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<title>草ボールマンのブログ</title>
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<title>2024年は能登半島地震から</title>
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<![CDATA[ <div><p>　1月1日の16:10分頃だった。岐阜と名古屋の中間あたりで緊急地震速報が入った。能登半島地震だった。2時間前までいた高山で震度5弱、加賀市の友人に連絡を取ると「無事だが震度5強だった」という。直前観光にまわった白川郷では白川インター以北は通行止め。震源地に近い場に居ただけで一層の悲劇性が感じられた。</p><p>　帰宅後は本年度脱稿予定の「ベースボールと野球を繋いだ男」（故今里　純先生の記録）の準備に追われる日々だったが、夏の北京少年野球団の訪日（西脇市へやってくる）の件で神戸市のＳさんと西脇市役所、「青年の家」等を尋ねる動きもあった。もちろんわたしは「個人」の資格で協力をしている。「プレッシャーのかかる一年だぞ」と覚悟をしている日々だ。</p><p>　さらにはスポーツ文化とまちづくりの探求も課題だ。昨日は京丹後市と出石を訪問した。小雨の中の丹後、但馬を巡るのどかな旅だったが、同行した（株）ヘソノオ・パブリッシングの代表・越川さんがFacebookに投稿された文章がすべてのポイントを網羅しているので拝借をして紹介させていただきたい（無断なのだが）。</p><p>★西脇の野球・スポーツ文化振興に長年尽力されている竹本武志さんの案内で西脇出身の研究者でご帰郷中の山口直樹さんと3人で、京丹後市網野町にある「野村克也ベースボール・ギャラリー」と豊岡市出石町の「出石明治館」内の「大友工投手展示室」を訪れました。<br></p><p>　山口直樹さんは評論誌『葦牙ジャーナル』にて「野村克也監督への手紙」を寄稿され、その中で西脇の野球人・野球関係者と野村克也さんとの不思議な縁について綴っておられます。</p><p>　網野の生んだ偉大な野球選手でありID野球を掲げ監督としても卓越した業績を遺した野村克也さんのギャラリーは地元の名産物も販売する「丹後地域地場産業振興センター」内にあり、数々のトロフィーや子ども時代からの写真や遺品の展示が、大切に年代順にぎっしりと並べられていました。</p><p>とりわけ、「歓迎三冠王」、野村選手が戦後初のプロ野球の三冠王に輝いた昭和38（1963）年に凱旋帰郷した際に撮られた、手づくり感あふれるパレードの模様を写した写真に、心温められました。ヒーローを迎え入れる故郷の人たちの素朴で喜色満面な顔・顔・顔…。</p><p>　職員の方とも応接室で歓談させていただき、遠くからの来館者も多いことを聞き、野村克也さんの存在を末永く地域の誇りとするべく取り組まれている様子が伺えました。</p><p>　一行は一路出石へ。老舗店で美味しい出石そばをいただいた後、旧出石郡役所だった明治20年築の洋館を活用した「出石明治館」へ。</p><p>こちらは出石が輩出した偉人たちを讃え、その功績を紹介する記念館で、その中に戦後に活躍した巨人の名投手大友工の展示室もあります。</p><p>また大友投手のピッチング・フォームを模った等身大のブロンズ像が地元の総合スポーツセンター野球場入り口に設置されているとのこと。</p><p>　こうして、地域の・まちの、優れた先人の遺したものを財産として共有し記憶を継承してゆくための展示の場があることに、大きな感銘を受けた私でした　★</p><p>　出石では玄関に「桂小五郎隠棲の地」と碑が建つ「よしむら」で皿蕎麦を食べたのだが、「3人は勤王の志士だね」と、わたしはふたりに笑いかけた。考えや立ち位置は異なっても、研究やまちづくりには共通の熱い思いを内包している。清潔な空気が流れる中で「いい人たちとのめぐり逢い」に感謝した。</p><p>　いよいよ、大リーグのコミッショナーと文通し、名選手ウィリー・メイズ（元SFジャイアンツ外野手）の歯の治療も行っていた故・今里　純氏の業績に取り掛かる。今里先生といっしょに、わたしもアメリカの野球を楽しみたい。先生の人生や業績を描くことは、アメリカに憧れて現地を経験した自分の半生を表すことでもある。しかし、能力の限界も・・・やれるかな。</p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<pubDate>Thu, 11 Jan 2024 10:10:05 +0900</pubDate>
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<title>野球国際交流の町・西脇市</title>
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<![CDATA[ <div><p>　タイトルは市が打ちだした標語ではない。「そうあればいいのに」と願う有志の造語である。2023（令和5）の年の瀬はまさに「国際交流」の中で新年を迎える動きとなっている。</p><p>　一つは出版の動き。戦後の日米交流を陰で支えた故・今里　純氏（歯科医）の野球界への貢献を評伝として記録しようとする企画が持ち上がった。西脇市で出版社（株）ヘソノオ・パブリッシングを立ちあげたＫ氏の企画だ。彼の登場によって英文の資料が解読され始めた。</p><p>　「今里先生は米国の要人とつながっていますね」と、Ｋさんが言う。彼が主宰した「古本市」では英語に詳しい女性に出会った。国際結婚の彼女は西脇中の卒業生で、当時の面影を残した表情で「ソフトボール部のマネージャーだったからスコアも書けます。野球は大好きです」と協力を約してくれた。そうこうする中で今里資料の価値が明らかになりつつある。</p><p>　「日米野球史」（波多野　勝・PHP新書）の一節を借りると、終戦の年、昭和20年8月下旬鈴木惣太郎は築地の読売新聞社に正力松太郎を訪ねてプロ野球復活を進言した。鈴木龍二も「アメリカは占領政策に野球を使ってくる」と確信し、正力にプロ野球復活を訴えたとある。今里　純は「プロ野球生みの親」鈴木惣太郎の「薫陶を受けた。彼はテレビの解説中たびたび今里の名前を呼んでいた」のだ。後のセ・リーグ会長、鈴木龍二とも親しかった。</p><p>　当時、新橋駅近くのビルにある仙台製作所に「日本職業野球連盟」の看板がかかっていて、そこには小西得郎（戦前の大東京軍監督）がいた。鈴木惣太郎は小西得郎に面会を求めている。今里資料には、甲子園球場と思しきスタンドで小西得郎と観戦する写真がある。小西得郎の自画像を描いた色紙もある。達筆である。わたしたちの世代は彼の解説を真似たものだ。「えぇ、なんと申しましょうか」。</p><p>　彼らがプロ野球復活の立役者だとしたら、今里　純は戦後の日米交流の「影の恩人」なのではないか。出版社Ｋさんとわたしの「たたかい」が幕を開けた。もう逃げられない。戦後の野球日米交流大舞台の幕を開けなければならない。その流れの中に野茂英雄がいて、イチローがあり、大谷翔平へと続く歴史がある。</p><p>　もうひとつの国際交流は「日中の交流」だ。来夏、北京から小学生（軟式野球）、中学生（硬式野球）が50名ずつ（保護者も混じっている）×5グループ、約計250人が順次やってくる。神戸の親しい知人（先輩だが）が「ぜひ西脇でやってもらいたい」と話を持ってきた。わたしは内密に行政関係者に打診した。今の日中関係は見方によっては厳しい。「西脇市はなぜ施設を貸すのか？なぜグラウンドを提供したのか？」と抗議を受けないだろうか。</p><p>　「だって子どもたちの交流じゃないですか。市内の施設を使用して、ホテルにも、青年の家にも宿泊してくれれば、市にとってもウェルカムですよ」。そう言ってくれる人もいた。「日中青少年野球交流企画～北京市野球協会～」と題された冊子には、主管：一般社団法人日中文化観光交流協会」、協力：NPO亜細亜文化藝術交流基金会」と書いてある。</p><p>　先日一行3名が西脇市の各施設を訪れている。一人は北京から。宿舎や野球場をスマホで撮影し解説を入れていた。もちろん中国語で。スポーツビジネス界で働く次男によると「中国人は楽しく、いい人間が多いで。政府のイメージとはちがうわ」とのこと。具体的な動きは年明けとなるが、神戸の先輩は信頼できる人物だし、彼のいう「これが成功すれば半永久的に西脇市を舞台に日中の野球交流が続きますよ」ということになれば、日中関係の改善とともに西脇市の先駆性が脚光を浴びる？</p><p>　昨日は兵庫県軟式野球連盟の理事長、元理事長たちと「モーニング忘年会」を持った。お土産もいただいて、ビールならぬコーヒーで互いの健康と、来年の「かわらぬつきあい」を確認して別れた。来年も忙しくなる。三田プリンスからは1月からの練習日程が配信され、兵庫県還暦野球連盟は来年度の全試合日程を発表した。</p><p>　28日は姫路で新しいパスポートを受理する予定である。出版社Ｋさんの登場によって新たな刺激を受けてのパスポート申請であることは間違いがない。2024年も健康でがんばらなくっちゃ。そうだ、来シーズンの古希野球では「チェンジアップ」を必ずマスターするぞ。</p><p>　</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>　</p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12833754575.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Dec 2023 10:16:00 +0900</pubDate>
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<title>日記風に「12月に入って」</title>
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<![CDATA[ <div><p>　12月3日（日）に「第11回鈴木啓示　草魂カップ学童軟式野球大会」二日目が無事終了した。ベスト4に西脇軟式野球協会所属の4チームが残って、次週の準決、決勝で熱戦を展開する。それからの動きを日記風に追ってみた。</p><p>①　12月3日（日）</p><p>　審判団へのお礼もそこそこに帰宅。同じ町内出身で今は羽曳野に住むＴさんと自宅近くの居酒屋へ。年に一度の顔合わせ。彼は大阪商大陸上競技部出身で全日本学生（インカレ）の800m決勝を走る優れたランナーだった。歳はわたしよりひとつ上。町対抗野球の練習や川泳ぎを楽しむ幼馴染の仲間だった。Tさんたちは毎年12月初旬に西脇工業高校陸上部のOB会を持つ。その際、滞在を1日延長してわたしと飲むのを楽しみにしてくれる。会うだけで自分を少年時代へ引き戻してくれる存在なのだ。ほとんどの仲間は故郷を出ているから、わたしには貴重な人である。</p><p>③　12月4日</p><p>　来シーズンに向けて練習を再開する。ウォーキング＆ピッチング。近所の「憲法9条の会　にしわき」世話人の、これまた町対抗野球時の先輩Ｍさんから「あんたも一度スポーツと平和」をテーマに文章を寄稿してくれないか」といわれ、悪戦苦闘の800字を綴った。内容は全く自信なし。6～7日は「ベースボールと野球を繋いだ男」（大リーグ研究家の故・今里純氏評伝）を書くための資料整理に追われる。</p><p>④　12月8日（金）</p><p>　17:00、西脇ロイヤルホテルに鈴木啓示さん（プロ通算317勝の殿堂入り名球会投手）を迎え、実行委員のＳさんと3人、軽い食事の会を持つ。鈴木さんの実家のすぐ近くの店で、昔を振り返りながらワインを少し楽しんでおられた。3人のつき合いも11年目となって、互いの腹の中をさらけ出せる仲になっている。</p><p>⑤　12月9日（土）</p><p>　「草魂カップ」の最終日。地元チームの熱戦に時間の経過が早い。すばらしい天候だ。大会は地元、西脇市の「西脇野球スポーツ少年団」三度目の優勝で閉会式へ。この日は西脇高校女子マネージャー2名がアナウンスを担当して、大会に花を添えてくれた。さすがに疲れた。全員が心地よい疲労感に包まれた西脇公園野球場で、鈴木さん、Sさん（スポニチ記者）Iさん（デイリースポーツ記者）、Yさん（元神戸新聞局長）そして元プロ野球審判の福井さんをお送りしたのは午後４時過ぎだった。西脇市の遠藤教育長も顔を見せ、学童の元気さに感動しながら審判、役員諸氏に頭を下げていた。教育者らしい姿勢に好感度アップ。ありがたい。</p><p>⑥　12月10日（日）</p><p>　兵庫県軟式野球連盟の理事会出席のため、午前7:40自宅を出発。途中ヴェテランの理事長を乗せる。向かうは「元町まちづくり会館」（神戸市）。選手登録方法の変化（野球ねっとによるパソコン操作）と、個人登録費徴収（一般各200円、少年、学童は各50円）の混乱？で会議がやや紛糾。大きな組織運営はなかなか難しいのだ。各理事さんとは「よいお年を」とあいさつをして、元町商店街の「サントス」でパンケーキを食べた（並ぶこと20分）。柔らくなっていてちょっとがっかり。</p><p>　そこからひとり、三田市へ車を走らせる。その夜は還暦・古希野球「三田プリンス」の納会が予定されている。17:00まで時間があったので「有馬富士公園」を歩くこと約1時間、古希野球の投手はじっとできないのだ。汗ばんだ。しまった着替えがない。料理店「Ｓ］の席に着くと、先日「吉田正尚ファンクラブ」の集いで福井県へ行ったＭさんから吉田選手の名がプリントされたＴシャツをいただいた。すぐに着用、「これで風邪をひかずに済むわ」と一安心。軽トラに「RED SOX」と大書している丹波篠山のＭさん、吉田ファンの間では超人気者である。ありがとう。しかしノンアルではどうも納会にそぐわない。早めの退席で帰路に着く。</p><p>⑦　12月11日（月）</p><p>　草魂カップの礼状を18通整えた。礼状を書き、宛名も入れて、結果表も同封すると肩が凝った。翌12日（火）に投函してホッと一息。ちょっと疲れたか。</p><p>⑧　12月13日（水）</p><p>　10:00　西脇ヘソ公園の喫茶店で待ち合わせ。神戸から野球の先輩が来西。夏に中国から延べ約200人の学童、中学生が野球（甲子園の観光なども含めて）にやってくるので「西脇市で引き受けてもらえたらありがたい。地域活性化に活用できるのでは」とは先輩Ｓさんの言葉。「西脇青年の家」、「加美町青雲の家」や西脇公園野球場を順に廻って、宿泊施設の空き状況や野球場の写真をチェック。中国への市民感情や、文化の違いなどもしっかり考慮に入れながら今後すすめていこうと相談。レンタカー会社や旅行者へも渡りをつけた一日。</p><p>とまあ、こんな日々を過ごしているが「忙しいことはいいことだよ」と言ってくれる人もいて、あと1年は、古希野球選手、軟式野球協会理事長、スポーツライターとして努力しようと決めている。2年後は、全て忘れて一か月、娘と孫のいるポートランド（オレゴン）でゆっくりと過ごしたいものだ。そうしないと妻の健康、体力がアメリカ行きに耐えられなくなるし、子どもたちから「自分勝手な人間や」と非難されるばかり。</p><p>　そんなことを考えながらブログを更新した今、今年出会ったすべての人たちに感謝の気持ちを表しながら、「みなさんのご健康と、世界の平和を祈念して、よいお年をお迎えください」。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12832520903.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Dec 2023 15:50:37 +0900</pubDate>
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<title>草魂カップ速報</title>
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<![CDATA[ <div><p>&nbsp;2日の18:00、西脇市のイタリアンで食事を共にしたとき、プロ野球通算317勝のレジェンドは「わたしは不器用で、真っすぐなだけの男なんですよ、その良さも至らなさもこの人は全部知っていてくれる」と、隣のスポニチ経営企画室のWさんを称えた。「鈴木番」記者としての付き合いから、その職を離れてもずっと変わらぬ関係を保っているお二人に「きれいな関係ですね」とわたしは感想を述べた。</p><p>　鈴木さんは逆に「坂部さん（市議）と竹本さんの関係こそすばらしい」といい、お二人のおかげでわたしは活かされていると励ましてくれた。赤のグラスワインを片手に楽しそうに笑う史上4位の「最後の300勝投手」鈴木さんを前に、4人の信頼関係の深まりを実感し、11年間の歩みを感慨深く振り返るのだった。</p><p>　3日夜にK市の軟式野球協会理事長からうれしいメールが入ってきた。次のような内容だった。「残念ながら初戦敗退でしたが、両チーム（2チームが参加していた）の指導者・保護者からは、"すごくいい大会に参加させていただいて、選手だけでなく全員いい思い出となります”　と連絡が来ました。残りの日程の無事と盛会を祈ります」。選手だけでなく、保護者や監督・コーチにとっても良い大会だったのだ。主催者冥利に尽きるありがたい大会評である。</p><p>　その大会とは元近鉄バファローズの投手・監督だった西脇市出身のレジェンドの名前を冠した「第11回　鈴木啓示　草魂カップ学童軟式野球大会」（主催：実行委員会　主管：西脇軟式野球協会）のこと。後援は、西脇市、西脇市教育委員会、西脇市スポーツ協会、（公財）西脇市文化・スポーツ財団、神戸新聞社、スポーツニッポン新聞社。協力は北播少年野球連盟。協賛はダイワマルエス（株）、（株）共同写真企画。地域が総力を挙げて取り組んでいる大会といえる。</p><p>　前日の1日、4会場の準備を行った。白線引き、入場行進のためのポイント打ち（カラーコーンも並べて）、放送設備の設置や横断幕のくくりつけなど、地道な作業が進む。きれいに整えられた緑が残る外野の芝や、内野の黒土に目をやりながらベースを固定していると、日本の子どもたちの幸せを感じる。片や生命の危険と隣り合わせで生きている、ガザやウクライナの子どもたち。野球を「大いに楽しんでほしい」と願いながら準備をしていた。</p><p>　当日の朝（12月2日）審判団と役員は午前時に西脇公園野球場に集まった。上空は星空、霜が降った朝は寒い。他支部から応援の審判3名も駆けつけて午前8:30には開会式が始まった。県下32チームの入場行進。団旗やユニフォームがカラフルで、明るい雰囲気の中でセレモニーが進み、優勝旗返還になると名誉大会長・鈴木啓示さん（通算317勝の殿堂入り投手）がひとりひとり握手をして頭に手を添えたり、言葉をかけたり、草魂カップならではの光景が見られた。</p><p>　大会は西脇公園野球場など4会場で1,2回戦が行われてベスト4が出そろった。大差で敗退するチームもあるが、大会を愉しむことこそ今大会の趣旨であるから、勝っても負けても楽しんでいただくことに意義がある。だから「いい大会」なのだ。9日（土）最終日には西脇軟式野球協会の4チームが優勝をかけて競うことになった。まったくの偶然なのだが、協会のまとまり、雰囲気の良さがこの結果を生んだのだろうと思うことにした。</p><p>　いや、大会期間中は欠かさず西宮市向陽園の自宅からかけつける鈴木さんの子どもたちへの姿勢が地元勢を後押ししたのかも知れない。協会審判団、役員そして鈴木さんとの信頼関係の深化に感動した二日間だった。</p><p>　</p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12831257485.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Dec 2023 20:12:56 +0900</pubDate>
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<title>「スポーツと平和」</title>
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<![CDATA[ <div><p>　町内に地域で憲法「九条の会」活動を行っている先輩がいる。大学4年時にはその先輩の下宿へ遊びに行ったことがあって、武蔵野の面影が残る道を散歩した思い出が懐かしく思い出される。その人から「ひとつスポーツと平和をテーマに文を寄稿してほしい」と依頼された。引き受けはしたが、ハタと困っている。いざとなると何を書こうかと迷う。</p><p>　確かにわたしが生きがいを感じている古希野球も世の中が平穏であるに限る。コロナ禍では2年間公式戦が中止となった。人生の大事な時間を奪われたように感じた。そのことで引退に追い込まれた選手もいて、スポーツは世の中の流れに逆らえないものなのだと思った。平穏な社会あっての野球だ。</p><p>　その古希野球は27日（月）をもって今シーズンが終了した。東西地区1位による決定戦は2-11で大敗だった。わたしの不調が原因。姫路は強かった。試合の流れを引き寄せるときに、わがチームにボーンヘッドが出たり、姫路にはラッキーな打球が多かったりと、実力に大きな差はないのだが、勝つだけの力はなかった。また勉強して出直しだ。チームの人たちに感謝しながら、シーズンの疲労が溜まった重いからだを引きずって帰宅すると、ネットのニュースに以下のような記事が出ていた。</p><p>　☆東京五輪の招致をめぐり、石川県の馳浩知事が「IOC委員に贈答品を渡すために官房機密費を使った」と口を滑らせてしまった問題が波紋を広げている。ラグビー元日本代表で神戸親和大教授の平尾剛さん（48）は28日、X（旧ツイッター）で「スポーツだけをやってればいい時代は終わりました。アスリートも社会に目を向けて」と、警鐘を鳴らした。それに対して読者というか一般ユーザーから「気になるのは現役の選手達がまるで無関心なのか沈黙していること。言いたくても言えないのか、それとも何が悪いのか全く分かっていないのか」とのコメントが寄せられた。 とのこと。平尾さんの返信は「スポーツだけをやってればいい時代は終わりました。アスリートも社会に目を向けて、いま、なにが起こっているのかを知らねばなりません。スポーツが消費されないように、自衛しなければならないんです」と述べている。☆　（これは29日配信の中日スポーツによる）</p><p>　世の中一般に、スポーツ選手が何か言うと「スポーツに政治を持ち込むな」といった反論が必ず出るし、大学紛争の際には体育会系の学生が抑えに回ったこともあったし、スポーツ関係者は社会問題に疎い傾向はあると思う。何かに利用されやすいかもしれない。しかし世の中はどんどん変わってきている。ジェンダー平等にしても、性の多様性を認める動きにしても、特に女性や若い世代の中に変化が起きている。それはやがてスポーツ界にも影響を及ぼして、選手たちが堂々と自らの意見を主張する時代が来るだろうと予想する。</p><p>　それはまだまだ先のことかもしれない。プロ野球選手がパワハラで自由契約になったり、女性への乱暴で出場停止になったりしているから時間はかかるだろうが、スポーツ界も変化せざるを得ない時がすぐそこに迫っているはずだ。変わらなければ世の中から取り残されるだろう。スポーツを愛する古希野球選手としては、社会に向かって声高々に主張しなくても、スポーツができるありがたさをかみしめながら周囲の人たちに接していきたいものだ。</p><p>　また今年もシーズン・オフがやってきた。私的には休む間もなく二日後には「第11回　鈴木啓示　草魂カップ学童軟式野球大会」が開幕する。明日はプロ通算317勝の殿堂入り投手、元ミスター・バファローズの鈴木　啓示さんを西脇ロイヤルホテルに迎える。県下32チームの学童に、平和な時代に野球ができる幸せをかみしめてもらいたいと思っている。主催者として。</p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<pubDate>Thu, 30 Nov 2023 18:39:18 +0900</pubDate>
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<title>「生涯現役」とは言うけれど</title>
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<![CDATA[ <div><p>　古希野球の公式戦（二試合目の交流戦も含む）が終了した。兵庫県還暦軟式野球連盟登録の12チームを東西に分けてのリーグ戦。小雪がちらつく1月末に練習を開始し、2月には練習試合をふたつこなして3月6日に開幕を迎えた今シーズン。季節は冬から春へ、史上初の猛暑を経て短い秋の季節となって、いつしか寒気の中での終盤戦。</p><p>　昨日11月20日（月）は三田駒ヶ谷公園野球場へ「尼崎ポパイ古希クラブ」（以下、尼崎）を迎えての最終戦。野球経験者の多い尼崎は強いはずなのに、なぜか今年は4勝5敗2分け。遠征などは人が集まらないとは聞いているが、それにしても不思議だ。片やわが三田プリンスは10勝1分けの負けなし。となれば全勝で終えたいところ。だが尼崎は強かった。3人の投手を繰り出して目先をかわすのだが、3投手ともに四球はゼロ。三田を4安打に抑えた。</p><p>　右足の故障がほぼ回復しているわたしはセットポジションからの投球フォームが完成し、深く握るカーブが有効で、こちらもゼロ行進。7回を終えて双方無得点で0-0の引き分けとなった。「古希でこんないい試合なかなかないよ」皆がそう唸った好ゲーム。「うちは出来すぎだ」（尼崎の捕手談）。試合後のあいさつには特別の感情が湧いた。「来年また会いましょう」と両チームの笑顔が清々しい。三田10勝2分け、尼崎4勝5敗2分け、満足の最終戦だった。</p><p>　負けなくてよかった。責任を果たせたエースの全身は充実感でいっぱい。これもメンバーがいてこその話し。人がいて、組織があって、全員の協力があっての古希野球だ。人はかっこよく「生涯現役」でいようと口にするが、その過程は「艱難辛苦」の舞台裏も存在する。わたしは人に恵まれているのだ。</p><p>　「人に恵まれている」といえば、今回出版の企画を提供してくれたＫ氏もまた、わたしを「生涯現役」へ誘ってくれている。11月10日の四者会談で合意を得た企画とは。「今里　純氏　書籍　企画書」のこと。内容は以下のとおり。</p><p>・タイトル（案）　</p><p>ベースボールと野球を繋いだ男</p><p>・帯　案　　　　　</p><p>日本のDr.イマザト、この実況が聞こえるかい？Can you hear this&nbsp; game ,&nbsp; Dr,Imazato？&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 戦後まもなく、兵庫の田舎町・西脇で進駐軍向け短波ラジオの大リーグ中継に熱中したひとりの歯科医師。大リーグ関係者にその存在が知れ渡り、日米両球界の架け橋となった今里　純。錚々たる伝説の野球人たちが続々と登場し、知られざる昭和の一大プロ野球史をここに・・・。大リーグに関する、3000点に及ぶ歴史的な「今里コレクション」の中から厳選、カラー32ページで公開！！</p><p>　Ｋ氏の慧眼に驚く。自らサッカーのプレミア・リーグ観戦にスペインへ赴き、ワールド・カップへも足を延ばした感覚が今里　純氏を捉えたのではないか。取材先候補には、王貞治、吉田義男、丸山完二、鈴木啓示、三好一彦氏などが。取材地候補には、甲子園歴史館、野球殿堂博物館、さらにはアメリカ野球殿堂博物館（NY州クーパーズタウン）やデトロイト・タイガースが浮かんでいる。そして帰路は自然豊かなポートランド（オレゴン）で西脇市出身の知人に出会おうと、Ｋ氏とわたしは意見が一致した。</p><p>　野球も研究も出版も、一人ではできない。志を同じくする人によってこそそれが可能となる。「生涯現役」への歩みはだからこそ価値があるのだろうと思えるようになった。まだまだ気力をなくしたり、物忘れをしたりできないのだから、先を見据えて努力努力の日々を送ろうと決意する、古希野球投手であった。</p><p>　　　　　　　　　　　</p><p>　　　　　　　　　</p><p>　　　　　　</p><p>　</p><p>　</p><p><br></p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<pubDate>Tue, 21 Nov 2023 11:32:28 +0900</pubDate>
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<title>あの頃学校は熱かった</title>
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<![CDATA[ <div><p>　わたしと卒業生を結び付けたのはF先生だった。2月5日（日）F先生のお通夜でN君夫婦と出会った。二人は西脇南中学校の卒業生である。Nは野球部、K（旧姓）は水泳部、ともに学年では目立った存在だった。「オレ、今でも先生と出会ったら怖いわ」（N談）と周囲に漏らしていた彼と、奥さんはお通夜の受付に居るわたしに向かって「先生、一度飲みたいわ」と儀礼上のあいさつをして帰っていった。Ｎは再婚でＫさんは初婚。懐かしいふたりである。</p><p>　最近まで子どもの野球を通して付き合いのあったＩ君から電話があったのは10月中旬の頃。「先生、Ｎ夫婦が飲みたいといってますけど」4人で会いませんかといってきた。彼らは本気だったのだ。もちろん承諾した。しばらくするとＩから再度の連絡が。「人数増えたから場所を変えます。11月3日の18:00、ギョーザの〇〇へ来てください」と。「どうせワルばっかりやろな、了解」。そしてその夜、和室のふすまを開けると。</p><p>　野球部からは4人。Ａ君は長身のアンダースロー投手。ライパチ（ライトで8番打者の意）のいつもひょうひょうＮ君。わざわざ広島から「もみじ饅頭」のお土産持参で帰省してくれたのはまじめだったＫ君。彼は東播大会準決勝でサヨナラ勝ちに導くヒットを打った。さいごは、頭にそり込み入れたりタバコを吸ったりしていたが野球センス抜群だったＮ君。陸上部からは世話人のＩ君と旧姓Ｋさん（神戸で飲食２店舗経営）、ソフトボール部の投手だった旧姓Ｈさん、そして水泳部だった旧姓Ｋさん（現Ｎ君の妻）。わたしを入れて計9人の宴会となった（二次会で野球部だったＫ君が登場した）。</p><p>　文化祭で壇上をローラースケートで走ったことや、先生たちに叩かれた痛い思い出が飛び出る。「うちの家でタバコを吸っていて、場所提供の責任で叩かれた」などなど。「野球部厳しかった、宝殿中（加古川市）、岩岡中（神戸市）、社中（加東市）へ合同練習や試合に行って、怒られてばっかりで」。「もう今やったら大問題になるでぇ」と全員が笑う。そう笑っているのだ。彼らはいう。「理不尽な叩かれ方じゃなかったから」と。だから恨んではいないという。思えば当時の先生たちは幸せだった。こういう生徒たちがいて、思う存分、体当たりで生徒たちに向かって行けた（もちろん反省点は多々あるのだが）。</p><p>　「とにかく西脇中に負けたくなかった」。大規模校をやっつけるのだと南中野球部は猛練習をやった。やはり思い出話はそこへ落ち着くか。夜11時となって9人は別れたが、卒業生との語らいはすばらしく爽やかな時間だった。こういう有志の同窓会は楽しいものだ。</p><p>　彼らとは当時のアルバムを眺めながらの思い出話だったが、後日本棚から当時の記録（製本した冊子）を取り出した。題して「南中野球部の歩んだ道　～僕らは　こうやって　西中に勝った～　昭和62年度　西脇南中野球部三年」。時は昭和62年11月14日、場所は加美町「青年の家」、部活動引退後に合宿をして野球を愉しみ、夜に3年間を振り返る座談会を持って、それをテープに残して書き起こしたのがこの記録である。35年ぶりに彼らと出会った後だけに、一つ一つの出来事が鮮明に蘇った。</p><p>　『では今から、エー（一同笑い）アハハハ・・・。南中野球部はなぜ強くなったか、その話をします。一番最初に、今日ここへ来る前に長谷川先生に聞いたが、藤賀先生や松橋先生が「南中祭（文化祭の事）の演劇も野球部が中心にやってくれている。主役も大道具も。野球部が合宿に行ってしまうと困るからメンバーを集めておいてくれよ」と言われたそうだ』。こうやって始まった座談会は約60ページに及んだ。35年たっても色あせない学校教育と部活動に関する教訓が含まれている。冊子の最後をある教師が締めくくっている。</p><p>　「編集後記　野球部の三年生へ。よい文集が出来た。あの日、加美町の黒土の良いグラウンドでレベルの高いゲームをやって、裸で（当たり前やけど）風呂へ入り、ご飯も食べてジュースも飲んで、それで話したから本音が出た。成績はたかが知れている。しかし君らは偉かった。ひとつ、勝とうとして西中に勝った。前年度東播（地区）一位校に勝った。ひとつ、学年全体の子と仲が良かった。学年を変えた。ひとつ、Ｈ先生を変えた。そして僕にまた一つ自信をくれた・・・（略）・・・これ（君ら）以上の生徒と成績をつくるんやったら全国大会へ行くしかない。しかしこの本を教科書にしたら可能な気もする。何年かのち、加美町・青年の家で同窓会やな」</p><p>　場所は違ったが、野球部と陸上部と水泳部の卒業生で同窓会が出来た。「学年全体の子と仲が良かった」姿が再現されている。あの時代、先生たちは良い生徒たちに囲まれていた。理解ある保護者にも恵まれた。これからの人生で卒業生にお返しできるとしたら、軟式野球協会の理事長として、地域のライターとして、あるいは古希野球の現役投手として、地域やスポーツに貢献する道をしっかり歩むことだなと、考えさせられている。うれしい有志の会だった。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12827963138.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Nov 2023 12:44:40 +0900</pubDate>
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<title>全勝優勝！古希野球の生き甲斐</title>
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<![CDATA[ <div><p>　兵庫県還暦軟式野球連盟に登録する古希野球チームは14チーム。それを東西各7に分けてリーグ戦を行っている。遠方への遠征を避けるための措置と聞いた。われわれ三田プリンスは東地区に所属する。そして2023年のリーグ戦も最終盤に入り、11月6日（月）三田は「マジック１」で宝塚グリーンスターの本拠地（宝塚スポーツセンター）へ乗り込んだ。</p><p>　中国道を走っているとワイパーが必要になった。午後から雨の予報が出ている。天候で集中力をそがれないようにしなくては。駐車場に入ると捕手のMさんから電話が。「今どこを走ってますか？」。練習開始時間なのに投手がいない、どうなっているのだと心配をかけたのだった。集合時間を勘違い。そんなエースは立ち上がり不安定。2回に1点を先取された。</p><p>　プリンスの打撃力は強烈だ。3回に3点、4回に3点と得点を重ね,6回表にはさらに2点を追加した。6回裏に1点返されたが、試合は8ー2で終了。優勝を意識してプレッシャーのかかる試合だったが、野球の上手い宝塚を相手に完勝、全勝で（残り試合１）2023シーズン東地区の優勝を飾った。ベンチにはみんなの笑顔があふれ、喜びの声が響いた。「新潟でうまい酒が飲めるね」と。この勝利で来年の全国大会出場が決まったのだ（新潟市）。</p><p>　ベンチの雰囲気も良く、交流戦（この日の２試合目）も楽しく盛り上がった。公式戦のメンバーだけではなくて、交流戦出場の選手がいて初めてチームに力が加わる。好プレーはもちろん、珍プレーにも拍手が起きて、野球本来の楽しさがグラウンドに満ちていく。交流戦も6-4で締めた。この時点での三田プリンスの成績は、10勝1分け、勝率0.955　1試合平均の得点は9.09で失点は1.73、得失点差は7.36。すべてが東西地区あわせて1位の成績である。</p><p>　チームのまとまり、雰囲気がもたらした成績だった。Ｎ監督が勝利の挨拶をして全員に感謝を述べた後、「会長にも一言」と85歳の長老に発言を求めた。「みんなの力で優勝できました。ありがとう」。それぞれが思いを込めて、雨の宝塚スポーツセンターを後にした。天気は交流戦が終わるまで待っていてくれた。</p><p>　今シーズンは1月17日（火）の初練習で幕を開けた。2月15日（水）に還暦野球練習試合、古希は27日（月）が初練習試合。そこから約10カ月、みんなで野球をしてきた。体調不良（中には重い病気もあるが）で二人、三人とグラウンドから離れた現実もあった。重い病を克服してチームに復帰した人もいる。肉離れで苦しんだ人も（わたしを含め）、耳が遠くなってきたメンバーも、奥さんの介護に追われるヴェテランもいた。生涯スポーツの現場は簡単なものではないのだ（わたしはこの試合も痛み止めのロキソニンと胃薬の世話になった）</p><p>　試合後のあいさつで宝塚の人たちと言葉を交わす。「また来年も野球をしましょう」と。重い内容を持つ言葉だ。「来年もこのメンバーでグラウンドに集いましょう」と交歓して、わたしは荷物を片付けに戻った。熱いシャワーを浴びて帰路に就く。宝塚スポーツセンターのシャワーは無料。スポーツ愛好家にやさしい街なのかも。</p><p>　雨が激しく振っている。一般道を西脇市へ向かって走りながら自分の3打席を振り返った。ライト前、センター前そして3本目のレフト前ヒットは打点が２。３打数３安打だった。10月30日の西宮戦も2安打。素直な気持ちで、投手を中心に考えて打席に入ると（自分の構えなどに気を向けずに）ボールがよく見える。安打が打てる。「パッと構えて、素直」。これは人生全般に応用できる内容だと、最近気づくことがある。</p><p>　兵庫の還暦野球、古希野球を牽引する立場となった三田プリンスは、近日中には還暦、古希ともに役員の改選を迎える。選挙はしない。選挙をするとチーム内に派閥が生まれ、結果が尾を引き、やがて分裂するといった他チームの教訓から「自薦他薦と、話し合い」によって指導陣が決まるだろう。グラウンドへ行き、馴染みの顔に出会ううれしさは格別だ。「生きている」と実感できるから。そんな気持ちを続かせてくれるリーダーの選出を期待している。</p><p>　意見の異なる部分は除いて、一致できるところで協力し、共同の取り組みをすすめる。そうすればほとんどの問題は解決できる。チーム運営に活かしたい鉄則だなと柄にもないことを考えながら車を走らせていたら、全身の疲れが何とも心地よく感じられる。カーナビを通して妻の声が流れる。「勝ったか？今夜何が食べたい」。わたしのリクエストで夕食は「すき焼き」と決まった。優勝を決めた日の雨の田舎道は紅葉が映えている。こんな日が来シーズンも続いてほしいと願った。</p><p>　</p><p>　</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12827825749.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Nov 2023 11:23:54 +0900</pubDate>
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<title>全勝優勝！古希野球の生き甲斐</title>
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<![CDATA[ <div><p>　兵庫県還暦軟式野球連盟に登録する古希野球チームは14チーム。それを東西各7に分けてリーグ戦を行っている。遠方への遠征を避けるための措置と聞いた。われわれ三田プリンスは東地区に所属する。そして2023年のリーグ戦も最終盤に入り、11月6日（月）三田は「マジック１」で宝塚グリーンスターの本拠地（宝塚スポーツセンター）へ乗り込んだ。</p><p>　中国道を走っているとワイパーが必要になった。午後から雨の予報が出ている。天候で集中力をそがれないようにしなくては。駐車場に入ると捕手のMさんから電話が。「今どこを走ってますか？」。練習開始時間なのに投手がいない、どうなっているのだと心配をかけたのだった。集合時間を勘違い。そんなエースは立ち上がり不安定。2回に1点を先取された。</p><p>　プリンスの打撃力は強烈だ。3回に3点、4回に3点と得点を重ね,6回表にはさらに2点を追加した。6回裏に1点返されたが、試合は8ー2で終了。優勝を意識してプレッシャーのかかる試合だったが、野球の上手い宝塚を相手に完勝、全勝で（残り試合１）2023シーズン東地区の優勝を飾った。ベンチにはみんなの笑顔があふれ、喜びの声が響いた。「新潟でうまい酒が飲めるね」と。この勝利で来年の全国大会出場が決まったのだ（新潟市）。</p><p>　ベンチの雰囲気も良く、交流戦（この日の試合目）も楽しく盛り上がった。公式戦のメンバーだけではなくて、交流戦出場の選手がいて初めてチームに力が加わる。好プレーはもちろん、珍プレーにも拍手が起きて、野球本来の楽しさがグラウンドに満ちていく。交流戦も6-4で締めた。この時点での三田プリンスの成績は、10勝1分け、勝率0.955　1試合平均の得点は9.09で失点は1.73、得失点差は7.36。すべてが東西地区あわせて1位の成績である。</p><p>　チームのまとまり、雰囲気がもたらした成績だった。Ｎ監督が勝利の挨拶をして全員に感謝を述べた後、「会長にも一言」と85歳の長老に発言を求めた。「みんなの力で優勝できました。ありがとう」。それぞれが思いを込めて、雨の宝塚スポーツセンターを後にした。天気は交流戦が終わるまで待っていてくれた。</p><p>　今シーズンは1月17日（火）の初練習で幕を開けた。2月15日（水）に還暦野球練習試合、古希は27日（月）が初練習試合。そこから約10カ月、みんなで野球をしてきた。体調不良（中には重い病気もあるが）で二人、三人とグラウンドから離れた現実もあった。重い病を克服してチームに復帰した人もいる。肉離れで苦しんだ人も（わたしを含め）、耳が遠くなってきたメンバーも、奥さんの介護に追われるヴェテランもいた。生涯スポーツの現場は簡単なものではないのだ（わたしはこの試合も痛み止めのロキソニンと胃薬の世話になった）</p><p>　試合後のあいさつで宝塚の人たちと言葉を交わす。「また来年も野球をしましょう」と。重い内容を持つ言葉だ。「来年もこのメンバーでグラウンドに集いましょう」と交歓して、わたしは荷物を片付けに戻った。熱いシャワーを浴びて帰路に就く。宝塚スポーツセンターのシャワーは無料。スポーツ愛好家にやさしい街なのかも。</p><p>　雨が激しく振っている。一般道を西脇市へ向かって走りながら自分の3打席を振り返った。ライト前、センター前そして3本目のレフト前ヒットは打点が２。３打数３安打だった。10月30日の西宮戦も2安打。素直な気持ちで、投手を中心に考えて打席に入ると（自分の構えなどに気を向けずに）ボールがよく見える。安打が打てる。「パッと構えて、素直」。これは人生全般に応用できる内容だと、最近気づくことがある。</p><p>　兵庫の還暦野球、古希野球を牽引する立場となった三田プリンスは、近日中には還暦、古希ともに役員の改選を迎える。選挙はしない。選挙をするとチーム内に派閥が生まれ、結果が尾を引き、やがて分裂するといった他チームの教訓から「自薦他薦と、話し合い」によって指導陣が決まるだろう。グラウンドへ行き、馴染みの顔に出会ううれしさは格別だ。「生きている」と実感できるから。そんな気持ちを続かせてくれるリーダーの選出を期待している。</p><p>　意見の異なる部分は除いて、一致できるところで協力し、共同の取り組みをすすめる。そうすればほとんどの問題は解決できる。チーム運営に活かしたい鉄則だなと柄にもないことを考えながら車を走らせていたら、全身の疲れが何とも心地よく感じられる。カーナビを通して妻の声が流れる。「勝ったか？今夜何が食べたい」。わたしのリクエストで夕食は「すき焼き」と決まった。優勝を決めた日の雨の田舎道は紅葉が映えている。こんな日が来シーズンも続いてほしいと願った。</p><p>　</p><p>　</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12827825384.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Nov 2023 11:23:54 +0900</pubDate>
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<title>順大47年卒同期会in島根</title>
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<![CDATA[ <div><p>　ウクライナへの侵略戦争に続き、今度は中東で紛争が起きた。今朝のニュースでは、イスラエル軍によるガザ地区病院への爆撃で「500人死亡」と報じられた。社会の動きに疎い娘ですらこういった。「こちら（ポートランド・オレゴン州）ではイスラエル寄りの報道が目立つわ。子どもたちがかわいそうや」と。何やら世界中がよくない方向へ向かっている感じがする昨今だが、それらを念頭に置きながら、平和な日々をかみしめたい。</p><p>　西脇南中学校時代の教え子3人から「飲み会」の誘いを受けた。内二人は夫婦（ともに再婚と聞く）。43年ぶりに顔を合わせる。個性あふれる3人は優等生ではなく「やんちゃ」な部類に入る卒業生だから、初の誘いは自分が教師だったことを思い出させて懐かしい。わたしを慕ってくれる？卒業生がいるとは、正直「うれしいではないか」と思う。</p><p>　右脚もほぼ元の状態に戻りつつある。投球には支障がないほどに。古希野球公式戦が残り3試合。ここで連勝して通算11勝1分けでシーズンを締めくくり、東西地区の1位によるチャンピオン決定戦でも勝ってオフを迎えるのが残されたシーズンの目標である。そうすれば来年度の全国大会出場権が確保され、三田プリンスにおけるわたしのラストイヤー（おそらくは）を飾ることが出来る。</p><p>　さらに面白い流れがあって、西脇市で出版会社「（株）ヘソノオ・パブリッシング」を創設されたKさんから企画書が送られてきた。「ベースボールと野球を繋いだ男」故・今里　純先生の評伝を書いてください」と。もちろんKさんとわたしの、また大学院教授であるご子息との共同作業になる。ヨーロッパでサッカーやラグビーを観戦したKさんは文化活動やスポーツによるまちづくりに憧憬が深い。二人は意気投合、「東京へも、ニューヨーク州のクーパースタウン（米野球殿堂博物館）へも行きたいですね」と構想が広がってワクワクしている。やっと共鳴できる人物があらわれた。いい流れに若い気持ちが広がっている。</p><p>　愉しい気分のさなか、わたしは自家用車（スズキのソリオ）で松江市へ向かった。10月7日（金）、鳥取の伯耆大山を右に見て米子道へ。宍道湖SAで休憩、腰を下ろしてしばし宍道湖を眺める。「のんびりした光景だなあ」。やがて景色は中海から宍道湖の中心付近を経て「出雲縁結び空港」へ。東京、山梨、埼玉～やってくる3人を迎えるのがわたしの役目だ。1時間遅れのJALが羽田から到着。「東洋大学様」や「創価大学様」の名札を持つ人も到着ゲートに居る。2日後の「出雲大学駅伝」の関係者だろう。</p><p>　4年ぶりに会った。元順大陸上部中距離ブロックの選手たち。「同じ釜の飯を食った」仲間。うれしい再会。「松江ニューアーバンホテル」で荷物を解いて入浴。着替えた4人は宍道湖の夕日を右に見て駅前の「料亭」へ向かう。われわれの全日程を仕切るA君が地元の名物料理をぜひ味わわせたいと、わたしたちを12,000円の店へ誘ったのだ（予算オーバーや）。翌日は地元の同期会世話役F君（僧侶でもある）の案内で松江城とお城巡りの船に乗る。「ぐるっと松江　堀川めぐり」。それからお城へ登り、小泉八雲旧居を左に見て「松平不昧公ゆかりの茶室　名々庵」で抹茶をいただく。やはり住職の案内は違う。</p><p>　翌8日（土）夜には全国から（青森～九州）「順大愛」深き40数名が集まって宴会に。コロナ禍で延期に次ぐ延期でやっと実現した同期会、箱根駅伝で活躍したＫ（旧姓Ｍ）とＦ両君のリーダーシップがあるから47年度卒の仲間が集まれる。水泳で金メダリストを育てたＳ君も若い顔を見せて（今も谷津遊園（千葉）のプールで指導している）、「パリ五輪まで頑張ります」と恥ずかし気に決意を表明した。 この日は大津市（滋賀県）と貝塚市（大阪府）からＭヤンとＴちゃんが合流している。二人は旅程をともにする仲間だ。</p><p>　9日は出雲駅伝の応援を他に任せて、世話人Ａ博士はわれわれ6人を隠岐の島へ案内してくれた。境港では水木しげるロードを散策し、島では牛の角突き大会（地域の秋祭り）を見て、多くの神社を見学して、ホテルで美味な刺身をいただいて、昔の寮生活に戻ったかのように畳で3人ずつ並んで寝た。計4泊5日の共同生活。最終日は庭の美しい足立美術館から玉造温泉へ。最後の夜は加賀（石川）のＫ夫婦、東京のＡ君（彼はわたしと同郷）、島根県大田市の住職Ｆ君とわれわれ6人で愉しい時間を共有できた。</p><p>　最後の日程は「出雲大社」。神社に詣でて、1時間待ちの「荒木蕎麦」へ。6人と地元Ｆ君はこの時にとっておいた「出雲そば」を別れとした。出雲大社のパーキング横の芝生で輪になった7人はさいごのあいさつ。Ｆ君のお世話に礼を述べ、大津市経由で貝塚へ帰るＴちゃんのワゴン車をさりげなく見送る。胸に熱い感情が湧く。Ｆ住職は大田市へ帰り忙しいお寺の仕事に戻る。手を振った。わたしは関東組3人を乗せ、再び出雲空港へ向かった。</p><p>　空港でＡ君は「東京へ来るときは連絡してよ」とほほ笑んだ。膵臓を痛めて治療中のS君は黙って目であいさつを交わし、互いを知り尽くすＨ教授はさいごまでわたしを見つめていた。来年は75歳だ、同期生の会は来年「青森」で実施すると決めているが、同じメンバーが元気に出会えるとは限らない。延期中のこの4年間に3人の同期生が亡くなっている。</p><p>　青森の件は、今は妻には内緒にしている。しかし行きたいと思う気持ちは強い。それにしてもと、考える。順大時代の同期の会はなぜこんなにわたしを惹きつけるのだろう。大学とは、苦しんだ陸上部とは、東京とは、若かったあの時代とは、どういうものだったのだろうか。「神在月」出雲のゆったりとした悠久の地が、旅に彩を添えたことだけは確かだった。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>　</p><p>　</p><p><br></p></div><br><div><span>via&nbsp;<a href="https://dreamball2017.amebaownd.com">シニアの昭和史　独り言 （還暦野球スポコラ改題）</a></span><br><span>  Your own website,</span><br><span><a href="https://www.amebaownd.com">Ameba Ownd</a></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/dreamball2017/entry-12825006011.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Oct 2023 11:13:16 +0900</pubDate>
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