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<title>dokudaruma.com</title>
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<description>パチスロ日記</description>
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<title>dokudaruma.com 16</title>
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<![CDATA[ 　「○○銀行の口座を持ってたら、書類に記入するだけでほとんど審査も無く”限度額10万円”まで借りられるんだよ。利子も高くないよ」<br>　「俺？もちろん借りてるよ。当たり前じゃん」<br>　「大学卒業しちゃえばそのまま踏み倒せるらしいしね」<br>と、Aと私の共通の友人であるBから聞いた事があった。<br>”踏み倒せる”というのは恐らく間違いで、<br>それが勿論悪い事であり、以ての外である事は言うまでもない。<br>だが、返済せずに卒業し、引越して行った学生が多かったというのは事実のようであった。<br><br>当時その話を聞いて「え、マジで？あわよくば俺も。。。」<br>と思ったりした私も同類だが、酷い学生の多かった事多かった事。<br>今更ながら、「大学とは何だったのか？」と思う事しきりである。<br><br><br>ちなみにBは、<br>免許を取ってから間もなく、車を買ってはしゃいでいたはいいが、<br>その２日後にカマを掘ってしまい、車は廃車。保険は未加入。<br>ほんの数日間で100万円近くを失い途方に暮れていた哀れな男の子だ。<br><br>しかも、その数ヶ月後には留年が決定。<br>まさに不幸を絵に描いたような男の子でもあった。<br>この頃のBは、恐らく人生で一番優しくされたのではなかろうか。<br>　<br><br>　さて、いつものようにカエル君にカツアゲされた私はその足で銀行へと向かっていた。<br>勿論、銀行口座に学生ローンの機能を付けてもらうためである。<br>必要書類は準備万端。<br><br>準備万端とはいっても、必要なのは”実家の連絡先”、”通帳＆印鑑”、”学生証”くらいのもので、意識的に準備した物は”通帳と印鑑のみ”。<br>銀行での手続きもほんの10分程度だったと思う。<br>ある意味レンタルの会員証を作るような感じであった。<br>「お金を借りるって簡単♪」<br>と思ったかどうか定かではないが、<br>”お金の重み”と”責任”を知らずして学生生活を送っていった事は確かである。<br>重ね重ねゴメンなさい。<br><br>何はともあれ手続きは無事に終える事が出来、キャッシングの方も結構すぐに出来るようになった。<br>正直、通帳に”－（マイナス）”が記載されるというのは心境的に嫌なものであったが、これが無いと来月分の家賃が払えない。<br>それに電気代やガス代、生活費さえままならないのである。<br>これ以上書くと、今更ながら惨めになってくるので割愛するが、それくらいカエル君は私の全てを奪っていったという事だ。<br>「あのカエルの野郎。。。」<br>来月分の家賃を振り込み、口座に記載された”－（マイナス）”を眺めながら”憎き緑のカエル君”を思い浮かべていた。あの微妙なアホ面が実に苛っとする。<br><br>それと同時に何とも言えない感情が湧き上がってくる。”怒り”にも似ているが悪くない感じ。<br>「カエルの野郎にリベンジしてやる」<br>そう思うや否や、私は駅前に向かっていた。<br>銀行口座に残った数字は”－100000”<br>根っからの大馬鹿野郎は、来月の光熱費＆生活費を全て握り締めてカエル君のもとに向かったのである。<br>「かける言葉が無いとはこの事だ」<br>と当時の私に投げかけてやりたい。<br><br><br>　そういえば海物語が全盛の頃、あまり廻らないのに景気良くお金を突っ込むお客さんをよく見かけたのだが、<br>「何故そんなにも？」<br>「よくお金が続くよなぁ」と不思議に思っていた。<br>そして、こう思っていた。<br>「こういうのがパチンコ依存症っていうんだろうなぁ」<br><br>今書きながらに思うのは”私には何も言う権利は無い”という事。　
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10453365930.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 23:57:05 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 15</title>
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<![CDATA[ 　それが良いのか？悪いのか？<br>という事なら間違いなく悪い。<br><br>私がアホなのか？馬鹿なのか？<br>という事なら間違いなく両者。<br>猛烈馬鹿野郎、かつ強烈糞野郎である。<br>というくらいに私はパチンコ屋に入り浸った。一週間のうち7日くらい入り浸っていた。<br><br>今はどうかわからないが、大学を卒業するだけならある程度学校に行かなくともほとんど影響は無い。<br>勿論、各々の講義に関する情報は常にgetしておかねばならないので、友人達との連絡は欠かせなかったが。<br>会う度、話す度にそんな情報を求める私を、周りは心底ウザく思っていた事だろう。<br>本当にごめんなさい。<br><br>だが、当時の私はそんな事もお構いなしにパチンコ屋に入り浸った。<br>勿論”A”と連れスロをする事もあったが、彼はきちんとバイトも続けていたために私一人でニューパルと戯れる機会が多くなっていった。<br>そして、運が良かったのか、ある意味悪かったのか、<br>結構なペースで勝っていたために貯金も増え、気付けばバイトも辞めてしまっていた。<br>そうなればもう、私とカエル君を遮るモノは何も無い。<br><br><br>　目が覚めればパチンコ屋へ出向き、<br>打ち終えて帰宅すれば”パチスロ必勝ガイド”を読み、カエル君の記事にニヤニヤしながら就寝。<br>勝った日はご褒美、負けた日には自棄買い＆自棄食い。<br>そんな生活ぶりを心地良く感じるくらいに、駄目人間っぷりを発揮していく私であった。<br><br>ちなみに、その生活サイクルは”完全夜型”だったため、開店に間に合うよう起きられる訳もなく、<br>”夕方近くにパチンコ屋に出向く事も少なくない”という体たらくだったのだが、立回りとしては一応”設定判別＆リプレイハズシ＆小役目押し”を実践していた。<br>しかし、今思えばどれもこれも不完全だったように思う。<br><br>小役目押しに関しては”BAR目押しタイム”なんぞを取り入れている時点で間違っているし、<br>リプレイハズシに関しては”ビタ押し”が必要だったために、当時の私が完璧にこなせる訳がない。<br>”設定判別”に関しては、不器用ながらもある程度正確にこなしていたのだが、<br>”設定４以下”が濃厚になったとしても、出玉が順調ならばそのまま続行するという愚行を繰り返していた。<br><br>しかも、台選びに至っては「すみません、かなり適当に座ってました」としか言いようが無い”選択基準”でしかなかった。<br>要するにただの”カエル君中毒”。<br>そんな私の貯金が底を突くのに、そう時間はかからなかった。<br><br><br>　ある時期を境に、猛烈に勝てなくなっていった私のホームグラウンドのカエル君。<br>その勝てなさっぷりは半端ではなく、訳のわからない”オカルト攻略法”も実践してみたりした。<br>ちなみに、ガイドに掲載されていたネタも試してみたが、例の”中ボタン攻略法”は割と本気で実践していた。<br>何というか、出来る事は全てやっておこうという思いからだろうが、やるべき事が間違っている事には触れないでおいて欲しい。<br><br>そして、そんな”努力”<br>というか”愚行”が実るわけもなく負け続け、いつしか”リーチ目を楽しむ余裕”さえ無くなっていた。<br><br>｜蛙｜　｜　｜<br>｜　｜蛙｜　｜<br>｜　｜　｜チ｜<br>　　　　｜７｜<br><br>こんなのや、<br><br><br><br>｜　｜リ｜　｜<br>｜　｜チ｜　｜<br>｜蛙｜オ｜Ｂ｜<br><br>こんなの。<br><br><br><br>そして、<br><br>　　｜べ｜Ｂ｜<br>｜　｜Ｂ｜チ｜<br>｜　｜　｜　｜<br>｜蛙｜　｜　｜　<br><br>こんなのでさえ楽しむ余裕もなく、<br>只々「いっぱい出てください」という思いでレバーを叩き続けていた。<br>極端な話、「１蛙につき1000枚くらい出てください」とさえ思っていたが、<br>そんな私の思いなど通じるわけもなく、カエル君は非情にも搾取を続けた。<br><br>そして、あろう事かカエル君は私の来月分の家賃や光熱費にまで手をつけたのである。<br>そう、悪いのは全てカエル君。<br>なけなしの福沢諭吉をもカエル君に寝取られた私は、その数日後にと或る手段を選択する事となる。<br><br>何ていうか、学生ローンって知ってますか？
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10447569326.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Jan 2010 23:21:35 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 14</title>
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<![CDATA[ 　待ちに待ったニューパルサーとの初対面、レバーを叩く手にも力が入る。<br>力は入っていたが、間違っても”強打”はしていないので誤解無きよう。<br>強打は断固反対。<br><br>取りあえずではあるが、左リールに２つしかないチェリーだけは目押ししつつ、中リールと右リールは適当に打ち始めた。<br>だがしかし、早々と”中リールのオレンジとベルの配置が極端な事”に気付く。<br>どれ位極端かというと、<br>”リールを地球に見立てると、<br>オレンジは北半球でしか採れないし、ベルは南半球でしか盗れない”<br>というくらい極端なのだ。<br>多少意味のわからない例えをしてしまったが、早い話”目押しが必要”という事。<br>仕方なく、ハサミ打って中リールにテンパイした絵柄（オレンジorベル）を狙う事にした。<br><br><br>　さて、大量リーチ目タイプの肝である”リーチ目”であるが、リーチ目表に載っていたパターンは、<br>主に”チェリー付き”、”BAR、BAR、○（○＝ボーナス絵柄）”、”7と蛙の絡み”。<br>”７と蛙の絡み”に関しては直線物よりＬ字等が強いようだ。<br><br>ちなみに、左リールにチェリーを目押ししている限り”BAR系”のリーチ目は拝む事が出来ない。<br>なので、私はたまに”BAR目押しタイム”を取り入れる事にした。<br>乏しいネーミングセンスは置いとくとして、”BAR目押しタイム”は若干のコイン持ちと引き換えに”ニューパルのゲーム性”をグッと豊にしてくれた気がする。<br>その様な感じで、毎ゲーム食い入るようにリールを見つめながら廻していった。<br><br>そして、3000円くらい投資した頃だったろうか、私のニューパルに待望のリーチ目が光臨する事となる。<br>その初リーチ目は、当然というか何というか”チェリー付き”。いわゆる成立後というやつだ。<br>毎ゲーム”出目”を目に焼き付けながら廻していたつもりだったが、成立時には気付けなかった。”嬉しい反面、少し悔しい”、そんな初リーチ目となった。<br><br>その少しの悔しさからか、私は”成立時に察知したい！”という欲にかられ始める。<br>何故だろう？以前打っていた機種ではそんな事お構いなしにリーチ目を楽しんでいたのだが。<br>これが大量リーチ目タイプの罠なのだろうか？いや、スープラを打った時にはそんな事は無かったはず。<br>もしかして４号機に”等倍返し”が無いからだろうか？だとしたら、私のセコイ性格丸出しである。<br>ただ単純に”ニューパルに多大な魅力を感じたから”という事にしておこう。<br><br>まぁ、そんな理由はどうでも良いとして、<br>それからは”リーチ目”を見つける喜びに気付き、出目に少しでも違和感を覚えると”BAR、BAR、○”や”チェリー付き”、もしくは”ゲチェナ”を狙ってボーナス成立の有無を確認していった。<br>中でも、”このリーチ目は成立時にしか出なさそうだし、枠外物だし、BIG確定だし”<br>というようなものを発見した時は、大袈裟ではなく人生最大の喜びのように感じた。<br>”そんな事が人生最大ってアホか！”<br>今振り返ると切にそう思う。物凄く小さい男であったと思う。<br>だが、裏を返せばそれくらいニューパルに御執心であったという事。<br>それくらいニューパルが素晴らしい台であったという事にしておいて欲しい。<br><br>ちなみに、その頃の私の楽しみは”Aをはじめとする友人達とニューパルの話をする事”であった。<br>それは、極稀に講義に出席した時も例外ではなく、ノートに”蛙”や”７”、そして”お気に入りのリーチ目”をお絵かきしながら講義が終るのを待ちわびていた。ほとんど子供である。<br>そして、講義が終ればパチンコ屋に直行。そんな生活が本当に楽しく、充実さえしているように思えていた。<br>大学受験を機に一度は”廃人”への道を免れた私だったが、着実に元の道に戻りつつあった。<br>その道案内をしてくれたのは、勿論可愛い顔した蛙ちゃん。かの両生類である。<br><br><br>　話が逸れてしまったが、ニューパル初打ちは順調そのもの。<br>初ボーナスはREGであったものの、クレジット内に待望のBIGを引き当てた。<br>その後もほとんど嵌る事が無く、遅くとも”200回転”以内にはボーナスを引いていた。その上、クレジット内に引く事も少なくなかった。<br>パチスロ打ちにとってはこれ以上無い展開、打ち始めて２時間後くらいには出玉の面でAを追い越し、「シマでTOPになるんじゃね？」という勢いであった。<br><br>ちなみにこの日、かなりのリーチ目を拝ませてもらったが、残念ながらその５割はチェリー付き。<br>少なく見積もって５割である。お恥ずかしい。<br>そんな中、”成立時に出現するリーチ目”もいくつか発見した。<br>中でも気に入ったのはこの２つ。<br><br>｜７｜べ｜蛙｜　　｜７｜べ｜蛙｜<br>｜　｜蛙｜　｜　　｜　｜Ｂ｜　｜<br>｜　｜リ｜　｜、　｜　｜リ｜　｜<br><br>私は”Ⅴ字ナリカ”もしくは”上段ナベカ”と呼んでいたが、周りに浸透しなかった事は一切否定しない。<br>このリーチ目は、何というか”バランス”が好きで出現する度にとても満足したのを覚えている。<br>”初打ち時に自身が発見した”というのも好きな要因だろう。<br>ちなみに、思いのほかREGが多かった気がするが、このリーチ目ならREGでも満足出来た。それくらいお気に入りだったという事だろう。<br><br><br>　さて、この日の結果であるが、最終的に私は２箱くらいの出玉をGETした。Aは１箱～１箱半といったところか。<br>７枚交換ではあったものの、１箱2000枚以上は入る箱。要するに4000枚近くのお持ち帰りである。<br>初打ちでこれは出来すぎな感もあるが、<br>思えば昔は、入れ替え時からしばらくは本当に出玉が伴っていた。その理由には”７枚交換だった”というのもあるのだろう。<br>多く勝てるにこした事は無いのだが、パチスロのゲーム性をより堪能出来るのは高設定だというのは間違いない。そういう意味で”7枚交換”というのは一番バランスの良い形態だったのかもしれない。<br>とは言え、”どう転ぶにしてもパチンコ屋のさじ加減一つ”<br>という事実は変わらないのだが。<br><br><br>　そんな感じで、満足のいく”ニューパル初打ち”を終えた2人は超ご機嫌で祝杯をあげながら、ニューパル談義に花を咲かせまくった。こういうのもパチスロ打ちにとっては至福の時。<br>「こんな生活が永遠に続けばいいのに」<br>と、私は割と本気で考えていた。<br>一回氏んだらいいのに。<br><br>というか、そんなニート丸出し廃人生活が、続いたら続いたで”結構痛い”という事も当時の私には知る由もなかったのだが、それはまた後の話。<br>この頃は只々パチンコ屋に通い続けて、蛙の野郎に誑かされていたのである。<br>もう一回氏んだらいいのに。<br><br>そんな事も言いたくなるような、リアルに痛い私であった。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10441814915.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 19:01:44 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 13</title>
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<![CDATA[ 　私はニューパルシマのカウンター側に、Aはその反対側に、2人でニューパルのシマを挟むようにして台が空くのを待っていた。<br>”まずは、どちらか一人でも台をGETしよう”という共同作戦である。<br>とは言いつつも、お互いが「絶対俺が先に！」と考えていた事は言うまでもない。<br>特に私は思いっ切りそう考えていた。<br>よくよく考えれば、Aに先にニューパルを打たれるなんて我慢ならない事である。<br><br>”あわよくば、Aのテリトリーに踏み込んででも”<br>そんな邪な考えがわざわいしたのだろうか、程なくしてA側の角台が空いた。<br>Aと空き台との距離、約40cm。<br>私と空き台との距離、約10ｍ。<br>「チッ。。。」<br>そんな舌打ちをしたかどうか、今となっては定かではないが、心境的にはそんな感じでAが台に座るのを眺めていた。<br><br>”こうなったら、俺も出来るだけ早く台をGETしてAよりも早くBIGを引くんだ！”<br>そう思ったのも束の間、Aが座って1分も経たないうちに彼の台が光った。<br>尋常じゃない光り方だ。間違いなく”BIGBONUS”のそれである。<br>「畜生。。。」<br>本気でそう思った。<br><br>決してAの事が嫌いな訳ではないので誤解無きよう。<br><br><br><br>　さて、”ニューパルサー”は山佐の４号機であり、私が初めてハマッた大量リーチ目タイプ。<br>有名なリーチ目としては”山佐伝統の左リールチェリー付きBONUS絵柄ハサミ”、そして”ゲチェナ”がある。<br>”ゲチェナ”とは”右リール下段チェリー付き７”の略であり、名付け親は”パチスロ必勝ガイド”のアニマルかつみ（敬称略）と記憶している。<br><br>”ゲチェナ”は左リールの上下段にBONUS絵柄があり、小役の取りこぼしが無い場合にBONUS確定となる。<br>いわゆる”偉い出目”というやつだ。<br><br>ニューパルの右リールには”オレンジ付きの７”と”チェリー付きの７（ゲチェナの７）”があるのだが、”ゲチェナ”が偉い出目だという事に気付いてからは猛烈な勢いで神々しさをおぼえていった。<br>”ゲチェナ”自体は、偉くなければ特にインパクトの無い出目なのだが、ニューパルにおける”ゲチェナ”はインパクト抜群。<br>偉い出目なのだから当たり前の話かもしれないが、偉くても心の震えない出目は山ほどある。<br>”コンチⅡの中段チェリー”なんぞ、個人的には少し苛っとするくらいだ。シングルBONUSが揃った場合には憎らしささえ覚えるだろう。<br>”偉さ”に見合った出目であるという事は意外に難しいのである。<br><br>その点”ゲチェナ”は、適当にハサミ打って出現した場合は勿論、<br>「入ってるかも？」と思いながら右に狙って出た場合も、衝撃度、幸福度、満足度等、全ての面で申し分なく、私のパチスロ欲を十二分に満たしてくれる物であった。<br><br><br>　長々と”ゲチェナ”について書いてしまったが、ニューパルには”ゲチェナ”以外にも素晴らしい出目が数多く存在する。<br>中でも”条件付きリーチ目”や、”枠外リーチ目”という物に病みつきになったが、それはまたしばらく後の話。<br><br>”打つ度に、<br>「あれ？こんな目が出た事あったっけ？もしかして入ってんのかな？」とか、<br>「あれ？ここのベル付きのBARって偉くね？でも、REG多くね？」とか、<br>「中リール中段のチェリー（条件付き）って何気に偉いかも！？」とか、<br>「チェリー付きBONUSハサミ目出しちゃった。成立後だけどたまには良いもんだな、えへっ。<br>でも、右上段BARって。。。。。」とか、<br>良くも悪くもリーチ目を発掘していく感じ”<br>ニューパルはそんな楽しみ方を教えてくれた機種である。<br><br>そんな”ニューパル”に私が座る事が出来たのは、Aが３回目のBIGを消化し終わる頃だった。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10432855564.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 21:38:39 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 12</title>
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<![CDATA[ 　ニューパルサーがデビューしたのは1993年の6月くらいだったろうか。<br>”パチスロ必勝ガイド”に先行導入された店の実戦データが載っていて、そのデータはえらく景気の良い物であった。<br>それが純粋に高設定であるが故のものだったのか、あるいは基盤が違ったのかはわからないが、とにかく”ノーマル機”らしからぬ出方をしていたと記憶している。<br>ちなみに、私の住む町にニューパルサーが本格的に導入され始めたのは７～８月であった。<br><br><br>　あと数週間で夏休みに入ろうとしていた時期だったか、前期試験が終って秋休みに入ろうとしていた時期だったか、<br>いつものように学食で過ごしている時に、友人の”A”とパチスロの話になった。<br>その頃は、”A”も私もしばらくパチスロを打てていなかった時期で”パチスロ欲”が旺盛だったのだろう。話し始めて10分も経たないうちに”連れパチ”をしようという事になった。<br><br>ちなみに”A”は、高校時代に学校をサボって”モーニング”を獲りに行っていた悪い奴だ。<br>ついでに言わせてもらうと、私以上に女の子が大好きで毎日のように女の子を口説いていた。<br>”性獣”という呼び名がよく似合う、自身の欲により忠実な男の子であった。<br>決して悪口ではないので誤解のないよう。<br><br>そんなAと共に向かった先は駅前のパチンコ屋。<br>”数日前に新台が入った”という話を聞いていたので、<br>「どんなもんかな？」と偵察気分で行ってみる事になった。<br>Aの運転する車で10分弱、目当ての店に近づくにつれて”パチスロ欲”は更に高まっていく。偵察気分のはずが、打つ気満々100％。<br>そして、新台への期待と欲求が最高潮に達した頃に店に到着した。<br><br><br>　その駅前のパチンコ店には何度か行った事があり、パチスロは”スーパープラネット”と”コンチネンタルⅡ”が設置されていた。<br>ちなみに私は”コンチⅡ”が大嫌い。<br>”ブッタカ音”、”ユニバ系ならではのハサミ打ち殺し”、”中段チェリーの１確目でシングルボーナス”。この三つが特に許せなかった。<br>中でも”ブッタカ音”は７がテンパイすると鳴るため、毎ゲーム”７”を狙うお客さんが隣に座ると正に”生き地獄”なのである。<br>コンチⅡを好きな方には申し訳ないが、消えて欲しい台NO.1であった。<br>その上、一度も勝った事が無いのだ。あんな台はマジでやってられない。<br><br>”スープラ”に関しては今でこそ好きだが、当時の私はあまりリーチ目を追究して打つタイプではなかった。<br>元々が”スーバニ”や”４１２”など、出目や出玉にインパクトのある台を好んで打っていたという事もあるだろう。ジワジワくるタイプである”スープラ”の良さを理解するには多少時間がかかった。<br>オーソドックスなリーチ目を楽しむために数千円打つ、当時の”スープラ”に対してはそんな感じのスタンスをとっていたと思う。<br><br>そんな私にとって、どちらの台が外されても何ら問題はなかったが、”パチスロのシマ構成がどうなったのか？”というのは新台入れ替え時の最大の関心事。<br>何とも言えぬ高揚感に包まれながらAと私は入店していった。<br><br><br>　入店すると、まずスープラが見えた。<br>「おっ、コンチⅡが消えたか！」<br>そう思うのも束の間、スープラの背後の列にはコンチⅡがあった。”スープラ”と”コンチⅡ”が半シマずつ削られたようだ。<br>「コンチⅡ残っちゃったか。。。」<br>客もまばらなそのシマを、少し肩を落としながらも新台を目指して足早に通り抜けていった。<br><br>スープラ＆コンチⅡのシマの中からでも見えていたが、新台のシマは明らかに客付きが違う。<br>台は勿論満席。台が空くのを待っている人も少なくない。<br>その何人かの肩越しにシマの様子を見ると、何とも”面の良い台”がそこはあった。<br><br>バランスが良く、安定感のある７絵柄。<br>可愛らしくも山佐の伝統を踏襲したカエル絵柄。<br>そして、黒いBAR絵柄を引き立てるような黄色いベル。<br>緑と赤がメインで、そこに黄色と黒が絡む。<br>打つ前にしてデザインと色使いに一瞬にして心を奪われた。これがニューパルサーか。<br>「早く打ちたい！」<br>「設定など関係無い！」<br>「ほらっ、誰か早く席を立って！」<br>養分丸出しの欲求が脳を支配する間もなく、私は”A”と共に空き台待ちの人々に混じっていた。<br><br>台が空くのを待つ間に幾度もBIGのBGMを聴いたが、その音の迫力にも圧倒された。<br>打つ前から既に虜である。<br>そんな私が立派な”ニューパルジャンキー”になるのは至極当然。<br>合コンの終盤に、”A”が女の子を連れて音信不通になるくらい当然の事であった。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10426821023.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jan 2010 21:50:16 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 11</title>
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<![CDATA[ 　「大学合格したら豪遊するのだ」<br>と酒池肉林生活をえがいていたが、想定外な事に大学生活を送るための準備が色々面倒だった。<br>その準備のために大学の所在地まで、距離にして約７００kmを２～３往復しただろうか。<br>電車を乗り継いで約８時間程、勿論片道である。<br><br>時間の都合上”夜行”を使った時などは、<br>”眠いけど眠れない、ケツ痛い、具合悪い、電車の接続が良くなくて早朝に３０分以上ホームで待たされる、お腹痛い、ふざけんな、いい加減にしとけよ！”<br>と、まるで良い事無しであった。<br>「こんなはずじゃなかったのに」<br>この台詞はこんな時に使うのだと切に思った。<br>そんな苦難も乗り越え、私は晴れて大学生となる。<br><br><br>　大学入学後の生活は私にとって誘惑だらけであった。<br>特に”女の子との飲み会”<br>別に合コンとかではなくても、この誘惑に勝てる意志など私の中に存在しない。男の子は女の子が大好きなのだ。<br><br>そんな私だから勉学に励むわけもなく、ストイックに大学生活を送るわけもなく、<br>”駄目学生”への階段を一段、いや二段抜きくらいで駆け上がっていくのであった。<br>バイトと飲み会が中心の生活で”夜型人間”まっしぐら。大学の講義など邪魔くさい事この上ない。<br>典型的な堕落パターンである。<br><br>そんな私だったが大学には頻繁に出向いていた。<br>勿論講義に出るためではなく、友人達と学食に入り浸るのが目的。そして、夜になれば居酒屋に繰り出す。<br>我ながらなんてヤツだ。。。<br>今では反省している。本当にごめんなさい。<br><br>ただ、テスト前はノートをコピーさせてもらうという重要な仕事があるので、そんな生活を少しは離れる事が出来た。<br>”ノートをコピーする”という理由自体酷い話であるが、その事には触れないでいて欲しい。<br><br>これは余談だが、”ノートをコピーする”とはいっても、その大半は”ノートのコピーをコピーする”作業であった。<br>大半ていうのは95％くらい。<br>これは言い訳だが、大学生なんてほとんどそんなモンなのである。<br><br><br>　さて、そんな大学生活を送っていた私が再び”パチスロ”に手を染めない訳がない。<br>あれは大学一年時の夏くらいだったろうか、駄目学生仲間の”A”と「パチンコ屋に行こうか」という話になった。<br>この”A”とは入学して間もなくの頃に、お互いが”パチスロ好き”である事を告白し合っている。言わば”相思相愛”<br>それまでも何度かは講義をサボって”連れパチ”をしていたのだが、如何せんその頃は”4号機冬の時代”であり、残っている2～3号機も渋い出玉の店ばかりで、特にパチンコ屋に入り浸る事もなく、嗜む程度に遊んでいた。<br><br>そんな平穏なパチスロ生活がその夏、と或る大物4号機のデビューで一変する事となる。<br>その諸悪の根源、<br>いや、その大物4号機の名前こそ、あの大ヒット機種”ニューパルサー”であった。<br>そのカエル君のせいで、私は再びパチスロにどっぷりとハマッテいく事となる。<br><br><br><br><br>　そうそう、しばらく触れていなかったがジャニの話をしようと思う。<br>何と、彼は本当に”全国七大”のうちの一校に合格してしまった。<br><br>いや、”してしまった”というのはジャニに対して失礼なので言い直そう。<br>何と言えば良いものか、<br>「ジャニは”全国七大”のうちの一校に合格しやがった。う、羨ましくなんかないんだからねっ！」<br><br>それは半分冗談として、ジャニに対して素直に”凄い！”という気持ちが芽生えていた。<br>正直、そんな大学受かる訳ないと思っていたのだから。<br>ある意味、私自身の合格以上に大きなニュースだったかもしれない。<br><br>”私はインターハイで入賞した。嬉しい！<br>えっ？ジャニがオリンピックで金メダル？”<br>みたいな。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10415406127.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Dec 2009 13:57:39 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 10</title>
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<![CDATA[ 　二次試験は十二分に手応えがあった。がしかし、日毎に不安感がつのる。<br>センター試験の場合はマークシートが故に自身の結果を予測する事は容易だったが、二次試験の記述形式ではそうはいかない。ボーダーラインという目安も存在しないようなもの。<br>いくら手応えがあったとしても合格するかどうかは別の話なのである。<br>それに加えて”ケアレスミス”があったとしたら、”センター試験の貯金”さえもすぐに尽きてしまう。<br>かなりネガティブな考えだが、受験生なんてそんなもんだろう。<br><br>そんな不安から逃れるために久しぶりにパチスロを打ったりもしたが、パチスロにさえ集中出来ずに２～３０００円ほど打って店を後にした。<br>何も手に付かないとはこの事か。今書きながらそう思った。<br><br><br>　そして合格発表の日となる。その頃は私は実家に戻っていた。<br>大学は実家から約５～６００Km離れているため、合格発表を見に行こうとは思っていなかった。<br>移動が面倒だからというのもあったが、もし落ちていた場合の帰りの道中を思うと。。。<br>んー、ネガティブ万歳。<br><br>それはさて置き、本命大学の合格者の受験番号は実家に電報で送られてくる事になっていた。<br>その日の朝は普段通りに目覚めたが、電報が来るにはまだ早い時間。起きてても何をしていたら良いかわからない。気が気でない。<br>「それならば二度寝を決め込もう」<br>何なら夜まで寝てたっていい。<br>夜まで起こされなかった場合は”不合格”濃厚という事だが。。。それならショックも小さくて済むだろう。<br>臆病者だっていいさ、おやすみなさい。<br><br>そう思ったはいいが、どうにも奇妙な不安感で眠れない。簡単に言えばドキドキしているという事。やはり緊張しているのだろう。<br>ならばと、傍らにあった”じみへん”の１巻を読んだり、<br>”美味しんぼ”の何巻だったか忘れてしまったが、山岡さんが京極さんに鮎を食べさせたがイマイチだった話を読んだり、<br>高校時代に買ったはいいが、あまり聴かないために実家に置いていったCDを引っ張り出して、ほくそ笑んだり失笑したりしていた。<br>”THE POGO”とか。買った理由は何も覚えていない。<br>そうこうしている間に眠りについていた。<br><br><br>　２～３時間たった頃だろうか、誰かの呼ぶ声で目が覚めた。<br>誰かっていうか、母だ。<br>母が何やら言っている。寝起きでほとんど聞き取れなかったが、<br>「電報が来たな」<br>迷わずそう思った。「いよいよ結果がわかるのか」<br>寝起きでまだ重い瞼をこすりながら、私は居間へと向かった。<br><br>居間へ向かうために階段を降りようとすると、母が見えた。<br>何というか尋常ではない笑顔だ。こんな笑顔は今まで見た記憶が無い。<br>ま、まさか私より先に電報を見て”受かった”と伝えにきたのか！？<br>それはそれで、嬉しくも少し悔しい。<br>いや、受かったのならそんな事はどうでもいいか。<br>ていうか受かったのか？どうなんだ？落ちてたらそんな笑顔しないよな？<br>と様々な考えが駆け巡る私の脳内に母の声が届いた。<br>「電話だよ」<br>母は電話を取り次ぎに来たのであった。<br><br>。。。。。たかが電話でその感情表現、何かおかしくない？よりによって合格発表の日に。<br>無駄にドキドキさせられた気分だ、さっさと電話を済ませて三度寝でもするか。<br>と、ぶっきらぼうに受話器を取った。<br>そしてぶっきらぼうに応えた。<br>「もしもし」<br>私の中でベスト３に入るような”ぶっきらぼう”であったと思う。<br>そもそも”ぶっきらぼう”とは何か？という問いには答えられないし、使い方も間違っているかもしれないが、<br>とにかく、ぶっきらぼうっぽい感じだったという事。<br><br>そんな私に、電話の向こうから返ってきた言葉は意外なものだった。<br>「おめでとう」<br><br>突然の事で一瞬困惑し、その言葉を”大学合格”に結びつけて良いものかどうか躊躇する私だったが、<br>電話の相手は私の通っていた学校の担当の講師であるとわかり、ここでようやく全てを理解出来た。<br><br>思えば、母は先に電話に出た時に”大学合格”の事実を伝え聞いたのだろう。<br>やはり人間というもの、あれだけの笑顔はやたらめったら出るものではない。それくらいの笑顔だったのだ。<br>言うなれば、私が”ババメ”出現時に見せる笑顔の10倍くらい。<br>”10ババメ”それは物凄い事である。<br><br><br>　とにかく私は大学に合格した。在り来たりかもしれないが、電話を切った後にその実感が沸いてきた。スーバニや412に溺れて道を誤りかけた事もあったが、短い期間ながらも本当に努力して念願叶ったのだ。<br>こんなに達成感に満ち溢れたのは初めてだった。その記念すべき日は、周りの人々から多大な祝福を受けると同時に緊張からも解放されてとても良い時を過ごせた。<br><br>ただ一つ言わせてもらうとするなら、<br>「電報の存在意義って何？」という事だけ。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10409751589.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 22:33:21 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 9</title>
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<![CDATA[ 　ドキドキしていた。<br>「大花BIG、残り28Gで既に2回JackIn。そして青ドン。」<br>それくらいドキドキしていた。そんな試験直前の私。<br><br>この大学を受けるのは二回目だというのに何という小心者なのだろう。<br>いや、二回目だからこそのプレッシャーもあるだろうか？それにしても緊張し過ぎだ。<br>とにかくこの状態は危険だ。脳が問題を解ける体制ではない。明らかにパニクっている自信がある。<br>「このまま試験が始まるとヤバイ。。。」<br>そう思う間もなく、私は自分自身に痛みを加え始めた。そうすれば”痛み＞緊張”となり落ち着く事が出来ると考えたのだ。<br>至極浅はかだ。<br>浅はかだが、そう考える事しか出来なかった当時の私は、<br>口の中を噛んだり、指を抓ったり、挙句の果てにシャーペンを太ももに刺したりした。<br>至極馬鹿だ。<br>だが、馬鹿なのが功を奏して私は少しずつ落ち着き始める。馬鹿であり単純だったのだろう。<br>そうしている間に試験開始の時間となった。<br><br>ちゃんと問題が頭の中に入ってくる、最悪の展開は免れたようだ。<br>そして、問題を一通り見渡している間に普段の自分を取り戻していった。<br>太ももが痛い。<br>「もう少し加減すれば良かった」<br>と考える余裕も出来たようだ。<br>そして、その痛みに耐えながらも楽しんで問題を解く私がいた。<br>勿論それは数学に限った事なのだが、本番の試験でそれが出来たのはとても幸運だったと思う。<br>一部自信の無い解答があったが、概ね完璧だった。<br>残すは小論文試験。<br>今思い返すと、小論分試験までの微妙に長い空き時間を潰すのが、この日一番難しい問題だった気がする。<br><br>　”小論分試験”に関しては嘘でも作り話でもなく、<br>はたまた不正をはたらいた訳でもなく、<br>何と、通っていた学校が冬の講習時に作ってくれた予想問題がほとんどそのまま出題された。本当に驚いた。<br>その問題を見た時は、<br>「良し！」<br>と思うよりも<br>「えっ？」<br>といった感じ。<br>上手くいき過ぎて、一瞬何が起こっているのか解らなくなったのだろうか。とにかく不思議な感覚だった。<br><br>とにかく、何度も模範解答を読み、私なりの解答を書いた問題なのだ。<br>試験の解答としてはかなり洗練されていたはず。そうでなければ逆に惨めである。<br><br>その惨めさを例えるなら、<br>”かなり打ち込んだ台のリーチ目を、その台を初めて打った友人に教えられる”<br><br>もっと例えるなら、<br>”めちゃめちゃ打ち込んだ台でリーチ目を出して「BIGだといいなぁ」と友人に言ったとする。<br>ちなみにその友人は私の半分も打ち込んでいないとする。<br>したらば、その友人に<br>「中リールのBARがベル付きでその型だとREG確定だよ」<br>と思いのほかCOOLにそう言われる”<br>そんな状況だけは絶対に避けたい。<br><br>少し話が逸れたが、何が言いたいかというと<br>「小論分もかなり自信があります」<br>そんな感じで私の本命大学の試験は終った。後は結果を待つのみである。<br><br><br>　ちなみに私は、スベリ止めの私立大学も受験していたが全て撃沈。試験科目は記述形式の”英語”、”国語”、”数学”であった。<br>やはり記述形式の英語や国語は鬼門。。。<br>鬼門というよりは勉強不足。実力不足がもろに結果に表れたのだった。<br><br>つまり何が言いたいのかというと、<br>私にとって現実的に受かる可能性があるのは”本命大学”ただ一つのみという事だ。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10405946613.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Dec 2009 23:05:24 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 8</title>
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<![CDATA[ 　私の第一志望は、と或る国立大学の文系学部。<br>センターの配点が”国語100、英語100、数学150、社会50、理科0”<br>二次試験は”数学or英語のどちらかを選択（配点200）＋小論文（配点200）”<br>その合計”800点満点”の採点で合否が決定される。<br><br>細かいところは間違っているかもしれないが、凡そそんな感じであった。<br>センターと二次試験における数学の存在感こそが”私の志望動機”だった事は言うまでもない。<br><br><br>　さて、ジャニ達との答え合わせを終えた私は明らかに高揚していた。<br>センター直後の感触は「ボーダーライン到達するかも？」といったものだったのだが、何と私の点数は”ボーダーライン”を楽に超えていたのだ。模試では到達すら出来なかった点数を本番で超えたのだ。<br>わかりやすく言えば、マークシートの調子がすこぶる良かったという事。<br><br>例えるなら「”猫de小判”のチャンスタイムにリプ４連」<br>いや、これは達成感がありすぎる。”気持ち”を表すのには間違っていないが、今はまだセンターが終わったばかりなのだ。<br><br>例えるなら「適当に座った獣王にて、朝から低確率純ハズレが２連続でサバHIT。6かも？」<br>そう、そんな感じで「受かるかも？」と本気で思い始めていた。<br>そして、”二次は数学と小論”という事実がその思いを更に膨らませた。<br><br>二次試験の数学は記述式の解答になる。小論文も勿論記述式。当たり前の話だがセンターのようにはいかない。実力勝負だ。<br>例えるなら、センターは”三連ドンハズシ”、二次試験は”BAR ビタハズシ”、とにかく練習あるのみ。<br>記述式に慣れるために「とにかく書こう」<br>そう心に決めて、その後の期間を過ごす事となる。<br><br><br>　ちなみにジャニであるが、彼は私の遥か上をいっていた。<br>センター試験は800満点でいうところの700点弱で、学部を選べば”全国７大”も夢ではない。<br>ジャニは元々頭の出来の良い方であったが、正直ここまでとは思っていなかった。しかも１～２ヶ月の期間でこんな結果を残すとは。<br>表向きは祝福しつつも、私にはどこか悔しい気持ちがあった。<br>「おそらく、ケーキに苺を乗せる作業が良かったのだろう」<br>器の小さい人間はそう思う事にした。<br><br>そうこうしている間に早くも二次試験を迎える。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10402173175.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Dec 2009 23:23:15 +0900</pubDate>
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<title>dokudaruma.com 7</title>
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<![CDATA[ 　試験本番まで残された時間はあとわずか、実質一ヶ月といったところだ。<br><br>”現国”は今更どうしようもない。フィーリングでいこう。<br>”古文漢文”は基本をしっかり押さえよう。文法や単語の意味、覚えなければいけない事が山ほどある。<br><br>”英語”は熟語重視。単語は覚えるにこした事はないが、時間的に無理。試験問題の文脈から推測していくしかない。<br>文法は意外に大丈夫かもしれない。<br><br>”社会”は”世界史”を選択。<br>当時重宝していた”実況中継”という参考書に頼る。歴史の流れを感じるのだ！！<br>あとは、ポイントを絞って集中的に覚えよう。<br><br>”理科”は捨てる。<br>私は文系志望で、その中でも”理科配点０”の学校しか眼中にないから。<br>まぁ、実際に受けても点数は”０”に限りなく近いだろうが。念のため受けておこうか。<br><br>”数学”は何故か自信がある。唯一の得意教科だ。<br>ゲームやパズル感覚で解いてきたのが良かったのだろうか。勉強も苦ではない。<br>それに、センター試験の数Ⅰ数Ⅱに関しては何ら難しい事はない。当日までに過去問をやって感覚を保つ程度で十分だろう。<br><br>と綿密に計画を立てて、とにかく勉強した。<br>今考えると綿密でも何でもなく、必要最低限の事項をピックアップしただけなのだが、当時の私は「これでイケル！」と思い込んでいた。<br>まぁ、ただの思い込みでも”モチベーションを上げる”という点では良かったのかもしれない。少しは能率も上がっただろう。<br><br>そして、センター試験前日の私は”充実感”と”自信”に満ち溢れていた。<br>”充実感”はまだしも、本当に”自信”に満ち溢れていたのかどうかは疑わしいが。<br>「やれる事は全てやった」<br>これだけは間違い無い。<br>例え、お正月に帰省した際に”ミスターマジック”を3000円程打っていたとしてもだ。<br>息抜きくらい良いじゃないか！<br><br>という感じで試験当日を迎えた。二度目のセンター試験だからなのか、不思議と緊張は無い。<br>「いける！」<br>自分自身に暗示をかけるように試験に臨んだ。<br><br>とは言え、もうかなり昔の話である。会場の雰囲気、一日目＆二日目の科目、そして科目の順番等、ほとんど何も覚えていない。<br>覚えているのは、ジャニとは違う教室だった事、”数学”が簡単だった事、”世界史”のヤマが外れた事、”理科”は全て勘で解いた事、これくらいだろうか。<br>ちなみに”理科”に関しては、どの試験を選択したのかさえも覚えていない。<br><br>ただ、全体的に手応えはあった。<br>「イメージしてた以上の感触だ。後は、解らなかった問題のマークシートの運次第だな」<br>多少ギャンブルチックで希望的観測が入っているが、それはそれ。これはこれ。<br>答え合わせをするために私達は家路を急いだ。帰り道には何軒かパチンコ屋があったが全く気にならなかった。
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<link>https://ameblo.jp/doku412/entry-10398336221.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 22:57:27 +0900</pubDate>
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