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<title>Sturzkampfflugzeug</title>
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<description>One is not born a genius. He becomes a genius for himself.（人は天才として生まれるのではない。自分の力で天才になるのだ。）</description>
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<title>Wettkampf</title>
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<![CDATA[ <br><p>結果があって、原因がある。</p><br><p>生物学などを学んでいるとそれをよく感じる。</p><p>原因から結果が生まれるのではない。まず結果ありき。理由は後からついてくる。</p><br><p>生物の進化も、学問の探求もみんなそう。</p><p>まず真理的に結果があって、そこに見合う原因や理論が付加されていく。</p><br><p>それはたぶん、それが一番効率のよい方法だから。</p><p>ごちゃごちゃ考えて、理論を積み重ねて、それから行動。それでは遅すぎる。遅すぎるのだ。</p><p>まず行動。まず変化。理由は後からわかる。気づいたときに即行動に移せるということは強みであると思う。</p><br><p>ギャンブルにおいて、後先のことをぐだぐだ考えてちまちまと小出しに賭けるというのは素人の賭け方であると聞いたことがある。</p><p>太平洋戦争で日本軍が犯した「戦力の逐次投入」という愚こそまさにそれであると。</p><br><p>全てをそれに賭けて、それでダメなら大人しく引き下がる。それが玄人の賭け方。</p><p>人生もまた然り、ではないか。</p><br><p>やるときは思い切って。変化は大きく。</p><p>We can change. Yes, we can!</p>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11601780804.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Aug 2013 20:42:36 +0900</pubDate>
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<title>NOT終戦、BUT敗戦</title>
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<![CDATA[ <p>第二次世界大戦、日本にとっては「大東亜戦争」が終結してから６８年が経とうとしている。<br>「いや、終戦記念日は８月１５日だ。もう６８年は経ったのだ」という人もいるだろう。だが別に間違えたわけではない。では何故「経とうとしている」と書いたか？<br>答えは簡単、あの戦争が終結したのは８月１５日ではないからだ。世界中の教科書に、人々に訊いてみよう。彼らは皆、「第二次世界大戦が終結したのは１９４５年９月２日である」という答えを示すだろう。<br>８月１５日を「終戦記念日」などと呼んで、あの日に戦争が終わったと思い込んでいるのは日本人だけなのだ。言ってみれば、あの日は玉音放送がなされ、日本の一般市民が継戦を諦めた日に過ぎないのである。<br>現に、前線の軍人の中には交渉決裂で戦闘が再開される可能性を考えその準備をしていた人もいるし、１８日には飛来した米爆撃機を迎撃し、「第二次世界大戦最後の空戦」が行われたことも有名である。<br>何といっても、ソ連は中立条約を無視した上で９月４日まで進軍を続け、今なお北方領土を占領し続けているのである。戦争は終わっていなかったのだ。<br>世界の認識では、ミズーリ号艦上で降伏文書が調印された９月２日が戦争終結の日となっているのだ。</p><p>そもそも、「終戦記念日」という言い回しも気に食わないといえば気に食わない。タイトルにも書いたが、あれは「終戦」ではなく「敗戦」だ。敗戦の現実を受け止めて初めて将来を考えられるのではないのだろうか。</p><p><br>「終戦記念日」という言い回しは、降伏時の陸軍大臣が「敗戦」ではなく「終戦」にしてくれ、と言ったものらしい。「全滅」を「玉砕」、「撤退」を「転進」と言い換えて美化し、ごまかし続けていた戦時の大本営発表と何が違うというのだろうか。</p><br><p>日本人は、あれほどの戦争をしておきながらそれを振り返ることをあまりにも怠っている気がする。特に自分たちの世代、つまりは若い世代においては顕著である。<br>言っておくが、「振り返る」というのはとりあえず戦争をとにかく否定して否定して戦争に反対することでは、もちろん、ない。<br>「戦争はダメだ！」と一点張りで言い続けることは、「戦争しか道はない！」と盲目的に突っ走った昭和初期の世論と表裏の関係にあるだけで、本質的には同じだからである。<br>特に本質や理由も考えず、戦前を非難し、戦争を否定するだけの姿勢は単なる逃げでしかないと思う。ある意味、この国は現実と歴史から逃げ続けてきたのだ。<br>そんな報道ばかりが為され、そんな考えが何の疑問もなくまかり通ってしまうようでは、この国に未来はない。あの戦争で日本人は進歩できなかったということになる。それではあの戦争で亡くなった二百数十万人柱に申し訳が立たないだろう。</p><br><p>大切なのは、あの戦争を自分自身で知り、考え、感じることであると思う。<br>日本、そして日本人を愛するのならば、避けては通れない現実と責任がそこにはある。<br>少なくとも自分は、あの戦争、そしてこの国の現実と歴史から逃げたくない。</p><br><p><br>犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11594334648.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Aug 2013 15:26:33 +0900</pubDate>
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<title>風立ちぬ</title>
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<![CDATA[ <br>彼らの生き様は、美しい。<br>いや、清々しいというべきだろうか。丁度良い言葉というものが見つからない。<br>とにかく、カッコいい。<br><br>瞬間、堀越二郎と宮崎駿の生き様が重なった。<br>彼のような人物だからこそ、かの生き様を描けるのだろう。<br>「紅の豚」から１０年以上経つが、カッコいい男達が創るものは、得てしてカッコいい。<br>本物のカッコ良さだ。<br><br>願わくは、宮崎さんと鈴木さんの世界を、生き様を、もっともっと見たいものだ。<br><br>華々しいものでなくていい。<br>目の前にただただ広がるキャンバスに、あんな生き様を描くことを夢見たい。<br><br>彼の言葉を借りるならば、<br><br>「カッコいいとは、こういうことさ」
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11578692928.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Jul 2013 20:17:37 +0900</pubDate>
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<title>&quot;I see.&quot;</title>
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<![CDATA[ <br>日々、周りの人間の多才さと自らのちっぽけさに驚かされる。<br>スポーツで全国区の人もごろごろいるし、音楽などの芸術分野も半端なレベルじゃない。<br><br>こうして見ると、「東大生は勉強しかできない」なんて平気で言う人が本気で可哀想に思えてくる。<br>名の知れてない大学にも優秀な人材がいるように、東大だって勉強以外もできる人ばかりなのに。<br><br>やはり何事も自分の眼で見なければ分からないということなのだろうか。<br>「無知は罪なり」か。
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11506931416.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Apr 2013 20:49:53 +0900</pubDate>
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<title>Ideas for life</title>
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<![CDATA[ <br><p>生きた魚を釣り上げに行って手ぶらで帰って来る方が、初めから魚の化石を買いに行く連中よりはるかにましだ。</p><br><p>けれど、掘り出した化石を集めて生きた魚を創造するのも悪くないと思いたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11504773586.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Apr 2013 17:37:37 +0900</pubDate>
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<title>Es regnet.</title>
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<![CDATA[ <br><p>子供にあれこれといろんな事を押し付け、挙句は我が子を取り巻く環境にケチをつけてばかりいる親というものがいる。</p><p>思うに、彼らは自分自身に夢が無いのだ。</p><p>自分に夢が無いから子にばかり夢を見る。</p><p>自分にできないこと、できなかったことを子にやらせる。</p><p>そうしてまた子も夢を失っていく。奪われていく。</p><br><p>何を言うにも「近頃の若者は…」などと言う人がいる。</p><p>彼らも同じだ。</p><p>自分に夢が持てないから、理想や信念を抱く若さがないから、若者に嫉妬し、彼らを悪く言うことで自らの空虚から目を逸らし続けているのだろう。</p><br><br><p>自分自身に夢を持てなくなった人間など、ただのゴミくずだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11503177639.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Apr 2013 10:43:21 +0900</pubDate>
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<title>INVISIBLE</title>
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<![CDATA[ 古代の人々は、獣よりも磁石を恐れた。炎よりも静電気を恐れた。<br><br>眼前に見えているものに怯え騒いでいるうちはまだ正気でいられる。<br>目には見えないものこそが本当に恐ろしいものなのだ。<br>氷山の一角が如く、本当の恐怖は水面下で進んでいる。<br><br>戦争も同じだ。
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11502499097.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Apr 2013 12:16:12 +0900</pubDate>
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<title>Blindness</title>
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<![CDATA[ <br><p>恋は盲目というが、嫌悪もまた盲目である。</p><br><p>近頃は特に、ネット上で中国・韓国に対する無差別な非難が横行しているように感じられる。</p><br><p>別に嫌うなとは言わない。万物を愛する博愛などは所詮絵空事に過ぎないのだから。</p><p>だが、それは彼我をよく見つめたという前提のもとに存在しなくてはならないものである。</p><br><p>考えもなく放たれた言葉は、我々の想像を超えて他者の思考を支配してしまう。</p><p>何かを評価、評論するということはそれだけ重い責任が伴うことであるという自覚を失ってはいけないと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11499118998.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Mar 2013 14:16:27 +0900</pubDate>
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<title>『お医者様』と『患者様』</title>
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<![CDATA[ <br><p>人類は、死ぬ運命であった生命を生き延びさせたり、さらには人の力のみで生命をコピー・創造したりと、言うなれば神にも等しい所業をするようになってしまった。</p><p>だが、決して忘れてはいけないこともある。<br></p><p>医師や薬品といったものは、「病気を治せる」ものではない。</p><p>彼らにできるのは、あくまで「患者が治る手助けをすること」だけである。</p><br><p>このことは、医療を提供する人間と医療を受ける人間の双方がわきまえておかなければならないと思う。</p><br><p>自分はどんな病も治せると勘違いする傲慢な医師も、</p><p>自分の病気が治らなかったからといって医師を訴える身勝手な患者も、</p><p>存在するべきではないのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11491762083.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Mar 2013 19:57:54 +0900</pubDate>
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<title>Graduation</title>
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<![CDATA[ <p>他の学校で高校生活を過ごした人と話すとよく分かるのだが、</p><p>国立高校という学校は不思議で珍しい、とても特異な空間である。</p><br><p>集ってくる個性と才能に溢れる人材。</p><p>才能の無駄遣いとも言われたりする日々の営み。</p><p>毎年約１万人もの客を動員する文化祭。</p><br><p>尤も、いいところばかりがある訳ではない。</p><p>「国高生だから、部活忙しいから、文化祭頑張るから」とかなんとか言っては「勉強できなくてもしょうがないよね」なんていって逃げたりする国高生の甘えは好きになれないし、</p><p>我が強く、プライドが高く、人の話を聞かない、議論の進まない集団である点も良くないかもしれない。</p><br><p>だけど、これだけは確かにいえる。</p><br><p>あそこでしか手に入らない「何か」は確かに存在したと。</p><br><p>それをなんと呼ぶかは分からない。もしかしたらそれを人々は「青春」と呼ぶのかもしれない。</p><br><p>当然、誰もが手にすることのできるものではないだろう。</p><p>国高に入っただけでは手にすることはできない。</p><p>だが、それを手にする資格、可能性が与えられる。</p><p>後は人間次第だ。</p><br><br><p>あの途轍もなく面白い学校で、素晴らしい先生、そして最高の仲間に恵まれた。</p><br><p>国立高校は、誇りの母校である。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/dummkluger/entry-11491613423.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Mar 2013 14:55:48 +0900</pubDate>
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