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<title>坂の上は坂</title>
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<description>OCDでも鬱でもどうにかやっていく</description>
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<title>さて</title>
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<![CDATA[ <p>この問題の一番辛いのが、「じゃ何をどうすれば良いかさっぱり分からない」という点に尽きるだろう。</p><p>イベントは参加してみたけど、これ以上はないんじゃないかというくらい酷かった。</p><p>アプリは、２年間で５人くらい面接ができたけど、何も惹かれるものはなかったし、コスパも非常に悪い。</p><p>今時アプリは否定できないが、まったく情けなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>これまで、かろうじて効果があったのは自分のイベントだ。</p><p>思えばあの2回の災難もそこから拾ってきたものだ。結果はともかく、ガラッと方向転換が出来た。</p><p>がこれも限界を感じる上、開催できる状況ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>お茶会はたまに楽しいこともあるが残るものはない。</p><p>&nbsp;</p><p>こういったランダムな交流の場というのはなぜこんなに役に立たないんだろうか？</p><p>&nbsp;</p><p>これじゃなかったら他にどういう手があるのか？</p>
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<link>https://ameblo.jp/dontlookback130128/entry-12759940330.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Aug 2022 10:07:46 +0900</pubDate>
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<title>今ここ</title>
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<![CDATA[ <p>年齢の数字が増えるたびに、面白いようにマッチングが減って行く。</p><p>その実、向こうからのいいねは定期的に入るが、何と「年上」がほとんどで、60歳近くの人もいる。</p><p>&nbsp;</p><p>メッセージ中のただ一人の相手は、正直こちらはどうでもいいと思っているのだが、暇ですぐ返信してしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>あまりにも無意味なので、方針を変えていいねする年代を下げてみたが、もちろん反応は皆無だ。</p><p>が意外なことに足跡はつく。</p><p>&nbsp;</p><p>何とも思わないような人に何人会っても意味がないので、この方針で続けてみようと思う。</p><p>もちろん、「変わり者」狙いだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それから中国人の42歳。なかなか良いと思いつつも、前のこともあり中国人からは遠ざかりたいのでストップ。</p><p>会える可能性は高かったが、ズルズルは不幸になるので・・・</p><p>&nbsp;</p><p>というのが「今ここ」であり、全く何も起きそうにない、クリーンな無風状態である。</p><p>&nbsp;</p><p>成功率が極めて低いことに真剣になっているのは、起業の時やトレードやってた時期の心情と被る。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/dontlookback130128/entry-12759830394.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Aug 2022 17:38:52 +0900</pubDate>
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<title>悲願</title>
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<![CDATA[ <p>悲願達成、ますます可能性が遠のいて行く。</p><p>&nbsp;</p><p>12年の間の「事件」は2回で、すべてが後半に起きている。</p><p>&nbsp;</p><p>結果として、食事や展覧会などの清いお出かけを何度かしただけで、いずれも交際としてではなく、悲願達成には遠く及ばない。</p><p>&nbsp;</p><p>アプリはこの2年ほど使っているが、まったくもって酷いものだ。</p><p>成果としては、買い物カゴを下げたようなオバさんと何度か面接ができた程度であり、時間と金の無駄だった。</p><p>ただ、世間に開かれた唯一の窓のような気がして削除できないでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>自分を棚に上げて言うのは承知だが、おばさん達は女ではない何かであり、何人会ったところで特別な感情は起きない。</p><p>&nbsp;</p><p>39歳くらいの人もいて、ギリギリ異性を感じるタイプだったがコロナ原因で疎遠になり、今では忘れられているだろう。</p><p>この時は全驕りが痛かったなと思った。この人と少し過ごして毎回1万円消費する意味はあるのだろうかと疑問に感じてしまうのだ。</p><p>この考え自体歪んでいるのかも知れないが、自然に沸き起こる経済感覚なので仕方がない。</p><p>しかも1万円という金額は様々な楽しみが得られる大金だ。それに匹敵するかと言われると今でも微妙に思う。</p><p>ただし、４０未満というのは大変希少であり、惜しい気がしないでもない。</p><p>&nbsp;</p><p>その他、ひとり不快なメンタルの人がいてうんざりさせられた。2回会ったが、この年齢での「積極志向」がどれだけ気分の悪いものか思い知らされた。これは自分も他人に対して同じような印象を与えてしまうわけで、勉強になった。</p><p>これから誰が現れようが、積極志向など見せたら一瞬で終わってしまうだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>それ以外の人たち、人としては良いが、男女としての発展はまずないと感じて、何も連絡しなかった。</p><p>どこか別のところで出会っていれば友達になれたのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/dontlookback130128/entry-12759827750.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Aug 2022 17:22:03 +0900</pubDate>
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<title>5年ぶり</title>
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<![CDATA[ <p>OCDはどうなったのか？</p><p>あまり変わっていないと思う。が、少しだけ打っちゃっておく事が出来るようになったのかも知れない。</p><p>とは言っても結構苦しい。</p><p>&nbsp;</p><p>まったくもって台無しにしてくれている・・・</p><p>&nbsp;</p><p>それでも稼ぎとQOLがやや改善されているのは良い事だろう。</p><p>2016年と言えばボロアパートを借りた頃で、それがボロマンションに格上げになった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dontlookback130128/entry-12759823475.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Aug 2022 16:55:23 +0900</pubDate>
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<title>まずは記すことからはじめる</title>
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<![CDATA[ 自分とOCDの付き合いは長い。まさしく腐れ縁だ。<br><br>どうしたって縁が切れない。<br><br>OCDは何らかの特定の事象に意識が固着する。そして自分の場合、その固着する対象がめまぐるしく変化する。<br><br>ただしメインとサブがあるようで、どれも大変苦しいが発病以来一貫しているのはメインの方だ。<br><br>まずはメインから記していきたい。ところがこれが結構難しい。<br><br>不潔恐怖という有名な症状があるが、これは目に見えるものが対象になり、強迫行為もわかりやすい。<br><br>ところが、自分の場合はもっと込み入っていて、目に見えない抽象的なものだからドクターもお手上げのように思える。<br><br>一言で言えば「思想の矛盾恐怖」<br><br>思想の矛盾とは何かというと、すべての論理が美しく整然としていなければ気が済まないということだ。<br><br>１・不合理に対する恐れ<br>自分は常にある行いが「不合理なこと」「決してしてはいけないこと」と常々みなしていたとする。これをAとする。<br>しかし、そのことに反した行為をしてしまい、その因果関係としてBといういくらか好ましい結果を得られてしまった場合とする。そうするとAが成り立たなくなるような気がして大変に気持ちが悪い。<br>　今までAが「絶対的な戒律」であったので、たいへん煩悶する。Aは信条でもあり行動指針でもあるので、この矛盾に耐えられず、何とか頭の中で辻褄を合わせようとする。<br>　さらに、Bというのが「知人に会ってお茶に誘われた」などという場合なら、なおパニックである。その場合、普通に知人として振る舞わなければいけないのに、一人で頭の中で戦っている。<br>「なぜそんなに無口なんですか？」などと言われたら余計にパニックになる。<br>そしてその後の後悔の念は半端なものではない。本当に死にたくなると言っても大げさではない。なぜなら大変貴重な交流の機会を台無しにしてしまったからだ。<br>　ちなみに、Aの信条とはどういうものか、それは森田療法でいう「図らいの禁止」とか強迫行為を戒める内容であることが多い。つまり、<font color="#FF0000">OCDを目の敵にしている私にとっては「強迫行為をしてはいけない」というのは「絶対に守らなければいけない」戒律のようなものだ。</font><br>その戒律を破った結果はどんな結果でも受け入れる事は出来ない、というわけだ。<br>おそらく、ここから脳内プログラムの無限ループのバグが生じたものだと思われる。この状態を脱出したい欲求が強いあまり、自分で自分を呼び出すような命令が呼び出され・・・かどうか分からないがとにかく理論の縄でがんじがらめになってしまうのだ。<br>　この膠着状態、これが「悪智」なんだということ、つまり「理屈の悪用」を仕掛けられている状態だという実感がある。<br><br>２・起こらなかった事に対する思想の矛盾<br>　もし、あやうい所で車に轢かれそうになったとする。（実際は、あやうい所まで至っていないことが多く、クラクションを吹かれたりする以前のことが多い。軽い「ヒヤッと」のような状況だ。）<br>とにかく、運悪く車に轢かれた場合の自分を想像してしまい、頭から離れない。そして、どのような怖ろしい運命と不幸な人生を過ごしていただろうと、まるで実際に起こってしまったかのように悩んでしまう。そして苦しさのあまり「実は決して起こる事はなかったのだ」と現場で再確認して自分を落ち着かせようとするが、決して納得する事はない。<br><br>　これは交通事故などに対する不安が一番多いが、その他のあらゆることにも起きる。１日に何度も起きる。<br>　当初は不幸な事に限定したものであったが、思考に癖がついてしまったのか、特に不幸でもないことでも「起こらなかったこと」を想像してしまうようになってしまった。<br>たとえば、自分はAとBを選択してAに行ってしまったが、なぜか「Bに行った自分」が気になって仕方がない。「本当はBに行くべきだったんじゃないか」といつまでも虚しく回想を繰り返したりする。<br><br>大まかに分類すれば上記に尽きる。<br>どことなく、頭の中の不潔恐怖症と言えない事もない。何度も思い返し辻褄を合わせようとするのは強迫行為に他ならない。これはごくたまに納得できる理屈が見つかり安堵を感じる事もあるが、大概の場合はそうはいかず、絶えず雑念のように「お前は戒律をやぶったぞ、それで良いのか」との「脅迫」を断続的に受け、その苦しみは半端ではない。<br>　ただし、最も苦しいのは対人関係がからんでいる場合であって、一人で過ごしている時にはこうした「悪魔のささやき」が起きてもやり過ごせているように思う。<br>　なので、根底にあるのは「対人恐怖」ということはもはや否定できない。<br>自分のなかでは「対人恐怖」と「思想の矛盾」は強力に連携し合い、難治の症状を生み出してしまっているわけだ。
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<link>https://ameblo.jp/dontlookback130128/entry-12177122909.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jul 2016 09:28:35 +0900</pubDate>
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