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<title>唯我独尊</title>
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<description>任天堂信者で、映画、ヒーロー物、格闘技好きな左翼オヤジの独り言。</description>
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<title>世界の枠組み</title>
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<![CDATA[ 北朝鮮のミサイル発射実験に関して、日本政府は<br>国連安全保障理事会に提訴し、制裁決議の採択を<br>求めた。<br><br>当初は、北朝鮮との関係が深い中国・ロシア以外<br>の常任理事国は、日本に同調していたが、中国が<br>北朝鮮を説得する外交努力を行う為という名目で<br>制裁決議の採択の延期を求め、これが認められ<br>中国の外交努力を見守るという展開になった。<br><br>このような状況下において、日本のマスコミや自民党<br>などは、中国が追い詰められたと論評していたが<br>どうも様相がおかしくなってきた。<br>制裁決議に同調していたイギリスとフランスの態度が<br>強行姿勢から、とりあえずは中国の主張する制裁条項<br>を含まない非難決議にしておいて、なおかつ北朝鮮が<br>挑発行動をやめない場合に制裁決議を行うという、二段<br>階論に転じ始めた。<br><br>この一連の流れを見たときに、世界の外交のダイナミズム<br>というか、枠組みの実像を見せ付けられた思いがした。<br>要するに、全ての国は、自国の国益が最優先であり、<br>ロシアの外相が言う「行うべきは、脅しや要求ではなく、<br>交渉である」との考えが、アメリカを除く世界の主流で<br>ある事が明確になった。<br><br>また、日本が世界から、どのように認識されているのか<br>という事も、透けて見える。<br>世界でもトップレベルの軍事予算を使い、経済力、技術力<br>でも、世界のトップレベルにあって、いつでも大陸間弾道弾<br>に転用できるロケット技術と、核兵器にすぐにも転用出来る<br>プルトニュウムを大量に、原子力発電所に溜め込んでいる<br>我が国の現実を、国民はもっと認識すべきであるという事<br>なのだ。国際原子力委員会（ＩＡＥＡ）の核査察が行われる場合<br>の人員は、日本の査察を行う時が人数が一番多いそうである。<br><br>世界から見れば、北朝鮮の脅威など、日本の潜在的脅威<br>に比べれば、小さい話なのだ。<br>さらには、小泉、安部の両氏に象徴される、馬鹿者が勇ましい<br>言辞を垂れ流した結果、日本に対して協調する心情よりも<br>脅威に感じる方が、大きくなっているというのが、世界の現実<br>なのである。<br><br>これは推測に過ぎないが、制裁決議の延期と、それを<br>安保理として受け入れた水面下で、日本を蚊帳の外に<br>した各国間における交渉がもたれたのではないだろうか？<br>国連とは、結局、第二次世界大戦の戦勝国のサロンなの<br>である。有名な話であるが、中国では国連と呼ばず連合国<br>と呼んでいる。実は、それが正しいのである。<br>ユナイテッドネイションズ略称ＵＮであるから、直訳すれば<br>連合国なのだ。<br>だから、日本の国連における立場は、今だに敵国なので<br>、世界の秩序の枠組みを本気で話し合い、決める時には<br>日本は常に蚊帳の外におかれる事になる。<br><br>このまま制裁決議案が採択されず、日本が蚊帳の外に<br>おかれたまま、非難決議で終わりとなった場合、安部氏や<br>麻生氏などの、勇ましい事を言っていた御歴々は、どう<br>するのだろうか？<br>また、１５日からロシアで開催されるサミットに、中国の<br>胡主席もゲストで参加するが、アメリカやロシアの大統領<br>と首脳会談をする予定はあるが、小泉首相との会談の<br>予定はない。これは、これまでの小泉政権の対アジア<br>政策の結果である。国益を考えずに、自らのくだらない心情<br>だけで行動した小泉政治のツケがこんな時に大きく響いて<br>来る。国民の安全にとっても、いかに小泉政治が有害で<br>あったかの証明が、皮肉にもこんな場面でなされたので<br>ある。<br><br>では、日本はどうすれば良いのか？<br>それは、平和憲法の理念を具現化し、決して二度と再び<br>世界の脅威にはならないという決意を、行動をもって示し<br>、世界の諸国民の信頼を勝ち得る他ない。<br><br>領土問題や、今回のような事があるので、時には耐え難い<br>場面もあるだろう。天皇の玉音放送ではないが、耐え難き<br>を耐え、忍び難きを忍ぶという苦渋の道である。しかし、それ<br>さえも甘受しなければならないのが、かって侵略戦争を仕掛け<br>、世界の国々に、多大な苦難を強いた我が国の責任なのである。<br><br>この事を、クサレ外道集団自民党や、欲ボケ強欲老人集団経団連<br>の奴らが隠蔽し、世界の、とりわけ中国、韓国などが、日本は<br>充分反省したのに、いつまでも頭を下げさせるとか、土下座外交<br>はする必要が無いとか、あるいは平和勢力に対して、自虐史観だ<br>とかの難癖をツケまくってきた。その結果、短絡的な若者層には<br>「朝鮮なんか世界地図から消してしまえ」とかの愚かな発想しか<br>持ち得ない者が、多数発生している。<br><br>今からでも遅くない。平和憲法、とりわけ前文と第９条の理念の<br>具体化に取り組み、世界に指し示すのである。<br>手始めに、核兵器生産に転用可能な原発の廃止を表明し、ロケット<br>開発を全面的に中止する事である。<br>そして、軍事予算の削減を図り、将来的には災害などに対処する<br>国土保安隊に改組する事を内外に明らかにするのである。<br>さらには、中国や韓国との政府間、民間を問わず、人的、文化的<br>交流を、さらに活発化させ、北朝鮮を経済的だけでなく、政治的に<br>そして文化的にも孤立化させ、その際も追い込むのではなく、北朝<br>鮮の姿勢の変化に関しては、門戸を解放しておく事が大切である。<br><br>北朝鮮のミサイル実験が行われ、マスコミでも、防衛力強化論<br>が喧伝されてる状況下において、私の主張は妄言に聞こえるかも<br>しれないが、本気で平和憲法の理念の具体化に取り組まなければ<br>日本は、世界の嫌われ者になりかねないと私は懸念する。<br>ましてや、憲法を改悪して、自衛隊を軍に格上げしたり、教育基本法<br>を改悪して、愛国心教育なぞを盛り込めば、今以上に国際社会に<br>おける日本の地位は、さらに危うい事になる。それは、言い換えれば<br>国民の安全が脅かされるという事である。これこそ最も国益に反する事である。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10014610791.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Jul 2006 18:16:35 +0900</pubDate>
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<title>コインの裏表</title>
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<![CDATA[ 金正日が、また馬鹿な事をしでかした。<br><br>既に御承知の通り、日本に向けてミサイルを数発発射したのだ。<br>５発とも１０発との言われているが、正確な数字はいずれわかるであろう。<br>また、ミサイルの種類であるが、スカッドＣなら韓国向け、ノドンなら日本<br>向け、テポドン２号なら米国向けと言われているが、これもいずれ判明<br>するであろうが、この種類によっては、今後の日米韓の対応が異なって<br>来る為、非常に重要である。<br><br>もしも、テポドン２号が入っていれば、米国本土向けであるので、米国も<br>黙っている訳にはゆかないだろうし、ブッシュ政権の支持率が低迷して<br>いる事を考えると、北朝鮮への直接攻撃も無いとは言えないだろう。<br>スカッドＣならば、能天気なノムヒョン政権でも、太陽政策の継続に<br>水をさされるであろう。<br><br>また、今回は、事前に中国とロシアが発射を中止するように働きかけて<br>いたのであるが、それを無視した形であるので、面子を潰された中露両国<br>も今までのように、金正日を擁護する事も難しく、この件での安全保障理事会<br>開催もありうるであろう。<br><br>しかし、金正日は何を考えているのであろうか？<br>日本には、金正日の配下にある朝鮮総連があるが、彼らの安全など一考に<br>すらしていない事が明白になった。<br>また、今日は、例の万景峰号の新潟港への入港の日でもある。<br>そんな日に、そして万景峰号の航路でもある、日本海に着弾するミサイルを<br>何発も発射するとは、大馬鹿者である。<br><br>先日の韓国の拉致家族の対面という猿芝居だけでも、日本の国民はハラワタが<br>煮えくり返っているのであるが、さらに火に油を注ぐ事をして、国交正常化など<br>出来るわけがないし、北朝鮮サイドから見た場合、あの猿芝居によって日韓の<br>分断が或る程度成果が上がっていたにも関わらず、またぞろ自らぶち壊すとは、<br>何が何だかわけが解からない。<br><br>一方、撃たれた日本では、当然の事として、防衛問題の論議が活発になり<br>「やられたら、やりかえせ」「北朝鮮が仕掛けるのをあきらめる程の軍事力の<br>強化が必要」「憲法を改正せよ」などの、短絡的で愚かな議論が台頭するであろう。<br>そして、この事件で最も得をするのは、自民党総裁レースで、福田氏の追撃を受け<br>ていた安部氏である。北朝鮮への強硬姿勢が、大きく得点を稼ぐ事になる。<br><br>金正日の愚行と、日本の右傾化は、まるでコインの裏表の如く、表裏一体で<br>進んでいる。このような情勢下において、私たちが考えなければならないのは<br>これは、あくまで支配層間における争いであって、北朝鮮の国民と、私たち日<br>本の国民の間には、争う理由はないという事である。<br>しかし、ひとたび戦争や紛争が起きると、罪の無い庶民が戦いに駆り出され、<br>犠牲となるのである。これこそが、戦争の矛盾である。<br><br>現状はあくまでも金正日による挑発行為の段階である。支配層の煽りに乗せられる<br>事なく冷静に事の推移を見守るべきであろう。<br>当面、金正日の重要な後ろ盾である、中露との関係改善を急ぎ、彼らから金正日を牽制<br>させる事が急務である。この点、小泉外交の失点が今になって重い。<br>また、国連に積極的働きかけ、国際的な世論を動かす事である。<br>金正日は、国際的に本当に孤立してまで、強行に事を成せる度量も、国力も<br>もってはいない。<br><br>目には目を、ミサイルにはミサイルをと言った、一見勇ましいが、愚かな<br>扇動に乗せられてはならない。<br>軍事力強化はは蛮人の防衛、賢人の防衛は外交努力である。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10014344199.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Jul 2006 09:37:53 +0900</pubDate>
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<title>社会の主人公は労働者である。</title>
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<![CDATA[ 久しぶりに爽快な気分である。<br><br>と言うのも、滋賀県知事選挙で、自民・公明・民主の三党推薦<br>の現職が、社民党の支持と無党派層に支えられた新人の女性<br>候補に敗れたからである。<br><br>争点は、新幹線の新駅の是非だったそうで、県の当初予算が<br>５０００億円なのに、借金が９０００億円以上もある中で、この<br>駅を造るのに県は、さらに１１７億円負担しなければならず<br>「税金の無駄遣い」批判を受け、敗れたという事らしい。<br><br>自分の功績を残し、新幹線駅建設に群がるハイエナ企業と<br>その企業にさらにタカル悪徳政治家の御機嫌を伺う為に<br>必要も無い駅を造り、現状でも巨額の県民の借金を<br>さらに増やそうというのだから、とんでもない話である。<br>とりあえずは滋賀県民がバカでは無い事が証明されたと<br>いう事であるが、それでもなを現職に投票したバカも、多数<br>いるというのが、この国の民度のレベルであるという事も踏まえて<br>置くべきであろう。<br><br>それにしても、こんな大馬鹿者を推薦した政党は何を考えて<br>いるのであろうか？<br>国民を侮っていると、痛い目にあうという教訓を、彼らが汲み取って<br>いれば良いのであるが、少なくとも、本質的にハイエナの集まり<br>である自民党は反省などするはずはないだろう。<br>しかし、庶民にも支持層を持つ、民主・公明の両党は、これでは<br>マズイだろう。<br><br>皮肉な事に、当選した嘉田氏を唯一支持した政党が、マスコミなど<br>からは、役割が終わった扱いをされている社民党である事は、なかなか<br>興味深い事である。<br>今後ますます、欧州的な社会民主主義的政策というものが、必要に<br>なってくる。それは、小泉プレスリー好きバカタレ首相が、先人の<br>知恵で築いてきた日本的セーフティネットを、無責任にも、あちら<br>こちらで破壊したまま去って行くからである。<br>壊れた絆を再構築する際に、必要となるのが社会民主主義的政策<br>なのだ。それは、社会が社会正義という物差しで、正常化する為の政策である。<br>小泉の悪政によって疲弊した、日本国の財政を立て直すキーワードは「国民か<br>ら見た無駄遣いの解消」「高所得者への大幅増税による公平な税負担の実現」「日<br>本的セーフティネットの再構築」である。<br><br>今回は、この「国民からみた無駄遣いの解消」キーワードが働いた<br>結果である。自民・公明は、財界や悪徳官僚と結託しているので、<br>この問題に手が付けられず、財政赤字をその原因を温存したまま<br>一般の国民に対する増税である、消費税の税率ＵＰと福祉切捨て<br>で対処しようとしているが、元を断たねば意味がなく、その路線では<br>将来的な日本破産は免れない。その事は、流石に多くのまともな国<br>民にも解かっている事であるから、今回のような結果が出たし、今後も<br>全国各地で同じような結果が生まれてくるであろう。<br><br>当選後のあいさつで、嘉田氏は「組織でも体制でも形式でもなく、人々の<br>心が社会を動かす」と言った。<br>その通りである。国民主権で、普通選挙法が存在する現代においては、選挙<br>における投票行為によって政治は縛られているし、政治的変革も容易に可能<br>なのである。にもかかわらず何故ハイエナ集団自民党が政権を握っている<br>のか？<br>それは、国民が愚かであるからだ。自らの力に目覚めていないのだ。<br><br>国民主権で普通選挙法が存在する限り、支配層は常に戦々恐々としている。<br>だから、小選挙区制度を導入して、民意が政治に反映しにくくさせ、さらには、<br>道州制の導入を目論んでいる、道州制にすれば、今よりも知事の数が大幅に<br>減るのであるが、そうなれば当然の事として民主的な民意の反映は制限される。<br>それは、代表者が減れば減るほど、択ばれた者の権力が強まり、限りなく独裁に<br>近づいて行くという仕掛けである。<br>国政においても参議院不要論があるが、とんでもない話で、先程と同じ論理で<br>代表者が減るほど、民意は反映しなくなり、特定の者に権力が集中する事になる。<br><br>支配層は、本当は選挙制度なんか廃止したいというのが本音だろうが、現代にお<br>いて、そんな事をすれば国際的に叩かれる事は必至なので、それは出来ないから<br>極力制度を骨抜きにするか、国民をより一層愚かにして、選挙に行かないように<br>仕向けるかの二つの道しかなく、その通りに実行してきたのだ。<br><br>何故、支配層は選挙制度を恐れるのか？<br>現代日本は、国民の８０％以上が労働者あるいは、その家族である。<br>だから、日本社会の主人公は労働者なのだ。<br>極少数のヒルズ族や経団連の腐れ外道などは、脇役以下なのである。<br>この真実に労働者が目覚め、全員が自分たちの権利と利害を擁護<br>してくれる政党、個人に投票すれば,１日で社会は変革出来るのである。<br><br>今回の滋賀県知事選挙の結果は、その事を示唆している。<br>労働者は社会の主人公であるにも関わらず、相応の地位と生活を<br>保障されていない。<br>労働者が自らの価値と力に目覚めた時、日本は変わるのだ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10014273540.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Jul 2006 10:33:19 +0900</pubDate>
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<title>夢は荒野を駆け巡る。</title>
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<![CDATA[ ワールドカップドイツ大会で、日本は予選リーグ敗退を喫してしまった。<br>大会前は、ジーコジャパンに過大な期待が寄せられ、様々な企業との<br>タイアップ企画も見られたが、早くも終息してしまった。<br><br>そうなのだ、過大な期待だったのである。大会後、個人技を重視した<br>ジーコ監督に批判がなされ、個々人の力が劣るのであるから、組織<br>プレーを重視した采配を振るえば、違った結果がでたかのようなコメント<br>をする、サッカー評論家や関係者がいるが、大馬鹿者である。<br><br>何故なら、世界レベルのサッカーは、優れた資質を持つ個々のプレイヤ<br>ー集団が行うものであるからである。<br>それは、各国の試合を冷静に見れば解かる事である。ベッカム、ルーニー<br>ロナウド、ロナウジーニョ、トッティ、フィーゴ等のスーパースターが活躍<br>している。つまり、個々人の力量の高いチームが強いのである。<br>力量の無い者たちが集まった組織プレイなぞ、たかが知れている。<br><br>日本は、フィジカル、テクニック、メンタルの全てにおいて、まだまだ<br>世界のレベルに達していない事が、はっきりした大会であり、世界Ｎｏ１<br>のブラジルと闘って、その事が一層明確になったのは、大きな成果<br>であった。サポーターもマスコミも、もっと冷静に現状を把握すべきであ<br>る。この結果は、当然の結果なのである。<br><br>はっきりいって、日本で世界レベルの選手は、中田英寿と川口だけである。<br>それは、欧州のスポーツ誌なども認めるところである。<br>日本選手全員が中田レベルになった時、初めて世界と伍して闘えるのだ。<br>しかし、日本には大きな問題点がある。それは会見でジーコも指摘したよう<br>に、日本で最も盛んなスポーツは野球であるという点である。<br>つまり、フィジカル面で優れた人材は、主に野球に流れ、サッカーの<br>人材に欠けるのである。これは、野球が盛んな国に共通で、サッカー<br>のレベルが上がりにくいのだ。<br><br>まず人材確保が最重要課題である。その為には、Ｊリーグをもっと盛んに<br>して、青少年に将来性も含めて、魅力のあるものにしなければならない。<br>世界レベルのチームを創る為には、まず自国のリーグのレベルが高い事<br>が条件である。国内リーグのレベルが、国際試合の強弱に直結している<br>事実から出発しなければならない。<br>そういう観点から見た場合、日本のサッカーのレベルアップは険しい道だ<br>といえるだろう。<br><br>次期日本代表の監督に、旧ユーゴ出身のオシム氏が就任する模様であるが<br>彼の走るサッカー理論は、日本代表の強化に、大いに役立つだろう。<br>フィジカルで劣る部分は、鍛えるしかないのであるから。<br>ところで、このオシム氏は名言を述べるという事から、オシム語録なるものが<br>あるそうで、ＴＶでは「レーニンは、勉強しろ、勉強しろ、勉強しろと言ったが、<br>私は、走れ、走れ、走れと言う」と言ったのを例にあげていたが、これでは<br>まるでレーニンが教育オヤジのようである。正しい訳は「学べ、学べ、学べ」<br>なのである。これは、青年に対しての発言で、青年期というのは、人生の基盤<br>を確立する時期であるから、レーニンは激励の意味で、そう言ったのである。<br>それにしても、民放でレーニンの格言が聞けるとは、レーニンを心の師と仰ぐ<br>私にとっては、嬉しい限りである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10014089127.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Jun 2006 22:43:18 +0900</pubDate>
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<title>親と子の距離</title>
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<![CDATA[ 今日は、ＮＩＮＴＥＮＤＯ６４が発売されて１０周年の記念日である。<br>報われなかったチャレンジマシンについて、本来は大いに語り<br>たかったが、あまりに無残な事件が発生した故に、ＮＩＮＴＥＮＤＯ６４<br>については、後日語る事にする。<br><br>奈良の事件である。高校一年生が放火し、継母と幼い異母兄弟<br>２人が焼死した。<br>動機は、父親に成績の事でしかられ、時には暴力も振るわれ、以前<br>から殺意を抱いていたというのである。<br>しかし、この供述には釈然と出来ないものがある。もしも父親に怒り<br>を覚え、殺意があったのならば、父親が宿直で不在の日に実行した<br>のは、辻褄が合わない。<br><br>地中から、ゴルフ道具一式が見つかった事と併せて考えて見ると<br>父親の大切なものを、奪ってやりたかったのかも知れないが、<br>今一つ頷けないものがある。<br><br>ＮＨＫは今日のテレビ欄のタイトルで、普通の高校生が何故？と書いて<br>いたが、毎年多数の京大合格者を輩出している、あの学校が普通とは<br>思えない。普通の定義は、社会通念上、大多数のものを指すのである<br>から、普通の高校生という記し方は、明らかな事実誤認である。<br><br>この少年の不幸は、子供の心を考えもしない父親の元に生まれた時か<br>ら始まっている。医師であるにも関わらず、この父親は青少年の心理に<br>ついて、無知、無理解も甚だしい。<br>戦前ではあるまいに、２１世紀の今日、親の職業を子供に押し付けるなどと<br>いうのは、言語道断である。ましてや、殴って成績が上がるのであれば<br>こんな簡単な事はない。子供には子供の夢や希望があり、それを認め<br>実現に助力と助言を与えるのが親の務めである。<br>もとより、親は馬鹿だから子供に、何かしら期待するものであるが、それは<br>あくまでも期待なのであって、現実は別なのである。<br><br>この父親が、私と同年代であるだけにまことに残念である。医者になる為<br>の知識は暗記したかも知れないが、本当のインテリジェンスが身について<br>いないところに、日本のアカデミックにおける、知識偏重の問題点すら<br>垣間見える。<br><br>両親は、少年が中学生の頃に離婚している。理由は判らないが<br>多感な年頃の少年が、心に深い痛手をおった事は、想像に難くない。<br>「ゼロからやり直したかった」と少年は言っているとの事だが、父親が<br>彼のこの悲痛な叫びをどう受け止めるか？<br>父親が真の父親になれるか否かの試金石である。<br><br>翻って我が家では、今日が妻の誕生日であったので、息子がプレゼント<br>に薔薇の花束を買ってきた。食事をした後、親子３人で、ニンテンドードリ<br>ーム誌の付録に付いていたＤＶＤで、Ｗｉｉのゲームデモ映像を見て、その<br>素晴らしさに感嘆の声をあげた。<br>私は自慢しているのではない。互いを尊重しあって生活していれば、自ず<br>とそうなるものである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10013951548.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Jun 2006 22:00:02 +0900</pubDate>
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<title>宮崎駿の残骸</title>
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<![CDATA[ ついに禁を破って「ハウルの動く城」を見てしまった。<br><br>私の中の宮崎駿は「となりのトトロ」で終わっている。<br>それ以降の宮崎駿作品は、熱烈な宮崎ファンであった<br>が故に、痛ましくて見るに耐えかねる。<br><br>とは言いつつ、それなりに見ているが、羅針盤を失った<br>彼の作品は、隔靴掻痒の感が拭えない。<br>しかし、それは、宮崎だけの責任に帰すものではない<br>とも思う。<br>何故なら、二馬力の精神を失った「魔女の宅急便」<br>「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などを、世論は評価<br>したのであるから、宮崎としても、自らの中途半端さを<br>修正する契機を得なかったとも言える。<br><br>大プロダクションとなったジブリは、経営を維持する事が何より<br>も最大の命題とならざるを得ない事から、実験的な作品や、<br>ストレートなメッセージを発信する事が困難になっている事<br>は、想像に難くない。<br>だからこそ、世論は「となりのトトロ」以降の作品に評価を<br>与えてはならなかったのだ。そうすれば、経営的にも、以前の<br>姿勢に立ち戻れたのではあるまいかと思うのは、楽観論に<br>過ぎるだろうか？<br><br>私が見限って以降の作品の方が、世論的には評価が高いの<br>は皮肉な結果ではあるが、毒にも薬にもならない事を意味して<br>もいる。大衆迎合は、作品の質を貶める事は、古今東西を通じて<br>自明の理であるが、資本主義社会における経営と思想性の両立<br>の難しさを改めて考えざるを得ない。<br>きっと宮崎駿も、一作ごとに自らの理想を追い求め、会社が潰れても<br>かまわないという精神で突き進んでいた二馬力の時代が、作家として<br>一番幸せだったであろう。<br>いつの間にか巨匠の冠をかぶせられて、まるで道化の王様の<br>ようになってしまった宮崎駿の残骸が、「ハウルの動く城」であった。<br><br>宮崎を道化にしてしまったのは、日本テレビとの提携が原因なのか？<br>それとも、鈴木云々がプロデューサーの座に座ってからであろうか？<br>そんな状況下にある宮崎駿の最後の抵抗が「ハウルの動く城」で<br>あったかと思うと、見ている時から、胸が締め付けられた。<br>随所に本来の宮崎らしい躍動感や、反戦思想を滲ませている事は<br>大駄作「千と千尋の神隠し」よりは、格段に評価出来るが、最後が<br>いけない。裏事情は知らないが、急激に尻すぼみしてしまった感は<br>否めない。しかし、宮崎らしさの片鱗を見せた事で、本作を宮崎駿の<br>残骸と定義したのである。<br><br>これが、宮崎駿の最終作品だとすれば、誠に残念至極である。<br>是非とも老骨に鞭打って、かっての「柳川掘割り物語」のような<br>収益を無視した、本当に自分が創りたい作品を、創りたいように<br>創って欲しいものである。宮崎駿という稀有な作家には、最後に<br>それくらいの、わがままは許されるべきである。<br><br>先日、電車の吊広告で、偶然「<a href="http://www.ghibli.jp/">ゲド戦記」</a>のポスターを見た。<br>そして、そのコピーにギョっとした。<br>うろ覚えで正確ではないが「父さんさえいなくなれば、全てうまく<br>行くと思っていた」とかいうコピーだった。<br>「ゲド戦記」の監督が、宮崎駿の長男、宮崎吾郎であるだけに<br>このコピーは意味深である。<br>久しぶりに、ジブリの作品を映画館で見てみたい気になった。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10013898938.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jun 2006 11:47:31 +0900</pubDate>
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<title>反則も可なり</title>
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<![CDATA[ 韓国で最も観衆を呼べる俳優と言われているソン・ガンホ主演<br>の<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005ULLE/503-5828715-3952713?v=glance&amp;n=561958">反則王</a>を見た。<br><br>「殺人の追憶」を見て、ソン・ガンホの巧さに驚嘆し、「大統領の<br>理髪師」を見て、ソン・ガンホの味わいある演技に唸り、本作を<br>見て、その運動神経の良さと、役者としての本物さに魅了された。<br><br>韓国映画というと、濃い話の展開と、恋愛物というのが、昨今の<br>パターンだが、ソン・ガンホの映画においては、恋愛はたんなる<br>隠し味に過ぎず、本質は人間存在の追及である。<br>それも、日本のドラマに有りがちな、医者や弁護士、資産家、あるいは<br>小金を持った中産階級の話ではなく、市井に生きる庶民の視点<br>で描かれている。<br><br>反則王は、うだつの上がらない銀行員が、上司である副支店長に<br>成績の悪い事を叱責され、ヘッドロックをかけられて痛めつけられる。<br>何とか、このヘッドロックから逃れたいと思って、ふと見かけたジムの<br>ポスターに惹かれ、プロレスジムの門を叩く。<br>初めは入門を断られるが、ジムの館長が、凱旋帰国したスターレス<br>ラーの引き立て役が必要となり、主人公に白羽の矢が立つ。<br>こうして彼は、銀行務めの傍ら、ジムに通い、悪役レスラー、ウルトラ<br>タイガーマスクになるというのがあらすじである。<br><br>コメディである。しかも、今の日本では忘れられてしまった、良質の<br>コメディである。根底にペーソスがあるから、爆笑の後に、じんわり<br>心にしみる味があるのだ。<br>それにしても、ソン・ガンホは素晴らしい。この役になりきっているし<br>プロレスの場面では、ヘタなレスラーよりも魅せる試合をしている。<br>また、彼の繰り出す絶妙な、笑いの演技は、その見事さ、緻密さ<br>滑稽さ、そして人間味に、感嘆の溜息がでるばかりである。<br><br>ラストシーンは、フランス映画っぽく、余韻を残して終わるが、これまた<br>ありきたりの韓国映画とは違って、行間が読める大人向けなのだ。<br>私は、このラストシーンが大好きである。<br><br>生きる事に、ちょっと疲れている全ての人にお勧めである。<br>人生には、思うようには行かない事が多々あるが、時には<br>反則も良いではないか。<br>決まりきった枠を、打ち破る事も時には必要だという事を<br>思い出させてくれる映画である。<br>面白うて、やがて切なき、真の喜劇の世界がそこにある。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10013715397.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Jun 2006 23:29:41 +0900</pubDate>
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<title>心の闇の向こう側（秋田児童殺人事件）</title>
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<![CDATA[ 今、世間の耳目を一番惹き付けているのは、秋田の<br>児童殺害事件であろう。<br><br>何と言っても、一ヶ月前に自分の子供を失った母親が<br>犯人だったという点が、極めて特異でありショッキング<br>だった事と、動機が何なのか、多くの憶測を生む余地<br>があるからだろう。<br><br>隣家の男児を、何故殺さなければならなかったのか？<br>そして、事故死とされた女児の死が、遺体の状態から、<br>事故死ではなく、何らかの事件に巻き込まれたのでは<br>ないかと推測されているが、真実は何なのか？<br>今後は、この二点の焦点が絞られる。<br><br>この二点について、諸説が飛び交っている。<br>男児の家庭と、何らかのトラブルがあったのではないか？<br>そしてそれは、スキャンダラスな内容であるとか、あるい<br>は、児童が女児の最後の目撃者である事が関連して<br>いるとか、女児については、被害者援護法で定められ、<br>殺人の被害者家族に支払われる約１５００万円が、事故死では<br>受け取れないので、何が何でも事件の被害者にしなければ<br>ならなかったのでは？など等、無責任な内容が流されて<br>いる。いづれにしても、真実は、容疑者しか知らないの<br>であるから、彼女の口から語られるまで、本当の事はわから<br>ない。<br><br>真実は当然追究されねばならない。しかし、それ以上に<br>問題なのは、容疑者の人格形成である。<br>容疑者はある意味、気の毒な人でもある。何故なら、自分<br>自身の成長過程の中で、周りの人間から、汚い、臭い、暗い<br>等と疎まれて成長してきた。当然、性格に歪みが出来るだろう。<br><br>彼女の親は、彼女が汚れていたのに、何をしていたのだろうか？<br>正常な親なら、子供の衛生状態に配慮するのは、当然の事<br>なのだが、容疑者の親は、子供をほったらかしにしていたと言<br>わざるを得ない。そして、容疑者も子供をほったらかしにしていた。<br>育児放棄（ネグレクト）が、親から子に引き継がれたという典型的<br>なパターンのようである。<br><br>マスコミが、容疑者の親の追求をしないのはなぜなのだろう？<br>心の闇の向こう側にあるものこそ、全ての根源である。<br>再発を防ぎ、真実を解明する為には、心の闇云々を論じるよりも、<br>その心の闇がいかに形成されて来たのかが、問われなければならない。<br>そういう意味において、親の責任がまず第一に問われなければならない。<br>何故、ネグレクトだったのか？子供の心を考えていたのか？<br>そして、そんな子供を暖かく支え、受け入れる社会の体制が<br>ない事も、このような救いのない事件を起こす遠因になっている。<br><br>母性は、後天的な学習効果である。親の姿を見て、学んでいる。<br>学ぶ事が出来なかった子供に、母性は形成されない。<br>今回の容疑者は、まさにそれだったのではないか。<br><br>早期に、全ての真実が明らかになって、二人の児童が、安らかに<br>眠れる事を願っている。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10013431236.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Jun 2006 21:50:40 +0900</pubDate>
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<title>不器用な男の切ない恋の物語　デイジー</title>
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<![CDATA[ <p>「デイジー」を見た。</p><p>私が今まで見た韓国映画の中で、「殺人の追憶」に</p><p>次ぐ名作であった。</p><br><p>私の若い同僚に、「韓国映画なんて見ないですよ」と</p><p>食わず嫌いをする者がいるが、彼のように、自ら興味</p><p>の幅を狭めていると、こんな傑作を見逃す事になる。</p><br><p>おばちゃんたちのアイドル、ヨン様やチェジウ等が出て</p><p>くる韓国のＴＶドラマは、単純明快かつ濃ゆい話が多いが、</p><p>「デイジー」はそういった、韓国にありがちな物語ではない。</p><br><p>デイジーの花をキーワードに、物語が展開する。</p><p>脚本がよく出来ていて、時間軸が多層的に展開するの</p><p>であるが、矛盾の無い見事な展開で、話に引き込まれて</p><p>しまう。</p><br><p>主演のチョン・ジヒョンが巧い。韓国の俳優にありがちな</p><p>ややオーバーアクションな演技ではなく、本当に自然で</p><p>ある。風のように演じるという言葉が、ピッタリ来る名演である。</p><p>整形美人が多いと言われる韓国女優陣にあって、彼女は、</p><p>ナチュラルな雰囲気を持った女優だ。</p><p>際立って美人という訳ではないが、表情や動き、そして声に</p><p>魅力のある女優である。きっとどんな役も器用にこなせるの</p><p>だろう。</p><br><p>そして、私の大好きなチョン・イソンは、相変わらず、無骨な</p><p>男をやらせたらピカイチである。彼を初めて知ったのは、</p><p>「武士（ＭＵＳＡ）」という映画である。実は、私はチャン・ツィイー</p><p>の大ファンであるので、彼女が出ているから「武士（ＭＵＳＡ）」</p><p>を見たのであるが、そこに奴隷の剣士役で出ていたのがチョン</p><p>・イソンである。長身で、見事に鍛え上げられた肉体を持ち、そ</p><p>のうえ、韓国俳優Ｎｏ１のイケメンの上に、アクションと芝居が</p><p>抜群に巧いこの男に、一撃で魅入られてしまいそれ以来のファンである。。</p><br><p>今回も、惚れていながら、なかなか声をかけられず、遠くで見守る</p><p>クールな殺し屋にピッタリである。恋愛映画なのに、時折差し挟まれる</p><p>アクションシーンの見事な事。恋愛映画を見ているのか、黒社会映画</p><p>を見ているのか、どちらの要素も過不足なく織り込まれているのが</p><p>この映画の魅力である。</p><br><p>切ない男の気持ちが、胸にドーンと来て、思わず涙してしまった。</p><p>そういえば、遥か昔、自分にもそんな想いをした事があるなあと、オー</p><p>バーラップしてしまった。</p><p>印象的だったのは、韓国恋愛映画という触れ込みに、いつもの濃ゆい</p><p>展開を期待して、多数の韓流ファンのおばちゃんたちが来ていたが、</p><p>誰一人泣く者はおらず、私と同じ列にいた初老のおじさんが、大泣きし</p><p>劇場の外に出てからも、すすり泣いていた事である。</p><p>余程琴線に触れるものがあったのだろう。</p><p>私も泣かされたように、「デイジー」は、男を泣かせる恋愛映画という、</p><p>新しいジャンルの映画かもしれない。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10013153480.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Jun 2006 23:21:11 +0900</pubDate>
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<title>教育とは何か？３</title>
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<![CDATA[ <p>さて、今回は教育論争の中心課題である。徳育について</p><p>考えて見たい。</p><br><p>徳育とは読んで字の如く、徳を育むという事である。</p><p>では、徳とは、いったい何の事だろう。</p><p>徳というものについては、中国の思想、とりわけ日本にも強い</p><p>影響力を持つ儒教的な徳と、西洋哲学的な徳の考え方がある。</p><p>日本で徳と言う場合には、一般的に儒教的な徳を意味する。</p><p>儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁・義・礼</p><p>智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。</p><br><p>仁とは、主に他人に対する優しさを表し、儒教における最大の徳</p><p>とされる。</p><p>義とは、正しい行いを守る事であり、人間の欲望を追求する「利」と</p><p>対立する概念で、仁と併せて仁義と言われる事もある。</p><p>礼とは、さまざまな行事の中で規定されている動作や言行、服装や</p><p>道具などの総称で、儒教的には、人間関係を円滑にすすめ、社会</p><p>秩序を維持するための道徳的な規範の意味を持つ。</p><p>智とは、物事を認識したり判断したりする能力の事。</p><p>信とは、言行に嘘偽りのない誠の事。</p><p>孝とは、親を大切にする事。</p><p>悌とは、年長者に従順に仕える事や、兄弟の情が厚い事。</p><p>忠とは、真心を込めてよく勤めを果たす事、あるいは、君主</p><p>または、国家に対して真心を込めて尽くす事。</p><p>以上が徳である。</p><br><p>これは、あくまでも孔子の時代（紀元前５５１年～紀元前４７９年ころ）</p><p>の思想であるので、民主主義が定着した現代では、やや噛み合わない</p><p>部分もあるが、徳というものは、大切なものである事がわかるであろう。</p><br><p>だがしかし、自民党や保守の愚か者どもが、声高に徳育の強化を叫ぶ</p><p>時、その最も強調するのが、礼・悌・忠なのだ。なんたるアナクロニズム</p><p>なんたる大馬鹿者であろうか！！！！</p><p>礼・悌・忠こそが、時代とともに変遷する要素であり、紀元前の考え方</p><p>が現代に通用するはずがない。文字どおりの論語読みの論語知らず</p><p>とはこの事である。</p><p>彼らの思惑である、礼・悌・忠の強化などというのは、時の支配層に</p><p>都合の良い考え方に他ならない。</p><p>しかも、徳目の強化を声高に唱えている自民党文教族のボスが、最も</p><p>徳の低そうな、料亭大好き人間の森喜朗元首相なのだから笑止千万</p><p>である。</p><p>利権集団自民党と欲ボケ爺集団経団連の愚か者どもに告ぐ。お前らこそ</p><p>仁・義・信という現代にも必要な、徳育を受け直せと私は怒りを持って言いたい。</p><p>徳育を、礼儀作法や愛国心教育の強化などという、つまらないものに矮小化</p><p>させてはならない。</p><p>真に強化しなければならない徳育は、仁・義・信を三本柱にした本当の徳育</p><p>なのだ。将来の日本の担い手たちに、日本を仁・義・信の三本柱を中心にした</p><p>国創りしてもらえるように徳を育むのである。。世界に誇れる恥ずかしくない</p><p>国となる為に。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ds-revolution/entry-10012975919.html</link>
<pubDate>Sun, 28 May 2006 22:43:02 +0900</pubDate>
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