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<title>読者感想</title>
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<title>『純粋ツチヤ批判』土屋賢二</title>
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<![CDATA[ さくらももこ、宮田珠己、東海林さだお、椎名誠と、笑えるエッセイを書く人は多いが、個人的には僕はこの人の書くものに一番笑わせられる。上に書いた人たちも、基本的にふざけている。だが、真面目なことももちろん書くし（東海林さだおはそうでもないな）、作家としての一分みたいなものを時折感じる（東海林さだおはそうでもないな）。もちろんそれを否定はしない。それも含めて彼らの作品は面白い。<br><br>だがこの土屋のおっさんである。ずーっとふざけているのである。それは多分、この人が専業作家ではないということにも起因しているに違いない。この人は東京大学を出、今ではお茶の水女子大学の教授である。真面目な部分もきっとあるのだ。で、普段は出せないふざけた部分の全てをエッセイにどどんと炸裂させる。と、思う。<br><br>土屋氏は「そんなことないよ、いっつも私はふざけてるよ」というようなことを言葉を尽くして書きまくっている。いつも学生に馬鹿にされていることを正直に書くし、自分を卑下し、笑いをとる。例えばこんなことを書いている。「美人にかぎって性格が悪い。美人で性格がよい女にかぎって、男を見る目がない。美人で性格がよく、男を見る目がある女にかぎって、わたしを見る目がない。」<br><br>読者はこの、まるでイギリスの人気エッセイストのようなユーモアに心地よく騙される。しかし、これこそが土屋氏の企みと僕は思う。そう、この人はセルフプロデュースがものすごく上手いのだ。<br><br>…感想じゃないね、これ。まあ、いいから読んでくださいよ、すんげー笑えるから、としか言えません。<br><br>更新、久々ですねそういえば。さぼってました、すいません。本は読んでるのだけどね。<br><br><br><br>「わたしが生まれたのは、パリから車で南下し、リヨンを過ぎてさらに南、地中海沿岸のマルセイユから約九千キロ東、岡山県玉野市の宇野という港町である。」
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<pubDate>Sat, 25 Aug 2012 15:49:16 +0900</pubDate>
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<title>『遠い山なみの光』カズオ・イシグロ</title>
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<![CDATA[ 何だか終わりに近付くにつれ、不気味さが増し、あれもしかしたらこれ、とんでもないオチが待っておるのではないかと思わせといて、すっと終わる。前回の記事でバランス感覚ということを書いたけど、この人のバランス感覚も半端ないっす。<br><br>解りやすい小説ではないと思う。例えば、いま、日本で売れている宮部みゆきや東野圭吾、湊かなえ、伊坂幸太郎なんかを好きな人にとっては（もちろん彼らの作品を否定するつもりはないですよ）、面白さの芯をなかなか見つけられない作品かも知れない。<br><br>ただ、その、解らなさという尊さ。僕はこの作品を読んでそう思った。解りあえないことは不幸ではなく、ただの自然。そしてその自然は何にも侵されることなく時間の流れと共に膨らみ、萎み、収束する。解りあうとか解りあえないとか、そんなもの大したことじゃないのだ。この小説の語り手は、もう一人の主人公、佐知子と、決して解りあうことは出来なかった。それでも彼女は思う。何十年も前に、皆でケーブルカーに乗った思い出、あれはなんてことのない思い出だけれども、でも、確かに幸せな思い出だと。<br><br>そしてその幸せは、誰とも共有出来ない。<br><br>だからって悲観することはない。主人公は娘とすら理解しあえない。それでも彼女らは何となくお互いのことを思いやって、尊重しあう。にっこりと笑って、手を振り別れられる。<br><br>誰だって、誰かと解りあいたい。その欲望を持つたび、しかし人は、それがどんなに困難なことかに気づく。それでも挑戦し続けることと、まあこんなとこだろうと折り合いをつけることと、どちらがより良いかとは決められない。誰もが自分の正しさをまっとうするしかないのだ。そこから生まれいずる全ての衝突、悲劇、悲しみ、言い訳、非難、それすら、しかし、尊い。<br><br>そんなことを思った。<br><br><br><br>「『よかったわ、あなたが見つかって』わたしはすこし息を弾ませていた。『お宅のお嬢さん、いま見かけたら喧嘩してたわよ。あっちのどぶのほうで』<br>『喧嘩をしてた？』<br>『二人の子と。一人は男の子だったわ。ちょっとすごい喧嘩だったみたい』<br>『そう』佐知子が歩きだしたので、わたしも並んで歩きだした。<br>『おどかすつもりはないけれど、かなりすごい喧嘩みたいだったわよ。それもお嬢さん、何だか頬に怪我をしてたようだし』<br>『そう』<br>『あっちよ。原っぱの外れのほうなの』<br>『まだ喧嘩してるかしら？』彼女はすたすたと坂を登っていく。<br>『もうすんだでしょうね。お嬢さんは逃げていったから』<br>佐知子はわたしの顔を見て薄笑いをうかべた。『あなた、あまり子供の喧嘩を見たことないの？』<br>『まあ、子供なら喧嘩くらいするでしょうね。でも、知らせたほうがいいと思ったのよ。それに、学校へ行った様子もないし。ほかの子たちはそのまま学校のほうへ行ったのよ。でもお嬢さんは、また川のほうへ行っちゃったの』<br>佐知子は返事もせずに坂を登りつづけていた。<br>『ほんとうは、とうにお話ししたかったのよ』とわたしはつづけた。『このごろ、しじゅうお嬢さんを見かけるものだから。もしかすると、ずる休みでもしているといけないと思って』<br>道は、登り切ったところで二手に分かれる。佐知子が立ちどまると、わたしたちは向かい合った。<br>『そんなに心配してくださって、ほんとうにありがたいわ、悦子さんってほんとうに親切なのね。きっと立派なお母さんになるわ』<br>それまでのわたしは－－停留所にいた女たちのように－－佐知子は三十かそこらだろうと思っていた。しかし、それは若々しい体つきに騙されていたのかもしれない。顔はもっと老けていた。彼女はかすかにおかしそうな表情をうかべてわたしをじっと見たが、その顔を見ていると、どういうわけかこっちもぎこちなく笑ってしまった。<br>『わざわざ追いかけてきてくださったりして。ごめんなさいね』と彼女は言った。『でもね、わたし、いまちょっと忙しいの。長崎まで行かなくちゃならないのよ』<br>『そう？ただお知らせしたほうがいいと思っただけよ』<br>彼女はまだおかしそうな顔でちょっとわたしを見ていたが、やがて『ありがとうございました。じゃ、失礼するわね。町まで行かなくちゃならないんで』と言うと、かるく頭をさげて停留所のほうへ行く道を歩きだした。<br>『お嬢さんが顔に怪我をしていたからなのよ』わたしはすこし声をはりあげた。『それに川にもずいぶん危ないところがあるわ。だから教えてあげたほうがいいと思って』<br>彼女はもう一度ふりかえってわたしを見た。『悦子さん、もしお暇だったら、今日昼のあいだだけあの娘を見てやっていただけないかしら。わたし、夕方には帰ってくるの。あなたにならお手数はかけないと思うんだけど』<br>『かまわないわよ、そうおっしゃるんなら。お嬢さんはまだ小さいから、一日中一人で放っとくのは無理じゃないかしらね』<br>『どうもありがとう』佐知子はくりかえすと、また薄笑いをうかべた。『ほんとうに、あなたは立派なお母さんになると思うわ』」
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<link>https://ameblo.jp/easy-1111/entry-11300744595.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Jul 2012 17:21:08 +0900</pubDate>
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<title>『人生は、だましだまし』田辺聖子</title>
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<![CDATA[ おせいさんのエッセイ集。この人のは、小説も好きだけど、エッセイも大好き。文章のバランスがすごく好きなんですよね。例えば、ほんものの恋、という章の書き出し。<br><br>「立秋の声をきくと、ちょっとぐらいは、きびしい暑さもゆるんだ気がする。しかし昼間の炎暑のほてりはなお去りやらず、夕方になっても気疎い（けうとい）熱気がたちこめて窓も開けられない。」<br><br>なんていうか、ものすごく美しい文章じゃないですか？ただの日常の風景、というか、あっちーなー、もう、というようなことだけを肩肘はらず、上品で丁寧な日本語に押し込めている。かと思ったら、次におせいさんはこう書くんですね。<br><br>「こんな夕方はクーラーを利かせて、冷たい日本酒にスダチを絞り入れたのを飲むにかぎる。」<br><br>このバランス感覚、ユーモア、好きだなあ。この人の文章は、ひそかに僕のお手本だったりする。この本とは関係ないけど、『ブス愚痴録』という短編集は最高に面白い文章満載でおすすめだ。いま、ちょっと手もとにないから引用出来ないんですけどね。いや、探しゃあるんだろうけど。<br><br>で、この本。この本にはおせいさんが提言する、恋愛や結婚生活に対するいくつものアフォリズムに溢れている。といっても、もちろん堅苦しい本ではない。むしろ、笑える本だ。こんな文章があった。笑ってしまいましたよ、思わず。<br><br>「人生でいちばんいい言葉は、<br>〈ほな〉<br>である。<br><br><br>この〈ホナ〉は大阪弁なので少し説明が要る。接続詞で〈ほんなら〉－－それなら、ということ。じゃあネ、などという語感か。〈それなら〉が〈そんなら〉になり、そこから〈ほんなら〉になり、ついに極端に短縮して〈ほな〉になった。デパートの地下階をデパチカというが如し。<br>そんならさいなら、の意味も込め、その奥に〈では運命のままにお別れいたしますが、これは私の本意ではございません。しかし、こと、ここに立ち至った以上、悪あがきして運命の流れをむりにせきとめても詮ないこと、昔のたのしい思い出を胸に秘め、一生、忘れはしますまい。あなたさまも新しい未来に希望を持たれ、さらなる面白い人生に出会われますよう、お祈りします。たのしい時間（とき）を沢山（ぎょうさん）もろうてありがとさん……〉<br>これが煮つまって出てくるのが、<br>〈ほな〉<br>である。」<br><br>笑えるでしょう。そこはかとなく滋味のある、せつなくもほかほかとする笑いである。こういうのを書くと、おせいさんは日本一である。と思う。<br><br>といっても、まだ僕は二十代。自分とはそれと知らず、まだ鼻息が荒いところもあるだろう。よって、例えば「自分の家族や友人、自分の手に合うほどの仕事を愛し、大切にする。目立たず、人にまぎれ、世にまみれよ」なんて書かれても、少し反発する心もある。ぬー、と思って、でも、まあ、最後にはおせいさんふうに、こう思うのである。<br><br>ふうん、そんなもんかいな。
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<pubDate>Mon, 09 Jul 2012 13:36:50 +0900</pubDate>
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<title>『夜想曲集』カズオ・イシグロ</title>
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<![CDATA[ 短編集。カズオ・イシグロって相当好きな作家なのだけど、この人の作品を知ってる人がまわりに全然いないのが悲しい。『私を離さないで』が映画化されたときに、くるかカズオブーム？と思ったけど、当たり前のようにそんなものこなかったし。何年か前にサガンについても同じこと思ったなあ。<br><br>一話目。老歌手。切ないなあ。過ぎ去った昔を思い出すため、というよりもけじめをつけて新しいステージに向かうために、愛する妻に歌を唄う。<br>「『君の言いたいことはわかるよ、ヤネク。君には厳しく響くかもしれない。それもわかっている。だが、これが現実なんだ。それにな、リンディにも同じことが言える。いま別れるのが、あれにとってもベストだ。まだ老いるという年ではない。君も見ただろう。あれはまだ美しい。まだ時間が残されているうちに出ていくのがいい。再び愛を見つけ、結婚できる間にな。手遅れになる前に出ていく必要がある』<br>ガードナーの次の言葉に面食らわなかったら、私はこれにどう応じていただろうか。ガードナーは『君の母上は…出ていけなかった人なんだな』と言った。<br>私はしばらく考え、『はい』と答えた。『はい、母は出ていきませんでした。出ていけませんでした。国の変化を見られませんでしたから』<br>『残念なことだ。きっと立派な母上だったろうと思う。君の言うとおり、お母上がわしの歌から多少の慰めを得てくれたのなら、わしはとても嬉しい。出ていく機会がなかったのは不幸だ。リンディにはそうなってほしくない。絶対に。わしはリンディに出ていってほしい』」<br><br>二話目。降っても晴れても。これが一番好き。主人公の人の良さが最高に面白い。だって、自分の親友に、「結婚生活の危機に面してる、なんとかしなけりゃ、そうだ、お前みたいにどうしようもない奴を妻に見せつけたら、あら、この結婚生活も悪くないわねなんて思うに違いない、頼む、お前、うちに何泊かしてくれないか」、なんて頼まれてほいほいそれを聞いてあげるんすよ。僕もこんな友達が欲しい…、と不遜なことを考えてしまった。<br><br>設定としては残酷というか、そりゃないよ！って感じだが、カズオ・イシグロのユーモアを含んだ筆致で、物語は軽快に楽しく進んでいく。うまいなあ…！と思ったが、当たり前だよね、この人、ブッカー賞受賞者なんだから。<br><br>三話目。モールバンヒルズ。この話の主人公もなかなか嫌なやつだ。というか、鼻っ柱が強いと言うべきか。若さとはそういったもんだよな、と、読むものは彼を見て、かつての自分の未熟さを思い出すかも知れない。そして、ティーロとゾーニャ夫妻を見て、誰の人生にも起こり得る、すれ違いや我慢の蓄積に思いを馳せ、少しおびえるかも知れない。それでも、彼らは美しい曲を聞き、田園風景の夕べを眺めながら、肩を寄せあって甘いひとときを過ごしたりもする。人生にはそういった一瞬もある。解りあうとか解りあえないとか、そういうものを超越した、奇跡みたいな時間が。<br><br>四話目。夜想曲。これも設定がいい。主人公は才能のあるサックス奏者。だけど、なかなか売れない。何故か？不細工だからだ。<br><br>といったつかみで読者の心を掴み（こういうのに嫌悪を覚える人もいるでしょうが、そういう人こそ色んな小説読んだほうがいいよね）、主人公は整形手術を受ける。入院中に起こるさまざまな事件、冒険、これも本当、楽しかった。七面鳥からトロフィーを抜き取るくだりでは笑ってしまった。そう、そしてこの小説には『老歌手』で登場したリンディが再登場するのだけど、リンディの告白がしみじみ悲しい。才能というものに振り回され、それに対して愛と憎しみを半々で持っている。持っているのだけど、そこにはある種の論理がもちろんある。清々しい。主人公に盗んだトロフィーを進呈するシーン、感動した。こんなに格好のいいことをしてくれる女性は、なかなかいないだろう。<br><br>最終話。チェリスト。この話に出てくる女の言い分が最高だ。私はチェリストとしての特別な才能がある、才能があるからこそ、それを守らなければならない。だから私はチェロを弾かない。才能をあらわにすることよりも、傷つけないことのほうが重要なのだ。<br><br>阿呆か！ってなもんですよ。つべこべ言わず、弾かんかい！でもこれって、ある種の人（僕も含めて）の心を、ちょいっとつねるのな。才能とは何なのか。この弾かない女チェリストの生き方が幸せなのかどうかは解らないけれど、それが貫徹されればそれはそれであっぱれだ。この小説は、少し苦い終わり方を迎える。でも、いいじゃないかと思わないでもない。色々な人がいて、色々な生き方がある。他人が口出し出来ない領域がある。それを確認するのはやるせない。だから、この話の終わり方は、苦いのでしょう。
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<pubDate>Tue, 03 Jul 2012 16:13:26 +0900</pubDate>
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<title>『櫻守』水上勉</title>
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<![CDATA[ 優しいよなあ、この人の文章って。どんな嫌なやつにも温かみのある眼差しでもって書いてる。だから、勧善懲悪的な、解りやすいカタルシスを求める人には物足りないだろうけど、でも、いいやつ嫌なやつって主観なわけで、もちろん人間は主観で生きるものだからそれは仕方がないのだけどそういうことではなく、「こんな生き方が好き」、「こんなやつは好かん」といった、いい悪いの二原論ではなく、好き嫌いの二原論を価値判断においた小説は、やっぱりいいよね。あらかじめ共感を拒否しているというか。だから読者は好きに楽しめる。<br><br>ソメイヨシノって、この小説の登場人物に言わせたら、邪道らしいっすよ。知らなかった。へえ、と思うことが沢山あった。男が仕事をすることとは、というのが今のところ、僕の中の一つのテーマで、それに照らし合わせてもこの小説は興味深かった。自己啓発本みたいなのを別に僕は否定しやしないけど、でも、一人のきちんとした仕事をする人間の人生を描いたこんな小説を読んだほうが、よっぽど勉強になると思ったです。もちろん、勉強するために小説読むなんて、そんな不純な動機、私、持ってませんけど。
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<pubDate>Sat, 30 Jun 2012 13:21:50 +0900</pubDate>
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<title>『ぱいかじ南海作戦』椎名誠</title>
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<![CDATA[ 大阪に女友達と旅行に来ているのだけれど、あいた時間にちらちらと読もうかいなと買った本のうちの一つがこの『ぱいかじ南海作戦』である。<br><br>ホテルに戻り、ぐえーと眠り、起きたのが午前五時半。老人のようなわたくしである。で、そんなら椎名誠でも読もうかいなと本を開き、そうするとまあ予感はしてたが、やはり、ちらちらと読むどころかあまりの面白さに一気読みしてしまった。<br><br>まず、タイトルがいい。ぱいかじ南海作戦て。このタイトルを見て、どのような作戦なんでしょうと興味を持たない人間などいないだろう。まず、謎の言葉、ぱいかじ。この言葉の意味は序盤で明らかになる。ぱいかじとは、沖縄のさらに南の南の島あたりの言葉で、南風のことである。失業と離婚が一気に人生を襲い、あーもー何か知らんが南の島にでも行こうかなあと南の島にやってきた主人公は、場当たり的にぱいかじを楽しみつつ、のんびりと過ごす。と、見せかけ、やがて事件がいくつも巻きおこり、主人公はいくつもの作戦をたて、勝負し続ける。<br><br>勝負。それがこの小説のテーマの一つだろう。勝負とはそれだけで尊い。そして、それは少しだけ情けないほうが好ましい。周りがとほほ、と思うような勝負に真剣になる男の冒険活劇であった。去年読んだ村上龍の『走れタカハシ』を越える面白本でした。
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<link>https://ameblo.jp/easy-1111/entry-11285630395.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Jun 2012 13:25:00 +0900</pubDate>
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<title>『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。』村上龍</title>
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<![CDATA[ 一つ前の記事で『ぼくは勉強ができない』は教科書であると書いたが、もう一つの教科書がこの村上龍の『すべての男は消耗品である。』シリーズだ。村上龍は物事の本質を職業柄、すぐに掴む。そしてそれに気付かない全ての日本人に情報を発信し続けている。そこに良し悪しや感情といった概念は薄く、ただただロジカルに論じる。彼が若い頃のこのシリーズは、刺激的な文章も多かった。日本人を常に挑発していた。それは彼の若さもあったのだろうし、一つの戦略もあったのだと思う。田舎者を喜ばすだけの本である、と当時山田詠美や大槻ケンヂに看破されてもいる。だが、当時はそれが許されたのだと思う。そういう時代だったのでしょう。いま、当時の彼のような文章を書く書き手が表れたら、それはただの勘違い馬鹿だ。<br><br>今回のこの本に収録されるエッセイを執筆している時期、日本が大震災に見舞われたこともあり、村上龍は多くのページをそのことに割いている。そのへんのところは僕が何となく考えていたことと似ていたので、「ふんふん」と思ったくらいだが、「うおお」と思った文章ももちろん、あった。それは基本的に震災とは関係のないことで、つまり僕は震災がもたらしたあれこれについては人並みに考えましたよ、そりゃ、だってそこにある危機だったし、絆、絆と馬鹿みたいに強調する全てのメディアに苛立ってもいたこともあり、それについての考察は充分過ぎるほどしていたからだ。<br><br>考察したこともないことを情報として受けとることの感動というかカタルシスより、その件について考察していない自分の迂闊さを浮き彫りにし、焦燥を与える、というのが僕の思う、彼、というより、作家の使命だ。その点で、批判も多い作家とはいえ、村上龍はとても作家らしい作家だと思う。<br><br>といっても、最近はこの人の文章を読んでも焦燥を覚えることは少なくなった。共感することは多いし、「そうだそうだ、よく言った！」と思うこともあるが、多分、村上龍はそんな読者を深いところで求めていない。で、それは多分、喜ばしいことなのだとも思う。この作家に関して言えばね。<br><br>以下、「おお」と思った文章。<br><br>「政府に頼らなければ実行できない提言はもう止めたほうがいい。かつての自民党政権にしても、テレビ討論における識者の提言などに耳を貸すわけがない。だから『中高年のオヤジたちを追い出して若者を雇用するシステムを作って欲しい』などと100万回叫んでも何も変わらない。発言者は、おそらく何かを変えようと思って発言していない。単に、自分の考えを述べているだけだ。<br>（中略）テロはどうだろうか。現状に強い不満を持つ若年層は、どうしてテロに走らないのだろうか。人を殺傷するようなテロはもちろんよくないことだが、インパクトを与えるだけなら方法はある。<br>（中略）若年層の間でテロが具体的に話題にならないのは、ほとんどの若者が本気で変化を望んでいないからではないだろうか。<br>（中略）変化の必要性が叫ばれ続けている割りには、誰も変化を望んでいない、それが現在の閉塞感の源ではないかと思う。」<br><br>もう一個。<br><br>「日本のメディアは、書籍の電子化によって何が起こるのかというとらえ方をしている。メディア自身、電子化の渦中にいるわけだから、本当は『何が起こせるのか』というとらえ方があってもいいはずだが、皆無だ」
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<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 03:20:59 +0900</pubDate>
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<title>『ぼくは勉強ができない』山田詠美</title>
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<![CDATA[ この小説を僕は一体、何度読んでいるだろうか。この本は、僕をその道に（どの道だ？）導いた、僕の人生で一番重要な本である。この小説の主人公である秀美くんは、いまだに僕のヒーローだ。ときとして困難にぶつかったとき、「秀美くんならどうするだろう」「秀美くんならどう考えるだろう」と、考えることもある。高校生のときは特にそうだった。僕は、秀美くんのような高校生になりたかった。<br><br>もともとこの小説を初めて手にしたのはまだ小学生のときだった。広島の実家には、両親が本読みであったということもあり、いつも大量の小説が置かれていた。この小説はそのなかの一つだった。僕は当時、性に目覚めたばかりだった（笑っちゃいますね、この言い方）。『フォレスト・ガンプ』を読み、その中で描写されたセックスのシーンに、「ぬおお」となり、そうか、小説にもこのような密やかな楽しみがあるのだなと知ったばかりであった。<br><br>そんな不純な動機で家にある小説をぱらぱらとめくり、例えば「セックス」の文字があるページに差し掛かると、よし、とばかりに気合いを入れて読んだ。僕は人よりも速く本が読めるようなのだが、思えばこの体験が、それの足掛かりになっているのかも知れない。エロは少年の能力を高めるのである。<br><br>で、この『ぼくは勉強ができない』も、その、小学生だった僕のエロレーダーに引っ掛かったというわけだ。<br><br>と、いっても、そのときは真面目に読まなかった。これはエロくない、とエロ少年はこの傑作を弾いたのであった。<br><br>で、次に読んだのが中学生になったころ。この頃になるとようやく僕は、エロ文学少年から、やや真面目な文学少年になりつつあり、とっかえひっかえ小説を貪り読んでいた。<br><br>この小説は、主人公である秀美くんの回想から始まる。秀美くんはそのとき小学生、ある小学校に転校したばかりだった。転校して間もないある日、クラス委員を投票で決めるためにホームルームが行われた。クラスの事情もまだよく解ってない秀美くんは、教壇の前の席に座る女の子の名前を書いた。なんだか優しそうに見えたからだ。<br><br>開票が進み、秀美くんが書いたその女の子の名前が呼ばれた瞬間、教師は激怒した。誰がこれを書いた、書いたやつはふざけてるにも程がある。秀美くんはもちろん訳が解らない。秀美くんは隣の席に座る男子に聞いてみる。何故彼女の名前を書いたら駄目なの？彼は迷惑そうに答える。馬鹿だから。<br><br>教師はその会話をしている秀美くんをめざとく見つけ、叱る。そして、クラス全員に、もう一度真面目に投票するよう呼びかける。秀美くんは反抗してしまう。<br><br>「解りません」<br><br>「誰だ！いま、解りませんと言った奴は！立て！」<br><br>秀美くんは立ち上がる。<br><br>「どうして解りませんと答えた」<br><br>「だって、彼女の名前を書いたのは僕だからです」<br><br>「そうか、転校してきたばかりだから事情が飲み込めてなかったのだな」<br><br>「違います」<br><br>「じゃあ、何なんだ」<br><br>「彼女がクラス委員長でもいいと思ったからです」<br><br>「きさま、このクラスをなめてるのか」<br><br>「なめてません。先生、どうして彼女では駄目なんですか」<br><br>「…じゃあ何でお前は彼女がふさわしいと思ったんだ」<br><br>「親切そうだからです」<br><br>クラス中が笑い転げる。秀美くんの心には、訳の解らない怒りがこみあげる。<br><br>「どうして彼女では駄目なのですか」<br><br>「…」<br><br>「勉強が出来ないからですか？」<br><br>教師はそれに答えない。秀美くんの目に、机に伏せてて鼻をすする彼女の姿が映る。このとき秀美くんは、初めて、大人を見下すことを覚える。<br><br>どうですか、このつかみ。格好良すぎでしょ、秀美くん。僕は夢中になって読んだ。とうとう出会った！そう思った。そんな小説に中１で出会えただけでこの人生、ハッピーである。<br><br>ああもうだめだ、感想なんて書けない。だってこれは僕の教科書なんです。教科書の感想なんて書けないでしょう。他の山田詠美の小説の感想なら書けるのだけどね。ま、それは、そのうち。フィッツジェレラルドの短編集、続き読まな。<br><br><br>「いったい、大多数の人々の言う倫理とは、一体、何なのだろう。それは、規則のことなのか？それに従わない者は、出来の悪い異端者として片付けられるだけなのか？人殺しはいけない。そうだそうだと皆が叫ぶ。しかし、そうするしかない人殺しだって、もしかしたら、あるのではないか。ぼくは、もちろん、人なんか殺したくない。しかし、絶対にそうしないとは言い切れないだろう。その時になってみなければ解らない。その人になってみなければ明言できないことは、いくらでもあるのだ。倫理が裁けない事柄は、世の中に、沢山あるように思うのだが。」<br><br><br>「『不純異性交遊は楽しいもんな。先生も、良くやったぞ』<br>『そんな言葉、変だよ。ぼく、佐藤先生の説教聞いてて、つくづく嫌になりました』<br>『しかしなあ。ああいう人達の方が多いんだぞ』<br>『知ってます。でも、ぼくは、ああいう人間にだけはなりたくないや。ぼくたちには、本当に良し悪しの判断がつけられないのかもしれない。でも、あの人に、あんなふうにして指導してもらう覚えはないよ。あの人たちの言う良いこと悪いことの基準て、ちっとも、おもしろくないと思う。良い人間と悪い人間のたった二通りしかないと思いますか？良いセックスと悪いセックスの二種類だけで、男と女が寝るんですか？女でひとつだと、母親は、そんなにも辛酸を舐めなきゃいけないって決まってるんですか？その子供は、必ず歪んだ育ち方をするんですか？人間って、そんなもんじゃないでしょう』」
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<link>https://ameblo.jp/easy-1111/entry-11269286115.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jun 2012 23:41:18 +0900</pubDate>
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<title>『リッツ・ホテルほどもある超特大のダイヤモンド』フィッツジェレラルド</title>
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<![CDATA[ なんだこりゃ！最高に面白かった。当時（1920年代）のアメリカの狂瀾とか異常な好景気に浮かれる人たちに対する警鐘とも取れるけど、違う気がするなあ。「こんな話を思いついたんだ、どうだい、楽しいだろ？」と無責任にフィッツジェレラルドが書いた話のような気がする。自然主義なんかくそくらえな、耽美的で匂いたつような文章も魅力的だ。それでいて軽やか。ポップ。<br><br>窮地に陥ったワシントン氏が山の中腹に立ってダイヤモンドを掲げて神に賄賂を提案するとこなんか、最高に良かった。笑ってしまったよ、思わず。しかもこの人、神を決して「神」と呼ばないのな。「そこにおられる方」とか「上におられる方」とか。しかしアメリカ人とは本当に面白いね。当時、こんなことを書いていたフィッツジェレラルドをヒーローとして崇めていたんだから。<br><br>やー、面白かった。<br><br><br><br>「ともかく、しばらく愛し合ってみようよ、一年かそこらでもいいから。だれだって神さまみたいな酔っぱらいになれるんだから。世界にはダイヤモンドしかないんだ、ダイヤモンドと、それに幻滅っていうみすぼらしい贈り物しかないんだ。でもぼくは幻滅を味わったばかりだから、これからはずっと幻滅のことは忘れていられる」
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<link>https://ameblo.jp/easy-1111/entry-11268336095.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jun 2012 22:44:33 +0900</pubDate>
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<title>『卍』谷崎潤一郎</title>
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<![CDATA[ 告白体でこの種の物語を描くということにまず、谷崎潤一郎の女性への敬意と挑戦を感じた。それにしても昔の恋愛は死ぬだの死なないだの、命懸けだったのだなあ。最近の若者は命懸けで恋愛をしていないと、宮本輝が自分の作品の中で登場人物に嘆かせてたのを思い出した。<br><br>それにしてもこの小説の終わり方のなんて切ないことだろう。自分を置いて恋敵と共に死んでいった愛しい人、本当は自分も後を追いたい、でも、もしかしたらあの世でも邪険にされるかも知れない、そんなことを考えたら死ぬにも死ねない、でも、そういうふうに思ってみても憎いとか悔しいとかよりも恋しくて恋しくて…。死は、想いを引き立てるね。特に恋愛小説ではそれはとても効果的な仕掛けとなって読者の心を窮屈にさせる。ここらへんを尊重しつつ、しかし逆手にとって山田詠美は『無銭優雅』という小説を書いていた。恋愛小説っていいなあ、やっぱり。他人の恋愛事情を読むのなんかくだらないって人もいるけど、基本的に誰でもそのくだらなさに身をやつすことになるのだから、客観的にそのくだらなさを楽しむ余裕くらい持てばいいのに。だってある種の作家はそのくだらなさのために、作中で人まで殺しちゃうんだぜ。ま、それこそ他人事ですが。<br><br>『卍』というタイトルの意味が、解るようで解らん。これって何だっけ、仏教用語？うーん。でも、なんか、最後のほうにそれを暗示する場面、あるね、確かに。卍。そうか。人が重なり合ってるようにも見える。仏のあらわす紋様。それを見ることしか出来ない主人公。ああ、やっぱり切ない。
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<pubDate>Sat, 26 May 2012 15:00:38 +0900</pubDate>
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