<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>サレ女のアレコレ</title>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/dontyan2013/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>サレ同志のためのメッセージ不貞行為を本人訴訟した経緯のまとめ2015年11月30日～2016年3月10日の記事がメイン部分です。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>10年目-2</title>
<description>
<![CDATA[ <p>チャールズ・M・シュルツの「PEANUTS」の一コマ、<br>スヌーピーの<b style="font-weight:bold;">「You play with the cards you're dealt（配られたカードで勝負するしかない）」</b>というセリフがある。<br><br>人間の女の子から、「よく犬なんかでいられるわね？」と言われてスヌーピーがそう言うのである。<br><br>私はこれを胸に命じている。<br>自分の置かれた状況に、ああだったら良かったのに、こうだったら良かったのにと思い悩まず、今できることに最善をつくすべきだ、という言葉だ。<br><br>私は、夫はイケメンでもエリートでなくても良い、ただ私のことを好きでいて一生仲良くしてくれる人なら良い、とだけ望んでいた。しかし、それはあっさり裏切られた。<br><br>あの時他の人を選んでいたら…と考えることもあるが、いまさらできないことだ。<br><br>カードは配られてしまったのだ。<br><br>ならば、<b style="font-weight:bold;">配られたカードで何ができるのか、を考えて最善を尽くそう</b>と思う。これからも。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12785229842.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Jan 2023 17:00:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>10年目</title>
<description>
<![CDATA[ <p>なんだかんだで<b style="font-weight:bold;">サレ発覚から10年目</b>である。<br>10年目のウチの夫婦の関係は<b style="font-weight:bold;">良好</b>である。<br>良好な関係の陰には<b style="font-weight:bold;">私のそれなりの努力</b>があると考えている。<br><br>夫婦の再構築に大事なのは<br><b style="font-weight:bold;">プライドは捨てること</b>。<br><b style="font-weight:bold;">物事は総合的に合理的に考えること</b>。<br><br>そのためには<b style="font-weight:bold;">「仕返し」しておくことはとても有効</b>だということ。<br><br>私の場合だけかもしれないが、「仕返し」が出来ずにいることはいつまでも引きずってしまう。「仕返し」が出来たことはすっきり忘れることができる。<br>今回は<b style="font-weight:bold;">本人訴訟</b>によってしっかり「仕返し」ができた。ささやかな「仕返し」だったが、一矢報いることは大事だ。<br><br>よく映画とかドラマとかで、「復讐は何も生まない」とか言って復讐を戒める展開を見る。</p><p>　　しかし。</p><p>何も生まないかもしれないが、やられた方の気持ちはスッキリするのだ、ということだけは私は言いたい。<br><br>スッキリした上で次の一歩につなげていくのだ。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">（注：プリにだけ「仕返し」するのは不公平。夫への「仕返し」も夫婦の関係にひびを入れない内容でそれなりにしっかりにやっております。）</span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12785221402.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Jan 2023 16:03:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>善悪について（しつこく）考える-追記5</title>
<description>
<![CDATA[ <p>善悪を考えるときに、いつも思うことがある。<br>映画などで正義のヒーローが「正義」を行う時に、平気で<b style="font-weight:bold;">なんの罪もない人の家やら車やらを踏んで壊したり奪ったりしている場面</b>のことである。（もちろんエンターテイメントなので、観ているときは気にしないで楽しむが。）<br><br>家を壊された人はその日からどこに住めばいいのか。思い出の品も失ったかもしれない。壊されたのは、こつこつお金を貯めてやっと買った車かもしれない。ヒーローが敵を追いかけるために強引に奪った他人のバイクは、危篤の親の元に急いでいたバイクかもしれない。<br><br>そんなことを思うのは、私が<b style="font-weight:bold;">「正義」に巻き込まれた経験</b>があるからだ。<br><br>正義を行った「主人公」達は、あくまでも自分達の大切なものを「悪者」から守るために「正義」の行動をした。<br>しかし、それはあくまでの彼らにとっての「正義」であって、彼らの守りたかったものは私には無価値なものだった。なのに、私は<b style="font-weight:bold;">彼らの「正義」に踏まれた</b>。<br><br>「正義」によって私は職を失い、それどころか「正義」が踏んだあとしまつに振り回され、やっと再就職できたのは貯金が底をつく直前だった。<br><br>せめて彼らが<b style="font-weight:bold;">「踏んでごめんなさい」</b>とでも思ってくれれば救いもあるのだが、<b style="font-weight:bold;">「思ってないだろうなぁ」</b>と想像できるのが未だにもやもやするところである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12779728433.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Dec 2022 11:46:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>善悪について（しつこく）考える-追記4</title>
<description>
<![CDATA[ <p>なんでこのブログで「善悪について」をねちねち語っているかというと、理由がある。</p><p><br>以前、ある人とメールのやりとりで不倫にまつわる善悪について討論した。その時に、自分の考えがなかなか相手に正しく伝わらなくて困惑した。私の説明の仕方が下手だったのかと散々悩んだが、結局は相手に聞く気がなかっただけだった。その人が私の意見をまともに受け取ると反論ができないから。<br><br>その人との対話はあきらめたものの、いまだに「どう言えば有無を言わさず正しく伝わったのか」を考えてあれこれ文章を練っている。「<b style="font-weight:bold;">曲解をゆるさない説明の仕方</b>」である。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12779727791.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Dec 2022 11:41:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>善悪について（しつこく）考える-追記3</title>
<description>
<![CDATA[ <p>突き詰めると、善悪とは、<b style="font-weight:bold;">どういう目的でどの立場で見るか</b>によるのである。<br><br>例えば、親からの虐待に耐えかねて親を殺してしまった子がいるとする。その子は親の虐待から逃げるすべを他に知らなかったのである。<br><br>これに対して、おそらくたいていの人が「この子は悪くない、親が自業自得だ」という評価を下すだろう。<br>殺人は現代日本では一般的に「悪」であるが、虐待から逃れる手段が他になかったのなら、それが<b style="font-weight:bold;">その子にとっては、最善の方法、正しい行動（善）だった</b>。…と考えるだろう。<br><br>しかし、<b style="font-weight:bold;">殺された親にとっては絶対的な「悪」</b>と言える。<br>「自業自得だ」と考えるのは、虐待されていた子の立場に立って考えるからだ。<br>もし、<b style="font-weight:bold;">親の方の立場で考えたら、虐待すら「正しいこと（善）」になるかもしれない</b>のだ。<br><br>どっちの立場で考えるかは、<b style="font-weight:bold;">自分がどっちに近いか</b>だ。例えば私は子供を追い詰めるほど虐待することはほぼ無いと言える。しかしもし誰かに虐待されたら、相手を殺してしまうことはあるかもしれない。よって、子供に同情し、その立場で考える。<br><br>しかし、現代日本という共同体の立場で考えると、ここで親を殺してしまったことを完全に「正しい」とは断定できない。<br><br>現代日本という共同体の立場で裁かれた場合、<br>殺人として罪に問われるのか。正当防衛とみなされるのか。<br><b style="font-weight:bold;">共同体の秩序を保つために一番都合の良い判決</b>が下されるのだ。<br><br>私は共同体の一員でもある。だからそこも入れて考えると、「殺人をしたのは良いことではないが、罰する必要は無い」となるのだが、これがベストかどうかは分からない。私はこの時起きた全てのことを知らないし、なぜそうなったかの原因も全てを知る由が無い。全ての第三者がそうだ。<b style="font-weight:bold;">ベターを探って評価していくしかない</b>のである。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12769315261.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Oct 2022 10:26:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>トロッコ問題2</title>
<description>
<![CDATA[ <p>映画だと主人公の都合で物事が決まってしまっても、観ている方も主人公に同調しているのでそれでいいのだが、現実には<b style="font-weight:bold;">生きている人それぞれがそれぞれの主人公</b>である。誰か一人の都合に振り回されるわけにはいかない。<br><br>トロッコ問題で、Ａを選ばれて死ぬ人は「Ｂを選べ」と思うし、Ｂを選ばれると死ぬ人は「Ａを選べ」と思う。そしてそれぞれ各人には死んでほしくないと思っている人がそれぞれいて、それぞれが「Ａを選べ」「Ｂを選べ」と思うだろう。<br><br>つまり、<b style="font-weight:bold;">それぞれがそれぞれの選択と正義を持っている</b>のである。<br>そこには<b style="font-weight:bold;">絶対の正解は存在しない</b>。<br><br><br>なお、もし、「自分が選択したことは誰にも知られないので恨まれることはない。」という条件がなければ、選択者はそれらの人々に恨まれることになる。復讐されるかもしれない。そうなると、選択者はたとえＡに居るのが自分の大切な人だとしても、Ｂを選択するかもしれない。<br>それは、多勢に負けて自分の利益を手放したということではない。<br>恨まれたり復讐されたりすることを避けることが、より利益であると判断したのである。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12763546678.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Sep 2022 10:26:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>トロッコ問題</title>
<description>
<![CDATA[ <p>トロッコ問題である。<br><br>Ａを選択すると死ぬのは1人<br>Ｂを選択すると死ぬのは5人<br>どちらも選択しないときは全員死ぬ、<br>自分が選択したことは誰にも知られないので恨まれることはない。<br><br>という条件の場合、<b style="font-weight:bold;">たいていの人はＡを選択する</b>のではないかと思う。<br>この場合、選択の基準は数の大小である。死ぬのは少ない方がより良い。<br><br>ところが、数の問題でなくなったときは話が変わってくる。<br><br>もし、<b style="font-weight:bold;">Ａで死ぬ人間が選択者にとって大事な人だった場合、おそらくたいていの人はＢを選ぶのではないか</b>と思う。<br>これが5人が300人であっても、ひょっとして百万人であっても、その百万人が選択者に全く関わりのない人ばかりであれば、Ｂを選ぶかもしれない。</p><p><br>それが<b style="font-weight:bold;">選択者の利益</b>だからである。関係のない人がいくら死んでも、選択者にはなんの不利益ももたらさないからである。（「選択」したことが知られない以上、遺族に恨まれることも無い。）<br>つまり、それが<b style="font-weight:bold;">選択者にとっての正義</b>なのである。<br><br><br>こういう状況は、ハリウッド系映画などを観ているとちょいちょい出てくる。主人公の行動によって色んな人が死んだり被害を受けたりするが、主人公とその仲間が無事ならハッピーエンドで終わる。もし、主人公の仲間が死んだら大騒ぎであるが、通行人が何人死んでも主人公には関係ないから意に介さない。全ては主人公が中心の世界なのである。<br>もちろんエンターテイメントなので映画そのものは気にせず楽しむが、冷静に考えてみるとヒドイ話である(笑)。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12763265260.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Sep 2022 17:29:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>善悪について（しつこく）考える-追記2</title>
<description>
<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">不倫が「悪いことではない」と考えることはいけないことだとは思わない。</b><br>人はそれぞれの考え、背負っている環境、体験してみないとわからない経験があるからだ。そういう考えに至ることもあるだろう。<br><br>私は、できれば忖度や遠慮無しに、そういう人に「なぜ」不倫を悪いことだと思わないのか、理由をしっかりと教えてもらいたい。反論しようというのではない。純粋に不思議だからだ。理由が理解できれば、「不倫は悪いこと」派の私にも得るものがあると思うからだ。<br><br>論破などする必要は無い。お互いの考えに対して批判や反論はあっても良いが、考えそのものはどちらも存在して良いと思う。少なくとも私の方は論破する気持ちは無い。<b style="font-weight:bold;">違う考え、違う主張でも、理解はすることはできる</b>のだ、と私は思う。<br>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12763069387.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Sep 2022 15:03:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>善悪について（しつこく）考える-追記</title>
<description>
<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">私にとって不倫は「悪」である。</b>サレだからというのもあるが、「プリ」だったとしても自分に利益があると思わないからである。誰かの幸せを横取りするようなことで私は幸せを感じない。<br><br>もし、自分の大事な友人が不倫をしようとしたら、私は止める。<br>不倫が世間の基準で「悪」だからではない。私の基準で「悪」だからでもない。<br>その友人にとって、<b style="font-weight:bold;">不倫による「善=利益」より、「悪＝不利益」が勝る</b>と思うからである。<br><br>しかし、本人が慰謝料を払うことや世間や周りの人からの非難、憎悪を受ける「悪」より、目の前の恋の「善」が勝ると言うなら、私は止めない。この時の「善悪」の判断は本人のものだからだ。<br><br>だだし、私はその人との友人づきあいはしなくなると思う。<b style="font-weight:bold;">不倫による不利益を厭わない人には、こちらにも何らかの不利益を被らせられるかもしれない</b>からである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12759137850.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Aug 2022 17:02:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>善悪について（しつこく）考える</title>
<description>
<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">法律とは人間が決めたものである。「道徳」も「常識」もそうだ。</b><br><b style="font-weight:bold;">基準は、それを決めた人間がが所属する共同体の都合によって変わる。</b><br>殺人も不倫も、その他いろいろなことが、その時代、場所、立場によって悪いことになったり良いことになったりするのだ。<br><br>殺人は、戦争では合法だ。それどころか、敵をたくさん殺した者が英雄になる。<br>江戸時代なら仇討は賞賛されることだ。<br><br>こんな風に善悪の基準がそうやって場合によって変わることは、特に教えられなくても、良識のある大人なら経験によって理解していく。<br><br><br>そもそも物事に絶対の善悪などないのである。人間が「これを悪いことにしよう」「これを良いことにしよう」と決めただけのものだ。<b style="font-weight:bold;">普遍的な善悪など存在しない。</b><br><br><b style="font-weight:bold;">もし共同体における善悪の基準が無かったら、それは個人の都合で決まる。<br>極端に言うと、どんなことでも、その人に都合の良いことが「善」で、都合の悪いことが「悪」になるのだ。</b><br>殺人だろうとなんだろうと、当人がそうしたくてやったことなら、当人にとっては「善」である。他人から見て「悪」でしかなくても。<br><br><br>とある漫画を読んでいたら、「人を殺してはいけないという法は無い。」というセリフが出てきた。人を殺したことによる罰則はあるけれど、「人を殺してはいけない」とはっきり法律で決まってはいないのだそうだ。（知らなかった！）「秩序のある平和で安定した社会を作るために便宜上そうなっているだけ」だそうである。<br><br>これはつまり、罰則を受ける覚悟があれば殺人を犯しても良い（あくまでも法律の解釈において）ということにならないだろうか。<br><br>「不倫」も同様に法律で「不倫をしてはいけない」とは決められていない。犯罪ですらないから罰則も無い。ただ、民法によって、離婚や慰謝料を要求する理由として認められているだけなのである。<br><br>つまり、離婚や慰謝料の覚悟があれば、不倫はしても良いことになる。<br><br><br>だから、共同体の秩序などどうでも良い、他人にどう思われようと関係ないと思うなら、個人の善悪に従って殺人でも不倫でも好きにしたら良いのだ。<br><br><br>ただし、それによって不利益を被る人から逆襲されることは覚悟しなければならない。<br>人を殺したら仇討をうけても文句は言えないのである。不倫をしたら、非難され、憎まれることは避けられないのである。それは結局その人にとっての不利益、つまり、「悪」になるのではないだろうか。<br><br>私は「不倫＝悪」だと考える。目の前の恋がどんなに美しく、甘くても、<b style="font-weight:bold;">トータルで不利益の方が勝る</b>と思うからだ。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dontyan2013/entry-12759136931.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Aug 2022 16:57:11 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
