></a></div><div>　誕生地　　　　　　　　東行庵墓地　　　　　　胸像</div><div>　　　萩南古萩町　　　　　　下関吉田町　　　　　下関唐戸市場</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/75/c9/j/o3456230415293890838.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/75/c9/j/o3456230415293890838.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/41/14/j/o3456230415293891961.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/41/14/j/o3456230415293891961.jpg" width="220"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/47/d4/j/o3488261615293891560.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230604/14/dobbpubb/47/d4/j/o3488261615293891560.jpg" width="220"></a></div><div>　萩博物館館内　　　　　東行忌150回忌　　　　銅像</div><div>　　　萩城下堀内　　　　　　東行庵吉田町　　　　　下関火の山公園</div><div>&nbsp;</div><div>尊敬する歴史上の人物とはと問われれば、「高杉晋作」と応える。現今、萩地域で吉田松陰と共に人気の双璧（とはいえ、松陰はダントツ）、良くも悪くもヒッチャカメッチャカ、この人物へ時に辟易しながら、結局、大好き。「功山寺の挙兵」は私が最も評価する歴史事件。</div><div>&nbsp;</div><h2>&nbsp;</h2><h2><span style="color:#ff0000;">◎大河連載</span></h2><h2><span style="color:#ff0000;">　地球46億年のあゆみ</span></h2><h2>第一章 地球に人類が誕生する</h2><p>　●<b style="font-weight:bold;">空はオレンジ色</b></p><div>　46億年前に地球は誕生した。<br>　当初地球を取り巻く空気中には、二酸化炭素濃度が現在の数十万倍あって、酸素はほとんど含まれていなかった。二酸化酸素が光を吸収する理由から、この頃の空は今のような青色でなく、オレンジ色に近かった。</div><div><p>　宇宙のなかの地球・・・地球が誕生するまで、宇宙はどれくらいの時間を費やしていたのだろうか。不毛の時間感覚でおおわれた世界に、突如として超高温で高密度の状態が生まれ、これが大爆発を起こしていわゆるビッグバン。我らの宇宙誕生、およそ百三十八億年前(百五十億年前とも)のことであった。</p><p>　以後百億年の流れのなかで、幾つもの銀河が形成され、無数の星々が生まれやがて死んでゆくことを繰り返していた。中で一つの巨大星が生命の最期を迎え、爆発そして崩壊していった。残骸(高圧のガス)は吹き飛んでいったが、その中でもひときわ輝き始める光群があった。ガス同士の重力によってまとまり始め、それが太陽の原形「原始太陽」と呼ばれるものなのだ。原始太陽は次々と周りのガス、元素を取 り込んで現在の太陽としての形になっていった。太陽は一つの個体となり、今なお成長を続けておりその頃から現在に至り、推定50億歳前後が経っている。太陽の寿命は百十億歳くらいと見積もられていて、ならば残りあと僅か半分五十億年余、太陽に依存して成立って いる我ら人類、ホモ・サピエンス、宇宙から脱出して新天地を探さねばならない、急がねば。</p><p>&nbsp;</p><p>　太陽誕生に伴い派生した塵やガスは衝突と合体を繰り返しながら無数の微惑星を産み落としていった。たいていは太陽がよりより高温に触れる位置へと吸い寄せられ消滅していった。その中で、太陽の重力に対抗できる質量を備えた惑星は、太陽に引き込まれず、 太陽誕生に伴い派生した塵やガスは衝突と合体を繰り返しながら無数の微惑星を生み落としていった。たいていは太陽が持つ吸引力により高温に触れる位置へと吸い寄せられ消滅していった。その中で、太陽の重力に対抗できる質量を備えた惑星は、太陽に引き込まれず、それでいて重力から飛び出すことも出来ずにいた。微惑星同士が衝突や合体を繰り返しながら太陽の周りを回り始める。こうした太陽系惑星が九個（冥王星は除外されたので現在では八個）あった。中で一つ、太陽系惑星として、約46億年前、「地球」がこの世に生まれ出た。惑星は太陽に近ければ熱くなり遠ければ寒くなり、生命が住むには厳しい環境に置かれるが、地球は太陽との重力バランスが保たれる丁度良いところに位置していた。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b style="font-weight:bold;">●海の出現、生命の源</b><br>太陽の惑星となって六億年ほど経った約四十億年前、地球は冷え始めた(地球誕生当時は千二百度程度)。それ故地球熱により絶え間なく発生していた水蒸気が凝結して雲、そして雨となり五千年間ほどの梅雨状態、断続的に降っては止みを繰り返し、これにより原始の海を出現させた。約四十億年前の地球に陸地はほとんど存在せず、海ばかりの世界であったようだ。海は地球に生命をもたらす源となった。地球が誕生した頃、惑星にならなかった微惑星のなかには、彗星や惑星もどき状態となって太陽系を漂う「物質」があった。これらがやがて地球に接近し、有機物を含む塵をばらまいたり、物質自体が衝突したりして、地球へ有機物を送り込んだ。地球は海に覆われていたから、海が受け皿となったのだ。海に取り込まれた有機物の一部分は海底の「熱水噴出孔」あたりにたどり着いた。そこは水温が非常に高く、多様な物質が混じり合う場所で、化学反応が起きやすい。有機物はそのままであればただの「物質」だが、化学反応を繰り返すうちに、「生命」へと進化を遂げていったのだ。つまり、「生命」とは「物質」の進化体なのである。</p><p>　その上で重要なことは、地表には生物に有害な紫外線が降り注いでいたから生命が宿る環境になく、紫外線が届かない海の奥底にある海底火山の熱水噴出孔だけに生命をながらえる環境があったということ。約三十二億年前になると、光合成によって酸素を生み出す一種が誕生した。これがシアノバクテリア(藍藻)であり、当時の環境において細胞核を持たない最も下等な単細胞生命体(植物系)と見なされている。「最も下等な単細胞」であっても侮ることなかれ、恐るべき革命児。それまで生命体は硫化水素など栄養分を分解するだけだったところ、自ら光合成でエネルギーを作り出し始めた。噴出孔附近から離れた場所でも生存可能となっていったのだ。</p><p>　しかし本当の凄さはここからで、シアノバクテリアは無尽蔵の太陽エネルギーを利用して水と二酸化炭素から有機物を合成する能力を獲得、その際、有機物合成の二次作用としてその廃棄物から酸素を放出した。「酸素を作り出す」、この二次作用が地球生態系に根本的な変化をもたらせた。約二十億年前のこと、シアノバクテリアが海中において凄まじい勢いで繁殖したことにより、海水の酸素濃度が上昇していった。象徴的変化として、海の色が黒から青に変わったのである。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b style="font-weight:bold;">●生命の素、ミトコンドリア</b></p><p>　ならば地球はシアノバクテリア単一の世界になったかと云えばそうはならず、別系統で発生し、そしてたくましく生き延びた生命体が存在した。「真核生物」というもので、その生物の細胞にはほとんど例外なく「ミトコンドリア」と呼ばれる細胞内小器官を含んでいる。ミトコンドリアこそが、それまで毒物でしかなかった酸素を利用してエネルギーへと変換させる、言わば生物体内のエネルギー生産工場だったのだ。真核生物は活発化して群集生活することを覚え、その進化過程で互いに吸収合併を繰り返すうちに大型化してゆき、多細胞生物として出現するのが十億年前頃。大きな体に大きなエネルギー、そして様々な機能と膨大な遺伝子を持てるようになった彼らは、さらなる進化を遂げてゆく下地を得たのである。</p><p>&nbsp;</p><p>　●カンブリア大爆発<br>　火山噴火や氷河期などといくつかの激変を経て、地球環境は生き物に対してずいぶんと優しくなってきた。酸素が大気中に増えて成層圏まで達し、オゾン層が形成されている。これにより生命に有害な紫外線は概ね地球表面上へ侵入不可能となり、地上に生命が維持されるべき環境が整ってきた。三十二億年前に深い海の底を漂っていた「有機物」から誕生した「生物」は、時を重ねて単細胞生物から多胞生物へと進化を遂げていたのだ。一つの氷河期を終えて、間氷期に入り始めた六億年ほど前のこと、マイナス五十度という極寒期をどうやら生き抜いた生物たちがいる。そして現在から五億四千百万〜五億二千百万年前、「カンブリア大爆発」と呼ばれる地球史上稀有な節目を迎えるのであった。「大爆発」とはいえ、火山とか隕石落下というものではなく生命種(門)の大爆発。それまで数十種しかいなかった生物が突如として一挙に一万種へと広がり誕生したのだ。この大爆発によって、現生人類を含め動物の祖先がすべて出揃ったとされる。</p><p>　「優しい地球」、動物より先にこの環境を享受したのは実のところ先ずは植物であった。約五億年前頃からコケ植物、続いて四億五千万年前頃にシダ植物が水際に沿って進出していた。シダ植物は、葉・茎・根のしくみがしっかりし、水辺から離れた陸地上でも生命を&nbsp;長らえることができるようになっていた。海から陸へ生き物が新天地を得る足がかりを得たということなのだ。さらに植物は新種を生み出し、古生代末期の二億九千万年前頃に裸子植物(イチョウ・ソテツ・針葉樹など)が誕生した。種子になる部分の胚珠がむき出しになっており、シダ植物よりも水分の取り込み能力を進化させていた。また繁殖方法も花粉を風により飛ばして授粉させ種子を作り出すという特性を身につけた。種子は乾燥に強く、遠くに移動することが可能だったから、内陸まで生存範囲を拡げることが出来るのだった。なおこの頃、地球は、表面積の約七十%の海と三十%の陸からなり始めていた。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b style="font-weight:bold;">●魚の誕生</b></p><p>　海にも新たな生物体が誕生し始めている。約四億年前、無顎類(現生に生息するのはヌタウナギ類とヤツメウナギ類)に属する原始的な魚類であった。魚類は地球上に初めて生息する脊椎動物であり、おおよそで云えば背骨をもつ動物が脊椎動物である。人間も脊椎動物、地球誕生以来四十数億年経って、ようやく人間の起源をうんぬんする存在の生物が出現したということなのだ。その頃、海の世界は五億年前頃から誕生したオウムガイ(頭足綱オウムガイ科の軟体動物。イカ、タコの原始的な仲間)が全盛を誇っていた。オウムガイは魚類に比べて格段に進歩した遊泳能力を身につけていたから強者の立場にあり、三葉虫などの節足動物を主食にしながら、副食として頻繁に魚類(つまりこの頃の魚類はそれほどに小魚だった)を襲っていた。魚類の多種はオウムガイに圧迫されて逃れるように、当時競争相手のいない生態系の空白地帯であった河川へと脱出していくことになる。</p><p>　小魚たち・・・海からの脱出といっても、川の生活環境は体力的に辛いもので、辿り着いてすぐに安住の地というわけにはいかない。淡水域は浸透圧差のせいで細胞が破裂しやすい。また海水中とは違いカルシウムなどのミネラルも希薄だったから栄養源の確保に大変で、淡水域へ進出後の努力は並々ならぬものがあったのだ。それでも適応力はたくましく、浸透圧差を克服するために腎臓を身につけ、生きる活力源となるミネラルを補給するために脊椎を発達させ、また雨の降らないときに川が泥地になることもしばしばだったので空気から直接酸素を取り込むための肺機能を身につけたりもしていた。さらにエラやヒレを発達させ運動能力を向上させ「気がつけば」というべきなのか、魚類は知力・体力共にオウムガイを凌駕する存在に進化していた。「ならば戻ろう」と一部の魚は海へ回帰して、海の覇権をオウムガイから奪取してゆく勢いを見せるのだった。</p><p>　魚界の生態系をいえば、無顎類が出現した後、オルドビス紀(約五億九千万年前〜約四億四千六百万年前)に顎口類が生まれた。両種の違いを云えば、「顎の有る無し」となる。ここから一億年以上経つ頃、川から陸へ異変が起きた。川で見事に肉体改造を果たし、陸上で活動するに十分な身体機能を身につけた魚、そういう自分を発見した魚が、三億五千年前頃、変身した体型を以て陸へ進出していったのだ。これがカエルやイモリに代表される両生類である。</p><p><br>　<b style="font-weight:bold;">●ペルム紀の大量絶滅</b><br>　動物、その進化・成長というもの、なだらかに上昇線を描いているのではない。時として大きなくぼみがあり、そこをジャンプして次の段階へ進んでいくものだ。</p><p>　カンブリア大爆発で多様化した動物たちは複雑な生態系を築いていった。日に日に成長してゆく生物世界は三億年を維持されて、ところが突如、異変が起きた。「ペルム紀末の大量絶滅」と呼ばれる悲劇に見舞われたのだ。大量絶滅は二段階をもって完遂された。先ず、約三億年前に地球の寒冷化が進んでいった。その上で、それまで地球上に複数あった大陸がプレート(地球の表面を覆う、十数枚の厚さ百キロほどの岩盤)の動きによって一ヶ所に凝縮されていったのだ。その結果、地球表面がひとつの大陸(パンゲア大陸)とひとつの海洋(パンサラッサ海)だけで構成されることになった。新生パンゲア大陸の下に落ち込んでいったプレートの残骸がやがて一定量の岩塊になると、マントル内を落下していった。落下の落ち着き先は外核の表面だ。外核とは地球中心部にあり、中心部の内核を覆っている超高温地帯だ。プレートの残骸は比較的低温であるから、衝突を受けたあたりの外核は急激に冷やされ、地磁気が激しく変動するようになる。地磁気が乱れるということは、地球の大気圏に進入する宇宙線が増えるということなのだ。宇宙線とは宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線のことである。宇宙線が増えると雲が発生しやすくなる。連日、雲が空を覆うようになると、太陽光が遮られて地表は寒冷化し、熱帯・温暖系の動物は次第しだいに死に絶えていった。もともと寒い地域に生息していた中緯度地域の動物が存在するのだが、彼らはより温暖な低緯度地域へと生息地を移し生き残りに成功してゆく。　</p><p>　やれやれと生き延びた動物たち、しかし試練はさらに続く・・・</p><p>　第二段階は現在から約二億五千二百万年前に起こった。第一段階が一段落して、生態系がようやく回復に向かったペルム紀末、そこへさらなる追い打ちがかかった。現在のシベリアにあたる地域で地球史上未曾有の噴火が起こったのだ。地表の所々にマグマが吹き出し、百万年以上ものあいだ噴火は延々と続いていった。巨大噴火は地下内部のダイナミックな動きが関係していた。パンゲア大陸の深層地帯から高温なマントルが巨大な上昇流となって浮かび上がった。この上昇流が「スーパープルーム」とよばれ、地表付近でマグマへと姿を変え、地上へ一気に吹き出したのだ。その噴火の様子はあたかも巨大洪水のようであった。噴火口から流れ出した溶岩は、森林を覆い被さるように焼き尽くし、動物たち多くは一瞬に焼き殺された。たとえそこを生き延びた生物があったとしても、焼き尽くされた土地で住み処や食べ物が奪われ、どうにも生きようが見つからず、死滅へと帰結した。また大量に発生した二酸化炭素による中毒死もあった。</p><p>　地球の壊死化は陸上ばかりでなく、パンサラッサ海中にも波及していった。数百万年もの間、海から酸素が消えてしまったのだ。その過程といえば、スーパープルームによって引き起こされた異常なほどの火山活動によって生じた厚い雲群が地球を覆ったことにより始まった。雲群がスクリーンとなって太陽の光を遮断。生物圏の光合成活動が抑制されて、深海まで十分な量の酸素が届かなくなっていったのだ。地球はますます寒冷化が進んでいったので、光合成は完全に停止、浅瀬にも酸欠状態が避けられなくなった。このようにパンゲア大陸にもパンサラッサ海にも・・・つまり地球全体が酸欠による壊死状態に陥り、地上では爬虫類や両生類の三分の二以上が絶滅し、また海の無脊椎動物も約九十パーセントが死に絶えていった。地球は後の数百万年間ほど長く深い眠りについてゆく。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b style="font-weight:bold;">●恐竜が地球を席捲、そして絶滅</b></p><p>　ペルム紀の大量絶滅が起こった二億五千二百十七万年前を超えて生き延びた動物群は、おおむね三種類に分けられた。現世、ヒトへつながったキノドン類、ワニや恐竜や鳥類へつながる主竜類、トカゲへつながっているトカゲ類なのだ。二億五千二百十七万年前は、地質区分によれば時代の節目にあたる。「古生代・ペルム紀」から「中生代・三畳紀」へ移行したのだ。ちなみに三畳紀は二億百三十万年前まで続き、その後は「中生代・ジュラ紀」となる。三畳紀に入って徐々に暖かさが戻り、酸素濃度も増して、地球は動物が生きるに優しい環境を取り戻していった。</p><p>　一見穏やかな緑の風景、しかし地上には激しい生存競争が起こっていた。三畳紀、はじめ主役の座にあったのはキノドン類だった。中期になるとワニの祖先である「主竜類（クルロタルシ類）」がキノドン類を追い落とす風にして覇権を握っていた。主竜類の代表格は「サウロスクス」であって、全長五メートルほどの巨体の持ち主であった。なおキノドン類を補足すれば、私たち人類を含む現生哺乳類の先祖とされていて、初期の種類は穴居生活をしながら魚や昆虫を食べていたようだ。</p><p>　キノドン類が動物絶滅期を生き残れた理由としては、絶滅の原因とされる急激な地球低温化により低酸素な環境となってしまっても、穴居性で地下に潜っていたから影響があまりなかったためと推測されている。</p><p>　三畳紀後期、約二億三千万年前、ワニの祖先と同類の主竜類から地球史上最も繁栄した動物が出現した、「恐竜」である。当初の恐竜はおおむね現生の大型犬に近い体格をしていたらしく、最も小さいものではニワトリほどの大きさだったとされる。初期の爬虫類はほとんど肉食だったから、恐竜も肉食系動物として出発している。しかし陸地に樹木や草が出現して、恐竜のある種が草食（植物食）系へと変化していった。草食系恐竜は草を食べるかたわらに木の葉や枝、または根や幹の皮なども頬張った。陸上に出現したばかりの恐竜は、初めのうちワニの先祖を主とする主竜類の脇役に過ぎなかったが、三畳期末（二億百三十万年前）に状況が一変した。なぜだか不明だが、動物界諸々に大量絶滅が起こったのだ。この頃動物界の頂点に立っていたクルロタルシ類もワニ類を除いてすべてが絶滅した。恐竜類はクルロタルシ類よりも直立歩行による高い敏捷性があって、体構造が優れていた。このことによって捕食を得やすく、三畳期末を乗り越え、次時代ジュラ紀へ生き延びていくことが出来たのだ。</p><p>　ジュラ紀（二億一千万年年前〜一億四千万年前）になると地球の温暖化が進み、裸子植物は広域化すると同時に大型化へ向っていった。シダやソテツなどが繁栄期を迎えた。草食恐竜は食うに困らなくなり、生きやすい環境が整った。その恩恵に浴し、草食恐竜は数を増やし、体も大きくなっていく。草食恐竜を主食とする肉食恐竜にとって、これほど有り難いことはない。草食恐竜が繁栄してゆくならば、肉食恐竜も相乗効果のように繁栄してゆくのだ。当然、捕食者・肉食恐竜と被捕食者・草食恐竜、双方のあいだには激しい「生」への攻防戦があった。</p><p>　そこに自然の摂理が生じる。生存競争に打ち勝つための絶対条件は「大きくなる」ことなのだ。ライオンは大人ゾウを襲わないが、子供ゾウなら標的にしかねない。ネコはネズミを襲ってもライオンへは襲って行かない、そういうことだ。「食われてならぬ」と大きくなった草食恐竜の代表はトリケラトプスだ。全長は約九メートルで、体重は約七トンあったとされる。肉食恐竜もそういう大型化した草食動物を「食わねばならぬ」、負けじと大きくなり、その代表はティラノサウルスだ。全長約十二メートル、体重四〜七トンにも及んだ。同世代に生きて、共に北米大陸で暮らすティラノサウルスとトリケラトプス、壮絶な「生き残り」合戦が頻繁に繰り広げられていた。勝負はたいていティラノサウルスの勝利で終わる。あごの噛む力は八トンほどもあって強靱だ。相手の骨まで深くえぐって、相手がどうもがこうと振り放されることはない。付加的優位性として嗅覚が非常に発達していたことが挙げられる。体内保温性も維持しているから、夜の活動をあまり負担とせず捕獲活動が出来る。トリケラトプスが森の茂りでひっそりと睡眠をとっていても、鼻をきかせてそこを襲うことも出来たのだ。</p><p>　想像してみよう・・・</p><p>　森を抱えた緑豊かな平原に、ティラノサウルス（約六千八百五十年〜約六千五百五十万年前に生存）やトリケラトプスを代表する多種多彩な恐竜どもが、地鳴りのような足音を響かせてそこここを闊歩する。肉食系と草食系が遭遇すれば、「食うや、食われずや」の大騒動。動物界の世の中は、決して太平楽とはいかないのである。ティラノサウルスに絞って言及すれば、捕食相手はもちろんトリケラトプスだけではない。同類肉食恐竜との戦いもあれば、空から飛来する翼竜とも時として戦う。同士の共食いもあったようで、世上は緊張感に満ちあふれていた。ティラノサウルスを頂点として、恐竜時代は中生代（三畳紀・ジュラ紀・白亜紀）の全期、およそ一億七千万年間以上に及んでいたようなのだ。この間一種また一種、恐竜の存在に恐れをなして、恐竜以外の動物たちは関わりのない場所、海や川や空へ、あるいは森の木々の上へと逃げ込んでいった。人間に通じるヒト科は、この頃、キノドン類から分岐した哺乳類であって、恐竜脅威からよほど軽減される夜行性へ生活圏を移しおおむね穴掘り生活であった。</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p><span style="color:#800000;">　********************************************************************</span></p><p>　　この連載となる元本（萩史・46億年のあゆみ）、嫁に行きそび</p><p>　　れた在庫がいくらか残っています。連載を読み、面白いと思って</p><p>　　くださったなら、無料で進呈させていただきたく存じます。結構</p><p>　　豪華版（三部作）です。コメント欄にその旨、お知らせください。</p><p>　<span style="color:#800000;">********************************************************************</span></p><p>&nbsp;</p><h3>&nbsp;</h3><div>&nbsp;</div><h3>&nbsp;</h3><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p></div>
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<pubDate>Tue, 23 May 2023 15:02:20 +0900</pubDate>
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