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<title>モモンガのブログ</title>
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<title>浅田彰『「歴史の終わり」を超えて』</title>
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<![CDATA[ 本日、近所の古本屋に立ち寄った際に、この本がたまたま目に入った。<br><br>内容はフクヤマ氏と浅田氏の対談をまとめたもの。<br><br>『歴史の終わり』といえば、日本でも相当な数が売れたそうだが、浅学の私は、読んだことがなかった。その為、この本を読めば、大まかな思想が理解できるのではないかと考えた。しかし、私の考えが甘かったようである。対談形式なので、読みやすいかと思ったのだが、議論の基盤となる知識が足りなさすぎた。そこで今回は、フクヤマ氏の言う「歴史の終わり」の大枠だけ把握することにする。<br><br>では、まず歴史は如何に形成され、変遷していくのか。氏は、歴史を政体・政治体制のあり方と同一視し、論を進めていく。そして弁証法的なアプローチを用いて解釈する。歴史は法則性を持ち、一つの終末へと進んでいく。こうした決定論的歴史観を採用した結果、最後に残る歴史（政治体制）こそが民主主義という訳だ。特に冷戦の集結は、世界を二分する政治的イデオロギー論争に決着が着いただけでなく、歴史が最終局面に達したことも示していたのである。そして、冷戦後の世界に生きる我々は、歴史以後の人間ということになる。<br><br>つづく<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/donmomonga/entry-11518992154.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Apr 2013 22:18:37 +0900</pubDate>
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<title>ブログの目的</title>
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<![CDATA[ このブログのは、私の読書録です。<br>更新は不定期です。<br><br>ご感想がありましたら、宜しくお願いします。<br>
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<link>https://ameblo.jp/donmomonga/entry-11518922136.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Apr 2013 22:12:22 +0900</pubDate>
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