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<title>宮小同窓会ノート</title>
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<description>和歌山市立宮小学校１９５７年卒業生の同窓会ブログ「宮小同窓会ノート」。卒業以来５２年ぶり初めての同窓会を２００９年年６月２１日に開催。なつかしい思い出、エピソードやクラスメートの近況などを掲載。</description>
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<title>更新情報 12/19</title>
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<![CDATA[ <font color="#FF0000"><font size="5">ようこそ　宮小学校同窓会ノートへ</font><br><font size="3">あなたのご訪問が <a href="http://ct2.shinobi.jp/gg/1276310" target="_blank"><img src="https://ct2.shinobi.jp/ll/1276310" border="0" alt="宮小同窓会アメブロの忍者カウンター"></a> 番目です</font></font><br><br>　<font size="3">開設 2009年05月03日　更新 2011年12月23日<br><br><a href="http://9215.teacup.com/miya/bbs" target="_blank"><img src="https://emoji.ameba.jp/img/user/du/dubois/1305620.gif" alt="にこにこ" border="0">　宮小学校同窓生交流掲示板（ﾃｨｰｶｯﾌﾟBBS）</a><br><a href="http://miyaschool.exblog.jp/" target="_blank"><img src="https://emoji.ameba.jp/img/user/du/dubois/1305620.gif" alt="にこにこ" border="0">　宮小学校同窓会だより（ｴｷｻｲﾄblog）</a></font>
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<pubDate>Fri, 23 Dec 2011 09:59:59 +0900</pubDate>
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<title>「狂饗記」 玄月著</title>
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<![CDATA[ <font size="5">読書あれこれ　その５７  <font color="#FF0000">「狂饗記」</font> 玄月著</font><br><br> <font size="3">　初めに<br><br>芥川賞作家の描く、深奥の官能エロス短篇小説集。六つの作品から構成されている。<br>かなりきわどい描写がありアブノーマルと思われる男女の営みも展開されている。これを芸術と見るのかワイセツと判断するのかさておきそのうちの狂饗記を紹介する。<br><br>小学校教師の筒井先生は今年三十一になる。顔立ちはいいのに化粧っ気がなく、髪はばさばさ、むっちりしたからだを、いつもお仕着せのような地味なパンツスーツで包んでいる。表情も陰気なうえ相当な潔癖症でもあり、ときおりヒステリックな声をあげて子供を叱る。よって児童と保護者の受けはよくない。<br>桜井の息子は、一年生からずっと筒井先生が担任だった。来春卒業である。やっと息子をあのヒステリー女から離せると、妻は待ち遠しくてならないようだ。妻が先生を悪くいうたびに、おまえのほうがよほどヒステリーだと、桜井は心でつぶやく。<br><br>自分が教師に向いてないのではないか。それが彼女の悩みだった。夫がいなければとっくに辞めていると、筒井先生は桜井にいった。感謝していると。<br>ぼくには感謝してないのですかと桜井が冗談っぽくいうと、筒井先生は缶ビールを振った。「もちろん感謝してますよ。唯一の飲み友だちとして」<br><br>桜井が筒井先生からこれらの秘密や赤裸々な話を聞き出せるのは、ある段階だけだ。アルコール度数はあまり関係ないようで、缶ビールなら四本、焼酎ロックなら三杯、ワインならボトル半分まで飲んだころ。それ以前でも以後でも無理だ。それ以前なら、恥ずかしくてとても口にできず、以後は論理的なことがいえなくなる。<br><br>桜井と筒井先生の個人的な出会いは二年前、息子が四年生のときだった。・・・・・<br><br>桜井はグラスにワインを注ぐと、下半身がよく見えるようテーブルをはさんで向かいの床に座った。筒井先生はグラスをしっかりとした手つきで取ったが、飲むときだいぶこぼしてしまった。赤い液体が胸から下腹へ流れ、股の間に溜まった。<br>「ありゃりゃ、もったいないなぁ」筒井先生は指で股間のワインをすくおうとしたが、うまくいくはずはない。<br>「だめだこりゃ。ねぇん、舐め取ってよ」　しばらくふたりは見つめあった。筒井先生は指を舐めながら淫蘼に笑っている。<br>桜井は、テーブルをずらして筒井先生の前にしゃがみこみ、顔を股間に埋めた。筒井先生はもう片方の足もソファの上に置いて拡げた。桜井はソファに浮かぶワインは無視して、最初から膣とクリトリスを舐めた。日を置いて酸っぱくなりすぎたワインの味がした。・・・・・<br><br>月に一度か二月（ふたつき）に一度、筒井先生の夫が土日出勤のうえ帰りが深夜になる日の朝から会うようになった。<br>お互い都合のいい関係は二年以上つづいた。たまにしか会わないし、ふだんまったく連絡を取り合わないのもいいのだろう。<br><br>いつもの部屋に桜井が着きノックすると、遠くから、開いているよとの返事。筒井先生が先にすっかりできあがっているのは初めてだった。<br>・・・・・先生はグラスを後ろに放り投げ、Ｔシャツを脱ごうとした。顔がなかなか抜けないのを桜井が手伝って脱がすと、先生はほっと息をつき、離婚した、とつぶやいた。<br>「離婚？ほんとですか！どうしたんですか、なにがあったんですか！」<br><br>いっぽう夫は妻の行動に疑心暗鬼に苛まれる日々を過ごしているうちに、酒を大量に買い込んでラブホテルに入ったという調査結果を見て愕然としたのも束に間、酒で身を滅ぼすと若いころ占い師にいわれたことが当たったと、不思議にすがすがしい気分になった。<br><br>この女危ないと、桜井は思った。離婚で歯止めがきかなくなって、アルコール依存症になるにちがいない。切るか？切るならいまのうちだぞ。<br>今夜を最後にする。そう思うと燃えてきて、これまで先生に対してなかったサディスチィックな気持ちがにわかに湧いてきた。<br>なぜなかったかというと、先生は自分が楽しむことしか考えてないからだ。桜井の反応などまるで見ない。そんな相手とは、表面上の行為がそう見えても、ＳＭとはいえない。先生の要求や提案が淫蘼で魅力的だから、桜井は従ってきた。・・・・・<br>その後も桜井は思う存分楽しみ、ぐったりしている筒井先生を放置して先に帰った。・・・・・<br><br>「・・・・・うちに電話してきたのよ、息も絶え絶えの声でね。ご主人は終電で帰ってます。いまわたしはどこそこにいて、こういう状態です。ご主人にはこんなことあんなことされました。二年にわたってされてきました。ご主人はきっと今日を<br>最後にするつもりで、いつも以上にわたしをめちゃくちゃにしました。わたしはご主人とのことがばれて離婚されました。<br>そのことで、ご主人はわたしとのこれ以上の付き合いに不安を感じました。もし、少しでも罪悪感を感じ、わたしを不憫に思ってくれたらこんな電話しませんでした。とても残念です。奥様にーここで教師面してお母さんといわないのはよかったわーもちろん恨みはありませんが、道連れにさせていただきます。あしからず」　このあと妻は、なんと、にこっと笑った！<br>「慰めて励ましてあげたら、先生泣いて感謝したわ。冷静に告白した勇気を讃えてあげもした。夏休みが終わるまでに会って話をするのよ。おいしいケーキを食べながら、愚痴言い合ってすっきりして、お互いの人生のやり直しについて語ろうって約束したの。先生最後には声を立てて笑ったのよ」<br>妻が会うのが楽しみでたまらないというように、ふふふとわらった。<br><br>いがみ合っていたふたりの女は逆境を利用して手を結び、つぎの人生を思い描こうとしているのに、自分にはなにも残っていない。なんにも。    <br> <br>投稿者：蘇る青春  <br>投稿日：2011年12月18日(日)19時00分53秒   </font>
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<pubDate>Fri, 23 Dec 2011 01:03:52 +0900</pubDate>
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<link>https://ameblo.jp/dousoumiya/entry-11111037216.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Dec 2011 08:53:45 +0900</pubDate>
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<title>ＧＯ　金城一紀著</title>
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<![CDATA[ <span style="line-height: 1.2;"><font size="5">読書　あれこれ　その５６   <br>  <span style="color:rgb(255,0,0);"> 「ＧＯ」</span>　　金城　一紀　著</font></span><br><br>　僕（杉原・主人公）が入学した高校は都内にある私立の男子校で、偏差値が卵の白身部分のカロリー数ぐらいしかない学校だった。でも、小中学校と民族教育を受けてきて、さらには一年足らずの受験勉強しかしなかった僕にとってみれば、東大に入学したのと同じくらいの意味があった。<br><br>加藤（高校でできた初めての友人。生粋の悪ガキ）の誕生パーティーで知り合った桜井に僕は触れたかった。どんな場所でも良かった。触れた時、桜井が僕の手を受け入れてくれたら、胸に充満している焦燥感を消し去ることができるに違いなかった。僕は、民族学校で小中一貫教育を受けた。民族学校で教わったのは、朝鮮語と朝鮮の歴史と、北朝鮮の伝説的な指導者、≪偉大なる首領様≫金日成のことと、あとは日本学校でも教わるような日本語（国語）、数学、物理、などなど。≪偉大なる首領様≫金日成。民族学校のことを語る上で、この人物を避けて通ることはできない。絶対に。<br><br>僕が小学二年生だったある日、僕と友達数人が下校していると、後ろからミニパトが走ってきた。友達の何人かが車道のほうにはみ出して歩いているのを、婦人警官は見逃さず、ミニパトからこんな風に注意した。「あんたらみたいな社会のクズは道のハシを歩きなさいっ！」　　なんてひどいことを言うんだろう、と僕たちは思わなかった。僕たちの学校にはよく右翼の街宣車が来ていて、もっとひどいことを連呼したりしていたので、僕たちは慣れていたのだ。そう、慣れていたけれど、やはり腹は立つ。<br>そんなわけで、翌日、僕と友人たちは『ミニパト襲撃チャリンコ部隊』を急遽結成して、ミニパトにゲリラ的襲撃を仕掛け始めた。僕たちは数々の襲撃に成功した。一度も捕まらなかった。<br><br>僕は学校が大嫌いだった。一日の終わりに開かれる共産主義の十八番、「総括」、「自己批判」。これがあるかぎり、僕は共産主義を認めるつもりはない。<br>中学に上がってから、僕は学校に真面目に通うようになった。中学三年に上がってからすぐ、日本の高校を受験することを、教師たちに宣言した。教頭は「おまえが日本学校に行くのはぜんぜん構わない。でも、それを他の生徒が知って、だったらわたしも、と言い出すのは困る。だから、おまえが日本の高校を受験することは絶対に秘密だ｣こうして僕は、あからさまな戦力外通告を受けた。<br><br>　「金日成が死んでから、『教団』（民族学校のことをそう呼んでいる）も変わり始めてるよ。少しずつだけど、外の世界にも目が向くようになってきている」と正一（民族学校開校以来の秀才と呼ばれた同級生）は照れ臭そうに笑って、言った。<br><br>毎週月曜日の夜の桜井への電話が、僕の習慣に加わった。　桜井の家は、世田谷の高級住宅地にあった。<br>初めて桜井の家に行って以来、僕と桜井のほとんどのデート場所は桜井の家になった。僕と桜井は多くの時間をＡＶルームで過ごした。<br>僕たちはお互いのすべてを欲していた。そのことに間違いはなかった。でも、初めてお互いを受け入れる場所は、特別な場所でなくてはならなかった。・・・・・<br><br>ある日、正一は都内の高校に通う十七歳の高校生『彼』に電車の中でナイフで左の頸動脈を切りつけられ出血多量で死んだ。<br>病院に到着した時にはすでに手遅れの状態だったようだ。『彼』も心神の耗弱は激化、ひどい下痢の症状に襲われ正一が運び込まれた病院で投身自殺をはかった。<br><br>僕は、桜井にお互いにすべてを受け入れ合う前に、言っておかなくてはならないことがあった。この女に隠し事をしておきたくはなかった。<br>　「俺はー、僕は、日本人じゃないんだ」　　　それはきっと十秒とかそこらの沈黙だったはずだけれど、僕にはひどく長いものに思えた。　　「・・・どういうこと？」と桜井は訊いた。<br>　「言った通りだよ。僕の国籍は日本じゃない｣　　「・・・それじゃ、どこなの？」　　「韓国」<br>桜井は僕のほうに投げ出していた両足を上半身に引き寄せたあと、折り畳み、膝の前で両手を組んで座った。<br>桜井は目を伏せて、言った。<br>「お父さんに・・・、子供の頃からずっとお父さんに、韓国とか中国の男とつきあっちゃダメだって言われてたの・・・」<br>僕はその言葉をどうにか体の中に取り込んだ後、訊いた。　「そのことに、なんか理由があるのかな？」<br>桜井が黙ってしまったので、僕は続けた。<br>「むかし、お父さんが韓国とか中国の人にひどい目に遭ったとか、そういうこと？でも、もしそうだとしても、ひどいことをしたのは、僕じゃないよ。ドイツ人のすべてがユダヤ人を殺したわけではなかったようにね」<br>「そういうことじゃないの」と桜井はか細い声で、言った。<br>　　「それじゃ？」<br>「・・・お父さんは、韓国とか中国の人は血が汚いんだ、って言ってた」<br>ショックはなかった。それはただ単に無知と無教養と偏見と差別によって吐かれた言葉だったからだ。<br><br>正一の告別式の夜以来、桜井からはなんの連絡もなかった、僕も連絡をしなかった。<br><br>僕は一度も会うこともなく死んでしまった叔父のことを考えていた。日本から北朝鮮まで、飛行機ならどれぐらいで行けるのだろう？二時間？三時間？僕は同じぐらいの時間を使って、韓国に行ける。でも北朝鮮には行けない。何がそうさせるのだ？<br>もとを糺せば、韓国だって北朝鮮だって、ただの陸地じゃないのか。何が行けなくしてるのだ？深い海か？高い山か？広い空か？人間だ。<br><br>オヤジは言った。「この国もだんだん変わり始めてる。これからもっと変わって行くはずだ。在日だとか日本人だとか、そういうのは関係なくなっていくよ、きっと。だから、おまえたちの世代は、どんどん外に目を向けて生きてくべきだ」<br>「そうかな？」と僕は真剣に訊いた。「ほんとに変わるかな？」・・・・・<br><br>色々と悩んだ末に、正一の骨を色々な国に散骨するつもりだ、と正一のお母さんは言った。<br>「近いうちにね、初めて韓国に行ってみようと思ってるのよ」<br><br>桜井から電話があった。　　「久しぶりね」と桜井は言った。・・・<br>一時間半ほどかかって、小学校のレール式の鉄扉の前に辿り着いた。僕は桜井の顔を睨みつけるように見上げながら、言った。<br>　　「俺は何者だ？」「え？」　「俺は何者だ？」桜井は少し迷った末に、答えた。<br>「…在日韓国人」僕は立ち上がり、桜井に向き直って、言った。<br>「俺はおまえら日本人のことを、時々どいつもこいつもぶっ殺してやりたくなるよ。おまえら、どうしてなんの疑問もなく俺のことを≪在日≫だなんて呼びやがるんだ？俺はこの国で生まれてこの国で育ってるんだぞ。在日米軍とか在日イラン人みたいに外から来てる連中と同じ呼び方するんじゃねえよ。≪在日≫って呼ぶってことは、おまえら、俺がいつかこの国から出てくよそ者って言ってるようなもんなんだぞ。分かってんのかよ。そんなこと一度でも考えたことあんのかよ」<br>桜井は息を呑んで、僕のことをジッと見つめていた。<br>わたし、杉原に睨まれた時、背筋がぞくっとして、体の中心がもぞもぞする感じがあって、気がついたら、濡れてたの・・・。わたし、そういうのは初めてだった・・・。<br>桜井が足を止め、振り向いた。僕がこれまで見たことのない微笑みが、浮かんだ。そして、雪のように白い息とともに暖かい声が吐き出され、僕の耳に届いた。　　「行きましょう」<br><br>　<span style="line-height: 1.2;"><font size="5">＊</font></span>　直木賞受賞作品。著者は自らを「在日韓国人」ではなく「コリアン・ジャパニーズ」と称しているが、「日本の内の他者」として培われたその鋭い視点が彼の創作活動にとって大きな武器となっていることは間違いなさそうだ。　（インターネットより引用）<br> <br>投稿者：蘇る青春 <br>投稿日：2011年11月22日(火)12時38分47秒
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<pubDate>Tue, 22 Nov 2011 12:38:47 +0900</pubDate>
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<title>第2回宮小同窓会開催</title>
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<![CDATA[ <span style="line-height: 1.2;"><font size="6"> <span style="color:rgb(255,102,51);">第2回宮小学校同窓会 </span> </font> <br><b><font size="4">（昭和32年度卒）　開催のお知らせ</font></b><br><br>皆さんご無沙汰です。<br>いかがお過ごしでしょうか。<br>先日、第2回宮小同窓会にむけて準備会を持ちました。<br>それで、来年の6月17日（日）、12時から、アバローム紀の国で開催することを決めました。<br>日程については前回と同じようになると思いますが、より楽しい集いにするために趣向を凝らしたいと思います。<br>皆さんから良いアイデアやご希望があれば係の者に連絡していただきたいと思います。<br>また宮小同窓会（Ｓ32年卒）のブログなど通じてどしどし提案していただきたいと思います。<br>なお、準備会･係のメンバーは、刀禰氏を幹事に他は多少の変更あると思いますが前回とほぼ同じ顔ぶれでお世話させていただきます。<br>時期が来ましたら同窓生の皆さんに案内状を送らせていただきますが、それまでは口コミなどで連絡を取り合って知らせていただけたらと思います。<br>これから厳しい寒さを迎える時期ですが、くれぐれも体調に気を付けられて健康に留意されご活躍を願っています。そして、また楽しい同窓会でお会いしましょう！！<br><br><div align="right"><b><font size="4">第2回宮小学校同窓会準備係一同</font></b>  <br>投稿日：2011年11月22日(火)10時38分22秒</div></span>
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<pubDate>Tue, 22 Nov 2011 10:38:22 +0900</pubDate>
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<title>夜と霧</title>
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<![CDATA[ <span style="line-height: 1.2;"><font size="5">読書　あれこれ　その５５   <br>   <span style="color:rgb(255,0,0);">「夜と霧」</span>　ヴィクトール・フランクル著<br>　　　　　　　　　　　霜山　徳爾訳</font></span><br><br>　<span style="line-height: 1.2;"><font size="5">はじめに</font></span><br>　自らユダヤ人としてアウシュヴィッツ収容所に囚われ、奇蹟的に生還しえたフランクル教授の「強制収容所における一心理学者の体験」であるが、これは著者も自ら言われる通り限界状況における人間の姿を理解しようとするもので、その深い人間知から滲み出る叙述の調子の高さは、現実の悲惨を救うにせめてものよすがであろう。<br><br>　<span style="line-height: 1.2;"><font size="5">本題</font></span><br>　戦争の行われていた間に、どう低く見積っても千二百万人に及ぶ侵略地区や占領地区から連れてこられた男女、子供がドイツ人によって殺され、そのうちの八百万人がドイツの強制収容所で死んだのである。<br>アウシュヴィッツはワルソーの南西百六十マイルに位する人口一万二千のポーランドの小さな町で、戦争前にはポーランド以外の国では全く知られていなかった。このアウシュヴィッツの収容所にとって最も不幸だったのは、その地理的状況であった。平らな盆地の底にあるアウシュヴィッツは、一連の澱んだ池に取り巻かれており、そのため湿気が多くて悪臭に充ち、疫病をかもすに絶好の地であった。<br>アウシュヴィッツ収容所の生活は、規則づくめの非常に厳しいものであった。それにつれて、刑罰も効果をあげるためにさらに一層残酷になった。<br>収容所の職員はなんの困難も感じないように思われた。鞭打ち、刑罰者のグループへの移転、何時間も続けて起立させて置くか跪かせて置くかの刑、そして暗くて冷たい房に閉じこめるといった刑罰があり、これらは例外なく司令官により公認されたものであった。<br>とりわけユダヤ人は全収容所の中で最も烈しく、最も残酷な目に遭わされていたのであった。<br>また、青酸の天然の化合物を含んでいる「チクロンＢ」ガスによるだけが、役に立たぬ収容者を死に赴かしめる唯一の手段ではなかった。石炭酸の注射で囚人を殺す方法が、親衛隊の最高指導者エンドレッド博士によって案出されていた。他に射殺による撲滅方法もとられた。<br><br>ベンゼン強制収容所では、あらゆる種類の病気が蔓延していたが、病人を絶望的な状態に陥れるのに最も暴威をふるったのはチブス、肺結核、そして飢餓であった。収容所内の健康状態はここ数ヶ月間に、健康で丈夫な人にも死をもたらす程悪化しているに相違なかった。<br>五歳から十二歳の二十人に及ぶフランス、ロシア、ユダヤの子供たちがノイエンガムの中央収容所に閉じ込められたが、これは悪名高きベルリンのハイスメイヤー博士の、いわゆる医学研究の興味のための実験材料として選抜された子供たちであった。<br>ハイスメイヤーはこの収容所にしげしげと足を運び、このかわいそうな子供たちに結核菌を注射したのである。<br><br>強制収容所はナチ・ドイツが占領下にあるヨーロッパを一九四〇年から四五年にかけて縛りつけていた鎖の最後の一環であった。あらゆる悲惨な道が強制収容所と死とへ続いていた。<br><br>「あれはもう長くないな」とかあるいは「この次はあれだな」とかいうことをわれわれはお互いに囁いたものだった。<br>そしてわれわれは夜寝る前に蚤を取りながら裸のわが身をみる時など、皆大凡同じことを考えるのであった。一体この身体はわたしの身体だろうか、もうすでに屍体ではなかろうか。一体自分は何なのか？人間の肉でしかない群衆、掘立小屋に押し込まれた群衆、毎日その一定のパーセントが死んで腐って行く群衆、の一部分なのだ。<br><br>強制収容所における人間を内的に緊張せしめようとするには、先ず未来のある目的に向かって緊張せしめることを前提とするのである。囚人に対するあらゆる心理治療的あるいは精神衛生的努力が従うべき標語としては、おそらくニーチェの「何故生きるかを知っているものは、殆んどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ｣という言葉が最も適切であろう。<br>すなわち囚人が現在の生活の恐ろしい「如何に」（状態）に、つまり収容所生活のすさまじさに、内的に抵抗に身を維持するためには何らかの機会がある限り囚人にその生きるための「何故」をすなわち生活目的を意識せしめねばならないのである。<br><br>かくしてやがていつか、解放された囚人各自が強制収容所のすべての体験を回顧して奇妙な印象を受ける日が来るのである。<br>すなわち彼は収容所生活が彼に要求したものをどうして耐え抜くことができたか殆んど判らないのである。そして一生の中ですべてが美しい夢のように思われる日が・・・あのかっての自由の日々が・・・存したと同様に、彼が収容所で経験したすべてが彼には一つの悪夢以上のものに思われる日もいつかくるであろう。解放され、家に帰った人々のすべてこれからの体験は、「かくも悩んだ後には、この世界の何ものも・・・神以外には・・・恐れる必要はない」という貴重な感慨によって仕上げられるのである。<br><br>　<span style="line-height: 1.2;"><font size="5">おわりに</font></span><br>　この本は冷静な心理学者の眼でみられた限界状況における人間の姿の記録である。だがまたそれはまだ生々しい現在史の　断面であり、政治や戦争の病誌である。そしてこの病誌はまた別な形で繰り返さないと誰がいえよう。もしわれわれが蛇と闘わないならば・・・・・<br><br>　<span style="line-height: 1.2;"><font size="5">＊</font></span> 巻末にある写真の数々を見てみると目を覆いたくなる光景が繰り広げられており、二度と起こしてはならない戦争の悲惨な状況をまざまざと物語っている。一読をお勧めする。<br>  <br>投稿者：蘇る青春  <br>投稿日：2011年11月 3日(木)13時26分34秒
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<pubDate>Thu, 03 Nov 2011 13:26:34 +0900</pubDate>
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<title>寡黙なる巨人 多田富雄</title>
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<![CDATA[ <table border="0" cellspacing="2" cellpadding="1" width="100%"><tbody><tr><td valign="top" align="left"><h2><span class="Kiji_Created">読書　あれこれ　その５４<!-- Remote Host: p7223-ipbfp201wakayama.wakayama.ocn.ne.jp, Time: 1318904625 --></span></h2></td><td valign="top" width="80" nowrap="true" align="right"><nobr><span class="Kiji_Editlink"><font size="1"><br></font></span></nobr></td></tr></tbody></table><div class="spacer"><font size="1"><br></font></div><table border="0" cellspacing="2" cellpadding="1" width="100%"><tbody><tr><td valign="top" width="60" align="center"><font size="1"><br></font></td><td valign="top" align="left"><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3"><font size="6"><font color="#ff0000">「寡黙なる巨人</font><font color="#ff0000">」</font></font>　<font size="5">多田　富雄著</font><br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3"><br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">　旅先の金沢で、突然脳梗塞の発作に見舞われたのは二００一年の五月二日のことであった。<br>一歩間違えれば命にかかわった梗塞である。厄介なことになったものだ。なんと私は右側の重度の片麻痺のみならず、言葉を失い、その後、年余にわたって私を苦しめることになった、舌や喉の麻痺による摂食の障害まで引き受けてしまったのだ。<br>発症直後は絶望に身を任せるばかりで、暇さえあれば死ぬことばかり考えていた。希望のかけらすらなかった。<br><br>それからリハビリを始めてから徐々に変わっていったのだ。私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動かしている人間はどんなやつだろうとひそかに思った。得体の知れない何かが生まれてくる。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。<br><br>新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱々しく鈍重だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた。<br>そのころ、金沢の友人がワープロを差し入れてくれた。もともと原稿は手書きであったので、ワープロなんか使ったことがない。</font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">　パソコン操作はリハビリの作業療法で覚えた。それでも、初めて自分を表現する方法を知った私は、時間を惜しんでパソコンに向かい、背中が痛くなるほど熱中した。看護師に厳重に注意されるほど続けたので、疲れ果ててベッドに入った。<br><br>　金沢医大から都立駒込病院、さらに東京都リハビリテーション病院（都リハ）に転院後、あの巨人が目覚めたのだ。あの鈍重な巨人が、ようやく一歩歩きだしたのだ。涙が両眼にあふれて、何も見えなくなった。<br><br>　随意運動を指令するのは大脳だが、脳梗塞ではその指令を出す大脳皮質の運動野が傷害されることが多い。運動の細かなスキルは、小脳に記憶として刻みつけられるが、それがやられるともっと重大な障害が起こる。<br><br>二〇〇五年の五月には、前立腺癌が発見された。すでにリンパ節への転移もあり、切除は不可能な段階であった。出来るのはホルモン療法、といっても積極的なホルモン投与療法をすると脳血栓の再発を招くというので、睾丸を摘除する「去勢法」だけ受けた。若いころ私を苦しめ続けた煩悩の種ともさっぱりおさらばして、身も心も軽くなった。おかげで腫瘍マーカー（ＰＳＡ）も激減したと思う間もなく、尿路結石が発見され、そこにＭＲＳＡ（多剤耐性菌）の院内感染という新手の敵が加わった。退院しても、発熱と排尿困難に苦しめられた。それが少しよくなったかと思うと、今度は喘息という強敵が加わった。<br>休む間もなく呼吸困難に悩まされている。<br><br>こうして不自由な体を抱えて私は生き延びている。嚥下障害の苦しみは筆舌につくせない。右麻痺だけでもつらいのに、毎食後必ずやって来る咳と痰の苦しみは筆舌に尽くし難い。毎日肺炎の危険と戦っているのだ。・・・・・<br><br>私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。自分の体は回復しないが、巨人はいま形のあるものになりつつある。<br>彼の動きは鈍いし寡黙だ。それに時々は裏切る。この間こけたときは、右腕に大きなあざを作った。そのたび私は彼をなじる。</font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">　でも時には、私に希望を与えてくれる。・・・・・<br><br>多田富雄は、一医療人の立場から日本の医療に関するいくつかの問題点を示唆している。<br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">・言語療法士の処遇は今でも最もひどい。一対一の辛抱強い訓練、それに必要な時間数は健康保険で認められていない。保険の点数だって最近までは、ほかの理学療法に比べたらはるかに低く設定されていた。人材不足になるのは当然のことだ。こういう技術者をどう評価し育てていくかが今問われている。<br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">・大体このごろの医者は、患者の顔を見ようとしない。パソコンのデータばかり覗き込んでこちらを振り向かない。愁訴を持っている患者は目の前にいるのだ。<br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">・何よりも病院の都合だけが優先されて、患者の都合など考えない。たとえば、やっと仕事が終わって家族が面会に来てくれても、午後八時になると、無情にも帰れという院内放送が鳴り渡る。つかの間の愛する人との面会は、あわただしく中断される。<br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">・小泉改革は、無情にもこうした障害者のリハビリを、最長でも百八十日に制限する「診療報酬改定｣を二〇〇六年に開始した。改革の名を借りた医療の制限である。<br><br>　左手だけを使い、その上重度の構音障害で言葉が話せない体でくじけないで生きる。また本を書くという不屈の精神に感服する。五体満足の私はまだまだ努力が足りないと思うとともに、生きることの大切さを知らされた感動の一冊である。</font><br></span></tt></p></td></tr></tbody></table><p>投稿者：<span class="Kiji_Author"><font size="3"><br></font><font color="#555555" size="3"><strong>蘇る青春</strong></font></span> </p><p><!--/投稿者名--><span class="Kiji_Created">投稿日：2011年10月18日(火)11時23分45秒</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/dousoumiya/entry-11052026043.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Oct 2011 11:23:45 +0900</pubDate>
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<title>読書 「紅梅」津村節子</title>
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<![CDATA[ <table border="0" cellspacing="2" cellpadding="1" width="100%"><tbody><tr><td valign="top" align="left"><h2>読書あれこれ　その５３</h2><!--投稿者名--><span class="Kiji_Created"><!-- Remote Host: p7223-ipbfp201wakayama.wakayama.ocn.ne.jp, Time: 1318387062 --></span></td><td valign="top" width="80" nowrap="true" align="right"><nobr><span class="Kiji_Editlink"><font size="1"><br></font></span></nobr></td></tr></tbody></table><div class="spacer"><font size="1"><br></font></div><table border="0" cellspacing="2" cellpadding="1" width="100%"><tbody><tr><td valign="top" width="60" align="center"><font size="1"><br></font></td><td valign="top" align="left"><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3"><font color="#ff1493" size="6">「紅梅」</font>　</font><font size="5">　津村　節子著<br></font></span></tt></p><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3">　小宮教授は、やはり癌です、ときっぱりした口調で二人に告げた。舌はリンパ管に富み、動きが激しい器官だから転移し<br>易いというが、リンパ節、肺には転移していないので、手術をしてとってしまえば心配はない、と手術の日取りを決めた。<br>夫（作家、吉村昭）は癌のことは、息子にも娘にも知らせるなと言ったが、近くに住み、行き来の多い二人に隠し通すことは<br>不可能である、それにこの病気は子供たちの協力なくしては闘い切れない、と育子（作者、津村さんの分身）は夫を説得し<br>た。<br><br>書斎の窓の前の紅梅はもう終わっていて、しだれ桜の蕾がふくらんできていた。夫は紅梅が、育子は花の咲く樹は何でも好き<br>で、しだれ桜も二人で植木屋の庭園を歩き廻って買った樹である。<br><br>二〇〇六年が明けた。<br>「膵臓にかげがあります。明日もう一度ＣＴの検査をしてみましょう」と、岸田教授から言われた。<br>後日、二人でＣＴの結果を聞きに行くと、岸田教授と渋川教授から膵臓癌を告げられた。舌癌はリンパ節に転移はなく、膵臓<br>癌は原発であるという。<br>「ご覧の通りです。十二指腸も、胃の半分も取りました。幸いに肝臓その他の外部には転移していませんでした。時間がかか<br>ったのは二本の胆管が細いために縫合が大変だったのです」　六時間もかかり、その上細かい技術を要する手術を終わったと<br>ころなのに、教授は疲労の様子も見せずに、素人にわかり易い口調で説明してくれた。<br><br>エッセイのゲラを直して返送し短編の推敲を終えてほっとした四月なかば過ぎ、夫は舌の痛みだけでなく、脇腹が痛いと言う<br>ようになった。有本教授の許に行くと、「抗癌剤の点滴をしてみますか」と言われた。育子はぎょっとしたが、夫は動揺した<br>様子もなく、「お願いします」といった。<br>翌日、育子が足もとに座ってマッサージをしていると、眠りにつく。こんなにと思うほど眠る。体力が日に日に弱っている。<br>　後になってこの日の日記を読み、育子は涙ぐんだ。　　　育子の心のこもった看護に感謝。<br>と書いてある。別に心のこもった、というようなことはしていない。サンドイッチと缶コーヒーを買って来て、眠っている<br>夫のベッドの傍で食べていただけである。<br>「腹膜あたりのリンパ節に転移が見られます。おなかが痛いのは、腸壁が固くなっているようですからそのせいと思われま<br>す」と有本教授は言った。<br><br>抗癌剤で効果がないのなら、免疫治療法を受けるように、と熱心にすすめられる。癌患者の免疫力を高めて癌を治療するとい<br>うもので、まず採血をし、血液のリンパ球を分離して活性化する。二週間の間にリンパ球が増殖されて免疫力が回復し、それ<br>を軀に戻す。つまり、二週間に一度採血し、活性化した血液を点滴で患者に戻すのである。<br>その後、一度退院していたが高熱が出て緊急に入院することになり、育子は動転しているのに、夫は日記帳を忘れない。<br><br>明日来るときに、金庫に入れておいた遺書を持って来るように、と育子に命じた。いつそんなものを書いたのかわからなか<br>った。育子は遺書どころではなかった。夫を退院させて、家で点滴することに決めたのである。<br>心臓の近くの太い静脈を中心静脈と言い、手足の皮下静脈からは投与出来ない薬剤や栄養に富む輸液剤を投与するために、<br>静脈から中心静脈まで前胸部や首や足の付根にカテーテルを入れるという。カテーテルは点滴ポート（器具）に接続されれば<br>、常に薬液が中心静脈に投与され続けるという。<br><br>のちになってこの頃の日記を読むと、<br>昨日死のことを考える。死はこんなにあっさりと訪れてくるものなのか。急速に死が近づいてくるのがわかる。ありがたいこ<br>とだ。但し書斎に残してきた短篇に加筆できないのが気がかり、と書かれていた。<br><br>夜はベッドの傍に蒲団を敷き、並んで寝た。一時間半か二時間おきに尿意を訴えるので、その都度おきる。<br>　　　　　　育子、育子、育子　　夫との会話は、尿意を伝えることだけだ。<br>ある日の夕食後、育子はベッド傍に蒲団を敷き始めた。その時、夫がいきなり胸に埋め込んであるカテーテルポートを、ひき<br>むしってしまった。育子には聞き取れなかったが、「もう、死ぬ」と言った、と娘が育子に告げた。<br>育子は夫の強い意志を感じた。延命治療を望んでいなかった夫の、ふりしぼった力の激しさに圧倒された。<br>必死になっている看護師に、育子は、「もういいです」と涙声で言った。娘も泣きながら、「お母さん、もういいよね」<br>と言った。<br>育子は、夫の背中から腰あたりまで、さすってやっていた。夫のベッドは頭を南向きに据えてあるのだが、育子がさすってい<br>る間に少しずつ軀を動かして、そんな力がよく残っていると思うのに、完全に頭が北になるように軀を半回転させた。<br>それは育子を拒否したのだ、と思う。情の薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負ってゆく<br>のだ。<br><br>　　あれほど苦しんだ病気から解放された夫は、おだやかな顔で眠っていた。</font><br><br></span></tt></p></td></tr></tbody></table><p>投稿者：<span class="Kiji_Author"><font size="3"><br></font><font color="#555555" size="3"><strong>蘇る青春</strong></font></span> </p><p><!--/投稿者名--><span class="Kiji_Created">投稿日：2011年10月12日(水)11時37分42秒</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/dousoumiya/entry-11048948848.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Oct 2011 19:56:15 +0900</pubDate>
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<title>読書 52  「トキオ」</title>
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<![CDATA[ <font size="5"><font color="#FF1493">「トキオ」 </font>　東野　圭吾著</font><br><br>　グレゴリウス症候群（脳神経が次々に死滅していく病気）という遺伝病を持って生まれたわが子、時生（ときお）が短い生涯を終えよを終えようとしている。宮本拓実は「後悔してないか」ぽつりと訊いてみた。「何を？」「時生を産んだことさ」「ああ」麗子は頷いた。<br>「あなたは？」「俺は・・・していない」「そう。よかった」彼女は膝の上で両手を何度もこすりあわせた。<br>「麗子はどうなんだ。産んでよかったと思っているのか」「あたしは」麗子は額にかかった前髪をかきあげた。「あの子に訊いてみたかった」「何を？」「生まれてきてよかったと思ったことがあるかどうか。幸せだったかどうか。あたしたちを恨んでいなかったかどうか」でももう無理ね、といって彼女は両手で顔を覆った。「ずっと昔、俺はあいつに会ってるんだ」えっ、と麗子は首を傾げた。「どういう意味？」「今から二十年以上前だ。俺が二十三だった」・・・・・拓実は高校を卒業して配管設備の会社で勤めたが１０ケ月でやめ、その後様々な職場を転々としたが、半年以上続くことは稀だった。千鶴（当時のガールフレンド）が勤めるスナックの向かいにある喫茶店にしても、八ケ月しか保たなかった。そうこうしている間に二十三歳だ。この五年間、自分は一体何をしてきたんだ。それを考えると憂鬱になる。<br><br>『拓ちゃんへ<br>　楽しいこともたくさんあったけどやっぱりもう終わりにします。部屋の中のものは知り合いの人に処分してもらうことに　なっています。悪いけど部屋の鍵は大家さんに返してください。敷金を少し返してもらえると思うのでそれは拓ちゃんが使ってください。楽しい思い出のお礼です。身体に気をつけてね。さようなら。ちづる』そのような生活の拓実にあいそうをつかした千鶴が書き置きを残して姿をくらます。<br><br>そんなある日、拓実の前に、見知らぬ若者が現れる。トキオと名乗るその青年とともに、拓実は、行方不明となった千鶴の捜索に乗り出した。・・・・・<br>「俺はさ、あんたの息子なんだよ」いつかトキオがそんなふうにいったことがある。未来から来たともいった。馬鹿げた話だとは思うが、それが一番しっくりとくる答えのような気もした。未来から、だめな父親を支えに現れたー<br>じつによくできた話だ。そうであってくれればどんなに素晴らしいだろう。とも思った。<br>まあいいか。こいつが何者であるかは、いずれ本人の口から明かされることになるだろう。あわてることなど何もない。たしかなのは、こいつと一緒にいれば、自分が少しずつだが変わっていけるということだ。もちろんまともな人間に、だ。それだけで十分じゃないか。拓実はそう思った。・・・・・<br><br>「拓実さん」トキオは唾を飲んだ。「ここでお別れだ」「えっ？」「ここまでだよ。短い間だったけど、俺、楽しかった」「何をいいだすんだ、おまえ」「拓実さんと一緒にいられただけで、俺は幸せだった。いや、この世界で会う前から、そう思ってた。今の拓実さんと会う前だって、俺は十分に幸せだったよ。生まれてきてよかったとおもってる」「トキオ、おまえ・・・・・」　トキオは何かをこらえるように唇を噛んだ。そしてゆっくりとかぶりを振った。・・・・・<br><br>「だから、俺自身、ずいぶん長い間忘れていたんだ。いや、忘れていたというのは、正確じゃないな。記憶の表面に出てこなかった、というべきかな。時生が入院するようになって、もう助けようがないと思った頃、不意に頭に浮かんだ。だけど、君にどう話しをしていいかわからなかった。俺の頭までおかしくなったと思われそうだからな」宮本は苦笑して妻を見た。<br>「信用するかい、こんな馬鹿げた話を」麗子は真っ直ぐに夫の目を見返してきた。「信用する」「そうか」宮本は頷き、吐息をついた。「時間というものがどんなふうになっているのか、俺にはよくわからない。もしかしたら時生のように、いくつかの魂は時間を飛べるのかもしれない。そうして未来から来た魂の助けを借りて、人は歴史を築いてきたのかもしれない」<br><br>投稿者：蘇る青春<br>投稿日：2011年10月 5日(水)12時53分3秒
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<link>https://ameblo.jp/dousoumiya/entry-11041814789.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Oct 2011 12:53:03 +0900</pubDate>
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<title>大人の流儀 伊集院静</title>
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<![CDATA[ <table border="0" cellspacing="2" cellpadding="1" width="100%"><tbody><tr><td valign="top" align="left"><span class="Kiji_Created">　　　　　<font size="5">読書あれこれ　その５１<!-- Remote Host: p7223-ipbfp201wakayama.wakayama.ocn.ne.jp, Time: 1316330316 --></font></span></td><td valign="top" width="80" nowrap="true" align="right"><nobr><span class="Kiji_Editlink"><font size="1"><br></font></span></nobr></td></tr></tbody></table><div class="spacer"><font size="1"><br></font></div><table border="0" cellspacing="2" cellpadding="1" width="100%"><tbody><tr><td valign="top" width="60" align="center"><font size="1"><br></font></td><td valign="top" align="left"><p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3"><font color="#fa8072" size="6">「大人の流儀」</font></font><font size="5">伊集院　静著</font></span></tt></p><tt><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ ゴシック', sans-serif; FONT-SIZE: medium" class="Kiji_Article"><font size="3"><p><br>伊集院静のエッセイ集。彼のポリシーと共感できるところを拾い上げてみる。<br><br><font size="4"><strong>＊大人が人を叱るときの心得</strong></font></p><p><br>パワーハラスメントなる言葉があったりして、言い方にも注意が必要だという。－あまりガミガミ言って嫌われるのもナ・・・・・。　イジメと思われてもナ・・・・・。<br>　この頃は、さまざまな理由で職場の中で怒る人が少なくなっている。”それは断じて違う”<br>　・怒りなさい。　・叱りなさい。　・どやしつけなさい。<br>言い方に気を配ることなどさらさら必要ありません。あなたの言葉で、ダメなものはダメだと言いなさい。<br>　「何をやっているんだ」「仕事を何だと思ってるんだ」「そんなこともできんのか」<br>社会というものは、学校とも、サークルとも、家庭とも・・・・。まるで違う場所であることを教えなさい。<br>それで新人が、「そんな言い方は・・・・」「そんな理不尽な・・・・」</p><p>と思うなら、それで結構だと、私は考えている。私は、人が社会を知る、学ぶ上でのいくつかの条件のひとつは、”理不尽がまかりとおるのが世の中だ”ということを早いうに身体に叩き込むことだとおもっている。</p><p><br><font size="4"><strong>＊大人の仕事とは、なんぞや</strong></font><br></p><br><p>ただ金を儲けるだけが目的なら企業とは呼べない。企業の素晴らしい点はそこで働く人々の人生を背負っていることだ。<br>当然人々には家族があり、そこには未来が（子供たちのことと考えてもらっていい）かがやいている。それらのものをすべてかかえ、なおかつ企業は社会をゆたかにし、人々に何らかの貢献をしていなくてはならない。<br>若い人たちは給与で企業を判断するが、己の半生を預け、そこで懸命に働くことが人間形成につながるかということこそが肝心なのだ。</p><p><br><font size="4"><strong>＊敗れて学ぶこともある</strong></font><br></p><br><p>高校野球の宮城大会の決勝戦は、仙台育英高校対気仙沼向洋高校であった。バケツ雨で試合は二度中断した。それはしかたないとしても、最終スコアーが、なんと２８対１である。ここまで点を取って勝つのは、まぎれもなく間違いである。<br>シード校がこんな試合をして・・。いやシードだからこうなる。今のシード校の選手は大半がスカウトされ越境入学してきた選手である。同県の対戦相手に幼馴染はいない。いれば、－もう勝負は決した。あとは対戦相手にもいいゲームにして欲しい。と願うものだ。　それが男のスポーツだ。</p><p><br><font size="4"><strong>＊大人はなぜ酒を飲むのか</strong></font><br></p><br><p>若い人に無理に酒を飲みなさい、とは言わない。体質もあるだろう。自分が二日酔いで苦しんでいる時など、酒のない国に生まれりゃよかった、とおもうこともあるくらいだ。<br>上司や、恩師、仲間と過ごすのに酒が話の潤滑油になるのも本当だろう。<br>しかしそんなことではない。私が酒を覚えていたことで一番助かったのは、どうしようもない辛苦を味わわなくてはならなかった時、酒で救われたことだ。<br>眠れない夜もどうにか横になれた。どんな生き方をしても人間には必ず苦節が一、二度むこうからやってくる。それがないのは人生ではない。人間は強くて、弱い生きものだ。そんな時、酒は友となる。</p><p><br><font size="4"><strong>＊あなたが生きているだけで・・・・・</strong></font></p><p><strong><font size="4"><br></font></strong><br></p><p>”五風十雨（ごふうじゅうう）”これは農作業に適した天候のことを表す言葉で、五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ることで、これが普通の天候だという意味だ。<br>この天候の順調さを喩えに、今、天下は太平に治まっているの意味となり、細かいことに憂いを持たず悠々といきればいいとの教えになっている。</p><p><br><font size="4"><strong>＊喧嘩の勝敗は覚悟で決まる</strong></font><br></p><br><p>一家の食卓で、いくら子供は食べ盛りでも、家長と子供が同等ではおかしいのではないか。家庭の中で妙な平等を教えるから、世の中に出た時、社会までが平等と誤解してしまう。<br>懸命に働いて帰ってきた家長の晩酌のビールがいつも発泡酒ではおかしいのではないか。きちんとしたビールを出せ。きちんとしたウィスキーを出せ。<br>子供の記憶にきちんと植えつけるのだ。「オヤジ（パパでもいいが）いい酒を美味そうに飲んでるな」<br>－当たり前だ。ワシは働いとるんだ。つまり物の値段とは正当な労働と同じ価値のものなのだ。</p><p><br></p><p><font size="4"><strong>＊墓参りの作法</strong></font></p><p><strong><font size="4"><br></font></strong><br></p><p>或る時、家族思いで有名な黒岩さん（作家の黒岩重吾氏）に盆、正月の過ごし方を訊いたことがあった。<br>「馬鹿者、作家に盆も正月もあるか。そんな時、働かんでいつ働くんや」　－なんだ、そういうことか。<br>「盆は恩師、先輩の墓に行け。それを欠かしたらあかん」<br>今春、私は和歌山に黒岩さんの七回忌に出かけた。墓参が果たせていなかった。<br><br>命日の朝と書いた。これは肝心なことである。<br>墓参、もしくは故人に手を合わせるのは昼までにすませる。午後になれば時間の吉凶が悪くなる。時刻の柄がよくない。<br>これは守った方がいい。　夕刻、墓参りに行くのは年寄りや寺の者に見つかると忌を抱かれる。幽霊も出るしね。</p><p><br></p><p><font size="4"><strong>＊大人が葬儀で見せる顔</strong></font><br></p><br><p>葬儀に出席したら大人の男はどんな顔をしておくのか。式の長い短いはあるが、その間中、故人との思い出をずっと思い起こしておけばいい。嘆くもよし、笑うもよし。それが人を送ることだ。<br>通夜は早く行って、早く引き揚げる。それでなくとも家族は疲れているのだから。残された者を労（いた）わる。<br>相手はもう死んでしまってるのだから・・・・・。<br></p><p><font size="4"><strong><br></strong></font></p><p><font size="4"><strong>＊愛する人との別れ</strong>　　～妻・夏目雅子と暮らした日々</font></p><p><font size="4"><br></font></p><p>夏目雅子との出会い、闘病、死別について綴られている。<br>これまで伊集院静は夏目雅子について執筆の依頼がたくさんあったが書いてこなかった。<br>むしろ、冷静に文章を書けなっかったのが本当のところである。<br><br>親しい方を亡くされて戸惑っている方は多いでしょう。私の経験では、時間が解決してくれます。だから生き続ける。<br>そうすれば亡くなった人の笑顔を見る時が必ずきます。<br>最後に、数年前に観た映画でのチェチェンの老婆のせりふを紹介します。</p><p><br>「あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終りがあるのよ」</p><br></font></span></tt></td></tr></tbody></table><p>投稿者：<span class="Kiji_Author"><font color="#555555" size="3"><strong>蘇る青春</strong></font></span></p><p><span class="Kiji_Author"><br></span></p><p><!--/投稿者名--><span class="Kiji_Created">投稿日：2011年 9月18日(日)16時18分36秒</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/dousoumiya/entry-11026297009.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Oct 2011 18:49:20 +0900</pubDate>
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